カテゴリー: スポーツ

  • オリンピック開催にあたりスポーツの裡にひそむ「官能的魅力」について。

    オリンピック開催にあたりスポーツの裡にひそむ「官能的魅力」について。

    『健康というものの不気味さ、たえず健康に留意することの病的な関心、各種の運動の裡にひそむ奇怪な官能的魅力、外面と内面とのおそろしい乖離、あらゆる精神と神経のデカダンスに青空と黄金の麦の色を与える傲慢、・・・これらのものは、ヒロポンも阿片も、マリワーナ煙草も、ハシシュも、睡眠薬も、決して与えない奇怪な症状である。』
    これは三島由紀夫の一文であり、新潮社『川端康成全集11』月報 昭和三十七年八月に掲載されたもので、タイトルは「最近の川端さん」となっている。川端康成の睡眠薬事故にかかわる短文の最後にこの一文がでてくる。
    意外な出会いに驚き、一読して苦笑気味に強く共感をおぼえ、これをきっかけにして久々のブログに向かおうと思いたった。
    この文章のアイロニー、大げさな身振り、スポーツへの屈折した愛着がいかにも三島らしく、一方私にはそうした資質にほどんど欠けていると自覚しているのだが、スポーツをこのように語ることに感嘆をおぼえ「そう、そのとおり」と喝采をあげたのだった。
    「各種の運動の裡にひそむ奇怪な官能的魅力」という言葉には、私がトライアスロンを続けていくなかで発見したスポーツの魅力、しかもこう言われて初めて気が付いた魅力を見事に言い当てている。
    さらにこの「官能的魅力」こそが、大衆消費社会とグローバル化が進むなかで、スポーツが一大産業とまでなり、いま様々なに語られているオリンピックという山脈を育ててきたマグマのように思えてくる。金権とはいうが「お金の魔術」こそは私たちの社会の根幹でもあるではないか。
    官能とは生きる魔術であり、だから奇怪であり、人は官能のために死さえ求める。

    この文を読んだのは『谷崎潤一郎 川端康成』というタイトルの中公文庫で、タイトルどおり、三島由紀夫の谷崎に関する文と川端に関する文を集めたアンソロジーとなっている。この本を買ったのは三島由紀夫が谷崎をどのように語るのかに関心があったためで、川端康成は三島をとおして関心を抱きはじめたばかりで、この本を読んで『雪国』を買ってはみたもののまだ読んではいない。多分肌合いが違うのだろう。
    こんな具合なので、冒頭に掲げた一文との出会いはまったくの偶然であり、こんなところでこんな人に出会うとはまったく思ってもいなかった、というところなのだ。

    そこで話は谷崎潤一郎に移る。久しぶりにこの本を読むきっかけになったのが谷崎の『猫と庄造とふたりの女』をこれも久しぶりに読んだことにある。寝しなに「今日は何を読もうか」と思いながら本棚を眺め、ああ谷崎が読みたい気分なのだと自己納得して読んだ。
    これは好きな作品で何回目かの読書となり、その豊かな文体を楽しんだのだが、私にとっての谷崎の魅力とはこの文体の官能にあり、また谷崎の描き出す奇怪な官能こそは谷崎を作家たらしめる生涯のテーマであった。
    さらに、巻末の解説が磯田光一で、こいつが引っかかって『谷崎潤一郎 川端康成』のページをめくることになったのだ。
    ずいぶんと回りくどい説明となった。

    『男女同権の思想も、社会の改革のめざす思想も、一匹の猫を愛したために苦しむ庄造の心を救いえない。それが谷崎潤一郎の思想であり、彼の文学の真の異端性の根拠でもある。人間は進歩や開放など求めてはいない。あるいは自由さえも求めていない。人間が心の底で求めているのは、女であれ猫であれ、あるいはイデオロギーであれ、一つの対象のために奴隷になることである。そしてそのために身を滅ぼすこと以外に、人間の栄光はもはやないのかもしれないのである。もしこういう感覚を理解できないなら、そういう人は、あの楽天的な“進歩と改革”の理想を信じ続けるがよろしいであろう。』
    ここまで書いてきて、腑に落ちたところがある。
    谷崎を読み始めたのはいつ頃であったのか。文章読本は若いうちから読んではいたが、小説までは手が伸びなかった。谷崎の小説を読み始めたのは、多分50歳になってからだと思う。それまでは山田風太郎の虜になっていたが、それも一段落したところで「刺青」を読み、まさに囚われた。何に囚われたのかといえば「奇怪な官能」であり「身を滅ぼす人間の栄光」かと思う。妻ががんにかかったのが50歳で亡くなったのが55歳。なかなかにきつい日々のなかで、谷崎の描く世界に囚われることで、心の落ち着き先を見つけたのだろうか。
    そしていま、トライアスロンというスポーツの官能に目覚め、老いた日々の支えの一つとしている。
    どうしよう 走りに出るか 迷う夏

    私たちは何をよりどころにして生きているのか。
    何かと騒がしい世にあってどのように日々を処すべきか。

    オリンピックを前にして、開催賛否(主に反対)の声があがったが、反対意見で私の印象に残ったのは「命かオリンピックか」という声と「金権」という非難であり、私からすると「あの楽天的な“進歩と改革”の理想」から発した「正義論」にうつる。
    私は「人は何を売っても許されるが正義だけは売ってはいけない」という言葉を肝においているものである。この「正義論」は果たして私たちの「生きることへの渇望や官能」を満たしてくれるのか。「命かオリンピックか」という非難そのもののなかに「人間軽視」のパラドックスが潜んではいないか。金権非難の声は恥ずべき「怨嗟」から発してはいないのか。
    そんな感想をもって騒がしい世間を遠くから眺めていた。

    写真は夏のヒトコマ。
    さあ、オリンピックを楽しみもう。
    競技の緊張は、試合を終えた選手の表情は「スポーツのもつ奇怪な官能的魅力」を見事に表現してくれるのだ。それは私の命を潤してくれる。その頂点にある舞台こそがオリンピックという祭典なのだ。

  • 前回の続きを書いていたら茫漠たる話となってしまったが基本は高齢者スポーツの楽しみ。

    前回の続きを書いていたら茫漠たる話となってしまったが基本は高齢者スポーツの楽しみ。

    前回のブログで生きているうちにやっておきたいことを挙げたのだが、このことでちょっと追加説明をしたくなった。
    70歳となれば、いついくのかもわからない。明日お迎えが来るかもしれない、というのが前提で、このリストは「死ぬまでに済ませておきたいこと」ではなくあくまで「生きているうちにやっておきたいこと」であり「生きている時間の望ましい過ごし方」であって、結局それができなくとも、ほかのことで忙しければ致し方なく、それが不愉快でもなんでもない。

    振り返ればトライアスロンも「生きている時間の過ごし方」としての好奇心から始めたものであった。
    トライアスロンを始める心のありかたを、このブログの当初に書いているのだが、それからもう12年もたってしまっている。かといって始めるときの心のあり方といま続けている心のあり方が大きく変わっているわけではなく、要点は「毎日何をして過ごすのが心地よいのか」ということになる。だから「これを続けていってなにかをなせばそれで満足」ということではなく「どこに行くのかもわからないがこれを続ける毎日を心地よく過ごすことが大切」となる。
    ここでわきまえておくべきことは「いまこれをしていれば心地よい」ことと「これを続ける毎日の心地よさ」とは大きく違うということで、苦行難行はその時々はつらくともそれを続けている毎日の心の安寧、充足、落ち着きということはあるだろう。
    私は「スポーツを続ける楽しみ」とはそうしたことであり、私のとっての生涯スポーツとはそうしたものだ。簡単に言えば身体が続くうちは続けていくという快楽を私は味わっているのだろう。動いている身体に感謝というわけだ。
    若いうちは今日のこと、明日のことなど考えない。しかし歳をとると何も考えず、ただ漫然と日々を暮らしていくことはできなくなる。何らかの工夫と自己管理、あるいは自己修練といったものが必要になるのだ。
    そこで話はスポーツの魅力となる。
    まず汗をかく楽しみ。これは身体を動かすことそのものの楽しみといっていい。
    これが第一だな。ここには健康でいることの快適な心身状態が含まれる。
    そしてやっていけば上達という励みがある。私のようなへっぽこ高齢者でも、まだ「どうすればもっとうまく泳げるのか」なんて考えている。これは自分自身と向き合う楽しみであり、第二にこれをあげたい。
    よく高齢者スポーツで同好の仲間に出会う楽しみがあげられており、それはそうだが、身体を動かして汗をかいているのは自分自身であり、その優先順位は大切なのだ。高校時代はハンドボール部でインターハイ出場は私の唯一の自慢のようなものであり、チームスポーツは知らないではないが、高齢者のチームスポーツというのはちょっとわからない。ゲートボールはあればチームスポーツなのだろうか。
    風と雨 春来りて 胸騒ぎ
    書いているうちに、茫漠と話が広がってしまった。
    また、これまで何回も書いてきたことを繰り返しているようで、苦笑いで己の老化を振り返る。
    写真は最近思い立ってでかけた九十九里の波。毎年のトライアスロン大会会場でもある。
    寄せては返す波のように、あるいは性懲りもなく、私は同じことを繰り返しているようだ。
    そんなしみじみ気分でじっと波を見ていると、いまこの時こそが永遠なのかと思われてくる。

    みつけた
    何を
    永遠さ
    それは太陽が海にとけていく
    残念ながら曇り空であったが、そのように歌ったランボー気取りとなり、帰りの特急電車で缶ビールをあけてポテトチップスをかじった。
    不要不急の身勝手外出なので、申し訳ない気分があるなあ。反省。
    でも九十九里まで特急で1時間。現地で2時間海を見て帰る。
    半日コースで、思い立ってでかけるのはお薦めです。
    ちなみにランボーの詩の訳については、幾多のものがあるが、これは私の記憶にあるもの。
    私はこのように記憶して、時折頭に浮かべているが、多分正しい翻訳ではないと思う。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その4 日本が発見した「スポーツの豊かな楽しみ」

    ラグビーワールドカップの記憶。その4 日本が発見した「スポーツの豊かな楽しみ」

    このワールドカップを通して、多くの日本人はこれまでにないスポーツの楽しみ方を発見することになったと思う。選手のみならず外国の応援団を迎える楽しみ。交流する楽しみ。大声で共に君が代を歌い日本を応援する楽しみ、レプリカジャージーを着る楽しみ、ハチマキをする楽しみ、ビールを飲む楽しみ、日本以外の国々を応援する楽しみ、世界トップのゲームを堪能する楽しみ、そして日本チームの奮闘をハラハラドキドキ息もできないほどに見つめる楽しみ。

    これらの様々な楽しみが「ラグビーというスポーツのの豊かな楽しみ」であることをワールドカップは教えてくれた。
    さらに、SNSによる楽しみも、あげておかなくてはならない。
    このワールドカップはスポーツとSNSの新たな関係を拓いたものとして歴史的な意味をもつものになった。

    一方で「スポーツは純粋にスポーツ(ゲーム)のみを楽しむべき」とする考えがある。
    この点について書いておきたい。
    SNSでも、ゲームは評価しつつも、日本を応援する熱狂が恐ろしい、オープニングの太鼓の演出がダサい、開・閉会式に安倍首相がいたのが気に入らない、といったメッセージがアップされていた。そうした人はいるだろうなあと思っている。応援の熱狂についてはナショナリズムへの恐れ、演出については日本風への恥ずかしさ、安倍首相については「安倍嫌い」の感情だろうが、「首相としてもっと他にやることはあるだろう」には「なんだかなあ」。
    しかしこうした声が大きく広がることはなかった。
    それはそうだろう。
    私から言わせれば、それは「料簡が狭い」となる。
    当たり前だが、開催国の政府代表を招待するのは大会委員会の仕事だ。安倍首相が「俺を出せ」といって始まる話ではない。会場でどこに座り何をするのかを決めるのも、安倍首相ではなく、大会委員会である。国際大会は政治的な社交の場でもあるのだ。だから決勝戦にはヘンリー王子も南アフリカ大統領もやってきた。安倍首相はその夜は首相としての仕事を行っていたのだ。
    ラグビーの蘊蓄に熱をあげるラグビーフアンの間では、日本は予選突破不可能、ジェイミー・ジョセフを解任しろといった声もあった。監督気分で贔屓チームを分析、論難するのも「純粋なスポーツの楽しみ」ではある。だがそうした人々はこの日本快進撃という「予測外れ」を心より楽しめたのであろうか。
    楽しみは人それぞれであるが、私は物知り目線でゲームを語る人より、無心で応援を楽しむ人でいたい。
    スポーツは文化である。日本代表の選手からは「日本にラグビー文化を育てること」をミッションに掲げるコメントが多く聞かれた。「ラグビー人気」ではなく「ラグビー文化」というのがラグビーならではだ。
    「ラグビー文化を育てる」には日本代表は強くなくてはならない。選手はそれが日本のためになると思うから厳しい練習も耐えられる。
    ラグビー文化は確かに育ったと思う。
    ワンチーム、ノーサイド、品位、情熱、結束、規律の尊重。
    それを愛する気持ちの良い精神を養ってくれたと思う。

    こうしたスポーツの力をみると、スポーツが政治から免れると考えるわけにはいかない。会場で政治メッセージをアピールするような、幼稚な政治のもちこみは遮断されるべきだ。しかし、南アフリカの監督とキャプテンは「今回の優勝が国を一つにまとめる力となることを期待する」メッセージを述べた。これは政治的な発言ではないが、社会を動かす力をもつということで、政治的なものだ。
    スポーツは地域を強くする。スポーツは豊かな体験をもたらす。スポーツは文化であり政治も含むものである。だから常に周囲に気を配り寛容と尊重の精神をもって臨むのがマナーだ。
    いま人類が直面しているグルーバルな世界ではこのマナーが重要であること、そして日本がこのマナーにふさわしい国であることを日本は確かめた。
    来年の東京オリンピック・パラリンピックが楽しみだ。
    写真はスコットランド戦プレミアムシートのカードとランチボックス、着ていったレプリカジャージー。
    いい思い出になった。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その3 はたしてこれは「一過性のもの」なのか?

    ラグビーワールドカップの記憶。その3 はたしてこれは「一過性のもの」なのか?

    ワールドカップの始まる前の心配事は観客の入りであった。日本戦、準決勝・決勝戦は問題ない。ティア1の国々同士の対戦、決勝トーナメントも、まあ、そこそこ埋まるだろう。しかし、予選はどうなのか。ジョージア・ウルグアイに人は集まるのか。多くの試合で、空きが目立つ客席の様子が世界に放映されることになるのではないか。大会関係者もテレビのインタビューで「目標は客席を埋めること」と話していた。
    しかし、いざ切符販売となると、予選からけっこう埋まっていき、正直ちょっと驚いた。そして最終的にはチケット販売率は全会場を通して実に99・3%になったという。果たして日本が勝ち進んだからこれだけチケットが売れたのか。それもあろうが、終わって振り返れば、釜石でのフィジー・ウルグアイも、福岡でのイタリア・カナダも、大会前からしっかりと売れていたのだ。
    私は日本の快進撃は「あり得る」と思っていた。しかし、これだけのチケット販売は考えられなかった。ラグビーはそんなに人気のあるスポーツではない。私がラグビーフアンと知っている友人からは開幕直前に「全然盛り上がっていませんね。誰も知らないですよ」と言われて返事ができなかった。
    これだけ観客を集めたことはまさに大会関係者の努力のたまものなのだが、それだけではないだろう。
    私が思うのは、地域の人々の力、そして地域と今大会のかかわりだ。
    札幌、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、福岡という大都市はさておく。
    釜石、熊谷、静岡、大分、熊本はいずれもラグビーが盛んな地域である。昨日今日のことではなく、ラグビーは地域の文化としてしみついている。
    よって大会の運営にかかわるラグビー関係者ばかりでなく、地域のラグビーを愛する人々、さらには近所や親戚や友人のラグビー少年を愛する多くの人々が、地元での大会の成功を我が事として祈り、その底力を発揮したであろうと考える。
    開催地のみならず、キャンプ地も、地域としてワールドカップを迎えるさまざまな準備を重ねてきたことであろう。会場案内やファンゾーン警備などのボランティア、外国の国歌を練習する子供たち、それを応援する家族、外国人客を迎える宿泊、飲食、交通などの関連企業など。こうした積み重ねと結束が今回の結果を支えたのだろうと思う。

    「地域のラグビーの底力」。
    これはしっかりと頭に刻んでおきたい。
    というのは、大会後にはもう、「この熱気はいつまで続くのか」といった話が出てくる。確かにこれほどの熱気は長く続くものではない。ラグビー関係者がこの盛り上がりを生かしていかなくてならないと考えるのは当たり前のことだ。しかし「まあ、落ち着けよ」と私は言いたい。
    「ラグビーを支える地域の底力」はしっかりと地域に蓄積されたと私は考える。これは決して「一過性」といってすますものではないのだ。

    また、今回予選突破をクリアしたため、次回のベスト4の可能性を占う記事も見受けられる。選手が次回の目標を今回以上とするのは当然だろう。しかしそれを受けて「今回のようにいくと思ったら大間違い」「そのために協会は何すべきか」なんて記事が早くも出てくる。
    次回にベスト4を目指したいという選手の熱意を心地よく受け止め、ねぎらい、これからの4年を楽しめばいいではないか。
    「次回はこうはいかない」なんて声には「だからどうした」と返してやりたい。
    次回のことはわからない。
    同じことが起こるはずもないではないか。
    わかっているのは選手もフアンも4年後を楽しみにしているということだけだ。
    4年後はフランス。
    選手は準備を重ねる。
    フアンは、いくらかかるか、貯金をしなくては、などど考え始めている。
    その時間を楽しもう。
    写真は秩父宮ラグビー場でのイングランド・南アフリカ決勝戦のパブリックビューイング。
    南アフリカは強かった。大会前の熊谷の日本・南アフリカはナマで観たが、2段以上ギアがあがっていた。
    大会を通してチームが出来あがっていった感じがする。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その2 日本が「世界の社交場」となった。

    ラグビーワールドカップの記憶。その2 日本が「世界の社交場」となった。

    日本・南アフリカ戦は、とてもじっとしていられない気分で、調布のファンゾーンにでかけた。
    南アフリカはもちろん、多分ウエールズやアイルランドなどの国の人も集まり、ビールでワイワイと盛り上がっている。フアンゾーンには試合とは全く違う、立ち飲みバーのような気軽な雰囲気がある。
    試合のほうは、残念ながら、「力の差を感じた」ともいえるのだが、私の主観では、「次にやったら勝つかもしれない」。試合後は呆然とし、2・3日はひどい精神状態であった。
    帰りの京王線車内、新宿駅では、南アフリカのフアンが歓声をあげ、歌を歌って騒いでいたが、大きなトラブルは起こらなかったようだ。
    スコットランド戦のあと、帰りの東京駅で、おそらくスコットランド人から、日本語で「おめでとう」と祝福された。さらに地下鉄の大手町駅で、アルゼンチン人という男からスマホを向けられ、感想を求められた。
    みんなビールを飲んでるのだが、暴力はなく、落ち着いて安心していることができた。
    サッカーに見られるような、フーリガンの暴力や、度を越した騒ぎというものはなかった。
    スポーツライターの藤島大によると、ラグビーは性善説に立つスポーツであるという。誰も悪意をもって反則を仕掛けたりはしない。ゲームを楽しむためにルールはもちろんマナーを守ることが前提になっている。
    私はこの性善説と同時に、「ラグビーは肯定的である」ことを好ましく思っている。ペナルティを犯した選手には厳しい目が向けられるが、ミスをした選手を責めるようなことはない。野球では選手に罵声を浴びせる観客をみてきた。しかしラグビーでは、調子を落として成果が出ない選手にも、心配はしても罵ることはない。
    ゲームは激しいが、それを取り巻くものは基本的に穏やかで、肯定的で、性善説に立っている。あるいはそうでなければ、あれだけ激しいぶつかり合いなどはできないともいえる。
    だからラグビーは見ていて気持ちがいい。応援するチームが負けても、怒りを爆発させるようなことはなく、相手の強さを認める。それは不機嫌にもなるだろう。でも、こうした日もあるさ、これもラグビーとあきらめる。そして次の機会をまつ。次に向けてチームが努力することを信じている。もちろん負けた相手への尊敬も当然のことだ。
    イギリスでは、決勝で負けたイングランドの選手の態度が「良き敗者」ではなかったとの批判が起き、論議を
    呼んだ。このエピソードもラグビーらしく気持ちよい。
    ラグビーに罵声や無礼は似合わない。相手を尊重し、マナーに価値を置く。
    だから競技場も気持ちよい。両チームのフアンが安心して隣同士の席に座って応援する。
    選手も観客も気持ちよく楽しむことを第一に心がけ、気を配り、実践している。
    勝つにしろ、負けるにしろ、安心して気持ちよく試合を楽しむことは、スポーツの大切な価値だ。
    海外からの選手、ジャーナリスト、応援の人々が、こぞって日本への評価と感謝を表明してくれた。
    これを素直に受けいれて喜ぼう。
    カールルイスは「スポーツは社交である」と言った。
    そう。日本は、今回のワールドカップを通して、国際的な社交の舞台となったのだ。
    日本は舞台を整え、世界の人々を迎え、世界から評価され、尊敬された。
    舞台は競技場ばかりでない、キャンプ地で、フアンゾーンで、飲み屋・パブで、和やかな社交が展開された。
    そして海外からの人々も、日本を舞台に、21世紀の国際的な社交とはどのようなことなのかを体験し、学ぶことになったのだ。
    今回のワールドカップで日本は、国を越えた、素晴らしい社交場の姿を見せてくれた。
    海外のジャーナリストが伝えたのはこのことなのだ。
    これはだれかが意図して仕組んだものではない。様々な化学反応が生まれこうなったのだ。でも、こうした化学反応が起きる土壌はあった。その土壌は日本が長い歴史のなかで養ってきたものであり、ラグビーというスポーツが試行錯誤しながら育んできたものだ。時の積み重ねこそが素敵な化学反応を用意してくれる。
    写真は調布のファンゾーン。おめでとう南アフリカ。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その1 日本を愛する「集団の陶酔」。

    ラグビーワールドカップの記憶。その1 日本を愛する「集団の陶酔」。

    ラグビーワールドカップが終わった。9月20日の日本・ロシア戦から11月2日のイングランド・南アフリカ決勝での南アフリカの勝利まで、この間ラグビーワールドカップを第一に過ごしてきた。
    ラグビーは最も好きなスポーツだ。高校にラグビー部はなく経験はない。ハンドボール部に入部してインターハイに出場したのが、人生唯一の自慢であるのだが、高校にラグビー部があったらなあと、いまでも残念に思う。
    大学は明治ということもあって、もう50年もラグビーを見続けてきている。
    「一生に一度だ」は今回の大会のキャッチフレーズであったが、私もそんな思いでワールドカップを体験した。
    そんなことで、当ブログもだいぶお休みとなっていたが、このワールドカップの印象、思い出、感じたことなどを、人生の貴重な記録として、書き留めておきたい。いつもとは違うが、このブログをお読みの方々と、思いを共有できればありがたい。
    まずは日本のベスト8進出を決めスコットランド戦。
    この一戦だけはどうしてもナマで観たいと思い、1枚15万円のチケットを奮発した。
    横浜総合競技場は7万人収容で基本は陸上競技場だ。ラグビーをナマで観る楽しみは臨場感にある。肉体のぶつかる音、いっせいにラインがあがっていくスピードなど、秩父宮ではそれを存分に味わえるのだが、これだけ大きいと、選手とはかなり距離ができる。
    しかししかし、この試合は素晴らしい体験であった。試合を見る楽しみに加え、大観衆の一員として試合を応援する高揚があった。
    それがピークになったのは、試合終了までのカウントダウン。5・4・3・2・1・ゼロ~と会場全体で大声で叫び、腕を振り上げ、その瞬間、周りの見知らぬ方々とハイタッチ。そのうれしさ、歓びというのは、勝利への喜びであるのだが、さらに「この場、この瞬間に立ち会っている」ことの喜びに満たされる。これは得難い経験だった。

    「ラグビーロス」「にわか」なんて言葉も生まれた。これはスポーツとしてのラグビーの楽しさに目覚めたこと、日本の快進撃があってのことだが、それとともに日本を応援する「集団の陶酔」があったと感じている。そしてラグビーでは日本は「多国籍・多人種」な日本である。
    ラグビーは国と国の対戦ではあるのだが、チームは多国籍・多人種であり、その底流には同じスポーツ・文化を国を超えて共有する仲間意識がある。しかも多国籍・多人種でありながら、どのチームもその国の文化を色濃く反映させた魅力をプレーで発揮する。南アフリカはあくまで南アフリカであり、ニュージーランド、イングランドとはラグビーのスタイルが違うのだ。それはただ勝つための効率的なスタイルではなく、国の文化を感じさせるものがある。
    そのなかで、日本はいかにも日本らしい独自なスタイルで勝ち進んでいった。そのスタイルとは、まずスピード、正確な連携、そして創意工夫であり、それをささえる寡黙でひたむきな姿勢だ。私たちはそれを見て日本を誇りとし、我が日本チームの桜の戦士を応援する。

    私はこれまで、こうした日本を体験することはなかった。私の大学入学年は学生運動の頂点で、東大の入試が中止された。その学生運動のスローガンは、中国文化大革命の影響をうけた「造反有理」であり、「自己否定」が正義とされた。敗戦によって世界から否定された日本は、さらに「自己否定」の対象になった。学校における国歌斉唱、国旗掲揚が非難され、戦時中の日本の侵略、犯罪が問われ、日本であることを苦々しく、恥ずかしく思う感覚が大手を振って語られた。
    こうした感覚は何も当時の学生運動に特有なものではない。私がみるところ朝日新聞はいまもそのままだ。日本の勝利を驚きつつ、今回の「にわかの日本熱気」をどこか苦々しく思っているオールドラグビーフアンは少なくないだろう。
    ラグビーワールドカップを通して、多くの人は「新たな日本のイメージ」をサクラの戦士に見出し、その一員として「新たな国の愛し方」が自然と広がっていく様子を目の当たりにすることになった。さらに隣の席で同じように自国を応援する各国の人々に出会った。交歓もあった。
    今回の大会の余韻はオリンピック・パラリンピックにつながるに違いない。今回の大会は、日本が世界に生きる日本の新たな姿を発見するものになったと思う。
    「ああ、こういうことなのか」。私はそう思った。多くの人もそう思ったはずと思っている。
    これは大げさか? いや、大げさではないのだ。
    スポーツがいかに社会の意識を反映し、社会に大きな影響を及ぼすか。
    まだまだ語られてはいない。
    来年のオリンピック・パラリンピックが一層楽しみになった。
    写真はスコットランド戦観戦前の競技場前。

  • この夏を振り返り。九十九里トライアスロンの完走報告も。

    この夏を振り返り。九十九里トライアスロンの完走報告も。

    今年の夏ははどのように過ごしていたのだろうか。
    9月22日(日)の九十九里トライアスロンに向けたトレーニングに向かうつもりだったのだが、ままななかった。
    8月5日から9日までハノイ出張。19日と20日は北京出張。
    この夏はまとまった休みはとれず、おかげで恒例の大片付けもできず、いまだに居心地が悪い。
    何がそんなに忙しかったのか。手帳を見直してもよくわからない。追われるようにバタバタと暑い日々を過ごしていたのだ。ちょっと釈然としない気分がある。
    9月に入って10日(火)はパスポートの切り替え手続き。自宅から文京区役所に行って戸籍謄本をとり、千葉のパスポートセンターに行って東京に戻るまで、台風の影響で、まる1日もかかってしまった。
    これほどの台風被害は記憶にない。気持ちがざわついて落ち着かない数日を過ごした。
    1回も海練をしていないため、14日(土)午前には材木座海岸のオープンウォーター練習会に出かける。
    夕方からニューヨークから東京出張に出てきた長女を迎えて家族パーティ。
    15日(日)か16日(月)はバイク連のつもりだったが天候が悪く見送り。
    20日(金)朝にになんとか30分8キロのバイク自主練。
    そして、この日から待望のラグビーワールドカップで日本対ロシア。強くなった日本を実感。この週は禁酒をしていたのだが、やはり飲んでしまう。
    21日(土)午前はウエットスーツを着てのスイム練習。そして午後には九十九里へ向かう。
    22日(日)の九十九里トライアスロンは、4時間18分もかかってしまった。
    リザルトをみるとトランジッションで合計25分もかかっている。かかりすぎだろう。
    しかしタイムは悪かったが、スイム、バイクは落ち着いてこなすことができた。自分自身をコントロールした満足感がある。
    ランは出だしはよかったのだが、5キロあたりから左足の母指球あたりを痛めてつらかった。遅くはあってもランで休むことはないのだが、3回も立ち止まって痛みをこらえた。
    23日(月)、24日(火)は有楽町のラグビーファンゾーンに出かけて興奮。
    25日(木)から28日(土)まで中国は西安に出張。
    28日夜はアイルランド戦を見て涙、涙。
    29日(日)はジムにでかけて、バイク・ラン・スイムで身体を整え、大会と海外出張の疲れをいやして、いま、ようやく、これを書いている。
    気が付くと 秋が来ていて ランニング
    長女が来日してゆっくりと話す時を得た。いずれは介護施設に入るつもりであること、子供に手間をかけるつもりはないこと、それなりの準備を始めていることなどを伝える。 次に会うのはいつだろう。2021年にはニューヨークマラソンに行こうかなどという話にもなった。仕事の関係からエコノミーであればチケットの手当てはつけられるとのこと。膝を痛めてマラソンは休んでいるが、ちょっとその気になった。
    この年齢になり、久しぶりに子供と会うと、自然と今後の人生のたたみかたに話がいたる。漠然と思っていたことも、口に出して子供に伝えると、リアルな現実となる。
    おもしろいものだ。
    このことを機会に、当ブログで始めた「私の老年学」を別途独立させようと思っている。
    このブログは私的な体験記だが、社会学的な考察紀を考えてみたい。
    写真は九十九里トライアスロンのラスト100メートル。FACEBOOKにアップしたら「笑顔がいい」と好評であった。待っていて、撮っていただいたトラ仲間に感謝!!
    この歳で「笑顔がいい」というのは、笑ってしまうが、うれしいものだ。

  • お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

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    2月12日のブログで「1か月と9日ぶり」と書いたのだが、今回は2月22日以来で「1か月と23日ぶり」となる。このブランクの原因はハノイへの出張。今年に入ってから、4回、合計16泊も行っている。
    1月25日~2月1日  医療フォーラムの開催 7泊
    3月11日~3月13日  病院開設プロジェクトの予備打ち合わせ 2泊
    3月22日~3月26日  さくら祭りでの投資フォーラムの開催 4泊
    4月2日~4月5日   病院開設プロジェクトのスタート 3泊
    一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長としての仕事である。
    行っている間は自分の時間はない。行くとなればいろいろと準備はある。帰れば報告のまとめがある。徹夜まではしていないが、睡眠時間が削られる。仕事は人間利害関係の坩堝をかき回すようなもので、さすがにストレスが増えて酒量も増える。
    こうした日常は30歳代の非力一所懸命の日々を思い起こさせ、この年齢になって、こんな事態に直面するとは、まったく考えてもいなかった。人生はわからない。今年は何回ハノイに行くことになるのやら。
    トレーニングは遠のくばかり。なんとか土曜日のATAのトレーニングだけは参加したいのだが、これも振り返ると、4月7日休み、3月31日参加、3月24日休み、3月17日参加、3月10日休みといった具合で、ようやくの隔週参加。これ以外のトレーニングはまったくやっていない。
    今後を予測すると、この仕事のほかにも、2019年のラグビーワールドカップを応援する「スポーツバディ」プロジェクト、2020年に福島の復興を世界に示す「2020MICE」プロジェクトがあって、今週の打ち合わせで両プロジェクトの確かな手ごたえを得ることになった。
    そんな今後への予想展望が見えてきて、今週末はようやく仕事が一段落して、今朝はATAのトレーニングに行き、こうしてブログに向かっている。その喜びに浸っている。
    今日のメニューはスイムとバイクだが、スイムだけ参加し、そのあとは一人ジムに行ってスピニングバイク15分、マシンで筋肉に刺激を入れ、ゆっくりとストレッチで1時間。
    泳ぐ前は不安であったが、身体は動いてくれた。練習メニューのあと、ユックリと300メートルを泳いだ。身体の細胞が息づいている実感に身を浸して大きく息を吐きだした。体重増加も1.5キロほどで安堵。

    そしていま言葉を探しながら、一人頭を巡らす時を楽しんでいる。
    書く楽しみのなかには思考の思いもよらない転換がある。
    『現代を特徴づけていること凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・・一言にして言えば、スポーツとは、人間の諸性能の分析とその組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学である』(中公文庫「精神の政治学」ポール・ヴァレリー 吉田健一訳)。
    この本は今の私の枕頭の書であり、手元において、パラパラと、何回も読み返しているのだが、いま突然に、この一文に頭がジャンプした。私がトライアスロンとブログとを不可分のものとして楽しんでいることそのものが、的確に示されていると感じている。

    この年齢で目が回るほどに忙しく仕事に向きあっているのは、ありがたいことだ。まずその思いがあって、今日は久々の「一人楽しむとき」があって、67歳という年齢を自覚しつつ、今後を考えてみる。「今後」とは人生の行く末、仕事の展望、トライアスロンを混ぜたもので、「さて、どうするか」と心のあり方を決める。
    2020年までは躊躇うことなく、怯むことなく、大股で道の真ん中を歩いていく。
    まずこれを基本的な態度としよう、と言い聞かせる。
    波乱、混乱、非難中傷、向こう傷は避けられないだろうが、覚悟して、バタバタしない。遠くに流れる雲を見つつ、休まず歩いていけば、いささかの価値は残せるかと期待する。
    トライアスロンは、物理的にどこまで時間がとれるかが、わからない。だから予定を作らないというわけにはいかない。スポーツとは必然的に「計画」を含む倫理学なのだよ。そうだなあ。5月の幕張スプリント、9月の99里、昨年に行った11月の奄美大島合宿、1月のグアム、来年のセントレア出場をポイントにおいてみよう。年齢からして、来年あたりはセントレアリベンジの最後のチャンスかもしれない。
    グアムより 友よ来たりて 花語る
    とむさんは、グアムのトライアスリートで、このブログをとおしてトラ友としての縁をいただいた。帰国の折にお会いしてグアムのトラライフをお聞きした。写真はその折のもの。俺の顔はひどいなあ。1月にはスプリント大会があるそうだ。行ってみたい。どなたか、ご一緒しませんか。

  • 伊是名大会まで1週間、ブログを書いて気持ちを整理する。

    伊是名大会まで1週間、ブログを書いて気持ちを整理する。

     24日土曜の夜更けから強い風が吹き渡りヒューヒューと高い音が耳に響いた。ニュージーランドと南アフリカのワールドカップラグビーの準決勝に興奮しつつ、木枯らし1号の激しい音に冬の到来を感じていた。そして日曜には、もう半袖では寒い陽気だ。

    次の日曜は伊是名大会。バイクはすでに送り、金曜には出発する。体を朝の外気に慣らそうと朝食後すぐに外に出てストレッチと散歩。日差しも風も強く天候は冬の厳しさを増している。1時間はと思って家をでたのだが、やや意気阻喪して30分で帰宅。金曜までの予定詳細を検討して、まずはブログに向かっている。
    伊是名への準備だが、先週は毎日呑みが続いて体はパンパン。金曜夜も呑んで帰宅は1時近くとなり、土曜日は6時には起きてATAトレーニングへ。ゲップの連続となったが、スイムとランをなんとかこなし。「あとは伊是名までしっかり体調管理」と思いを新たにする。
    前回のブログで何とかランでキロ5分30秒にまでいけないかと書いたが。土曜日の練習でちょうど5分30秒を出すことができた。自分の理解としては、ポイントはフォーム。とくに力を体の中心に集めることで自然な躍動感が出てくる。ちなみに500メートルでは2分50秒。ということは残りの500は2分40秒。であれば5分20秒はいけるだろうし、手ごたえとしては5分ジャストも視界にはいってきたように思う。
    スイムも同様で、力を体の中心に集めることでもう少しましな状態にもっていきたいなあ。
    そんな課題をもって日曜はジムに行き、スピニングバイクとウエイトトレーニング、ストレッチで全身をほぐしてプールへ。
    アップで500メートルをこなして「長距離の感覚」を確かめる。あとは25メートル練。「けのび」~「グライドキック」で行けるところまで行き、その感覚を維持しながら力を中心に集めて残りを泳ぐ。あえてタイムは測らない。でもいい感じかな。
    水曜までは毎日軽く体を動かす。そして木曜はストレッチのみ、たっぷりと眠って金曜に出かける、というのが私の予定。呑みも最低限にする。
    こんふうに書き出してみることで、伊是名への気持ち整理する。よしよし、といった感じかな。ここでめげているとせっかくの大会がつまらなくなる。
    さて伊是名だ。
    スイムは2キロ、バイクが66キロ、ランが20キロで合計88キロ。制限時間は7時間。ただし水泳は1時間30分の制限時間である。
    4年前に参加し、スイムでタイムオーバーとなってしまった苦い思い出があるが、今回はスイムは大丈夫であろうと思う。いまの力であれば1時間以内で泳ぎ切れるはずだ。
    バイクは3時間、ランは2時間30分と考えてみると、合計6時間30分となる。大変なのはランで激坂があるとのこと。そこは歩いていこうじゃないか。
    心配なのはランでの足の痛み。暑さにやられたことはないので、その点は心配はしていない。どうも幸いにして体内保水量は多いようなのだ。呼吸の様子をみつつ、無理せず自分のペース、一定のリズムでいきたいと思う。
    いま、伊是名大会のホームページをみると、男子の平均年齢は44.17歳。年齢が高いなあ。でも私の年齢はそれより20歳高いのか。

    散歩道 木枯らし来たり 逃げ戻る
    なんとか落ち着いてレースのスタートに立てるようになりたかった。
    この伊是名を無事にこなしてそんな状態になれることを期待している。
    今年最後の大会だ。
    楽しく屈託のない気分で今年を終えたい。
    そうすれば、来年への気持ちが作れるように思う。

    写真は伊是名の海。
    伊是名トライアスロンのFacebookページよりいただきました。

  • 11月1日の伊是名大会に向けて。トライアスロンレースの楽しみを言葉にする。

    11月1日の伊是名大会に向けて。トライアスロンレースの楽しみを言葉にする。

     トライアスロンレースの楽しみとはなんだろう。トライアスロンライフではなく、レースの楽しみだ。更に言えば、レースしている最中の楽しみだ。これまでそんなことを考える余裕もなく、ともかくタイムオーバーにならないように焦って焦って走っていたのだが、ようやくレースのことも考えられるようになったのかもしれない。

    99里の大会を振り返り、そして何より、11月1日の伊是名大会に向けて「レースの楽しみ」を言葉にしてみよう。
    まず、ネットで「マラソン 楽しみ」で検索する。スポーツグラフィックNumberWebでこんな記事をみつけた。
    <フルマラソン、みんなのマイ・ルール> フルマラソン1000回を目指す67歳・迫田法子 「観光半分、マラソン半分で楽しむ」
    あれから20年以上経った今でも1日目は観光、2日目は走る、というのは一緒。私にとって走ることは“遊び”なんです。行った先で美味しいものを食べるのも楽しみのひとつ。だから走るための食事制限なんていうのも、もちろんやったことがありません。
    http://number.bunshun.jp/articles/-/408096
    なるほど、これもわかるが、もっとレースに絞り込んだところで考えてみたい。「何が楽しいのかを考える」など、それ自体が楽しみを阻害するようなものではないか、との思いはあるが、一方、言葉に置き換えてみることで、無自覚な感覚だけではつかめなかったことが見えてくることだってあるだろう。
    特に伊是名を考えれば、そうした意識操作も重要に思えるのだ。そうした楽しみの感覚をもって臨んでみたいと思っているのだ。

    泳いでいる。その時の楽しみとはなにか。今日アスロニアのショップで、ライアスロン仲間の田中みのりさんに偶然出会った。最近はOWSに力を入れているという。それも5キロ、10キロ大会というレベルである。何が魅力なのか。「大海原で一人挑戦している感覚がいい」という。これは刺激的だった。いかにも泳いでいながら自足を感じ、アドレナリンが出ている感覚があるではないか。泳ぎのレベルは比較もできないが、私だって共有できそうである。
    あと、最近気が付いたのだが、ブレスで顔を上げるたびに見る風景を楽しみを見出した。名付けて「海散歩」(笑)。そこにはここでしか見ることできない風景があり、それがゆったりと変化していく。「へえ~」などど何を感心しているのかもわからないが、ひとり感心して泳いでいる。いい感じだ。
    バイクはどうだろう。風景を楽しむならバイクではないか、と言われるかもしれないが、いまの私の感覚では、バイクではそんな余裕はない。路面だけを見ている状態に近い。いまだにバイクは苦手な感覚もあるなかで、あえて言えば状況の変化に応じてギアや力を変化させている肉体の反応かな。いわば「肉体との会話」。とてもつらい状況も「ああ、こんなにもつらいのだ」とそれに感心してしまう趣がある。
    そしてラン。基本にはその時の体調と状況に合わせて「楽な走り具合」を探し出していくのは楽しみである。もうちょっとできないか、せいぜいこんなところか、など自問自答してく。

    ここまでとりあえず書いてきて、ちょっと整理できてきた。
    「自然と面と向かっての、我が身を恃んだ、肉体を通しての自問自答」
    表現としてこなれてはいないが私には馴染めそうだ。
    「ほう、今日はこんなところか」「周りの様子が変わってきたぞ」「ちょっと変化をつけてみよう」「すごい坂だけど行けるのか」「へえ、こんな痛みがでるんだ」などなど。。。 全身の運動を通して心地よい自分を探し出す。しかも広々とした自然を舞台に探し出す。そうこうしているうちにゴールが見えてくる。タイムはともあれ、我が身だけを恃んだ自問自答の旅が終わりを迎える。
    第一に身体を動かすことが好きなのだ。そしてトライアスロンの我が身を恃む感覚はとても好きだ。レース中はその感覚がむき出しとなる。これは贅沢な旅なのだ。
    よし、伊是名はこの線でいってみるか。
    夏の陽を 楽しんだのか ランシューズ

    さて、書いてみて、感想はいかに。
    伊是名は楽しめそうか。
    考えたことで、楽しみは増しそうか。
    うん、イメージができそうだ。
    イメージできなければマネージできない。
    イメージは言葉によって形をもち、膨らんでいく。
    大好きなラグビーはすごいことになっている。
    次回はぜひラグビーをとりあげたい。
    写真は99里大会レース後の南行徳チーム。これはトライアスロン「ライフ」の楽しみ。白い椅子の二人はエイジ入賞でした。拍手!!