この22日に札幌出張。北の大地はすでに雪化粧で、みぞれまじりの雪に見舞われ、北国ムードを満喫したけれど、それ以来、どうも風邪気味で喉が痛い。のどの痛みは金曜の夜から高まり、気をつけて10時には床に入って土曜トレーニングに備えたものの、おきてみたら痛みはさらにますばかり。トレーニングはやむなく休みにして内科クリニックへ。
そこでの診断は、風邪ではなく、激しいアレルギー。実は2週間前に、突然の激しい鼻炎でクリニックに行っていたのだが、診断によると、鼻の具合が悪いためにやむなく喉呼吸となり、その影響から激しいアレルギー反応で扁桃腺に炎症を起こしたとのこと。抗生物質をもらって昨日からのみはじめ、今朝は回復に向かっている印象があってホッと一息。あ~よかった。
29日の水曜日はATAのスイム練習会がある。年末にちなんで108本を泳ごうというもので、1コースは確か100メートルを1分40秒サイクルで108本。私は5コースで20メートルを1分サイクルで108本。そのあと、忘年会となる。
じつはけっこうやるきマンマンで楽しみにしており、何とか29日までに治したいとあせっている。
ちなみに私がアレルギーを発症したのは50歳になってから。身体が痒くなるアレルギーはあったが、花粉アレルギーなんてまったく縁がなかった。人生いくつで何に出会うかわからない。
扁桃腺炎を拾って帰ったような札幌だったが、それ以外に思わぬ拾いものもあった。ロタ以降、足の痛みに悩まされていたが、札幌ではだいぶラクに歩けるようになった。その理由のひとつが「靴」。実は雪用の革靴を履いていったのだが、これがよかったようだ。なにがよかったというと、あまりはいていないので、靴底が減っていない。これがよかった。
話は21日火曜日にさかのぼる。
回復が思わしくないので、順天堂のスポーツ整形に行ってみた。そこで治療としては特注のインナーソールがいいとの診断をうけ、その日のうちに発注することになって、ソール作成の業者の方が来て足形をとることに。
そこでの会話。
「両方靴を脱いでください。こうしてみると(痛む)左足の底の内側の減りが激しいですよね。左足の内側に負担がかかっていることになります」
「なーるほどー」と目からウロコ。
「では買い替えたほうがいいかしら」
「いや、底だけ張り替えればいいですよ。まだ上は大丈夫ですから」
「このソールは日常生活でも、走るときも使うのですか」
「はい、どちらも使っていいです」
来週には出来上がるので、そのときはいつも履く靴をもってきてほしいとのこと。
「日常の靴ですか? 走る靴ですか?」
「2足とももってきてください」
改めて、なーるほどー。
そこで翌日の札幌では、底の減っていない靴が有効だということを身をもって確かめたということ。それ以来、歩き方を改めて意識するようになった。
ちなみにソールの価格は31,621円。このうち70%が保険で還付されるので、実質1万円程度になる。この火曜日にできあがるので、その使用報告はまたの機会に。
トライアスロンをはじめ、それが原因で身体を痛めることもあって、「あまり無理をするなよ」との声もあるが、このように身体を痛めることも悪いことではないように思っている。痛めてその原因を探り、対応法を模索しているうちに、自分の身体への意識が高まっていく。例えば首・左腕の痛みは「正しい姿勢」への、左足の痛みは「正しい歩行」への、鼻炎は「予測できない具合に出会う」ことへの意識喚起になっている。これって簡単に言えば、「日々より気持ちよく暮らす」ということなのだ。
冬の陽に ぬくもりながら 足をもむ
足痛め 枯葉を踏むや 冬の道
年末となり、多くのテレビ番組では一年を振り返っている。TBSのサンデーモーニングでは、これまでアメリカを追いかけて物質的な豊かさだけを追求してきた日本人が心の豊かさに気がついてきた、なんて言っていた。
そんなもんかねえ。
アメリカだけを、物質的な豊かさだけを追いかけてきた人なんているのかしら。私はそんなふうに生きてきていないし、少なくとも私のまわりには見当たらないよ。わかったような正義面の発言はいやな感じだなあ。
カテゴリー: 健康
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足の痛みから 自分自身の身体を知る
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トライアスロンの楽しみ。暮らし、大会、仲間、そして自己確認。
左足のかかとを痛めてランはまったくの休止。昨日のATAでのレッスンもスイムのみ参加。岩田コーチから「水中ウォーキングは効果がありますよ」と励まされ、ATAレッスンのあとは45分の水中ウォーキング。やっているうちはキツイという自覚はないものの、最後は両足がつってしまい、水の中で立ち往生。その負荷にびっくりした。
「つる」といえば、夜中に足がつったとき「ああ一人なんだ」と思う。昔は隣の妻をたたき起こしてともに足を伸ばしていた。もちろん私がたたき起こされて介抱することも。
「老いとは孤独を受け入れること」ともいわれるが、私が妻を亡くした孤独感に襲われるのは、夜中に足がつることを第一にあげる。
さて今回は、私なりのトライアスロンに見い出した楽しみ。
ひとつは「暮らし」の楽しみで、これはシーズンオフに入るとより明確になる。シーズン中は大会への参加の準備も含めて生活は不規則になるが、オフは落ち着いて練習に向かうことができる。自分で規則的な練習のプログラムを考えながらそれをこなしていくのは楽しいことだ。
これが単に体調管理のためのトレーニングではそうはいかない。やはり大会に向かうことが重要で、その緊張感を含んだ目的意識のなかに一人かみしめる楽しみがある。
次は「大会」、レースそのものの楽しみ。おかげで初シーズンは5つのレースに参加し、いずれもなんとか完走することができた。どの大会も楽しめた。自分がこんなところでこんなことをしている不思議と驚きを楽しんだ。ロタ島でのバイク中のスコールはその白眉だね。そしてランの終盤にいたり、ペースが安定し、足の痛みを感じつつも意気だけは軒昂とゴールに向かう高揚感を楽しんだ。多分、来年はもっと楽しめるようになるだろうと期待をしている。
次は仲間。斎藤祐樹のセリフのもじりではない。共にトライアスロンに挑戦する者としての「仲間意識」だ。練習の仲間、大会で出会った人々など、トライアスロンを始めることで交友関係は大きく広がった。こんなにも豊かな広がりがあったとは考えてもいなかった。当ブログを縁で知り合った方もいる。年齢は最年長の部類だが、それも若い皆さんと一線をおく感じでいいと思っている。
まさに「社交の楽しみ」である。「社交」とは人あたりのよい人間になることではない。「社交の場」に「社交の一員という立場」で参加することなのだ。トライアスロンといスポーツにトラアスリートとして参加することなのだ。それを自らの体験で確かめた。
ちなみに、この数年で私がもっとも影響を受けた本は山崎正和の「社交する人間」である。ついでに、早稲田実業の父母の会会長をつとめた縁で、斎藤選手は夏の東京都予選から見ており、甲子園の決勝戦も見に行き、ご両親にご挨拶したこともある。いろんなことがいろいろにつながっていくということ。
最後は自己確認。生理と肉体を通して、パフォーマンスを通して、人との出会いを通して、レースを通して、それをこのように書くことを通して、さらにそれらのすべてを暮らしの中で整理して組み立てていくことを通して、自分を確認することが、私には大切なことになっている。
ここまで書いてきて思い出した。映画「ショーシャンクの空」の原作であるスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」に「希望とはいいものだ。おそらくいちばんいいものだ」という主人公のセリフがある。漫然と自己の内を眺めていても、嘆いてみても、なにもわからなければ希望も生まれない。何より歩いてみることなのだ。見る前に跳べ!それもひとりで跳べ!
いま、初シーズンの終わりに、そんなことを確かめている。
年の瀬に ひとつふたつと 振り返る
来年へ ひとつふたつと 整える
「ととのいました」の流行語になってしまったのは不本意だが、ほかに思いつかないのは困ったなあ。
このブログは日常の些事ではなく、写真はなく、できるだけ実用に供することのできるように細部にこだわるがために文章の量が増え、最後は下手な俳句もどきでおちのつかない逃げをうつということを信条としてやってきたが、ここらで「始める記」の第一ラウンドは終了かなと思い始めている。
できれば第二ラウンドは少し違うスタイルにしてみたい。写真も入れてみようかとも思っているが、検討中。
お読みいただいている方は、引き続き、よろしくお願いします。 -
打ち上げ会で、シーズンオフの到来!
足の痛みが尋常ではない。かかとを地面につけるのが痛くてまともに歩けない。不自由な歩きかたのおかげで、左のふくらはぎまで張ってきて金曜は整体マッサージへ。テーピングとマッサージで治していきましょうということになった。確かにテーピングをすると少しはラクになる。
シーズンオフに入ったので痛みはひどいものの、気持ちに余裕はある。ネットをみるとこの手のかかとの痛みはよくあることのようだ。この際、足の痛みをしっかり勉強しようか。
昨日の朝錬はスイムとバイクだったが、足の痛みを考えてバイクはお休み。それはいいとして、昨日の問題はスイムの15分泳。これは1コースを一人15分間泳いで距離をみるもの。3ヶ月前は500メートルだった。この3ヶ月で、自分としては確かに上達したと思う。足が浮くようになった。手のかきも腕を思い切り前に出して身体を伸ばす感覚をつかめるようになった。にもかかわらず、結果は500に12メートル達しなかった。これは意気消沈したなあ。500は越えると期待していたのになんたることだ。ブレークスルーできたつもりがまだだったということ。
水泳の目標は再三書いているが、自然なペースで25メートル30秒をコンスタントに泳ぐこと。50メートル1分、100メートル2分、15分で750メートルになる。500メートルの1.5倍だから目標としてはきわめて高いが、トライアスロンではスイムで大きく遅れるとあとは一人旅となってレースというより自己記録会となってしまう。
でも、今回の15分泳で、この目標は決して無理ではないという感触を得た。いまだブレークスルーはいたらずとも、手にかかるところに近づいていることを感じている。バタ足、フォーム強化、インターバル、長距離など「こうして練習してみよう」というイメージができてきた。
足の痛みで年内はランはお休みにし、この際スイムを強化しよう。「よし、やってみよう!」と心に期すところあり。
練習の帰りにちょっと気になって自宅近くの自転車屋をのぞいた。足が痛くて歩くのがつらいんだよね。家にあったママチャリは娘がなくして以降はそのままの状態。そこで目についたのが、国産の6段ギア、自動ランプの19,800円。ロードレーサーで街中を一人で走る気はまったくない。クロスバイクにしようかとも思うが、通勤・買物の日常利用をからするとかえって中途半端かなあと迷っていたが、これなら日常利用の延長で銀座あたりぐらいは出ていけそうだ。値段も機能からしてお買い得、ということでその場で衝動買い。あたりまえだが、自宅まで帰るのがラクだったこと。ホッと息をつくような安堵感があった。
そして昨日はATA(アスロニア・トライアスロン・アカデミー)の打ち上げ会。代官山のイタリアンで、30人ぐらいの参加だったかな。普段なかなか会えない人とも久しぶりに顔をあわせて交歓した。ただし改めてみて思うことは皆さん若くて意気盛ん。来年還暦の私としては隅に置いていただいているのが素直な心境。
私としては、岩田、平野の両コーチにお礼の挨拶ができたことが何より。特に平野コーチには酔った勢いも手伝い「私は平野コーチの作品だと思っていますから」と感謝の思いを伝えた。でも「作品」とはいうものの素材はいかんともしがたく、かなり不出来であるのが自分でも申し訳ない。
一歩ずつ 冷える夜風に 足をひく
よしいくか 小春日和に お洗濯
今日も小春日和の好天気。
部屋を片付け、洗濯をすませ、新しい自転車でプールに行き、月曜からの仕事の準備を整えよう。 -
シーズン終了。まずはからだのリハビリ。
ロタの前から気になっていた左足かかとの痛み、ロタのランで走り出したらうやっぱり痛かった左足のかかと、このかかとが痛くてまともに歩けない状態が続いている。
はじめは2~3日で直るかと期待していたがいっこうによくなっていかない。そんな状態のなかでこの前の日曜日はバイクの練習会に参加した。これはATAの生徒練習会で、30人ぐらい集まったのかなあ。上中下の3つのグループのライドだったが、、私はもちろん下のグループで、千葉のエアロビクスセンターから養老渓谷付近までの道、往復でほぼ70キロを走った。すると右足の膝が痛くなるんだ。これは初めての経験で、なんか、身体のあちこちが痛んできたようだなあ。
バイクのあとは風呂に入って、そこでドイツ人のMさんと足の痛み談義。Mさんはめっちゃ足の速い方で、陸上選手を思わせるほど。まさに風のように走り抜ける。そのMさんが左のアキレス腱を痛めたと聞いていたので、その後どうなったかとたずねると、もうよくなったとのことだが、そのケアが参考になった。
まず、9月の最後のレース以降、走っていないという。つまり約2ヵ月の休養をとったということ。その間消炎薬を貼り薬ばかりではなく、飲み薬も併用したという。さらにアキレス腱のストレッチと筋トレも続けて効果的だったというから、その真摯な治療態度には感心した。私のかかとの痛みについては、土踏まずのストレッチも有効とアドバイスをくれ、竹踏みを薦めてくれた。ドイツ人から竹踏みを薦められるとは思わなかった。
やはりすごいパフォーマンスの人は身体のケアも徹底していることがリアルにわかった。
そうなんだろうなあ。
ロタにロングライドが加わったためか、今週感じていたのは身体の疲れ。ともかく睡眠をとるように努めた。水曜~木曜と札幌出張だったが、夜の街にでかける元気はなく、ホテルのすし屋でタラバ蟹と熱燗で身体を温め、9時には寝て7時に起床。出張だから遊びに行くのでなく、出張で時間があるから早く寝ようという年齢なったと思うと感慨深い。
昨日も12時前に就寝で目覚めたのは7時。今朝の目覚めの感覚としては、疲れもまだ残ってはいるが、だいぶとれてきたように思える。爽快である。くるぶしの痛みも疲れがとれていくのに合わせて、和らいでいくようでもある。
そこで思うのは「疲れていたんだなあ」ということ。シーズンオフとなって気分的にも開放感を自覚するにいたり、シーズン中はそれなりに緊張して過ごしていたことに気がついた。そのストレスも含めて「疲れていた」のだと自分に確かめ、そのことにいささか嬉しい思いを感じている。アスリートなんだという満足感かな。
ところで、皆さんはいかがだろう。若い方々をみていると、「シーズンの疲れがたまっていた」なんてなかなか思えないが、シーズンオフの安堵感と疲れを感じているのだろうか。そのあたりが実感としてよくわからない。
このシーズンオフは第一に身体のリハビリに努めたい。年齢的にもパワーアップなんてことは考えないが、歳相応にトライアスロンへの適応性を高めたい。
スイム、バイク、ランとも、レース中に正しいフォームを維持するにはそれなりのパワーを必要とすることを痛感している。いや、正しいフォームになれば無駄なパワーはいらなくなることもあるのだろうが、それでも基本的な力は必要だ。
いま感じているのは背筋も含めた腕回りの柔軟性と躍動感、お腹まわりの筋肉によるブレない姿勢の維持、股関節、ひざ、足首、かかと、指にいたる足の関節の柔軟性といったあたり。ひとことでいえばシャキッとしたいという感覚。もっと身体をラクにしたいというイメージ。それと体重。身体を軽くしたいが、これがいちばんむずかしそう。
時終えて 冬への備え 確かめる
振り返る この夏の夢 過ぎ行く日
ブログで初シーズンの総括をしよう。
書くことにより、過去を確かめ、明日への糧としよう。
トライアスロンの大会、練習、スキル、日常、社交など、さまざまな角度から見て確かめたい。 -
順天堂医院へストレートネックのチェック
行きたい、行かねばと思っていた「首と腕のしびれ・痛み」の診察。今日、順天堂医院に行ってきた。なぜ順天堂かといえば、第一にスポーツ医療を掲げていること。そして会社のある秋葉原に近いこと。予約や紹介状の必要なく診察が受けられることなどがあげられる。
診察はレントゲンと問診。人間の首は7つの骨によって支えられているという。この7つの骨は連結した電車とおなじように、個別であるとともに、つながることで柔軟な動きが可能となる。ところが、レントゲンでみると、私の場合は、上から5番目と6番目の骨がひっついている。医師の説明によると「おそらく先天的なものであり、こうしたことは珍しくはない」という。ひっついているのだから、当然その部分は柔軟性はなくなり、首を曲げると、その前後の4番目と7番目に負担がかかることになる。そしてその負担が腕の神経を圧迫して、しびれや痛みが起こる。
ただし、しびれは腕に限定され、足にいたっていないので、脊椎に問題があるわけではない。安心してほしい、という。
対処療法としては、手術によって矯正するといったたぐいのものではなく、整体院や整骨院で、マッサージや首の牽引などを受けて対応することになる。これらはいわば首の筋肉をストレッチするものであり、首をのばす、周辺をもむといった首のストレッチングはお勧めである。
ということで、スティック状の塗り薬(スミルスチック)をもらって帰ってきた。
もう一つはアキレス腱の痛み。レントゲンをみると、アキレス腱を支えるかかとの骨が突起しているようであり、これも十分なストレッチのアドバイスと、こちらは塗り薬(ボルタレンゲル)をもらって帰ってきた。
特に致命的な重症というわけではないので安堵はしたものの、といって対応は薬を塗って十分なストレッチなので、なんだかなあ。サッパリとはいかないものだ。スポーツ治療の看板を掲げているので、何かそれなりの指導やコンサルティングを漠然と期待していたけど、そうしたことはまったくなかった。ただ、こうしたケースにはなれているように見えたかな。
とどのつまり、この痛み・しびれとは適当につきあっていかなくてはならないんだなあ。どこか気長に通える整体院・整骨院を探そう。これまで自宅近くで2軒、会社近くで1軒に行ってみたが、いまいちピンとこない。何がピンとこないのかもわからないが、相性があわないということでもあるのかなあ。ちょっと考えてみよう。
でも腕のしびれと痛みは普通に歩いている状態でも発生し、自然と左腕をまげて脇をしめるようにして歩くようになっている。スイムでも痛みが気になって仕方がない。これは困ったことだよねえ。
といって嘆いていても仕方がないから、ストレッチ・薬・整体院のセットで頑張ってみよう。
気がつくとロタ大会(11月13日)がドンドン近づいている。気を取り直して、今週末の練習に向かおうとはいうものの、来週以降は25日~27日、30日~1日、3日~5日と東京を離れての旅がらすでトレーニングもままならない。どうするよ?困ったねえ。せめて体重だけでも落としたいが、外に出ると太るんだよ。
秋の夜 痛みと痺れ かみしめて
肌寒く 空を眺める 秋の朝
ロタまでの体調維持を肝に銘じて。 -
ようやく海で泳げた気分 こつは大きく泳ぐ・・・かな?
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10月11日月曜は今年最後の海練。穏やかな秋晴れの気持ちの良い一日であった。参加者は20名ほどかしら。初めてお目にかかる方々のほうが多かったが、ムードはいたって和やかで、楽しめた。やっぱり海はいいよなあ。
レッスンは途中で2チームに分けて進行。1チームは距離を泳ぎ、もう1チームはターンなどの技術連を中心とする。自信はなかったが、今年最後の海錬、ロタ大会への準備などから思い切って距離を泳ぐチームに参加した。
そこで、多分500メートルぐらいを往復する距離に挑んだが、他の方々よりも大きく遅れ、途中休みながらもなんとか泳ぎきることができた。やはり回を重ねることで、海になれてきたことが第一。これで不安いっぱいのままに海に飛び込むこれまでの状態から、不安ながらも自分をコントロールして泳ぎだす状態になれたように思う。
途中の休みも、これまでは息が苦しくてギブアップの状態であったが、方向確認をかねて気合を入れなおすリセット程度の小休止となった。
精神的にはやはり「自分が前に進んでいるのかわからない」という閉所恐怖症的孤独状態がつらいが「そのうち着くだろう」といった開き直りも自己コントロールできたように思う。これも回を重ねた慣れに加え、ブレスが多少は上達したのかもしれない。
あと問題はやはりスピードだね。一人大きく遅れる。多分皆さんは50メートル1分以内ではないか。私の場合は50メートルで20秒ほども遅れてしまう。ウエットを着ているので、身体は水平位置に保たれているのかとは思うが、結局はクローリングや手のかき、それと姿勢のブレといったところが問題なんだろうなあ。
遅れということでいえば、水泳に限らず、ランでも若い人には大きく遅れる。若い人の巡航スピードがキロ5分30とすれば、私の場合は6分から6分30秒、レースでは7分ペースとなってしまう。しかしランでは遅れても抜かれてもあまり気にならないのに、スイムでは遅れがどうにも気になるのはなぜだろう。
多分ランは遅くとも「これが自分の速度」と納得できるのに対し、スイムは「もう少し速く泳げるようになるはずだ」という思い込みがあるからだろう。それは過酷な練習によってもたらされるようなものではなく、もう少し技術的に上達すればできるはずのことであり、そんなに遠い目標ではない、といった認識である。この認識が錯覚でなければいいのだが。。。
そんな状態のなか、今回のスイムで自分なりに手ごたえをえたことがある。それは腕のかき具合。例えばトータルイマージョンの映像などをみると、手をかく際に肘を曲げ、割合と近い位置で水に肘をたてた状態で入水し、水中でクローリングしながら腕を伸ばす。一方は、肩から大きく腕を回すように遠い位置に肘はどちらかといえば伸ばした状態で遠くのものをつかむようにして入水し、更に腕をのばし、肘を曲げてキャッチする。
これまで大きく二つの方向があるなあと漠然と思っていたが、今回のスイムで、海では大きく腕をまわすほうが泳ぎやすいと思った。一つには、大きく腕をまわすことで波の影響を避けることができるような気がした。小さいかきだと時折波にぶつかる気がすんだな。そしてゆっくり大きくまわすリズムが長距離を泳ぐのになじみやすいように思えた。海のリズムに合っているような感覚なんだな。
そこで改めて振り返ってみると、私からみると岩田コーチ、平野コーチとも大きく腕をまわすタイプ。遠泳に挑んでいるIさんの泳ぎを先日TIPNESSのプールで見る機会があったが、Iさんも大きくまわすタイプであった。なるほど。
これで速くなるかどうかは別として、スイムについては、少しづつ、薄皮を一枚一枚重ねるようにしていくことなのだと一人納得している。
なんて書いていると、今日はそのつもりではなかったが、夜に泳ぎに行こうか、なあんて考えてしまう。あともう少しで手が届くような気がしているが、難しいものです。
あそこまで わが身励まし 海泳ぐ
海に浮き 秋の気配を つかみとる
海錬から帰り、次女の家に。
久しぶりに孫の顔をみてソーメンをいただく。 -
秋に入って なかなかままならず
またまた、前回からだいぶ日にちがたってしまった。今回の原因はハッキリしていて、仕事が忙しかった。昨日でようやく一段落したかと思ったが、今朝のメールでまだ続きそうな様子だ。明日から5日まで上海にでかけることもあり、きわどい綱渡りが終わりそうにない。この年齢でこうした状態は、ありがたいことと思わなくてはいけないが、でも、以前のようにはいかない。一昨日は久しぶりに午前1時過ぎまでパソコンに向かったが、どうも根気が続かなくなっている。休む機会と時間が増えている。やり残しの仕事がたまっていく。
さて、前回のブログ以降の出来事といえば、先週末土曜日のトレーニング。スイムで100メートルのタイムを計測したが、私のタイムは2分40秒。ということは50メートルで1分20秒、25メートルで40秒。いつもどおりのタイムだ。このブログにも再三書いているように、なんとか、25メートル30秒、50メートル1分、100メートル2分を切るぐらいになりたいが、先に進まない。足踏みが続いている。
自分で考える泳ぎとしては、ようやく1・2・3、1・2・3というキックのリズムがわかってきた。そのリズムで手を合わせると、確かに沈みがちな右手のタイミングがずれているのが分かる。それでいわゆる「右手を我慢する」ということがどういうことなのか、どの程度我慢するのかが、自分でも理解できた。足のリズムを左右一定にし、同じように手をかくリズムを合わせることが「右手を我慢する」ことなのだ。
で、100メートルでもそのようにしたのだが、タイムはいっこうにあがってこない。このところ自分ではだいぶ泳ぎができてきたように思うのだが、足踏みが続いているのはどうしてか、どこに欠陥があるのか。今度コーチとじっくり話してみるか。あるいはまたトータルイマージョンにでも行ってみるか。何か打開策を講じたい。
スイムの後のランはインターバルトレーニングで、400メートルをキロ4分30秒ペースで5本走るというもの。1本目はなんとかついていけたが、そのあとはとてもとても、息があがっておいていかれるばかり。更におなじみの左足アキレス腱も痛んできたが、痛みのほは、後にひきずらず、ホッとしているのが現状。
といったところで、トレーニングもTTAのレッスンが精一杯で、不足気味。上海では何もできないだろうなあ。そして10日は第一回の江戸前トライアスロン(スプリント)となる。大会というより、ロタに向けてのトレーニングと思ってユックリやるしかないなあ。
このところ、1月のマラソン大会情報が周囲を飛び交っている。私はフロストバイトと新宿シティマラソン(共にハーフ)に参加の予定。新宿シティは9月30日にエントリー開始ということで、私は30日の午前1時過ぎにエントリーしたが、30日昼ぐらいにはエントリー締め切りの様子。すごい人気に驚くばかり。
起き抜けに 江戸川眺め 秋の雨
秋雨に 緑の芝を かけぬける
涼しくなって下痢も多少はおさまっているが、これも足踏み状態。
上海から帰って大会を終えたら、消化器内科に行ってみよう。 -
秋に向かい、いまの課題は、身体の管理!
前回のブログからは12日のお休み。この12日間を振り返ってみると・・・忙しかったかなあ?
確かに、やることは詰まっていたことは確かだが、どうも「しまらない」状態であったように思える。いわゆる「夏バテ」というやつか。あるいは、今年が初のトライアスロンシーズンの疲れなのかもしれないなあ。
一昨日ぐらいからようやく夜には涼しさを感じるようになったが、そのおかげか、この2日は実によく寝た。10時には床をひき、目覚めるのはなんと8時近く。2日連続で10時間ではないか。その間はトイレにも起きない。現在の感覚としては、「これで疲れが抜けた」とまではいかないが、洗濯物を取り込み、布団を干してブログに向かうというのは、多少意欲を回復している証拠なのか。
ちなみに一昨日は高尾山の登山に初挑戦。これは思いのほかきつくて達成感を十分に得られた山登りとなった。そして昨日の土曜日はTTAのレッスンが休みだったため、家の片付け、フローリングの拭き掃除。這いつくばって床磨きに汗をかき、スイムの自主錬を1時間。というわけで、2日ともかなり身体を動かし、ビールを飲んでバタンキューというのだから、まあ、適度に疲れてよく寝たということにもなるのだろう。
そこで現在の体調を確認。まず大いに気になるのが下痢。多分、水分、特にビール、ホッピー、ハイボールの過剰摂取が原因と思っているが、なんと一日に10回もトイレに行く状態になっている。これでは普通の生活にも差し支えが出てくる。
次に困っているのが体重の増加。ホノルルに行く前が65.5キロ、昨日、プールあがりで68キロ。このところ、67~68あたりでうろちょろしている。自分でも肉があまった感覚があり、服のウエストもきつくなっている。
トライアスロンを始めて、ダイエットストレスから開放された気になっていたが、どうにも、そうはいかないようだ。
夏はいつも体重が増える。振り返ってみれば原因は酒と運動量の低下。それが今年も変わらずにおきているということか。
身体の痛みは、腕の痺れが治まらない。原因は首であることはハッキリして、いまでは顎をあげると連動して痺れが走る状態を確かめられる。左足のアキレス腱はもうほとんどなくなっているので、これからは首に集中。
秋の訪れとともに、これらの身体の問題に対処すること、これがいまの私の関心事。まず、体重をアンダー65までに落とす。下痢と首については、ちゃんとした病院に行く。あるいは、今年はまだ人間ドックに行っていないので、折をみて行きたいと思う。これを10月末程度までに終え、しっかりとした身体で次のシーズンに向かいたい。
あと、どこか手ごろな整体クリニックを探したい。家の近くの2軒に行ってみて、悪くはないが、どうもシックリきていない。
今日の最後は昨日のスイム自主錬の手ごたえ。
いまの課題は腕のかきとタイムアップ。腕のかきについては、これまでは腕の伸びとクローロングだけに意識が向かい、スカーリングまで気がまわらなかったが、最近はようやくスカーリングに意識が向かうようになってきた。昨日はプルブイで25メートルを1分サイクルで14本、同じくクロールで10本、最後に50を6本。足のキックで浮力をつけ、身体の側面を大きく伸ばし、腹筋に力をいれ、水をキャッチしておなかにむけてかきこむ感覚は自覚することができた。自分でも多少のメリハリがついてきたように思う。
で、タイムは25メートルで40秒弱。50メートルで1分15秒。
なんとか、普通に泳いで25メートル30秒、50メートル1分にいきたいなあ。これが来年の目標。
酷暑の夜 疲れにひたり 足さする
届かない 汗にまみれて 手を伸ばす
今日はセントレアの大会。
多くの知り合いが参加している。
コースはミドル。
来年は目標にできるかどうか。。。。 -
横浜シーサイドトライアスロンのリザルト
5日日曜は横浜シーサイドトライアスロン。スイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロのコースで、私のリザルトは。。。
完走者633名のうち、580位。
総合タイムは 1:52:13
スイム(順位) 0:24:37(599位)
バイク(順位) 0:48:16 (563位)
ラン(順位) 0:39:20 (554位)
とても遅いけど、スイム~バイク~ランとだんだんに順位をあげているのがおもしろい。得意、不得意が実に正直にでるものだ。
まず問題のスイム。ようやく休止せずに、連続して泳ぎきることができた。正直これはうれしい。初めての体験。今回のスイムのコースはヨットハーバーのなかで、防波堤に守られて波はなく、ほぼプール状態。とにもかくにも「連続して泳ぎきる」ことを目標にした。途中300メートルあたりで、左足がつりそうになったが、かえってこれがよかったようだ。左足に意識を集中することで、余分な雑念を忘れることができた。ヘッドアップで前方を確認しながら、ただひたすらに泳ぐことができた。
バイクは周回コースを4周するもの。アップ・ダウンもそれぞれ1箇所ずつで、初心者向けの走りやすいコースであったと思う。
バイクについては、左腕の痛みと痺れ対策として、レース前日にアスロニアにバイクを持ち込み、ハンドル位置などを調整して臨んだ。これが功を奏したようだ。今回は痛みをほとんど意識せずに乗ることができた。
ランのコースは八景島と隣接の公園を走るもので、雰囲気としてはホノルルトライアスロンを思い起こさせる。風景も楽しめ、フラットで走りやすいが、ともかく暑かった。給水ポイントでは、水を飲むことはもちろん、必ず頭と両肩を水で冷やした。特に、頭と肩を冷やすのは大切で、マメに冷やしているうちに、だんだんと体調が安定して最後は気持ちよく走りきることができた。
今回のレースは、スイムを休みなく泳ぎきることと、暑いなかでのコンディション維持を課題としたが、満足できる結果となったと思う。おそらく、コースが初心者向けであったとが大きかったが、自分としても、初めて自信への手ごたえを得ることができた、重要な大会になったと思う。
なかでも大切なのは、安定した体調を意識的にコントロールしながら、無理を感じることなくゴールを目指すことであり、今回はスプリントとはいえ、その実感を得たことがうれしい。
この日はレース後はすぐに撤収、帰宅後、夕方からは六本木に出かけてトライアスロン仲間のカラオケ大会へと向かい、年甲斐もなく大騒ぎを楽しんだ。皆さんありがとうございます。体力、気力とも余裕があったということだろう。
さらに翌朝の起き抜けの感覚が重要だが、気になっていたアキレス腱の痛みがないこと、腕の痺れが悪化していないことを確認して一安心。
しかしさすがに疲れは身体全体に残り、早々に帰宅して家で仕事をすませて早く寝た。いまパソコンに向かっている二日目の朝は、全身の疲れも低下し、足と腕の痛みも悪化していない。ああ、よかった。
今後は10月10日の江戸前トライアスロン(スプリント)と、11月13日のロタ大会(オリンピック仕様)でトライアスロン初シーズンを終える予定。この二つの大会で自信を深めることができれいいのだが。
自分では今回の大会で「まだ1~2割りは伸びるな」と感じているが、果たしてどのような結果となるか。
落ち着けよ 言いきかせながら 泳ぎきる
水かぶり 息ととのえて 走り出す
今回のレースを無事に終え、ようやくスタートラインに立てたように感じている。
なかなか思うように上達しないが、初のシーズンでこの実感を得たことを素直に歓びたい。 -
歳相応に生きることの難しさ? 楽しさ?
9月2日、本日は妻の命日。亡くなってからまる3年を迎える。仕事は休みとし、午前中は家の片付け、午後から亡き妻の高校時代からの友人3人を迎えて缶ビールに寿司で思い出と近況を語らった。3人のうち2人の子供がそれぞれに結婚間近とのこと。同年齢が集まって話す話題も、子供の学校の話はとうに過ぎ、子供の結婚と親の介護、さらには自分の老後という具合となった。
私の出た高校は5年毎に学年の同窓会を行っており、その案内が届いた。案内文には「遂に我々は60(還暦)です」とあった。5年前には妻の病気もあり欠席したので今回は10年ぶりに「還暦」の集まりに出席する。きっとそこでの話題も、定年、子供の結婚、親の介護に老後への不安といったものになるのだろうなあ。
このブログにも再三書いているが、60歳を前にすると、自分の年齢を強く意識するようになる。ひとつには人生の終焉が見えてくるということ。死ぬまでに何をしておくのかを考えて行動するようになる。次にあげられるのは身体の衰えへの自覚。見た目の容姿の老化はいかんともしがたく、体力も年々低下していく。今日は「岩崎さんでも歩いていて抜かれるようになったの!!」と驚かれた。はい、最近は女性にもドンドン抜かれます。さらに、子供の成長。私の場合は、二人の孫ができた。
加えて私の場合は妻の死ということがある。妻は胃癌で亡くなったが、妻の死により、死ということと、癌というものが、とても身近なものになった。「精密検査に行ったら前立腺癌と診断されても何の不思議もない年齢となった」ことを強く感じている。
もちろん、私のトライアスロンも、こうした「年齢への自覚」と大きなかかわりがある。
まだ身体の動くうちに何かを始めておこう、歳相応に生活のなかに取り込める、一人暮らしのライフスタイルになじむスポーツをもとう、死が身近な年齢となったので、常に目標への緊張感を内在させた暮らしをしよう、身体は衰えているが、だからこそ、それなりに「健康であることの肉体的な快感」を日々自覚していたい、といったところだ。
さて、そうした年齢のなかでの初のトライアスロンシーズンはどのようなものか。
「ちょっとやりすぎではないですか?」というご意見をあちこちよりいただく。もちろん「やりすぎ」というのは、「この歳で」という意味を含む。これは正直「そうかもしれないなあ」とも思う。ややオーバーワークなのかもしれないと思う。ただし、このオーバーワークには、特にスイムとバイクでの技術面での難しさが大きく影響していると思う。つまり、この年齢で始めるには、ハードルの高さを感じてしまう。もう少し若ければもう少し覚えも早かったのではないか、なんて思ってしまう。
そこで、いま、楽しみにしているのが、今度の日曜の横浜シーサイドトライアスロン。この夏の暑さもあり、ほとんどトレーニングができていない。暑さのおかげでビールを飲みすぎ、体重は2キロも増えている。天気予報では当日もかなりの暑さが予想される。そんな状態で、どの程度できるのか。とても不安である反面、初シーズンの状態を占う大会になると考えている。
元気な状態でゴールできるようであれば、この年齢のこの技術とこの体力で、つまり歳相応に、無理なく、自分なりにこのスポーツをたのしむコツが見つかるだろうことを期待している。だから、タイムはともかく「元気でゴール」こそが目標で、大会というよりも、練習のつもりでレースを楽しむことを第一にしたいと考えている。
この歳になっても、あるいは「年齢」を強く意識するこの歳だからこそか、歳相応に生き、日々を心地よく過ごすことの難しさ、あるいは楽しさを感じている。
この夏は 還暦前の 衣更え
あと一息 暑さしのいで 涼を待つ
先日、大学の友人から久しぶりに電話をもらった。
「今度会おうよ」で電話を切ったが、「今度とお化けは見たことない」なんて言葉もある。
来週には電話をして飲みに行こう。
年齢と仲良く暮らしていきたい。