カテゴリー: ライフスタイル

  • 始めて9年にして、ようやく「泳げる」ようになったのかもしれない。

    始めて9年にして、ようやく「泳げる」ようになったのかもしれない。

    3月25日土曜日

    日一日と陽射しが輝きを増している。しかし今日の空気は冷たかった。こうした天気は苦手だなあ。明るい光に誘われて勇んで外に出ると、いきなり冷や水を浴びせられた気分になる。
    今日はスイムとバイクのトレーニング。日の明るさだけ見れば、バイクの気分満々となるのだが、風の冷たさを思うと気がなえてしまう。そんな状態で「よし行こう」と言いきかせ、すべての用意をして出かけようとおもったら、なんとヘルメットがない。見当たらない。仕方ない。バイクを諦め、スイムとジムに変更し、荷物を入れ替えて普通の自転車ででかけた。

    まずスイム。これがうまくいかなかった。100メートルを2分40秒×7本が回せない。1本目は2分30だが、2本目からタイムが落ちていく。これはいけないといろいろやってみるのだが、手ごたえなく、あがくように落ちていく。大いに意気消沈した。
    そこで1時間のトレーニングのあと、バイクは行かないので、スイムの自主練を続けた。特に何かの目的をもったわけではないが、意気消沈の気分をなだめたかったのだろう。そこで、ちょっとした、いや、私にとっては大きなことが起こったのだ。それをお伝えしたい。
    私のスイムの欠点。それはブレスをしたときに延ばしている手が落ちてしまうこと。私は左ブレスだが、左手を前に出そうとすると、右手が落ちてしまう。いや、正確に言えば、右手をかいてしまう。この状態を回避するにはキャッチアップクロールが有効で、これであれば、左手が「追いつく」まで、右手はのびた状態にある。これは問題なくできる。しかしだ。しかし、このキャッチアップクロールは楽しくないのだ。泳いでいるリズム感、躍動感が得られない。さて、どうしたものか。これがスイムの基本的な悩みであった。
    それが今日、完全にキャッチアップではなく、キャッチアップ気味でリズムをもって泳ぐ方法を会得できたのだ。リズムと躍動感をもって「キャッチアップ気味」に泳ぐことができたのだ。トライアスロンを初めてもう9年になる。9年目にしてようやく「クロールらしきもの」を手に入れた実感があった。大きな驚きであった。
    やってみればポイントは簡単で「リズム」である。私なりの(右手がおちてしまう)クロールのリズムはある。面白くはないがキャッチアップのリズムもある。しかし、その間のリズムがつかめなかったのだが、今日、つかむことができた。
    ポイントはブレスとキックのタイミング。そして大きなローリングでブレスを楽にする。これでなんとなくつかむことができて、25メートルを何回も繰りかえしてみた。感じはつかめたように思う。
    しかし、しかしだ。だからとって速くなったわけではない。
    まあ、それは次の楽しみとしよう。
    今日の驚きは、「続けていけば何かが起こる」ということ。
    トライアスロンを始めた9年前。レースまではいけなくとも、泳げるようになればいいだろうと思った。マラソンを走れることができれば、それでいいと思った。マラソンは5時間以内で走ることができるようになった。レースも伊是名ではハーフを完走できた。そしてどうやら泳げるようになったようだ。
    「続けていけば何かが起こる」。
    私にとって、これがトライアスロンの最も大きな楽しみだ。
    なにはなし プールであがいて 春来たり
    ヘルメットはジムに忘れていて保管されていた。
    始めたときから使っているので、これを機会に買おうと思っていたが、出てきたので、もう少し使ってみようか。
    3月26日日曜日
    今日は一日冷たい雨。終日友人の出す本の校閲に向かっていた。
    いま校閲済のゲラを宅配集荷で送った。
    明日の朝までには新規プロジェクトのコピーを書かなくてはならない。
    今日も泳ぎに行きたい気分は強いのだが明日にしよう。
    写真は出てきたヘルメット。
    消耗品なので、安全を考えれば買わないといけません。

  • 久しぶりのブログ更新。また先に向かっていこう。

    久しぶりのブログ更新。また先に向かっていこう。

    いけない。ブログの更新をだいぶサボってしまった。

    何回か、書き始めたのだが、どうにも先に進まず断念した。
    その原因の第一は、何を書くのか、どうもはっきりとしない。だいたいいつも何を書くのかはっきりしないままに書き始める。書いているうちに手ごたえを得るといいのだが、なかなかそうはいかない。今回もこうして書き始めているが、まだ何を書くのかはっきりしてない。
    原因の第二はやはり時間だな。ブログに向かう時間がとれなかった。いやいや、そんなに忙殺されていたわけではないのだが、こんなブログでも30分から1時間程度集中する時間が必要になる。なかなかタイミングがあわずに、ズルズルとここまできてしまった。
    原因の第三。これは最も本質的な原因である。実はこの1か月余りは、「心ここにあらず」の状態であった。仕事がらみのことであるのだが、そのことに時間をとられるのではないが、いつも頭から離れない。そうか、これだな。というわけで、ご無沙汰の原因がはっきりとした。これで気分はすっきりした。
    さて、今回のテーマは「身体の異変」。
    3週間前の土曜日の練習。メニューはバイク&ランのデュアスロンであったが、それ以降、なぜか両膝が筋肉痛になっている。痛くて正座ができない。膝を折ってもかかとがお尻につかない。
    バイクで膝を傷めたのは初めてである。これがどうも釈然としない。デュアスロンといっても走る距離は1キロぐらいであった。どうしてそれで筋肉痛になるのが、わからない。
    最近は医者に行くと「加齢ですね」と言われることが多い。そう言われてしまうとただただ笑うばかりなのだが、この膝の痛みも加齢であるのか。しかし3週間を経て痛みはだいぶ和らいできた。走っていても痛みが出ていたのだが、今日はなんとか2キロを走ることができた。
    次が歯。前歯の差し歯が抜けて治療中なのだが、左の下の歯が調子が悪い。硬いものを噛むと痛みが発する。硬いといっても朝のシリアルだ。これを噛み砕くと痛む。歯周病だ。そこで歯間ブラシを太めサイズにして、丁寧なブラッシング。磨くと痛みが走るのだが、そこを我慢して歯間ブラシでじっくりとこする。少しよくなったようだが、これも完全に加齢だ。

    再びさて、「心ここにあらず」の原因は終了した。加齢は進んでいるが、身体の異変は回復に向かっているようである。春も近い。あまり細かなことにとらわれず、どんなことにも一歩距離をおいて心とらわれず、カラリとした気分で毎日歩いていきたいと思っている。
    日がのびて 黄昏どきに 走りだす
    話題の映画ララランドを2回も観た。映画好きだが、続けて2回観たのは初めてではないか。それほどに好きだ。こうした映画を観ると、この世界に行きたかったなあと思う。この世界とは歌であり、ダンスであり、ショーであり、映画である。
    それはかなわぬ夢であるが、自分なりにその楽しみを養っていくことはできないかと考えている。
    写真はララランドのプロモーションからとりました。

  • 66歳誕生日。あと5年70歳までは「変身」をテーマに「自己教育」を楽しむ。

    66歳誕生日。あと5年70歳までは「変身」をテーマに「自己教育」を楽しむ。

    2月16日に66歳の誕生日を迎えた。故郷横浜でのさささやかな誕生会で高校時代の思い出話しをしたのだが、それが50年前のことに気づき、ちょっと驚いた。

    「50年といえば半世紀だぞ!!」
    当り前じゃないか。そのうえで
    「あと5年、70歳まではしっかりと生きていきたいなあ。そのあとはその時に考えるさ」
    というのが、私の66歳誕生日の感想となった。いまの仕事の状況と健康状態からすれば、あと5年は元気で働き、トライアスロンを楽しむことはできるだろう。この歳だから、いきなりガンの宣告をうけることもあろうが、あと5年というのは、ある程度のリアリティをもって眺めることができる。
    ただしこの話のポイントは「5年以上先はわからない」というところにある。仕事はどうなっているか。病気で入院していないか。心配事をあげればきりもないが、「先のことなどわからない」。66歳にもなって、こんなイロハのイの字を改めて実感するというのも情けないが「そのことを静かに受け入れよう」という話しとなった。
    ではこの5年間はどうなのか。どんな毎日をどんな心構えで過ごすのか。「しっかりと生きる」というのは具体的にどんなことなのか。
    そんなことに思いを巡らせている折、たまたまNHKBSの「人生100歳時代」というパネルディスカッション番組を観てなるほどと思った。
    100歳時代になれば、人は人生のなかで何回も「教育」を受けることになるという。これまで教育は主に5歳から22歳の間に集中的に行われ、60歳までは労働、それ以降は引退と考えられてきた。しかし100歳時代では、人は22歳以降、社会動向や周辺の変化に応じ、何回も「教育」と「労働」を繰り返すことになる。「教育」の内容も「労働」のありかたも、ということは何でお金を稼ぐのかも「変化していく」ことになるというわけだ。100歳を生きるための重要な能力として「変身」があげられていた。
    この「教育」は主に学校ではなく、インターネットによる「自己教育」として行われる。だから、この「自己教育」と「変身」は楽しいものでなくては続きはしないし身にならない。次の「労働」によりお金を稼ぐために楽しく「変身」への「自己教育」に挑むわけだ。
    この年齢で恒産を築き、憂いなく引退生活をおくる方もいるだろう。しかし60歳以降いかに長い間収入を得るか。これは好むと好まざるとにかかわらず「人生100歳時代の冷厳な現実」なのだ。私もまだまだ働いて稼がないとならない。
    となると、今後の5年は70歳以降の「労働」を支える「変身」への「自己教育」の期間となるわけだ。
    ここまで考えてきてちょっと心が落ち着いた。。
    「先のことが分からない」を受け入れても、今日何をすべきかがわからない状態では落ち着かない。暮しの軸が欲しい。毎朝「よしっ」といって朝日を浴びる気分が欲しい。
    ということで、この5年間は「変身」への「自己教育」を心構えとしよう。それで70歳となって「どうするか」を考えることにしよう。
    同じ仕事を続けても新たなスキル獲得を目指す。意図して若い人を仕事に巻き込む。チームでの自分の立ち位置を変えてみる。そして身体づくり。思いつくのはそうしたことだ。それらはすべて楽しみでなくてはいけない。
    100歳まで生きるとも考えてはいないが、70歳にどうなっているのか、楽しみとなった。けっこうじゃないか。楽しく生きるにはいろんな工夫がいるのだ。
    さて、ようやくここで、話はトライアスロンとなる。トライアスロンによる「変身」への「自己教育」とは何か。身体づくり(柔軟性・筋力・姿勢)、健康と体力維持、トライアスリート仲間、自己管理による暮らしの楽しみなど、かけがいのない財産としてあげられる。
    春いちばんに あおられ祝った 誕生日
    土曜日の練習はインターバルトレーニングで、スイムで50メートル1分15秒3本を3セット回すことができた。ランでは500メートルを2分15秒~30秒で6本走ることができた。最後尾の低レベルでお恥ずかしいが、スイムもランも更に15秒短縮したい。勝手ながら、まだ伸びしろはあると思っているのだが、さてどうなるか。これも70歳までの楽しみにしておこう。ここらあたりが「自己管理による楽しみ」だ。
    お誕生日のメッセージをお寄せいただいた皆さん。感謝です。皆さんのメッセージはまさに生きる力になります。
    写真は小宴を催した横浜のレストラン「ホフブロウ」。
    「最初に来たのは高校生だったな」
    「ハンドボールの試合の帰りに来てピザを食べた」
    「生まれて初めてピザを食べたのがここだった」
    「それからもう50年もたつのか」
    という次第。
    なお高校時代の「ホフブロウ」は海岸通りにありました。

  • 「あけび鍼灸院」の「陰陽動作理論」。お勧めします。

    「あけび鍼灸院」の「陰陽動作理論」。お勧めします。

     2月となった。前回のブログよりだいぶ時間が空いてしまった。どうも仕事に追われて落ち着きのない日々を送ってきたようだ。

    5月の横浜トライアスロン・スプリントは落選してしまった。今年の第一戦は6月18日の幕張・スプリントに予定変更。
    バイクのギアの具合がおかしい。メンテナンスに出したいと思うのだが、なかなかタイミングがとれない。家の近くの一般の自転車店でワイヤの張替えを頼んでとりあえずの対応としようか。
    明日は大井運動公園のハーフマラソンに参加。スタートは午前9時。それを終えて午後4時から千葉トライアスロン連盟の集まりに参加する。66歳になると表彰があるとのことで、案内が来た。場所は幕張のホテルで、大井町から幕張までの移動となる。長い一日になりそうだ。天気予報では、昼近くより雨とのこと。ギリギリでも雨にあたらないことを祈る。なお、朝から雨であれば不参加にする。
    今日はスイム&ランのトレーニング。昨夜の酒が残っていたけど、スイムもランも、まあかな。

    こんな具合で、まあ、平穏なトライアスロンライフの年明けである。
    さて、今日の本題は「身体づくり」だ。
    昨年の暮れに腰を痛め、十条の「あけび鍼灸院」に行き、院長の海谷さんとの相談で、腰の痛み治療にとどまらず、「身体づくり」に向かってみた。その名も「陰陽動作理論」。http://akebi89.com/yin-yang
    私も十分に理解しているわけではないが、施術を受けての理解としては、肩甲骨を動かし、身体の前面の筋を延ばし、自然と背筋に力を入れる。
    肩甲骨を閉じ、肩を落として背中で息をする感覚をつかむ。
    施術は「スタックポイント」となずけたポイント(凝りの点)を探し出し、鍼を打つとともに、筋を伸ばす。けっこう痛いが、身体が伸びてほぐれていく感覚は気持ちがいい。
    これにより自然と立つ状態を認識する。家では片足立ちをして、安定的なバランスを身につける。
    「陰陽動作理論」は海谷さんが独自に編み出したもので、私としては、いわばモニターとして、施術を受け、その効能を確かめている。
    感想としては「だいぶ身体が動くようになった」し「自分自身の動作についての意識が高まり、身体を動かす楽しみが増えた」と思っている。
    私が「身体づくり」で求めているのは、柔軟性と躍動感だが、手ごたえは感じている。
    ぜひお勧めしたい。
    冬の風 抜ける青空 空ながむ
    このところ、朝の仕事を済ませて昼前に外にでかける日が続いている。15分ほどストレッチングをして5キロほど走る。走るといっても普通に走るのではなく、まず歩く。腕を振り、姿勢を意識して歩く。身体が温まるとユックリとスロージョグ。少し汗ばむと、大股でジャンプするようにして走る。息が切れると歩いで、また走る。走るときはフォームを強く意識する。歩幅を大きく、いささかでもダイナミックに走るようにするトレーニングだ。これがけっこう気持ちいい。
    これも「身体づくり」の成果であると思っている。
    写真はランの折り返し地点。いい景色でしょう。この眺めが好きだ。

  • 今年の初映画「メルー」を観て「立ち向かう」ことの魅力に触れたお正月。

    今年の初映画「メルー」を観て「立ち向かう」ことの魅力に触れたお正月。

      「メルー」という映画を観た。人間を寄せ付けないヒマラヤの頂「メルー」の初登頂のドキュメントだ。ただし、映画のキャッチコピーにあるように、これは「登山」の映画ではなく、「登山家」の映画である。メルーの初登頂を果たした3人がその「登山家」である。

    なぜ山に登るのか、山に登るとはどのようなことなのか。そもそもクライマー(登山家)とは何なのか。死と隣り合わせの危険とどう付き合っているのか。登山の大切なパートナーの死をどのように受け入れるのか。メンターをどのように引き継ぐのか。そして自ら被った事故、瀕死の重傷をどのようにして克服していくのか。
    そうしたことが、当の3人の独白とその友人の解説を中心に淡々と描かれる。3人のうち一人は世界最高のクライマーであり、一人はこの映画の映像を撮影した登山映像の第一人者。いま一人も山の映像を手掛けており、映像の美しさと緊張感は半端ない。この3人や映画制作の状況などについては、ホームページで確認いただきたい。
    ここでは「メール」を観た「私なりの感想」をまとめてみたい。語りたい映画というのはあるものなのだ。
    この映画で主に扱われるのは「登山と家族・登山と仲間」である。ここには金の話しはない。職場の複雑な人間関係も恋の駆け引きもない。権力との闘いもない。無能な上司もいなければ、熱血教師もいない。扱われる人生はいたってシンプルである。それがために、「愛すること」「信頼すること」「立ち向かうこと」など、人間が生きるうえでの基本的な要素が際立って浮かび上がってくる。
    その印象が心に残り、見終わったあとはとりとめもなく、いま見た映像と独白の言葉に頭を巡らすことになる。
    そうだなあ。この映画の印象を素朴にまとめると「立ち向かう」ことかな。でも「生きることは立ち向かうことである」と言ってしまうと、ちょっと違う。そこまで思想化してしまうとこの映画のもつ力強さが失われてしまう。もっと素朴に「立ち向かう」ことなのだ。それを素晴らしいと言うのもちょっと違う。映画を観ていると、むしろ、なにもそこまで立ち向かう必要はあるのか。それは英雄的な行為で美しいことなのか、とさえ思える。
    3人にとって「立ち向かう」ことがあまりに自然で当然であることに心打たれるのだ。もちろん「立ち向かう」最大の目標はメルーの登頂にあるのだが、その一事だけではなく、3人の生きていく姿勢に、この「立ち向かう」感覚がうかがえる。
    3人によるメルーの登頂は、1回目は頂へわずか100メートル時点で「撤収」となる。危険回避による大きな決断であるのだが、観ているこちらは、中止の決断も「立ち向かう」行為として受け止める。そして2回目の登頂の準備を始める。いかに過酷で困難であるかを知ったうえで、あきらめず「立ち向かう」ことに背中を叩かれた思いがする。
    この映画には「立ち向かう」人間の魅力を伝える映画であったように思う。無心に立ち向かう。立ち向かうことを当然とし、たんたんとして立ち向かい、その時と気分を楽しむ。その姿に共感をし、私もそのようにありたいと思った。
    正月映画に 思いもよらず 立ち止まり
    トライアスロンには「立ち向かう」気持ちを喚起する力はあるように思う。立ち向かう気持ちがなくてはレースで前に進むことはできない。我が身を励まし立ち向かっていくことの魅力をトライアスロンのレースは教えてくれる。何も大きな頂でなくともよい。小さなレースでも、立ち向かっていく時を気分を楽しんでいきたい。
    そんなことを確認した正月映画になりました。

  • 元旦走り初め。久しぶりに10キロ超・1時間以上を走ったこの気持ちよさ!!!

    元旦走り初め。久しぶりに10キロ超・1時間以上を走ったこの気持ちよさ!!!

     当ブログをお読みいただいている皆さま。明けましておめでとうございます。お元気ですか。皆様のお元気を祈念いたします。今年もブログを続けていきます。よろしくお願いします。今年初のブログは年末年始の報告です。

    12月30日。スイム30分・ジム30分のトレーニング。明日は墓参りに出かけるが、その前にランを予定。正月1日・2日・3日・4日も毎日走りたいと思っている。
    今年1年を振り返れば、出場大会は沼津千本浜の駅伝と木更津トライアスロンの2つだけ。沼津はスイムは中止となってしまったので、ちゃんとした大会は木更津のみ。それもタイムは4時間をオーバーという具合で、まったく締まらないシーズンになってしまった。しかし、こうなるにはこうなる事情もあっていたしかたない。思うようにできないなりに、楽しみを見つけだしていくのも面白さというものではないか。そのように自らをなだめている。
    12月31日。江戸川沿いを30分ラン。そのあとは横浜のお墓参り~帰宅して姉と久しぶりの食事で年を終える。日本酒をいただいてお腹いっぱい。毎日呑む暮らしから基本呑まない暮らしに転換中なのだが、こうして家で呑むのは気軽でいい。周囲には居酒屋巡りを楽しみにしている方もいて、それはそれでいいなあと思いつつ、私はそちらには行かないなあ。見ていると居酒屋巡りの方々は「肴」にもこだわりがあるようだが、私は「肴」を狙いにして呑みに行くマインドはない。ネタは普通の居酒屋メニューでいい。おいしい小鉢でユックリと酒を、あるいは会話を楽しみたい。一番の苦手は「うるさいお店」。
    1月1日。謹賀新年。皆さま明けましておめでとうございます。
    一年の計は元旦にあり。ということで、今年のターゲット大会をリストアップ。
    5月 横浜 スプリント 抽選申込
    6月 幕張 スプリント
    7月 昭和記念公園 スプリント
    8月 手賀沼 オリンピック
    9月 九十九里 オリンピック
    いずれも参加体験のある大会で様子も分かっている。
    このほか、近場のランニング大会も月一ぐらいには行きたい。ちなみに1月15日は皇居でのランニング大会に10キロで申し込んだ。2月は大井競馬場近くの大会でハーフの予定。
    こうしてみると分かるように、基本は近所で手軽に参加できる大会をリズミカルに月一ペースで。特別なことをするのではなくトライアスロンライフの形をつくるのが今年の方針。
    そして身体づくり。とりわけ下半身の柔軟性と筋力アップ。
    腰痛で「あけび鍼灸院」の海谷さんを訪ねてから、この年末からは週一で「身体づくり」に通っているのだが、その話は次回のブログでお伝えします。
    黄昏時に 夕日に向って 走り初め
    今日は夕方から10キロ超(12キロほどか)のラン。ともかくユックリユックリのLSDで1時間20分ほど。腰痛に引き続いての下痢のため1時間以上のLSDは実に久しぶり。腰の痛みや下痢の心配なく走ることの気持ちいいこと。私の場合、とにかくランが基本なのだ。10キロ超・1時間以上を気持ちよく走ることができるのが「身体の基本」なのだ。「身体の基本」を確かめることが心身の安定になるのだ。ようやく「身体の基本」に戻れて縁起の良い元旦となった。正直嬉しい。今年は週一で10キロ超・1時間以上を走ることが目標。
    もちろん明日も走るけど、今日の成果をベースに、明日は1キロ×5のビルドアップのつもり。1キロ単位でだんだんとスピードを上げていく。5本目はキロ5分を目指す。これは私なりのスピードトレーニング。
    こんなことが、私の日々の楽しみ。
    写真は今年の手帳。あえて黄色で気合を入れてみた。(笑)今日引き継ぎの記入を終えて気が引き締まる。

  • 年の瀬に下痢に悩まされた8日間。問題は湿度かなあ???

    年の瀬に下痢に悩まされた8日間。問題は湿度かなあ???

    先週の土曜日にATA南行等の忘年会で痛飲した翌朝。目覚めると身体に寒気が走り、下痢が始まった。これは前日のお酒の影響かと思い、日曜日は静かに過ごしたが、明けて月曜になっても、次の火曜になっても下痢が治まらない。このあたりで「ウイルス性の下痢」を疑い、それであれば数日で治まるとおもっていたが、治まらないままに今日日曜に至っている。もう8日だよ。かなりうんざりしている。
    下痢の症状としては、1時間から数時間おきにトイレに駆け込む状態で、あわせてとても眠く、ともかく元気が出ない。活力が沸かずすぐにソファーに横になる。早く家に帰って眠るのだが、いくらでも眠られるような感覚である。
    そんな状態のなかでも仕事はこなし、水曜日はイベント学会のシンポジウムで司会と幹事役を努め、病態を励まし励ましなんとか乗り切った。
    ということで、腰痛はだいぶよくなってきたが、それと入れ替わるように下痢となり、シンポジウムのストレスもあって、年の瀬になかなかに過酷な一週間だった。
    ただし幸いにして金曜よりの3連休で救われた。23日金曜は足立フレンドリーマラソンに申し込んでいたのだが、下痢は収まらず不参加。24日土曜日のトレーニングも休みをとって1時間の早足散歩に出かけたが、最後はトイレギリギリのお腹具合で大いに焦った。
    さて、下痢が始まって8日目の今朝はといえば、ようやく形態をもった便となったが、それでも下痢気味は続いている。
    このところ毎年冬になると風邪をひき、それも長引く傾向にある。風邪の症状はおもに喉の痛みと微熱である。今年はまだそのタイプの風邪には見舞われていないものの、下痢となった。どうも冬の入りばな、年末は何かあるなあと思っていかないとならないなあ。
    そこで湿度計を買おうかと考えている。ネットで調べると1,000円~2,000円でデジタル温湿度計が手に入る。湿度が気になるようになったのは、思い出すと55歳あたりか。風呂上りに乳液がほしくなり、加湿器を部屋に備えた。これらは乾燥から逃げたいという生理的な欲求のなせることと思うのだが、風邪も今回の下痢も「乾燥に弱くなった」ことによるのではないかと睨んでいる。
    子供たちは雨が降っても冷たい風が吹いても元気に遊んでいる。歳をとることで気候天候に身体が敏感になるのかもしれない。であれば、それを数字で見てみたいと思う。記録をとって気候天候の変化と身体の状態の相関関係を探ってみたいと思う。
    いま、毎日はできないが、朝の起き抜けに血圧と体重を測っている。日々の暮らしのなかで、だんだんと意識してコントロールすることが増えていく。
    北風に 深呼吸一つ 歩き出し
    今年もあと6日。私も一字で今年を振り返れば「忍」かな。新たなビジネスも始まり、「転」とも思うが、それは来年。今年は初めてのことも多く「ガマン」や「失敗」も多かった。それが活きる来年にしたいものだ。
    まだ今年は終わりじゃあありません。年末ブログは31日に。

  • 「お酒のライフスタイル」から「トライアスロンのライフスタイル」を考えることになった。

    「お酒のライフスタイル」から「トライアスロンのライフスタイル」を考えることになった。

    11日日曜日に書き始めたブログです。ブログを書く時間は速くで30分。書き出したものの話しの筋道がみつからず数日に及び、結果破棄することもしばしば。これはなんとか最後まで書けたので掲載となりました。
    今日で禁酒二日目。というのはちょっと言い過ぎで、20歳以降65歳と10カ月に至るまで、入院期間以外は「基本毎日呑んできた」のだが、この歳になって「基本呑まない」生活にチェンジしようと思っており、その二日目ということなのだ。「基本呑まない」とは、家では基本呑まないこと。「絶対に呑まない」わけではない。外では呑むが、家では呑まないことを日常とする。でも気が向いたら家でも心をこめて嗜む。そんな生活へのチェンジなのだ。
    外で呑むときは大概誰かと一緒で、一人で行くことは月に一回もない。ただ、時折無性に一人で飲みたくなって居酒屋に行くのだが、あの衝動というのは何なのだろう。「今日は呑もう」という気分になるのは、あまり健全な精神状態でなく、緊張をほどく、心をなだめるといったこととなる。いまは独身なので、一人呑みのときには「酒は孤独な伴侶」といった心境に浸っていく。これはこれで悪いものではない。
    さて、タバコをやめたのがほぼ15年前の50歳ごろ。ある日キッパリというわけではなく、だんだんと減らして禁煙生活にたどりついた。いまは酒席でのもらいタバコはけっこうしているが、自分でタバコを買うことはない。
    酒についても、ビールの買い置きはしない~酒の買い置きはしないというように、だんだんとチェンジに向かってきた。毎日買うのも面倒になり、買わない、買いに行かないということになったわけだ。意志をもってパチンとやめるのではなく、やめていく暮らしの状態をつくってきた。
    お酒を呑まないと、翌朝が気持ちいい。特に起き上がってからの全身の目覚めの感覚は爽快で、約5分ほどの覚醒の時を楽しむこととなる。そんな朝を迎えることを日常としたいと思ってきた。でも長年の相棒であるお酒を簡単に扱うことはできず、ようやくここに至ったということだ。
    あとはこれをできるだけ続けていきたいとは思うのだが、さてどうかなあ。ポイントは夜の食事と食後の過ごし方。食事はフルーツをメインにすることで酒を遠ざけることを発見した。まずバナナを食べてからビール、という気分にはならない。問題なのは飲物なのだが、ミネラルウォーターがバナナによく合うことも発見。
    そして食後の過ごしかただ。酒がはいると寝るまで呑むことになるので、読書に向かおうと思う。夕食後に仕事がらみの資料に立ち向かう体力はなくなっている。横になって読めるものにしたい。気軽なエッセーもいいが、もう少し歯ごたえのあるものが欲しい。ということで、「小説」に向かおうか、と思っているのだが、さてどこからいくか。
    トライアスロンはライフスタイルと考えているのだが、私にとってのライフスタイルとは「毎日の過ごし方」であり、お酒は毎日のなかできわめて重要な部分を占めている。上の話しは私なりの「お酒のライフスタイル」なのだが、私なりの「トライアスロンのライフスタイル」も、どのような日常をつくっていくかにある。具体的には、日常生活のなかで、トレーニングと試合の時間をどのようにつくっていくかにあるのだが、今回の酒のことを考えると、それ以前のことがあるように思う。
    ポイントは気持ちよく毎日を過ごすことだ。何が楽しく気持ちいいのか。そんな視点からトレーニングの日々を考えてみる。そこで思うのは、やはり十分に眠ったあとの爽快な目覚め、そして歩く時の軽快な感覚、バイクでの疾走感、そしてプールで浮かんだ折に感じる全身の躍動などだ。自分の生命がはじけていると一人感じること。そんな瞬間を味わいたくて、味わい続けたくて、トライアスロンに向かう。それはトライアスロンならではの魅力と思う。
    トライアスロンの魅力を語るときに、よく言われるのは「達成感」だ。もちろんレースでの達成感はあるのだが、3種目によって「肉体の躍動」を感じる魅力も大きい。思い出すと一昨年の伊是名トライアスロンでは、そんな魅力を味わうことができたように思う。
    あれこれと 振り返ってみる 年の瀬や
    このところのブログは自己確認の独り言のようになっているなあ。
    でもこれも私のトライアスロンライフの重要な要素。
    今回は「独り言」なので写真はなし。

  • かなり疲れてしまった この2週間

    気がついたら、もう2週間もブログを書いていなかった。この間のことをまとめてスケッチ。
    先週水曜日はアスロニアのキックオフパーティ。思ったほど参加者は多くなかったが、こんなときだから会える方もいて、くったくなく楽しんだ。
    金曜日に南行徳TIPNESSの自由参加の水泳レッスンにはじめて参加した。そこでも指摘されたのがやっぱり手の伸び。手をかくのが早すぎる。その対策としては、足のキックでタイミングをとるのがいいという。左足を強くキックし、そのタイミングで腕を含む身体全体を伸ばし、その姿勢で顔を上げる。スーッと伸ばす感覚だね。この指摘も手ごたえがあった。やはりリズムなのだよ、と一人合点。
    私からすればけっこうレベルが高くて、いっぱいいっぱいだが、折につけて行ってみようかと思う。
    火曜日夜ATA、水曜夜オーシャンナビ、金曜夜TIPNESS、土曜日朝ATA、日曜は自主連、となると多少は上達するか。でも、できるかな?
    土曜日は、足を痛めて以来はじめて、ランのトレーニングに参加した。といっても私だけまったくの別メニューで、ただ歩くだけ。天気はよく、風が冷たく、気持ちがよかった。翌日はどうなるのか心配したが、特に悪化はしていないようだ。
    これで味をしめ、この日以来、できるだけ歩くように、しかも早足で歩くようにしている。
    ようやく回復の手ごたえを得るところまできた。でも、まだ走ることはできない。3月いっぱいはウォーキングかな。
    次の日曜日は東京マラソン。築地にでかけ、初めて見物をした。こうしたことを、こうした盛り上がりでできる社会というのは、やはり基本的に豊かなんだよな。ここには景気の低迷も政治の迷走もありはしない。豊かな現実の風景がある。来年は申し込んでみようか。
    3時からは吉祥寺で大学の同級生の3回忌に出席。昔の仲間と久しぶりに会い、呑んで騒いだ。ああ、思い出茫々。みんな適当に歳を重ねているなかで、自分だけがいまだジタバタとしているようで、いささかシュンとして我が身を振り返った。
    月曜は札幌に出張し、夜に道の氷に滑ってスッテンコロリン。状況としては、いささか酒が入って次の店に行く途中。よせばいいのに、3車線の道路を横切り、歩道に行き着く手前あたりのできごとであった。ひどく酔っていたわけではないが、でも、明らかに酔っていた。
    自分としては、転んだ記憶がまったくない。気がつくと、ご一緒していたお医者様から人口呼吸を受けていた。初めての不思議な体験。気がついたあとは意外と平気な状態で、そのまま寿司屋で呑んだ。先生からは、今日は2時間おきに意識が確かかを確認するように言われ、ホテルに戻り、フロントに夜中の3時に電話コールをしてもらうようにお願い。無事電話にでることができ、幸いに、いまにいたるまで無事にいる。
    ただしいまだに頭のぶつけたところが痛み、変に力を入れると頭痛がする。それと頭をぶつけたショックからか、首が痛む。火曜日に東京に戻ってからは整体に行った。
    木曜は朝から胃カメラ。5年ぶり。今回はカメラを飲むのがつらく、その時間を長く感じた。診断の結果は、「もともと胃酸が強い体質で、胃と十二指腸に炎症が見られる」とのこと。その対策としては「太田胃散でものんでください」というのは力が抜けた。はい、常備しましょう。
    といった状態で、今週はけっこう疲れたな。水泳のレッスンも結局火曜日と土曜日のみとなり、できるだけ寝ることに専念をした。
    そんな折、日本版ニューズウィークでこんなコラムを読んでいたく共感をした。タイトルは『「素敵に年を取る」の愚かな幻想」。
    『ベビーブーム世代の最年長はもう65歳。そろそろ老年期の現実をありのままに受け入れるべきだ。老いとは「アンチエイジング」のサプリメントや、脳を鍛えるコンピューターゲームで改善できる些細な問題ではない。医学の奇跡的進歩で、いつか治療が可能になる「病気」でもない。・・・・上手に年を取る力は誰にもある。問題は、その力が途中で失われることだ。』
    そう。老いはトライアスロンで食い止められる問題ではない。スイムもバイクもタイムは向上しているが、一方で、生命の力が日々失われていることを実感している。それを前提に老いを受け入れて「上手に年を取りたい」と思う。
    疲れ果て 小春日和に 昼寝かな
    雪の道 歩くリズムを 探し出す
    年度末で仕事もつまって焦るばかりだが、こんなときこそ睡眠第一。

  • 驚いた! ある女の晩年!

    今日は鹿島槍のTTA合宿についての報告のつもりであったが、私のビジネスパートナーの澤井にすごい話を聞いたので、とにもかくにもそちらの報告。なお、年齢や日付などはうる覚えで正確なものではないので、その点はご了解お願いします。
    澤井さんのお父さんが85歳で亡くなったお葬式が7月18日。澤井さんのお父さんはその父から受け継いだ製缶業を発展させ、製缶業界のトップにもなられた一方、晩年はその会社を畳むといった過酷なプロセスを経験されており、私からみれば、まさに戦後の日本産業発展盛衰史そのもののような印象を受ける方。
    そのお葬式のあと暫くたち、お父さんの妹さんが、83歳で亡くなったというのが、今回のメインのお話。亡くなった妹さんは、もう身体が弱って兄である澤井さんのお父さんの葬式にも出られなかった。また、家族もすでになく、あまり周囲と親しくしてはいなかったようで、澤井さんとしても、父に次いで亡くなったときいても、さて何をしたらいいのか、といった状況であったように聞いている。
    この時点での印象は、83歳で一人さびしく亡くなった市井の老婆の物語。でも、葬式のなかで明らかになってきたのは、まったく違う豊かな人生の物語。
    澤井さんの話によると、妹さんがご主人をなくしたのが、52~3の頃。腎不全で救急車に運ばれ、ほどなく病院で亡くなったのが83歳。約30年の年月の間、彼女は何をしていたのか。そして、誰が救急車を呼んだのか。
    彼女の部屋はビリヤードの試合のカップで埋め尽くされていたという。彼女はご主人を亡くしたあと、どんなきっかけがあったか、ビリヤードを始め、それを楽しみとし、腕をあげ、数多くの大会で優勝するまでとなった。60歳、70歳、80歳の女性ハスラーなんて、素敵じゃないか。
    そして彼女を救急車に連絡したのは、彼女のボーイフレンドで、彼は最後まで、彼女をみとったという。親戚のだれもそのボーイフレンドの存在は知らなかった。澤井さんのいうところ、彼女より2歳ほど年長の普通のおじいさんであったという。彼女と最後を看取ったボーイフレンドはどこで出会ったのか。わからないけど、きっと玉突き場だよね。そして彼は最後まで彼女のそばにいた。
    それだけだはない。彼女は俳句の会にも入っており、亡くなる一週間前に、彼女の辞世の句が俳句の会で発表されたという。辞世四句のうち、一句は、地元にできる東京スカイツリーを読み込んだものであったという。きっと83歳の彼女は死を前にしても、「現代」を見ていた。まさに映画にあるような人生ではないか。
    この話を聞いて、最近たまたま見たテレビ番組を思い出した。それは終戦記念日の記念番組でビートたけしが出ていた。おまり覚えてはいないが、そこでは次のような女性の一生が描かれていた。
    戦前に浅草で踊り子になり家族を支えるが、男運に恵まれず男子を出産するも生き別れ。その後戦争となり、戦後はストリッパーから、身体をうるまでに身を落とし、いまは見る人もなく、意識不明で一人ベッドに横たわる。生き別れた息子はその後成功して政治家となるが、入院の費用は出しても、一度も見舞いに来たことはない、というもの。
    このテレビ番組では、そうした「女の一生」をひとつの典型として描いたわけだが、私がテレビを見たときの印象は「作り物人生の不自然さ、不愉快さ」であった。いかにもありそうなパーツを集めて、ホイっと投げ出したようないびつな物語。そうした一生を送った人はいないとは言わないが、テレビで「典型例」として示すには、「あざといなあ」というのが私の印象。
    一方、おそらくテレビの不幸な女性と同じ年頃の、誰も知らなかった、澤井さんの叔母の晩年の豊かさとリアリティはどうだろう。
    澤井さんと話したのは、それは特殊なものではないということ。普通の名も無き人は、このような形でそれぞれに、形こそ違え、豊かな人生を過ごしている、これが人の世であるということなのだ。
    それはマスコミがとりあげるようなものではない。事件もない。すべてがひっそりと落ち着いているため、誰も気がつかない。だからこそ、二人の間には誰も触れることのない世界が育っていく。
    彼女の人生は、56歳で妻を亡くし、トライアスロンに向かい、下手な俳句もどきに向かっている私への大きな指針となる。私は彼女に仲間を見つけた思いがした。
    だからといって、いま、私がガールフレンドを求めているわけでもないが。
    夏の暮れ 落日の火に 足を見る
    鈴虫の 鳴く声耳に 残る日を
    今日はとてもいい話を聞いたので、皆さんに、ぜひ、お伝えしたかった。
    この驚きと、人生の歓びを、分かち合いたかった。