カテゴリー: 生涯スポーツ

  • 大会準備の日課は朝の30分散歩と夜の入浴。足の痛みが気になる。

    大会準備の日課は朝の30分散歩と夜の入浴。足の痛みが気になる。

    10月15日
    5:00起床
    昨日のことをいま、16日12:35に書いている。昨日のことなのに起床時間がよく思い出せない。4時ではなく6時でもなく、多分この時間ではなかったかということで、記憶力が低下しているなあ。
    8:00
    朝のルーティーンにメールなどの仕事をバタバタとこなして散歩に出かける。これが大会準備の日課。ストレッチのメニューが自然と増えて30分が40分になった。雨に降られたが気持ち良い。散歩は身体をいやす力があることを実感しているのだが、右膝の痛みはさらに悪くなって屈伸もできなくなっている。帰宅してシャワー。
    11:00
    今日1日の仕事準備に向かい11:00から1時間のオンライン会議。
    12:00
    チャーハンと餃子の昼食。
    13:00 別途1時間のオンライン会議。

    会議後はすぐに家を出て茅場町のオフィスに向かう。
    15:00 茅場町のオフィスで1時間のオンライン会議。相手は中国。
    16:00 茅場町のオフィスで別途会議を2時間30分。
    買ったばかりのパソコンの通信状態が悪く、この会議でのオンライン参加メンバーとの連絡がうまくいかない。つないでいたのに突然切れてしまい、再起動させてもうまくつながらない。かなり困った。LENOVOに連絡しないといけない。製品を替えてほしい。
    いろんなことがある。
    19:00 帰宅
    コンビニで買った調理パン、柿、物足りなくてお茶漬け1杯。
    お湯をためて入浴。
    朝の散歩とともに、この入浴を大会準備の日課にした。
    若いころから朝シャワー派で、いまでも入浴の機会は少ないが、足の痛みや痔の対策、睡眠促進を考えてのこと。粉末の温泉入浴剤を入れてリラックスなんだけど、慣れていないためか、すぐにのぼせてしまう。
    21:10
    気がつくと9時をまわっており、急いで床につく。
    今日もあわただしい一日だった。
    この「大会前日記」を始めるにあたっては、大会前の心身の準備をリアルにお伝えすることで参考にしていただくつもりであったのだが、身体の具合は思わしくなく、仕事は立て込み、大会準備としては、あまり参考にはなりそうもない。
    日記を書く習慣はこれまでなかった。今年から仕事の整理のために1日の行動記録のメモをつけていたが、この1か月ほどさぼっている。
    毎日日記を書くのは大変だ。
    でも、こうして書くと、改めていろんなことに気がつく。
    仕事は会議がたてこみ、外出も増え、社会の活動が回復している実感を得ている。
    長良川トライアスロン大会のURLをリンクします。
    https://www.nagaragawa-triathlon.jp/

  • 時間がとれて、バイクジャージー購入と人生初のフットケア。第一準備は終了。

    時間がとれて、バイクジャージー購入と人生初のフットケア。第一準備は終了。

    10月14日
    6:00起床
    昨日は8時~9時のスイムトレーニングのために床についたのは11時近くになってしまった。起床は6時。身体が7時間睡眠を欲していたということか。昨日よりは身体の回復感がある。やはり睡眠なのだ。
    7:30散歩
    朝のルーティーンとメールを済ませて30分散歩。痛み始めた左足の膝が気になる。ハムストリングにも痛みが走る。最悪だあ。仕方ない。大会まではジタバせず、睡眠をしっかりとって静かに回復を待つことに割り切る。なんだかなあ。
    9:30 八丁堀での会議~メール、電話連絡など。
    13:20 昼食は久々の鯖塩焼き定食。大満足。
    14:00 御徒町のバイクショップ
    夕方の打ち合わせまでに使える時間ができた。ありがたい。
    御徒町はバイク関連ショップ、スポーツショップがあり、スポーツグッズは御徒町で買っている。それと最近は駅前スーパー吉池の食堂にのみに出かける。昼からやっている年金爺さんのたまり場のみ屋もある。私にはなじみの街なのだ。
    バイクショップでジャージーとスペアチューブを購入。
    いつもレースで着ているトライウエアはノースリーブなのだが、天気予報を見るとちょっと寒そうなので、半そでのジャージーを用意しておこうと思った。
    16:00 日本橋のフットケア
    両足の小指にマメができやすく、走る前にはゾーリンゲンのケア用具を使って自分で手入れをしているのだが、一度プロの手入れを受けたいと思っていた。そこでネットで調べて「快歩堂フットケアセンター日本橋館」に飛び込んだ。
    フットケア初体験。40分の施術で3,980円。やってみてよかった。ここはなじみにしよう。
    ここまできて、第一準備を一通り終えた気分になった。あとは金曜に第二準備、前日土曜の第三準備、当日の直前準備で大会となる。
    大会に参加するためには、様々な準備がいる。まずはトレーニングに直前の体調準備といった身体の管理のうえに、大会の申込とルール確認、宿の予約、バイク送付、時刻表確認、用具とウエアチェックなどなど。終わってからの温泉とイッパイも考えておく。これらの総合的な準備は刺激となる。
    これは生涯スポーツの重要な意味である。年老いて流されていく日常のなかで、こうした自己管理の機会を仕込むことは、心身のマッサージになるのだ。
    17:00 茅場町での打ち合わせ
    茅場町交差点のプロントで1時間半。いったん壁に当たった状態を抜け出す見込みがついて安堵とともに、新たな宿題が生まれ、さてどうしたものかと頭が巡る。
    今日はお疲れ様で歩きながらiphoneでKaryn WhiteのSUPERWOMANを聴く。このところこればかり。知らない方はぜひYoutubeで聴いてください。カッコいいから。
    19:30 帰宅
    食事にかける時間をとりたくないので、駅前スーパーで弁当を買い、帰宅して夕食、歯磨き、メールを2つ。
    9時に床につくことができた。
    明日は何時に目覚めるのだろう。

    写真はフォットケアの前の時間に食べたアイスクリーム。15分ほどの豊かな休憩時間となった。

  • 1日遅れで13日の日記。膝に痛みが出ているぞ。

    1日遅れで13日の日記。膝に痛みが出ているぞ。

    10月13日火曜日
    日記なので毎日書きたいと思うのだが、時間がとれず、いま14日12:41。
    3:50起床
    目ざましなく自然と目覚めた。昨夜は10時に床についたので6時間の睡眠となる。自然と目覚めはしたが、睡眠不足の感覚が残っている。
    体重、血圧チェック、食事、クスリ、トイレ、歯磨き、簡単なストレッチングと一連の朝の行事。
    パソコンに向かい、メール、関連メモの作成などパソコンに向かうこと約2時間。
    ちょっと腰がはる。やはり座業はよくない。
    8:00
    朝の散歩30分に出かける。散歩とともにストレッチング。この時間で一仕事済ませているというのは、精神的に余裕ができるなあ。散歩は頭のクーリングダウンにもなる。
    9:00
    歯医者へ。歯周病のケアで通っている。若い時のケア不足のつけが回っている。
    10:00
    広島県福山市の医療介護法人とオンライン会議を1時間~メールのチェック。
    12:00
    疲れてソファに横になったら、眠りに落ちて30分。昼寝効果でちょっとスッキリ。
    カレーの昼食
    13:30
    また仕事。17時の会議用に打ったつもりのファイルが見当たらず焦る。
    16:30
    家を出て赤坂見附ホテルニューオータニへ会議に。
    会議は約1時間。
    19:00
    南行徳駅に戻り、駅前のベーカリーでホットドッグとカレーパン。カレーを昼に食べたことを忘れている。
    19:30
    TIPNESSへ。20時から1時間のスイムレッスン。
    ここで気がついたのが左膝の痛み。どこでやったのか。屈伸するとかなり痛む。まいったなあ。といっても仕方ない。
    スイムのレッスンはキックがメインであったのだが、私としてはコーチのアドバイスで腕の使い方にヒントを得た。
    それは「肘から入る」いうもの。しっかりと肘を立てて、肘が腕を導いていく。そのためには胸を張る必要がある。これまでは手のひらを意識してたのだが、やってみるとコーチからOKが出た。これはうれしい。
    帰宅して柿と食パンを食べてすぐに休む。それでも11時。膝の痛みが気になりボルタリンを塗るがあきらめるしかないか。
    写真は江戸川沿いのマイコース。足を痛めて走れないが仕方ない。雲が気に入っている。

  • 10か月ぶりにバイクに乗りました。そこから考える高齢者のスポーツの楽しみ。

    10か月ぶりにバイクに乗りました。そこから考える高齢者のスポーツの楽しみ。

    皆さんお元気ですか。コロナ禍もありますが、水害が気になります。我が家は江戸川沿いながら、住んでこのかた10年、幸いに水害とは無縁できました。ありがたいことです。
    今日は晴、曇り、いきなりの雨、そして快晴とめまぐるしく天気の変わる一日でしたが、その間をぬって、短い時間ながらバイクとランにでかけました。今日のブログはそんな報告です。

    最後にバイクに乗ったのは多分、昨年の九十九里トライアスロン大会。9月22日であったので10か月ぶりとなる。
    一昨年8月の木更津トライアスロンで落車をして右肩にヒビ。回復には半年ほどかかった。それ以降練習でも小石にタイヤをとられて落車をするなどの体験が重なり、バイクに臆病になっている。
    しかしATAのバイクトレーニングも始まった。今年はこれまですべて中止であった大会の開催情報もチラホラ届き始めている。いつ再開するか、とは思っていたが、今日の青空に誘われて乗ってみる気になった。
    乗ると言っても、遠くに出かけるなどという気はまったくなく、近いところで「乗った感覚」を確かめる。
    まずは時速17キロ程度のスロージョグ感覚でペダルを踏む。全身で乗っている身体の状態を確かめる。足の回転、サドルの座り心地、腹筋の入れ具合、ハンドルの握り、前を見るための首の角度と目線。折あしくちょうど雨が降り出して、やはり怖さが先に立った。
    怖さというのは「スリップ」の怖さなんだ。
    2回の落車とも、そのスリップの感覚を全身で覚えているんだなあ、これが。
    例えばマンホールの上を走るときなどに、タイヤがズズッと滑って倒れる感覚がヒョイとよみがえる。
    そこで「気分の問題、気分の問題」と呪文のように言い聞かせる。
    まあ、慣れて乗り越えていくしかないのであろうが、今日のライドで思ったのは「攻め」の意識かな。
    マンホールの上でも「行けっ」の感覚で攻めていく。
    そんなマインドコントロールの必要性を感じた。
    クルマもやってこない場所を見つけてターンの練習。これも最初はコワゴワであったが、10回ほどこなして慣れてきたところで帰路に向かう。30キロ近くまでスピードをあげてみた。なるほど。スピードをあげるとはこういうことであったのか。
    いろいろと書いてきたが時間としてはわずか30分。
    帰宅して雨に濡れたバイクをふいて走りにでかける。バイクのあとの走る感覚を確かめたかったのだが、予想以上に身体が動かない。重い。さあ、どうしよう。
    そろそろテレビで昨年の「ラグビー 日本×スコットランド」の再放送が始まる時間だ。もう何回もみているのだが、やはりみたい。雨が強くなってきたぞ。
    走るまでは長い距離を走ろうと思っていたのだが、やめる理由ばかりが増えていく。
    仕方ない。スピードトレーニングに切り替える。
    そこでまたも発見。
    バイクの怖さを超えるのも、バイクでスピードをあげるのも、走るスピードをあげるのも、共通するのは、体幹と攻める意識なんだな。それを感じたところで4キロで終了。
    雨に濡れ 汗にまみれた 夏のラン
    今日は実に個人的なつぶやきブログとなったのだが、伝えたかったのは、いつもながらのスポーツの楽しみである。
    言うまでもなく私のレベルはまったく低いのであるが、それであっても、スポーツにはそれなりの楽しみがあることを書きたかったのだ。
    私のような高齢者にとって、このように意識して心身の全体を総動員して稼働させ、肉体と神経の緊張を高め、血流と発汗による生理的快感とささやかながらの達成感を得る楽しみは、スポーツをおいてはない。
    今日はそんなスポーツの楽しみを満喫して、冷たいシャワー、「ラグビー 日本×スコットランド」、ウイスキーの水割りを流し込んだ。
    テレビでは日々感染状況をあれこれと分析してかしましく、ネットではそれをネタにああでもない、こうでもないとのにわか勉強論議が広がっているようだ。いったいそれが何になるのだろうというのが私の考え。
    改めて、私は日本というこの船に乗っていることを幸いとし、それを仕事として立ち向かっている多くの方々に感謝し、日々手を洗い、体調を整え、仕事に励み、自分に向き合っていきたいと思うばかりだ。
    写真は私のバイク。だいぶ傷がついてきた。新車を買いたいと思っているのだが、さてどうしよう。

  • ジョギングとランニングのフォームの違いに目覚める!

    ジョギングとランニングのフォームの違いに目覚める!

    ジョギングはユックリと会話ができる程度、ランニングは息があがる程度のスピードで走る。それはわかっている。しかしジョギングとランニングとの違いは単にスピードだけなのか。今日はジョギングとランニングとのフォームの違いの話だ。
    以前はジョギングからスタートしてだんだんと速度を上げていくと自然とランに移る感覚であった。それが最近、ランにはランのフォームがあり、それはジョギングとは基本的に異なると思い始めている。あるいは目覚めたといってもいいだろう。

    これは年齢のせいなのか。以前は1キロ7分のペースが普通の速度であったのだが、その感覚で走ると7分30秒から下手をすると8分近くまで落ちていく。ちょっと気合をいれれば6分まであげられたのに、なかなか6分までがあげられなくなっていった。
    これではいけない、情けない。
    ということで、スピードをあげるためには何が必要なのかを考えるようになった。
    まず始めたのが、スピードトレーニング。20メートル、30メートルといった短い距離だが、ともかく速く走る。走りながらGarminを見て速度を確かめる。これが6分か、どうしたら5分を切れるのか、とフォームを確かめつつ走る。
    そこで気が付いたのは、速く走るためには、腰を伸ばし、しっかりと着地をしてジャンプをするように「跳ねる」こと。膝を高くあげて遠くにジャンプしていく感覚だ。それが老化とともに衰えていく「躍動感」を生み出してくれる。それを維持するために体幹を保って腕を振り、腰をツイストする。
    なるほど。
    そこで、その走りの感覚でジョギングをしてみると、これまでのジョギングとはまったく違うのだ。これまではできるだけ身体の負担を少なくしたいとの思いから、膝はあまりあげず、着地も静かに、いわばソロリソロリと走り出し、その延長で意識して歩幅を広げていったのだが、「跳ねる」までの意識は意識はなかった。
    「走ることは跳ねることである」。これは私なりの発見であった。
    その発見から、「跳ねる」フォームでだんだんと速度をあげていくビルドアップに取り組むことで、なんとか「普通に走ってキロ7分」の状態を回復しつつある。ただし、1キロ2キロならいいけど3キロとなると、自然と速度が落ちてくる。「跳ねる」フォームで持久力をつけるのが課題ということだ。

    そこでまた、あちこちネットで「正しいランニングフォーム」を見てみると、あくまで私の感覚であるが、「跳ねる」感じが、それに近い。
    となると、ジョグとランということではなく、あくまでフォームそのものがおかしかったのだとも考えられる。あるいは単に老化によって失われた躍動感に気が付いたとみるこもできるのだろうが、私としてはこのように考えたい。
    ジョギングとランニングでは基本的にフォームが異なるのだ。
    ランニングのスピードアップのためには、ジョギングとは異なるランニングフォームを自覚する必要があるのだ。

    いざ走る 長雨多湿も いとわずに

    ATAの小林コーチに「岩﨑さんランのフォームを変えましたか」と聞かれた。さすがと感心して「わかりますか?」と聞き返すと「左の腕の振りが変わった」とのこと。
    腕についてはまったく考えていなかったが、そう指摘を受けて振り返ってみると、確かに腕の振りも自然と変わっていた。
    スイムに続いてランでも「ここをこう変えると身体の動きがこのように変わっていく」楽しみに出会うことになった。いろんなふうに刺激を与えて、身体の動きの変化を見てみたい。
    このブログで老化とは萎縮であると書いた。
    萎縮が進んでいくなかで、そんな気持ちが起きてきた。
    あるいは萎縮が進んでいるから、そんな気持ちが起きたのかもしれない。
    であれば、これも老いて知る学びなのか。
    分析はこんなところにしておこう。

    写真は夕方の10キロランで眺めた江戸川の光景。
    風景写真として気に入っている。

  • スイムの個人レッスンで知るスポーツの楽しみと難しさ。

    スイムの個人レッスンで知るスポーツの楽しみと難しさ。

    6月からトライアスロンのトレーニングも始まった。ATA南行徳のトレーニングは、土曜日のスイム+ラン・バイクと火曜日のスイムからなっている。土曜日は8時半からの1時間スイムと、隔週でランとバイクのトレーニングとなる。火曜日は夜の10時半からの1時間スイム。これに参加するとどうしても寝るのが12時を過ぎてしまう。
    これができずに、土曜日のみの参加であったが、再開後は火曜日のスイムは午後7時半からのスタートとなった。そこで火曜日も土曜日もトレーニングに参加している。週1回と2回では暮らしのありかたも大いに異なり、仕事で外出する機会が増えたこともあって、自粛解除から1か月がたったが、まだ暮らしのリズムが作れない。身体の状態もどこかしっくりいかずに違和感を覚えて身を持て余している。

    ということでトレーニングの再開から書き出したが、今回はスイム個人レッスンを報告したいのだ。
    スイムは個人レッスンを受けている。定期的に受けているのではなく、気が向いたときに申し込んで、いろいろと相談にのってもらっている。ということは、毎回自分で教えてもらいたいテーマをもってコーチングをお願いすることになる。短くて月に1回、長くて3か月に1回程度のローテーションであろうか。
    私の場合目標は明確で、50メートルを1分、100メートルを2分とまでは言わなくとも、2分10秒程度に、しかも楽な感覚で泳ぐことにある。その目標に向けて何をすべきかをコーチに伺っている。目標はいつも変わらないのだが、それに向けた質問は毎回異なる。
    前回は手をかきだすタイミングであった。その前はフィニッシュの時の腕の振りであった。そして今回は、「フォームはまとまってきたと思うが、それでもスピードがあがらない。とりわけ25メートル以降にスピードが大きく落ちる」というのが、私から提示した課題であった。

    そこでコーチが行ったのが、つまり回答としてコーチが選んだのが、両腕、両肩のストレッチングであった。
    まず両手の指、二の腕、脇の下と刺激を与えてストレッチングをする。さらに四つん這いになって胸と両脇に空気を送り込む感覚でストレッチングを行う。
    なるほど、腕の動作に躍動感が生まれて、腕が大きくスムーズに回る感覚が生まれる。
    レッスンはいつもながら役に立ったが、私はある感慨を覚えた。
    今回はそれを皆さんにお伝えしたい。

    これまでのアドバイスは技術的なものであったのだが、今回はフィジカルなものとなった。
    トレーニングの最後にフォームへの質問をしたが「現在の状態でほぼまとまっている」とのことで、問題はフォームではなく、肉体に移ったのだ。
    私の身体はいたって硬い。あきれるほど硬い。そのうえで、皆さんと同じぐらいに泳ぎたいと思っていたのだが、結局は、皆さんについていくにはやはり「肉体改造」が必要になるのだ。
    これまでも「身体づくり」を掲げてきたが、それは改めて考えてみえば曖昧なもので、「頑張って柔軟性、筋力、持久力を高める」ということであった。しかし、今日のトレーニングでは、スイムのスピードを高める目標に向けて、両手の指、二の腕、脇の下と、ピンポイントにトレーニングを行う。
    漠然と「身体づくり」と言っている分には健康管理のレベルであったのが、「スピードをあげるための身体各所へのストレッチング」となると、途端に「アスリート」の気分になる。
    何を言いたいのかといえば、これがスポーツの楽しみなのだ。例えば、速く走ることに向けて、毎日走るようにしましょうではなく、歩幅をチェックして広げるトレーニングを考えましょうということであり、漫然とした行為から明確な目標への自己管理となる。もちろんアスリートではないので、うまくいくわけでないのだが、気分としては俄然アスリートとなる。
    トライアスロンをはじめて、気が付くともう10年を超えるのだが、いまごろそんなことに気が付いているのかと、あきれながらも楽しんでいる。
    しかし、技術の改良ではなく、肉体の改造でタイムをアップするというのは、この年齢ではいかにもハードルが高そうだが、あきらめずに続けていこうと自分に言い聞かせる。
    泳ぐって こんなにも難しいのか 水を打つ

    改めてスポーツをする楽しみということを思う。この年齢になっても、身体にこんな刺激を与えると、こんなことができるようになる。それは単純な、あまりに単純で素朴な発見であり、いたって爽快なことなのだ。
    コロナ禍で世間は何かと騒がしいが、そこからは一歩離れて、落ち着いて暮らしていきたいと思っている。しかし落ち着いて暮らすとは具体的にどのように暮らしていくことなのであろうか。
    私にとって、スポーツは落ち着いて暮らすという、その具体的な活動そのものとなっている。
    今回は写真はなし。
    気が付いたら1か月以上ブログを休んでいた。
    少なくとも毎週アップするようにしたいと改めて自戒!!!

  • 黄昏  時に10キロランの楽しみ。続くかなあ。

    黄昏 時に10キロランの楽しみ。続くかなあ。

    皆さん、ご無事お元気ですか。
    自粛生活がだいぶ馴染んできた。これが新しい生活というものかと、けっこう新鮮な気持ちで味わっている。
    もともデスクワークは自宅で、打ち合わせに外出するワークスタイルであったのだが、オンライン会議が当たりまえになり、家にいる時間が長くなり、時間に余裕が生まれてくる。
    それに合わせて自分の身にあった自粛生活の暮らしの形がだんだんとできてくる。
    身についてきたのが、夕方のラン。時間は午後5時から5時半にスタート。コースはマイコースの江戸川沿い。
    はじめは3キロを軽く流す程度にしていたが、一念発起して10キロを目標にした。まず500メートルのウォーキングからスタートし、スロージョグから自然な感覚で速度をあげていく。途中歩きたくなればためらわず歩く。頑張るのではなく、身体に耳を傾けて「心地よい」ところを探しだしながら走り、歩き、そして立ち止まり、黄昏時の刻々と変わる風景を味わう。
    排気ガスが減ったためか、抜けるような青空を見るようになった。空を背後に聳え立つ焼却炉の高い煙突と夕日にきらめく川面を眺め、やや肌寒い初夏の風を感じながら深呼吸をして走り出す。川沿いの家々の屋根の上がだんだんと夕日で赤く染まっていく様子を眺めつつ川沿いを走る。川沿いの芝生で子供たちがサッカーボールで遊んでいる。芝の緑と川の流れのコントラストを楽しむ。場所によっては、生垣や歩道の並木があり、新緑を目に受けて木漏れ日のシャワーを浴びる。
    始めたときは続けていける確信はなかったが、やってみるとできるものだと思い始めて、歩く距離がだんだんと短くなり、風景を味わう楽しみに目覚めた。今週は雨模様でもあり毎日とはいかないが、気分体調とも毎日でもOKだ。
    その日の気分によってコースを変えてもいるが、基本となる1周10キロのコースもできてきた。時間は1時間半から40分ほどもかかる。とてもユックリだけど、最後の1キロは7分から6分近くまであげてみたりする。
    帰宅してまずはリンゴをかじって水を飲み、風呂に入り夕食をとってソファーに横になる。窓から吹き込む風が心地よい。
    どこまで続けていけるかわからないが、1年ぐらい続くといいなあ。
    そうなれば暮らしのリズムになるだろう。
    夏来たり 黄昏時は ランニング
    今日は5月30日土曜日。6月1日月曜よりスポーツジムが再開する。
    久しぶりに泳げるぞ。どんな感じなんだろう。血が騒いている。(笑)
    トライアスロンのトレーニングも始まるぞ。
    写真は今井橋からの江戸川の眺め。時間は午後6時。ここから10キロ。

  • 新型コロナ感染緊急事態宣言での私のトライアスロンライフ。

    新型コロナ感染緊急事態宣言での私のトライアスロンライフ。

    当ブログをお読みの皆様。お元気でお過ごしでしょうか。普段であれば「お変わりなく」とご挨拶したいところですが、こんな状態ではそうも言ってられません。
    私は、ここまでは元気に暮らしています。明日のことはわかりませんが。
    今回は、新型コロナ対策の非常事態宣言を受けて、どのようなトラライフを過ごしていくかをまとめてみます。
    「共に元気でやっていきましょう」というエールのつもりで書きます。
    長文になりそうだけどよろしくお願いします。
    トレーニング
    私の参加しているATAのチームトレーニングは2月29日から休んでいる。5月9日の再開目標という電話連絡があった。2か月以上の休みとなる。
    個人で加入しているTipness南行徳は、緊急事態宣言の出される前日までスタジオ以外はオープンしていた。度胸があるなあと思いつつ、プールは感染リスクが低いとの自己判断から、手洗いやドアノブの接触などに注意して出かけていた。すいているので、プルブイを挟んでの1500メートルノントップにはまっていたのだが、宣言翌日からは休業。
    ネットではスイムトレーニング情報が豊富にアップされている。陸上のイメージトレーニングなどを見ている。
    バイクは怪我をしてから臆病になって、まったく乗っていなかったが、その状態を延長する。ソロライドであれば、コロナウイルスの心配はなくとも、やはりバイクは怪我の恐れが高い。こんな時期に怪我をして病院に迷惑をかけるようなリスクを冒してはいけないのだ。
    ということでトレーニングのメインはランとなる。このところは、毎日3キロできれば5キロ、週に1回は10キロをキープしている。これを続ける。続けていけば、何か新しい世界が開けるのではないかと期待している。もちろん走るのは一人。周りを見ながら距離をおく。
    そしてストレッチ。人気の谷本道哉先生にはまってみようか。1日30分は室内ストレッチ。
    身体の衰えを実感して「身体づくり」を目標に掲げていたのだが、この期間にそのための身体の土台とライフスタイルを身につけておきたい。。
    自宅業務になると、こんなにもトレーニングの時間があることに驚きもしている。
    そんな折、ニュースウィークで「過度な運動はウイルス感染のリスクを高める」という記事が出た。
    米ウェイン州立大学のタマラ・ヒュー=バトラー准教授とマリアンヌ・ファルマン教授は、効果的な運動のコツとして、以下の点を指摘している。
    ・20分から45分間、軽度から中程度の運動を週3回程度行う
    ・週5回以上の運動は避ける
    ちょっと前のめりな発表とも思のだが、まあ、疲れない程度にして、疲れたらよく休むということと理解する。頭の片隅に入れておこう。
    心の安定
    これがなかなか大変なんだ。いろいろと気になり、気のついたことがある。
    65歳を過ぎて医療の世界にかかわり、中国、ベトナムに頻繁にいくようになった。末端のささやかな経験であるが、日本の医療システムへの信頼を深めている。いま、日本は独自の作戦をとっているが、欧米からはその限界を指摘されているようだ。なんとかうまくコントロールしていくことを祈り、心落ち着かずテレビやネットでニュースを追いかけてきたが、情報を追いかければ、不快な発言に多く触れることになる。思わず反応して、心が乱れ、さらに情報を追いかけるのだが、これがストレスがつのる。
    そこで情報を絞り、選別することにした。スマホスピーカーとDVDプレーヤーをネットで購入。テレビを切り、SNSのコメントを無視し、心静かに音楽を聴くことにした。
    そこで思うことが二つ。
    自分ができることは何かを考える。
    自分がコントロールできないことに振り回されるのではなく、いま自分ができることを探し出し、深呼吸してユックリと世界を眺めてみるようにしよう。今回の買い物のそのためのものだ。
    情報遮断と情報選別を進める。
    新聞をとるのをやめて6年になるか。テレビは惰性でつけていた。惰性で酒を飲んでいるようなものだな。しかし今回のことで、テレビの時間を絞ることにした。
    情報化社会とは情報が商品となる社会である。今回のようなときにその商品価値があらわになる。私たちもどのように商品価値を判断するのかを考える。情報の選択意識は高まる。新聞、テレビ価値が問われる。
    このことについては、改めて考えをまとめ、書いておきたい。
    ハレーションを起こしている情報から距離をおき、トレーニングに励もう。音楽に親しもう。そのことが心の安定になる。それは健康維持やストレス解消という実用的な効能用語で済まされるものではない。高齢者が、この大きな変革期の情報化社会のなかで、何らかの生涯スポーツをもって生きていくことの意味は大きい。
    なにも話をわざわざ難しくしているわけではない。歳をとると、何も考えずに生きていくことが難しくなる。考えることが生きていく力を生み出してくれるのだ。この考えを進めていくと宗教にも近づいていくだろう。
    テレビを切って 一人走って 4月の空
    こうした時は、しっかりと続けていく力が大切になる。続けていく体力が問われる。
    トレーニングをを続けていこうと、改めて自分に言い聞かせる。
    ご同輩の皆様。免疫を高めましょう。これが何より大切。お元気で。
    写真は家の前の私のランコース。宣言以降、走る人がと増えているが、写真はその前のもの。

  • トライアスロンをやっていてよかったことをあげてみた。

    トライアスロンをやっていてよかったことをあげてみた。

    トライアスロンが生活に占める割合は何パーセント?
    いつもの感じであるとこんな具合。
    仕事 60%
    生活雑事 10%
    映画・音楽・酒などの憩い 10%
    トライアスロン 20%
    新型コロナの影響で、トライアスロンの比率が高くなって30%ほどの感覚になっている。
    そうなると仕事を減らして50%程度となるか。
    デスクワークもあるので仕事に費やす時間は減っていないが意識は低くなっている。
    「生涯スポーツ」としてのトライアスロンというが、例えば私ぐらいの年齢で年に何回かマラソン大会に出る人にとって、マラソンが60%以上の存在になっている人も多いのではないだろうか。そうなると、スポーツこそが生活の軸でスポーツを第一に考えて生活を組み立てることになるだろう。
    仕事とスポーツとのバランスの話である。
    「いやいや、仕事とスポーツは50・50」なんて意見もあろうが、それは私の暮らしの実感としてイメージできない。いずれかを高い優先順位においていく以外の実践的な暮らしの方策がわからない。

    私としては、仕事を続けている限り、それが優先順位の第一になる。第一に暮らしに必要な収入を得なくてはならない。当然のことを当然に行うわけである。そして、これは私の労働観であるが、仕事をして収入を得ることは自らの行動を社会化することと思っている。あるいは、趣味が高じて仕事になることもあるだろうが、私のレベルではトライアスロンで収入を得ることなど考えられない。

    では仕事ではない、「生涯スポーツ」としてのトライアスロンにはどのような意味があるのか。
    トライアスロンをやってきてよかったことを思いつくままにあげてみよう。
    ●1500メートルを休まず泳ぐ
    トライアスロンを始めるにあたり、どこまで何ができるのか、まったくわからなかったが、「泳げるようになればいいか」と思い定めて飛び込んでみた。はい、泳げるようになりました。いまだまったく遅くて上達しないが、泳げるようになったことはうれしい。
    ●フルマラソンの完走を果たす
    最後にフルマラソンに出たのはいつだったか。膝を痛めていまは10キロが精一杯だが、フルマラソン完走はいい経験だ。
    ●琵琶湖一周を果たす
    ATAの共同練習でバイクで琵琶湖一周を果たしたのは、日本人としてうれしい。あとは富士山登山をしておきたい。
    ●サンゴ礁を泳いで楽しむ
    昨年の11月に奄美大島の海を満喫した。それ以前も伊是名トライアスロンでサンゴ礁を泳いで眺めた。
    ●スポーツのある暮らしが身につく
    トライアスロンは生涯スポーツとして始めたものだが、トレーニングも含めてスポーツを楽しむ暮らしが身についた。今後は老化の進行から、できなくなることも増えていくだろうが、それなりにスポーツのある暮らしを続けていきたい。
    ●トライアスロンを通しての知人、仲間を得る
    ありがたいことです。

    こうしてあげてみると、たくさんの「いい思い出」があり、私の人生を豊かな彩りのあるものにしてくれたと思う。「いい思い出」とは過去のものではない。明日が「いい思い出」の日となるかもしれないではないか。
    ああいいな 桜が見える ランコース
    写真はいつも走っている私のランコースに咲いていた桜。
    年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。
    コロナ騒ぎのなかで「無常」を思う。
    先のことはわからないが今日は走る。そして今できることは手洗い睡眠。
    「無常」とは今を生きる日本の英知なのだ。

  • 新型コロナでトライアスロンの時間が増えている!!

    新型コロナでトライアスロンの時間が増えている!!

    もちろん新型コロナは仕事に影響が出ている。
    本来であれば、今年は既にベトナムへは2回、中国へも2回程度は行っているはずであったが、すべてがフリーズ。まさに「凍り付いた」状態にある。
    全体に停滞、様子眺めとなり、打ち合わせの回数も会議資料作成・検討の時間も減っていく。
    もともと基本がテレワークで、作業は自宅メインで必要に応じて出かけるワークスタイルだが、出かける機会が減って、自宅にいる時間が長くなる。
    そこで、トレーニングの時間もとれるようになっている。
    今回はこの新型コロナ流行と私の状態をトライアスロンの視点からスケッチする。
    ① 一日家にいるとトレーニングができる
    基本自宅作業ではあるが、普段は打ち合わせでほぼ毎日出かけている。それが出かけない日が増えており、目の前に広々と時間が広がっていることを実感する。
    午前中には3キロ程度走りに出かける。シャワーも含めて1時間程度だ。
    夕方からは泳ぎに出かける。3日続けて1500メートル泳を楽しむことができた。
    私が通っているtipness南行徳は、クラスやスクールは休止だが、個人トレーニングはジムもプールもオープンで、特にプールは小学生のクラスがなくなり、ほぼコース独占で1500メートルをノンストップで泳ぐことができた。調子と気分にのって泳いだわけだ。しかしまったく速くならないのが悔しい。
    ② トレーニングが増えると睡眠時間も増える
    トレーニングが増えることで、これまで7時間の睡眠で目覚めていたのが、8時間となった。あまりに正直な身体の反応に驚いている。自分をアスリートと自覚することはなく、ただのメタボじじいなのだが、この睡眠時間の変化はアスリートの生活を実感させてくれて興味深い。よく寝るのはウイルス対策としてもいいことだ。
    ③ 生活管理の難しさ
    要はトライアスロントレーニングを軸にした生活管理ができやすくなったということで、逆に言えば、普通に仕事をしながらのトレーニング管理はなかなか難しいことを改めて実感もしている。歳をとるとボーっとする時間も増えて、管理はますます難しくなる。
    「1日は24時間、生活管理の基本は時間割」。これが私のモットーなのだが、なかなか時間割がこなせない。あるいはできもしない時間割を作ってしまう。そこで「1日は24時間、やれることをやっていく」に変わってきた。つまり「1日のうちでこれまでやる」のではなく「やれた結果がこの1日でお疲れ様」と思っている。
    いまのうちはトレーニングを軸に「今日はここまで」できた生活を楽しみたい。
    ④ トレーニングに向かう時間の豊かさ
    これは何を意味するかというと、自宅にいる時間も長くなり、やはり新型コロナが気になるので、テレビのニュース番組やネットニュース、SNSなどを目にする時間が増えてくる。見だすと「そんあバカな~」などと思わず反応してしまうのだが、これの後味がすこぶる悪い。私は埒外の人間が遠くから当事者に石を投げつけることは好きでない。黙って応援をしたいと思う人間である。とりわけ安倍罵倒、政府非難の下品さに辟易した。
    そんななかで、テレビでエーゲ海の紹介番組があった。エーゲ海は修道士のための教会が数多くある。光景を見ているなかで、ただただすべての時間を神への祈りに向かう修道士の生活の豊かさに思いをはせた。テレビやネット情報に翻弄されている時間より、トレーニングに向かう時間の豊かさを改めて大切に思った。
    身体打つ 春の寒風 雲と青空
    単純に人に会う機会が少なくなった。そのために笑う機会も少なくなった。テレビのお笑い番組を見て、久しぶりに笑っている自分に気がついた。もっと笑う機会を増やしたい。
    スポーツの楽しみの一つに笑いをあげたい。共に走り泳ぐなかで笑いが生まれる。これはあまり語られていないが、自分の体験としてそう思っている。
    写真は富岡八幡宮。帰りがけに気が向いて、門前仲町に寄り道をしてお参りをした。門前仲町には陽が落ちる前の時間からやっている飲み屋がいくつかある。行ってみるか。めっきり酒は弱くなったが、ときどきは飲み屋が懐かしい。どなたかご一緒しませんか。