カテゴリー: スポーツ

  • 1か月のブランク。1週間後に99里大会。今日のテーマは「整理」となった。

    1か月のブランク。1週間後に99里大会。今日のテーマは「整理」となった。

     前にいつブログを書いたのか忘れてしまったほど。前回は8月15日、そして今日は9月19日。1か月以上のブランク。長い雨がようやくあがり、日差しも空気も秋の気配を十分にはらんでいる。今日は土曜日のスイム+バイクの練習。バイクは風もおだやかで心地よかった。今日はユッタリペースで走りつつ、その間に思い切りペースをあげる練習だったが、平坦な道で初めて時速40キロに到達することができた。瞬間的なもので長続きはしなかったが、初体験のスピード感でとても新鮮な刺激だった。やっていればこんなこともあるんだなあ。

    1週間後の26日は99里トライアスロン。この1年の目標にしていた大会だ。にもかかわず、1か月以上ブログに手をつかられなかったほどに忙しかった。とくに8月31日から9月11日の間は、練習からまったく遠ざかっていた。
    9月4日・5日・6日と東海大学で開催された日本建築学会大会及びその関連イベントの現場仕事で、なんと9月3日からは本厚木のホテルに泊まることになった。イベントの現場でホテルに泊まったのは久しぶり。しかも4泊も続いたのは、はるか昔の30代の頃ではなかったか。
    しかもその後も10月23日に発行する小冊子の編集が続き、現在も追われながらも、シルバーウイーク到来でようやく一息つきつつ、各種整理に向かっている。イベントの清算整理、混乱した資料の整理、次へと向かう仕事の整理、遅れている雑誌編集の整理。まさに仕事とは、日々を生きるとは整理である。「どうなることやら」とハラハラしている問題も整理を続けていくうちに、気が付けば一つ一つと収まり、過去のものとなる。

    さて、19日の99里である。そんな状態で目標にしていたにも関わらず、思うような準備はできていない。12日よりようやく身体を動かし始め、このシルバーウイークでなんとかリセットまではもっていきたいと思っている。
    今日はスイム+バイク錬、明日21日日曜はスイム+ランの自主練、月曜はユックリストレッチ、火曜はスイム+ラン錬、23日水曜と24日木曜はゆっくりランで身体をほぐし、25日はストレッチのみで現地入り。
    こんなところかな。
    こうして書き出すことも整理。さらに整理をすれば、スイムはリズムの確認。バイクは40キロを出せたのが収穫で今日でおしまい。ランは火曜日の練習がポイントで、あとは身体への刺激を続けるレベル。
    仕事とトライアスロンのバランスというのは、誰にとっても大きな課題だろう。私にとってのバランスとは、いかに忙しくともできるだけ練習時間を確保することに尽きる。
    2週間何もできなくとも練習できる時はやってくる。何も無理することはない。できないときはできない事情があるのだ。単に時間の問題ではない。多忙な折は大方ひどい精神状態にある。身体は酒に向かっても、練習にはなかなか向かわない。
    それを乗り越えて練習に向かわせるのは何か。私の場合は、時間の整理だ。時間の整理のなかで、練習時間を特定する。仕事の予定と同じ感覚で練習の予定を挟み込む。挟み込むことができなければ、挟み込むことができる時を待つ。
    あまりに当たり前のことであるが、こうした感覚、こうした日常が、私にとってのトライアスロンなのだ。
    秋の陽に 思いもかけず 日焼けかな
    練習後の風呂に入って日焼けに気が付いた。
    これからも、この感覚を掴んでいたい。
    トライアスロンをしていなかったら、このシルバーウイークはどのようにして過ごしているのだろう。多分仕事への過剰意識に苛まれていただろうなあ。忙しいからできないのではなく、忙しさから自分を守るために練習に向かう。
    そうなんだ。いきなりだけど、生きていくことは切実なんだ。

    写真は東海大学のイベント現場風景。メジャーをもって、屋外市場の地割をしています。

  • 気が付くと泳げるようになっていた。この愉快な気分を伝えたい。

    気が付くと泳げるようになっていた。この愉快な気分を伝えたい。

     8月15日の終戦記念日、今年は終戦70年の記念日だが、私は御宿でOWSの練習に参加。主催はオーシャンナビで30名ぐらいは参加していたかな。かなりの賑わいであった。

    オーシャンナビは守屋さんが主催されているスイムスクールで、以前品川のホテルのプールでのレッスンに参加した経験がある。今年はOWSの機会が少なく、先日の沼津駅伝でもスイムは中止となったので、久しぶりに守屋さんに会い、指導を受けて海で泳いでみたいとの思いもあって参加した。
    御宿までは津田沼で特急に乗り換えて約1時間。ほとんど寝ていたけど、これは快適至極。駅到着の10分前に目覚めてメールをチェックしてピタリと到着となった。便利ではないか。
    さて、今回のテーマはスイム。
    スイムは伊是名、横浜と2回もタイムオーバーで足切りに会っている。このブログを読んでいる方にとっては「またかよ」というほどに、スイムに悪戦苦闘する姿を示してきた。
    しかし、今年、セントレアでは1.9キロを1時間以内で泳ぐことができた。そして、今回のOWSでは、距離に対する恐怖を、泳ぎだす前も、泳いでいる最中も、感じることはなかった。いつまでも泳ぐことができそうな感覚があった。余裕をもって波を受け止めることができた。新たな地平に立った感覚がある。実に感慨深い。
    何を言いたいかといえば、気が付けば、1.5キロを泳ぐことができるようになっていた、ということだ。泳ぎ始めてから5年。なるほど、やっていればできるようになるのだ。
    いやいや、何もこのことを普遍化し、続けていけば得ることができるなどど語るつもりはない。続けてやっていてもできないものはできない。私はそう考えている。誰もが努力すればオリンピック選手になれるわけではない。あきらめずに続けていけば、誰もが事業の成功をゲットできるわけではない。もちろんやらなくては、続けなくては何も得られないが、努力を続けていけば何かを得られるわけはないだろう。
    なんて、そんなに力を入れるまでもなく、自然とそう思っている。
    だから、あんなにできなかったのに、いつしか泳げるようになっていたということは、愉快である。
    この愉快な感覚をどう表現したらいいのだろう。なかなか難しい。
    単にできなかったことができるようになったからではない。努力が報われたからというわけではない。さらに継続は力であるを示したからでもない。そのことは一面事実ではあろうが、そうした美談は趣味ではない。そう、趣味の問題なのだ。
    さて、何が愉快かといえば、なるほど、人間の考えることは人間はできるのだ、ということを自ら体験できたことなのだ。
    どこに根拠があるかわからないが、誰かが1.5キロを泳ぐことを考えた。そしてトップアスリートではなく、多くの人がそれをクリアしている。努力目標ではあるが、不可能な目標ではない。そんな人間の営みが愉快なのだ。人間とは面白いと思う。そんな面白い営みに、我が身を題材に参加できたことが愉快なのだ。まどろっこしいかな。でも、そういうことはあるのだよ。
    人間の作った目標であれば、多分、続けていけば、気が付くとできている、ということは大いにあるのだ。そんな波に自ら巻き込まれてみることは、愉快なことであるのだ。となると、アイアンマンはどうなのか。私はその世界に行くつもりはないが、続けていけば、気が付くと、そこに立っているのかもしれない。そう思うことは愉快なのだ。そこに向かっていくことは愉快なのだ。
    そして、トライアスロンを続けていくなかで、このように、生きていくことの愉快を考えるに至ったことは、これもまた愉快なのだ。

    さあいこう 海に向かって 泳ぎだす
    OWSの気分は愉快であった。

    終戦記念日なので、ひとこと。
    私の母方の祖母は横浜大空襲で亡くなっている。私の両親は終戦の1か月前に結婚している。母は「どうせ死ぬと思っていた」と語っていた。その戦争が私を生み出した。
    そうした家族の歴史を、子供たちに語り継いでいくことは大切と思っている。
    でも毎日を愉快に暮らすことはより大切なのだ。愉快に暮らすことを伝えたい。
    新聞でもネットでも、非難の罵詈雑言が絶えない。人を罵る呪岨にあふれている。そういう人は日々どのような気分で目覚め、床についているのだろう。私はいやだね。
    小林英雄は敗戦への反省について「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と啖呵を切っている。そして小林英雄の批評とは、ドフトエフスキーであれ、ゴッホであれ、そして本居宣長であれ、「どうして私はこんなにも魅かれるのか」という自問自答に他ならない。私が考える「生きる」とはそのようなことであり、私もそのようにして生きていきたいと思っている。
    ささやかながら、このブログは私なりの生きることの考察でもあるのだ。
    写真はOWSの最中を撮っていただいた。かなり見苦しいかと思いますが、頭がちゃんと横になっている。いいと思います。

  • 猛暑のなかで「なんでもやってみる」ことの楽しみを得る。合宿と沼津駅伝報告。

    猛暑のなかで「なんでもやってみる」ことの楽しみを得る。合宿と沼津駅伝報告。

    前回のブログでは、館山合宿への不安いっぱいな内容であったが無事終えることができた。

    私としては今回の合宿の狙いはバイクにあった。昨年の99里トライアスロンでは、緩やかに続く坂への対処がまったくできずに惨敗となった。さらにセントレアではバイクでタイムオーバーとなり、バイクの向上が大きな課題になっているのだ。
    今回の合宿初日では、房総のフラワーラインを往復で約60キロ。海岸沿いなため、峠を上るような劇坂はなく、適度なアップダウンが続くコースで、99里に向けてはいい練習になった。
    前回の99里では、坂に向かうとすぐにギアを下げて失速していたのだが、できるだけギアを落とさずに坂に向かっていく。さらに新たなフォームも身体に馴染んできて、大きな失速なく坂に向かっていくコツを確かめることができた。
    バイクは本当に愛着がもてないままにここまで来ているのだが、ようやくバイクに乗る身体の動かし方がわかってきたようで、手応えありかな。だいぶ慣れてきたのだが、でも「楽しい」までにはいかないなあ。なんとかバイクとの和解の日を迎えたいと思う。
    合宿2日目は8キロバイク+2キロランを40分サークルで3本というメニュー。果たして無事回せるか、大いに不安であった。大変な暑さで「運動してはいけない」注意報が出ていたそうだが、1本目が31分、2本目は33分、3本目が36分で、参加者のなかでは最下位ながらもなんとかこなすことができた。
    今回の合宿では山本淳一コーチの指導をうけるのが初体験。私にとってはレベルが高いかと心配していたのだが、終わってみると新鮮な印象が残る。コーチによって準備体操から違うんだよね。とても上手にはできなかったが、自主練でもこの動きを取り入れてみようとか、大いに参考になった。とくに最近は基礎体力、筋力の衰えを実感する日々であり、身体づくりの準備運動は、すぐに日々の自主練に取り入れている。

    なんでもやってみるもんだなあ、というのが不安いっぱいだった合宿を終えての率直な感想だ。
    もともと、しっかりとした準備もなく、なんでもやってみたいタイプの人間であり、だから60近くになってトライアスロンを始めているのだが、トライアスロンを続けていくなかで感じることは「なんでもやってみる」ことの楽しさだ。
    「なんでもやってみる」といっても上手くいくわけではない。大概のことはうまくできない。でもこの歳なんだからそれは仕方ない。でもできないながら何らかの発見がある。つまり楽しさとはうまくできたり達成した充足といったものではなく、発見の楽しさなのだ。できないことも発見となる。うまくできなくとも反復しているうちに、コツのようなものをつかむこともあり、ひとり納得する。
    8月2日は沼津駅伝であった。昨年も潮の流れが速くでスイムが中止になったが、今年も第2走以降はスイム中止。セントレア以降、海でしっかり泳いでいないので泳いで力を確かめたかったのだが残念。
    バイクはまったくフラットなコースの往復で、アウターのトップにギアを入れてきっちりと漕ぐことをテーマに向かった。20キロを49分ということは、時速25キロぐらいか。もうちょっといけるかと思ったがいい感じのコツはつかんだ。ただしそれが長く続かない。いい感じを長く続ける体力の問題かな。
    ランは暑くて暑くてともかく無事にゴールできたのが救い。
    灼熱の 太陽担ぎ 息あえぐ
    ともかく、やってみるといろんな発見を得ることができる。
    ささやかながらコツというものに出会うこともできる。
    そんな気持ちで仕事もトライアスロンも向き合ってみよう。
    そんなことを考えている夏の日です。
    写真は沼津のゴール直後。おじさん3人のチームでした。

  • 無事完走 とはいうものの。。。。

    やはり問題はスイムだった。泳ぎはじめてかなり早い時間に過呼吸のような症状が起き、息が苦しく不安が広がり、前方確認のヘッドアップをすると、それでリズムがとまってしまう。また、泳ぎ出すが、またすぐに過呼吸症状が生じ、仕方なく、背浮きをしながら、息を整え、バタ足で前に進む事態に。ライフガードが、「大丈夫か?」と聞いてくるが、「OK」と応える。よっぽどギブアップしようかとも思ったが、この大会は制限時間がないことを思い出し、腹をくくってクロール、休憩、背浮きバタ足の繰り返しで進む。思い起こすと往復の前半のほうがひどかったなあ。ほぼ背浮きバタ足。ハワイの空は青かった。
    スイムでは参加者のなかで最下位。あとで話を聞いたところ、私の1分前に2人いたとのこと。
    バイクとランについては、まあ、自分なりにはスムーズに走れた。それほどに苦しくもなく、一定のリズムをつくることができた。しかし、スイムで一人大きく引き離されたため、まったくの一人旅となり、それでもバイクで3人、ランで2人を抜いたが、レースを楽しむ感覚には遠かった。
    さて、タイムというと、こうした状況のため、会場ではとても確認する気になれず、いま大会ホームページをみたところ、まだ掲載されていない。聞いた話では水泳は1時間30分もかかったとか。それはひどいなあ。ホノルル大会でも始まって以来での記録ではないかなあ。
    ということで、「無事完走」とはいうものの、気分としては晴れやかとはいかない。時間はともかくクロールで泳ぎきりたかった。残念無念が正直な心境。
    今回の大会の総括。
    【水泳について】
    ウエットスーツを着て海で泳ぐということは、プールとは大きく異なることを身をもって確かめた。身体が浮き、スピードがつくのはいいのだが、私の場合はそれによるリズムがつかめず、腕の負担が高まり、肩が疲れて安定したフォームを得ることができなかった。こうした違和感は過呼吸を引き起こす緊張の原因の一つになったように思える。
    今ひとつは前方確認。こんなに頻繁に前方確認をするイメージはもっていなかったなあ。前方確認のトレーニングは行ってきたが、どの程度のペースで前方確認を行うのかのイメージがなかった。あるいは過呼吸のパニックで、一連のクロールの動作のなかでおちついて確認することができなかった。前方確認のポイントも重要で、いま思い返せば、ゆったりと遠くの風景を眺めるぐらいでいいんだな、きっと。ブイをピンポイントで見ていると不安が増大し、少し泳いではすぐに前方を見たくなってしまう。これも焦りを呼ぶ原因。往復のコースで往路より復路のほうが少しはマシだったのは、前方確認がしやすかったことも挙げられると思う。
    会場に向かうバスで隣に座ったアスロニアの知久さんに「自分でもゆったり過ぎると思うぐらいでいい」とアドバイスを受け、そのとおりにしようと思っていたができなかった。そしていま改めて、知久さんのアドバイスの正しさを実感している。決して焦っていたつもりはなかったが、緊張と違和感のなかで「ゆったりとしたリズム」がつくれなかった。
    【全体について】
    水泳は惨憺たる状態であったが、レース全体としては、どの程度の負担があるものなのかを掴むことができた。私にも十分に挑戦可能であるということがわかった。白戸さんにも言われたが「これはあくまでスタート」なのだ。
    よって、スイムを立て直して、引き続き次回に挑戦をしたいと思っている。来年もホノルルに参加して今回のウップンを晴らしたいと思っている。
    【大会について】
    フリーウエイを長時間封鎖し、海辺のすばらしい光景もあるこのコースは実にすばらしい。スイムに1時間30分をかけても完走できたのは、大会の時間制限なしのルールのおかげだ。これも含めて、大会デビューをこの大会にしてよかったと思う。
    【TTAとアスロニアの皆さん】
    ゴールでは岩田コーチと平野コーチが待って迎えていただき「おめでとう。完走しましたね」といわれ、知久さんからはメダルを首にかけていただいた。大きく遅れをとってのゴールで気持ちはなえていたが、この祝福でようやく笑顔を取り戻すことができた。そしてTTA、vengavengaの仲間が、白戸校長が、松下コーチが次々と「なかなか来ないので心配していましたよ」「完走おめでとう」と声をかけてくれ、皆さんと肩を組み、写真に映った。「ああ、この世界に入ってよかった」と思った。晴れ晴れとした心になった。皆さん、感謝します。これがトライアスロンなんだな。特にゼロからここまで私を作ってくれた岩田コーチ、平野コーチには「これからもよろしく」と特段の感謝をお伝えしたい。
    ハワイの海 苦い思いで 振り返る
    夏の日へ 歩んでいくかな 一つずつ
    でも、スイムはいけなかったなあ。
    なかなか、うまくいかないもんだ。
    くやしい。

  • 準備万端!? ホノルル大会デビュー

    3日月曜バイク合宿からの帰りにアスロニアに寄って遠藤さんに輪行の相談。やはり購入したボックスではハンドルとペダルを取り外さないとならない。しかし特にハンドル部分は構造が複雑で失敗している人も少なくないとのこと。
    「それでも自分でやれるというならいいですが」と聞かれて迷いなく「いや、できません」と即答。
    アスロニアでも7,000円程度のボックスを用意できるとのことで、そのボックスを購入する前提で、すべてをアスロニア遠藤さんにお願いすることにした。となると、最初からそうしておけばよかったと悔やまれもするが、これはコトの成り行きで仕方ない。
    ちなみに私が15,000円で購入したボックスをYhooオークションでみると、10,000円で取引されていた。5,000円の授業料と考えよう。
    当初は9日日曜の大井埠頭バイク錬を終えてからアスロニアに持ち込もむかとも思い、いったんバイクを家に持ち帰ったが、TTA渋谷校のNさんが、大井埠頭の練習中に落車して鎖骨を骨折したことを聞き、最後の最後で事故でも起こしてはいけないと考え直し、翌日の4日火曜日にはヘルメット、シューズとともに、バイクをアスロニアに持ち込んだ。
    あとはアスロニアから成田空港にバイクを送り、私は成田で受け取ってバゲージにのせることになる。
    そうそう、遠藤さんにすすめられ、レース用のタイヤというのを購入した。合宿もあってちょうどタイヤが減ってきたので思いきった。色は鈴木さんのアドバイスを受けて「白」。目立つぞ!
    これでバイクは一段落。
    5日水曜は、ジムの定休日。合宿の影響か、くるぶしに少し違和感を感じることもあり、ウォーキングのトレーニングとした。多分私の記録は4時間前後となるであろう。ということで、4時間を続けて動くことを目的に、ともかく早足で歩く。江戸川沿いから新小岩まで出て戻ってきたが、かなり疲れて、戻り道では、数回足を止めて休むことになった。4時間を続けて動くのは大変なことを改めて痛感。いいトレーニングになったと思う。
    6日木曜は帰りがけにプールで、この日は軽く流す程度。
    そして7日金曜。千駄ヶ谷の東京都体育館プール。
    ついに、というより、やっと、あるいは、ようやく1500メートルを泳ぐことができた。大会前には達成したかった目標なので、嬉しいことは嬉しい。でも手放しで喜ぶ気持ちにはなれない。その最大の理由は55分というタイム。なんとか45分以内には泳ぎたかった。しかし、遅いなあ。なんとかならんかなあ、という気持ちが嬉しさの前にある。
    実は6日は満を持し、時間をとって11時過ぎには出かけた。でも、はじめは長く泳げない。1往復で足をついてしまう。これが続くこと8本。精神的なものとは思うのだが、どうしてなんだろう。自分でもふがいなく、ようやく3往復、300メートルを泳いだところで、10分間の休憩となった。
    そして休憩後に「ようやく」続けて1500メートルを泳ぐことができた。遅かったので、まわりは迷惑したのではないかなあと気にかかる。
    7日土曜日はTTAのトレーニング。岩田コーチがビデオカメラを持ち込み、撮影した映像を見ながらのフォームチェックとなった。
    ・スイムは肘が落ちている。とくに顔をあげる反対の右が落ちる。
    ・ランについては、軸は安定しており、顔の上下もなくて良いが、足をもっと上げてシッカリとつくようにしたい。
    これは両方とも大いに参考になった。スイムでの欠陥は自覚していたが、それを改めて再確認した。これを注意してなんとか45分を目指そう。ランについては、やは躍動感の喪失なんだよね。でも意識して下腹に力を集中し、腰を伸ばして足を振り上げると、身体がキュッと締まって、それなりにいい感触となる。
    このチェックで「これでトレーニングは終了、あとは身体を休めよう」というケジメとなった。
    改めて現状を整理する。目標は完走。できれば4時間以内。
    スイムは1,500を達成。これでレースに向かう基本的な自信ができた。やれる、やろうという気持ちができた。
    バイクはレース用のシューズを購入、合宿で鍛え、輪行をお願いして、レース用のタイヤで本番は事故さえなければいけるだろうと思っている。
    ランもレース用のシューズを購入。フォームをチェックしてスピードアップの感覚もつかめた。レースでは相当に疲れていると思うが、いかに遅くとも合宿でつかんだ「リズム」で何とか乗り切ろうと思う。
    13日木曜の出発までは十分に身体を休めよう。
    10日月曜は知人とのささやかな壮行会。これでアルコールもストップ。
    16日日曜の大会スタートは午前6時。きっと時差ぼけ、寝不足、緊張、夢見心地でフラフラとした状態でその時を迎えることになるのだろうなあ。イメージトレーニングをしっかりしておこう。
    遠い空 その時を待つ 五月の風
    備え終え 我が身を頼む 春の海
    今朝は十分な睡眠をとってすっきり目覚めた。
    風に吹かれて江戸川沿いの散歩が気持ちいい。

  • 鹿島槍合宿のレポート その2 躍動感の喪失

    合宿参加初日の夜はちょっとしたパーティ。チゲと豆乳のしゃぶしゃぶで和気藹々と楽しんだ。最後にそれぞれの簡単な自己紹介の時間があり、座っていた席から一番に指名され「この月曜に孫が生まれました」のひとこと。強制的に拍手をいただきました。皆さん、ありがとう。
    寝る前には、白戸校長、コーチの皆さん、MITの方々と、参加メンバー数名が集まっての簡単な飲み会。私にはこれが楽しめた。
    MITというのは、「みんな、いっしょに、トライアスロン」の頭文字をとったものとのことで、アスロニアの経営に加わっているIさんをリーダーにお仲間が参加されていた。特にIさんのリードする会話と皆さんの応対が当意即妙で大いに笑った。発想が豊かで機転がきくんだなあ。
    翌日、最終日は2キロラン、16キロバイク、2キロランのデュアスロン。18名参加で17名が完走。私は全体記録で最下位の1時間19分31秒。トップはTTA渋谷校ケータさんの48分42秒。私の前の16位はTTA渋谷校のT嬢で1時間7分38秒。いかに私が遅かったか。ぶっちぎりの最下位だ。
    今年に入って、フロストバイトのハーフマラソン、カーフマンのデュアスロン、ビギナーズキャンプ、今回の合宿と参加をして、自分がどのようなところにいるのか、周囲との比較のなかで確認することができた。これは「我が身を知る」とても大切な体験であった。
    それらを振り返って浮かび上がるキーワードは「肉体の躍動感」。歳をとると失っていくのが躍動感。躍動感の喪失を思い知ったなあ。
    中学、高校とハンドボール部にいた。インターハイにも出場した。ハンドボールのコートは20メートル×40メートル。いかに疲れていても30メートルは連続全力ダッシュができなくてはならない。練習でも疲労のピークの状態でダッシュを繰り返しシュートを打つ。その時の私にはみなぎる躍動感があったのだろうと思う。
    この経験のために「疲れていてもその気になればダッシュができる」というのが頭に刷り込まれていたのだが、もう身体が動かない。ドンドンと先に行く皆さんに「得意のダッシュ」をかけても追いつけない、というよりダッシュにならない。
    幼い日、若い頃に何も考えずにできたことが確実にできなくなっている。それは躍動感の喪失なのだ。ランにしても一歩を踏む足の幅に躍動感が失われているのだ。そのことがよくわかった。そのことを痛感した。
    何も悲観的なことを言っているのではない。トライアスロンのおかげで、自分ができなくなっていることがよくわかったということなのだ。私はむしろ、ここにトライアスロンの意義を認めている。
    このことをどのように考えるのか。トレーニングにより躍動感を回復するチャレンジングな日々に意義を見出すのか。
    でも私はそのようには考えないんだな。
    確かにトレーニングによって、私なりに運動能力を幾分かは回復することはできるだろう。それも楽しみの一つにはなろう。しかしその努力で年齢を越えることはできない。もし越えるとしたら、それは錯覚であるか、肉体への過剰な思い入れとなろう。歳相応というのは幾つになっても大切なことなのだ。「お若いですね」などと言われて無邪気に喜んでいてはいけない。
    私は「躍動感」とは違う、この年齢に相応しい「運動の楽しみ」を見出したいと考える。
    私はそれは「運動のリズム」であることを「躍動感の喪失」とともに認識した。急坂をあえぎながら登るときにも「リズム」はあった。ぶっちぎり最下位のデュアスロンでも、完走できたのは「リズム」のおかげであった。トライアスロンによって「リズム」に出会うことができたというのが、私の考えかただ。
    トライアスロンはその時において、自分のリズムを見出し、リズムを肉体で刻む楽しみなのだ。
    今日は午前中に10キロラン。夕方からスイム1200メートル。
    今日のトレーニングで、ようやくホノルル大会用のテーマミュージックを見出した。
    ランはビートルズの「It won’t be long」。出だしの“Yeah! Yeah!”というコーラスとの掛け合いがランのリズムにピッタリ。
    スイムは悩んだね。これまでいくつも試してみたがしっくりこない。これが今日のスイムで泳ぎながら「ハワイ=サーフィン」と連鎖発想で、ビーチボーイズの「Surfer girl」を試したらピッタリ。スイムの場合は一定のリズムではじける感覚より、自在に伸びができるリズム感覚が重要なんだよね。
    この2曲を耳にすると、私の心はしみじみとおせんちになる。思い出が湧き上がり、血が巡る。
    ちなみにこの2曲とも発表は1963年。今年59歳の私は12歳でビートズルとビーチボーイズに出会って夢中になった。以来、私たちの年齢の多くがそうであるように、この二つのバンドは常に私のアイドルで、いまだに貴重な人生の同伴者である。
    その大好きな曲が「テーマミュージック」になるというのは、当たり前というより、私には驚きである。だってこの2曲とも、走って泳いでいるうちにたまたま浮かんだもので、それ以前に考えたものではないからだ。おもしろいなあ。
    なお、バイクのテーマ曲ははまだ見つかっていない。ホノルルを走る中で見出すことを期待している。残ったアイドルバンドは、モータウンなんだが、さてどうなるか。マーサ&バンデラスではまったりしたら最高だ。
    目に青葉 衰えを知る 山景色
    五月の空 眺めゆく 遠い日々
    でも、躍動感に溢れていた昔はなつかしいなあ。
    リズムはそれをしみじみと思い出させてくれる。
    ああ、生きていることを感じさせてくれる。

  • 江戸川沿いをラン。引越した実感を得る

    昨日もいい天気だったが、今日も晴天で風も穏やか。絶好のラン日和。
    9時30分から1時間、江戸川沿いをラン。片道30分で江戸川の河川敷に出て、戻ってくる。河川敷に出るあたりで、川の眺望が大きく広がるところが醍醐味で、気持ちが晴れやかになる。気に入りました。これでようやくこの地に引っ越した実感を得ることができた。
    「よし、大いに走ろう」と意気込んで気がつくのは、いつ走るのかということ。やはり走るのであれば30分ではなく1時間は走りたい。ジョグなのでキロ6分ペースだから、距離は約10キロだね。しかし1時間をどこでとるのか、これは簡単ではない。間違いないのは朝だが、朝は仕事に集中したいしなあ。夜はスイムにあてたいし。気持ちのいいのは朝だよなあ。トレーニングの時間割をどうするのかが課題だな。
    ランを終えていったん帰宅し、すぐにジムに行ってスイム。もちろん、TIでのクリニックを確かめるためだ。
    クリニック後の初泳ぎは昨日のレッスン。最初のうちはどうもブレスがうまくいかない。顔をあげる側の左手はゆっくり前に伸ばせるが、逆に右手はすぐにかいてしまう。ブレスのたびにタイミングがずれているようで、しっくりこない。なんて思いながらも、昨日はかなり泳ぎこむドリルで、泳いでいるうちになんとなくなじむ方策をみつけてくる。そして、最後はハードペースで25メートルのタイムをコーチが測ってくれ、それが31秒。へえ、驚いた。これまでは25メートルは40秒弱、それが30秒に近くなった。これはクリニックのおかげ!? うれしいけれど、まだ半信半疑だなあ。
    それで今日は昨日の成果を改めて確かめるのがテーマ。ともかくゆっくりと、姿勢を確かめることに集中して25メートル1分サイクルで泳いでみる。身体としては、だんだんと慣れてきて、速くなった感覚があるのだが、タイムをみると、相変わらずの40秒弱なんだな、これが。
    しかし、それでめげてはいられない。25メートルの間に何回腕をかくか、できるだけ少なくすることをテーマにして、25メートル1分サイクルを繰り返す。どうにも安定しておらず、24から26であった。途中休んで他の人の回数を数えてみる。すると「見るからなかなかうまい」おばさんがやはり26程度。「見るからうまくない」がずっとロングを泳いでいるおじさんは35回程度。しかし私の速度はおじさんに近いのだ。うーん、不本意だなあ。
    しかししかし、それでめげてはいられない。ブレスが慣れていないので、できるだけノンブレスで泳いでみる。それで自分なりに思ったのは、やはり腕の動きで、これまでは「腕を思い切り伸ばして着水~腕をかく」であったのが「うでを突っ込むように着水~思いきり肩を入れる」となった。このとき「腕をかく」意識はほとんどない。ともかくズボッと思い切り腕を突っ込んで肩を入れることに集中していくと、適度に左右にローリングして、スムーズに前を進む感覚が得られるようになった。でもなお、タイムが思ったようにつまらない。
    しかししかししかし、それでめげてはいられない。目先を変えて、50メートルをゆっくりと泳ぐ。かなりラクな感じを得た。これは収穫としよう。それで50メートルを4本。
    最後にプルブイを挟んで、できるだけノンブレスで泳いでみる。腕を突っ込むばかりか、イメージとしては腕と同時に頭も含めて水に飛び込んでいく感覚かな。25メートルのタイムは約30秒に縮まった。ということは、やはりまだ足が落ちているということか、と思いながら、1時間を越えて相当に疲れたので今日のスイムはここで終わり。
    「泳ぎが劇的にかわった」「劇的な成果を得た」わけではないが、何らかの手ごたえは得たようだ。また、その手ごたえというのは、これまで教えられたものとまったく違うのではなく、入口のメソッドは確かにちがうのだが、泳いでいるうちに、同じようにも思えてきた。ただし、このあたりはまだ分からない。いずれにしろ、このクリニックを活用してみようと思う。
    今後の予定。
    ・1週間ほど自分で続けてみる(フォームを中心)
    ・改めてクリニックにでかけ、また1週間ほどフォーム中心に自分でチェック
    ・今度は同じクリニックのトライアスロンメニューを受ける
    ・長距離スイムを重点に、なんとか4月末までに1500メートルに近づく
    ひとつづつ 考え歩む 春の日へ
    ゆるやかに 水を感じて 前を向く
    スイムの後にジムでバイクをテレビを観ながら10キロ。
    男子スケート1500メートルはすごい熱戦だった。
    まったく別世界だが、よし、俺も頑張ろう! なんて思ってしまうのが、我ながら、笑ってしまう。

  • 自分の泳ぎをビデオでみるクリニックに「かなり、驚いた」。

    今日はTIスイムサロン船堀 http://tisalon.jp/ スイム・クリニック(50分、料金税込6,300円)に行ってきた。いやあ、かなり、驚いた。
    場所は都営新宿線船堀駅からすぐ。小さいビルで、2回には栄光ゼミナールという塾が入っていた。そう、スポーツジムというより、下町の駅前によくある塾の1階のおもむき。
    ご対応いただいたのは、株式会社トータル・イマージョン シニア・コーチの中村さん。「岩崎さんですね。よろしく」とフレンドリーに迎えてくれる。
    まず、簡単な質疑応答がり、いまの自分が何を求めているのかを説明。私の場合は6月のトライアスロン出場であり、スイムの技術としては「足が落ちる」状態を抜け出したい、50メートルを1分で泳ぐようになりたいということ。
    すぐに着替えて、流水プールへ。流水プールは2台設置されていた。
    プールに入り、泳いで見る。すると、浅いこともあって、すぐに足がついてしまう。数回やるが、いずれも足がついてしまう。「何かうまくいかないなあ」という感触。
    そこで第一のアドバイス。手を水面から30センチほど沈めた位置におく。これまではストリーム姿勢で、両腕で頭を挟み、手の位置は水面にあった。その手を沈め、目の位置は真下を見ると、何と足が浮く。これはちょっと驚き。
    次に、片腕づつのかき。肩をグイッと伸ばす。「もっと伸ばしてください」ということで、思い切り肩を入れる。その際、身体が少し傾く。泳ぎを止め、立った姿勢で、傾いた身体の感覚を確認して、再び泳ぐ。手は30センチの水面下。
    これで基本的な姿勢を体得。
    今度はキック。これも驚いた。これまで膝を曲げないことのみ考えてきたが、少し膝をまげて、キックするように伸ばす。プールに立ち、左右をつま先立つ感覚を確認する。つま先立ち、左右の膝を交互に曲げてパンと伸ばす。そして泳ぎながらキックを試す。両手はまっすぐ水面下30センチ。
    この段階で、身体がラクに水に浮いている、足が落ちていない感覚を得ることができた。
    次は5回キックのタイミングで、左右の腕を順にかく。その際、かいた手の平を腿につける。これが動作の基本。かいた手をエイッと後ろにかき出すのではなく、手のひらを腿につける。
    それから手をかくタイミング。キャッチアップクロールのように、次の手が前にきたタイミングでかく。ただし、キャッチアップのように両手を揃えるのではなく、手が前にきたタイミングでかき出すスムーズな回転の感覚をつかむ。
    これらのステップごとに、映像を見てアドバイスをいただき、泳ぎ~映像~アドバイス~泳ぎ~映像を繰り返す。
    最後に、この感覚で泳いでみて、その映像と、最初に泳いだ映像とを見比べると、当然ながら、明らかに違う。
    (なお、以上はあくまで私の記憶で、正しいものであるかは保証の限りでない。というより、ご関心のあるかたはクリニックを受けてください)
    感想としては、「かなり、驚いた」。
    驚いたのは「なるほど、身体がラクで、足が沈まない」ということ。窮屈な感覚、力を入れる感覚が少なく、浮いている感覚を得ることができた。
    さてさて、これで普通に泳いだらどうなるか、明日はTTAのレッスンなので、そこで確かめたものをまた報告したい。
    今日は、「かなり、驚いた」ということを、とりあえず報告。それは行ってよかったということだ。
    寒空に 小部屋に入り 泳ぐなり
    春に向け 新たにためす 驚きや
    いやあ、かなり、驚いた。
    スイム・クリニック、お勧めします。

  • 私もアスリート? オリンピック応援の心境変化。

    オリンピックが大好きだ。お金と時間があれば、4年ごとに(冬季を含めれば2年ごとになるか)オリンピックの追いかけをしたいと思っている。何が好きかといえば、やはり、世界最高の能力を備えたアスリートたちが究極の目標としている舞台だからだ。そのパフォーマンスを見るのはそれだけで、ただただ「ありがたい」という気持ちで、同じ人間として理屈なく陶酔する。種目として一番好きなのはなんといっても100メートル。まさに最高中の最高の人間があつまった舞台であり、こちらは純粋に観客として楽しんできた。肉体の芸術だ。
    そこで、今回の冬季オリンピック。私の関心はなんといっても村上愛子であった。金とまでは言わなくとも、村上愛子にメダルをとらせたかった。今日は朝からハラハラドキドキで、見ていられないほどに撞着し、レースが終わったあとは呆然として心落ち着かず、スポーツジムにトレーニングに出かけて自分を取り戻したほどだった。
    こんなふうにスポーツを見たのは始めての経験だ。私はモーグルという競技にとりわけ関心があるわけではない。村上愛子のレースを追いかけてみてきたわけでもない。彼女のパフォーマンスに陶酔したこともない。つまり、村上愛子というモーグル選手のフアンではない。ただ、アスリートとしての彼女のもつ前向きな明るさ、心和ます爽快感に心ひかれ、テレビで伝えられる12年の努力の軌跡を目にすると、応援せずにいられなくなる。
    そうした心理は、彼女の多くのフアンにもあるものとは思うが、私の場合、誠に恥ずかしながら、自分としては、アスリートとしての共感があるように思えている。その共感というのは、「修練」への共感とでもいおうか。自分もささやかながら、トライアスロンという修練に向かうなか、オリンピック選手への、一流のアスリートへの、人間としての尊敬の念といったものが芽生えてきた。
    あそこに行くまでにどのような努力を積み重ねてきたのか。しかもその努力の積み重ねが一瞬にして崩れてしまうこともある。特にモーグルなんて競技はアクシデントの要素が極めて大きい。それを前提に向かっていく人々の勇気に心うたれる。
    こうした心境は、年寄りの趣味とはいえ、トライアスロンを始めて初めて知ったことだ。
    始めてみることで知ることは実に多い。というよりも、私たちは始めてみることでしか、何事かを知る方法はないのかもしれない。こうした考えも、いま、こうして書くことを始めてみることで知ったことなのだ。
    踊るよう 滑り降りるや 美しき
    息をつめ 雪のカナダに 思い込め
    私のバンクバーオリンピックはもう終わったような思いでいる。

  • 江戸川を眺め、新たなトライアスロンライフ!

    妻の三回忌を終えたらできるだけ早い時期に引っ越したいと思っていた。その理由は家族構成の変化。妻、長女、次女、長男と大人5人で暮らしていたのが、ほとんど私一人の生活となった。家が賃貸マンションであったこともあり、老後を前に「終の棲家として手頃な大きさのマンションを購入したい」と考えた。ほとんど一人暮らしといっても、親の努めとして、最低限の実家機能は確保したい。それで3LDKに狙いをつけて中古マンションを探し始めてみると、南行徳あたりはかなり安い。しかも東西線で都心には20分で出られる。そしてそして・・・トライアスロンライフに極めて適している。そこで現地を見ていくと、江戸川沿いに気に入った物件がみつかった。
    昨年末には契約を行い、以下のような文面の年賀葉書を出した。
    『長年住み慣れました大井町を離れ、この一月末より千葉県市川市に引越すことになりました。
    マンションの4階で、ドアを開けると、眼下に江戸川の川面が広がります。
    昨年の七月よりトライアスロンのトレーニングを始め、今年の五月には大会に出場するつもりでおりますが、江戸川沿いはランとバイクのトレーニングにはなかなか適した場所です。
    子どもたちも家を出て、60歳を前に基本一人住まい。身体を絞り、余分な荷物を整理し、必要最低限の装備で猟に旅立つ狩人の心境です。』
    これはあくまでイメージだが「老後はだんだんと余分なものは捨てていき、文字通り心身ともに身軽になり、最後は何もない四畳半で人生を終える」ようでありたいと思っている。江戸川に住まいを移すことで、その第一歩を踏み出したような、ちょっとした高揚感がある。
    南行徳で、新たな、本格的な、老後の、トライアスロンライフの始まりだ。
    トライアスロンスクールも、渋谷は中止して、南行徳一本にした。昨日は初めて木曜の10時からのスイムに参加。渋谷の朝6時からのレッスンもつらいが、10時からのもなかなかにきつい。力がはいらずにフラフラした。自転車で5分で帰宅。缶ビールにウイスキーの水割りを流し込み、就寝は1時近くになっていた。
    これからは朝に江戸川沿いを走ってみよう。帰宅前にタップリ泳いでみよう。この地ならではのトライアスロンライフを自分のものにしていきたい。
    新年に 新たに住まう 老いに向け
    江戸川の 冬の水面に 胸おどる
    南行徳を知ったのは、ここでトライアスロンのトレーニングがあったから。それ以外に何の縁もゆかりもない。少なくともトライアスロンのトレーニングを始めていなければ、ここに住むことはなかった。去年までは考えられなかった意外な展開を楽しんでいる。
    昨日は5月のホノルルトライアスロンの申込みを行った。