カテゴリー: ライフスタイル

  • 5月の3連休で心身を回復、今年の大会を決定!!

    5月の3連休で心身を回復、今年の大会を決定!!

    この連休後半は心身ともに休むことができた。昨年の12月末から連休前半までの多忙で疲れがたまっていたが、ようやく身体の回復を実感している。

    連休金曜はジムとスイム、土曜はATAのトレーニングでスイムとラン、そして日曜は午前中のバイクと夕方にスイム。ひととおり身体を動かして、シーズンインへの最低限の準備に手をつけた感覚がある。
    バイクは年に一度のメンテナンスに出して、サドルを交換、タイヤを25ミリにした。ヘルメットを買った。ウエットスーツを採寸して6月頭には届く予定だ。9年前にトライアストンをスタートしてから、ヘルメットもウエットスーツもそのままで使ってきた。交換への限界かと思う。
    今年の出場大会も決めて申し込んだ。6月10日の南房総アクアスロン、7月1日の昭和記念公園スプリント、8月26日の木更津スプリント、9月16日の九十九里オリンピックディスタンス。そのうえで、シーズンオフには昨年もお世話になった奄美大島合宿、1月にはグアムのスプリントに参加したいと思っている。
    そしてできれば、来年のセントレアミドルを目標にしたい。セントレアは一度参加してバイクで足切りにあっている。あの時のバイクは山岳難コースであったが、いまではだいぶ平坦なコースになっているとのこと。年齢的にも、いまのうちにセントレアをリベンジしておきたい。

    ひさしぶりにこの3日間、身体を動かして感じたこと。第一にあげられるのは衰えの実感だ。衰えというのは躍動感の喪失だ。そして昨年10月末の肉離れの影響。どうも回復が思わしくない。久しぶりに1時間のバイクにトライしたが、帰宅後昼寝をして起き上がろうとしたら、肉離れをした右足太腿がつりそうになった。股関節にも痛みがある。身体は動くのだが、肉離れを契機に一段階段を降りた感覚は否めない。
    2020までは仕事に励むつもりである。そのうえで、今年の大会の予定を決め、来年の目標を定め、身体の老化を実感するなかで、さて、どのようなライフスタイルをつくっていくか。この状況にあったライフスタイルをつくっていかなくてはいけない。久々の連休最後の日にそんなことを考えている。
    イメージとしては「ゆっくりと絶え間なく歩く」。忙しくとも睡眠はシッカリとって、バタバタとぜず、丁寧に目の前のことに向かっていく。そして、緊張感をもって絶え間なく動く。ちょっとストイックな感覚かな。
    これは12月末からの多忙ななかで学習したことであり、この要諦は「疲れない」ように毎日を過ごすことなのだ。

    五月晴れ まばゆい光が 誘い来る

    このブログもこのぐらいの長さにしたいと思っている。
    1回1回の書く時間を短くして、できるだけ回数を多くしたい。
    トライアスロンから少し話題も広げていきたい。
    そんなことを考えている。
    写真は今日のバイクトレーニングのコース風景。

  • お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

    お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

     2月12日のブログで「1か月と9日ぶり」と書いたのだが、今回は2月22日以来で「1か月と23日ぶり」となる。このブランクの原因はハノイへの出張。今年に入ってから、4回、合計16泊も行っている。

    1月25日~2月1日  医療フォーラムの開催 7泊
    3月11日~3月13日  病院開設プロジェクトの予備打ち合わせ 2泊
    3月22日~3月26日  さくら祭りでの投資フォーラムの開催 4泊
    4月2日~4月5日   病院開設プロジェクトのスタート 3泊
    一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長としての仕事である。
    行っている間は自分の時間はない。行くとなればいろいろと準備はある。帰れば報告のまとめがある。徹夜まではしていないが、睡眠時間が削られる。仕事は人間利害関係の坩堝をかき回すようなもので、さすがにストレスが増えて酒量も増える。
    こうした日常は30歳代の非力一所懸命の日々を思い起こさせ、この年齢になって、こんな事態に直面するとは、まったく考えてもいなかった。人生はわからない。今年は何回ハノイに行くことになるのやら。
    トレーニングは遠のくばかり。なんとか土曜日のATAのトレーニングだけは参加したいのだが、これも振り返ると、4月7日休み、3月31日参加、3月24日休み、3月17日参加、3月10日休みといった具合で、ようやくの隔週参加。これ以外のトレーニングはまったくやっていない。
    今後を予測すると、この仕事のほかにも、2019年のラグビーワールドカップを応援する「スポーツバディ」プロジェクト、2020年に福島の復興を世界に示す「2020MICE」プロジェクトがあって、今週の打ち合わせで両プロジェクトの確かな手ごたえを得ることになった。
    そんな今後への予想展望が見えてきて、今週末はようやく仕事が一段落して、今朝はATAのトレーニングに行き、こうしてブログに向かっている。その喜びに浸っている。
    今日のメニューはスイムとバイクだが、スイムだけ参加し、そのあとは一人ジムに行ってスピニングバイク15分、マシンで筋肉に刺激を入れ、ゆっくりとストレッチで1時間。
    泳ぐ前は不安であったが、身体は動いてくれた。練習メニューのあと、ユックリと300メートルを泳いだ。身体の細胞が息づいている実感に身を浸して大きく息を吐きだした。体重増加も1.5キロほどで安堵。

    そしていま言葉を探しながら、一人頭を巡らす時を楽しんでいる。
    書く楽しみのなかには思考の思いもよらない転換がある。
    『現代を特徴づけていること凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・・一言にして言えば、スポーツとは、人間の諸性能の分析とその組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学である』(中公文庫「精神の政治学」ポール・ヴァレリー 吉田健一訳)。
    この本は今の私の枕頭の書であり、手元において、パラパラと、何回も読み返しているのだが、いま突然に、この一文に頭がジャンプした。私がトライアスロンとブログとを不可分のものとして楽しんでいることそのものが、的確に示されていると感じている。

    この年齢で目が回るほどに忙しく仕事に向きあっているのは、ありがたいことだ。まずその思いがあって、今日は久々の「一人楽しむとき」があって、67歳という年齢を自覚しつつ、今後を考えてみる。「今後」とは人生の行く末、仕事の展望、トライアスロンを混ぜたもので、「さて、どうするか」と心のあり方を決める。
    2020年までは躊躇うことなく、怯むことなく、大股で道の真ん中を歩いていく。
    まずこれを基本的な態度としよう、と言い聞かせる。
    波乱、混乱、非難中傷、向こう傷は避けられないだろうが、覚悟して、バタバタしない。遠くに流れる雲を見つつ、微笑みを忘れず、休まず歩いていけば、いささかの価値は残せるかと期待する。
    トライアスロンは、物理的にどこまで時間がとれるかが、わからない。だから予定を作らないというわけにはいかない。スポーツとは必然的に「計画」を含む倫理学なのだよ。そうだなあ。5月の幕張スプリント、9月の99里、昨年に行った11月の奄美大島合宿、1月のグアム、来年のセントレア出場をポイントにおいてみよう。年齢からして、来年あたりはセントレアリベンジの最後のチャンスかもしれない。
    グアムより 友よ来たりて 花語る
    とむさんは、グアムのトライアスリートで、このブログをとおしてトラ友としての縁をいただいた。帰国の折にお会いしてグアムのトラライフをお聞きした。写真はその折のもの。俺の顔はひどいなあ。1月にはスプリント大会があるそうだ。行ってみたい。どなたか、ご一緒しませんか。

  • 大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

    大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

     今日は大晦日。これから3日までは、地下鉄に乗っての外出の予定はなし。私の年末年始の生活の基本は「片付け」。

    散乱している仕事の資料を、パソコンのファイルとメールを片づける。本はブックオフ送りをより分ける。洋服や暮らしの様々な小物もいらないものをより分ける。片付けたあとは拭き掃除。掃除はいつもしているので、大げさなことはしない。
    「片付け」の第二は先送りになっていた「宿題」の片付け。今年は「AIと医療」と題するレポートに向かう。ストーリーは見えているのだが、まとまって執筆に向かう時間がとれなかった。なんとかこの休み中に仕上げたい。
    「片付け」の第三。これが一番大切なのだが、人生の棚卸しを行う。現状を書き出して、新たな年に立ち向かっていくこと、捨てていくことに振り分ける。人生捨てなくては拾うことはできないのだ。そのうえで、新たな年に行いたいことに優先順位をつけ、取組む態度を自分なりに明確にする。何も目標設定などはしない。大切なのは態度と持続を楽しむことであって、目標の達成などではない。人生はスポーツ大会ではないのだ。人生一寸先は闇なのだ。これが私の考え方。
    そして「片付け」の第四は「トライアスロン」。この一年を振り返り、買い替えるグッズやウエアを、これもリストアップ。出場する目標大会をピックアップ。年間のトレーニングイメージづくり。そして「身体自体のリセット」。リセットといっても大げさなことではない。毎日2時間ほど、丁寧にストレッチをして、走る。でも、これがいつもはできそうでできない。
    なお、この休みの過ごし方は基本夏休みも同じ。年に2回、半年ごとに「片付け」をしていることになる。
    そこで、この一年のトライアスロンを振り返る。
    出場した大会は、幕張(スプリント)、木更津(スプリント)、九十九里(オリンピック)の3つ。真鶴のオープンウォーター1500メートル。このほかランの草大会を2つ。
    まずはここから考える。これは妥当であるのか。そのうえで翌年はどうするのか。
    2017年からは「トライアスロン大会は近場のスプリント」「ランもスイムも近場で、できれば毎月」を基本方針に考えてきた。つまり特別なことはせず、負担を感じない程度に、練習もレースも日々の暮らしのなかで平板に過ごしていく、ということだ。
    振り返れば、この基本方針は妥当であったと思う。私なりの、これからも長く続けていくトライアスロンライフの原型を確かめたように思う。
    そのうえで、翌年を考えると、レースはもう一つプラスしたい。昨年も横浜に申し込んでいたが抽選で落ちてしまった。ランやスイムの草大会は月一ペースに上げていきたい。これがまずレースのスケジュール。
    では、トレーニングはどうか。
    スイムはフォームの改造に取組んでいるが、これを自分のものとし、100メートル2分に挑戦。
    ランは草大会への出場を増やし、10キロ1時間(キロ6分ペース)に挑戦。
    こうして書き出しても私にとっては高いハードルなののだが、できないことはないと楽観的に考えている。来年は67歳。なんとか来年と再来年で実現したい。
    バイクはどうか。正直なところイメージがつかない。本当は新車を買いたいが、これは収入しだい。バイクはちょっと置いておこう。
    そして、基本は「身体づくり」でこれが最大の課題であることを改めて確認。

    10月末の「肉離れ」はまだ完治しない。階段の登り降りにもまだ痛みを感じている。
    この肉離れのリハビリテーションを契機として「身体づくり」に向かいたいと思っている。
    「身体づくり」については、整体やトレーニングの専門店に行こうかとも思っていたが、とりあえずやめて自主トレにする。行ってみたい思いはあるのだが、それに費やす時間とお金に自信がない。新たな苦労を背負うような気もする。
    一方自主トレのイメージも湧いてきた。ポイントは「ちょこちょこ」。暮らしの場面の転換期に「ちょこちょこ」とマメにやる。例えば家に帰ったらまず腕立て20回を、といった具合。別にそれを決めるのではなく、翌日は腰のストレッチでもよい。そして週に1回ぐらいは1時間程度を。ともかく「ちょこちょこ」やっているうちに、何らかの変化が生まれるのではないか。であれば「ちょこちょこ」が増幅していくのではないか。そんなことを考えている。
    あと、節酒。実は年末の風邪以降、酒への欲求が低下している。「酒を飲まない爽快感」を味わうようになっている。
    大晦日 振り返ってみては 独り言
    肉離れから2か月。回復は遅々としているが、それでも毎日毎日ささやかな回復を感じている。昨日とは微妙に違うのだ。気が付くと屈伸ができるようになっているのだ。まだ痛みはとれないが、リハビリテーションの楽しみを感じている。

    当ブログをお読みいただいている皆様。
    ありがとうございます。
    来年もトライアスロンもこのブログも続けていきます。
    よろしくご愛顧願います。
    お気軽にメールをください。
    皆様、良いお年を!!!
    写真は北京の公園の朝の光景。
    中国の公園は見慣れた光景なのだが、走っている人はいない。

  • 11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

    11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

     11月中はATAのトレーニングはすべてお休みとなってしまった。記憶では、1か月の休養は、トライアスロンを始めて9年、多分、初めてのことと思う。それだけトレーニングが私の暮らしの一部になっているということなのだろう。

    その原因の第一は右足肉離れ、そして風邪、喘息、蓄のう症。次々と襲う病気のなかで、毎週「この週末はOKかなあ」という期待をもちながら、結果1か月の休みとなってしまった。
    それに、この身体の具合に合わせて、どうやらたまっていた疲れが出たようにも感じている。どの程度の期間の疲れがたまっていたのか、私にもよくわからないのだが、ともかく倦怠感が抜けず、眠くて、よく寝た。仕事はけっこう忙しかったのだが、仕事が終わるとすぐに家に帰り、食事を済ませて床にはいる。だいたい10時には寝てしまう。そして起きるのが7時とか8時とか。我ながらよく寝るなあと思うのだが、これが眠れてしまうのだ。
    そこで「体の具合も悪いし、トライアスロンはシーズンオフでもあるし、この際しっかり休んでおこう」との気分となり、この1か月は静かに暮らしてきた。
    歳をとって静かに暮らすというのはこういうことなのか。
    そんな実感ももった。
    それは落ち着いた状態のなかで、だんだんと自分自身のの全体が委縮していくような感覚だ。1日の中で、身体を動かす時間が少なくなる。「エイッ」っと力を込めることもない。外に出て外気にあたることも少なくなるので、五感が刺激されなくなる。仕事以外は頭を働かせることが面倒になり、好奇心はすっかりと衰える。時の流れが目の前の他人ごとになる。しかもそれは暖かい布団にくるまれて、ゆっくりゆっくりと眠りに落ちていくような快感でもあるのだ。
    「浮世のバカは起きて働く」という言葉を思い出す。
    なるほどなあ。衰えていくということはこういうことなのか。
    そんな思いが、とりとめもなく、頭に浮かんでくる

    そこで思う。トライアスロンを続けている日々がいかに刺激に満ちたものであるのか。
    目ざましのアラームでで早く起き、トレーニングウエアの準備を整え、トレーニングを意識したやや多めの食事をとり、ストレッチで意識を高め、ジムに行き、着替えてシャワーを浴びてプールに入る。全身が水に反応し、水中で吐く息と身体が水に浮く感覚を確かめる。スイムでしっかりと身体を温め、次はラン。日差しの中に飛び出して眼を細め、風の強さを全身で感じる。準備運動で改めて全身にスイッチを入れる。走り出し、苦しい呼吸のなかで、自分がどこまでいけるか挑戦する。
    これらは毎週の、当たり前の、トレーニングの流れなのだが、こうして書き出せば、実に豊かな心身の活動であることがわかる。これはここまで積み上げた大きな資産だ。
    陽だまりに 一人思う 老いの坂
    この1ヵ月は、心身のいい休養になったと思う。50歳で妻が癌を発症して以降、この15年はまさに疾風怒濤の、激しい緊張に包まれた日々で、こうした、自分一人の休養をとったことはなかったように思う。そのことをこうして言葉にして、しっかりと自覚する。
    老いていくことは、心身ともに、そして暮らしの活動範囲が、委縮していくことであるようだ。そして委縮の果てに永遠の眠りが訪れる。であれば、加齢のなかで衰えつつも、心身に刺激を与え、毎日あちこちへと出かけていくようにしよう。
    それに疲れたら、今回は1か月の休養となったが、休養は1週間ぐらいいだろう。
    そうした暮らしへの意識を高め、否応なく委縮が始まるまでは、元気に励んでいきたい。
    写真は奄美大島。来年も行こう。

  • 「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索中。

    「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索中。

     毎日、朝食後、血圧の薬2種類と過剰な胃酸の分泌を抑える薬、合計3錠を飲んでいる。おかげで血圧は上は130、下は70程度で落ち着いている。胸やけもおさまっている。

    血圧では3か月に1回のペースで病院に行き、毎日つけている血圧データを見せ、血圧を測って薬を買ってくる。一般に高血圧は複合的な原因なのだが、まあ「老化かなあ」ということになっている。若く気さくな女性の先生だが、いつも大きなマスクをしているので、顔はよくわかれない。大きな目できっと美人と思うのだが、道ですれ違ってもわからないだろう。今度マスクをとった顔を見せてもらおう。
    それはそれとして、血圧が落ちついてきて、少し余裕もでき、先生に体の具合が思わしくないところを訴え、他の科を紹介してもらうことにした。
    まずは耳鼻咽喉科。
    季節を問わず、朝の鼻水がひどい。ティッシューでは痛くなるので、タオルで鼻をかんでいる。鼻水はほとんど水状態。それにうんざりし、レーザーで鼻孔を焼く手術を申し込んだのだが、若くてくせ毛、昔のヒッピー風な耳鼻咽喉科の先生から「レーザーで鼻水は治りませんよ」と言われ、アレルギーの薬1錠が追加となった。ただしこの薬は対処療法で、元を断つわけではない。「要は鼻をかむか、薬を飲むかです」とおっしゃる。この言い方はおもしろかった。納得。
    耳鼻咽喉科では、このほか「誤嚥」の診察もお願いした。ときどき食後になんか違和感を覚えるのだ。友人が喉頭がんとなり、こちらも気になってきた。鼻孔から喉にかけて、内視鏡の検査を受け、感染症や異常は見当たらないとの診断。
    鼻水も誤嚥も、原因といえば、結局は「加齢」であるという。歳をとるにしたがって、あちこちに不具合が生じ、日々飲む薬が増えてくるのだ。
    大腸内視鏡検査も申し込んだ。これは「下痢で悩まされている」ため。朝食後のトイレが、子供のころからの私の習慣だ。便秘になったことはない。それが、いつごろからか、1回ではおさまらず、10分後に1回、さらに15分後に1回という具合に、数回トイレに行くようになった。行くたびに便の水分が増え、3回目には完全に液体状態となる。さらに、昼食後にも行くようになった。加えてランのさなかにもよおすようになり、振り返ると、昨年末の20キロマラソン、今年に入っての10キロマラソンで、ともに走っているさいちゅうにトイレに駆け込むことになった。これは実に情けない。走りながら「もつかなあ」と自問しつつトイレを探す。爆発したら大変だもの。
    それを訴えると、「大腸炎かもしれませんよ。大腸の内視鏡検査を受けたことはありますか」「いやないです」「やってみますか。年齢的にも一度やってみる価値はありますよ」。こちらも年齢か。こういわれると、なんでもやってみたいタチである。「なるほど、やってみましょう。肛門のヴァージン体験だな」「ワハハ」といったお気軽な会話で、来年の1月5日、正月明けに大腸内視鏡を受けることとなった。
    椎間板ヘルニアは、坐骨神経が少し痛むものの、小康状態を保っている。
    歯頚が腫れて化膿したが、処置をしておさまった。ちなみに歯磨きは家にいるときは毎食後20分。2か月に1回は歯医者で定期処置と、かなりケアしているのに、こうしたことが起こるのだ。
    本によればヘルニアの再発も、歯頚の衰えも「加齢」によるものであり、「老化現象」である。

    ということで、いま、「老化」対策として一通りの身体のケアにあたっている。ただしこれは「老化」への抵抗ではない。「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索しているのだ。
    病気ではないが、感じる「衰え」も挙げてみるか。歩くのが遅くなっている。床のものをとるのがおっくうになっている。体重が落ちない。酒が弱くなっている。スピード、力、敏捷性が衰えている。でも、トライアスロンは3種目とも、まだ伸びしろはあるのではないかと思っているのがおかしい。
    走り見上げる 秋の雲 黄昏の陽

    加齢での衰えに合わせた身体を作っていきたいと思うのだ。それなりの作り方というのものがあると思うのだ。この半年で病院系のチェックは一通りすますことになる。スッキリしたところで、うまいこと「頃合い」を探していきたい。要は毎日の暮らし方であることはわかっているのだが、その暮らし方がうまくつかめない。
    写真は通っているNTT関東病院。実は病院は嫌いではない。日常と離れた「浮世離れ」した感覚、独特な時の流れが、心落ち着かせてくれるのだ。おかしいかな。

  • お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

    お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

      やむことなく蝉が激しく鳴いている。非常階段には死骸も転がっている。まだあがいているのもいるなあ。日差しも夏の終わりを思わせるように、だいぶ低くなっている。精一杯に鳴いてコロリと野垂れ死にして夕陽に焼かれる、ピンピンコロリへの憧れはよくわかる。歳をとると蝉をみても感傷的な気分となってしまう。

    この季節になると「今年も前半戦を終えて後半戦」といった思いを新たにする。
    先のブログでも書いたが、この2年間は大きな変化のただなかにあった。この年齢で、これからの年月を暮らしていくための仕事を作ることが、何よりも大きな課題であったのだが、ことは簡単ではない。委細は省くが、ここにきて、ようやく方向が見え、「さあいこうか」といった状態となっている。
    そんななかでお盆の季節を迎えた。私にとっては数年ぶりの落ち着いたお盆となり、来し方行く末を思う気分となっている。
    昨日は「山の日」で休日の金曜日。昨日から来週いっぱいで10連休という人も少なくないだろう。私も仕事先が休みなために、余裕ができてくる。さて、どう過ごすか。
    たまった伝票を整理し、やり残して気になっているデスクワークを済ませ、散髪に行って、あの映画は観て、9月納品のレポートは助走のスタートを切ってなど。いろいろと考え、書き出し、予定をたてているが、果たしてどこまでできるのか。

    ここからが今日の本題で、最近しきりと思うこと。
    やるべきことを書き出すのは、予定計画の基本である。目標を立てるということは、いつまでに何をするかをハッキリさせることであり、やるべきことは目標から割り出した活動となる。よって多くの人生指南書、ビジネスノウハウ本でも「目標はできるだけ具体的で明確」であることを掲げているようである。
    しかし、先のことなど、わからないではないか。これが私の実感なのだ。だからビジネスには不向きなのかとも思う。残りの人生についても、いつまでに何をしておく、などどいう考えはない。葬式の準備はすませておくが、それは目標などではない。
    ラグビーワールドカップのような、日時が確定されたスポーツ大会なら目標を明確にすることの重要性はわかるが、人生はスポーツ大会ではない。
    もちろん進む方向はある。でなければ今日歩くこともできない。でも歩いていけば何日先にどこに着けるかなど、わかりはしない。
    ではなにが「やるべきこと」なのかといえば、「いまとりあえず、自分ができること」ということになる。
    今日できることを今日やろう。明日のことは、わからない。踏み出す方向もわからなければ、足も前には出ないが、方向が分かれば前には進めるであろう。これがいまの私の実感で、このお盆シーズンに「とりあえずできること」を書き出していというわけだ。
    歩いていれば、新しい風景がひらける丘にたつこともあるだろう。歩いていれば、転ぶこともあろうが、それも楽しみとしよう。こう考えることのよさは、「できなかった」という自責の念にさいなまれないこと。できるもできないも、今日できたことが今日の自分なのだから。
    今日一日を振り返る。6時起床、8時に家をでてトレーニング。スイム1時間、スピニングバイク45分、トレッドミル45分。帰宅してそばを楽しみ昼寝2時間。目覚めて洗濯機を回しすともう夕方だ。テレビでラグビー、夕食、テレビで世界陸上、そしてこのブログ。
    なかなか活動的な一日であったが、とくによかったのは昼寝で、久々に生き返った気分での目覚めてあった。
    明日は10時半からスイムのレッスンだが、その前に伝票の整理をすすめよう。
    蝉の音に 今日の命を 振り返り
    だからトライアスロンも「今日できていることを楽しむ」。
    写真は昨日のラグビー観戦。パナソニックワイルドナイツとハイランダーズ。ゲームはよかったけど、チェアリーダーの応援には腹がたった。ラグビーとは息をひそめて見入るスポーツなのだ。あれはいかんなあ。

  • 連休中の過ごし方、連休の意味、そして夏休みの予定。

    連休中の過ごし方、連休の意味、そして夏休みの予定。

     土日月と連休の3日間だ。有難い。

    連休には、まず体調のリセット。酒をやめ、ストレッチを丁寧に行い、早く床について十分に睡眠をとり、早く目覚める。
    次にトレーニング。昨日の連休初日はトライアスロン仲間との早朝バイク錬50キロ。今日はジムでスイム錬に出かけ、明日は久々に1時間ランを行いたいと思っている。集中して身体をビルドアップする感覚だね。
    そして、仕事、なのだ。遅れているデスクワークをすまし、連休明けの仕事の準備を整える。つまり、連休だからといって仕事はオフになるのではなく、連休には遅れている仕事を取り戻すことになる。
    おいおい、ちょっと待て。連休に仕事をするのであれば、連休の意味はどこにあるのだ。
    考えてみると、基本的に打ち合わせでの外出がない。そして、世間が休みのため、メールや電話による緊張から開放される。つまり、腰を落ち着けて仕事に向かう、集中して仕事ができるところに意味があることになる。
    そうかあ。ここまで書いてきて気がついた。私にとって連休のありがたさというのは、世間が休みというところにあるんだ。世間が休んでいるから、オレは世間を気にせずに自分のペースで過ごしていける。「有難い」と書いてはみたものの、どうも、世の中に振り回されて生きているのかなあ。
    しかし、考えてみれば、正月の良さもそこにある。世間がひっそりとしていることに安らぐ気分がある。この頃はお店も正月3が日も営業するのが当たり前のようになっているが、それでも世間の様子はお休みなのだ。
    あるいは、世間が休みの日にデスクワークに向かっていく満足感というのもある。夏休みシーズンにレポートをまとめておこう、というやつだな。海外に出かけるとき、出国審査をおえて出発ロビーに入ったときに得られる解放感というものもある。オレはもうこの国にはいないんだよ、というやつだ。嬉しい瞬間だ。
    私にとって休日の有難さとは、世間が休みであることも含めて、世間と縁が切れる、世間から遮断されることの心理にあるようだ。
    定年退職となり、世間との縁が切れて孤独に陥る人がいる。世間とのつながりをつなぎとめるためか「安倍辞めろ」とFACEBOOKとブログの飢鬼道に走る人がいる。あれだけはなりたくない。
    改めて、休日は有難い。
    それは世間、社会とつながっている者へのご褒美なのだ。その時だけのもので、また日常に戻る。ご褒美だからこそ、休日に仕事に向かおうとも、休日を満喫することになる。
    そろそろ夏休みシーズンだ。話しのタネとして、「夏休みはどうします」との質問を受けるし、こちらも聞く。私の場合は「特に決めていない」がほぼ決まり文句で、気ままな一人暮らしになってからは、予定を決めて旅行に行くなどということはなくなった。

    さて、今年の夏休みのご褒美はどのように賞味するか。
    まったくの仕事なのだが、9月末までに「人工知能は医療医学に何をもたらすか」というタイトルのレポートを仕上げる必要があり、そのための助走を切りたい。
    たまっている経理の処理をすませたい。
    ここまでは仕事。
    そして、9月16日の九十九里トライアスロンへの準備をすすめたい。
    7月30日     荒川で10キロマラソン
    8月12日・19日  稲毛海岸でOWSのトレーニング
    8月27日     木更津トライアスロンのスプリント
    と予定も入れた。
    もちろん土曜日のトレーニングに加えて火曜日のスイム錬も復帰した。
    悩まされている椎間板ヘルニアもだいぶ回復しているようだ。
    8月11日は休日で、この日は熊谷でのパナソニック・ワイルドナイツとハイランダーズとの国際試合に出かける。
    よし、今年の夏休みは8月11日金曜から20日日曜までとしよう。休日を堪能しよう。

    梅雨明けと ならぬままにて 酷暑ラン
    体内の水分貯蓄量な多いのか、熱中症の危機を感じたことはない。
    身体が硬く、トライアスロンに合った体質ではないのだが、これはありがたい。
    写真は昨日のバイク錬の仲間たちとの記念ショット。
    佐藤さん、写真使わせてもらいました。

  • 1年半ぶりの大会参加。そこからこれからのトラライフを整理してみた。

    1年半ぶりの大会参加。そこからこれからのトラライフを整理してみた。

     先週は幕張チャレンジトライアスロンに参加。スイム750m/バイク16km/ラン5kmのスプリント大会。

    思い起こすと、昨年の大会参加は、沼津の駅伝のみで、それもスイムは流れが強くて中止であった。となると、3種目への参加は一昨年10月の伊是名以来となる。随分と久しぶりで、さらに椎間板ヘルニアに襲われたなか、なんとか完走を果たせて安堵した。
    以下が成績で、完走者196名中194位というお恥ずかしい状態であったが、それでも私なりに楽しむことができた。
    タイム:順位 1:54:00:194
    スイム:順位 0:29:34:198
    バイク:順位 0:48:20:186
    ラン :順位 0:36:06:192
    レース中は「なんでこうもうまくいかないのか」と思っている。スイムではどうしてこうも私一人引き離されるのか、バイクではどうして練習でできる時速30キロが安定的に出せないのか、ランではどうしてこうも息が切れるのか、と思っている。
    と同時に「いやいやこれが今の実力、落ち着いて落ち着いて」と言い聞かせる。そして「安定した呼吸」に意識を集中する。先に進むとか、スピードがあがるとかではなく「いまの最適な呼吸状態」を探り出し、それを見つけて安心する。そんな状態を、つまりレースというものを、それなりに楽しむことができた。苦しいことに挑戦する楽しみというより、苦しいなかで安定的な状態を見つけ出す楽しみを見出すことができた。天候、体調、身体の痛みを含む状態との自己対話の楽しみとも言えようか。
    これは今後に向けた収穫かなあ。
    レースから1年半も離れていた原因といえば、仕事となる。この2年間、仕事は大きな転機にあり、新しい仕事がスタートした。自分で笑ってしまうのだが、気分は30歳の初年兵なのだ。新鮮な気分でありがたいが、この年齢なっての「雑巾がけ」というのは、これはこれで大変でもあるのだ。
    本当は50歳代で60歳以降の人生の基盤(ビジネス)を築き、60歳以降はその土台の上でと思っていたが、安易な目論見はことごとく失敗。ようやく新たなスタートに立っている。何を言いたいのかといいえば、この2年は、意識も時間もトライアスロンより仕事に向かっていたということ。だから大会に出る機会も減った。
    ではこれからどうするのか。
    出る前にはそこまでは考えていなかったが、今回の大会は今後のトライアスロンライフの方向を占うものであったのかもしれない。
    さて、どうする。

    まず、これからトライアスロンを続けていくうえでの楽しみの感触をこの大会で得た。つまるところ「できることだけを楽しんでやる」こと「できることを見極める」こと、そして「息長く続けること」。「できることを見極める」とは自分ができないことを知ることでもあり、なんとも情けない思いもあり「これしかできないことを受け入れる」ことでもある。それを自らに納得させる感覚を今回の大会で得ることができた。
    よってトライアスロンは、できる限り、続けていこうと考えている。
    今年はあと九十九里大会のみ。そして11月の奄美大島合宿。
    来年以降は、今年を踏まえ、改めて、自分なりの大会参加スケジュールを考えてみたい。
    仕事との兼ね合いはどうするのか。
    これもやはり「できることだけを楽しんでやる」ことに尽きるようだ。それは「できないことを受け入れる」だけではなく、「自分ができることを見出しつつ」「できないことはできる人にお願いしよう」でもある。いいチームを作って仕事に向かっていきたい。
    落ち着けよ 言い聞かせて走る 初夏の空
    「できることだけを楽しんでやる」ことの要諦は時間管理と思っている。焦らず無理せず、大きな道の真ん中を、遠くの空を見上げてゆったりと歩くように日々を過ごしたい。今日歩けることしか先に進むことはできない。そして寄り道は避ける。若うちの寄り道は糧になるが、もうそんな余裕はないのだよ。そう自分に言い聞かせる。
    そこで、具体策なのだが、私の場合は酒だな。禁酒ではなく機会も量も減らす。
    写真は幕張大会のラン。全身の躍動がないよなあ。歩いているみたい。ああ。

  • ちょっと真面目に、高齢者スポーツ論。キーワードは「過度」への快楽。

    ちょっと真面目に、高齢者スポーツ論。キーワードは「過度」への快楽。

    このところ体調報告のようになっているが、その続き。
    スポーツには身体の故障や痛みはつきものだと思うのだ。ましてや60歳を過ぎてスポーツを続けていこうとすればなおさらのことだろう。
    薬局などに行くと、高齢者のための健康維持のパンフレットなどをよく見る。
    散歩など、適度な運動が推奨されてるが、トライアスロンのようなスポーツが推奨されているわけではない。それはそうだろう。
    そもそも、スポーツとは「過度」な要素を内在させているものであり、そこにこそスポーツの楽しさがあると思うのだ。もちろん「観るスポーツ」の楽しさは、常人ではなし得ない「過度」に鍛えられた身体であり、技術であり、チームプレーにある。
    一方の「するスポーツ」にも「過度」なことに自ら囚われていく心理があると思う。
    日常の生活では味わえない「過度」な身体の動きがもたらす快楽がある。走っている苦しい時間のなかで突如訪れるランニングハイも「過度」への陶酔だ。そして苦しさの結果で得られるゴールの達成感も「過度」であるからこそ、その魅惑が生まれるのだ。
    そもそも、日々練習を積み重ねて向上を楽しむという行為そのものが「過度」なことへの楽しみを孕んでいるではないか。

    60歳も半ばを過ぎてスポーツを続けていくには、何らかの心の整理や納得というものがいる。スポーツという「過度」なことを日常に取り入れることは、老化や臨終という言葉が身近となった者にとって、なかなかに刺激的な緊張となるのだ。
    オリンピックが近づくなかで、スポーツを語る場面に出会うことが増えている。「プレイ」や「遊び」といった開放的な、あるいは肯定的なトーンで語られることが多く、それはそれで反対ではないのだが、私としては「あまりに素朴な人間肯定論」に思えて鼻白む思いがする。
    スポーツとは年寄りの健康維持の楽しみではない。日暮れへと向かう黄昏の光に包まれながら、自らの心身に「過度」な刺激を打ち込む快楽なのだ。緊張感をもって暮らすことは気持ちがよい。たとえそのことによって身体の故障や痛みが生まれても、それも「過度」な楽しみのうちにあるものなのだよ。ちょっとMかな?
    5月18日のブロック注射以降、腰の痛みは治まっているが、膝の痛みは続いている。治まっていく方向にあるが、太ももの内側に痺れが走り、階段を下りる際に、膝が痛む。困ったことに、右ばかりでなく、左足の膝も、わずかだが、痛むようになってきた。
    腰ばかりでなく、左の首、肩、腕が痺れている。顎をあげると肩が痛む。こちらの原因はバイクの姿勢。要は身体がめっぽう硬く、痛みやすいことが基本にあるのだ。以前、トレーナーの方に「とくこれでトライアスロンをやっていますね」とまで言われたことがある。そう、やってはいるが、正直なところ、歯痒いよな。
    さて、この事態にどのように向かい合っていくのか。
    前回のブログでも確認したように、ペインクリニックで痛み対応をしつつ、マメに身体を動かしながら回復に努めることになるのだが、手加減の具合が難しくて1回失敗している。ポイントは無理をしないこと、となるのだが、実際のところ、どこからが無理なのかがわからない。
    困ったことに、どうしても「過度」に走ってしまうのだ。
    肌を刺す 五月の光が 命かな

    トライアスロンを始めて最もよかったのは、自分の体調と機能に敏感になったことと思っている。老化とは体調と機能の変化、ないしは低下である。「体調」とは自分で感じる身体の総合的な感覚であり、自分と向き合うバロメータだ。
    写真は、昨夜の我がトライアスロンチーム、ATA南行徳のキックオフパーティ。この年齢になってこうした仲間とともに酒を呑む幸せをかみしめる。そこでの会話で、仲間の一人から「会社の同僚がこのブログ見つけ、刺激をうけてマラソンを始めて10キロ以上減量した」との話を聞いた。嬉しい限りだ。

  • 朋あり遠方より来る、また楽しからずや。とむさんありがとう。

    朋あり遠方より来る、また楽しからずや。とむさんありがとう。

    2017年4月2日日曜日

    昨日は新橋の行きつけの呑み屋で、このブログを通して知り合ったとむさん(愛称)と二人で歓談した。初対面であったのだが、打ち解けて楽しく呑んだ。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」。話題はもちろんトライアスロンだが、老後の過ごし方から自然と子どものことにも広がっていった。
    とむさんとのいきさつをご紹介しよう。呑みながらの話しも混じっているので、記憶違いがあったら、とむさん、ごめんなさい。
    とむさんはお仕事の都合で長らくグアムにお住まい。スポーツに恵まれた地でバイクとランを楽しんでいたが、スイムを加えればトライアスロンになるということで、トライアスロンに関する情報をネットで集めているかなでこのブログに出会ったという。ありがたいことにブログを気に入っていただき、初回さらさかのぼってお読みいただき、トライアスロンを始めるにいたり、いまもご愛読いただき、コメントもお寄せいただいている。
    今回は人間ドックのために日本に来たついでに、お会いすることになった。
    とむさんは60歳(62歳でしたっけ?)。私が66歳なので「今後の参考」としてブログをお読みいただいているという。
    ありがたい。
    このブログはまさにとむさんのような読者を得ることを期待してスタートし、続けているもので、これ以上の歓びはない。まさに「朋」を見出した心境なのだ。
    4月7日日曜日引き続き
    話しは多方面に及んだが、初対面にもかかわらず、お互いに構えるところはまったくなく、すぐに打ち解けて「談論風発」。さて、それはどうしてだろう、と考えてみたくなった。
    もともと共通の趣味で出会ったのだから、話題には困らない。とむさんは私のブログの愛読者であり、私についての事前情報は十分であり、お互いの好意が前提であるなどが考えられるのだが、でもそうしたことだけで説明をまとめたくない気分が残ったのだ。
    まずあげておきたいのが、とむさんのお人柄。沖縄ご出身とのことで「朴訥な南の島男」の風貌でじつに好ましい。それは確かにすぐに打ち解けた原因とはなっているだろうが、話しがはずんだ理由にはならない。

    いま私が納得する最も大きな理由は「生きていくことに対する肯定的な感覚」であるかと思う。そのことを共有しているので安心して話題をだせる。意見を言える。この感覚は趣味趣向や価値観の以前にある、生きることへの基本的な態度と思う。だから話しのやりとりにしても「あれがよかった」「これが楽しい」「いいですね」「賛成」「うらやましい」ということになる。「あれが腹立つ」「これが悔しい」「いやだねえ」「そうは思わない」とは絶対にならない。そんな不快なやりとりをするぐらいなら、一人トレーニングにでかけよう、地球は楽しいぞ、ということなのだ。これは基本的な気質といえるかもしれない。
    そこで話を広げる。トライアスロンを楽しんでいる人がすべてそうというつもりはないが、トライアスロンには「肯定的な感覚」を沸き立たせる魅力があると思う。第一に記録を争わない。勝った負けたがない。満足は自足である。相手は地球であり、感謝しかない。トラブルはつきものでそこで怒っても仕方ない。謙虚に受け止めてトラブルに学ぶ楽しみを見出すのだ。
    私はトライアスロンの仲間にはそうした共通の感覚が根底にあるように思う。だからとむさんとの二人の時間が楽しかった。
    さらに話を広げれば、これは「スポーツとは何か」「スポーツをどのように楽しむか」を考える本質なのだ。昨日スーパーラグビーでサンウルブスがブルズを破って今季初勝利。いい試合だったが、試合後のブルズのキャプテンのコメントが印象に残った。「まず勝者をたたえ、次いで試合を的確に分析して仲間をねぎらい、観客に感謝する」であった。ラグビーを勝ち負けも含んで楽しんでいる。実に知的だ。
    春雨に 心さわがし コップ酒
    今年は無理だが、来年はグアムの大会に行きたいと伝えた。7月と10月に大会があるという。その準備を始めよう。グアムにはサッカーのカズをはじめ、多くのプロアスリートが合宿をしている。そんなグアムで遊び、スポーツアイランドグアムの今後の可能性を考えてみるのも、プランナー岩﨑としては楽しみだ。
    とむさんと呑んだのは私が行きつけの新橋の大衆呑み屋。
    写真はとむさんと。
    とむさん、これからのトライアスロンを楽しんでいきましょう。