カテゴリー: 生涯スポーツ

  • 誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。

    誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。

    2月16日で69歳となった。
    前回のブログでは「死ぬまでの暮らし計画」をご披露した。
    誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を書き留めておきたい。

    私にとってトライアスロンは「生涯スポーツ」である。
    60歳を前に「生涯スポーツ」を探していて、トライアスロンに出会った。
    「生涯スポーツ」とは、老いていくなかで、できるだけ長く続けていけるスポーツである。その効能としては、もちろん身体の運動機能の維持があるが、合わせて、生涯の趣味として「楽しく」続けていけそうなことも重要だ。
    水泳やマラソンという選択もあり得たと思うのだが、果たして水泳やマラソンを楽しむことができるのか、おそらくタイムの奴隷になって窮屈な思いをするのではないか。トライアスロンは「記録や順位ではなく完走こそが勝利である」との文化があると聞き、これはいいと思った。
    加えて、これは個人的な思い込みであるが、トライアスロンをやるとことが一つの人格表現であるように思えたのが気に入った。私の考える生涯スポーツとは、老人としての人格を規定するものなのだ。
    私がイメージする「トライアスロンを楽しむ老人」、すなわち「トライアスロンを楽しむことで実現される私がなりたい老人」とは「元気で明るい老人」である。私は「シャキシャキした老人」でいたいのだ。
    そしていまトライアスロンを始めて11年にして、トライアスロンは生涯スポーツにとても適したスポーツであることを身をもって実感している。私はただのメタボのおやじであり、スイム、バイク、ランの経験もなく、58歳からトライアスロンを始めた。レースではいつも最下位レベルであるが、こんな私でもできているので、ぜひ皆様にも「生涯スポーツ」としてお勧めする。

    さて、69歳である。このブログでも再三書いているように、このところしきりと老化を実感するようになっている。
    これからはまさに「生涯スポーツの真価」を実感する年齢になっていくのだ。
    真価を実感するためには、毎年レースに出ること。これが原則であり目標である。
    いつまで出ることができるかわからないが、まずは75歳、できれば80歳。
    大切なことはやり続けることと思う。

    ローリングストーンズのキース・リチャーズが禁煙をしたそうである。
    それを伝えるニュースに、キースのこんな言葉が紹介されていた。
    「ミックも俺も前回のツアーで、俺らはやり続けるしかないって感じたんだと思う。俺らは続けなきゃならない」
    この言葉がいまの気分にしっくりきている。
    続けていく理由や意味を考えればきりもない。
    それよりも「俺はやり続けるしかない」と思う心をもっていること。
    生きているということは、そういうことなんだと思う。
    私の「死ぬまでのトライアスロン計画」は「やり続ける」こと。
    「やり続ける」ことをもっているのはいいことだ。
    窓揺らす 春一番に 胸騒ぎ

    今日は春一番。世間はコロナウイルスで騒がしいが、いろんな予期せぬことがあるのが世の中というものなので、黙って自分で気をつけて「元気で明るく」暮らしていくほかないと思っている。ギャーギャー騒いでいるのはイヤだなあ。
    写真は話題の渋谷スクランブルスクエアからの眺め。こうしてみると、渋谷って50年前の学生時代と大きくは変わっていないような気がするけど、どう思う?

  • いよいよシーズンイン。最近はちょっとスピードというものに目覚めてきた。

    いよいよシーズンイン。最近はちょっとスピードというものに目覚めてきた。

    横浜トライアスロンのスプリントはスイムで足切りになってしまった。25分が制限時間のところろ、29分ほどかかってしまった。原因は息切れ。300メートルほど泳いだところで息が切れて一休み。そのあとは、100メートルほど泳ぐたびに息切れとなり、落ち着いて泳ぐことができなかった。いったん脈拍があがるといけないなあ。とても残念。
    さらに、失意の横浜大会のあと、バイク練習で落車してしまった。ちょっとしたカーブのある場所で、タイヤが横滑りしてバランスを失い、倒れながら金網のフェンスにぶつかった。倒れたときは、息もできないという状態で、文字通り「天を仰ぐ」。チームでの練習ライドだったので、仲間が驚いでかけつけてくれた。ありがたかった。
    幸いに右膝から出血したものの、大きなダメージはなく、2週間たったいま、絆創膏もはずしている。というわけで、今シーズンは実に冴えない感じでシーズンインとなった。

    実は今シーズンはちょっとした心境の変化があり、それなりに「やる気」であっただけに、本当に残念なのだ。
    それは「スピードへの挑戦」である。私のようなロートル・ヘッポコがこんなことを書くと、ほぼ冗談かとなるところだが、他に言いようもない。「スピードへの挑戦」なのだ。
    スイム、バイク、ラン。どの大会、あるいは練習に行っても、いつも最後尾である。それは不本意であるが、だからといって前向きにスピード練習に取組んできたわけではなかった。大切なのは「安定した呼吸」で、調子よくスピードをあげるにしてもその範囲内。タイムは目標ではなく「結果」であった。生涯スポーツとして自分で楽しむことが基本で「競う」という考えはまったくなかった。「どうぞどうぞお先に」という姿勢である。

    それがスピードに目覚めた。きっかけはランだ。どうも走るのが遅くなり、以前はキロ7分の感覚で走ると、実際はキロ8分になってきた。そこで長い距離はできないが、20メートルほどスピードを上げて走っては、歩いて息を整えてまた走るという練習を繰り返した。その時はキロ5分、あるいはキロ4分半ほどのスピードとなる。すると普通の走りも速くなり、6分30ぐらいで巡行走行、タイムトライアルでキロ5分45秒ぐらになってきた。感覚としてはもうちょいあげられるようである。それが面白くなった。
    味をしめて、スピニングバイクにも挑戦。以前は80回転/分ぐらいで回していたのだが、100を基準にして、120で30秒回して1分半は一休みで、また120を30秒といったことをすると、黙っていても100近くで回すようになった。
    なるほど、刺激を入れればスピードはあがるのだ。ただしバイクは15分、もランも15分程度の短時間ですませる。スイムはまず500をユックリ泳いであとは25メートルのダッシュを繰り返し、30分程度で終了。その代わり、週に3回、できれば4回はジムに行くようにする。
    横浜もそんな感じで臨んだのだが、それが原因なのかどうか、スイムで早々に息が切れてしまった。なかなかに難しい。
    次の大会は6月29日のタテトラのスプリント。さて、記録はどんな具合になるのか。楽しみのような怖いような、なかなか新鮮な気分でいる。
    五月の陽 風に誘われ 海岸に
    トライアスロンを始めて10年、この歳になって新たな局面を迎えている。
    さして上達はしていないが、最後尾とはいえ、自分なりにコントロールできるようになったのだろう。少し余裕ができたということか。そこでスピードに目覚めた。続けてやっているといろんなことがあるものだ。面白い。
    新たな楽しみとして、スピードへの挑戦に向かいたいと思っている。

  • 桜を眺めて「トライアスロンで自然と戯れる」楽しさを思う。

    桜を眺めて「トライアスロンで自然と戯れる」楽しさを思う。

     この週末、桜は満開だというのに、ひどく寒い。寒いなか、土曜のラントレでは30分のジョグ+180メートル坂道での「流し」を3本。久しぶりのランであったが、気持ちよく走れた

    何が気持ちよかったのかといえば、もちろん身体を動かす快感が基本なのだが、走った公園の緑が気持ちよかった。青葉茂れる5月はまだ先で、今日は曇り空であったが、目に映る緑が心地よかった。
    生まれ育ったのは横浜の下町で、働くようになってからはずっと東京。アウトドアのレジャーにも興味なく、自然との縁は遠いままに生きてきた。それがここにきて、しきりと自然の魅力を感じるようになっている。
    自然といってもいろいろあるが、まずは緑。木々、芝生の緑を見ると、ただただ「いいなあ」と感じる。その心持を言葉にすると、確かに「癒される」ということなのだが、見ているときはそんな言葉も思い浮かばず、緑の向こうに空を眺め、息を吸い込んで、心晴れやかとなる。自然と笑顔がこぼれるような感情となる。そして笑顔のままに走り出す。
    まあ、自然に目覚めたわけだ。あるいは自然を味わう快感に目覚めたわけだ。
    そこで、週末の土曜日はトライアスロンのトレーニングなので、日曜は緑を見に近くの公園にでかけてみたいと思っている。そんな衝動を心に温めていると、何らかのきっかけて、いつかは行動を起こすようになるものだ。多分今年の夏までには、電車に30分ほど乗って、緑豊かな公園に行くようになっていると予感している。
    自然の魅力とは目に映る色であったり、肌を差す光であったり、頬をなでる風であったり、私の生理に直接働きかける刺激であるのだが、そのうえに「常に移りゆく」ことをその魅力に加えておきたい。それはただベンチに座っているだけでも味わうことができるし、今日のようにこちらが動けば、また味わいは自在に変わっていく。
    「トライアスロンは自然を楽しむスポーツ」とはよく言われるところであるが、ただ泳ぎ、バイクに乗り、走ることで「自然を楽しむ」というのは、ちょっと言葉が足りないように思う。まず、3種目を通して「自然に挑戦していく」気分となる。積極的に自然とかかわることで、自然への意識や関心が自然と高まり、自然に自然を身近に感じるようになり、そして、このように、自然の魅力に目覚めるようになる。
    日々の暮らしというのは、不愉快なことも多い。仕事となればストレスは避けられない。私は仕事好きな人間と思うが、それでもそう思う。
    しかし、自然の魅力に包まれているときに「不愉快」はない。トライアスロンをしているときは、さらにその状態に一所懸命となり、「不愉快」など考えている暇もない。
    そこでいきなりだが、生きている実感、生きる楽しみというのは、そうした時を感じることなのだと思う。いまの世の中、何かを成し遂げたり、人のためになったりするための情報があふれているが、そんなことはどうなるのかもわからないことで、それよりも煩雑な日々のなかて「自然の移ろい」を感じる時をもつことが大切と思う。それは誰もができることであり、人間が人間であることをかみしめる、じつに豊かな時なのだと思う。
    トライアスロンは自然と戯れるものなのだろう。
    黄昏に うつりゆく空 桜道
    「トライアスロンで自然と戯れる」ことを大切にし、そうした時間を計画的に作り出すことによって、心の安寧を保っていきたい。
    今日は新年号「令和」の発表があった。報道がおおむね好意的に伝えているようで気持ちよい。。
    写真は昨日の夕方に歩いた深川の桜道。人も少なくいい黄昏の時を過ごした。

  • トライアスロンと共にある暮らしに、ちょっと飽きてきたのかもしれない。

    トライアスロンと共にある暮らしに、ちょっと飽きてきたのかもしれない。

     桜の開花となっているのに、今日は冬に逆戻りの寒空。

     昨夜、のどが痛み出した。
    今週は比較的よく寝ているのに、疲労感が抜けなかった。
    この冬は風邪をひかずにここまできたが、ついにひいたか!
    ともかく早く寝ようということで、シッカリと歯磨きにイソジンでうがいをして、11時前には就寝。今朝は6に目覚ましなしの起床。
    のどの痛みはなくなっている。よかったあ。でも体調は、疲労感とまではいかないが、スッキリでもない。
    さあ、トレーニングに出かけるかどうするか、大いに悩んだ。
    悩んだが、体調が悪化したら明日の日曜に休めばいいと思い切って出かけた。
    今日はスイムとインドアでのトレーニング(スピニングバイク、トレッドミル)。
    結果としては体調、気分とも、どこか吹っ切れた気分でいる。
    元気でこのように久々のブログに向かっている。

     体調が悪いときは無理せずに練習は休み、というのが正解なのだとは思うが、改めて考えてみると、本当に悪ければどうしようかとも思わないだろう。迷っているぐらいなら練習に出ればいいではないか。それが試合ならなおさらだ。
    行くと決めたら「大丈夫か」などとは思わず、戦闘精神いっぱいに気分を高めていく。そしてもし悪くなれば、そこでやめることになるのだろう。もし練習を続けられるのであれば、そんなに悪くはなかったということなのだ。
    果たして練習に行かずに休んだほうが回復が早いのか。
    それだってわからない。
    今日のように練習で吹っ切るなんてことだってあるんだ。
    ひょっとして「飽きてきた」のかもしれないとも思う。トライアスロンに飽きてきたというより、練習に飽きてきた。練習する日常に飽き、体を鍛えることに飽きる。飽きてくると緊張感を失い、面倒な気分が募っていく。「まあ、やめようか」のセリフが出てくる。
    さらに考えると「なかなか上達しない」ことに飽きてくる。それはあるなあ。トライアスロンを始めて10年となり、技術的には上達したとは思うのだが、速くはならない。タイムは落ちていく。なかなかモチベーションが持ちにくくなっている。
    寒空に 明日の花見は さてどこへ
    多分、体を動かすことそのものを楽しみとする感覚なのではないか。気持ちの良い体調で、神経にスイッチを入れ、汗をかくのはいい気分だ。水を切り、風を受け、地面をはねて全身で自然の刺激を感じるのは快感だ。この快感は能力にかかわらず、年に応じて、もつことはできるのだ。この感覚を求めることを自覚して「飽き」を吹っ切る。
    よし、いってみよう。
    写真は我が家のベランダから見る今日の寒空。
    話は変わるが昔ドイツのエッセンという町に展示会の視察にでかけ、ドイツの寒空と霙に出会った。石畳の広場と陰鬱な建物、店の明かりが暗い寒空によくマッチしていた。これがドイツなのかと思った。それと比べると、日本の寒空は明るいようである。暮らしも人もその地の気候から作られる。

  • 68歳の誕生日から1週間。「静かに丁寧に続けていく暮らし」がテーマ。

    68歳の誕生日から1週間。「静かに丁寧に続けていく暮らし」がテーマ。

     2月16日(土)

    68歳の誕生日。土曜日であったので、午前中はいつものようにトライアスロンのトレーニング。夕方の6時には堺屋太一先生のお通夜で青山斎場へ。堺屋先生は私が属するイベント学会の会長であり、一読者としても、学会会員としても大きな影響を受けてきた。お通夜のあとはイベント学会の仲間と赤坂で献杯。
    2月17日(日)
    今年初のレース参加。レースといっても10キロランの草レース。荒川沿いを走る。風が冷たく寒かったあ。特に後半の向かい風は厳しくて実につらかった。そんな天候のせいもあろうが「衰え」を強く実感。タイムは1時間15分程度ということは、キロ7分30秒程度のペース。まあ、はじめからノンビリいこうと思ってはいたが、それでも1時間10分以内にまとめたかった。身体は重く、足が伸びない。
    そこで思うのはやはり「身体づくり」なのだが、具体的にどうするか。
    8月の木更津大会で落車して右肩の骨にヒビが入ったが、そこがいまだ痛む。スイムはできるで放置してきたのだが、整形外科のリハビリテーションに行ってみようかと思っている。加えて、左の膝が痛んでいるので、そこも見てもらう。さらにリハビリテーションを通して、身体の管理ができないものかと思っている。
    2月18日(月)~2月22日(金)
    今週はベトナム関係、中国関係の仕事の整理がメインとなった。ベトナムも中国も陰暦の正月であり、この時期は「いよいよ新年」というモード。整理をすると、医療介護の大きな課題として「人材育成」が見えてくる。ベトナムも中国も日本の「人材育成」に大きな期待をかけているというと意外と思われるだろうか。でもそうなのだ。日本式の医療介護はベトナム、中国、そしてロシアでもブランドなのだ。
    ようやく「基本呑まない」生活が身についてきて、夜は家で食事後、テレビを見ながらストレッチと自重トレーニングを行うようになっている。いいぞ。
    22日(金)の夜にジムに行き、10分のスピニングバイク、10分のトレッドミル、10分のストレッチ、40分のスイム。スイムはまず500メートルから、25メートルのフォーミングを繰り返す。
    2月23日(土)
    誕生日から1週間後の土曜日。朝の9時半から「ヘルシィエイジング学会学術集会」に参加。夕方まで参加してから、恵比寿にフェルメール全作品の複製(リメイク)展に出かける。複製であるにしろ、その精度は高く、実寸大で一生の作品を時系列で通観できる。この魅力は大きい。いくつかの作品はまさに衝撃ともいえる光彩を放っていたが、それとは別に、フェルメールという人間(天才)の生涯に接して「静かに丁寧に続けていく暮らしの豊かさ」を感じた。
    2月24日(日)
    今日はバイクの100キロ自主練に誘われて、行ってみたいと思っていたが断念して、まず、こうしてブログに向かっている。3月の4日からベトナム出張の予定で、確定申告の準備もあり、考えてみるとこの休日にしておくべきことが多っかった。今日このあとはDROPBOXのアカウント確認、確定申告準備、シムでスイムから仕事に出かけ、帰宅後にこの1週間の準備となる。いろいろあるなあ。
    日一日と 日差し移ろい 空を見る
    68となると70歳が間近に感じる。これは発見であった。へえそうなんだ。いつまでトライアスロンができるだろうか。トライアスロンも含めて「静かに丁寧に続けていく暮らし」を作っていきたい。あくせくせず、遠くの空を眺め、ユックリと道の真ん中を歩いていきたいと自戒する。
    写真はフェルメールの代表作で、通観してもこれがハイライトであった。代表的な構図を離れ、このように個人を描いた作品はこれだけであり、それも驚きであった。他の作品には静逸な瞬間が切り取られていたが、この作品には永遠ともいえる祈りの愉悦があった。思わず手を合わせたくなった。いいものを見た。

  • 近事報告。ささやかながら私の「心身ケアプログラム」

    近事報告。ささやかながら私の「心身ケアプログラム」

    毎年年長引く風邪に悩まされているのだが、今年はこれまで風邪をひいていない。インフルエンザにもかかっていない。なお。インフルエンザの予防注射はすませている。
    今年は何が違うのか、つらつら考えてみるに「歯磨き」がその理由ではないのかと思っている。
    もともと歯磨きには時間をかけている。歯科衛生士に教えてもらった方法で磨くと約15分ほどかかる。外出時はそうはいかないが、家では食後に必ず15分かけて歯を磨いている。それなのに昨年暮れから歯茎の具合が悪い歯がでてきて、医者に行くと歯周病ということで、さらに丁寧に磨いている。家にいるときは朝昼晩の食後プラス寝る前の4回も磨く。
    ちょうどテレビの情報番組で、歯磨き・口腔ケアの重要性を紹介していた。高齢者の介護施設でも、感染症予防のために口腔ケアを励行しているという。インフルエンザを診る医師は感染リスクも高くなるが、歯磨き、手洗い、それにマメに水分をとって口の乾燥を防ぎ、予防しているという。
    「なるほど」ということで、口腔ケアを暮らしの「心身ケアプログラム」にインプットする。
    振り返ってみると、年をとるということは、いろいろと「心身ケアのプログラム」が増えていくということだという思いにいたる。
    家から駅まで歩くと15分から20分かかる。最近は時間に追われて自転車利用が当たり前になっていたのだが、「早歩き」にしている。はじめてみるとこんなことでも「上達」というものがあって、だんだんと速度が速まり、軽く汗ばむほとになり、気分としてはトレーニングとなる。
    これは積年の課題であったのだが「基本酒を呑む毎日」を約50年近くも続けてきたのだが、ようやく「基本酒を呑まない毎日」が身に付き始めている。酒を呑む代わりにストレッチと筋トレ、読書ににあてている。酒を呑まない暮らしの快適さを実感しはじめている。やってみればできるもんだ。

    「人間は習慣の奴隷である」という言葉があるが、年よりとして元気快適に生きていくにはそれなりの習慣をつくっていかなくてはならない。「心身のケアプログラム」を増やすということはそういうことなのだろう。
    私にとってトライアスロンは「生涯スポーツ」と公言しているのだが、「生涯スポーツ」というのも、言い換えれば、老化に応じた「心身ケアプログラム」に他ならない。「生涯スポーツ」とは老人のための生活習慣なのだ。
    寒風に 陽ざししうれしや ランニング
    スイム 100メートル2分30秒
    ラン  タイムトライアル1キロ5分45秒
    昨日の練習の記録だ。
    それが練習であれ、レースであれ、タイムをしっかりと記録保存する習慣がない。面倒なのもあるけど、目標管理というのが私にはなじまない。でも、この昨日のこのタイムを評価するには、やはり保存記録がいるんだなあ。さらに、これからはタイムを記録して目標にしてみようかという気分になっている。宗旨がえだな。
    スイムはまず100メートルで15秒削る。そのためには25メートルで約4秒かあ。でも25メートルだけなら33秒で泳ぐことはできる。そのスピードで100メートルかあ。などど考えてみる。
    要はそれが楽しいことなのかどうかということであり、奴隷となる習慣は楽しいものでなくてはならない。「習慣の奴隷」とは平凡な暮らしの中にささやかな「快適」をプログラムするということなのだよ。
    今回は写真はなし。

  • 今年はトライアスロンを始めて10年。生涯スポーツとしてのトライアスロン。

    今年はトライアスロンを始めて10年。生涯スポーツとしてのトライアスロン。

     皆様明けましておめでとうございます。

    いつも拙ブログご愛読ありがとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。

    昨年の暮れにウイルス性結膜炎を患い、年末はひたすら休息につとめたが、暮れの29日・30日とようやくジムに行って身体を動かし、31日には久々の5キロランを楽しんだ。
    以前は冬の時期にはマラソン大会にも出ていたが、今年は何もなし。
    トライアスロンについては、5月の横浜大会のスプリントに申し込んで抽選待ちだが、それ以外は決めていない。漠然と7月の昭和記念公園、9月の九十九里には行こうかと考えている程度。
    昨年は仕事の環境が劇的に変わり、それに追われるばかりで、トライアスロンまではなかなか気が回らなかったというのが正直なところだったと思う。
    そんな状態で8月の木更津大会でバイク落車。右肩の骨にヒビが入り、まだ痛い。改めてリハビリの治療に向かおうとも思うのだが、さて、どこかいいクリニックはないか。この際リハビリだけではなく、身体全体のリセットに取組みたいとも思っている。
    ではリセットをしてどこに向かおうというのだろう。

    このブログのタイトルは「58歳トライアスロン始める記」だが、今年は68歳となる。私のトライアスロン歴も10年を数えることになった。
    改めて確かめるのは、私にとってトライアスロンとは「生涯スポーツ」であり「ライフスタイル」ということだ。そして生涯スポーツとしてトライアスロンを選んだことは、とてもよかったと思っている。
    昨年「人生100歳時代」という言葉を覚えた。70歳までは何もしなくとも元気でいられるが、70歳以降はそうはいかない。100歳までの30年をどのようにして生きていくのか。何年寝たままで生きることになるのか。「人生100歳時代」とはそういうことだそうである。
    なるほど。トライアスロンをライススタイルとすることは、「人生100歳時代」に適っているといえるのだろう。
    何も100歳まで長生きしたいと思っているわけではない。むしろヤレヤレというのが正直なところで、いつお迎えがきてもタクシーに乗るようにアッサリと応じてやろうと思っている。
    ただ、生きているうちは心身とも元気で気持ちよくやっていきたい。元気でやっていくにはそれなりの暮らしの工夫が必要で、トライアスロンに向かうということが、そのまま元気で暮らすための工夫となっている。その工夫とは、心身の全体を総動員して取組む日々の挑戦であり、その挑戦をつづけていく緊張感が、私に生きていることの楽しみを与えてくれる。
    そう。向かう先は「生きていることの楽しみ」であるようだ。

    日本晴れ 走り初めして 初詣
    いつも正月には今年やるべきことを書き出して優先順位をつけている。
    以下、トライアスロンについて、今年やるべきこと。
    1 肩の痛みのリハビリテーション
    2 身体づくりの日々のプログラム開発と実践
    3 毎週土曜日のATAトレーニング参加
    4 朝ランの定着
    5 バイク練習時間の増加
    こんなところかな。
    写真は快晴のなか、遠くに見えるスカイツリー。
    まだ昇ったことがない。今年は昇ってみたい。

  • 身体づくりの生活習慣は朝食前のスロージョグ。

    身体づくりの生活習慣は朝食前のスロージョグ。

     朝起床して、食事前に走ることを始めている。この10日間でまだ4回。初回は1キロ、次いで2キロと距離をのばして今日は3キロ。ペースは初回はキロ10分20秒でスタートして9分30秒で終了。今日はキロ9分30秒でスタートして7分ペースで終了。それからキロ4分程度の流しを2本。回ごとにペースは自然とあがっていく。

    目覚めて朝食前に走る習慣をもつ。これはトライアスロンを始めた当初から抱いていたたイメージなのだが、そこに踏み出すことはなかった。積極的に踏み出す意欲はなかった。それをいま、身につけていきたいと思っている。

    67歳となり、体力が一段落ちた。そのタイミングで昨年10月末の右足肉離れ、この8月のバイク落車による右肩のヒビと、私としては人生初の大怪我が続き、「67歳からの身体づくり」に向かいたいという思いを更新させてきた。これが基盤。
    そのうえで直接的なきっかけとなったのが「ランニングをする前に読む本」だ。
    ランニングに関する本は多く、これまでも数冊を買っているが、この本を買った理由は、著者が運動生理学の専門家・医学博士であり、「スロージョギング」を提唱し、アスリートから市民ランナーまでの指導にあたり、多くのデータをもち、自らも実践しているところにある。「医学的知見をバックボーンとした科学的実践書」なのだ。

    この本で私が刺激を受けた新発見は・・・
    ・朝食前に毎日走るのが身体にいい。
    ・時間は5分でもいい。
    ・走る時間は一日のなかで小刻みにとっていい。
    ・室内でもかまわない。
    ・スロージョグは筋肉トーニンとしても有効である。
    このうち「室内でもかまわない」について私なりの解説を加えてみる。
    自分なりの身体づくりを試行錯誤していくなかで「その場駆け足、その場ジャンプ」が有効ではないかとの手ごたえを得ていた。ようは縄跳びである。そこで家のなかで「エア縄跳び」をしてみると、血の巡り、足腰の筋肉・関節・体幹への刺激、ランニングフォームへの自覚という点で「これはいい」と思うようになった。イメージはモハメドアリだが、実際のところは年寄り向きで、「加齢による足腰の衰え」に有効と思えた。
    その手ごたえから、スロージョグは「走るエア縄跳び」として消化することができ、「よし行ってみるか」となった。

    思うところ、トレーニング・身体づくりは「生活習慣」づくりにほかならず、それを「生活習慣」として身につけるということは、私にとっては「プランをたてて取り組む」のではなく、日々の暮らしのなかで「その気になる」ように自分をもっていくことである。
    「その気にならない」日は無理せず見送り、「その気になる」日を増やしていく。
    「その気になる」ために仕事、睡眠、家事、お酒、もろもろ、大げさに言えば「毎日のすべて」を総動員して「その気になる」方法を探し出していく。
    その方法がだいぶ溜まってきたところで、「ランニングをする前に読む本」に出会ったということなのだろう。本は意志・意欲をかきたててくれるが、その前に、意志・意欲が本を発見させるのだと思う。

    始めてみて、いい感じをつかんでいる。ポイントはフォーム。腰を立て、体幹を意識して、リズミカルに、顎を少しあげ、すれ違う人には薄気味悪いかもとは思うが、軽い笑顔で遠くの空を眺める。すると風が心地よい。今日は何キロ走るかなど思わず、江戸川沿いの1キロを往復する。これは距離がハッキリしており、いつでもやめられるのがいい。遠くまで走っていったら帰って来なくてはならないではないか。それが毎日では気が重い。長距離ランは週末の楽しみとする。
    ささやかなプラスを重ね、気になるマイナス要因をできだけさけ、それをこうして書き出して暮らしに定着させる。気持ちよい毎日をつくる。
    走る足音 頬に秋風 血のめぐり
    着替えをして、走り、家に戻って軽いストレッチ。ウエアを洗濯機にかけ、シャワーを浴び、朝食に向かうまでには1時間近くかかる。食事はフルグラとゆで卵。血圧・食道炎・鼻炎の薬合計4錠を飲み、歯磨きを20分と排便。起床後、約2時間半で仕事に向かう。
    このためにわざわざ早起きしようとは思わない。成りゆきでやっていける方法を探している。
    写真は最近買ったガーミン。ちょっとピンボケだなあ。
    このガーミンも走る意欲をかきたててくれるのだ。

  • 肩の骨にヒビが入って思うこと。

    肩の骨にヒビが入って思うこと。

     肩は痛むが、足は大丈夫なんだから、走るとこまではいかなくとも、歩きに出て、様子をみてスロージョグとも思うのだが、なかなか身体が動かない。やはり全身の健康がなくては動く意欲は生まれないのか。

    気が付くと、腰も少し傷んでおり、足がつり気味の状態にある。
    昨夜、一昨夜と長時間睡眠をとった。11時前には床につき、翌朝5時には目覚めるのだが、二度寝に入り、起きるのは8時ぐらいになる。
    身体が睡眠を欲しているのだろうか。そこま大きなダメージを受けていたのだろうか。
    あと1週間以内に開催される九十九里トライアスロンは、もうほとんどあきらめている。
    「ほとんど」というのは、その日になって肩が回るのであれば出てみようか、の思いが残っている。
    しかし木更津大会以降はまったく身体を動かしていない。
    どこかお休み気分で、夜は酒に走っている。
    これはこれで気分のいいものだが、それもそろそろ飽きてきたか。
    身体の「動き出せ」というシグナルを、じっと待っている。
    今日は珍しく終日自宅作業で、夕方に軽いスロージョグにトライ。
    1.62キロを16.09分。スピードはキロ10分の超スローペース。
    右肩が痛むので、腕は振れない。
    リズム、リズムと言い聞かせて、気持ちよく走った。
    これをスタートにできるか。
    絆創膏を貼り変えた。
    擦り傷はだいぶ回復している。こんな大きな傷を負ったのも初めてだが、肉体の再生能力に驚かされる。
    ただし、肩の痛みはまだまだかかりそうだ。
    もう少し痛みが和らいだらリハビリを開始しよう。
    自己管理はスポーツの大きな楽しみであるが、けがの回復も「肉体の自己管理」であることを実感している。
    今日から気温も風も秋の到来を感じさせる。
    あんなに暑かった夏も、ある日に秋のスイッチが入る。
    当たり前のことなのだが、この変化を実感するのも生きていることの楽しみだ。
    秋風に 背中おされて スロージョグ
    今回の事故を、自分を見直す契機にしたいと思う。
    改めて、気持ちのよい身体づくりを考えたい。
    私が考えるところ、身体づくりとは毎日の生活習慣であろう。
    つまりこれは、事故を契機に、生活習慣を見直そうということなのだ。
    具体的には、身体づくりのために毎日1時間の時間をとる。
    まとめで1時間ではなく、20分×3ぐらいで考える。
    できるかなあ???
    写真は北京空港。4日・5日の1泊で北京に行って打合せを2本。
    タクシーの乗り降りに腕が痛んで難儀した。初めて地下鉄に乗った。
    それが多少の苦痛ではあれ、初体験には、心動かす何かがある。
    おもしろいなあ。

  • 苦手なことを覚える楽しみ。こちらはスイムのパーソナルコーチの麻生さん。

    苦手なことを覚える楽しみ。こちらはスイムのパーソナルコーチの麻生さん。

     58歳でトライアスロンを始めたとき、スイムもバイクもランも、なんの経験もなかった。競技に出たことも、誰かからコーチを受けたこともなかった。競技用のバイクは乗ったことすらなかった。時折ジョギングで汗を流すことはあったが、それも自宅の周囲だけで、誰かと一緒に走ることもなかった。

    3種目とも、一から学んできたわけだが、それから9年にして、思うことは、9年にしてようやくコツを身につけることが多々あるということ。この年齢にして、まだまだ上達というものを感じるところがあるのだ。
    このブログでも再三書いているが、スイムには苦労している。好きなのだが、うまくなれない。そこで、パーソナルレッスンを受けている。コーチはINFINITY SWIM SCHOOLの麻生 剛弘(アソウ ヨシヒロ)さん。
    私が通っているTIPNESSで個人レッスンを開いている。習い始めてもう数年になるのだが、ブランクの期間もあり、このところ、改めて、月に2回程度、マメにレッスンを受けるようになっている。毎回30分で3000円+消費税。

    ともかく泳ぐのが遅い。しかし我ながらおもしろいのは、バイクもランも遅いのだが、遅いことが気になることはない。でもスイムは遅いことに腹がたつのだ。もっと速くなりたいと心から思うのだ。我が身を顧みず、なんとか100メートルを2分ペースでスムーズに泳げるようになりたいのだ。
    そこで一念発起して、麻生コーチにお願いをしている。言い換えれば、それは何とか達成できるのではないかと、思っているわけなのだ。
    現在のところは、2分40秒もかかってしまう。昨日のスイム練習では50メートルで60秒だったが、これはハイペースでのタイム。それでも2分を目標に掲げて行けるところまで行ってみたいと思っている。
    それは、だんだんと上達していく手ごたえを感じているからだと思う。個人レッスンはわずか30分であるが、毎回テーマを設定して、ポイントの修正をおこなう。
    今日のテーマはストローク。特に入水の深さ、水中での手の動きを確認した。そうした積み重ねにより、徐々にではあるが、水中での身体の使い方を覚えていく。「手のひらに水の粘りを感じる」ための力の入れ方、肘の使い方、ローリングの感覚が一連の動きとなり、泳ぎのてごたえを感じる。スカーリングを練習する意味がようやくにわかった。

    ああこうなのか 泳ぎながらに 一人合点
    両手の指先から両足の指先まで、頭から腰の位置、バランスとリズム。スイムはまさに全身のスポーツで、学ぶことに尽きることはない。学び、身につけることに楽しみを見出している。
    写真はINFINITY SWIM SCHOOLのホームページに掲載されている麻生コーチの姿。侍スイマーとは知らなったなあ。驚き!!!
    みなさん、お勧めです。INFINITY SWIM SCHOOL。麻生 剛弘(アソウ ヨシヒロ)さんはとても素晴らしいコーチです。
    http://infinityswimschool.tokyo/revolution/