私は勝負ごとが苦手である。勝った負けたによる感情の揺れが、どうも身に合わない。1分1秒の記録を目指すのも、やはり身にあわない。スポーツはやるのも見るのも大好きだが、自分の暮らしのなかでは、ハングリーであったり、我を忘れて汗をかいたりという暑苦しい世界が苦手なのだ。人それぞれマイペースで好きにやればいい、という感覚が私の根底にある。
そんな私だからトライアスロンが身に合っていると思っている。
いつも何をやっても大きく引き離されて最後尾であるが、あまり気にせずに、マイペースで楽しんでいる。できないことはできないし、まあ「他人のことは関係ない」のだ。
それなのにスイムのタイムが気になっている。早く泳げるようになりたいと強く思っている。ランもバイクも遅くとも気にはならないのに、なぜかスイムだけはタイムが気になるのだ。
トライアスロンを始めてから、何とか100メートルを2分で泳ぐようになりたいと思った。「人生なりゆき」を信条とする私には珍しく、なぜか目標というものを設定したのだ。しかしトライアスロンを始めて13年にもなるのだが、いまは25メートルが30秒、50メートル1分10秒、100メートルで2分30秒程度か。100メートル2分は遠い世界のことなのだ。
しかし、どうしてスイムだけそう思うのか、この年齢にもなって目標を追い求める日々はどのような意味をもつのか、それはできないことを求めるストレスなのか、あるいは活力をもたらす挑戦なのか。いやいや気晴らしという説もあるぞ。
ということで、スイムを通して、いろいろと思いを巡らせてみたい。
なのであるが、スイムの話に入る前に、このブログを書き続けることについて、いまの私の気持ちを皆さんにお伝えしておきたい。
このブログはタイトルにあるように、もののはずみで、何の経験もなく「58歳でトライアスロンを始めた」メタボ親父のドキュメントとしてスタートした。私のブログがご同輩の刺激となり、トライアスロンを始めたり続けていくうえでの、いささかの参考になればありがたいとの思いがあった。トライアスロンは下手でも、下手なりの体験記が、トップアスリートのの言葉よりも凡人の苦労話が参考となることもあるだろう。そんな考えがあった。実際にこのブログから影響を受けたとの声もいただき、それはそれは大きな歓びとなった。
しかし、いまは71歳となり、トライアスロン経験も13年を重ね、いっこうに上達なく、衰えていくばかりのなかで「ベテラン」などと呼ばれて驚く事態になった。もう「始める記」ではないだろう。では「続ける記」なのか。であれば続けることの何を書いていけばいいのか。
実はそれがよくわからなくなって、ブログも休みがちとなっていた。
そんな状態が続いていくなかで、さてどうするか。
むせかえる まぶしい空へ 盆の煙
「トライアスロンを生涯スポーツとして楽しむ高齢者の心境」を綴っていきたいと思っている。トライアスロンに向かっていくなかで、高齢者にとってのスポーツの意味や楽しさを考え、書いていきたいと考えている。それがトライアスロンに限らず、何らかのスポーツを楽しむご同輩の方々にとって、いささかの楽しみとなれば、大いに嬉しい。
「実録ドキュメント」のつもりでスタートしたこのブログだが、「高齢者の生涯スポーツエッセー」としての再スタートである。
写真は5月5日の丸の内。若葉と日の光が美しかった。
再スタートの気分に似合う写真を選んだ。
カテゴリー: 生涯スポーツ
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ご無沙汰でした。「高齢者の生涯スポーツエッセー」として再スタート!!
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昨年12月からの半年に及ぶ心身の休みと回復。すべては終わっていくのだ。
昨年の12月から約半年。
ようやく「心身」が回復して自分自身を取り戻してきたように感じている。
こうしてブログに向かう時間、心の余裕もとれるようになった。
この半年を振り返れば、新年を迎えて歳を重ね、年年歳歳桜は咲き、人並みに花見にでかけ、いくつかの展覧会で絵を愛で感激に浸り、贅沢な席でラグビー観戦プラス飲み会を楽しんだが、なんともせわしなく、我が身を忘れるような日々があって、5月の連休も休んだのは一日ぐらいだっだろうか。
まずは心身の「身体」について。
12月に痔の手術で、その後約3か月は回復待ちだった。
ようやく走れるようになったと思ったら、左膝に水がたまり、屈伸もできない。
膝の水を抜きに整形外科に通って、まだ通っているのだが、これは元にもどってきた。
そうこうするうちに喉の炎症がはじまり、2週間ほどはともかく「疲れる」のがまいった。夕方には一日の疲れから、帰宅する地下鉄で一台乗り過ごしても空いてる席を探してしまうのだよ。幸いに新型コロナではなかったようで、これも気が付けば回復している。
そんななかで、手羽先の骨をかじって歯を痛めるなんてこともあった。
なかなかに大変だったのだ。
この間、仕事は新しく始まるプロジェクトがいくつかあって、それぞれに手さぐりで仕事の形をつくっていく状態でパソコンを叩きまくる毎日だったのが、進むものは進む、思うようにいかないものはいかないことがハッキリしてきて、だいぶ落ち着いた日々となってきた。ようやく「なにもジタバタしてもしょうがない」の心境となった。
さらに確定申告、決算、復興支援金の手続きと続いたのだが、これも何とかやり過ごした。
心身ともに、大変であっても、我が身を忘れても、すべては終わっていくのだ。こうしたなかで思うのは「なかなか思うようにはいかない」という至極あたりまえのことで、この年齢になって言うようなセリフではなく、まあ、30過ぎあたりで実感するものとも思うだが、残り人生少ないこの歳になると、その状態に抵抗するのでもなく、嘆くでもなく、「仕方ない」と心に収めて一日一日を「やり過ごし」ていくと、穏やかな日がやってくるというわけだ。それで大いに満足で、その日は好きな音楽を聴いて本を読む。
そこでようやく話はトライアスロンに。
スイムはそこそこにやってきた。名倉コーチに学ぶこと多く、泳ぐということの入口にたてたような思いでいる。ポイントはフォームで、正しいフォームとは何かが、それができなくとも、理解し、それに向かうことができるようになってきた。
ただし、相変わらず遅い。今日は50メートル×4本の3セットだったのだが、1本目こそ1分3秒であったが、その後は1分5秒から10秒はかかってしまう。なんでこんなに遅いのだ。めげずにやっていくしかないなあ。
バイクは1回80キロのロングライドにでかけただけで、乗っていない。ジムで週に1回30分のエアロバイクでフォームを意識している。
ランとなると、膝を痛めてまったくの状態だ。
まずはランを回復させたいと思っている。
10キロは普通に走れる状態にもっていきたいと思っている。
話はそれからだ。
というより、ようやくこんな話ができる状態になったというほうが当たっているのかもしれない。
どこまでも 歩いていける 五月の夕陽日差しが強くまばゆいばかりとなった。
こうした自然の変化を肌で感じるとき、トライアスロンを始めてよかったと思う。
そんな調子で、どこまでやっていけるのか。
それは自分でもわからない。
自分自身を愉しみに見ている。
写真は私のランニングコース。 -
誕生日のブログの追伸。一人の凡人として、スポーツの魅力とトライアスロンの楽しさ。
一晩寝て、前回のブログを読み直し、ちょっとヒトコト付け加えたくなった。よろしくお願いします。
私のトライアスロンの実力なのだが、オリンピック距離でなんとかギリギリ完走レベル。スイムで足きりは何回もあり、昨年の千葉市シティもあと100メートルほどで足切りになった。時間制限がなければなんとか完走はできるのだが、相当に下のレベルである。
ちなみにこれまでの最長大会は伊是名大会の88キロで、これも初参加はスイムで目の前50メートルででシャットアウト。2回目で時間ギリギリで完走を果たせた。
先週の土曜日にATAのラントレーニングでは、2,000メートル、1,000メートル、1,000メートルのインターバルであったのだが、2,000メートルで約14分、最後の1,000メートルで6分30秒程度であった。
スイムは25メートル28~33秒、50メートル1分~10秒、100メートルは2分20~30秒ほどもかかってしまう。
58歳ではじめたときからそうであったのだが、レベルとしては一貫してギリギリで、大会のみならず、集団トレーニングをしても、いつも最後尾、それもグループを離れての最後尾である。
トライアストンを始めたけれど、やめた方も少なくないと思う。その多くは「やってみたけどついていけない」、端的には「タイムが出ない」ことにあるかと思う。これがランであれば、一人で練習を重ねてマラソンに出ることは可能であるが、トライアスロンはなかなかそうはいかない。やはりどこかのチームかスクールのお世話になることとなり、私の場合はアスロニアにお世話になっている。
そこでトレーニングに参加したら「ついていけない」となると気持ちもなえるであろう。私の場合は「大きく遅れるが、ギリギリでついていけた」から続いてきた。「わあ、こんなにできないのだ」「もう少しできると思っていた」という根拠のない驚きはあったが、それでも辞めようとは思わなかった。
そのいちばんの理由は「私は生涯スポーツとしてトライアスロンを始めた」ためであると思っている。老いの人生を楽しむために、何か生涯スポーツを探していくなかで、たまたまトライアスロンに出会った。トライアスロンに関心があったわけでなく、熱烈ラグビーフアンであるが、トライアスロンの中継を追いかけることもなく、有名選手の名前にも関心ない。
練習で一人大きく遅れることは愉快ではない。大会で足きりになり一人荷物を片付ける情けなさはなんともやりきれない。
でも、そんなことは関係ないのだ。私が関心があるのは「私自身の生涯スポーツとしての楽しみ」であり、言葉は悪いが「人のことは関係ない」のだ。だからやってこれたと思っている。大会の足きりも、できればホノルル大会のように「足きりなし」が望ましいが、大会の事情もあろう。
そんな気分なので、これまで参加した大会の記録もつけていない。garminの時計をつけているが、それを見ながらトレーニング計画を立てるわけではない。というわけで、前回のブログで「トレーニングを軸にした暮らしづくり」を書いたが、このトレーニングは「私の暮らし方」であり、「老人の暮らしの技術」ではあるが、「トライアスロンの記録向上、能力向上」を目指すものではない。そして、私にとってのトライアスロンの魅力とは、やはり「すべての完走者が勝者である」という文化にあると思う。トライアスロンは、このようにルーズに付き合っていくことができるのだ。
このこと伝えておきたかった。
とはいえ、そんな私でも、スイムは100メートルを約2分、ランは10キロ約6分ペースを目指している。
この目標は多くの人にとっては当たり前のレベルであり、私にとっては高いハードルであるのだが、こうした目標をもつことは、暮らしの刺激となる。
「トレーニングを軸にした暮らしづくり」とは、こうした目標設定も含め、トレーニングは心身と暮らしのいい刺激となると思っているのだ。
私自身のトライアスロンの実力を考えると、よくピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」を思う。神に祝福された天才モーツアルトと凡才サリエリ。神がサリエリに与えた才能とは、モーツアルトの天才をいち早く見抜く力であった。サリエリは言う。「私はすべての凡人の王である」。
私は一人の凡人として、スポーツの魅力を、トライアスロンの楽しさを語りたいと思っている。 -
皆様、明けましておめでとうございます。20022年の新年のご挨拶を申しあげます。
昨年を振り返ると身体の不具合に触れた内容ばかりで、70歳になるとこうしたことになるのか、と自分でもいささか驚いています。
とりわけ12月3日の痔の手術は私にとってなかなかの大ごとでした。日帰り手術で術後の回復も順調なのですが、「完治までは1か月半をみてください」とのことで、確かにいまだに練習再開を見送っている状態です。
そんななかでの2022年の初ブログ、まずは今年の予定というより「見込み」を考えてみます。
本日は2022年1月1日。手術後、今日まで運動はしてこなかった。
回復したとはいえ、肛門部にはいまだに痛みはある。
この状態からどのようにしてこれからの道筋を描いていくか。
はじめは散歩から。
昼食前に30分ほどの散歩をするのが手術前から日課だった。この散歩を手術後3日ぐらいから始め、1週間後には1時間ほどにまで延ばした。
散歩とはいえ、意識的にやっていると、これはこれでなかなか面白い。漠然と歩いているとだいたい1キロ12分。garminの腕時計を見ながらスピードを確認する。速足を意識すると30秒ほどアップする。歩くのも走るのも速さとは回転と歩幅の掛け算である。さらに回転と歩幅を意識すると30秒早くなり約11分程度となる。そこからさらに速く歩くにはどうするのか。いろいろと私なりに試してみる。さらに歩幅を広げると回転がにぶる。回転を意識すると歩幅が狭くなる。なかなか11分から縮まらない。
そこで、足のことは忘れて、胸を張り、肩の力を抜き、腕を振って腰の回転を意識するが全身の力を抜いて(ここがポイント)歩くと、これがなんと10分15秒ほどにまでなるのだ。ちょっと驚いた。人の身体とは面白い。これはランニングにも生きるはずだと頭に刻み込む。はてさて、散歩の次はどこに向かうか。
私のイメージでは、次はストレッチ、その次はリズム、そして筋トレの順である。
なんて書くと、復帰に向けてストイックに取り組んでいるように思われるかもしれないが、そういうわけではない。
もともとメタボ老人のヘッポコトライアスロンなので、そのようには頭は回らない。
70歳にして初めて手術を受けた身体の回復というのはどのようなものなのか。そのプロセスを見つめている感覚なのだ。自分なりに動く工夫をし、ささやかな反応や結果を全身で確かめる、そんな暮らしの日々は多少の緊張を含むものであり、精神への刺激となる。しかしそのことに没入するような精神の硬直はない。私はガーデニングの趣味はないが、おそらく庭造りの楽しみに近いのではないかと想像している。あるいは「自分という畑を日々耕す農夫」に例えられるかもしれない。収穫は目標であり恵みであるのだが、それに向かう日々の手ごたえに価値があると考える。
私は「生涯スポーツ」としてトライアスロンを選び親しんでいるが、こうした「スポーツとともにある暮らし」こそが生涯スポーツの楽しみであることを実感としている。今日は術後はじめて、約40分、ストレッチを基本にリズム運動、スクワットを行った。
ストレッチは自分なりのプログラムがある。
リズム運動といっても、好きな音楽に合わせて足を適当に踏み、屈伸する程度のことだ。
いま気に入っているのがオリビア・ニュートン・ジョンのザナドゥで、オリビアの明るい美声に身を委ねる。
オリビアはこちら https://www.youtube.com/watch?v=cLi8fTlDEag
18歳の私のアイドルはクリームだったけど、70歳のいまはオリビアだ!!!(笑)
クリームはこちら https://www.youtube.com/watch?v=pwDo0JUeKqM
ジャック・ブルース死亡の報に触れた時はショックだった。
スクワットはゆっくりと四股10本。
最後に、自分の手で、顔頭、腕と足をもんで刺激を入れる。
身体が伸びて、久しぶりに神経が目覚めたようで気持ちがいい。
明けまして 快晴寒風 おめでとう今年もブログを続けていきます。よろしくお願いします。
昨年末は「我が闘病記」となったが、新年は「我が回復期」としたい。
また回復のプロセスを見つめることを通して「生涯スポーツ」への考えを深めたい。
スポーツは私たちの暮らしと社会にどのような意味をもつのか。
このブログで自らを実験台とした知見を私なりにまとめてみたいと思っています。
写真は今年の年賀状の画像です。 -
トライアスロン、3種目競技であることの魅力、楽しみについて。
今日は久しぶりにスイム+ランのトレーニング。
ランは400mを10本。昨日も神経ブロック注射を腰にうったような状態で、走れるのかどうか、走ってどんな身体の反応がでるのか、不安であったが何とか1本休みを入れて9本をこなした。
まずは走れた。1本目は1分30秒程度で走ることができた。あとは2分10秒を越える程度であったが、気持ちよく走ることができた。走ったあとに腰の違和感があったが、ひどい痛みや歩けないなどということはない。
腰と肩甲骨の痛み、痔の炎症で、もう3か月も自粛状態であったが、ようやく8割がた回復かな。これまでは休みながら最低限身体を動かす状態であったが、トレーニングをしながら回復を管理できる状態になれたようだ。
となると一日の時間割も日々変わっていくんだよね。自分と対話し、考えつつ、どうかな、6月末ぐらいまでに「よしっ!」というところまでもっていきたい。
今日は私にとってのトライアスロンの魅力について、改めて整理をしてみます。
「トライアスロンをやっています」というと、ほぼほぼ「すごいですね」と感心される。
たいがい「いやいやそんなことはありません。短い距離もありますし、フルマラソンと比べればレース後の消耗はずっと少ないですよ」とこたえている。それは事実。
これは「トライアスロン=肉体の高い負担」というイメージからのコメントであるが、いまひとつ「3種目もやるなんて」というイメージもあるかと思う。
しかし、私にとってのトライアスロンの魅力は「3種目」というところにあると思う。
そのことをお伝えしたい。私がトライアスロンを始め、また続けているのは「生涯スポーツ」の楽しみである。
55歳で妻をがんでなくし、3人の子供たちも成人して家を出ていくという暮らしの大きな変化のなかで、自然と「生涯スポーツ=老化のなかでも続けていけるスポーツ」への関心が高まってきたのだが、第一候補は合気道であった。男たるもの格闘技はやってみたい。老化の転倒防止にも役立つだろう。ネットで教室を調べていたので、そこで何かの出会いがあれば、合気道に行っていたと思う。
第二候補は社交ダンス。音楽に合わせて身体を動かすのは好きであるし、女性相手というのも心ときめく感じがあり、これもネットで調べたなあ。
トライアスロンなんてまったく考えていなかったのだが、あるパーティで順天堂大学でトライアスロン選手だったという人と「生涯スポーツ」の話をしているうちに「だったらトライアスロンがお勧め」といことで、始まった。まったくのもののはずみなのだ。
スイムは25mがやっと、バイクは乗ったことなし、ランはジョギングのみの状態でマラソン大会なんて無縁であった。体型は立派なメタボである。でもなぜなのか3種目で大変とは思わなかった。むしろ好奇心が湧いた。いろいろやれて面白いじゃないか、ぐらいの感覚で、それは今に至るまで変わっていないようだ。楽天的でいいかげんな性格なんだな。
例えばランだけとしてみよう。きっとタイム向上に励むことだろう。スイムだって上達に向けたストイックな暮らしになっていたかもしれない。これは個人的な趣味の問題なのだが、もともと人と競い合うこと、闘うことが苦手嫌いである。
3種目となるとそうした「極める、闘う」意識は低下するのだ。今日は泳ぐか走ろうか、久しぶりにバイクに乗るかと、いたってテキトーに楽しめるのだ。それが私にあっている。
1500メートルを泳げるようになり、マラソンを完走できるようにようになり、ロードバイクに乗れるようになればそれでいいではないか。十分だよ。そんな感じで取り組んできたが、いずれも達成することができた。ロードバイクで琵琶湖一周なんて経験も得た。このことは満足している。闘うことが苦手嫌いであるが、トライアスロンのレースは楽しんでいる。レースの準備、会場の雰囲気、終わったあとの安堵感はいい刺激となっている。この刺激は自分ひとりでコントロールできるものであり、それは贅沢なことなのだ。独り身の暮らしのなかで、そのことを楽しんでいる。
あと、練習でもレースでも、常に、ほぼ最下位ポジションであるが、私の場合、多少情けない気分はあるが、大きな苦にはならない。目標は安定した呼吸で時間内完走することであり、要は自分のことしか考えていないのだ。走っていると 空が気になる 梅雨の空が
「無理はしないで」と多くの方に声をかけていただき、ありがたいことと感謝している。
このお声掛けは、しっかりと受け止めている。
でも、ちょっと無理するところが生涯スポーツの楽しみでもあるのだ。
そのあたりの塩梅を計りながら、様子を見ながら続けていきたいと思う。
当面の目標はワールドマスターズゲームズ2021関西。
2022年5月21日(土)の開催予定なので、ちょうどあと1年。
しっかりと準備を重ねて、準備を楽しんで、その日を迎えたい。
今日の写真はワールドマスターズゲームズ2021関西のホームページのキャプチャー。
ご一緒される方はよろしくお願いします。最後に、オリンピック開催が論議になっているが、私は開催賛成です。
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今回は体調管理の話。この土日は身体の不調で休息としました。
毎週土曜日午前はATAのトレーニングに出かけているのだが、昨日はお休みとした。ひとことで言えば体調不良のためとなるのだが、この体調不良にはいろいろの要因が重なっており、この土日は「ともかく休む」こととし、ひたすら眠ることにした。
以前から、年に2回ぐらいは何もしないでひたすら眠る日を過ごすようにしているのだが、今回もそのタイミングと思って判断をした。とはいうものの、本日日曜は天気に誘われ、5キロウォークをしてしまった。やめればよかったか。いささか後悔している。休む時は休まねば。
さて、今日は体調管理の話です。70歳の体調管理の一つのサンプルです。
70歳にしてトライアスロンといえばいたって健康そうだが、このところ1日に次のクスリを処方している。数字は錠数。
高血圧 朝2 夜1
高脂血症 朝1
逆流性食道炎 朝1
整腸 毎食後2+1
痔の炎症 毎食後1
痔の軟膏 日に2
花粉症 夜2
通っている病院は高血圧、消化器外科・肛門科、アレルギー、歯医者(歯周症ケア)、ペインクリニック・整骨院。
確定申告では昨年の医療費は15万近くになった。体調管理に使う時間も金も大きく増えて保険料の恩恵を十分に受けている。実感では3年ほど前、67歳あたりからか。65歳にはまだ日々自覚するまでに至っていなかったと思う。
病院に行くことが日常となり、否応なくいろいろと対応策を考えるのだが、なかなか「解決」とはならない。これが老いの一局面なのかとも感じている。高血圧は半ば諦めているのだが、痔がなかなか完治せずにまいっている。当たり前のことだが、身体に痛みや不具合を感じるのがいやなのだ。痔の原因はこれも3年ほど前からの過敏性腸症候群による下痢で、子供の頃から愛飲している牛乳をやめるなど、食べ物の工夫もしているのだが、なかなか思うようにいかない。これも老化の一つなのか。
加えてこの1か月は肩甲骨と腰が痛み、整骨院に通い、神経ブロック注射を打っている。
その腰の痛みが増してきた。
更に疲れがたまっている感覚がある。多分肉体的なもの以上に精神的な疲れが強いように思う。確定申告で疲れたからなあ。
ということで、この土日を休息にあて、少なくとも腰痛と痔を押さえてリセットしたいと判断した。ともかく寝て疲れを癒し、身体の回復力をよみがえらせるのだ。肩甲骨と腰の痛みは右側だけに出ているが、原因はハッキリしていてスイム。泳いでいるうちはなんともないのだが、じっとしていると、身体の芯のほうから強い痛みを感じて、どうにもならない。
泳げるものだから、練習は続けてきたのだが、腰の痛みが強くなってここでストップ。オーバートレーニングによる身体の痛みは、それを乗り越えることで新たな成長につながることは経験として実感してはいるが、はたして70歳となった今回もそのようになるのか。これはちょっと興味をもってみている。休息による回復のポイントはトライアスロンのトレーニングに向かうようになれること。
痔が痛み腰が気になるようでは走れない。肩甲骨が痛くてはバイクに乗れない。かろうじてスイムはなんとかできるのだが、バイクはまだしろ思い切って走れないのがつらい。7月には大会を予定しているので、そろそろ大会に向けたトレーニングを始めたいと思っているのだ。
などと書くといかにも殊勝なのだが、それ以上に、身体の痛みを気にせずトレーニングに向かう日々を回復したい、老いを実感していく中でも、少しでも快適な日々を過ごしたいということなのだろう。となると、あきらめずに工夫を重ねていくことになる。今回の休息もそうした私なりの工夫ということなのだろう。
この風音は 夏の予感か 血が騒ぐ
ちょっと疲れた感じがある。なぜだろうと思っている。睡眠時間は十分だが、眠りは浅い。同じように暮らしているのに疲れを感じるのも、これは老化なのであろうか。
いまもすでにそうであるが、これから老化の研究はさらに進むだろう。
私も私なりに、体験をとおして老化を見つめていきたいと思っている。写真は渋谷宮下公園の様子。東京オリンピック・パラリンピックをターゲットに整備をしてきたのだろうが、私は街として新たな魅力を感じた。お薦めです。
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シーズンオフの私のささやかな楽しみは「見直し」。
シーズンオフの日々を送っている。
シーズンオフはシーズンオフとしての楽しみがある。
左足の痛みがだいぶやわらいできた。焦らず無理して走らずに回復をまつ。
日一日と回復していく感覚を確かめるのはうれしいものだ。
常日頃気になっているところを見直してみる。
これも楽しみだ。
今日はこのささやかな楽しみついて考えてみる。トライアスロンを始めたのがこのブログのタイトルにあるように58歳。来年には70歳になる。始めてから10年もたつのに、できないことを数えあげればきりもないのだが、今年はようやくスイムとランの入口に立ったような気がしている。泳ぐこと、走ることが、自分なりにようやくわかってきた気がしている。
正しいフォームとはどのようなものか、どのように身体を使えばそのフォームを維持できるのか、フォームを身につけるための練習方法は、といったものを考えられるようになった気がしている。
たとえばスイムでは姿勢が重要。ランは腰を落とさないこと。これはイロハのイの字なのだが、そのことが身をもって納得できるようになってきた気がしている。なるほどそのとおりなのだということを身体で確かめる。プールに入ったらまずけのびをして身体の浮き具合、バランスの感覚を確かめ、その姿勢で胸を張りスカーリング、ゆっくりとキックをうってその姿勢を維持する感覚をつかんでいく。身体をこのように動かすとこんな反応がでるのか、ということに驚き、楽しむ。
テレビやインターネット動画を見ても、以前よりはるかに、我が事として、実感をもって受け止められるようになった。
たまたまマイケル・フェルプスのクロール動画を見た。以前であれば、漠然と見ていたと思うのだが、肘の使い方に目がいき「なるほど」と一人納得をした。「肘を立てるとはこういうことなのか」と思った。特に前からのカメラがとらえた映像では肘がまっすぐに立っており、肘から先の脱力までも見て取れる。
私なりの勝手理解であるのだが、肘をしっかりとまっすぐにあげることで、胸が張れ、クローリングが生まれ、身体が前のめりになり、入水がスムースになり、水中で肘を立てて水を押すまでの一連の流れが生まれる。だから「なるほどなあ」なのだ。
肘の使い方はこれまでも指導を受けていたのだが、あげる肘が起点で全身が動いていくのだ。これまでは、前に押し出す手が起点だと、それも漠然と思っていた。おそらくできる人は考えずにできるのだろう。しかしこちらはそうはいかない。しかしこうして考え考えながら身体と対話することは楽しい。こんな楽しみに出会えるとは思ってもいなかった。
年寄りには年寄りならではの、能力のないものにもそれなりの、スポーツの楽しみというものがあるのだ。ランについても同じようである。起点は肘ということで納得している。ポイントは腰なのだが、まず肘を起点にして振ることで腰が動き、膝をあげて前に進む力がうまれる。なほどどなあ、と感じながら走ってみる。
ところが、バイクについてはまったくわからないのだ。バイクの姿勢とはどのようなもので、身体はどう動かすのかわかっていない。基本はクルクルクルクルとペダルを回すこと。わかっているのはこれだけで、どうしたら効率よく回せるのかがわかっていない。
これを何とかしたいと思っている。
秋空に 流れる雲を 眺め走る
毎朝の40分の散歩が日課となってきた。風を感じて思わず走り出したくなり、20メートルほど走ってみる。
コロナの第三波でまた「ああしろこうしろ」と騒がしい。
マスコミは騒ぐのが仕事であるにしろゲスだなあ。
私は私ができることをするだけで、できるだけ普通に日々を過ごすことを大切に考えている。
写真はネットでみつけたマイケルフェルプスのクロールにおける肘。しっかりと立っている。 -
失意の長良川大会のご報告。ようやく回復してきました。
長良川大会の報告が遅れました。
遅れたということは「完走アウト」で、心身ともなかなか立ち直れず、ようやく回復しつつある今日この頃で、まだ詳しくレースを振り返る心境ではないので、簡単にお伝えします。
水温が低くスイムは750mになったのだが、スイムがタイムオーバーでSKIP扱いとなり、ゴールまで走ることはできたのだが「完走」とはならなかった。
敗因は川の流れ。これがまったく進まない状態で、対応がとれなかった。
じつは、大会直後の公式記録では「完走」となっていたのだが、数日後に確認すると訂正されていた。
この大会は「完走」できれば関西ワールドマスターズゲームに参加できる権利を得られるのだが、完走の記録を送ってしまったぞ。どうなる?ということで、なんとも考えもまとまらないままに、頭に浮かぶことをスケッチして、前に進んでいくことにしたいと思う。
スイムは思うようにいかなかったが、バイク、ランともなんとかなった。ともに参加者中最下位クラスのタイムなのだが、予定していたパフォーマンスが出せた。
これなら70歳になってもなんとかオリンピックディスタンスもやれそうだ。
バイクはギアの工夫だな。向かい風は軽いギアでケイデンスをあげる。クルクルクルクル。いまさらながら、「なるほどなあ」といろいろ考えながらの走りとなった。今後の工夫と努力で少しは伸ばせそうな気がする。
ランはアキレス腱と膝の痛みが心配で、左膝にサポーターをはめての走りであったが、走り出しはキロ6分45秒、最後になっても7分30秒を下回るペースで私としては満足。これもトレーニング次第でまだ少しは伸ばせそうな気がする。
しかしだ。ゴールをしてトランジッションに戻り、着替えて歩き出すと、これが左足が痛んでまともに歩けない。膝もアキレス腱も痛い。足を引きずりながら「我ながら頑張った」と自分をいたわる。このときはまだ大会記録は「完走」で安ど感が大きかったなあ。大会を終えてほぼ1か月。日一日と痛みがなくなり身体全体が回復していく状態を味わってきた。これは予測もしなかった楽しみとなった。痛くてできなかった屈伸ができるようになった。素直にうれしい。
そこで今日は散歩とは別に、大会後初めて走ってみた。50メートルランを繰り返しながら、足の痛みを確かめる。走れはするのだが痛みは感じる。でもうっすらとかく汗が気持ちいい。ランのトレーニングも再開できそうだ。
秋の日は つるべ落としで 夕暮れランということでこのブログに向かっている。
いまはもう大会の予定はない。少なくとも、これからの半年はない。
今回は大会前はかなり意識をしてトレーニングに向かってきた。この意識というのは、ただの気の持ちようではなく日々の暮らし方であり、それは老人にとって良き生活の習慣となった。これからの暮らし方のイメージが少しつかめてきた気がしている。
大会後1か月の休息を経て、この良き生活を続けていくようにしたいと思う。
写真は散歩のコース。ここまでで1キロ。ストレッチをして戻る。いい眺めでしょう。 -
現地は寒く明日はどうなることやら。無理をせず、でもしっかりと意識をもって挑戦してきます。
10月17日
6:00 起床
昨日は9時過ぎに寝たので今日も9時間の睡眠となった。
我ながらよく寝る。
土曜日にも仕事メールが入る。
荷物をまとめる。
朝のルーティーンを済ませる。
お湯をためて入浴。神経を覚醒させる。
9:00 出発
小雨のなかママチャリで駅前駐輪場へ。
10:00 新幹線乗車
東京駅は寒いぞ。
12:00 名古屋駅前で予約していたレンタカーをピックアップ。
名古屋も寒い。雨が降っている。
13:00 桑名駅前のホテルへ
バイクと荷物が届いていることを確認。
チェックインは3時からなので、大会会場へと向かう。
途中ロードサイドの松屋で牛丼。
14:00
大会会場へ。
降り続く雨。寒い。そのなかで選手が走っている。
ともかく寒い。
バイクメンテのテントを確認してスタッフの方に声をかける。
頭のなかで到着からスタートまでのシミュレーション。
15:00
ホテルにチェックイン。
バイクを組み立て、荷物を整理してクルマに運ぶ。昨日のブログ日記に向かう。
18:00 ホテル近くの飲み屋で夕食。
天むす寿司という珍妙なものを食べる。
海老天をネタに巻き寿司にしたもので、このあたりが名古屋食文化なのか。帰りがけにコンビニで明日の朝食と水分を用意。
部屋に帰りユニットバスにお湯をはってつかる。
ともかく部屋が寒いのだ。
エアコンは全館のシステムで今日現在は「送風」とのこと。
明日朝のシャワー用にバスタオルを1枚追加してもらう。ホテルは「三交イン桑名駅前」。ビジネスホテルとしてはまったく文句はないのだが、こうしたときは飲食のついたワンランク上のホテルがいいようだ。これからは奮発しよう。
19:28
風呂につかって人心地ついたところでいまこれを書いている。
ありがたいことに足の痛みがあまり気にならないが、どうだろう。
一方、夕食のせいでおなかが鳴っている。
いつもレースで一番の心配事はおなかの具合。
ランの大会でレース途中でトイレに駆け込んだことが2回もある。
足とおなかの無事を祈るばかり。
思い立って「大会準備日記」を書き出した。
私としては自分を振り返るいい経験になったが、はからずもいつしかビジネス報告のようになり、読んでいただいている方には恐縮するばかり。とにもかくにも明日は落ち着いてレースを楽しもう。
いまの力を試してその結果を見てみたい。
これで日記は終了。
9時前には寝られるだろう。
テレビでブラタモリをやっている。私としてはタモリといえば「タモリ倶楽部」かな。でも最近は見ていないなあ。
写真は明日に走るコース。
寒そう!!! -
出発前日の金曜日。高田馬場のT-conditioningで足と全身をケア。
10月16日
6:00 起床
昨夜は9時に寝たので、9時間のたっぷり睡眠。身体の回復を感じる。
気になる膝は、少しはいいか。
悪化はしていないので満足とする。
明日は大会に出発する。
今日はほぼほぼ休みの状態にしようと予定を組んできた。
会議の予定はない。
仕上げないといけない資料はない。
仕事で出かける用事はない。
仕事はメールと電話のみとなる。9:00 散歩
朝のメールと電話を済ませて散歩に。
1キロを歩き、そこでストレッチをして戻ってくる。
今日はストレッチを少し念入りにした。
屈伸すると膝がいたむので、主に股関節と肩甲骨をメインに。
帰路に30メートルほど数回走る。
だいたいキロ6分45秒ほどで走れるようだ。
走っているときに痛みは感じていない。
何とかなりそうか。
11:00
帰宅して午前の連絡をすませて朝食。
今日は仕事の急用はなさそうだ。
金曜の午前になるとだいぶ穏やかになる。
15日のブログの日記を書く。
大会への荷物の用意を始める。
15:00
高田馬場のT-conditioningへ。
両足のケア。特に左足はアキレス腱~膝~ハムストリングスと痛みがある。
さらに股関節と肩甲骨を中心にしたコンディショニングで約1時間。
実は大会前にコンディショニングを施すのは今回が初めて。
今回はコーチのアドバイスで試したのだが、やってよかった。
身体が刺激をうけ、爽快感がある。今回は14日にフットケア、今日のコンディショニング。
合わせて13,000円ほどかかるがそれなりの満足は得られる。
今後、大会に出るのはおそらく年に1回ないし2回であろう。
許容できる出費として頭に入れておこう。
17:30
南行徳に戻り駅前Tipnessへ。
今日はプールとバイクで1時間と考えていたが、足の痛みも気になる。
15分程度のスイムでフォームを確かめる。
特にスタート時のフォームを意識する。
18:30
帰宅、夕食、荷造り。
9時過ぎにはあわてて床につく。この1週間は仕事でバタバタであったが、今日はようやく大会準備のモードに入った。
たっぷり睡眠をとったこと。何とか痔をなだめたこと。アキレス腱を悪化させなかったこと。
このあたりがこの一週間の収穫か。
予想外だったのは膝の痛み。
ともあれ、いままでになく自分の身体に敏感になって暮らしたのは、いい体験になった。
写真は9月の合宿帰りに新幹線の車窓から見た空。
きれいな空をみると写真を撮りたくなる。