カテゴリー: 生涯スポーツ

  • 1年半ぶりの大会参加。そこからこれからのトラライフを整理してみた。

    1年半ぶりの大会参加。そこからこれからのトラライフを整理してみた。

     先週は幕張チャレンジトライアスロンに参加。スイム750m/バイク16km/ラン5kmのスプリント大会。

    思い起こすと、昨年の大会参加は、沼津の駅伝のみで、それもスイムは流れが強くて中止であった。となると、3種目への参加は一昨年10月の伊是名以来となる。随分と久しぶりで、さらに椎間板ヘルニアに襲われたなか、なんとか完走を果たせて安堵した。
    以下が成績で、完走者196名中194位というお恥ずかしい状態であったが、それでも私なりに楽しむことができた。
    タイム:順位 1:54:00:194
    スイム:順位 0:29:34:198
    バイク:順位 0:48:20:186
    ラン :順位 0:36:06:192
    レース中は「なんでこうもうまくいかないのか」と思っている。スイムではどうしてこうも私一人引き離されるのか、バイクではどうして練習でできる時速30キロが安定的に出せないのか、ランではどうしてこうも息が切れるのか、と思っている。
    と同時に「いやいやこれが今の実力、落ち着いて落ち着いて」と言い聞かせる。そして「安定した呼吸」に意識を集中する。先に進むとか、スピードがあがるとかではなく「いまの最適な呼吸状態」を探り出し、それを見つけて安心する。そんな状態を、つまりレースというものを、それなりに楽しむことができた。苦しいことに挑戦する楽しみというより、苦しいなかで安定的な状態を見つけ出す楽しみを見出すことができた。天候、体調、身体の痛みを含む状態との自己対話の楽しみとも言えようか。
    これは今後に向けた収穫かなあ。
    レースから1年半も離れていた原因といえば、仕事となる。この2年間、仕事は大きな転機にあり、新しい仕事がスタートした。自分で笑ってしまうのだが、気分は30歳の初年兵なのだ。新鮮な気分でありがたいが、この年齢なっての「雑巾がけ」というのは、これはこれで大変でもあるのだ。
    本当は50歳代で60歳以降の人生の基盤(ビジネス)を築き、60歳以降はその土台の上でと思っていたが、安易な目論見はことごとく失敗。ようやく新たなスタートに立っている。何を言いたいのかといいえば、この2年は、意識も時間もトライアスロンより仕事に向かっていたということ。だから大会に出る機会も減った。
    ではこれからどうするのか。
    出る前にはそこまでは考えていなかったが、今回の大会は今後のトライアスロンライフの方向を占うものであったのかもしれない。
    さて、どうする。

    まず、これからトライアスロンを続けていくうえでの楽しみの感触をこの大会で得た。つまるところ「できることだけを楽しんでやる」こと「できることを見極める」こと、そして「息長く続けること」。「できることを見極める」とは自分ができないことを知ることでもあり、なんとも情けない思いもあり「これしかできないことを受け入れる」ことでもある。それを自らに納得させる感覚を今回の大会で得ることができた。
    よってトライアスロンは、できる限り、続けていこうと考えている。
    今年はあと九十九里大会のみ。そして11月の奄美大島合宿。
    来年以降は、今年を踏まえ、改めて、自分なりの大会参加スケジュールを考えてみたい。
    仕事との兼ね合いはどうするのか。
    これもやはり「できることだけを楽しんでやる」ことに尽きるようだ。それは「できないことを受け入れる」だけではなく、「自分ができることを見出しつつ」「できないことはできる人にお願いしよう」でもある。いいチームを作って仕事に向かっていきたい。
    落ち着けよ 言い聞かせて走る 初夏の空
    「できることだけを楽しんでやる」ことの要諦は時間管理と思っている。焦らず無理せず、大きな道の真ん中を、遠くの空を見上げてゆったりと歩くように日々を過ごしたい。今日歩けることしか先に進むことはできない。そして寄り道は避ける。若うちの寄り道は糧になるが、もうそんな余裕はないのだよ。そう自分に言い聞かせる。
    そこで、具体策なのだが、私の場合は酒だな。禁酒ではなく機会も量も減らす。
    写真は幕張大会のラン。全身の躍動がないよなあ。歩いているみたい。ああ。

  • ちょっと真面目に、高齢者スポーツ論。キーワードは「過度」への快楽。

    ちょっと真面目に、高齢者スポーツ論。キーワードは「過度」への快楽。

    このところ体調報告のようになっているが、その続き。
    スポーツには身体の故障や痛みはつきものだと思うのだ。ましてや60歳を過ぎてスポーツを続けていこうとすればなおさらのことだろう。
    薬局などに行くと、高齢者のための健康維持のパンフレットなどをよく見る。
    散歩など、適度な運動が推奨されてるが、トライアスロンのようなスポーツが推奨されているわけではない。それはそうだろう。
    そもそも、スポーツとは「過度」な要素を内在させているものであり、そこにこそスポーツの楽しさがあると思うのだ。もちろん「観るスポーツ」の楽しさは、常人ではなし得ない「過度」に鍛えられた身体であり、技術であり、チームプレーにある。
    一方の「するスポーツ」にも「過度」なことに自ら囚われていく心理があると思う。
    日常の生活では味わえない「過度」な身体の動きがもたらす快楽がある。走っている苦しい時間のなかで突如訪れるランニングハイも「過度」への陶酔だ。そして苦しさの結果で得られるゴールの達成感も「過度」であるからこそ、その魅惑が生まれるのだ。
    そもそも、日々練習を積み重ねて向上を楽しむという行為そのものが「過度」なことへの楽しみを孕んでいるではないか。

    60歳も半ばを過ぎてスポーツを続けていくには、何らかの心の整理や納得というものがいる。スポーツという「過度」なことを日常に取り入れることは、老化や臨終という言葉が身近となった者にとって、なかなかに刺激的な緊張となるのだ。
    オリンピックが近づくなかで、スポーツを語る場面に出会うことが増えている。「プレイ」や「遊び」といった開放的な、あるいは肯定的なトーンで語られることが多く、それはそれで反対ではないのだが、私としては「あまりに素朴な人間肯定論」に思えて鼻白む思いがする。
    スポーツとは年寄りの健康維持の楽しみではない。日暮れへと向かう黄昏の光に包まれながら、自らの心身に「過度」な刺激を打ち込む快楽なのだ。緊張感をもって暮らすことは気持ちがよい。たとえそのことによって身体の故障や痛みが生まれても、それも「過度」な楽しみのうちにあるものなのだよ。ちょっとMかな?
    5月18日のブロック注射以降、腰の痛みは治まっているが、膝の痛みは続いている。治まっていく方向にあるが、太ももの内側に痺れが走り、階段を下りる際に、膝が痛む。困ったことに、右ばかりでなく、左足の膝も、わずかだが、痛むようになってきた。
    腰ばかりでなく、左の首、肩、腕が痺れている。顎をあげると肩が痛む。こちらの原因はバイクの姿勢。要は身体がめっぽう硬く、痛みやすいことが基本にあるのだ。以前、トレーナーの方に「とくこれでトライアスロンをやっていますね」とまで言われたことがある。そう、やってはいるが、正直なところ、歯痒いよな。
    さて、この事態にどのように向かい合っていくのか。
    前回のブログでも確認したように、ペインクリニックで痛み対応をしつつ、マメに身体を動かしながら回復に努めることになるのだが、手加減の具合が難しくて1回失敗している。ポイントは無理をしないこと、となるのだが、実際のところ、どこからが無理なのかがわからない。
    困ったことに、どうしても「過度」に走ってしまうのだ。
    肌を刺す 五月の光が 命かな

    トライアスロンを始めて最もよかったのは、自分の体調と機能に敏感になったことと思っている。老化とは体調と機能の変化、ないしは低下である。「体調」とは自分で感じる身体の総合的な感覚であり、自分と向き合うバロメータだ。
    写真は、昨夜の我がトライアスロンチーム、ATA南行徳のキックオフパーティ。この年齢になってこうした仲間とともに酒を呑む幸せをかみしめる。そこでの会話で、仲間の一人から「会社の同僚がこのブログ見つけ、刺激をうけてマラソンを始めて10キロ以上減量した」との話を聞いた。嬉しい限りだ。

  • 朋あり遠方より来る、また楽しからずや。とむさんありがとう。

    朋あり遠方より来る、また楽しからずや。とむさんありがとう。

    2017年4月2日日曜日

    昨日は新橋の行きつけの呑み屋で、このブログを通して知り合ったとむさん(愛称)と二人で歓談した。初対面であったのだが、打ち解けて楽しく呑んだ。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」。話題はもちろんトライアスロンだが、老後の過ごし方から自然と子どものことにも広がっていった。
    とむさんとのいきさつをご紹介しよう。呑みながらの話しも混じっているので、記憶違いがあったら、とむさん、ごめんなさい。
    とむさんはお仕事の都合で長らくグアムにお住まい。スポーツに恵まれた地でバイクとランを楽しんでいたが、スイムを加えればトライアスロンになるということで、トライアスロンに関する情報をネットで集めているかなでこのブログに出会ったという。ありがたいことにブログを気に入っていただき、初回さらさかのぼってお読みいただき、トライアスロンを始めるにいたり、いまもご愛読いただき、コメントもお寄せいただいている。
    今回は人間ドックのために日本に来たついでに、お会いすることになった。
    とむさんは60歳(62歳でしたっけ?)。私が66歳なので「今後の参考」としてブログをお読みいただいているという。
    ありがたい。
    このブログはまさにとむさんのような読者を得ることを期待してスタートし、続けているもので、これ以上の歓びはない。まさに「朋」を見出した心境なのだ。
    4月7日日曜日引き続き
    話しは多方面に及んだが、初対面にもかかわらず、お互いに構えるところはまったくなく、すぐに打ち解けて「談論風発」。さて、それはどうしてだろう、と考えてみたくなった。
    もともと共通の趣味で出会ったのだから、話題には困らない。とむさんは私のブログの愛読者であり、私についての事前情報は十分であり、お互いの好意が前提であるなどが考えられるのだが、でもそうしたことだけで説明をまとめたくない気分が残ったのだ。
    まずあげておきたいのが、とむさんのお人柄。沖縄ご出身とのことで「朴訥な南の島男」の風貌でじつに好ましい。それは確かにすぐに打ち解けた原因とはなっているだろうが、話しがはずんだ理由にはならない。

    いま私が納得する最も大きな理由は「生きていくことに対する肯定的な感覚」であるかと思う。そのことを共有しているので安心して話題をだせる。意見を言える。この感覚は趣味趣向や価値観の以前にある、生きることへの基本的な態度と思う。だから話しのやりとりにしても「あれがよかった」「これが楽しい」「いいですね」「賛成」「うらやましい」ということになる。「あれが腹立つ」「これが悔しい」「いやだねえ」「そうは思わない」とは絶対にならない。そんな不快なやりとりをするぐらいなら、一人トレーニングにでかけよう、地球は楽しいぞ、ということなのだ。これは基本的な気質といえるかもしれない。
    そこで話を広げる。トライアスロンを楽しんでいる人がすべてそうというつもりはないが、トライアスロンには「肯定的な感覚」を沸き立たせる魅力があると思う。第一に記録を争わない。勝った負けたがない。満足は自足である。相手は地球であり、感謝しかない。トラブルはつきものでそこで怒っても仕方ない。謙虚に受け止めてトラブルに学ぶ楽しみを見出すのだ。
    私はトライアスロンの仲間にはそうした共通の感覚が根底にあるように思う。だからとむさんとの二人の時間が楽しかった。
    さらに話を広げれば、これは「スポーツとは何か」「スポーツをどのように楽しむか」を考える本質なのだ。昨日スーパーラグビーでサンウルブスがブルズを破って今季初勝利。いい試合だったが、試合後のブルズのキャプテンのコメントが印象に残った。「まず勝者をたたえ、次いで試合を的確に分析して仲間をねぎらい、観客に感謝する」であった。ラグビーを勝ち負けも含んで楽しんでいる。実に知的だ。
    春雨に 心さわがし コップ酒
    今年は無理だが、来年はグアムの大会に行きたいと伝えた。7月と10月に大会があるという。その準備を始めよう。グアムにはサッカーのカズをはじめ、多くのプロアスリートが合宿をしている。そんなグアムで遊び、スポーツアイランドグアムの今後の可能性を考えてみるのも、プランナー岩﨑としては楽しみだ。
    とむさんと呑んだのは私が行きつけの新橋の大衆呑み屋。
    写真はとむさんと。
    とむさん、これからのトライアスロンを楽しんでいきましょう。

  • 元旦走り初め。久しぶりに10キロ超・1時間以上を走ったこの気持ちよさ!!!

    元旦走り初め。久しぶりに10キロ超・1時間以上を走ったこの気持ちよさ!!!

     当ブログをお読みいただいている皆さま。明けましておめでとうございます。お元気ですか。皆様のお元気を祈念いたします。今年もブログを続けていきます。よろしくお願いします。今年初のブログは年末年始の報告です。

    12月30日。スイム30分・ジム30分のトレーニング。明日は墓参りに出かけるが、その前にランを予定。正月1日・2日・3日・4日も毎日走りたいと思っている。
    今年1年を振り返れば、出場大会は沼津千本浜の駅伝と木更津トライアスロンの2つだけ。沼津はスイムは中止となってしまったので、ちゃんとした大会は木更津のみ。それもタイムは4時間をオーバーという具合で、まったく締まらないシーズンになってしまった。しかし、こうなるにはこうなる事情もあっていたしかたない。思うようにできないなりに、楽しみを見つけだしていくのも面白さというものではないか。そのように自らをなだめている。
    12月31日。江戸川沿いを30分ラン。そのあとは横浜のお墓参り~帰宅して姉と久しぶりの食事で年を終える。日本酒をいただいてお腹いっぱい。毎日呑む暮らしから基本呑まない暮らしに転換中なのだが、こうして家で呑むのは気軽でいい。周囲には居酒屋巡りを楽しみにしている方もいて、それはそれでいいなあと思いつつ、私はそちらには行かないなあ。見ていると居酒屋巡りの方々は「肴」にもこだわりがあるようだが、私は「肴」を狙いにして呑みに行くマインドはない。ネタは普通の居酒屋メニューでいい。おいしい小鉢でユックリと酒を、あるいは会話を楽しみたい。一番の苦手は「うるさいお店」。
    1月1日。謹賀新年。皆さま明けましておめでとうございます。
    一年の計は元旦にあり。ということで、今年のターゲット大会をリストアップ。
    5月 横浜 スプリント 抽選申込
    6月 幕張 スプリント
    7月 昭和記念公園 スプリント
    8月 手賀沼 オリンピック
    9月 九十九里 オリンピック
    いずれも参加体験のある大会で様子も分かっている。
    このほか、近場のランニング大会も月一ぐらいには行きたい。ちなみに1月15日は皇居でのランニング大会に10キロで申し込んだ。2月は大井競馬場近くの大会でハーフの予定。
    こうしてみると分かるように、基本は近所で手軽に参加できる大会をリズミカルに月一ペースで。特別なことをするのではなくトライアスロンライフの形をつくるのが今年の方針。
    そして身体づくり。とりわけ下半身の柔軟性と筋力アップ。
    腰痛で「あけび鍼灸院」の海谷さんを訪ねてから、この年末からは週一で「身体づくり」に通っているのだが、その話は次回のブログでお伝えします。
    黄昏時に 夕日に向って 走り初め
    今日は夕方から10キロ超(12キロほどか)のラン。ともかくユックリユックリのLSDで1時間20分ほど。腰痛に引き続いての下痢のため1時間以上のLSDは実に久しぶり。腰の痛みや下痢の心配なく走ることの気持ちいいこと。私の場合、とにかくランが基本なのだ。10キロ超・1時間以上を気持ちよく走ることができるのが「身体の基本」なのだ。「身体の基本」を確かめることが心身の安定になるのだ。ようやく「身体の基本」に戻れて縁起の良い元旦となった。正直嬉しい。今年は週一で10キロ超・1時間以上を走ることが目標。
    もちろん明日も走るけど、今日の成果をベースに、明日は1キロ×5のビルドアップのつもり。1キロ単位でだんだんとスピードを上げていく。5本目はキロ5分を目指す。これは私なりのスピードトレーニング。
    こんなことが、私の日々の楽しみ。
    写真は今年の手帳。あえて黄色で気合を入れてみた。(笑)今日引き継ぎの記入を終えて気が引き締まる。

  • 「お酒のライフスタイル」から「トライアスロンのライフスタイル」を考えることになった。

    「お酒のライフスタイル」から「トライアスロンのライフスタイル」を考えることになった。

    11日日曜日に書き始めたブログです。ブログを書く時間は速くで30分。書き出したものの話しの筋道がみつからず数日に及び、結果破棄することもしばしば。これはなんとか最後まで書けたので掲載となりました。
    今日で禁酒二日目。というのはちょっと言い過ぎで、20歳以降65歳と10カ月に至るまで、入院期間以外は「基本毎日呑んできた」のだが、この歳になって「基本呑まない」生活にチェンジしようと思っており、その二日目ということなのだ。「基本呑まない」とは、家では基本呑まないこと。「絶対に呑まない」わけではない。外では呑むが、家では呑まないことを日常とする。でも気が向いたら家でも心をこめて嗜む。そんな生活へのチェンジなのだ。
    外で呑むときは大概誰かと一緒で、一人で行くことは月に一回もない。ただ、時折無性に一人で飲みたくなって居酒屋に行くのだが、あの衝動というのは何なのだろう。「今日は呑もう」という気分になるのは、あまり健全な精神状態でなく、緊張をほどく、心をなだめるといったこととなる。いまは独身なので、一人呑みのときには「酒は孤独な伴侶」といった心境に浸っていく。これはこれで悪いものではない。
    さて、タバコをやめたのがほぼ15年前の50歳ごろ。ある日キッパリというわけではなく、だんだんと減らして禁煙生活にたどりついた。いまは酒席でのもらいタバコはけっこうしているが、自分でタバコを買うことはない。
    酒についても、ビールの買い置きはしない~酒の買い置きはしないというように、だんだんとチェンジに向かってきた。毎日買うのも面倒になり、買わない、買いに行かないということになったわけだ。意志をもってパチンとやめるのではなく、やめていく暮らしの状態をつくってきた。
    お酒を呑まないと、翌朝が気持ちいい。特に起き上がってからの全身の目覚めの感覚は爽快で、約5分ほどの覚醒の時を楽しむこととなる。そんな朝を迎えることを日常としたいと思ってきた。でも長年の相棒であるお酒を簡単に扱うことはできず、ようやくここに至ったということだ。
    あとはこれをできるだけ続けていきたいとは思うのだが、さてどうかなあ。ポイントは夜の食事と食後の過ごし方。食事はフルーツをメインにすることで酒を遠ざけることを発見した。まずバナナを食べてからビール、という気分にはならない。問題なのは飲物なのだが、ミネラルウォーターがバナナによく合うことも発見。
    そして食後の過ごしかただ。酒がはいると寝るまで呑むことになるので、読書に向かおうと思う。夕食後に仕事がらみの資料に立ち向かう体力はなくなっている。横になって読めるものにしたい。気軽なエッセーもいいが、もう少し歯ごたえのあるものが欲しい。ということで、「小説」に向かおうか、と思っているのだが、さてどこからいくか。
    トライアスロンはライフスタイルと考えているのだが、私にとってのライフスタイルとは「毎日の過ごし方」であり、お酒は毎日のなかできわめて重要な部分を占めている。上の話しは私なりの「お酒のライフスタイル」なのだが、私なりの「トライアスロンのライフスタイル」も、どのような日常をつくっていくかにある。具体的には、日常生活のなかで、トレーニングと試合の時間をどのようにつくっていくかにあるのだが、今回の酒のことを考えると、それ以前のことがあるように思う。
    ポイントは気持ちよく毎日を過ごすことだ。何が楽しく気持ちいいのか。そんな視点からトレーニングの日々を考えてみる。そこで思うのは、やはり十分に眠ったあとの爽快な目覚め、そして歩く時の軽快な感覚、バイクでの疾走感、そしてプールで浮かんだ折に感じる全身の躍動などだ。自分の生命がはじけていると一人感じること。そんな瞬間を味わいたくて、味わい続けたくて、トライアスロンに向かう。それはトライアスロンならではの魅力と思う。
    トライアスロンの魅力を語るときに、よく言われるのは「達成感」だ。もちろんレースでの達成感はあるのだが、3種目によって「肉体の躍動」を感じる魅力も大きい。思い出すと一昨年の伊是名トライアスロンでは、そんな魅力を味わうことができたように思う。
    あれこれと 振り返ってみる 年の瀬や
    このところのブログは自己確認の独り言のようになっているなあ。
    でもこれも私のトライアスロンライフの重要な要素。
    今回は「独り言」なので写真はなし。

  • 九十九里大会は見送りに決定。いきなりの今シーズン終了で仕事との両立を考える。

    九十九里大会は見送りに決定。いきなりの今シーズン終了で仕事との両立を考える。

      とても迷っていたが、この週末25日の九十九里大会は見送ることとした。そのキッカケは8月28日の木更津大会で痛めた右膝。特に28当日は歩くのもままならず、「これはだめかなあ」との思いがよぎった。

    右膝はその後順調に回復しているのだが、一方右腰の痛みが起こってきた。普段は何ともないが、電車でも立っているとジーンとした痛みが発生してなんともつらくなる。腰もそうなのだが、木更津以降疲れがたまっているような感覚がある。いつも眠くてたまらない。
    そんな状態での17日土曜日のトレーニングでは、ランの1キロインターバルトレーニングでなんと5分7秒を出すことができた。以前よりキロ5分は視界に入っていたが、実現すると嬉しいもので、何かコツをつかんだような気がしている。
    さて、この練習を終えて、参加か否かの最終結論となるのだが、念願のキロ5分を達成しても、よし行ってみようという気持ちにはならなかった。むしろ九十九里は見送り、来年を目指して疲れをいやし、腰をケアして身体を作り直していこうという考えにいたった。キロ5分のタイムもその考えを後押しすることとなった。目の前のレースには積極的になれずに、来シーズンに心が向かっていった。そんな状態で大会に出ては危ないぞ、とも思う。加えて大会当日に仕事関係のセミナー参加の依頼が入り、見送り決着とした。
    今日のブログはそんな「今シーズン閉幕」の心境を綴ってみる。

    昨年は横浜のスプリント、セントレア(DNF)、沼津駅伝、手賀沼、九十九里、伊是名に参加した。目標は伊是名に設定し、九十九里は伊是名前の最終チェックの位置づけであった。
    今年は沼津駅伝と木更津でレースを終えることになる。
    基本的に昨年と今年とでは、私の暮しの様子がまったく違う。今年は仕事の大きな転機となり、65歳になっていくつかの新天地に立つことになった。
    そんなわけで、「今年はトライアスロンより、何よりも仕事」の思いがベースにあって、当初より伊是名は見送った。大きな目標をたてるのではなく、仕事の様子を優先しながら、その折々で適当にやっていこうというのが基本方針であった。
    そこで、この9月になると、月末にいくつかのイベントが控えており、心は自然とそちらの準備に向かっている。もちろん、このことも九十九里を見送る大きな理由となっている。
    さて、これから来シーズンに向けたオフとなるのだが、仕事との両立は引き続きの課題となる。これはトライアスロンに向かう多くのアスリートにとって大きな課題でもあるだろう。私なりに両立の考えをまとめてみよう。
    来シーズンはどんな心構えで向かうのか。私にとってのトライアスロンはライフスタイルである。要するに来年はどんなライフスタイルでいくのか。
    優先順位をつけて考えてみる。まずは仕事。今年はスタートアップ時期ならではの予測できない毎日であるが、この様子は来年も変わらないであろう。であれば日常生活は、時間管理がポイントとなる。予期せぬ毎日の中で効率的に時間を管理し、確実にトレーニングの時間を確保する。そしてできれば、トレーニングで蓄えた力を仕事への力とする。
    具体的には予期せぬ毎日であれ、1週間単位でできるだけ予定をたて、トレーニングもそこに織り込む。すなわち仕事との両立の要諦は1週間のスケジュール管理にあり。
    そして大会は。いまのところまずは横浜を目指して練習をしよう。そして、年末あたりに仕事を振り返って先を見る。
    雨と風 打たれて走る 台風の日
    今日は雨中での5キロラン。気持ちがよかった。
    このブログでは毎回、多少なりとも参考となる実用的な情報を入れたいと思うのだが、どうも勝手な独り言が多くなり、反省しきり。特に今回は独り言ばかりが長くなってしまった。
    実用的な情報としては、「1週間のスケジュール」をしっかりとたてること。今日は2時間ほど手帳に向かって今週の過ごし方を書き出して熟慮した。今日はブログをアップすることにした。次回のブログは? まだスケジュールに入れていない。これはいけない。早速検討しなくては。いやあ大変だ!!!
    写真は九十九里大会のエントリーシート。よく覚えていないが、エントリーしたトライアスロンの大会での見送りは初めてのような気がする。
    さあ、前に向かおう。

  • 二人のプロスポーツ選手の言葉に刺激を受けた私の言葉は「限界をつくらない挑戦」。

    二人のプロスポーツ選手の言葉に刺激を受けた私の言葉は「限界をつくらない挑戦」。

     昨日・今日、たまたまテレビを観ていて出会った2つの言葉が心に響いた。

    一つはトレイルランナーの鏑木毅の言葉。
    「自分のなかにリミット(限界)をつくってはいけない」
    番組は午後6時25分~NHK BS1「ラン×スマ~街の風になれ」。
    これは私にはなかった心構えだ。これが第一印象。
    練習の時から自分のなかで限界をつくらない。あるいは限界をつくらないトレーニングをする。そしてレースに臨む。限界をつくらないことで、より大きな可能性を広げ、そのことが大きな満足をもたらす。この満足は、限界をつくらない、あるいは限界を乗り越えたことによって初めて得られるものである。
    鏑木氏がこのように言ったわけではないが、テレビを観た私の理解を言葉にするとこういうことだ。
    さすがに世界で活躍するランナーだけあって、一市民トライアスリートとは心構えが違うなあ、というのは平板な見方であり、この心構えには、プロもアマチュアも問わず、スポーツを楽しむことの本質があるのではないか、と思うのだ。
    書いていて思い出した。
    以前に、トライアスリート仲間(女性)に「血反吐を吐きながら追い込むとそこに世界が広がる」といった話を聞いて驚いたことがある。その時は「なんだかマゾっぽいなあ」と軽く受け流してしまったが、この発言もとても深いものなのかもしれない。なお、彼女はとてもハイレベルで素敵である。

    二つ目はNHK BS1「ゆず・北川悠仁が見たオリンピック」。
    41歳の女子体操選手ということで注目された、ウズベキスタンのチュソビチナさんの言葉は「挑戦する私が好きなのでこれからも続けていく」というもの。
    この言葉は理屈なくストレートに心に響いた。
    ポイントは「挑戦している自分が好き」であり「それが自分らしい」と自覚していく生き方だ。
    私もこの年齢でトライアスロンに向かっているためか「挑戦する人」のように思われているところがあり、それは悪い気分ではないのだが、実は「挑戦している」、あるいは「挑戦しようとしている」自覚はほとんどないのだ。単に「やりたいことをやっている」のであって、挑戦という言葉は身近にはなかった。
    しかし、「挑戦している自分が好き」という言葉には、聞いた瞬間に理屈抜きで憧れた。
    軽薄であるが、「よし、オレもこの線でいってみよう」と強く自覚してしまった。人生は驚きの出会いに満ちている。(笑)
    さて「限界をつくらない」だ。
    これまでの私は「無理に限界に挑戦しない」ことを肝に銘じていた。
    楽しみでやっているので、苦しむためにやっているのではない。
    無理して限界に挑戦して心筋梗塞にでもなったらどうするの?
    限界を越えた挑戦なんて汗臭いのはオレには似合わない。

    そんな考えであったのだが、これは考えなおしたい。
    今日は曇り空で気温も下がって絶好のランニング日和。江戸川沿いを1時間走り、右ひざの傷み具合を確かめた。走り始めて10分で息があがって苦しくなるが「限界をつくらない」と言いきかせる。その後、走っているあいだ、「限界をつくらない」の言葉が頭のなかでリフレインする。「限界をつくらない」と呟いてスピードをあげてみる。なるほどなあ。無理に追い込むのはなく、やる前にできないとは思わない。もうできないと思わずに、できているなら続けていこう。もうちょっとアップしよう。そんな感覚かな。
    この二つの言葉を重ねると「限界をつくらない挑戦」となる。
    ここまでくると、これはトライアスロンには限らない言葉となる。
    そのまま仕事の心構えになる。
    死ぬまでの人生の処し方になる。
    この風は 秋に出会った ランニング

    どの本か、誰の言葉か。勝手に江藤淳かと思うのだが、学生時代に出会った「息をするように生きる」という言葉を強く記憶している。しかしその意味するところがわからなかった。いま、ようやくわかったとまでは言わないが、私にとって「限界をつくらない挑戦」という言葉は「息をするように生きる」ということに近いものを感じている。楽に生きるのではなく、自分にとって居心地よく、生命としての力をもって生きることなのだろう。
    写真はチュソビチナさん。目力が素敵だ。
    ネットからとったものだから著作権は問題かな?
    最後に、ひざの具合はだいぶいいようだ。明日の朝に改めて確かめよう。
    これなら99トライアスロンに行けそうかな。
    限界をつくらない挑戦をしてみよう。

  • 木更津トライアスロン報告。練習不足で課題発見のレースとなった。

    木更津トライアスロン報告。練習不足で課題発見のレースとなった。

    8月28日は木更津トライアスロン。今年初のオリンピックディスタンス。というより、今年はこれまで沼津駅伝に参加したのみで、沼津ではスイムが中止となった。ということで、昨年の伊是名以降、初の大会参加といってもいいだろう。
    今年は仕事と私事でかなりバタバタとし、心身ともに暮しの形がうまず作れず、練習不足を痛感していた。一つの目標であった伊是名を終えて、気持ちとしても中だるみの感が続いていた。そんななかでの木更津は、航空自衛隊の基地内でのレース。
    まずはリザルト。
    岩崎 博 65 男 千葉県
    トータル 4:06:50 1092位/1157中 65-69男子8位
    スイム  0:54:19 1099位
    バイク  1:52:56 1080位
    ラン   1:19:35 1069位
    振り返ってみよう。
    まずはスイム。これはコースを時計回りに2周するものだが、ブイが見ずらく、つい立ち泳ぎで確認したら、悪い休み癖がよみがえり、何回も立ち泳ぎで前方確認となってしまい、とうとうリズムがとれなかった。ちょっと力が入り過ぎたかなあ。ボディバランスがうまくつかめず、いろいろと試しては思うどおりにいかずに思わず立ち泳ぎとなり、このタイム。思い起こせば、伊是名はロープに沿って泳ぐため、ほぼ前方確認の必要はなかったなあ。前方確認の重要性を再確認。セントレア、伊是名と2キロのコースでスイムをクリアしてきたので、多少の自信はつけてはきたが、うまくいかないなあ。もう一度OWSのレッスンで様子を確かめて、次の大会に臨もう。
    バイクは風との闘い。レース前に私のバイクの師匠吉岡さんから、「滑走路というのは基本的に風が吹くところ。ここもちゃんと風を正面に受けるように設計されている」と聞いていたが、まさにそのとおり。追い風状態では時速40キロ近く出るものの、Uターンして風に向かうと、とたんに17キロまで落ちてしまう。コースはまったくフラットであったが、まさに修行のような気持で6周した。私はいちばん最後のスタート、しかもスイムでの出遅れもあり、なんとか少しでも順位アップとは思ったものの、たいしたことはできなかったなあ。しかし、苦手なダウンヒルポジションに少しは慣れたかな。これが収穫かなあ。
    ランはこれも滑走路のフラットなコースを風に吹かれて4周。フォームは悪くなく、呼吸も安定していたのだが、スピードが上がらない。前に追いつこうと思っても先に進めない。リザルトを見るとキロ8分のペースではないか。いかにバイクで足を使ったとしても、やはりキロ7分ペースでなくてはいけない。練習からすればキロ6分にも近づけるはずなのだが、これは意気阻喪。やはり練習不足であったかな。
    最後はいつもどおり、チームの皆さんの待つゴールでのフィニッシュとなった。いつもながら、皆さんお待たせいたしました。
    練習不足とはいえ、これがいまの実力。昨年の九十九里は3時間57分なので、スイムの失敗とバイクの風を考えれば、こんなところなのかもしれないが、3時間30分であれば、もう少しレースを楽しめるように思う。スイム、バイク、ランで各々10分づつの短縮は可能だろうと思っている。
    今回は図らずも課題を確認するレースとなった。
    レースを終えて、トランジットにバイクを取りに行こうとすると、右足の膝が痛む。なだめなだめてバイクを撤収、クルマで帰宅して外に出たら。痛みがひどくて歩くこともままならない。夜に出かける予定をキャンセルして、アイシングをしながらビール。いやあ疲れた。
    トライアスロン 滑走路を 駆け抜ける
    次回の予定は今年最後の九十九里。問題は足の痛み。レース後1週間で歩いての痛みはなくなったが、まだランもバイクもやっていない。もちろん様子を見ながらだが、スムーズに気持ちをもっていけるといいなあと思っている。
    改めて、トライアスロンへの意欲を高めていきたい。
    昨年の九十九里大会報告ブログを読み直す。進歩がないなあと苦笑。
    http://tryathlon.at.webry.info/201509/article_2.html
    今回は写真はなし。

  • 風邪のおかげで朝散歩の重要性を再認識。なんと散歩は野生の回復なのだ。

    風邪のおかげで朝散歩の重要性を再認識。なんと散歩は野生の回復なのだ。

      先週末に感じた風邪はなんとかやり過ごせたようだ。土曜日、日曜日は2キロのウォーキング、火曜日はストレッチ、そして今日の水曜日。雨が降り始めた江戸川沿いを軽く走りながら身体の反応を確かめた。

    最初はすぐに息が切れて歩いたり走ったり。だんだんと身体が温まり、自然と足が前に出るようになった。雨はありがたいことに小康状態で、ウエアはびっしょりになったが、雨が身体を冷やし、気持ちはよかった。もう少し走ろうかと思ったが3キロで終了。帰宅してシャワーを浴びてゆったりとストレッチ。うん、大丈夫そうだ、ということで一安心。これでだんだんとあげていき、28日の木更津に備えていこう。
    今回うまくいったことは、風邪の兆候に襲われたら、できるだけ初期の段階で対応すること。以下にまとめてみる。

    まず早く床につきよく眠る。なによりこれが第一。早く寝て目覚めの身体の具合を確かめる。合わせて酒はできるだけ避ける。飲み会の予定があれば風邪気味を理由にキャンセルしよう。考えてみえれば、これまで風邪気味を理由に飲み会をキャンセルしたことはなかったなあ。以降注意!!あとはできるだけ人混みには出ない。そして身体の様子に耳を傾けるようにして散歩(ウォーキング)する。
    ポイントはともかく身体の様子に耳を傾けること。タイミングとしては起床時、散歩時がいいようだ。起床時にどこまでスッキリしているか。だるさはないか。喉に違和感はないか。これがあるうちはともかく休むことを第一にする。
    散歩で確かめるのは運動へ意欲だ。意欲といっても気持ちの問題ではない、フィジカルな意欲だ。歩いているうちに自然と歩幅は大きくなるか、自然とスロージョグになっていくか、まだまだ先まで歩いて行きたいと思うか。散歩は貴重なバロメータであることを痛感。
    と、ここまで書くと、朝起きての散歩(ウォーキング)というのが、風邪対策ばかりではなく、基本的なフィジカルバロメータとして、実に重要なことが分かるなあ。つまりトレーニングとしてではなく、体調チェックのため、さらには気持ちのリフレッシュとして朝散歩を行う。トレーニングではないので、漫然と歩き出し、フィジカルな欲求に従い、何をどこまでやるのかを決めていく。繰り返すがトレーニングとは考えないことが何よりのポイント。起き抜け、そのままにサンダル履きででかけてもいい。時間は30分ぐらいか。
    朝、午前中をデスクワークにあてることが習慣になっている。起きてメールをチェックし、朝食からすぐにパソコンに向かいメールの対応やデスクワークに向かう。あなたは朝練習派、夜練習派、という質問があったが、私の場合、朝に練習してしまうと、そのあとの一日が引っ張れない。昼寝が必要になって、気が付くと一日寝ているようなことになりかねない。でもフィジカルには朝が好きなのだ。よって朝練習ではなく、朝散歩を生活習慣にしたい。新しい生活習慣を作ることは簡単ではないが、取り組んでみたい。
    蝉が鳴く 台風一過 朝散歩
    自分の身体に耳を傾け、無意識な、フィジカルの意欲に敏感になったこと。季節の変化や風、光、湿度、温度に敏感になったこと。それは自らの野生を回復している手ごたえだ。これはトライアスロンを始めたことで培ってきた大きな財産だ。まさに自然スポーツであることに、トライアスロンの第一の魅力があると思う。
    また、この自分の身体に耳を傾ける力は、これから超高齢化へと向かう私の人生において、実に大きな資産となっていることを改めて確認する。
    当ブログのタイトルでもある「58歳」からスポーツを始めることの意味を、改めて強く訴えたい。それは単なる健康管理を越えた、死への道のりを歩む人間としての野生復活の試みであるのだ。誕生と成長が野生の力であるとともに、死への歩みもまた、野生の力であると全身で感じていきたい。さあ、散歩にでかけよう。
    写真はマイ散歩&ランコースである江戸川沿い。台風一過の晴れ模様。いかにも暑そうだけど、暑いよ。蝉もよく鳴いている。

  • 前回は映画を題材にしたが、今回は文章編。

    前回は映画を題材にしたが、今回は文章編。

     スポーツを魅力的に描いたドキュメントがないなあ。

    実はそう思っていたことが、このブログを書く意欲の源泉になっている。なければ俺が書こうじゃあないか。というわけである。
    スポーツが人気を集める中で、いくつのもスポーツドキュメントが生まれてくるのは自然のなりゆきである。しかし、トップアスリートや大勝負の試合をレポートするドキュメントはあるのだが、普通の人間にとってのスポーツの感覚を描いたものが見当たらない。また、トップアスリートを描いたものも、多くはあまりに安っぽい文学的な思い入れが強く、「スポーツヒーローの講談」に陥り、読むに堪えないのだ。私の勝手趣味だが、沢木耕太郎も山際淳司も苦手。そんなに意気込むなよ、と思う。
    よって、普通の人間の体験的なドキュメント、スポーツヒーロー講談とは別世界の、静かに共感を得るようなドキュメントを書いてみようと思った。
    その思いが、的を得ていたか、あるいは意図がしっかり形となっているか、すこぶる心もとないのだが、このブログを通して知り合った方、励ましをいただいた方がいる。私としてはそうした声に力を得て、今日も書いている、というわけだが、最近、これぞ我が意を得たりという文章に出会った。
    それはこんな文章である。
    「運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれている。どんな権力を握っても、どんな放蕩を重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知ったとはいえないであろう。」
    「一等必要」の表現、「どんな放蕩を重ねても」の例えがいいなあ。ここが好き。楽しい、気持ちよいではなく「生きるよろこび」と締めるところがいいなあ。いま、こう書き写しても、実に共感しきり。ああ、こうしたことを書きたかったんだよ、の思いがしきり。ここには人生の楽しみを共に祝う感覚がある。しかもこの楽しみは気晴らしではなく、生きていくことの力につながっている。
    さて、この書き手は誰か。三島由紀夫なんだなあ、これが。
    三島由紀夫の「実感的スポーツ論」であり中公文庫の「荒野より」に収められている。ぜひ一読をお勧めする。
    かといって、私は小説家三島由紀夫のフアンではない。作品も「仮面の告白」「金閣寺」程度ぐらいしか読んでいない。実は学生時代にもっとも熱中したのが大江健三郎なのだが、大江も「万延元年のフットボール」以降は、しっかりした気持ちで読んでいない。
    それはそれとして、この本を読むと、表現の豊かさに心奪われる。それは魅惑される感覚ではなく、「そうそう、そのとおり」と共感を促し、心のふたを次々と空けていくのだ。小説家というのはさすがだなあ、と通りいっぺんの感想となる。
    夏来たり この日差しなのかと 心騒ぐ
    私も三島に習い、スポーツの楽しみを平易な言葉として伝えていきたいと思う。この論の三島はとても素直で、実に好ましい。
    今回も、こんなことを思って書いています、というテーマでした。写真は文庫のカバー。三島も今の私よりはるかに若く自決したんだなあ。いい顔しているよ。