カテゴリー: 痔の治療

  • 私の3年に及ぶ「痔の格闘記」はこれで終了。メッセージは「医者もいろいろ」「だから自分で判断する」ということです。

    私の3年に及ぶ「痔の格闘記」はこれで終了。メッセージは「医者もいろいろ」「だから自分で判断する」ということです。

    痔の手術を受けてから2週間が経過。術後の1週間は切除の痛みで体を動かすにも苦労した。排便が怖かったがそれがひどい痛みとはならなかったのには安堵した。そして1週間後に痛みが変化する。傷口がむき出しになったようなヒリヒリする痛みであり、ウォッシュレットで水が当たると実に痛い。これはどうしてなのか。そしていま、2週間を過ぎ、ようやくその痛みも治まりつつある。この間、傷用の軟膏を塗ったガーゼを頻繁に替える、日に2回は風呂に入るなどのケアを行う。
    術後2週間はお酒NG。昨日はトライアスロンチームの忘年会があって、2週間ぶりで飲んだが、痛みが増すなどの直接的な反応は出ていない。よかった。

    さて、現状報告はここまでで、前回の続きに戻る。
    2020年10月、長良川トライアスロンでは、特にランで案の定、痛みがひどくなったが、どうなるものでもないので我慢をしてやり過ごした。
    私の抱えたいぼ痔というのは、面白いもので、痛いとはいえ、そこで動けなくなるほどではなく、我慢すればやり過ごし、あとで風呂で温まれば、小康状態となる。レースの後も日帰り温泉に行っていたわった。
    さて、レースは終えた。いよいよ手術で解消と心を決め、日帰り手術のできる病院をネットで探して2020年12月に「おおいまち消化器外科クリニック」を選んだ。選ぶにあたっては、主にホームページと医療比較サイトで検討することになるのだが、痔の日帰り手術をしっかり行っていること、ホームページでそれが説明されていること、医師の年齢、医療比較サイトで不満が少ないこと、交通の便などで総合的に判断した。
    診断の結果は、内痔核が3箇所、外痔核が1か所あるとのこと。自分では外痔核の実感しかなかったので、いささか驚いた。そして私としては日帰り手術希望であったのだが、診断の結果は下痢と痔のクスリ対応となった。。
    そこで考えてしまった。
    クスリの対応で少し様子を見ようか。クスリで下痢がよくなれば、痔も治まるかもしれない、であれば、家の近くのほうが便利だろう。これもネットで調べると、南行徳駅前に消化器外科がある。特に悪い情報も見られない。
    こちらで行ってみるか。
    診断は3か所の内痔核と1か所の外痔核で同じであり、下痢と痔のクスリを出してくれる。
    そこで1か月1回のペースで4カ月近く通ってみたのだが、下痢は少しは快方に向かったものの、痔のほうは小康状態でいっこうに改善しない。
    診断はお腹に聴診器をあて、肛門を見て、「はい、いいですよ」で終わり。次回への予約もとらない。
    手術について質問しても「ぼくはあまり勧めない」とのことで、話が先にいかない。
    そこで私はこう思った。
    「この医者は治す気がないな」
    医者だから治す手当はする。明るく人あたりもいい。
    しかし、治るまで面倒をみようといった意識、責任感がみられない。
    治ったか、諦めたか、いつしか患者が来なくなれば、それで終了、ということなのだ。

    そこで見切りをつけて、改めてネットに向かっていると、「患部に触らない痔の手術」という広告を見た。
    詳しくはこちらで見てください。 https://okuno-y-clinic.com/
    これにビビッときた。なんでもやってみたい新しもの好きの好奇心が刺激された。
    手術費は約360,000円もする。しかしこれでサッパリできるのであれば、その価値はあるだろう。
    思い切って電話をした。
    まず、詳しい事前説明と丁寧な質疑応答がある。
    カテーテルでコイルを毛細血管に埋め込み、血流を制限するというものだ。
    何回も強調されたのは、必ず良くなるとは限らないということ。それはそうだろうと思う。
    私の質問 「良くならない場合、その後手術することはできるか」
    医師の回答「それはできます」
    私の質問 「良くならない場合、その後の手術する病院を紹介するといった仕組みはあるか」
    医師の回答「それはありません」
    私はこれはこれで医師として誠実な対応と思う。
    治す気のない医師より、治らない可能性を説明して、自分の責任を明確にする医師のほうが私は評価する。
    よしやってみるか。
    この訪問から1週間後にカテーテルの手術を受けた。
    なお、このクリニックは値段にもかかわらず、けっこう患者が来て入て繁盛しているようだった。
    年の瀬に 手術すませて 年明けへ
    カテーテルの手術は約1時間。局部麻酔で意識はしっかりしている。痛みは感じないが、肛門部に温かさを感じた。
    そして翌日。
    劇的とは言わないまでも、7割がた良くなったように感じた。
    「ほう」と思った。だんだんと快方に向かうことを大いに期待した。
    しかし、そこで止まり。走ると腫れと痛みも出てしまう。
    仕方ない。
    改めて「おおいまち消化器外科クリニック」を再訪。
    診断のうえ、日帰り手術を決定した。
    今回の診断では「自然治癒はない」という。内痔核は注射、外痔核は切除で「治ります」という。
    であれば「やってみましょう」となる。
    手術自体は10分程度。麻酔のおかげでまったく記憶はない。
    術後にクリニックで30分ほど休む。それで自分の足で歩いて帰宅する。
    医師の説明では、回復には1か月半ほどかかるという。だから、手術の成果を確かめることは、まだできない。
    「きれいサッパリ」を大いに期待しているが、さてどうなることか。

    以上が3年にわたる私の「痔との格闘記」である。
    だいぶ回り道もしたようだが、こうしたことは「仕方ない」と思うようにしている。
    ここで、私の学んだ教訓をお伝えして「痔との格闘記」を終えよう。
    痔の手術はお勧めである。
    まだ成果を確かめるまでに至っていないが、やってよかったと思っている。
    日帰りで翌日から働くことも可能であり、術後の回復も、楽ではないが、1カ月半ですむ。
    診断して処方箋は出すが「治す気はない」医師がいる。
    改めてこれまでの経験を振り返るとこうした医師はけっこういると思う。
    そういう医師に出会ったら、すぐに医師を変えよう。
    だから自分の身体は自分で考えて判断する。
    医師もいろいろなのだ。
    いまはネットで様々な情報を得ることができる。
    改めてネット社会のありがたさを思った。
    人生100年時代。これは大きくは情報産業の進展によっている。
    そして情報産業は患者と医師の関係も変えていくようだ。
    写真は、江戸川沿いのごみ処理工場の修理の様子。
    工場全体を包み、煙突に家を貼り付ける。
    すごいと思い、無心でみつめる。

  • 続けて70歳のトライアスロン日記(3)。この金曜日12月3日に痔の日帰り手術を受けた。

    続けて70歳のトライアスロン日記(3)。この金曜日12月3日に痔の日帰り手術を受けた。

    痔にもいろいろとあるようだが、私の場合は痔核、いわゆるいぼ痔。
    今日はこの痔がテーマである。
    日本人の二人に一人は痔もち、なんて話も聞くが、ネットで調べても、痔の治療法や病院のPRはよく見るものの、痔を患った体験談が少ないように思う。多くの体験談があれば、自分と比較していろいろと見当をつけたりするのだが、なかなか見つからない。
    まあ、あまり人に話す病気ではないことはよくわかる。
    しかし、しかしだ。
    日本人の二人に一人に向けたメッセージとして「それでは私が書いてみよう」と意気込んで(笑)みたいと思う。
    まずは手術の様子をお伝えしたいとも思うのだが、病気というやつは経過観察なんて言葉があるように、時間軸に添った状況把握が必要である。
    そこで、まずはことの始まりから。
    50年も昔、大学時代である。初めて痔に襲われたときはハッキリとおぼえている。場所は神宮の野球場で大学野球を見ていた。寒いくもり空であった。その頃の座席はコンクリートのむき出しであったように記憶している。冷えたのだろう。急に違和感と痛みに襲われて「ああ、痔になってしまった。これが痔なのか」というその瞬間を覚えている。いまでもその光景を覚えているほどにショックであった。思い出してみると、ポイントは腫れであり、肛門部にまさに「いぼ」の違和感を覚えた。ただの痛みではないから驚いたのだ。
    そのあとの記憶はないが、多分トイレに行き、肛門部を触り、腫れ(いぼ)を確認したことであろう。その後も記憶を引きずっていないので、短期間で自然治癒となったと思う。
    次の記憶はそれから10年。結婚して子供はまだいなかったので28歳か29歳であったと思う。編集の仕事をしており、締切で徹夜が続いていた。3日ほども横にもならずに机に向かって入稿作業を続けていた。いま思うと考えられないよなあ。
    そしてある瞬間に、みるみる肛門が腫れていく瞬間が訪れた。この瞬間もよく覚えている。このときは「いぼ」というよりひどい炎症で、自分で見たわけではないが、感覚としてはまさにタラコのように腫れていったのだ。
    この時は締切が終わり、十分に睡眠をとって疲労回復し、ボラギノールにお世話になることで自然と治った。
    その後、何回か痔の症状に見舞われたが、多くの原因は長時間の座業、過労であり、ボラギノールで手当をして疲れを回復させると自然治癒となった。普段便通は「朝食後に一発」という「快便派」で、時折下痢気味の程度で、便通と痔とを結びつけることはなかった。「たまには痔になるが、疲れをとって、ボラギノールで自然治癒」というのが、私の痔の認識であった。
    治療はだいたい、ボラギノール1箱以内といったところか。
    それで今回である。悩みはまず「下痢」として訪れた。大まかに3年前からである。朝食後の一発が軟便となり、すませても5分後に2回目、また5分後に3回目、さらに直後には4回目にもなっていまう。3回目からは完全に水状態。勢いよく水が通るので、肛門がヒリヒリと痛む。
    まず困ったのは、安心して出かけられないというころなのだが、これが不思議に3回か4回もトイレに駆け込むと、いったんピリオドが打たれるのだ。それを確かめて、シャワーを浴びて出かける用意となる。シャワーを浴びるとヒリヒリも収まってくれる。
    しかしだ。昼食後にも下痢となるのだ。これはまいった。そのため、よく出かける地下鉄の駅などのトイレを覚えるようになる。幸いなのは、最近の公共トイレの清潔さ。私のような昭和の人間にとっては、驚きである。
    この下痢が続いて、2年前には痔となる。今回は簡単に自然治癒はしてくれない。毎日下痢で肛門を痛めているのだから、悪くなる一方である。
    痔を強く自覚するようになったのは、ランのトレーニングである。走ると痔核が腫れて痛むのだ。今回は簡単に自然治癒はしてくれない。毎日下痢で肛門を痛めているのだから、悪くなる一方である。走ったあとは風呂につかって、痛みをなだめ、日常生活で始終意識することはないが、ともかくランのトレーニングができない。
    そうしているうちに、2021年の長良川トライアスロンが近づいてくる。
    さて、どうする。
    「この大会まではなんとかなだめ、大会後に治療に向かおう」
    思いを定めて、毎日痛みに耐えて10キロを走っていた時期があったなあ。
    痔の手術 終えてスッキリ 秋の夕焼

    実のところは「スッキリ」は願望で、痛みに悶々としているところ。
    さて、この続きは次回とする。
    写真は手術後にいただいた説明書。