人生初めての鍼灸「神の手」体験記。「ちょっと長くなってきたので、この次は次回」などど言っておきながら、だいぶ時間がたってしまった。いけないいけない。予定では初体験から1週間後に2回目のつもりであったが、それもできず、いまだに2回目に至っていないのです。
そんな状態のなかで、24日日曜は幕張トライアスロンに参加。今年の初レースで、距離はスプリント。スイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロとなる。
やはり足の痛みが気になる一方、練習不足も気がかりで、レースの6日前の月曜にラントレ。1時間走って気持のよい汗をかき、安堵はしたが、確かに痛みもある。さてどうする。しかし参加することに迷いはなかった。一つは劇的な回復はなくとも回復基調にあるということ。さらにレースでダメージを受けてもケアする「神の手」がいるではないかという安心感があったということ。だからといって無理をしたわけではないが、こうした受け皿があると気持は前向きになる。
昨年からついているパーソナルトレーナーの石橋先生、そして鍼灸の海谷先生と「よし任せてみよう」というお二方を得たというのは、出会うまでは考えてもみなかった収穫である。何よりこの年齢になり、自分の身体と向き合う楽しみを得たことが大きい。長い付き合いでありながら、よくわかっていなかった未知の大陸に足を踏み入れたようなおもしろさがある。そして、安心してトライアスロンに向かうことができるということ。どのスポーツも怪我はつきものと思うが、だからこそ怪我も含めて身体を管理していくことが大切であり、スポーツを楽しむためには、こうした方々のサポートは欠かせない。あるいはこうした方々とのやりとりもスポーツの大事な楽しみの一つであると思うのだ。
おっと、気がつけば話が迷走ぎみになってきた。いけないけない。「神の手」体験記については、2回目を終えたところでの報告としよう。
今回は幕張トライアスロンの報告。梅雨の間の曇り空、気温もあまりあがらず、レースには最適な天候であった。リザルトは以下のとおり。
トータル 1:43:09 302位(323人中)
スイム 0:26:42 316位
バイク 0:47:00 308位
ラン 0:29:27 289位
手元時計を思い出しながら振り返ってみると、スイムの26分というのは多分トランジットの時間が含まれているように思う。トランジットは靴下に小石が入って履き替えるなど、だいぶかかったものなあ。バイクはこのところコツをつかんでいた割りには順位はよくない。一方、痛みを感じつつのランは30分を切れたのだから面白い。バイクのタイムについても、トランジットで手間取ったからなあと考えてみるがどうだろうか。いつもはトライアスロン用のシューズだが、今回はマラソンにはいている紐タイプのもの。履くのに時間がかかったからなあ。
などど、トランジットを言い訳にして一人納得をしているが、まあ、今回のレースは満足というのが全体の感想。まずスイムはいつもどおり緊張はしたもののスムーズに泳ぐことができた。最後の50メートルでどうしても岸の様子を見たくなり、立ち泳ぎを入れてしまったのが反省だが、初めて自分でコントロールをしっかりと自覚して泳ぐことができた。次回は館山だが、どうなるか楽しみとなっている。これで何らかのハードルを越えていればありがたい。
次いでバイクだが、スイムで大幅な遅れはなく、周回コースでもあったため、人と競いながら追いつ抜かれつのレースを楽しむことができた。私より少し若い程度の男性、おそらく30歳ぐらいの女性がずっと一緒で「社交としてのレース」の駆け引きを満喫した。
最後のランの心配はもちろん足の痛み。足の負担を減らすため、このところ、歩幅を短くしたピッチ走法に取り組んでおり、それを試してみた。3キロぐらいで足の痛みが出てきたが、ピッチ走法を強く自覚して走るうちに痛みも和らいできたことがうれしい。まさか30分を切れるとは思っていなかったのでタイムも満足である。新たな走法に手ごたえも得ることができた。
実は石橋先生からは「今年こそが初シーズンではないですか」と言われ大いに納得したのだが、初シーズンの初レースとして満足であった。
できれば、スイム、バイクともラン並みの順位となるといいのだが。多分やれそうかな、などと一人頭をめぐらせる。まだ伸びしろはあると思えるのは、ありがたい。
梅雨の空 海に飛び込み 無我夢中
父の日は 関係なしと 我走る
とは言うものの、ハムストリングスの回復を祈りたい。
痛みをかんじることなく気持ちよく走りたい。
カテゴリー: 足の痛み
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今年の初レース。幕張トライアスロンに満足。
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人生初の鍼体験。続けてみようかと思う。お勧めです。
鍼灸を受けてきた。人生初の体験。報告します。
行ったのはあけび鍼灸院
http://www.akebi89.com/
というよりも岩田コーチに紹介された「神の手」にお願いするということ。それは海谷(かいや)さん。珍しいお名前で、61歳の私もこのお名前は初めての出会いです。
6日水曜の10時30分に予約。場所は十条銀座にあるのだが、交通の便から私は京浜東北線の東十条から歩いて約10分。十条銀座を歩いて店を見逃し、だいぶ先に行ってから気がついて戻り、無事店に到着した。
さて、問題の治療であるが、なんと10時30分から12時過ぎまで1時間30分も診ていただいた。
今回の私の問題は右足のハムストリングである。まず、始めにそのことを伝える。そればかりでなく、左足の足底腱膜炎があり、加えて、最近は左膝に多少の違和感を感じている。そのことをまず伝える。
こちらとしては、こうしたこちらの話を受けとめてもらるのかどうか、それが気になる。ちゃんと私の話を聞いてくれるのか。これに尽きるのだが、これは違和感を感じなかった。
次はそれを伝えたあとでの対応であるが、私の伝えた状態への直接的な対応では満足できない。私の伝えた状態を全体として把握し、自らのノウハウで全体を処理する対応を求めたいと思う。ここが肝である。
「はい、わかりました」と私の話を受けいれつつ、それとは一線を置いてポイントを触診により確認し、そのうえで診療方針を示す。しかもその説明が納得いく。こうでなくてはならないが、海谷さんはこれがよかった。
あとひとつ。最も大切なことは、そうしたことえを会話できるのか、ということ。それがOKであれば、あとは任せるだけである。
私はこの段階で、「すべてお任せしますから」と海谷さんにお伝えした。彼は彼なりに私の全体を把握したのであろうと思ったからだ。それが本当に正しいのかどうかはわからない。それは誰にもわからない。でもその分からない世界に飛び込もうという力を彼はもっていたのだと思う。
誤解がないようにいえば、それは特別なことではない。海谷さんが特別といっているわけではない。優秀な人はそうしたものであると言っているだけである。だから海谷さんも優秀と思った。とりあえず身をゆだねてみようかと思った。
治療は指で痛みの箇所を確認しつつ鍼を打っていくという方法であった。この痛みの箇所の発見がたまらない。悶絶である。次いで鍼を打ち、電流を流すとビリビリとくる。これが、まあ。いい感じである。さらに鬱血している部分の血を吸引して抜いたそうである。そうである、というのは私には見えないからである。
それを太股から腰にいたるまでケアしていたら12時なった。
ちょっと長くなってきたので、この次は次回。
海谷さんとは、「吞みましょう」と言ってお別れした。
この言葉が象徴してるかな。
冷房の 音を耳に 鍼を打つ
肉を刺す 微妙な感じに 汗をかく
いいと思います。
3回で1セットということで、次回の予約は明後日の水曜であるが、どうも仕事の都合で先に延ばすか。
自分の身体をを知ることは感慨深いものがある。 -
肉離れの情報交換で知る、これも社交としてのスポーツの楽しみのうち。
右足の痛みである。痛みが走ったのは4月7日土曜日のランの練習でのこと。最後の「流し」を走っているときにビリッときた。右のお尻から太股にかけて痛みを感じるのだが、手で触っても指で押してもその場所がハッキリと特定ができない。膝を伸ばして足を上げるとひどく痛むが、大きな負担はなく走ることができる。
ということで翌日のパラカップのハーフマラソンに出場して2時間10分であった。大きな痛みを感じることなく走りきることができた。
そして2週間後の4月21日。土曜日のランのレッスンで気持ちよく走れたものの痛みが増して今日に至っている。おかしいのは4月8日のハーフマラソンよりも、4月21日のレッスンのほうがダメージが大きいこと。
今日土曜日はバイクのレッスンで、先週のランのダメージを考えると少し怖かったが、思い切って参加した。痛みというほどではないが、違和感はあるのだなあ。いまこうして座ってパソコンに向かっていても、右のお尻と太股がおかしい。
ここで思うのは、痛めてから3週間もたっていること。今日から連休に入り、季節もよくなって走りに出かけたいのに、それがかなわないこと。昨年は足底腱膜炎に悩まされ、明らかに練習不足のシーズンオフとなってしまったが、その二の舞にならないかということ。
一夜明けて日曜日、facebookでトライアスロン仲間の肉離れ報告があり、それに対する別の仲間からの丁寧な解説があり、「実は私も」とフォローすると、さっそく解説をしてくれた仲間からのメールがあった。
「岩崎さん、太ももの裏側(ハムストリングス)も、肉離れを起こしやすい部位です。ここは膝から下を後ろに蹴り上げる時に使う筋肉で、ふくらはぎ同様、バイク、スイムなら大丈夫ですが、ランはヤバイです。ハーフはやめといた方がよかったですね。(;´Д`A お大事に、、。」
まさにピタリのアドバイス。さっそく「ハムストリングス」をネットで検索すると、「最も多い肉離れ症状の一つ」とのこと。アレッと思ったらすぐにネットで調べることがいかに重要なのかを再認識。早ければ早いほど確かな対応ができるように思う。ネット時代のあるべき生活習慣と思う。
なお、完治までには3週間という記述も、数ヶ月という記述もあった。終わったことは仕方がない。それでも昨年の足底腱膜炎と比べれば、ダメージは少ない。足底腱膜炎はいつ回復するのか、出口の見えないような感覚があり、いまだに違和感が残っているが、これはあと数週間のうちには治るであろうという感覚である。
スポーツに身体の故障はつきものである。また、スポーツとは社交である。スポーツの社交において、故障の情報交換はきわめて重要であり、同病相哀れむ感覚も、こうした故障の管理も、社交としてのスポーツの楽しみの一部であることを、改めて実感するのだ。
ドアを開け 春風吹き抜け 目覚め得る
生命の 力を春に 解き放つ
さて、ゴールデンウイークである。この時期は決算の準備で遊んでもいられない。それと、このブログをいったんまとめてみようかと思っている。
私は仕事のキャリアを出版編集としてスタートして、いままで継続して「書く」ことを仕事にしている。その経験経緯から、このブログを本にしてまとめたいと思っている、というより、いずれは本にすることを目標に書き出したというほうが近い。
具体的にどうするか、この本の企画を実際に買ってくれるような出版社があるかどうかもわからぬが、出版を確かな目標として行動を始めよう。
当ブログをお読みいただいている皆様におかれましては、うまく本になりましたら、ぜひお買い求めいただきたく、よろしくお願いします。 -
ようやく50メートル1分切り。足を痛めてちょっと問題の春の一日。
スイムで50メートル1分を切るというのが懸案の目標であった。昨日のトレーニングで、ようやくその目標を達成した。ウエットスーツを着てのものではあるのだが、レッスンの最後に56秒でを出すことができた。素直に嬉しい。
昨日はシーズンインも近いので、ウエットスーツ着用でトレーニングに臨んだ。ウエットスーツを着ると着ないのでは、姿勢が大きく異なる。それが腕の回転、ブレスの感覚に影響する。最初のうち、練習のときはその違和感はあまり気にならず、むしろ足が浮く感じをプラスに捉えてたが、いざ試合となると、違和感が大きく膨らんで心理的なダメージの要因になったことを覚えている。
そんなこともあって、今年はプールでも早めに着用して慣れることにした。小林コーチからは、身体がそりやすいので、頭をつっくこみ気味にしたほうがいいとのアドバイス。さてその感覚は、以前ほどには腕とブレスの違和感はなかった。多分、少しは姿勢がよくなったのだろう。小林コーチのアドバイスも効いたのかもしれない。さらにこのところプルブイでの長距離泳に力をいれている効果もあり、自然な感覚で泳ぐことができた。
泳ぎ始めはキックの感覚がわからず、足は流しっぱなしにしていたが、途中から軽くタイミングをとる感覚をつかむことができた。これもよかったと思う。
今日のレッスンは50メートルのハードが中心でメインメニューでは12本を泳いだのだが、だいたい1分5秒で1分が切れない。それが最後の最後に、ウルトラで1本ということになり、ようやく56秒となった。ウエットを着ているとはいえ、1分を切る感覚を身体でつかむことができた。よやくここまできたなあ、という達成感が静かに湧き上がってくる。
次はぜひウエットなしの1分切りにいきたい。そこまでいけば、満足である。
次いでランのトレーニングはビルドアップ。だんだんと速度を早めていく。といっても私の場合はスタートがキロ6分ペースで540メートルの周回を3周、次いで5分40秒ペースで3周、最後は5分20秒ペースでの3周となる。
天気も曇りの頃合で、とても気持ちよく走れたのだが、問題は右足の痛み。場所はお尻から太股のうらにかけて。
2週間前のランのトレーニングで、最後の流しを走っているときに。そこがピリッと痛んだ。でも翌日はハーフマラソンに参加で2時間10分。以来、痛みはずっと抱えていたが、走れはするので昨日のトレーニングになって、確かに気持ちよく走ったのだが、あとがいけない。
トレーニング後に痛みが増して、椅子に座っていても痛むような状態になって今日に至っている。
疲れもあるのかなあ。昨日は家に帰ってビールを飲んでソファーに横になったら、夕方までそのまま。いったん起きても11時には床につき、今朝起きたのは10時。トイレにも1回もいかず、ひたすら眠ってまだ眠いので、また昼寝までした。
本来であれば、日曜の今日はランとスイムの自主錬に向かうのだが、何もしないでもう6時。足も痛いので仕方がないか。今日は入念なストレッチだけの休養日としよう。
春の雨 身体の調子も 気まぐれで
痛む足 だるくて眠くて やるせなし
せっかくの休日にトレーニングをせずに過ごすというのは、どうにも居心地がわるい。こんな日もあるさと自分に言いきかせるものの気持ちは宙ぶらりん。明日の気持ちのよい目覚めを待つとしよう。 -
61歳初マラソン体験記。タイムは5時間7分。
3月18日は板橋cityマラソンに参加。これまでハーフは3回経験しているもののフルは初体験。タイムは手元時計で5時間7分であった。2月の神奈川マラソンでのハーフの記録が2時間3分。
お世話になっているパーソナルトレーナーの石橋先生によれば、この年齢ぐらはハーフで2時間以内、フルで5時間以内が目安ということであるが、ハーフ、フルとも少しオーバー。「あと少しだ、もっとがんばれ」という神の叱咤激励とも思うが、どうにも座り心地の落ち着かない気分ではある。
フルについては、その過酷さをさんざん聞かされてきた。
「足を切って捨てたくなった」「35キロからはパタリと足がとまって動けない」「なんでエントリーしたのかと思っちゃう」「フルはともかく痛みとの闘い」などなど。
初めてハーフを走ったあとは、「私はこれで十分。フルには行かない」という気分であった。それがなぜフルを目指したのか。
ひとつには、チャンスが身近にあるのだから、人生1回ぐらいマラソンを走ってもいいだろうという思い出づくり。生きているうちに1回は富士山頂でご来光を拝んでみたいというわけだ。生きているうち、元気なうちにすませておきたいことが気になる年齢になっている。
いまひとつは、トライアスロンのロングに挑戦するには、フルマラソンを走れなくてはならないということ。いやいや、なにもロングに挑戦しようという気持ちはいまはまったくない。ただし、成り行きででやっていくうちに、いつしか参加のスタートラインに立つこともあるかもしれない、といった思いはあり、ATA南行徳の仲間も多く参加することもあり、背中をおされる気分で参加をしてみた。
話は横にそれるが、先般亡くなった立川談志は色紙を頼まれると「人生成り行き」と書いたという。『人生、成り行き―談志一代記― 』 という本も出ている。
これはいつぐらいからのことか、目標を明確に設定することの重要性があちこちで指摘されている。目標も短期・中期・長期と分け、しかも紙に書き出すことが大切。ATAのレッスン(座学)でもそのプログラムがあった。
特に競技スポーツなどでは、そうした自己管理は絶対に必要なものと思うが、人生の心構えとして肝に銘ずるかといえば、私はちょっと違うタイプの人間なのだ。前を向き、明日に向かって顔をあげ、確実に足を踏みしめていく感覚がどうにもなじめない。身につかない。
生きていくとは分けもわからぬ明日に背を向けて、これまで歩んできた過去と足元をを眺めつつ、おずおずと後ずさりをしていくものというのが私の感覚である。時折そんな私の肩をたたくものがあり、私は明日に向けて振り返る。明日からの風が頬をなでる。それを人は希望という。人生成り行き、行き当たりバッタリ。この年齢になり、もう少し計画的に生きてきたならば、と思いいたることは多々あるが、これが私なので仕方がない。
よってマラソン参加も成り行きであれば、レースも成り行きで、タイムも成り行き。まあ、まずは走り出して自分の様子を確かめ、なによりもリズムを意識して行けるところまで行ってみようというわけだ。
それで行ってみると、1キロ6分30秒のペースになじんで、10キロで1時間4分、20キロで2時間9分、折り返しで2時間17分だからペースは安定していたわけだ。折り返しでは、正直うまくいけば5時間を切れるのではと思った。
でも30キロで3時間25分ということは、10キロペースで10分の遅れ。20キロまでは給水も行わずに走りきったので、30キロまではマメにエイドステーションで立ち止まり、補給のうえ軽くストレッチをしていたから、その分もあったかと思うが、1キロ7分をこえるペースとなり、40キロでおそらく4時間50分ぐらいとなると、最後の10キロは1時間25分、1キロ8分強のペースにまで落ちた。最後は早歩きの人にも抜かれたものね。
肝心の痛みだが、走る前に気になっていたつま先の痛みは、幸いにも今回は発生しなかった。これが何よりも嬉しい。30キロを過ぎると太股の前、次に股関節と痛みが発生し、35キロを過ぎると脛の痙攣が始まり、一足ごとにぴくぴく。そのうえ、このところ調子のよろしくない痔がでるのではないかとびくびくしながら、肛門に力を入れる。
でも、耐え難いほどの痛みはなかった。神奈川マラソンのハーフのほうがつま先の痛みではるかにつらかった。でも足が動かない。必死に腰を立てて足を振り上げるのだが、前にいかない。走ってみなくてはわからない「足が動かない」状態を体験して、これがそうななんだと一人納得をした。不思議に笑顔がもれた。
氷雨受け 40キロを 走り抜け
ゲート見え 最後の2キロの 長いこと
初の体験を、かみしめながら楽しめた。
女性ランナーのゆれるポニーテールを見ながら、頭の中にプリンスの歌が巡った。
還暦を過ぎ、こんなことになるなんて、成り行きだからできたことで、目標にするなんて、考えてもみなかった。
だからこそ人生は面白くまた容赦もない。 -
神奈川マラソンで新フォームへの挑戦も確かな手ごたえ!
2月5日日曜日は神奈川マラソン(ハーフ)。リザルトは2時間3分1秒。半分の折り返し地点では59分台であったので、なんとか2時間切りを目指して自分としてはペースをアップしたつもりであったが、結果としては、後半のほうがタイムが落ちている。残念無念である。3分1秒というのも微妙で、あとひと足で2分台であったのにと思ってしまう。ハーフマラソンの参加は4回目であるが、このタイムは自己ベスト。1月のフロストバイトからも10分も短縮しているのだから、我ながら大健闘で大いに満足でもあるのだが、だからこそか、あとちょっとの欲もでてしまう。
でも、タイムはあくまでも結果であり、今回の目標は「足を痛めない」ランニングフォームにあった。腰をリズミカルに回転させ、大きな足音をたてずに走ることで、つま先への負担を軽くする。1月28日の東京ドイツ村駅伝でつかんだコツをハーフの距離で試してみる、ということであったが、ある程度の手ごたえを得ることができた。こちらは素直に嬉しく安堵した。
今回は、まず、左足の親指の付け根とつま先の2ヶ所にバンドエイドを貼った。靴下は5本指靴下ではなく、底に滑り止め機能のついたランニングソックス。靴紐も念を入れてゆったりめに縛る。
走り出してからは、ともかく意識を足音と腰の回転に集中。身体の軸を中心に、前に飛び出る感覚を確かめながらスピードをあげていく。
そこで気がついたのが、周囲を走る人の足音。パタパタとかなり大きな音をたてている人がそばを走ると、そのつま先に自然と目がいく。私のまったくの独断、思い入れだが、やはりつま先立って走っている感じがするんだなあ、これが。また、足音のたかいのは女性に多い気がしたが、これも勝手な感触で、その姿をみては「俺も前はそうだったんだよ」と偉そうに一人呟いては我が身の励みとした。
それで実際の痛みであるが、10キロを過ぎると違和感を感じ始め、15キロを過ぎてからはハッキリと痛みとなった。しかし、これまでは痛みはひと足ごとに激しくなっていったが、今回はなんとか安定した痛みで抑えることができた。あるいは腰の回転を一層意識することで、痛みを和らげるという芸当もできた。
最後の1キロは「なんとか2時間以内」を心の励みに、痛みをかみ締めながらの走りとなったが、でもこれまでの顔の歪むような痛みではなかった。
実は3月18日に初のフルマラソンを予定している。今回も痛みが変わらないようであれば、フルはあきらめようかとの思いもあったが、これでなんとか参加への意識を高めることができる。それに昨年からの足底腱膜炎の痛みもひどくならず、正直ホッとしている。
なお、翌日から痛んでいるのが、太股の前の部分。今までは太股の後ろのほうが痛んだが、これもフォーム変更の影響か。
パーソナルトレーナーの石橋先生からは、この年齢であれば、10キロ50分、ハーフで2時間、フルで5時間以内が一つの目安とうかがった。
あと3キロ体重を落とし、ストレッチをまめに続け、インターバルトレーニングでスピードをあげるといった努力を成し遂げれば、もうワンランク上にあがり、その目安を達成できそうに思えてくる。
昨年の今頃はまったく走ることができなかった。今年はしっかりと地に足をつけたトレーニングをして、不安なくオリンピック距離のスタートに立てるようになることを目標にしている。ランについては、手がかりがついた。問題のスイムについては、次回に報告。
横浜は 私の故郷 走り初め
横浜の 冬空のもと ランニング
走っているときに目線はどこにあるか。
普段はまっすぐに前を見ているのだが、今回は足元をみて視界を限定し、自己の世界に没入する時間をとった。そして時折顔をあげて周囲を確認する。
走るというのは自己との対話であることを、満足な気持ちで実感する。 -
ドイツ村駅伝。足の痛みを避けるフォーム。
去る27日土曜日は東京ドイツ村駅伝。1人5キロのコース×4人で20キロ。コースは東京ドイツ村内で、ほとんどが坂道の周回コースで1人2周を走る。
実はこの週は22日日曜のATA新年会のときから喉に痛みを感じ始め、23日月には完全に扁桃腺炎の症状。医者に行って抗生物質をもらい、24日火、25日水とほぼ寝たっきり。26日木、27日金でようやく普通の生活にもどり、どうにかこうにか間に合った状態。事前の1週間は何もしなかったことになった。
しかし、休んだことがかえってよかったのか、リザルトはチームは1:42:34で279チーム中の166位、私は1周めは13:50、2周めが13:48の合計27:38という結果。私としては、あのアップダウンコースで5キロを30分以内、1周めより2周めが好タイムというのは上出来だ。風がやや強く寒さがこたえたが、のぼり坂もさほど苦にならず、気持ちよく汗を流せた。
しかも今回の大会での私のテーマは、足音をたたせないスムーズな走りのフォームにあったのだが、それについても満足のいく手ごたえを得た。これは大きい。
2周目の下りを走っているときに、腰の回転をしっかり意識すると足音が響かないことに気がついた。それまでは、いわばソロソロ走る感覚であったのが、腰の回転に意識が向かうと、ソロソロ感が吹き飛び、自分としては、思い切って坂を下ることができた。足を前に振って着地する感覚ではなく、腰を前にして膝をあげて足を真下に下ろす感覚だな。手の振りも、それまでは身体の横で振っていたのを、手の位置を胸のあたりに置き、腰をねじる回転をかけるように振る。するとスピードも無理なくアップしていくような気分になった。専門的にこれがいいかどうかはさておき、自分身体でイメージがつかめたことが大きい。
おそらく坂道がよかったのだと思う。このフォームの成果については2月5日日曜の神奈川マラソン(ハーフ)で確かめてみることにしよう。
足の痛みについて、もうひとつ気になっているのが靴下。このところ5本指の靴下を履いているが、これがいいのかどうか。5本指の靴下を履いたときは、足の指はいわばパーの方向の向かっている状態である。自然と足の指に力が入りやすい状態である。それが私にとっていいことなのか。個々の指の負担が高くなっているということはないのか。ということで、次回は普通の靴下を試してみようと思っている。
冬空の 黄色の草地を 駆け抜けて
新年に 笑顔が集い 走り行く
肉体というのはおもしろい。ちょっとしたコツを覚えると、それなりに反応してくるのだ。
私としては、こうした肉体の自問自答が大きな楽しみとなっている。
タイムについては満足といっても周囲と比べればかなり遅い。
自分ひとりであると、いつも大きく取り残されて寂しい思いもするのだが、駅伝のおかげで、なんとか皆さんの輪のなかに入ることができたことを多としたい。
ああ、それと、レースでの姿を写真に撮っていただいて、それは本当にありがたく、ただただ感謝であるのだが、その自分の姿をみると「歳をとったなあ」。まるでガマ蛙のようにたるんだ顔とお腹に唖然としてしまう。これはアスリートとはいえないだろう。見るたびいいつも「もうちょっといい男かと思っていたが」と首をひねっている。どうも自惚れが強すぎるようだ。 -
呑み疲れた新年のある一日のスケッチ。これからATAの新年パーティ。
この1月は呑む機会が多くて、身体がいささか疲れている。先週も火水木金と呑み会が続き、月曜も家で一人呑んでいたので休みなし。昨日は土曜日練習でスイムとラン。スイムのときには小林コーチから「いつもの岩崎さんじゃありませんよ。疲れていませんか」なんて声をかけられた。「呑み疲れだからご心配なく」というわけだが、こうした疲れがちゃんと泳ぎに出るんだなあ。小林コーチ感謝です。
スイムの最後は25メートルを40秒サークルで20本だったが、一人遅れて2往復もパスをしてしまった。でも、疲れていたこともあるが、やはり25メートル30秒以内に入ってこないとつらいなあ、を改めて実感。泳いでいての前のめり感や加速感は以前よりだいぶ感じているのだが、それがタイムにつながらない。
ランはキロ6分ペースで1周1560メートルのサークルを11周。気持ちよくは走れたが、疲れが気になって慎重に足を運んだ。平野コーチと併走したのだが、彼女の足音はほとんど聞こえないのに対し、私のほうはペタペタと高く響く。そこで平野コーチにフロストバイトでの足の痛みを相談。
いまの私の走りでは、着地がつま先だってブレーキになっている感じなので、具体的には足音をできるだけ立てないように走ることを試してみようということになった。けっこう違和感は感じるが、課題克服の具体的な対応に取組んでみよう。
練習後はともかく家に帰って食事を済ませて昼寝をむさぼりたい一心。ソファーでラグビートップリーグの放映を横目で見ながらの昼寝となった。
夕方に目覚めると幾分は回復感を得て、洗濯と片付けと掃除。どうにもパソコンを開く気にならず、メールチェックもせずに、本を読み出した。
本はいま大評判の「ジェノサイド」(高野和明)。本は寝るときに横になって軽い随筆、電車ではビジネスに係る新書がメインで、近頃小説はあまり手にしてこなかった。「ジェノサイド」も買ってはみたものの開くまでに至らず。それが、今週はまず、同じく買ったままにしておいたカズオイシグロの「私を離さないで」を読了して引き続きの「ジェノサイド」となり、昨日は午前2時まで読み、今朝も読み継いで10時過ぎに読了した。
おかげでちょっと寝不足で、そのためか、今日の天気のためか、あるいはいまだに疲れが抜け気っていないためか、走りに出ようと思っていたのに、こうしてブログに向かっている次第だ。
本の感想は、カズオイシグロは「やはりさすが」。その静かな語り口が、ギターの弦をはじくように、心をやさしく叩く。ジェノサイドは楽しめたが「褒めすぎじゃないか」といったところか。ともにシチュエーションの設定を根幹としたものであるが、ジェノサイドにはその設定から生み出されるものが物足りなかった。
個々の小説の感想はさておき、小説を読むということは、どうにも気持ちを沈潜させるものがあり、トレーニングになかなか気持ちが向かっていかない、というのが久しぶりの読書がもたらした印象だ。気持ちの沈潜というのは、人生に立ち会う粛然とした感覚であろうか。とくに「私を離さないで」では、さまざまな感情の波がおしよせて、酩酊感に浸ってなかなか現実に向かう自分を取り戻すことができなかった。
おっと、そろそろATAの新年パーティに出かけなくではいけない。走ることはできなかったが、簡単なストレッチングぐらいは済ませ、これから現実の世界におこることへの気分を駆り立てよう。
氷雨降り 走る気持ちに なりきれず
どうにもなあ 新年会の 呑み疲れ
さあ、気分を変えて、現代史に参加しよう。 -
新年初大会。フロストバイトと足の痛み、悩みと苦しみ。
1月15日に横田基地のマラソン大会、フロストバイトのハーフに参加した。記録は2時間13分56秒。実は一昨年、人生で始めて大会なるものに参加したのがこのフロストバイトで、そのタイムが2時間14分31秒。35秒の短縮というか、ほとんど変わらないというか、どう判断したものか。
還暦を過ぎ、2歳年齢を重ねての時間短縮なら良しとすべきとの見方もあるだろう。しかし、そのときから比べると、フォームがかなり改善され、スピードもアップしたという手ごたえもあった。その手ごたえからすれば、やはり1キロ6分ペースとして、2時間5分程度ぐらいまでには行きたかったなあ。
ただし、レースを振り返れば、久しぶりの大会で、スタートして暫くはキロ7分程度ではいり、5分過ぎて身体があたたまってきてからはペースアップのもくろみであったが、慎重に行き過ぎてアップのタイミングが遅くなったかと思う。それと、前回は17キロあたりから足が痛くなったが、今回は10キロあたりから、早くも痛くなり、最後の3キロあたりではペースが落ちて苦しかった。
この足の痛みについては、走っている最中は足の指の付け根が痛む感覚であったが、今回走ったあと、靴下も脱いで、しっかりとさすりながら確かめると、痛いのはつま先、爪の先端との接点あたりである。しかも、つま先をもんでいると、ジーンと痺れが和らぐ感覚が広がって、すぐに痛みは和らいでいく。つまり連続的に多くの回数を打ち付けることによる単純な痛みであり、関節などに関連するものではなさそうだ。
それでgoogleで「マラソン つま先 痛み」で検索をすると、爪が剥がれたなど、かなり悲惨なケースが出てくる。それからすれば、私のケースはましなほうなのかなあ、などど思いつつ対応策をみると、痛みの原因として第一に挙げられているのが、靴が小さいということ。小さくてつま先が靴に圧迫されているのが原因で、靴は大きめで足の指でグー、パーが自在にできなくてはならないという。
しかし、今回私の履いた靴は、そのことに十分配慮したもので、通常25センチであるが、26.5センチにしたものである。靴下も5本指靴下として、紐もゆるめにした。一昨年は、そうしたことは何も考えずでの出場であったのだから、そうした配慮の成果があってもいいかと思うが、なかなかそうはいかないものなのだ。
ただし今回は、痛みながら走りつつ、いくつかのことを試してみた。ますは走りながら、グーとパーをやってみると、これは無理なくできた。それによる新たな痛みも感じなかった。さらに着地のポイントを意識してみた。このところのフォーム改造で、やや前のめりの感覚で走っていたが、その感覚は保ったままで、指に負担をかけずに母指球への意識を高めて着地すると痛みが多少和らぐ感覚があった。あわせて、ももを振り上げる意識がたかまったが、これはいいことなのかどうなのか。
ということで、よくわからないが、母指球への意識を高めた着地に取組んでみたいと思う。この27日にドイツ村駅伝がある。コースは丘陵地でアップダウンばかり、距離は一人5キロとだいぶ条件は違うが、新たな意識を試してみよう。
昨年末に仕事面で急遽の不測事態があり、この新年もその対応に追われて、なかなか晴れやかな気分にはなれない。そうしたなかでのハーフマラソン。走りながら、さまざまな想いが頭をめぐり「これは忘れられない大会になるだろうなあ」と一人苦笑した。
「走っているうちはすべてを忘れる」という感覚ではない。そのときだけは苦しみや悩みから逃れるものではない。悩み、苦しみは常に、走っているときも、泳いでいるときも、私とともにあって振り払うことはできない。むしろそうした状態にありながら、走ることに取組んでいる緊張感や汗を流す高揚感が前向きな心理を作っていくという手ごたえであろうか。
凍傷と 名乗る大会 足痛め
あれこれと 思い悩める 走りぞめ
走ること、泳ぐこと、書くことで自らを確かめ、我が身を励ましていきたいと思う。 -
久々にハーフマラソン。足の痛みも一安心
昨日の日曜日はパラカップのハーフマラソンに出場。
http://www.paracup.info/
まだランを再開して一週間。どうしようか迷ったが、まあ10キロ1時間30分目標のトレーニングのつもりで参加した。それが約2時間30分で完走ということで、自分としては大満足の結果となった。
天候がよかったこともあるが、コースは多摩川の河川敷で折り返しが多く、私もメンバーになっているトライアスロンチームのvengavengaの方々とのすれ違いざまのハイタッチに励まされ、感触としてはむしろ10キロを過ぎてから本格スイッチが入ったようで、足は気になったものの、フォームを意識して、しっかりと走ることができた。
少し風が出て汗を乾かし、さわやか気分で向こう岸の桜を眺め、腰を落とさないように、腰をリズミカルに回転させるように、遠く前を眺めてひた走った。
大会としてはステージの運営がにぎやかで、ボランティアの方々が多く、ハイタッチの励ましの連続、1キロごとの表示もちゃんとしており、なじみやすい大会であった。コースのほうはすべて河川敷でアップダウンはなし。楽ではあるが、地面が土で、石ころに砂ぼこりと、やや走りにくく思えた。
ゴールの手前では、vengaのノリゾーさんが出迎えて最後を一緒に走っていただき、ゴール前に並ぶvengaの仲間との連続ハイタッチでゴールをきった。本当にvengavengaの皆さん、感謝です。
これは何回も書くが、こうした仲間に加わり、こうしたことをしている自分が信じられない思いで、幸せを感じている。
着替えのあと、会場近くの銭湯に寄って汗を流す。湯船につかって足をもむ、その感覚の気持ちよいこと。いい気分のままに、最寄の南武線鹿島田駅近くでビールにうなぎを賞味した。12時半のスタートで昼は食べていないこともあって、実にうまかった。
「さあ、今日は帰って寝るだけだ」という心地よい一日の満足感のなかで帰宅した。
心配であった今朝も、足の状態は、痛み違和感は感じるものの、悪くなっている印象はない。ああ、よかった。これでひと安心。
やはり走って汗をかくというのは気持ちがいい。そこに満足感がある。これでリセットして、新たな年度に向かっていこうという気持ちがわいてきた。シャキッとした感覚だね。
ぞくぞくと 春の堤を 走る人
規則よく 息を整え 春マラソン
さあ、前を向いて、ちょっと遠くを眺めて、進んでいこう。