カテゴリー: 生涯スポーツ

  • ちょっと中休みの話題です。こんなことを考えながら書いています。

    ちょっと中休みの話題です。こんなことを考えながら書いています。

    このブログはトライアスロンをテーマとしており、いたって能力のないおっさんのトライアスロン挑戦をとおして、同年輩のトライアスリートに、多少なりとも実用として役に立つ内容の提供を旨としている。能力の高いスペシャリストの指導者の言が役にたつのはもちろんであり、多くの教則本はそのようにして出来上がっているのだが、能力のない同輩の悪戦苦闘の報告も、それはそれとして、あるいはそれだからこそ、役にたつこともあるのではないかと願っている。
    ブログの内容としては、練習なりレースなり、我が体験の分析、思考となる。この分析、思考によって、続けていく力であったり、工夫の持ち方などを見つけていきたいと思っている。これは考えることによって、行動が促進されるという考え方に立っている。
    いきなりだが、ジャンリュックゴダールという映画監督がいた。過去形で言ってはいけないかな。ヌーベルバークの旗手として日本でも多くのフアンを得たが、私は趣味にあわなかった。基本的なところが違うのだと思う。ゴダールというのは映画作家として大した作家ではなく、彼が思わずやったことが時代に合った、あるいは時代がもてはやした。彼もそれを評価と錯覚した。歴史のなかではそうしたことは往々にあると思う、というのが私の見解だ。
    それはそれとして、ゴダールの映画でも忘れられないシーンがある。映画は「女と男のいる舗道」。これは映画そのものの面白さではない。映画で語られる物語のおもしろさだ。映画のなかで主演のアンナカリーナに哲学者が語りかける。ネットで調べたらその時の台詞がでてくる。驚きだなあ。引用しよう。Nはアンナカリーナ演じる主人公のナナ。Pは哲学者。
    N: なぜ読書するの?
    P: 仕事さ。
    N: 変ね。何言ってんのかしら。突然こうなるの。何か言おうと言う前によく考えているうちに、いざとなるともう何も言えなくなるの。
    P: そんなものさ。「三銃士」は読んだかね?
    N: 映画は見たけど、なぜ?
    P: つまり…ポルトスという人物が…、これは「二十年後」の話なのだが、太った大男が出てくるだろ。彼は一度も考えたことがない。ある時、地下に爆薬を仕掛けることになった。そして導火線に火をつけ、逃げた。その時、突然、考えた。何を考えたか? なぜ右足と左足が交互に前に出るのかと。そう考えた途端に、急に足が動かなくなった。爆発が起こり、地下が崩れた。彼は強い肩で必死に支えたが、1日か2日後には押しつぶされて死んでしまう。考えたために死ぬんだ。
    N: 私になぜ、そんな話を?
    P: ただ話をするためだよ。
    N: でも、なぜ話をするの? 何も言わずに生きるべきよ。話しても無意味だわ。
    P: 本当にそうかね?
    N: 分からない。
    P: 人は話さないで生きられるだろうか。
    N: そうできたらいいのに。

    ポイントは「考えると足が動かない」「思考は行動を阻害する」ということ。あるいは「何も言わずに生きるべき」「そうできたらいいのに」ということ。
    でも人は言葉なくして生きていくことはできない。
    言葉とすることにより、走れなくなっても、言葉としなくては歩けない。この考えが私にはしっくりする。よって、このブログでは、言葉を紡ぐことで、歩く力を得ている。
    長梅雨で 走る時間が 定まらぬ
    今日の話しは、私はこんな思いでこのブログを書いているということ。書いている思いを、改めて伝えてみたくなった。
    画像は「男と女のいる舗道」のポスター。原罪はvivre sa vie(自分の人生を生きる)。なんでこんな邦題をつけたのだろう。

  • この3連休の過ごし方。軽い熱中症になったかな?

    この3連休の過ごし方。軽い熱中症になったかな?

    7月16日土曜日
    左膝を痛めてしまった。より正確にいえば、左膝の痛みがひどくなった。いつから始まったのか、忘れてしまったのだが、屈伸をすると左膝に痛みを感じていた。しかし、この痛みは屈伸しなければ感じず、スイム、バイク、ランにも、まったく影響を及ぼさなかった。気になるし不愉快ではあったが、特に積極的に治療もせず、放置しておくままであった。振り返るととそうした自分の気分が不思議だ。放置したままでおけば、自然と治っていくと思っていたのだろうか。そんなことはない。しかし治療に励んだわけでもない。何もしていない。そうだ。エアロビクスの折に痛みを感じたのだが、だからといって何かをしたわけではない。
    それが、この数日前から屈伸の際の痛みが増し、さて、どうしたもんかと思い始めている。屈伸すると痛みは鋭さを増し、今日のバイクトレーニングでは、痛みとまではいかずとも、違和感を覚えることになった。8月7日は今年の初レース、沼津千本浜トライアスロンだ。どうしたものかと思いながら、サロンパスをプシュー。これで何とかなれば世話はないよなあ。
    こんな状態でATAのトレーニングでスイム+バイク・ランのデュアスロン。まあ、無事終了だけど、結構疲れたな。家に帰ってからは、洗濯掃除を黙々と行って食事。昼寝もしたけど回復せず、8時過ぎには床に着いた。
    7月17日日曜日
    今朝目覚めたのは7時。ほぼ11時間、トイレにも行かずひたすら眠りつづけた。そして今日は。日曜日はエアロビクスに行く予定であったが、結局は何もせず。
    朝食の後に横になって眠る。昼食の後も、横になって眠る。1年に何回か、ただ眠るだけの日を過ごすように自覚している。横になって本も読むが、難しいものは避ける。脳の活動もできるだけ抑える。ともかく休む。この一日を過ごした翌日は、実に活力がみなぎる。これもアクティブレスト。でも疲れている。スポーツドリンクが全身に染みていく感覚がわかる。
    7月18日月曜日
    目覚めたのは7時。スカッとした目覚めを期待していたのだが、いまいちで、全身に気怠さが残っている。そこで身体にたずねてみる。何がしたい? プールか? ランか? どうも返事がはかばかしくない。そこでまず部屋の掃除で体を動かしてみる。スイッチははいるか? どうも元気が出ない。結局午前中はだらだらと家の片づけをしながら、「ひょっとしたら軽い熱中症なのではないか」の疑問が沸き上がる。ポイントは下痢である。ちょうどこんな記事を読んでいた。下痢は熱中症の症状であるという。
    https://medley.life/news/item/5786ffd80b7ea01b008b7439
    大変な下痢ではないが、頻繁にトイレに行き、しかも下痢はほとんど水状態。
    プールもランもあきらめて、昼食後に45分のストレッチ。これはまあ気持ちよかったので一安心。
    16時からの有楽町での打ち合わせに出かけて、帰宅は21時。
    今日は梅雨明けとのこと。確かに陽射しは明らかに昨日とは違って、街を真夏の光景に染め上げる。湿度の違いか、土曜日よりも過ごしやすい。やはり軽い熱中症であったのか、いずれにしても昨日は休養にあてたのは正解であったかと勝手に納得。

    夏来たり さあどうしよう トライアスロン

    この3連休は充実したトレーニングで8月の大会に向けた基盤を作る予定であったが、こんな具合で、まだどうにも力がでない。でも何より大切なのは、自分の身体の様子に耳を傾け、対話をすること。これは生活管理であるとともに、トレーニングの管理でもあり、敏感に耳を傾ける力がついていることを喜ぼう。このライフスタイルはこれまでのトライアスロンで培った資産だと思っている。

    写真は梅雨明けの有楽町。真夏の日差し。体調は不十分だが、気分はけっこう上々だ。

  • 今年の大会意気込み表明!!!がんばりまっす。

    今年の大会意気込み表明!!!がんばりまっす。

    今年の参加大会はほぼ決定した。スタートは沼津駅伝。昨年、一昨年と参加したがいずれもスイムが中止になった。なお、私は一番遅いので第三走者が定位置であり、第一走者はスイムをしたこともあったかと思う。なぜ第三走者が定位置かと言えば、一番遅いからで、私が第一走者になれば、早々に順位の競争はなくなってレースにならなくなる。
    次に木更津に行こうと思っているのだが、まだエントリーがスタートしていないようだ。この時期は昨年は手賀沼に参加。あるいは大好きな昭和記念公園との選択もあるのだが、今年は初参加の木更津と思いを定めている。理由は「フラットなコース」に尽きる。特にバイクでフラットなコースに挑戦したいと思っている。実は昨年も候補にあげてはいたのだが、フラットなゆえに、TTバイクにビュンビュンで蹴散らされるのではないかとの恐怖感があって手賀沼にしたのだが、今年は節操なく、同じ理由で参加することにした。
    最後は九十九里トライアスロン。これは毎年参加して今年で3年目となる。九十九里については、アスロニア主催で近場の大会ということもあって、ATA南行徳の打ち上げ大会という位置づけになっており、今年は岩田コーチも藍コーチもいないなかで、参加する気持ちの整理もなかなかつかなかったが、まあ、学校行事と思いを定めての参加とあいなった。しかし九十九里はアスロニアの大会ということで、多くのATA生が積極的に参加してきたのだが、今年はその熱意がなくなって参加者も少なくなっている。アスロニアを応援しようという熱意が冷めていること危惧するなあ。
    今年はこれまで。セントレアも伊是名もパス。でも来年はセントレアも伊是名も挑戦したいとは思っているものの、さてどうなるか。その時の都合でわからない。
    1年先のことなんて、その時のつごうでわからない、というのは、私には望ましいことに思える。1年先の状況もかなりな確率で見込める人生もあろうかと思うが、いいか悪いか、私は4カ月先の収入もわからない生活を30年続け、子供3人を大学に通わせて、いまにいたっている。こうしらジェットコースターのような毎日に疲れもあるが、これが私の人生なのだ。
    1年先、3年先、10年先の目標を設定して立ち向かえと言う人がいる。私もそのようにして生きていくことができれば、もう少しましな人生になっていたかと思わぬでもない。でも、私は「人生成り行き」でその折その折を楽しみ、風に吹かれて生きたいとおもってきた。でも、そのようにして漂泊の人生を歩むには、長生きし過ぎているのではの思いが離れない。
    さぼったな 汗ばむ梅雨の ビールかな
    どうも練習をサボって酒に向かってしまう。梅雨時はそういう季節なのか。
    今日は写真はなしです。

  • 昨日はATAの岩田聡ヘッドコーチと平野藍コーチの「感謝&激励会」。

    昨日はATAの岩田聡ヘッドコーチと平野藍コーチの「感謝&激励会」。

    場所はいつもの八重洲BOSSOで30名以上が集まった。
    初めにちょっと解説をしておこう。
    ATA(アスロニアトライアスロンアカデミー)はアスロニア(http://athlonia.com/)が経営するトライアスロンスクール。岩田ヘッドコーチと藍コーチは当初の立ち上げからの中核メンバーであるが、この5月・6月で相次いで退社されることになった。昨日はATA南行徳校としての「感謝&激励会」であった。
    岩田コーチは奥様のご実家がある奄美大島で農業を始めながら、地域でトライアスロンを広げる活動を求めていく。藍コーチは最近結婚されたばかりだが、このタイミングでスイッチを切り替えることにしたようだ。
    現在ATAは全国で10校を数えるが、私が所属する南行徳校はルーツ校。ほぼ1年前まで藍コーチがずっと担当で、この5月までは岩田ヘッドコーチが担当されていた。このお二方は私にとって、スタートから今日まで見ていただいてきた、まさに「我がコーチ」であり、私のトライアスロンライフそのものなのだ。
    このお二人がいなくなることで、またお二人がそれぞれ新たな道に進むことで、まだハッキリとはわからないが、私のトライアスロンライフも少なからず変わっていくように感じている。
    これまでは、コーチから大会を勧められてモチベーションをつくり、大会会場でコーチの顔を見ることで大きな安心感を抱き、レースを間近で見ていただくことで、明日の練習への糧を得ていた。沼津駅伝、タテトラ、九十九里、伊是名といった大会はすべてそうした物語の中にあるのだ。
    この物語を失うことの喪失感は大きいだろうな。まだ申し込んではいないが、参加するとしても、今年の九十九里は昨年とはまったく違うものとなるように思える。
    一方、このお二方とはこれからも末永くお付き合いさせていただきたいので、新たな世界が広がることを期待している。岩田コーチ手作りの奄美大島合宿やプライベート感覚のミニレースなど、想いは勝手に広がっていく。新しい物語に、そのスタートから参加できることは、大きな歓びだ。藍コーチは「今後はまだ未定」と昨日は話されていたが、藍コーチがこれからどのような世界に踏み出していくのか、これも大いに楽しみで、シッカリついていきたいと思っている。
    新緑の 木漏れ日は 明日へのときめき
    と、ここまで書いてきて、改めて二人の存在感の大きさに気がつく。二人に出会えたことの幸運に感謝する。こうした形の人付き合いというのは今までなかったように思う。さらに、昨夜の会に集まった仲間たちの人間関係も、このほかにはないものだ。こうした人間関係も、トライアスロンの魅力なのだ。多分、ゴルフならゴルフならではの味わいや文化をもった人間関係があるのだろう。野球の応援仲間とサッカーの応援仲間も、違う文化があるのだろう。トライアスロンを始めてよかったと、改めて思う。
    写真は我が二人のコーチ。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

  • 今年の参加大会・予定を決定。スタートは沼津駅伝となりそう。

    今年の参加大会・予定を決定。スタートは沼津駅伝となりそう。

    今日は日曜日。ようやく決算報告の業務を終え、午前中に伝票や各種書類を税理士さんに宅配送付。部屋を片付け夕方に1時間30分のLSDに出かけた。1時間以上のLSDは本当に久しぶりで、以前走ったのがいつであったか忘れてしまったほどだ。
    走り出したのが5時40分。まだ空は青く、柔らかな光が風景を包んでいた。走っているうちにだんだんと全体がグレーに包まれてく。空気は多少冷ややかで心地よく、黄昏の風景の変化を楽しんだ。この季節が一年でいちばん好きだが、なかでもこの季節の黄昏時に走るのが好きだ。これもトライアスロンを始めることで知った楽しみだ。トライアスロンは自然を楽しむスポーツといわれるが、何も楽しむのは美しい自然の地ばかりではない。江戸川沿いであっても、自然の美しさを堪能することはできるのだ。
    ランを終えたところで、今年のレース予定を考える。これまで今年の予定をまともに考える気分になれなかったが、決算も終え、久々のランでスイッチを入れたところで、前向きになれる自分を取り戻したようだ。練習を終えると気持ちが積極的になる。自然と、明日はどうしよう、来週はどうしようといった気分になり、カレンダーに向かって今週の仕事と練習予定に頭をめぐらせるようになる。
    ところで、皆さんは走っているときに何を考えているのだろう。今日、私は走りながら走ることを考えていた。だいぶ長期間、1カ月以上まともな練習をしていない。体重も増えてしまった。さて練習を再開しよう。例えばそんなときに何から手をつけるのか。スイムか、ストレッチングか。いやいや、やっぱりランだよ。そんなことを噛みしめながら走っていた。今シーズンは「身体づくり」を掲げながらも練習のペースを作ることができていなかった。大会のターゲットも決められなかった。「空回り」という言い方があるが、まさにそんな感じがぴったりなんだ。
    今日は横浜トライアスロン大会で、昨年はスプリントに出場したが、今年はパス。まだどの大会からスタートするのかも決めていなかったが、8月7日の沼津駅伝をスタートに、8月28日の木更津、9月24日の九十九里で行こうかと思っている。伊是名も気になるが、今年は準備を整えられるかどうか、自信がないので、ここまでかな。
    9月10日の昭和記念公園、8月21日の手賀沼も好きな大会で行きたいところだが、スケジュールを考えるとこんなところかなあ。
    以上まで書いていったん休止。そして今日は火曜日。昨日は練習できなかったが、今日は1時間のスイム。久しぶりのスイムでともかく水に慣れることに専念した。しかしスイムは一向に速くなれないなあ。
    五月晴れ 黄昏の光へ 走り出す
    さあ、今年のトライアスロンシーズンをスタートしよう。
    ユックリと走り出そう。
    今回は写真はなし。

  • これからのトラライフについて-その2 仮に寿命を定める。そんな年齢になったということ。

    これからのトラライフについて-その2 仮に寿命を定める。そんな年齢になったということ。

    今後のトラライフを考えると、自分の寿命、その日までの大まかな生き方を否応なく考えることになる。そんな年齢になったのだ。
    最近は自分と同年齢の60代の方の訃報が目につくようになっている。一方で80歳を過ぎても現役のケースがテレビで多く取り上げられている。60歳を過ぎると個々の違いは実に大きい。身体の状態、家族の状態、経済状態など、それぞれに個人差は大きい。だから「人は人、我は我」との心構えが大切になっていく。さて、私はどうだろう。
    「平均寿命」をネットで調べてみると、いろいろと難しい解説や数式があり、「平均余命」という言葉もあって、ちょっとうんざりとしたものの、自分の年齢と性別を打ち込むと平均余命がわかるサイトがあり、試してみると平均余命:18.11であった。平均余命への「正しい理解」を調べるつもりもなく、漠然と「余命20年」とイメージしてみる。20年で85歳。勝手に直前まで働くつもりでいる。いつまで元気で働けられるかなどわからないし、明日倒れるかもしれないし、準備のしようもない。よって仮に20年現役と決めつける。
    生まれてから成人までの20年。10歳から30歳までの20年を振り返ると、人生における変化は実に大きい。私の45から65までのこの20年を振り返っても、妻の死、3人の子供の結婚、孫の誕生、友人との会社の設立と失敗、トライアスロンのスタートなど、まさに波乱万丈ではないか。
    老後は変化少なく穏やかにと考える人も多いかと思うが、「人は人、我は我」。私にはそんな余裕もない。私はこの20年を「大きな変化の月日」ととらえている。あるいは「20年もあれば大きな変化は可能である」「20年は挑戦に値する長さである」と考えている。
    振り返って。この20年の大きな変化は「私の家族の解体」であったが、今後の20年については、社会的な変化が大きいと考えている。情報化の社会基盤が整備され、新たな技術や製品が登場して暮しを変えていくだろう。そんな現代史に参加しようと思っている。なにも大きなことを考えているのではない。自分のできることを自分の範囲でやってみたいと思っている。

    さて、トライアスロンであるが、そんな具合であるので、まず基本認識として、暮しを支えるものであるが、暮らしの中心に据えるものではない。余裕もないなかで、激動の現代史に参加するにはなにかと忙しいのだ。
    であれば、やはりその時々の無理のないペースで続けていくことになる。頑張ってアイアンマンを目指すといった目標設定はあり得ない。であれば、さて今年はどうなるのか。昨年は伊是名を大きな目標に、レベルアップを図ったが、そこで痛感したのは身体づくりの大切さ。ということで、今年はできる範囲の身体づくりが課題。可動性の向上、躍動感の回復、筋力の向上など。昨日はジムではじめてエアロビクスに参加した。(笑)
    いまひとつは、トライアスロンにまつわる楽しみを広げてみたいと思っている。私が一番好きで追いかけているスポーツはラグビーだが、それと同じように、海外の一流レースなどもチェックしてみたい。日本代表の選手の名前ぐらいは覚えてみたい。
    走る汗 青葉木漏れ日 樹々のざわめき
    いい季節になってきた。この季節を楽しむようにトライアスロンを楽しむことがなによりか。一昨日は息子の結婚式。ニューヨークの長女夫妻も帰国して初めて連れ合いと対面。久しぶりに次女の家族に会い、孫二人の健やかな成長に安堵した。家族全員が一堂に会したわけで、こうしたことはもうないかもしれない。
    写真は長女夫婦、次女家族、姉との家族写真。これをFBにアップしたら「幸せな家族」というお言葉を多くいただいた。大変に有難く受け止めているけれど、初めてのことであり、「もうこうしたことはないであろう」「これで家族も一段落」という、しみじみとした思いが現実の心境である。

  • これからのトラライフについて―その1 今回は簡単な自己紹介です。

    これからのトラライフについて―その1 今回は簡単な自己紹介です。

     今週を振り返ってみると、12日火曜日、13日水曜日、14日木曜日、15日金曜日と外呑みが続いた。

    いずれも楽しい呑み会だったが、いささか疲れて今日の8:30からのトレーニングは休みとした。
    今朝は5時半に目が覚めてトイレに行ったが、どうも疲れが残っていて布団に戻り7:30。さて、どうしようか。食事をとりながら身体の様子を確かめたが「さあ行こう」の気分にはならなかった。tipnessのスケジュールを確認すると14:30よりベーシックエアロのプログラムがある。とりあえずこれを目標に、午前中は掃除・洗濯・片付けとしよう。ということでようやく本日の行動が見えてきたところでブログに向かう。
    明日は宮古島大会で、私の所属するATA南行徳校からは、男子4名女子1名の参加。アイアンマンはトライアスリートの夢ではあるが、いまの私では手が届かない。
    これは私の個人的な感触だが、周囲を見回してみて、アイアンマンに行けるレベルというと、スイムは100メートル2分、バイクは平地で時速30キロをキープ、ランはマラソンで4時間半ぐらいかなあ。これを全力70%程度の負荷で維持する。ちなみに私の現在の力は調子のいいところでスイムは2分20秒、バイクは27キロ、マラソンは5時間。この差を埋めることができるのかできないのか、かなり悲観的なのだが、もし埋められるとしても、目標に向けた相当な集中トレーニングを必要とするだろう。トレーニングを暮らしの中心に据えて取り組まねばならない。時間もお金もかかるのだ。今の私にはできないなあ。

    ここまで書いたところで電話が入り、16時に有楽町で打ち合わせとなった。本日の活動は変更。多分今日も呑みになるかなあ。今日はウォーキングとストレッチぐらいにしてジムは明日からにしようか。このように、いつもトレーニングのことを考えている。言い換えれば、トライアスロンはしっかりと私の暮らしに根づいたということだ。では暮らしのなかにどのように位置づけるのか。我がトライアスロンライフはどのようなものなのか。
    当ブログはトライアスロンをテーマとしているので、私の仕事や暮らしに触れることは必要最小限にとどめてきた。しかし「我がトライアスロンライフ」を語るためには、一定の自己紹介も必要となる。
    横浜生まれの65歳・高齢者、10年前に妻を胃がんで亡くす。子どもは長女・次女(孫2人)・長男でいずれも独立して市川市の南行徳に一人住まい。あと家族は姉一人で、私の両親・妻の両親とも亡くなっている。この状況を「天涯孤独」と言った人がいるが、それほどの孤立感はない。ただし一人になったのがトライアスロンを始めた基本的な動機である。
    仕事については、有限会社をもっているが従業員はいない。個人としての活動で、編集・イベントの企画制作・地域おこしの企画などをおこなっている。またイベント情報サイト「イベントナビ」(http://www.event-navi.ne.jp/)を運営している。
    以上は基本的なプロフィールだが、実は今年は暮らしの大きな転機なのだ。
    これまで数年にわたって準備を進めてきた「一般社団法人国際医療健康交流機構」が設立の運びとなり、理事・事務局長としての努めが始まる。これまでの仕事も続けていくが、これを暮らしの柱とする。
    昨年度から始まったイベント学会での「スタジアムイベント研究会」の活動も今年度は本格化する。2017年には神宮外苑で「TOKYO SPORTS WEEK」をスタートさせ、毎年のイベントとして2020年に向かっていきたいと計画している。
    加えて今年からは「電子出版」をスタートさせたいと考えている。もともとは編集者であるので、いつか始めたいと思っていたが、状況として始める間口も広がってきたようだ。スタートは私の勉強とテストを兼ねてこのブログとなる。皆さん、その折はよろしくお願いします。イベントナビもなんとかリニューアルに取り組みたい。
    こう書くといたって羽振りがよさそうだが、累積赤字の返済もあって、なかなか苦闘の毎日である。
    4月30日は息子の結婚式で、ニューヨークに暮らしている長女夫婦もやってくる。長女の亭主とは初対面となる。伴侶も含めた大家族が揃うことになる。長女夫婦はアメリカの永住権を取っている。次に大家族が揃うのはいつになるか。この前息子と「最初で最後になるかも」という話をした。5月には姉が我が家に引っ越し、高齢者シェアライフをスタートさせる。
    といった具合なのだ。このうえで、さてトライアスロンとどう取り組むか。
    今回は自己紹介で、今後のトラライフは次回に持ち越しとする。
    日がのびて 夕暮れ時の ランニング
    熊本はグランメッセ熊本の運営計画にかかわり通った思い出と愛着がある。緑多い街で、阿蘇は世界に誇る大自然だ。FBで「復興ステーション」という活動を行っているものの、なかなか力になれない自分に落ち着かない。
    写真は電通47階からの一昨日の眺め。ここから豊洲までケーブルカーを設置する計画があったが舛添知事が賛成せず頓挫したという説明を受けた。無駄、非効率などの反対論、計画自体をバカにする良識論が多いだろうなあ。ネットで検索したら非難の嵐が続々。でも、私はこうした計画は大賛成。その光景を見てみたいし乗ってみたい。ワクワクしてくる。凱旋門やエッフェル塔に実用性を問うかよ、面白くないなあ、と一人つぶやく。

  • バイクの落車事故もあって、なんともしまらないシーズンオフでした。

    バイクの落車事故もあって、なんともしまらないシーズンオフでした。

     1か月以上のご無沙汰になりました。このシーズンオフはどうにもしまらない状態で、ブログのアップもままならず。酒とため息ばかりで、おいお前いくつなんだと自分でもあきれる状態。そんななかでこんなことが。

    3月13日にバイクで落車をしてしまった。落車は本当に久しぶり。場所は江戸川沿い。ATA南行徳の仲間とライドに出かけた帰りがけ。前を走る仲間の後輪に前輪をぶつけてしまい。ポーンと跳ね飛ばされてガッツン。20キロは越えるスピードは出ていたので、倒れたというより、叩き付けられた感覚がある。腰、肩、肘、頭と順番にぶつけていったことを覚えている。最後に頭をぶつけて「やっぱりヘルメットは大切だ」などと実感をしていた。倒れた直後は息ができず、まさに大の字の状態。道の真ん中なので、ともかく路肩にいかなくてはならないのだが、身体がまったく動かない。ハアハアハアと息をつく。骨折は? 多分大丈夫そうだ。骨を折ると寒気がするということを耳にしたことがあるが、寒気に襲われる感覚はない。痛いけれど、身体は動く。身体と気持ちを落ち着かせて自走で帰宅できたのは幸いであった。
    家に帰ってシャワーを浴び、落ち着いてくると、痛みはおもに肩と腰。打撲だなあ。いい年をして何をやってんだかという自嘲と、この年齢にしてはエキサイティングな体験ではないかといった自惚れがないまじった感覚のなか、痛む身体を抱えてソファーで昼寝。うん、目が覚めても痛みは増していないのでひと安心。洗濯、掃除と家事をこなして、早めに横になり、まあ翌朝の感覚次第と思っていたが、無事に目を覚まし、あとは日一日と快方には向かっているのだが、こうして2週間たつと、どうも回復に手間取っているのが気にかかる。
    この間、病院には行ってなく、バンドエイドと市販の湿布薬で済ませてきたが、週明けには近くのクリニックに行ってみるか。
    しかし、今年のシーズンオフは、本当にしまらなかったなあ。1月2月は風邪、長引いたなあ。そしてそのまま花粉のシーズンに突入し、それでも何とかトレーニングに向かおうと思っていたら落車事故。結局この3か月は何にもしていないようなもの。どうもリズムもつかめず、まだレースの申し込みも行っていない。
    横浜はパス、セントレアもパス。申し込んでいたランニングの大会も2月、3月と見送り。さて、どうしようかなあ、と思いながらこのブログを書いている。
    改めて振り返れば、昨年の伊是名以降のテーマは身体づくり。特に減量と下半身の柔軟性を考えていたのだが、できていないなあ。そうだなあ。やはり、改めて、身体づくりに向かおう。
    花冷えに 気持がなえて また休み
    本当にこのところは、寒さにめげて、やめとくわ、の連続。まあ、こんな時期もあるさ。明日から、走りに出よう。まずは走ること。これが基本。
    写真は落車の直後。ウインドブレーカーが破れている。それとだいぶ腹がでているなあ。減量しなくては。
    そこで、今日日曜日は朝に3キロラン、夕方には1.5キロスイムで、気持ちも回復してきた。スイムは肩が痛んでつらいけど、リハビリのつもりで挑戦。ともかく動いてみることなんだね。しかし、走っているさなか、ふとした拍子にまったく走る気が失せ、呆然と歩くといったことはないか。このシーズンオフはその連続だったなあ。

  • こうしてみよう、ああしてみようと工夫する楽しみに目覚め始めている。

    こうしてみよう、ああしてみようと工夫する楽しみに目覚め始めている。

    ようやく体調回復で、昨日の土曜日より本格的トレーニングに復帰。お気遣いいただいた皆様、ありがとうございます。元気になりました。
    昨日のトレーニングがなかなかきつかった。スイムは100メートルハードで、引き続きほぼ休みなく50メートルをイージー。この150メートルを5分サークルで6本回す。100メートルハードはめっぽうきついが、回数を重ねていくと否応なくラクなところを探し出していくことになる。これがフォーミングの意識につながる。
    次いでランのトレーニングでは2キロを決まったペースで走り、200メートルをジョグしてそのまままた2キロに挑む。2キロプラス200メートル×3セット。2200メートル×3というわけだ。私の申告タイムはキロ6分のペースであったが、ペース通りに走れたのは第一ラウンドのみ。2ラウンドではキロ6分10秒、3ラウンドでは15秒まで落ちてしまった。いやあきつかった。自分としてはフォームはだいぶいいのだが、疲れると足がふらついてしまう。まあ、病み上がりなので仕方ないとあきらめる。むしろ走っていなかったわりにはいけたかという気分である。そこで、根拠はないのだが「鍛えようはある」と実感している。多分であるが、やっていけばキロ5分ぐらいまではいけるような気がしている。なんとキロ1分以上の短縮。ランについては、これを目標にして工夫してみたい。
    こう書いてみると、復帰するや否や、けっこういい気になっていることに笑ってしまう。でもスイムもランも、やってみようという意識は満々である。
    体調不良の時期のストレスを発散して、いささかハイな気分になってるのかもしれない。それは別に悪いこととは思わないが。そして、これは原因が特定できないのだが、工夫することに面白さを見出すようになっている。
    例えばスイム。今日は750メートルのアップをしたのだが、この長距離を泳ぎつつフォームの細部をいといろと試してみる。泳ぎつつ、あんな感じこんな感じと試行錯誤する。その楽しさに目覚めている。
    次いで例えばラン。いま意識しているのは「骨を使う」こと。つまり姿勢だね。骨を操作して姿勢をつくることで筋肉の負担を減らし、ラクな動作を求める。これは階段を上る折に、腰と膝の骨の使い方で筋肉の負担が大きく違うことが実感できる。
    つまるところ「工夫する楽しみ」に目覚めている。こうしてみよう、ああしてみようというわけだが、何も無暗にやってみるわけではなく、ポイントとして思うのは、やっぱりフォームだなあ。
    私の実感は、第一にぶれない軸、そして軸を中心としたスムーズな回転運動、リズム、そして目線。目線の位置は結構大切で、スイムの場合見るべき対象は明確ではないのだが、ともかくハッキリと前をみることで前に進む意識が生まれる。ランはちょっと遠くを眺める感覚がリラックスして効果的。これはわかってきた。バイクはどうかなあ。多分、力を抜きつつ緊張感をキープする目線というものがあるのだと思う。
    といった具合に、工夫する楽しみに目覚めている。老化は進んでいても、それなりの工夫に年齢の限界はない。いやいや工夫はそれが老化への対応であったとしても、上達への道筋と思えて楽しめる。

    ああでもない こうでもないの 冬のラン
    今日はたまたまNHKテレビでレスリングの伊調香選手を観た。私が惹かれている選手の一人なのだが、これまで試合以外の姿の見ることはなかった。よって選手としての魅力はわかっていても、人間としてはまるでわからなかった。あまりの強さが全面に出て、一人の女性を考えることはなかった。それがインタビューに答える姿、内容ともども実に知的で素敵。顔だちもナチュラルで女性としての魅力にあふれている。いやあ驚いた。素敵な女性に出会えると思わず興奮してしまう。
    彼女は自らの努力=工夫を自分の言葉で語った。実に刺激的であり、私は工夫する楽しみを、改めて確認した。新しいトライアスロンの楽しみを見出した。それは「工夫」。練習の工夫、フォームの工夫、レースの工夫と、工夫は無限の楽しみとなる。
    今回は写真はなし。伊調香の写真とも思ったが、オリジナルの適当な写真がなくあきらめた。

  • 昨日は65歳の誕生日。年齢とトライアスロンについて。

    昨日は65歳の誕生日。年齢とトライアスロンについて。

     昨日は65歳の誕生日で多くの方々よりFBなどでお祝いのメッセージをいただきました。特にトライアスロン仲間からのメッセージが多く、もしトライアスロンを始めていなかったらこうしたことはなかったことを目のあたりにし、トライアスロンを始めてここまで続けてきた重さを実感、改めて人生のおもしろさ、不可思議さに思いをはせました。心より感謝します。

    今回のブログはちょっと長くなります。誕生日の特別バージョンです。
    テーマは65歳という年齢について。そして年齢とトライアスロンについて。
    なお、身体はようやく回復してきました。今朝は抜けた気分です。お気遣いありがとうございます。
    昨日は11時、13時と仕事のうちあわせ。そのあとの時間がオープンになったので、国立博物館の兵馬俑展へ。兵馬俑の大きさを実感することが目的であった。身長は180ぐらいか。体躯に厚みがあって、顔が大きい。いかにも格闘技が強そうで古代の男に触れた手ごたえがあった。しかし昔の中国人はこれほどに大きかったのか。
    以前アトランタの博物館で南北戦争当時の民家展示を見て、ベッドの小ささに驚いたことがあった。昔の人は小さかったんだ。これは自然な驚きである。しかし昔の人はこれほどに大きく逞しかったというのは予想外の驚きだった。兵馬俑というと永遠の生命を願った始皇帝がクローズアップされる。一方私はこの時代の普通の人間に関心をもったのだが、兵馬俑の兵士たちはとても普通ではなかった。まさに威丈夫で兵士の緊張をはらんでいた。
    そのあとは急いで映画「ブリッジオブスパイ」へ。映画への感想は「まあまあ、よくできた映画」なのだが、鍵となるセリフは「You are standing man=字幕は不撓不屈」。そしてこのセリフを口にするのがスパイであるが、スパイを「誇り高き兵士」として描いたところもこの映画のポイントだ。あるいは主人公の弁護士も「自らが望んだわけではまったくない、ふりかかった理不尽な問題に誠意をもって取り組む兵士」である。
    ということで、昨日は図らずも「誕生日に人間や人生を考える」ことになった。
    キーワードは「兵士」。人生を戦う「誇り高き戦士」。
    さらに、昨夜の夢には亡き妻が登場した。亡くなって10年たち、夢に出ることはめったにないが、さすがに誕生日(笑)。細かくは覚えていないが、いろんな場面が登場して、どの場面も、例えばドアが開かないなどといった、ささいな、しかも前に進めないトラブルが発生して延々と言い争いをしている。「なんとかしてよ」と言われてお手上げな私はまったくの戦士失格なんだなあ。
    いやいや妻と仲が悪くて、よく言い争いをしていたわけではない。ただし妻は私を兵士と見ていたのは確かだ。彼女のボディガードかな。よって言い争いも険悪なものではなく、二人の間ではしごく自然な、二人の間にだけ成立する親密な会話なのだ。
    話は変わって、私は年齢については「年相応」を大切に考えている。15歳は15歳らしく、15歳だからできることをやっておく。背伸びはしない。それは健全な発育を妨げる。20歳は20歳。もちろん50歳は50歳。年齢をおおげざに意識することはなく、自然と年相応なことをして生きていくことが大事と思っている。
    それでで65歳になった。こうした考えなので、アンチエイジングという発想はない。誰も抵抗することができないのが老化だ。トライアスロンを通して「老化防止」ではなく、トライアスロンを通して「老化実感」の意識、身体全体の老化を全身を使って確かめる感覚なのだ。
    そんな考えなので、普段は年齢をあまり意識しないで生きている。年齢については自然な感覚で接している。しばしば自分の年齢を間違え、あるいは忘れてしまうほどだ。
    でも65歳となると、思わず意識する。この年齢になれば定年となる。厚生年金と介護保険の手続き案内資料が届く。必要事項を書いて返送する。「おお、いよいよ高齢者か」の実感がある。さて、どうするか。

    そのうえで、年齢・人生とトライアスロンを考えてみる。
    「老兵は死なず、消え去るのみ」とはマッカーサーの有名な言葉。
    ただし人生では「消え去ること」はできない。
    私は、老いたりとはいえ、恥ずかしながら、初々しく好奇心に満ち、緊張と同時に戸惑いを心に抱いた、なかなかドアを開けられない「Young Soldier」でありたいと思っている。
    「人生とは苦闘である」はカールマルクスの言葉だが、人生は挑戦の場であり、それゆえに苦闘の場であるというのは共感する。なお、人生は挑戦であり、それは美しいとはまったく思えない。あくまで「苦闘」なのだ。ここは大切なところ。
    よって65歳ならではの私の年相応の自然な心がまえは「Young Soldier」。
    死ぬまで「Young Soldier」。
    よし、その線でいってみよう。
    2月16日誕生日 65歳の ヤングソルジャー
    最後は年齢とトライアスロン。
    私自身のささやかな体験からいえば、58歳からでも、なんの経験もなく始められ、「生涯スポーツ」として、とてもいいスポーツということ。自分がこの年齢であることを確かめ、かみしめるスポーツである。
    私がトライアスロンで面白いと思うのことに一つが「やっているとこんなことがあるのだ」ということ。レースで「きついなあ」と思いながら、やっているとラクになる。スイムで「泳ぎきれるのか」と不安にかられても「現在、現在」と呪文のごとくつぶやけば、自然と「できる、できる」となっている。足の痙攣を意識しつつも走れている。練習で「今日は走れない」と思っても、身体が温まって調子がでてくることがある。もちろんその逆もある。
    「やっているとこんなことがある。だから始めてみて、続けてみなくてはわからない」ことが面白い。さて、今シーズンはどうなるのか。
    若人よ。年をとっても賢くなるわけではない。いくつになっても、明日のことは「やってみなくてはわからない」のだ。私はそんなふうにトライアスロンと格闘している。
    「Young Soldier」としてトライアスロンを始めて続けていたら、こんなにも多くの仲間ができた。始めたときは考えもしなかった。いくつになっても明日は暗闇である。だから希望でもある。「Young Soldier」は怯えつつ、緊張し、でも続けてきた過去を糧として、明日へのドアを開けるために苦闘する。
    どうも最後は説教臭くなってしまった。これも年相応なのかもしれない。
    なお、「Young Soldier」という言葉は石田礼助から知った。
    今回は時間もかかった。さあ、仕事、仕事!!
    写真は兵馬俑展での兵士たち。おお、友よ!!