カテゴリー: 老い

  • ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    これはおそらく65歳になったあたりからかと思うのだが、マスコミの伝える著名人の訃報が気になるようになっている。年齢、死因、死ぬまでの様子などをチェックして、我が身に重ねてみる。
    ジャニー喜多川氏、解離性脳動脈瘤破裂による“くも膜下出血”。87歳。この2年ほどは入退院を繰り返していたという。
    仕事の立場、内容からして、85歳までは現役で仕事をしていたのではないか。その資産からしても最高レベルの治療、ケアが行われたであろう。最後は脳動脈瘤破裂というが、それは老衰による脳血管の劣化ではないか。あるいは高血圧症であったのか。戦中から戦後の食料欠乏期に成長期を送ったことは、彼の寿命に影響しているのか。などなど、とりとめもなく、頭を巡らせる。そして自分自身に重ね合わせてみる。

    私が死ぬ年齢はいつなのか、死因は何か、死ぬまでにどのような経緯をたどるのか。もちろんそんなことはわかりゃあしないのだが、そのイメージを描き、それにそった終活をしていきたいと考えている。私にとって終活とは、生きて元気でいる間に済ませておきたいとをやっておく、ということである。

    85歳までは現役で働き、2年をかけて死亡への道を歩み、87歳で死亡。
    私には、これはとても望ましいシナリオに思えている。
    人生100歳とは言われるが、85歳を過ぎると、心身ともに相当に衰えるであろう。しかし85歳までは元気でいることはできそうである。私が戦後の食料事情の回復期に生まれたことを考えると、5年延ばし、90歳まで現役年齢は伸びそうでもあるが、多分この5年の衰えは大きいだろう。
    次に重要なのは、現役から死亡までの期間。ピンピンコロリが望ましくとも、2年程度はかかるであろうし、それ以上は考えたくないなあ。80歳を過ぎたら、がんが発見されても、治療は拒否したいと真面目に考えている。

    さて、85歳まで現役でいるということを、考えてみる。
    走り、泳ぎ、自転車を高速で走ることができる、というと、まさにトライアスロンができていれば「心身は現役」であるが、果たしてどうなるか。挑戦には値すると思う。
    気を付けなければならないのは「けが」だな。もう大怪我をすると帰ってこれない年齢になった。怖いのはバイク。昨年は落車で骨にヒビが入ったが、そのおかげでだいぶ慎重になった。であっても事故は起こりえる。乗る機会、時間を少なくするのも具体的な方策だ。
    今日もまた 泳ぎ疲れて 昼寝落ち
    運動して疲れるというのは快楽だ。シャワーを浴び、お腹を満たして昼寝に落ちる。この快楽を味わえている限り、心身は現役ということだろう。
    85歳までは、そうした快楽を自在にコントロールできるようでありたいと思う。そして入退院を重ねつつ、身辺を整理して2年で消灯。このあたりが理想だなあ。
    6月23日の館山トライアスロン(スプリント)は無事完走。今年はあとは9月22日の九十九里トライアスロン(オリンピックディスタンス)。シッカリと身体をつくってその日にそなえたい。
    写真は銀座4丁目のライオン。私が知っているなかでビールが一番うまい店。リニューアルしてからはあまり行っていないが、もう少し行くようにしよう。最近あまりビールが飲めなくなってきたのだが、おいしくビールが飲めるのも現役の条件の一つなんだ。

  • 高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

    高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

     高血圧の治療について。どのように書いていこうかと思いつつ、なかなか気持ちが定まらない。状況の説明はできるが、その状況をどのようにして受け止めていくのか。それが定まらないと書き始めることが、なかなかできない。いやいや、それは書いているうちにはっきりとしてくるだろう、書くということは見えている結語に向かい言葉を構築することではなく、言葉をつぐみつつ、何かを見出していくことであり、思考とはそのようなものだ、とも思う。

    まあいいや。始めてみよう。
    直接のきっかけは作年末、12月の運動測定検査。東京都体育館で行っているもので人気のプログラム。申込みも大変で、指定された解禁時間に電話を重ね、ようやくにして申し込んだ。
    検査は口に呼吸計測器をつけ、ベルトの上を走るというもの。前々からやってみたったんだ。それが、高血圧でできなかった。口に装置し、ベルトの上に乗り、歩き出したのだが、その時点で血圧が200ということで、中止となった。いやあ、ショックだった。
    プレイを始めて中止となるのは本当につらい。まず呆然とし、そして、恥ずかしさが襲う。トライアスロンでスイムのタイムオーバーで中止、あるいはマラソンでタイムオーバーと、中止は何回も経験しているが、本当に情けなくなる。どんな表情をすべきかさえ、わからなくなる。
    それはそれとして、血圧の話。
    トライアスロンを始めた当初、5年前に人間ドックに入ったが、その時点では問題なし。それからの変化と言えば、トライアスロンを始めたことであり、それが高血圧の原因なのか。そんなわけはないだろう。端的にはまず老化、あるいは食生活。特に塩をとっているわけではないが、やはり独身生活のため、調理済食品をボイルして食べるといったことが多く、その影響かなあ。
    でも、何より老化だろうな。であれば、どのようにして付き合うか。
    まずは、ちゃんとした診断を受けること。それでNTT関東病院へ。この病院はもう「内科」というものはなく、心臓内科、循環器内科など、細分化されている。私は高血圧腎臓内科となる。そこで血液と尿検査、心臓エコー、毎日朝晩自宅の血圧計で血圧を測る。薬を朝食後にとる。
    初診から約50日。今日は2回目の診断日。今日は心臓エコーと尿検査の結果がメインであったが、尿はきれい。心臓は「左室肥大傾向」で「中隔壁厚」が標準値7~11ミリのところ、ぎりぎりの11ミリ。これが問題とのこと。
    血圧は上が140前後なので、これを10下げたい。そのために、薬(ノルバクス)の量を2倍にする。
    63歳の年齢からすれば、また、父親は高血圧で、母親も脳梗塞を患ったという遺伝を考慮すれば、まあ、それほどひどいものではないように思う。
    そこで医師に質問。「トライアスロンをやっていて5月の大会に出るのですが、19度の海水に飛び込むことになるのです」「ええ、、、、」「どうですかね」「トライアスロンですか。ジョギング程度であれば問題はなにですが」「それはわかります」「では、5月までにあと10下げるようにしましょう」ということになった。
    医師は若い女医さんで、多分30歳前後ではないかなあ。あまり会話が広がらない。「5年前の人間ドッグは問題なしで、その後変わったことはトライアスロンを始めたぐらい」と投げかけても「塩分ですかねえ」ぐらいで会話が途絶える。
    しかし、的確な対応ができればいいわけで、応対の器用さが大きな問題であるわけでは、もちろんない。

    さて、私なりの整理としては、欠かさず薬を飲む。そして体重を落とす。トライアスロンは続けていく。ただし、急な気温変化は要注意。とくにスイムのスタートに要注意。
    これらが主な対策方法であるのだが、それ以前に、この5年間で、もう一段老化が進んだわけで、それにふさわしい日常生活のありかたをつくっていくことかと思っている。
    トライアスロンをすることで老化に抵抗するのではなく、トライアスロンによって老化に敏感になる、というのが私の持論だが、今回の高血圧はまさにこのことかと思う。
    老化とは、増えていくハンディ、不自由を重ねつつ、身の丈に合った、それなりの暮らしのありかたを模索していくことのようだ。
    年明けて 暮らしの形を さぐるなり
    考えてみると、25年前に椎間板ヘルニアで入院して以来、なんら持病のないままにここまで齢を重ねてきたわけで、その間、タバコも酒も楽しんでいたことを考えると、丈夫な体に生んでくれてた母親に感謝の心境だ。

  • なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。

    なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。

    どのような動機、経緯でトライアスロンを始めたかについては、当ブログで書いてきたが、なぜこのブログを書くことになったかについては、まだ触れていないことにきがついた。今日はそのことについて紹介します。なお、トライアスロンを始めたことについては、当ブログの第1回より縷々綴っています。ぜひご一読を。

    このこともちゃんと触れてこなかったが、私のベースをなしている仕事は雑誌や書籍の編集である。40年前に編集から仕事のキャリアをスタートし、企画、取材、カメラマンやデザイナーへの発注方法、そして原稿作成のノウハウを学んだ。本には「実用」という分野がある。健康、美容、旅行、学習、受験、料理などがそれにあたり、私はその世界でキャリアを積んだ。明星ヘアカタログ、ブルーガイド情報版などは創刊号からかかわり、日本テレビの3分間クッキングも数年間担当していた。
    それが博覧会や展示会の世界にかかかわったことから、マーケティング、セールスプロモーション、イベント、地域開発といった領域の仕事がメインとなったが、いまも編集の仕事は続けており、というよりも、それがイベントであれ、店舗であれ、基本は編集者として取り組んでいるという意識がある。
    つまりこのブログも、実用誌の編集者兼取材記者として、我が身我が経験を取材対象に、一つのルポルタージュとして、取り組んでいるものなのだ。社会が高齢化していくなかで、私のような年齢になってトライアスロンに興味をもつ人も増えていくであろう。あるいはトライアスロンに限らず、スイム、バイク、ランを始める、さらには60近くになり、まったく経験のない何かを始める人を読者と想定し、書き始めた。さらに言えば、トライアスロンを始めたのには、それは書くに足るものである、という意識さえあったと思う。例えばテニスを始めた、ではインパクトがないだろう。
    書店に行けば専門的な技術書は並んでいる。しかし、生活管理や心境も含む、初心者であるから気がつき、書けるものはあり、それなりに意義あるものとなるだろうという思惑があった。
    まずは初の練習から、トライアスロンの完走まで。これで一つのストーリーにはなるであろう。ではそのあとはどうするか。実は昨年、一昨年とブログの更新が停滞していたのは、仕事の影響が大きいが、そのあとのストーリーが見つけられなかったこともある。ルポであるのだから、日記ではない。私の日記が公開に値するとも思わない。ささやかであれ、何らかの役にたつ「実用的」なものとしたいが、実用となる根拠は「年齢のいった初心者」ということのみであり、初心者でなくなっては、私は果たして取材の素材となり得るのか、という思いがあった。

    そんな経緯を経て、今年は毎週定期的に書いていこうと前向きになっている。ひとつには、あるテーマのもとに取材を続け、継続的になんらかを書き続けるということを強く求めていることに気がついた。書くことは自分自身の生きる問題なのだ。では「実用性」はどうなるのか。この点については、生涯スポーツに取り組む一つのケーススタディとして、何らかの意味もあるのではないか、と思い定めた。であれば、依頼はない週刊誌の連載のように書いていこうと思っている。
    よろしくお願いします。
    今日は5キロランのタイムトライアルがあり、時間は27分30秒。キロ5分30秒のペースだ。だいぶ早くなったが、まだ一段あがれる感触もある。今週は寒かったが、無理に外に出ず、自宅でのストレッチに時間を使った。それがよかったように思う。要は身体づくりであることを痛感している。
    寒気吸い 激しい呼吸で ひた走れ
    最後に下手な俳句もどきを入れているのは、最後の「ジャンジャン!」という〆のようなもの。ご笑納ください、といったご挨拶で、私はこれで気が落ち着く。この俳句は勧めてくださった方がいて、そのアドバイスに深く感謝している。これを入れているから続けられたかと思う。
    写真は今日手元にとどいた新しいバイクウエア。ちょっと窮屈だけど、そのぶん身体を絞ることに向かおう。

  • 2015年の正月。バタバタとしてボーっとして情けなく。

    2015年の正月。バタバタとしてボーっとして情けなく。

    貧乏性というのだろうか。ボーっと何もせずに過ごすことが苦手だった。それが、いつからか、ボーっとする時間が増えてきた。あることから、次のことにすぐに移らない。移ることができない。ソファーでボーっとし、あるいは横になる。

    この正月は1日に5キロランの練習から始まり、4日はATAの初詣ランに参加して17キロのラン。6日からスイムの練習スタート、10日土曜日はスイム&ラン、11日は谷川真理ハーフマラソン、12日はATAの新年会を兼ねての皇居駅伝で、3人1チームで一人当たり皇居を1周する。ハーフマラソンのタイムは手元時計で2時間24分35秒。天候にも恵まれ、前半は好調であったが、後半足の痛みが出て失速した。痛みというのは足の指の付け根。以前も痛くなったのだが、今回その原因の一つが分かった。5本指ソックスだ。指の付け根に布が食い込んで痛む。一歩一歩走るたびに痛む。でも原因がわかったのが収穫。
    皇居駅伝はハーフマラソンの翌日ということもあってか、なんと北の丸あたりの登り坂で歩いてしまった。足が痛んだわかではない。息が苦しく足があがらなかった。情けなかった。タイムは気分が悪いので見ていない。

    仕事のほうも、年始の打合せがけっこうたてこみ、朝早い日が続いた。これまでの準備を経て今年から本格化するプロジェクトもあり、期待が胸を満たす。
    13日は東海大学湘南キャンパスから茅ヶ崎へ。14日は福島県国見町への1日出張と移動も多い。
    15日は合間を見つけるようにしてロマン・ポランスキーの「毛皮のビーナス」へ。ポランスキーはその経緯をずっとライブで見てきた作家で、ひときわ愛着がある。この作品はポランスキーならではの小品で、味わい深く、楽しんだ。こうした映画を、信頼する少数の仲間とともに作ることのできる贅沢をうらやましく思った。
    16日は午前中に2つの打合せを済ませ、午後はプールで1時間。翌日はスイムの400メートルTTなのだ。テストで泳いで11分40秒。なんとか11分は切りたいよなあ。
    それが、いよいよ本日14日の本番では、どうも息があがり、なんと250を超えてから、ターンのたびに足をついてしまう。これも情けない。これもタイムは見ていない。
    スイムの後のバイクは風が強く、ひとりちぎられ、さらに情けない。
    そして今日の午後は、思わず、ボーっとソファーで横になる。掃除洗濯、仕事のメール、週明けの仕事への準備など、やるべきことは横において、ボーっとして自分の力を取り返そうとする。
    ボーっと見ているテレビでは阪神淡路大震災の特集が流れている。思うことは、日本人、あるいは日本のシステムを信頼している自分がいるという実感だ。
    人間にはボーっとする時間が必要であるといわれる。それは日々の滋養であるといわれる。でも、最近まで、そんなことは考えてもみなかった。
    それが、最近はボーっとする時間が増えているなあと実感する自分がいて、そんなことを考えている。
    刺すような 冬の風と日差しに 青い空
    明けましておめでとうございます。バタバタと今年もスタートしました。
    トライアスロンは情けなく、ボーっとしている自分を抱きしめてのスタートです。
    この正月の読書はバルザックの「ゴリオ爺さん」とデカルトの「方法序説」。特に意図してこの2冊を選んだわけでなく、食物を求めるように選んだのがこれで、たぶん考えることに関心が向かっているのだろう。ここには困難に立ち向かい、自分で考えようとする大人の思考のプロセスがあるので、心が落ち着いてくる。新年にふさわしい2冊だったと思う。
    写真は初詣ランのものです。
    今年もよろしくご指導ご鞭撻お願いします。
    皆様のご健勝をお祈りします。

  • 風邪・気管支炎で3週間のブランク。そして高血圧の診断の年末。

    風邪・気管支炎で3週間のブランク。そして高血圧の診断の年末。

    明日は大みそか。この年末は長引く風邪。結局回復までに3週間もかかってしまった。これほど長きにわたったことはちょっと記憶にない。今年の風邪は長引くとはよく耳にするが、果たしてこれは今年の風邪の特色なのか、あるいは老化現象の一つなのか、などど考えてしまう。
    この3週間の間、まずは市販薬で早めの対策を講じたのだが効果なく、自宅近くの耳鼻咽喉科へ。喉が痛むので内科ではなくこちらを選んだのだが、診断は風邪。咳止めなどの薬をもらったが、これも効かない。ついでドアをたたいたのが仕事先近くの内科。こちらではなんと咳喘息の診断。聴診器で聞こえる肺の音がちょっとおかしいとのことなのだが、どうも釈然としない。ネットで調べると咳喘息の特徴に「から咳」があるのだが、こちらは黄色い痰が出るのだよ。
    この間、仕事は立て込んでいたが、主に年末締め切りのデスクワークであったことが幸いしてできるだけ自宅作業。トレーニングはまったくのゼロ状態。ストレッチでもやっておこうかとも思うのだが、なかなか身体を動かす気分にならないものだ。
    そして22日月曜日。じつはこの日はNTT関東病院で高血圧の診断結果が出る日で、ついでに呼吸器科の診察を受けた。レントゲンの検査も受けたが、肺はきれいとのことで一安心。診断は気管支炎で、ようやく納得。これまでとはまったく違う薬を処方され、その薬のおかげか、あるいは快方へと向かう時期だったか、日々薄皮一枚を重ねるように回復に向かう。でも25日の「クリスマスでも泳ごう会」というスイムトレーニングは大いに迷ったが体調と相談して欠席。26日は納会でなんと11時からアルコールという状況で27日土曜日、3週間ぶりのトレーニング。
    3週間まるで動かなかったので、おっかなびっくりの参加だったがのだが、スイムもランもリレーというプログラム。さらに夜はそのまま南行徳チームの忘年会。
    さて、その翌日日曜日は。喉の違和感はかすかに残っているがおおきなダメージはない。安堵。でもバリバリと身体を動かすような体調でもない。それでも外に出て3キロのウォーキングに1時間のスイム。ここでようやくに回復を実感。
    今回の風邪には大いにてこずったが、ひとつの収穫があった。それは身体の声に耳を傾ける感覚だ。スポーツをしてもいいといわれても、なんか身体が前に向いていかない。そこでじっと身体の声に耳を傾ける。クリスマスのスイム連のときは、茅場町駅のベンチに座り、行くかやめるか、15分もかけて身体に問いかけ、中止と決めた。
    これを機に、この身体に問いかける感覚をしっかりと身に着けておこうと思った。一つ一つを確かめる感覚かな。
    寒空に 風邪の我が身に 問いかけて
    この3週間はなかなかに長かった。歳をとると1年があっという間に過ぎてしまうという。でも、なぜか、私にはその感覚がない。今年も長かった、が実感なのだ。今年の正月は遠くはるかな昔のことのように思えてしまう。まさか健忘症のボケ症状とか。

  • 風邪をひいてしまった。もう1週間になる。なんとかならないか。

    風邪をひいてしまった。もう1週間になる。なんとかならないか。

    先週土曜日は練習後、夜はカラオケ大会だったのだが、どうも練習後にちょっと昼寝をし、目覚めて喉に違和感を感じ、カラオケでも「風邪の到来」を感じ始めていた。それ以来、風邪の症状が続いて、もう1週間となる。
    症状は第一に咳と痰。そして鼻水。鼻水も粘着性で、痰と一緒。この1週間は展示会の取材など、外に出て体を動かす仕事が多く、なかなか回復してこない。今日・日曜になってようやく快方に向かっている手ごたえはあるものの、身体はだるい。
    幸いにして、今日の外出は選挙・クリーニング・スーパー程度で、これらは午前中に済ませ、昼からはソファーで横になりながら大学ラグビーをテレビ観戦。
    明治はかろうじて関学に勝ったけど、すっきりしない試合だったなあ。吉田、永友、元木のころの明治がなつかしい。関西の大学は全敗。関西フアンのストレスはいかばかりかと思う。
    テレビ観戦の休養がうまく働いてなんとか明日には体調もすっきりとなってはくれないか、というのが今の願い。
    このところ、毎年2回は必ずといっていいほど風邪をひく。感覚的には60歳を過ぎて風邪をひきやすくなったようにも思う。主な症状は喉と鼻の炎症で、特に喉の炎症と咳に悩まされる。そこでネットにあたってみるとこんな一文に出会う。
    『風邪をひく度にエイジング(老化)を加速させているのです。inflammation(炎症)とaging(老化)を合わせた「inflamm-aging(インフラメイジング)」という言葉もあるように、炎症と老化には深い関わりがあります。実は、風邪をひくことは炎症の一つでもあるのです。喉が腫れたり熱が出ることは、炎症を起こしているというサインなのです。』
    確かに、喉、鼻、そして全身が炎症している感覚がある。風邪が老化を加速というのはともかくとして、老化も風邪を加速させているように思う。老化~免疫力低下~風邪をひきやすい~風邪が治りにくい、ということなのだろう。
    私の場合は、55歳から一人暮らしとなって8年。食事の状態が悪くなっているのかもしれない。疲れも免疫力を低下させるので、トライアスロンも風邪をひきやすくする要因になっているのではないか。運動選手は風邪をひきやすいというのを読んだこともある。
    さて、そこでどうするか、だ。
    私の発想では、まず、歳をとって風邪をひきやすく、回復に時間がかかるようになることは仕方のないことだということ。それはいたって当然、自然の老化現象である.
    だから、その避けることのできない事実を、できるだけ気持ちよく受け入れる方法を考えよう。
    具体的にはできるだけ睡眠をしっかりとること。普段はシャワーなのだが、ちゃんと入浴して身体をリラックスさせること。食事は規則正しく野菜を多くとること。つまりはユックリとしたリズムで暮らすこと。そのうえで、うがい、襟巻など、一般に言われる予防策をまめにとること。そんなところかなあ。
    新しいことは何もない。現状を静かに受け入れ、そのうえで落ち着いて暮らしていくこと。そうしたことなんだ。風邪ひとつにしても、改めて暮らしのありかたを考える。
    独りなり やまぬ咳にて 冬の朝
    トライアスロンのおかげで身体への感覚は間違いなく敏感になっているようだ。
    それにしても、そろそろ治ってほしい。明日の目覚めに期待したい。

  • 生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について

    生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について

    どうしてトライアスロンを始めたのか。ことの経緯についてはこのブログで綴ってきたが、改めてもともとの動機を振り返れば、60歳以降も続けられる適当な「生涯スポーツ」を探していた、ということがある。
    生涯スポーツとして、まず関心をもったのが合気道だ。その理由の第一は、歳をとって転ぶのは大変に危険なことで、下手をすれば命取りにもなる。そのリスクを軽減するには合気道がいいのではないかと考えた。また、一度も格闘技の経験がないので、男たるもの一度は格闘技に挑戦、との思いがあった。もう一つは社交ダンス。音楽に合わせて身を動かすのは好きで、女性が相手となるのも、新しい世界が広がりそうで期待をもった。
    そして合気道も社交ダンスもネットで調べてもいたのだから、そこでピンと来ていたらそちらに行っていただろうと、まじめに思う。
    それがあるパーティで大学時代にトライアスリートだったという人との会話から、トライアスロンへの歯車がまわっていった。
    そして5年がたったのだが、今日のテーマは「生涯スポーツとしてのトライアスロン」。それも、私と同様に、60歳近い年齢で、まったくの経験もなく始めるスポーツとしてのトライアスロンってどうなのよ、ということを考えてみたい。
    トライアスロンにはいろんな距離があるが、いまスタンダードになっているのはオリンピック距離。スイム1500メートル、バイク40キロ、ラン10キロ。このオリンピック距離を考えてみて、完走までいけるのかどうかといえば、いけると思った人はいけるというのが私の実感だ。別に根拠がどうこうというわけでなく、60年近い人生経験をベースに、なんとなくいけるという人は、続けていけばできると思う。60歳のあなた。ぜひ挑戦してください。「その気になった人にとっての生涯スポーツ」としてはお勧めである。
    そしてもうひとつ。日本トライアスロン連合はトライアスロンでの事故防止を呼びかけるメッセージで次のように語っている。
    『トライアスロンはスイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)を自然の中で連続して行う魅力的なスポーツで近年愛好者が増加していますが、残念なことに競技中の死亡事例が発生しています。トライアスロンは、「レジャースポーツ」としてよりも「競技スポーツ」として認識し、十分に準備をして大会に臨んで頂くスポーツです。』
    この一文を初めて読んだときには「なるほど」と思った。競技スポーツであることはトライアスロンの大きな魅力である。ランを趣味とするが競技には出ない。スイムは好きだが大会に出ることはない。それは大いにある話だが、トライアスロンのトレーニングをしていながら競技に出ないということは考えられない。競技を目標に準備を積み上げ、仲間とともに完走を讃え合うことこそ、トライアスロンの醍醐味である。
    次はどの競技を目指すのか。周囲を眺めていても、能力のある人はアイアンマンに向かう傾向があるようだ。私の場合、とてもそれだけの能力はなく、むしろオリンピックの半分のスプリントに的を絞っていこうか、とも思っている。スプリントは幕張、横浜八景島、昭和記念公園、横浜山下公園など、比較的近場で開催される。レースも昼には終わってしまう。能力の高い人はスプリントの名のごとく、陸上でいえば中距離の感覚で、大変にきついレースとなるが、私の場合、スプリントでものんびり行くのでそれは問題がない。気軽な生涯スポーツとして楽しむには、近場のスプリントという選択もあるのだ。
    たそがれる 光に向かう 命かな
    書き出してみると長くなりそうで、次回も同じテーマでいきます。60を過ぎて漫然と生きていくわけにはいかない。60を過ぎると誰しも、多少は哲学することになる。あるいは宗教に魅かれることにもなる。それが自然な感覚と思う。
    今回は尻切れトンボでまた次回に。
    今日はスイムのタイムトライアル。はっきり覚えていないが、多分100メートル2分4秒、50メートル57秒、確かに覚えているのが25メートル23.2秒。これは嬉しかった。なんとなく、まだ2段ぐらいの伸びしろはあると感じた。頑張っていこう。。。。

  • トライアスロンの勧め。60歳を過ぎたら、スポーツなのだ。

    トライアスロンの勧め。60歳を過ぎたら、スポーツなのだ。

    仕事の大先輩である吉原順平先生(映像プランナー)が82歳で亡くなり、木曜夜にお通夜にうかがった。私から見ると吉原先生は博覧強記の岩波文化人を絵にかいたような方で、何かの仕事の折に、当時の逓信博物館の解説パンフレットが実によくできていて、という話をしたら「あれは私が書きました」とおっしゃられて驚いたことを覚えている。
    たぶんデカルトもマルクスも読んでいるんだろうな。そうした知識人の雰囲気を感じさせてくれる方は、最近は見なくなった。
    http://www.asahi.com/articles/DA3S11456354.html
    しかし、歴史に残るような大文化人であり、各界のお歴々が弔問に訪れる風景をイメージしていたのだが、思いのほか淋しい印象があった。この2年ほどは入退院を繰り返していたとのことで、仕事とは遠ざかっていたとは思うのだが、「これだけの人にしてこの程度なら」と思いつつ「俺の時はどうかなあ」などと頭が働き、我が葬儀のリアルなイメージが浮かんでくる。ひっそりしているだろうなあ。
    葬儀は無宗教で、クラシック音楽が流れるなかで献花となったが、ご遺体の顔が見える配置であれはどうかなあと、これも思いつつ「俺のときはごくごく一般的なコースでいこう」と考える。弔問客にとって見慣れたいつものパターンで、なんらの違和感もなく帰途につく。そんなのがいい。
    帰りは仕事仲間と二人で赤坂見附の寿司屋に入る。仲間のほうは最近肝臓を患ってアルコールはなし。話題は自然と健康や終活のことになる。「残りはあと20年なんだね」「まあ、お互い健康第一で気をつけていこうや」といったことで、まあ、当たり前の話であっても、それ以外にあろうはずもない。

    なにも健康のためにトライアスロンをやっているわけでも、トライアスロンをやっているから健康には自信があるわけでもまったくないが、こうした機会には、改めて、この年齢でトライアスロンに向かっていることの意味を思う。これは何回も書いているが、やはり、心身ともに緊張感をもって老いへの日々を過ごすということと思う。緊張といえば仕事の緊張が思い浮かぶが、試合に臨み、トレーニングを管理していく緊張感は、むしろ仕事でのストレスを癒してくれる力がある。
    身体の緊張については、コンディションを意識し、身体を動かす爽快な緊張感であり、これは常に意識をしている。毎日家をでて駅に向かうときも、身体は軽いか、足は動いているか、股関節はスムーズか、自然と意識が働く。
    死ぬまで仕事をしていくと思っている。しかし、仕事すなわちお金を稼ぐということは、刺激的な楽しみはあっても、不愉快なことに耐え、受け入れていくことでもある。そうしたなかで、トライアスロンによる心身の緊張は、心の救いになっているように思う。
    不機嫌な顔をした同年齢を多くみる。さらに言えば、不機嫌は社会全体を覆う時代の心理のように思える。さて、私も不機嫌に見えるのか、定かではないが、少なくとも、トレーニングや試合の折は不機嫌ではない。これは実に大切なことなのだ。
    そんな毎日は健康的であり、健康的な毎日を過ごしつつ、ひとつひとつ死への準備をととのえていく。これが私の暮らしのありかたか。葬式に行くと、そうそう、あれも準備しておかなくては、などどリストが追加される。今回は、葬式のスタイルのイメージがはっきりとした。息子さんの挨拶を聞きつつ、これはどうするか、結論は出ないままに、済ませておきたいことはいろいろあると考える。
    通夜がえり ほろ酔い眺むや 秋の月
    こんなことを書くと、まだまだ若い、なんて意見も聞かれる。何の根拠もないが、長生きしそうな気もしている。あと20年もあるという見方もあろう。でも、60歳以降の日々は、それまでの日々とは、明らかに違うのだ。だから、60歳を過ぎたら、スポーツなのだ。

  • 伊是名トライアスロンの中止で今シーズンは終了。

    伊是名トライアスロンの中止で今シーズンは終了。

    台風19号がこなければ、今頃は伊是名の星空を眺めつつ、明日のトライアスロンへの緊張を高めていただろう。
    中止のために今日は打合せが11時渋谷、15時丸の内、17時品川と3本。3つとも明日を占う大切な内容で身が引き締まる。19時過ぎには南行徳に戻り、定食屋さんで秋刀魚定食。ビールは頼まず、缶コーヒーを買って帰宅。テレビをつけるとアギーレジャパンとジャマイカの試合。なんともスカッとしない内容で「見なけりゃよかった」の気分でパソコンのスイッチ。もちろんお酒はなし。意図してだんだんと酒を減らしており、酒のない暮らしに慣れようとしている。酒のない状態の気持ちの良さを身につけようとしている。
    明日は8時半からスイム、10時からランのトレーニング。けっこうハードな練習となりそうで、本当は寝る前にストレッチをしたいのだが、だいぶ面倒な気分になっているなあ。伊是名がなくなったので、今シーズンは終了。まあ、いいか。
    トライアスロンを始めていなかったら、こんな日はどのようにして過ごしていたのだろう。そんなことを考えてみる。きっと飲みにいっているのかなあ。なじみの飲み屋があるんだろうなあ。あるいは、終わりのない仕事に首までつかり、神経的に疲れ果てているのかもしれない。それとも頑張って彼女をつくり、一緒にサッカーを見て「だめだねえ」などと言い合っているのかもしれない。
    そしていま、そのいずれでもないことに安堵している。酒であれ、仕事であれ、彼女であれ、それに傾斜した人生を歩もうとは思っていない。これもトライアスロンのおかげだ。心身ともに落ちついた状態を保ち、適度の緊張感に包まれた毎日を過ごしていたいと思う。何かを成し遂げるといったたいそうな目標や目的をもつのではなく、そのようにして日々を送ること、そうした毎日を愛すること自体が、とても大切に思える。
    まず健康であること。日々の季節の移ろいを肌で感じること。楽しみを分かつ友をもつこと。そして仕事に誠実に向き合うこと。いま大切にしたいのは、こうしたことだ。
    秋の宵 トライアスロンを 振り返り
    健康、季節感、友はトライアスロンのおかげ。そして仕事に向かう態度も、トライアスロンのおかげだ。とにもかくにも誠実に向き合わなくてはトライアスロンはやっていけないスポーツなのだ。

  • 人生成り行き、物事勢いだけ、の我がトラライフを反省

    人生成り行き、物事勢いだけ、の我がトラライフを反省

     世間では今日からお盆休みが始まる。テレビではいつものようにお盆ラッシュを伝えている。私は私で今週はデスクワークとトレーニングに向かおうと思いを定め、今日は朝からパソコンに向かい、打ち込んだ指がいささか痛くなった。8月末締切原稿の第一段階の整理がついたのが収穫。午後は第二段階への準備へとアクセルを踏む。

    一方のトレーニングといえば、昨日のスイム練習では25メートル45秒を30本というメニュー。中盤からほとんど落ちそうになった。このレベルは何とか巡航でこなせるようになりたいなあ。
    そんな落胆もあり、今朝起きたときは「今日は千駄ヶ谷のプールに行き、そのあとはアスロニアの夜ラントレーニングに出かけようか」と意気込んでいたのだが、どうも頭と身体が仕事モードになると、だんだんと意気阻喪し、夕方から江戸川沿いをLSDにしようかと変わってくる。このところあまり走っていないし、アキレス腱の痛みもまだ残っているので、夜ランはきついかなあ、往復の時間を考えると、午後のデスクワークの時間が足りないかなあ、などど考えているうち、仕事先からの電話で、明日は14:30よりの打ち合わせになったので、よし、千駄ヶ谷は明日の打ち合わせのあとで、それから皇居に走りにいくか、というのがいまの気分。
    立川談志は色紙に「人生成り行き」と書くのを常とし、その題の本もある。我が身を振り返れば、それにさらに「物事勢いだけ」が加わって、何とも計画性というものがない。
    なにかといえば、計画的にトレーニングに取り組むことができていないということ。トライアスロンの場合、3種目であるために、今日はどのトレーニングをするか、毎日悩む。大げさではなく、常に頭のどこかで考えている。トレーニングメニューには、スイム、ラン、バイクに、基礎トレーニングとしてのストレッチングが加わり、4種目の組み合わせと配分を考えるのだが、結局は今日のように、場当たりで、計画的に取り組むことが、なかなかできていない。
    加えて、目覚めて床を離れる前に脈拍を測ること、簡単でいいから練習記録をつけることもまったくできていない。よく今月は何キロ走った、泳いだなんて報告を見ると、へえと憧れつつ感心するばかり。
    スントやガーミンといった計測ギアももってなく、時計は安物のGショックで、いまだにタイム計測の使い方に慣れていない。

    そんな自分を改めて考えてみると、どうやら物事を「数字」に置き換えること、数字を管理していくこと、統計的に物事を考えることが、とても苦手なようだ。おそらく人によってはそうした数字を積み重ね、分析していくことが、楽しいのであろうと憶測する。私もやってみれば楽しめるのではないか、とまでは思う。でもやったことがない。
    子供のころから模型を作って完成したためしがない。ベーゴマの底をどのように削るかに熱中したことがない。そちらのほうの才がまったくない。それでよく生きてこれたなあ、というのは大げさか。いやいや、それがかなりの実感なのだ。

    それで、最近は「なんとかやってみよう」の思いが強くなっている。要は数字でパフォーマンスを管理しなくては、向上していかないのだ。だって、体重計がなくて、ウエイトコントロールはできないだろう。

    今年は9月20日の九十九里トライアスロンを大きな目標に置いている。あと40日。この夏は泳ぎ込みによるスイムの克服をテーマに、一方ランは左足のアキレス腱治療を第一に考えてきたが、そろそろ大会向けの追い込みの時期になってきた。
    さて、今日はランのスタートと自覚する。合わせて記録に挑戦してみよう。エクセル管理とも思うが、手軽なノートにしておくかな。そうだ、コンビニにノートを買いに行こう。
    夏のラン 一歩一歩を 確かめて
    なんだか、この年齢になって、生き方を変えるようで、いささか緊張してしまうのが、我ながらおかしい。笑ってやっていこう。
    写真は一昨日、台風明けの空。秋が近づいて、なぜか心が焦っている。