風邪をひいてしまった。スタートは昨日の午後3時ぐらい。「なんか来ているなあ」の感覚が襲う。わたしの場合は決まって喉の炎症。それがみるみる悪化して、昨夜は喉と鼻の奥の痛みと鼻づまりで寝付かれず。
毎年冬のシーズンは2回、夏に1回は風邪をひいている印象がある。ネットで調べると「風邪の原因は免疫力の低下」とある。
それはそうだろう。ちょっと振り返ってみよう。
まず、このところ厳しい天候不順が続いている。次いで、先週は眠りが浅く、朝なかなか起きられずすっきりとしない睡眠状態であった。すっきと目覚めない、目覚めても疲れを残している感覚があった。風邪の予兆だったのか。あるいは風邪を受け入れてしまいやすい状態にあったのか。食事は自宅がメインだったが、あまり食欲はなく、その分酒に走った印象がある。日曜はかなり大規模な家の片付けで、だいぶホコリを吸い込んだ。そして月曜は、仕事への集中力が落ちていたなあ。仕事に向かいたかったが、結局は決算に向けた書類整理が精いっぱいであった。
週末のブログも手がつかなかった。
こうして書き出してみると、なんと、着実に風邪に向かっていった様子がうかがえるではないか。いろんなシグナルはあったのだ。
体調イマイチの先週のうちに体調を戻しておく必要があったのではないか。
であれば風邪は避けられたかのかもしれないと、考えてみる。
具体的にどうするか。
たぶん、睡眠かと思う。
おかしいかなあ、と思ったら、ともかく早く寝る。
それができなかった。あるいはやらなかった。
ああ、そうか。
睡眠時間がを十分とれるにも拘わらず、睡眠が不調で練習への意欲がわかない、あるいは走りに出ても走れない、そんなときは「要注意」なのか。
トライアスロンを続けていることにより、身体が快適な状態を実感することができる。それは睡眠の状態であり、目覚めの感覚であり、食欲であり、練習への意欲であり、走り出しの感覚である。身体全体のセンサーが敏感になっているのだ。そのことをもっと自覚しよう。身体との対話だ!!
そして具合が悪くなってしまったら。これは外出を控えて寝るしかないよな。当たり前だ!!
悶々と 喉を腫らして なたね梅雨
10日金曜に高血圧の検診。だいぶ下がって様子がいい状態になってきた。今シーズンのトライアスロンは5月17日の横浜がスタートだが、次回の検診は8日に予約。血液も採取して様子をみることになった。
下がったのはやはりクスリが効いているということ、天候不順とはいえ、気候が温かくなってきたということがあげられるであろうとのこと。まずは一安心といえる。
健康のためのトライアスロンではないが、トライアストンが身体の感覚を鍛えている。これは気持ちがいい。老人にとっては重要なことだ。
カテゴリー: 生涯スポーツ
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風邪をひいて、トライアスロンと身体のセンサーを再認識。
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新年度スタートの心境。バイクは遠藤流でいくことに決定。
新年度がはじまった。街には新入社員のグループが目立つ。桜は満開だ。私をトライアスロンに導いている岩田コーチは4月1日に婚約を発表した。実にめでたい。身辺周辺はざわざわとし、相も変わらず金繰りに頭を悩まし、心落ち着かぬ日々であるのだが、新たなプロジェクトもいくつかスタートしている。新たな価値を問いかけるものであり、海図なき航海に出帆する心境だ。心身の健康を保ち、常に緊張感をもって360度視界をめぐらし、希望をもって進んでいくことを自分に言い聞かす。
こう書くと、なんだ、新入社員と変わらないではないか、と気がついて苦笑するのだが、その本意は、誰にとっても、年齢を重ねても、明日はいっこうにわからないということだ。
学生時代、文芸評論家江藤淳のこんな言葉に出会った。
「生きるということは、過去を見つめながら、明日への怯えを胸に、未来へと一歩一歩後ずさることである。時折肩をたたくものがあり振り返って未来へと顔をむける。人はそれを希望という」
これは私なりの記憶と理解で、これを書くにあたって原典を確認したわけではない。しかしこの言葉は学生時代の私の心にしみわたり、人生観の基調となってこれまで生きてきた。ある人は明日の創造に希望を見出し、顔をあげて未来をみつめ、風を切って前へ前へと進んでいくことが人生と考えているのかもしれないが、私にはそう考えることはできない。未来は幻想であり、人は明日を過去としてしか確認できない。希望こそは生きる糧であるが、それは心のなかで作り出すものではなく、現実のなかで出会うものだ。
そんな新年度ならではの心境のなかで、トライアスロンに話を戻すと、先週の土曜は船橋オートレース場でのバイク練習。さらに日曜日は印旛沼、手賀沼をめぐって103キロのロングライドと、バイクバイクの週末・年度末となった。
バイクについてはポジションチェンジがなかなか馴染めない状態であったが、この2日間でだいぶ様子がわかってきたようだ。ポイントは無理なく自然に全身を躍動させること。その状態を探し出すこと、かな。
バイクについては、どうやらさまざまな流派があるようで、どの師匠につくかがカギとなる。私としてはトライアソロンを始めるにあたってバイクを見立ててくれた遠藤さんを師匠とすることにした。遠藤さんは現在「Tail Wind」というトライアスロンショップをやっている。そこでオーバーホールをお願いし、ポジションチェンジに挑むことになった。
具体的にはハンドルを前に出し、ペダルのクランクを5ミリ短くした。なんとかこれを身につけていきたいと思っている。そのために月に1回はバイクをお店に持ち込んで指導を受けるつもり。よし、この線ていってみよう。
桜満開 心に期すや 新たなり
今年も花見は靖国神社で日本酒熱燗を楽しんだ。
トライアスロンを続けていけるのも仕事のベースがあるからだ。
2014年度はいい形の地ならしができた年。
2015年の新年度は地ならしから形をつくる年。
長く続く形をつくらなくてはいけない。
心に期すところ大である。 -
忙しかった2月を振り返り、仕事とトライアスロンをあれこれ考えてみる。
2月というのは、会社の決算及び確定申告の準備、年度末納品の仕事のまとめなど、バタバタと忙しいのだが、今年は3月11日に発行する32ページのフリーマガジンの編集があり、なかなか厳しい状況であった。フリーマガジンについてはなんとか間に合い、木曜日に校了で安堵。私は何はともあれ発行日を守ることが第一と思うタイプだ。井上ひさしは遅筆のために何回も芝居の初日をはずことがあったと聞くが、そうした求道的な作品至上の考えは肌にあわない。私はそんな風には暮らしていない。先週金曜は2017年春に完成予定の福島県国見町の道の駅の会議で国見町に日帰り出張となった。帰りの新幹線はシートを廻して5人で酒盛り状態。土曜朝も酒が残り、胸やけもひどかったが、我が身を励ましトレーニングへ。
土曜のスイムは100メートル、50メートル、25メートルのタイムトライアル。100メートルが2分6秒、25メートルで多分26秒であったか。前回のタイムトライアルと比べるとタイムはかなり落ちており、やっぱりこの1か月の多忙、特にこの数日の寝不足と二日酔いの影響かなあ。本当に進まない。仕事の忙しさとトライアスロンについては、両立が前提、というよりいたって当たり前のことなのだが、この忙しい1か月を過ごしたあとに実感したのは、なんと身体を動かしたいとういう欲求だ。けっこう身体がなまったような、明らかに運動不足の感覚があり、日曜は曇天だったが江戸川沿に走りに出てLSDを1時間。たっぷり汗をかいたあとのシャワーの気持ちよいこと。だいぶトレーニングが身についてきたのかと感慨深い。
さて。トライアスロンに挑戦することは仕事にもプラスに働くといった紹介をよく目にする。我がATA校長白戸太郎の『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』といった本もある。私が仕事ができるかどうかはさておき、以前順天堂大学の野川先生から「トライアスロンはむしろ年寄り向け。時間も金もかかる」と言われたことをよく思い出す。これもお金はさておき、確かに時間はかかるが、要は「時間管理」なのだ。若いうちは自分の時間を自分で管理できないことが多い。「仕事ができる人は時間管理がうまい」などともよく言われる。これをあわせると、トライアスロンはある程度自分で時間を管理できる立場にある人間に合っているという平凡な事実につきあたる。
さて。ここまできてこのブログをどのように納めるか。大きく出れば、人生は毎日をどのような時間割で過ごすのか、ということに尽きる。そこにトライアスロンを含めば、その分何らかの時間が削除される。人生捨てなくては拾うことはできない。私が削除している時間をあげると、すぐに思い浮かぶのが映画と読書かな。あとはお酒。独身であるので家族の時間も削除されている。
残念なのは映画と読書だが、そのぶん「いま何を読むか、何を観るか」の選択意識が強くなる。それでいいではないか。いつも今日はどの時間で練習できるか、を考えている。えらい貧乏性とも思うが、時間割に対するそんな意識は私にとっては心地よい。
「最低限の荷物をまとめて狩りにでかける狩人」というのが、いまの私の基本イメージであるのだが、おそらく狩人にとって、確かな明日というものはなく、経験をバックに、風を読み、獲物を探しゆく毎日なのだろう。
と、ここまで考えていくと、トライアスロンはまだまだ続けていこう、ということを確信する。まどこっろしいけど、このようの考えていくと、自分が整理できるようで、これも心地よい。
いきなりの 吹雪にまかれ 一人きり
写真は国見町の吹雪の様子。でも春は近い。レースまでの時間割が気になってきている。 -
なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。
どのような動機、経緯でトライアスロンを始めたかについては、当ブログで書いてきたが、なぜこのブログを書くことになったかについては、まだ触れていないことにきがついた。今日はそのことについて紹介します。なお、トライアスロンを始めたことについては、当ブログの第1回より縷々綴っています。ぜひご一読を。このこともちゃんと触れてこなかったが、私のベースをなしている仕事は雑誌や書籍の編集である。40年前に編集から仕事のキャリアをスタートし、企画、取材、カメラマンやデザイナーへの発注方法、そして原稿作成のノウハウを学んだ。本には「実用」という分野がある。健康、美容、旅行、学習、受験、料理などがそれにあたり、私はその世界でキャリアを積んだ。明星ヘアカタログ、ブルーガイド情報版などは創刊号からかかわり、日本テレビの3分間クッキングも数年間担当していた。
それが博覧会や展示会の世界にかかかわったことから、マーケティング、セールスプロモーション、イベント、地域開発といった領域の仕事がメインとなったが、いまも編集の仕事は続けており、というよりも、それがイベントであれ、店舗であれ、基本は編集者として取り組んでいるという意識がある。
つまりこのブログも、実用誌の編集者兼取材記者として、我が身我が経験を取材対象に、一つのルポルタージュとして、取り組んでいるものなのだ。社会が高齢化していくなかで、私のような年齢になってトライアスロンに興味をもつ人も増えていくであろう。あるいはトライアスロンに限らず、スイム、バイク、ランを始める、さらには60近くになり、まったく経験のない何かを始める人を読者と想定し、書き始めた。さらに言えば、トライアスロンを始めたのには、それは書くに足るものである、という意識さえあったと思う。例えばテニスを始めた、ではインパクトがないだろう。
書店に行けば専門的な技術書は並んでいる。しかし、生活管理や心境も含む、初心者であるから気がつき、書けるものはあり、それなりに意義あるものとなるだろうという思惑があった。
まずは初の練習から、トライアスロンの完走まで。これで一つのストーリーにはなるであろう。ではそのあとはどうするか。実は昨年、一昨年とブログの更新が停滞していたのは、仕事の影響が大きいが、そのあとのストーリーが見つけられなかったこともある。ルポであるのだから、日記ではない。私の日記が公開に値するとも思わない。ささやかであれ、何らかの役にたつ「実用的」なものとしたいが、実用となる根拠は「年齢のいった初心者」ということのみであり、初心者でなくなっては、私は果たして取材の素材となり得るのか、という思いがあった。そんな経緯を経て、今年は毎週定期的に書いていこうと前向きになっている。ひとつには、あるテーマのもとに取材を続け、継続的になんらかを書き続けるということを強く求めていることに気がついた。書くことは自分自身の生きる問題なのだ。では「実用性」はどうなるのか。この点については、生涯スポーツに取り組む一つのケーススタディとして、何らかの意味もあるのではないか、と思い定めた。であれば、依頼はない週刊誌の連載のように書いていこうと思っている。
よろしくお願いします。
今日は5キロランのタイムトライアルがあり、時間は27分30秒。キロ5分30秒のペースだ。だいぶ早くなったが、まだ一段あがれる感触もある。今週は寒かったが、無理に外に出ず、自宅でのストレッチに時間を使った。それがよかったように思う。要は身体づくりであることを痛感している。
寒気吸い 激しい呼吸で ひた走れ
最後に下手な俳句もどきを入れているのは、最後の「ジャンジャン!」という〆のようなもの。ご笑納ください、といったご挨拶で、私はこれで気が落ち着く。この俳句は勧めてくださった方がいて、そのアドバイスに深く感謝している。これを入れているから続けられたかと思う。
写真は今日手元にとどいた新しいバイクウエア。ちょっと窮屈だけど、そのぶん身体を絞ることに向かおう。 -
生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について
どうしてトライアスロンを始めたのか。ことの経緯についてはこのブログで綴ってきたが、改めてもともとの動機を振り返れば、60歳以降も続けられる適当な「生涯スポーツ」を探していた、ということがある。
生涯スポーツとして、まず関心をもったのが合気道だ。その理由の第一は、歳をとって転ぶのは大変に危険なことで、下手をすれば命取りにもなる。そのリスクを軽減するには合気道がいいのではないかと考えた。また、一度も格闘技の経験がないので、男たるもの一度は格闘技に挑戦、との思いがあった。もう一つは社交ダンス。音楽に合わせて身を動かすのは好きで、女性が相手となるのも、新しい世界が広がりそうで期待をもった。
そして合気道も社交ダンスもネットで調べてもいたのだから、そこでピンと来ていたらそちらに行っていただろうと、まじめに思う。
それがあるパーティで大学時代にトライアスリートだったという人との会話から、トライアスロンへの歯車がまわっていった。
そして5年がたったのだが、今日のテーマは「生涯スポーツとしてのトライアスロン」。それも、私と同様に、60歳近い年齢で、まったくの経験もなく始めるスポーツとしてのトライアスロンってどうなのよ、ということを考えてみたい。
トライアスロンにはいろんな距離があるが、いまスタンダードになっているのはオリンピック距離。スイム1500メートル、バイク40キロ、ラン10キロ。このオリンピック距離を考えてみて、完走までいけるのかどうかといえば、いけると思った人はいけるというのが私の実感だ。別に根拠がどうこうというわけでなく、60年近い人生経験をベースに、なんとなくいけるという人は、続けていけばできると思う。60歳のあなた。ぜひ挑戦してください。「その気になった人にとっての生涯スポーツ」としてはお勧めである。
そしてもうひとつ。日本トライアスロン連合はトライアスロンでの事故防止を呼びかけるメッセージで次のように語っている。
『トライアスロンはスイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)を自然の中で連続して行う魅力的なスポーツで近年愛好者が増加していますが、残念なことに競技中の死亡事例が発生しています。トライアスロンは、「レジャースポーツ」としてよりも「競技スポーツ」として認識し、十分に準備をして大会に臨んで頂くスポーツです。』
この一文を初めて読んだときには「なるほど」と思った。競技スポーツであることはトライアスロンの大きな魅力である。ランを趣味とするが競技には出ない。スイムは好きだが大会に出ることはない。それは大いにある話だが、トライアスロンのトレーニングをしていながら競技に出ないということは考えられない。競技を目標に準備を積み上げ、仲間とともに完走を讃え合うことこそ、トライアスロンの醍醐味である。
次はどの競技を目指すのか。周囲を眺めていても、能力のある人はアイアンマンに向かう傾向があるようだ。私の場合、とてもそれだけの能力はなく、むしろオリンピックの半分のスプリントに的を絞っていこうか、とも思っている。スプリントは幕張、横浜八景島、昭和記念公園、横浜山下公園など、比較的近場で開催される。レースも昼には終わってしまう。能力の高い人はスプリントの名のごとく、陸上でいえば中距離の感覚で、大変にきついレースとなるが、私の場合、スプリントでものんびり行くのでそれは問題がない。気軽な生涯スポーツとして楽しむには、近場のスプリントという選択もあるのだ。
たそがれる 光に向かう 命かな
書き出してみると長くなりそうで、次回も同じテーマでいきます。60を過ぎて漫然と生きていくわけにはいかない。60を過ぎると誰しも、多少は哲学することになる。あるいは宗教に魅かれることにもなる。それが自然な感覚と思う。
今回は尻切れトンボでまた次回に。
今日はスイムのタイムトライアル。はっきり覚えていないが、多分100メートル2分4秒、50メートル57秒、確かに覚えているのが25メートル23.2秒。これは嬉しかった。なんとなく、まだ2段ぐらいの伸びしろはあると感じた。頑張っていこう。。。。