カテゴリー: マラソン

  • 神奈川マラソンで新フォームへの挑戦も確かな手ごたえ!

    2月5日日曜日は神奈川マラソン(ハーフ)。リザルトは2時間3分1秒。半分の折り返し地点では59分台であったので、なんとか2時間切りを目指して自分としてはペースをアップしたつもりであったが、結果としては、後半のほうがタイムが落ちている。残念無念である。3分1秒というのも微妙で、あとひと足で2分台であったのにと思ってしまう。ハーフマラソンの参加は4回目であるが、このタイムは自己ベスト。1月のフロストバイトからも10分も短縮しているのだから、我ながら大健闘で大いに満足でもあるのだが、だからこそか、あとちょっとの欲もでてしまう。
    でも、タイムはあくまでも結果であり、今回の目標は「足を痛めない」ランニングフォームにあった。腰をリズミカルに回転させ、大きな足音をたてずに走ることで、つま先への負担を軽くする。1月28日の東京ドイツ村駅伝でつかんだコツをハーフの距離で試してみる、ということであったが、ある程度の手ごたえを得ることができた。こちらは素直に嬉しく安堵した。
    今回は、まず、左足の親指の付け根とつま先の2ヶ所にバンドエイドを貼った。靴下は5本指靴下ではなく、底に滑り止め機能のついたランニングソックス。靴紐も念を入れてゆったりめに縛る。
    走り出してからは、ともかく意識を足音と腰の回転に集中。身体の軸を中心に、前に飛び出る感覚を確かめながらスピードをあげていく。
    そこで気がついたのが、周囲を走る人の足音。パタパタとかなり大きな音をたてている人がそばを走ると、そのつま先に自然と目がいく。私のまったくの独断、思い入れだが、やはりつま先立って走っている感じがするんだなあ、これが。また、足音のたかいのは女性に多い気がしたが、これも勝手な感触で、その姿をみては「俺も前はそうだったんだよ」と偉そうに一人呟いては我が身の励みとした。
    それで実際の痛みであるが、10キロを過ぎると違和感を感じ始め、15キロを過ぎてからはハッキリと痛みとなった。しかし、これまでは痛みはひと足ごとに激しくなっていったが、今回はなんとか安定した痛みで抑えることができた。あるいは腰の回転を一層意識することで、痛みを和らげるという芸当もできた。
    最後の1キロは「なんとか2時間以内」を心の励みに、痛みをかみ締めながらの走りとなったが、でもこれまでの顔の歪むような痛みではなかった。
    実は3月18日に初のフルマラソンを予定している。今回も痛みが変わらないようであれば、フルはあきらめようかとの思いもあったが、これでなんとか参加への意識を高めることができる。それに昨年からの足底腱膜炎の痛みもひどくならず、正直ホッとしている。
    なお、翌日から痛んでいるのが、太股の前の部分。今までは太股の後ろのほうが痛んだが、これもフォーム変更の影響か。
    パーソナルトレーナーの石橋先生からは、この年齢であれば、10キロ50分、ハーフで2時間、フルで5時間以内が一つの目安とうかがった。
    あと3キロ体重を落とし、ストレッチをまめに続け、インターバルトレーニングでスピードをあげるといった努力を成し遂げれば、もうワンランク上にあがり、その目安を達成できそうに思えてくる。
    昨年の今頃はまったく走ることができなかった。今年はしっかりと地に足をつけたトレーニングをして、不安なくオリンピック距離のスタートに立てるようになることを目標にしている。ランについては、手がかりがついた。問題のスイムについては、次回に報告。
    横浜は 私の故郷 走り初め
    横浜の 冬空のもと ランニング
    走っているときに目線はどこにあるか。
    普段はまっすぐに前を見ているのだが、今回は足元をみて視界を限定し、自己の世界に没入する時間をとった。そして時折顔をあげて周囲を確認する。
    走るというのは自己との対話であることを、満足な気持ちで実感する。

  • 『走ることについて語るときに僕の語ること』をめぐっての最終回

    『走ることについて語るときに僕の語ること』のなかから心にひっかかったいくつかのフレーズを書き出してみる。
    『毎日集中して物語を書けるというのがどれくらい素晴らしいことなのか(そして大変なことなのか)、身体全体で会得できた。自分の中にまだ手つかずの鉱脈のようなものが眠っているという感触も得た』
    これは走ることについてコメントされたものではないが、「毎日続けることで身体全体で自分の中の鉱脈を発見する」という考え方に共感した。
    身体全体で発見するといっても、自分の身体能力や体力を開発するわけではない。身体を動かすこと、肉体を管理する生活を維持することによって、これまでに得られなかった、あるいは確認していなかった発想や意識を見出して自覚するということだ。私には思考は肉体によって支えられるという感覚がある。
    トライアスロンを始めるにあたって、私を駆り立てたものとは、肉体を通して、日々のトレーニングの中で、まさに村上春樹の言う、「手つかずの眠っている鉱脈」を揺り動かしてみたいといった意欲であったかと思う。
    『与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというもものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ』
    この文章で素直に共感した部分は「個々人の限界」への認識だ。次いでひっかかったのは「有効に自分を燃焼させていく」という部分。とくに「有効」という言葉に考えさせられた。この「有効」とは「燃焼」にかかるのか。あるいは「自分」にかかるのか。では「自分」にとって「有効」であるとはどのようなことなのか。そのようにして頭はめぐっていく。
    このように書いてきて、はたと気がつく。私はおそらく、この年齢となり、自らの終焉という否応もない限界を前にし、身体を動かし、鍛えることで、自分でもいまだよくわかってはいない、自らの可能性を探っていくという冒険に囚えられたのだ。
    これが「可能性への冒険」であるならば、より手付かずで過酷なものに魅せられるだろう。だからトラアスロンであったのかもしれない。
    また「有効」であるとは「燃焼」でも「自分」でもあるとともに、社会とのつながりにおいて「有効」という意味も含んでいると考える。社会とのかかわりにおいて、自分自身にとって、有効な燃焼のありかたを見出して続けるとことと考える。
    一方、次のような言葉も身に沁みた。
    『それに比べると僕は、自慢するわけではないけれど、負けることにはかなり慣れている。世の中には僕の手に余るものごとが山ほどあり、どうやっても勝てない相手が山ほどいる。しかし彼女たちはまだ、そういう痛みをあまり知らないのだろう。そしてまた当然のことながら、そんなことを今からあえて知る必要もないのだ』
    トライアスロンという「可能性への過酷な冒険」に乗り出して、私がまず経験したのは「負けること」にほかならない。「こんなことができるのだ」ではなく「こんなにもできないのか」という現実だ。
    人生において、私も村上春樹に負けないぐらい負けることには慣れているつもりであるが、運動の負けは見事にハッキリとして呵責がない。一人大きく引き離されるというのは気恥ずかしいものだ。最近はテレビで陸上競技を見ても、大きく周回遅れになっている日本選手などをみると、なんともいえない愛着を覚え、その苦悶の表情に見入ってしまう。
    こうした「敗者の自覚と共感」という心境を得たことが「可能性」であるとの言い方もあるかもしれないが、私はそれでは物足りない。トライアスロンを通して持続性が高まり我慢強くなった、いくぶんは社交的になったなど、いくつかの自覚はあるが、いまのところはまだ「可能性の鉱脈への冒険」の最中であると思っておこう。そのほうが気持ちがよさそうだ。
    この本を読んで確かに影響を受けたことがある。ほぼ毎日走るようになった。村上春樹は1日に10キロというが、私の場合、10キロを走ると1時間の昼寝が必要になってしまう。10キロは休日のみで、江戸川沿いを5キロ走っている。
    昨年は足底腱膜炎でほぼ走れず、体重が増えたままシーズンに入ってしまった。肉体としてトライアスリートではなかったことを大いに反省している。今年のシーズンオフはしっかりと走りこみ、体重、体調を管理したいと思っている。
    木枯らしが 胸を冷やして 前を向く
    まばゆい陽 小春日和の ランニング
    陽をうけて、前を向いて、走っていくのは、気持ちのいいものだ。
    気分は冬の空気のように、カラリとしている。

  • 目覚めがよくて目標決定!65歳まで続ける!ハーフを完走する!

    今日は7時に起床。快晴の空と日差しをカーテンを通して感じながら、すっきりと気持ちよく目覚めた。
    昨日は娘家族が、妻にお線香をあげに来訪。
    「あなたの家のお墓に一人で入るのはいや」、実家のお墓は、お墓の管理をしている弟と喧嘩中で、頭を下げて入れてもらうのはマッピラ!ということで、亡くなって3年半、いまだに遺骨は家においてある。一緒に寝ている。
    娘にすれば母への新年の挨拶となる。
    冷蔵庫に冷凍コロッケとレタス、たまねぎがあったので、コロッケをチン、サラダ、たまねぎと豆腐の味噌汁を作り、ささやかながらも賑やかな食卓となった。そこで缶ビールを2本。
    娘家族がカルタ取りで遊ぶ声を聞きながら、食卓、食器をかたづける。訪ねてきた子供家族に私の手で食事の世話をするなんて、まるで実家の母親になった不思議な違和感もあったが、皿を洗いながら「これが私たち家族のありかたなのだろう」と苦笑まじりに思いを定め、気持ちよく引き受けた。
    9時過ぎに笑顔いっぱいで娘家族を送り出し、テレビで大好きなインディジョーンズを観るが眠くて仕方ない。
    昨日はスイム+バイクの練習で、バイクにのったのは、昨年12月の養老渓谷へのロングライド以来。久しぶりで多少は怖く、なんといっても寒いのにはまいったが、久しぶりの爽快感、満足感を味わった。
    眠いのはそのおかげ。我慢できずに、インディジョーンズにをあきらめ、11時前には就寝。それで7時に起きたのだから、トイレにも行かずに8時間の睡眠とすっきり目覚め。こうでなくちゃあ。私にとって、この目覚めの感覚こそはトライアスロンで知った醍醐味で、「ああ、はじめてよかった」とかみしめる。
    気分のいいまま、バナナと牛乳の朝食で、洗濯と床掃除。テレビをつけると、間寛平のアースマラソン特集をやっていて、思わず見入った。
    まず、61歳という間寛平の年齢に親近感を覚える。前立腺癌の発症も他人事と思えない。そのうえで、一念発起の目標の設定と実現への準備、実現への持続力など、やっていることはとても足元にも及ばないものの、わが身にひきつけて共感する。
    驚嘆するのは持続力だな。誰も経験したことのないゴールへと一人向かっていく時間の長さ、休むことのない肉体の酷使、それに耐える精神力。私なんか、スイムの1500メートルの長さに耐えられないんだから恐れ入る。さらにテレビでみる明るさがいい。
    さて、私はどこに目標をおいてみようか。65歳まで続ける、ハーフを完走する。いまリアルに見えるところは、こんなろころかな。70歳じゃあどうなっているかわからない、アイアンマンじゃあリアリティがない、続けられるだけ続けようとは思っているが、それは目標ではなく心構えだものね。
    ということで、これは間寛平が私の還暦目標設定のひきがねになったということ。
    今日は、本来であればフロストバイトに出場しているはず。11時スタートだから、12時30分の今頃は最後のがんばりどころだなあ。昨年のフロストバイトは私の人生で初の大会参加。時間は2時間14分。ことしは2時間切りを目標にしていたので、本当に残念無念。
    足は少しずつ、少しずつだが、確かに快方に向かっている手ごたえがある。1月末のドイツ村駅伝、新宿ハーフも難しいようにも思う。これまでは何とか出たいと思っていたが、いま、「2月末には確実に治るだろう、であれば、見送ってもいい」と思いはじめている。
    冬の陽に 目覚め誘われ 背を伸ばす
    陽を浴びて 洗濯ほすや 冬の朝
    いい天気の朝にすっきり目覚めると、いい気持ちになる。
    いい気持ちになると、仕事にもいい姿勢になる。
    これまでためらっていた仕事の方向に決断がついた。
    この気分でいってみよー。