残暑が続いているけど、日差しも風も秋の気配を含んで夏の終わりを告げている。
どうにも元気がでない。体調としても元気がなく、気持としても意気消沈している。心身ともに夏ばて状況である。
今日は書くことでこの気分に区切りをつけたいと思っている。「よし、いってみよう」という今後の指針を見出したいと思っている。
まずはレースの報告。先週の日曜日19日は沼津千本浜でのトライアスロン駅伝。3人1チームで、それぞれがスイム、バイク、ランをこなす。私のチームは「レレレのおじさん」でATA南行徳の仲間と3年続けての参加。
リザルトを3年続けて見てみよう。(今年/昨年/一昨年)
トータル 1:47:09/1:48:42/2:06:40
スイム 0:18:49/0:22:18/0:34:47
バイク 0:51:37/0:50:16/0:55:46
ラン 0:36:43/0:35:28/0:36:07
昨年と比べてトータルでは1分30秒ほど短縮できたけど、これはスイムのおかげでバイク、ランともタイムを落としているんだなあ、これが。特にランについては一昨年よりも30秒ほど落ちている。
スイムはようやく人並みに近づいてきたが、バイクとランは頭打ちだなあと思う。といっても順位としては全体でも最下位クラスで、このポジションでタイムを語ること自体、喜劇なのだが。
次いで、昨日はスイムの練習で15分間泳があった。これは15分間ノンストップで泳いだ距離をカウントするもの。年に3回ほど行われるが、過去2回は風邪などの体調不良でお休み。久々の参加でひそかに心期すところがあったのだが、これがノンストップで泳ぎきれず、300を越えたあたりからターンのたびに休みがはいり、450の一歩手前で完了となった。550越え、できれば600を目標にしていたので、とても残念で自分でも歯がゆい。自分なりに長時間泳の練習も重ねてきたにもかかわらず、距離はともかく、ノンストップで泳げなかったことが不本意。
振り返ると、この週は沼津の疲れと残暑から「お疲れ」の状態であった。木曜は朝に走りに出たものの5分と走れず歩いてしまう。暑さのせいかとスイムに行っても100でバテて立ち止まる。久しぶりに体重計に乗るとなんと69キロで驚愕。
ちなみに月曜から火曜、水曜、木曜と呑み会も続いた。太るはずだよ。
金曜は土曜の15分泳に向けて夜に泳ぎにいこうかと思ったが、結局は丁寧なストレッチのみでで早めに床についた。
こう書き出してみると、土曜日の15分間泳は思うような結果とならなかったのもいたしかたないよなあ。
今年はあと、9月30日の横浜と10月21日の伊是名を残しているが、いまの時点で、果たして制限時間に泳ぎきれるかなどと不安も湧き上がってくる。どうするかなあ。
何もわからずトライアスロンに飛び込み、好奇心だけで突撃してきたが、ようやく様子もわかるようになったところで、一息つきたくなっている自分がいるようだ。
トライアスロンでもうワンランク上を目指すポイントは躍動感であろうと感じている。それを目指してみるか。あるいは疲れをとることを第一にペースを落としてみるか。
と、ここまで書いてきたが、私の基本方針としては、頭で考えるよりも暮らしの形をつくることを優先する。よってこれについては、今日はこれからトレーニングに出るのか、あるいは家で休むのかの問題というように考える。
はい、ジムに行き、スイム、バイク、ランの3種目を軽いメニューでこなしてみよう。
ベランダに 干からびた蝉 タオル干す
どうするか どうしようもない この残暑
昨日の土曜日は孫の誕生日で次女の家で誕生日会であった。
息子とは1年ぶりに会ったが、見た目に大きな変わりがないことに安堵した。
来週の日曜9月2日は亡き妻の命日である。
こうして日々は過ぎていく。
残念ながら書くことで指針を得るまではいかなかったが、とりあえず家事をすませ、明日の仕事の準備を整えてジムに行ってみようと今日の予定はたった。身体を動かしているうちに、何かの手ごたえを得るかもしれない。
これがスポーツとともに暮らすということなのだと改めて確かめる。
スポーツはいいよなあ。
カテゴリー: スイム
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沼津千本浜駅伝の報告。心身夏ばて状況での日常報告。
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もう8月、お盆でいまの時をふり返る。
ロンドンオリンピックが終わりを迎えている。来週は旧盆で夏休みのシーズンである。ことしも残すのはあと4ヶ月半となった。
歳をとると時の過ぎるのを速く感じるという。そうなのであろうか。私にとっては、今年の正月ははるか昔のことのように思える。思いだしてみても記憶の輪郭は曖昧であり、果たして何をしてたのかなあと首をかしげてしまう。ばたばたと追われて過ごす毎日の底辺で、私にとって時は実にゆったりと流れているようなのだ。北京オリンピックなど、歴史の彼方のような感覚でさえある。俺は健忘症かボケなのか。
オリンピックに出場する選手にとって、4年というのは基本的な時のサイクルであろう。加えて、スポーツ選手のピークの時は決して長くはない。そうした人にとっての時の流れとは、どのようなものなのだろう。
間違いなく確かな4年間という時を積み上げてきたであろう選手の活躍をテレビを見ながら、我が身の過ごしてきた時をふり返り、そんなとりとめのないことを考えている。
今日は千葉の保田での海錬に行ってきた。着いたときはちょうど激しい雨。空には黒雲がひろがり、どうなるかと心配したが、幸いにもそのあとは夏の青空。雨のために水は多少にごっていたが、水温は高く、波も少なく、気持ちよく泳ぐことができた。
不安の種のスイムであるが、海とウエットスーツにもだいぶ慣れてきた手ごたえがある。スピードが遅い、すぐに腕が疲れてしまうなど依然として課題は山積みではあるが、3年でようやくここまできたという手ごたえはある。
19日は沼津千本浜での駅伝で、今年で3回目の参加。一昨年、昨年の経験をへて、今年は多少はましなレースができるのではないかと期待している。「てごたえ」「ましなレース」というのは、自分がコントロールしていることを常に自覚し、フォームへの確かな意識をもって一定のペースを守り、安定した呼吸とリズムで泳ぎ、走ることである。
こうした状態は、私にとってまさにスポーツを楽しんでいる状態、自足している状態である。
先の木曜には皇居のナイトランに出かけた。7時半スタートの自主錬で、仲間6人が集まり、私は2周を約1時間10分のタイム。1周目走り出しは、は身体が重く、息がきれ、やめようかと思うほどであったが、後半にようやく息が落ち着き、2周目は気持ちよく走ることができた。終えたあとは皆で、トライアスロン仲間がオーナーのイタリアンレストランBOSSOに繰り出し、ワインとパスタとおしゃべりを楽しんだ。
昨日の土曜日はスイム+バイクのレッスンで、スイムは身体が重く、息が切れ、タイムもあがらず「夏ばて」を実感させられたが、レッスンの内容は「浮く姿勢」づくりで、これはこのところの私のテーマでもあり、大いに身になった。
バイクはローラー台で下のハンドルを握ってのフォームチェックで、そのあと約40分、江戸川沿いを走った。ローラー台のおけげで、フォームへの意識、手ごたえは一段と高まったように思える。
こうして文字にすると、58歳で始めたトライアスロンも3年を経て十分な手ごたえとなっているではないかと、改めて確かめる。スポーツは積み上げが効くんだよなあ。不安定で積み上げが効かない人生にあって、これはスポーツによって得る楽しさなのだ。スポーツに人生を見出すわけではないが、スポーツは確かに人生の重石になるようだ。
おそらく、時を長く感じる理由の一つはトライアスロンにあるのかもしれないと、とりあえず納得しておこう。
オリンピック 身体で時を 確かめる
越し方を お盆の夜に ふり返る
今回のオリンピックで強く記憶に残ったのは、ひとつは女子サッカー。
時を積み上げたものが見えた。
それと女子400メートルリレーかな。
23年ぶりの世界記録に鳥肌がたった。 -
またしても扁桃腺炎。頃合のトレーニングを探し出そう。
今日は「15分泳」のレッスンであったのに扁桃腺を腫らしたためにやむなく不参加となった。
腫れに気づいたのは一昨日の木曜日。ちょうど映画館で「ドラゴンタトゥーの女」を観ている時に発作的に咳き込みはじめた。あわてて飴を舐めてしのいだが、そのときから悪化をたどり、今朝起きたら咳がとまらない。果たして風邪か扁桃腺炎か、あるいはアレルギーか、熱はないのでレッスンに出かけようかと迷いもしたが、咳で胸まで痛み出して意気阻喪。これで行っても不本意なものになるだろう、いい歳をして無理は禁物と頭がめぐって、取りやめにした。
そのあと、今日一日は仕事に向かおうと思ったものの明らかに集中力がなく、大半は寝て過ごすことになった。これだけ寝られるというのはやはり体調は不良なんだよなあと、休んで正解と一人納得。
もともと扁桃腺が弱くて、毎年冬には最低1回は扁桃腺を痛めて寝込むことになる。今年は1月に寝込んでこれで2回目。この短期間に2回連続というのはちょっと記憶にないなあ。
ただし今回の2回連続ではたと思うことがあった。2回とも、それまでの1週間ほど無性に眠く、7時間どころか8時間も寝てなおかつ眠い。
これには、やはりオーバートレーニングというのもあるのかと思う。前回はフロストバイト、今回は15分泳を前に、私としてはけっこうトレーニングをこなしていた。この1週間を振り返ってみても、日曜、月曜はスイム自主錬、火曜日はスイムのレッスンで、水曜は千駄ヶ谷の東京都体育館のプールに出かけて約2500メートル。木曜は事前の最終自主錬で、金曜はあえてオフにしてストレッチングを丹念に行うというプランをたててその通りにやってきた。
どの程度のトレーニングが妥当なのだろうか。これは年齢を考えるとかなりシリアスな問題なのだ。村上春樹は毎日1時間10キロは走るという。でも私の経験では30分5キロは消化可能であるが、1時間となると、絶対に1時間ほどの昼寝が必要になってしまう。
白戸太郎さんは「週に1日いい練習ができる程度の練習量」といっている。基本的には毎日心地よく目覚めて意欲をもって一日に向かう状態が望ましい。無理をせず、疲れを翌日に残さないということなのだが、多少の無理を承知で自分を追い込んでいるところもある。トレーニングを重ねることで、こなせる練習量も増えていくこともあるだろう。
これは改めて考えてみる必要があると思っているが、とにかく自分で楽しむためにやっていることで、それ以上のことは何もない。
今年で3年目に入り、ぶきっちょな私でも多少の手ごたえを得るようになってきた。トレーニングも「より上へ」という意識がベースになっている。それはそれで見出した楽しみではあるのだが、頃合というものを、もっと考えていきたいと思う。
冬の朝 咳き込みながら 外を見る
風邪に臥し 一人暮らしを もてあます
いま書いたことを読み直すと、だいぶトライアスロンライフが身についてきたように思う。
いい暮らしのペースを見つけよう。 -
スイムでの多少の自信と大きな不安。なかなかだなあ。
今日は寒かった。気温は氷点下で風も10メートルを越えたとか。そんななかでの江戸川バイク錬の寒かったこと。向かい風ではウインドブレーカーがバタバタはためき、いつもどおりに一人ちぎられ、鼻水を流し、全身を縮めるようにしてペダルをこいだ。
さて、今日の話題はバイクではなくスイム。パーソナルトレーニングで、石橋トレーナーから「それなりにまとまっている」という評価をいただいた。
私の場合、まず第一に身体が硬い。例えば手の先を水面に近いところで伸ばそうとすると身体が反ってしまう。シッカリとした姿勢にすると、手は多少水面より下になってしまうが、それは「それなりにOK」ということである。必ずしもいいわけではないが、現在の肉体からすれば「それなりにまとまっている」ということで、私としては合格点と受け止めた。
スイムが苦手、スイムがうまくいかないといった悪戦苦闘については、このブログのメインテーマの一つともなっているが「それなりに」という保留はあれ、認めてもらえたのは初めてのことで、正直なところ多少の安堵が広がった。
あとは丹念なストレッチを続けて身体をより柔軟にすることと、部分部分で少しずつ改善を図っていこうとうことになった。
ATAのレッスンでも50メートルを65秒6で泳ぐことができ、ずっと見ていただいている平野コーチからは「自己ベストですよ」と声をかけられた。
これを自信にして、よりラクで、より加速感を感じる泳ぎを探っていくことにしようと思っているのだが、しかし、なかなかうまくいかないんだなあ、これが。
このところ長く泳ぐことに慣れようと、プルブイで30分から45分続けて泳ぐという自主錬を行っている。トライアスロンではほとんどの大会でウエットスーツの着用が義務となっており、いわばプルブイを付けたような浮力のついた状態で泳ぐことになる。よってプルブイをつけ、ともかく長い時間を泳ぎきることを目標にし、これはこれで無理なく泳げるようになっている。加速感、前のめり感、肩甲骨の動きも感じることができる。しかし、プルブイをはずすとどうにもこの感覚が得られない。長い時間が泳げない。200まではまあ問題はないが、それ以上に自信がない。
実は25日にATAのレッスンで15分泳がある。このレッスンは半年に1回程度行うもので、今まで2回参加し、初回はあえぎあえぎ、休み休みで300メートル、2回目はなんとか500メートル。今回は少しは手ごたえの成果を得たいと心ひそかに期するところがあるのだが、どうかなあと不安が募る。
あと1週間。明日は15分、プルブイなしで泳ぎきる。それが目標。
木枯らしの 身体を刺すか バイク走
なにゆえに 寒風吹いて あえいでる
この2月16日で61歳となった。還暦から1歳を踏み出した。
Facebookで多くの方々から祝福をいただいたが、ほとんどがトライアスロンの仲間だ。トライアスロンを始めていなければ、このことはなかったであろう。
この歳になり、いままでにない環境に身を投げ入れることの面白みを感慨をもって味わっている。 -
ブレスのコツがわかった? こんなにラクに泳いでいるんだ!
昨日のスイムのトレーニングで、平野コーチから「ブレスのタイミングをもっと早くして」との注意を受けた。私の場合、顔をあげて一瞬あってから「パッ」と息を吐いていたのだが、そうではなく、顔をあげた瞬間に息を吐いている状態にするという。
それを具体的にやってみると、水のなかで息を吐き続け、吐き続けながら顔をあげて最終的に大きく息を吐ききる感じとなる。そしてそして、やってみると、随分と息がラクになる。なんだ、こんなにラクなんだ、みんなこんなにラクに泳いでいたんだ、そうなのか、といった気分となる。これは大いに参考になったな。
思い起こせば、ブレスを最初に習ったのは、もう25年ほど前になる。スポーツジムに通っており、30分の水泳コーチレッスンを受けた。そのときに習ったのが、「顔をあげて、口の周りの水を吹き飛ばす感覚でパッと息を吐く」というもので、いまにいたるまで、そのように行ってきた。パッと吐くには、実はその直前に息を止めることになる。
ブレスについては、平野コーチより特訓を受け、基本の基本ぐらいは身につけたが、どこか違和感をもっていた。人より明らかに息が切れる。みんなもっとラクそうだ。多分年齢のせいではあろうが、そればかりでもなさそうと思ってはいたが、問題意識も中途半端であった。やはりつきつめていかないとわからないんだなあ。
そのブレークスルーの一歩となったのが、最近お世話になっているパーソナルトレーナーの石橋コーチの指摘。
・顔をあげるのが遅いので、右手の着水と同時に左に顔をあげる。
・吐く息は顔をついたらすぐに鼻から息を吐き始める。
というものであって。これでだいぶ泳ぎがラクになった。
これはいわばブレスのスタートだね。
そして、昨日の平野コーチの指導で、顔をあげて息を吐ききるコツに出会うことで、ようやく一巡することになった。
これで、普通の感覚に近い状態で、息を吸って吐く循環がスムーズにできるようになった。
以前はこんな感じ。
息を止めた状態で顔をつける→プルにあわせて鼻から息を吐く→顔を上げる際に一瞬息を止める→顔を上げて息をパッと吐く→大きく息を吸い込み、一瞬息を止める
つまり一巡する間に、一瞬ではあるが、2回息を止める。吐くときは力が入る。これは苦しいよなあ。
昨夜は、息を止める瞬間はほとんどなく、あるいは自覚して止めることはなく、吐いているか吸っているかのどちらかとなった。顔を水につけながら自然と鼻から息を吐き出して、顔を上げる前には鼻と口から息を吐き出しながら顔をあげる。大切なのは、力を入れて吐き出すのではなく、普通の感覚でユックリと吐き出す。感覚としてはユックリと水車をまわすような連続運動で、これが自然の呼吸の感覚なのだから、そのほうがラクであることは違いない。
ランもそうだけど、運動はリズムであり、リズムの基調となるのは呼吸と思う。運動の快感も、多くは呼吸の快感でではないかと思っている。
ようやく、念願の、スイムのリズムをつかむことができるようになる手ごたえが近づいてきたかもしれない。なんて、本当かなあ。自分に期待しています。
ひとつずつ ひとつずつ 水泳上達
泳ぐなか 息を確かめ 命触れ
水泳は苦手種目だが、おもしろいと思うのは、こうしたことがあるからだ。 -
伊是名報告(3)来年に向けての心構えを固める
今シーズンで残す大会は、23日の八景島。この大会は、私が所属するATA南行徳のスクール仲間の「打ち上げ大会」となっている。距離はスプリント、コースも平坦なので、気軽な打ち上げにはうってつけだと思う。スクール以外の仲間も声をかけあって、終えたあとは中華街でもの文字通りの「打ち上げ」を予定している。楽しみです。
今年は大会参加の2年目となり、1年目と比べれば、多少の進化は認められるが、依然として苦手のスイムを克服できず、残念だった。特に伊是名でのスイムタイムオーバーが心に残る。あれから1週間がたったが「気持ちが弱かったなあ」と思う。
もともと人と競うことが好きではない。目標を設定して克服していくといったストレートなガンバリズムにも馴染めない。道の真ん中をゆったり歩くように落ち着いて、無意識に息をするように穏やかに、静かななかにも目障りにならない程度に機嫌よくくらしていきたいというのが、基本的な生活信条である。
私にとってのトライアスロンも、こうした生活信条を具体化し、維持するための生涯スポーツである。だからレースでも「がんばって目標に挑む」よりも「気持ちよくレースを楽しむ」ことに気持ちがかたより、それはそれで悪くは無いのだが、結果として「がんばりに欠けた」ものとなる恨みがある。「もっとできただろう」と悔やむ気持ちがある。
こうした自分の性格、生活信条を変えるつもりはなく、というよりこの年齢ではもう変えようもないだろうが、今回の伊是名の結果を受け、これからは、もっと目をつり上げて向かっていくという「戦闘精神」も湧きあがらせてみたいと思う。トライアスロンを楽しむイメージトレーニングの一つとして、取り入れてみたいと思う。
今年一年を振りかえって、まず取り上げるべきは「体重オーバー」。昨年末からの足底腱膜炎をキッカケにトレーニング不足で体重が5キロ近くも増え、とうとうそれが元に戻らなかった。その影響は思いのほか大きく、レースに出ても「よしいってみよう」といった気分になりきれず、「大丈夫かなあ」という不安を根底においたものとなった。伊是名でもその気分があったことは否めない。当たり前だが、基本は体調管理を痛感。
気持ちと体調のコントロールという今年の反省を踏まえて、さて、来年に向けた心構えをまとめてみよう。実はこの1週間にこれからを考える刺激とヒントに出会った。
【目標とする大会をもつ】
これはATAの座学で岩田コーチに学んだこと。1年のうち、一つか二つの目標の大会を設定し、それに向けたトレーニングと大会プランを実行する重要性を訴えたものだ。伊是名の結果に落胆しているなかで、来年を考える大きなきっかけになった。いま考えられるのは5月の横浜があれば横浜大会。これは街中であるので、娘家族、孫、友人を呼ぶことができるから。それと、やはり伊是名をおいてみようかと思う。
実は伊是名を終えた直後は「これからはスプリントに絞ろうか」との思いもあった。スプリントであれば苦手なスイムの痛手が少ない。日ごろのトレーニングの負担も大きくはない。しかし、いまは明確に「伊是名88キロ」を目標にしようかと思い始めている。リベンジという気持ちもあるが、それ以上に、伊是名88は毎年の目標にできる大会なのか、確かめたいと思う。それだけ伊是名には魅力があったということだ。少なくとも来年は目標にしようと思う。
今年はあまり確信なく参加したところがあったが、来年は明確に目標に定め、私なりに「強い気持ち」で挑んでみようと気持ちを固めている。
【自分がより気持ちよくなるためにスポーツする】
これは『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)という本のなかで、内田樹が繰り返してのべているところで、基本的に私のトライアスロンへの姿勢もこれにあたる。昨日この本をパラパラと読み返し、この姿勢を改めて確かめた。
気持ちよくなる入り口が体重体調管理、出口が戦闘精神のイメージトレーニングというのが、私なりのプログラムとなる。
加えてこの9月から始めたパーソナルレッスンにも期待をしている。硬い全身のストレッチングが第一。トレーナーの石橋さんは「それぞれの種目で3分づつ、10分は短縮できますよ」と励ましてくれる。
スイムの個人レッスンにも手ごたえを感じている。ぜひ1時間を無理なく、楽に泳ぎ続けられる術を見につけたいと思うし、それは可能であろうと思っている。
それができれば、トライアスロンをより身近に楽しめるようになるだろう。そうした自分に出会えることを楽しみとしよう。
今日は天気がいい。今年最後の海錬の日であるが、伊是名からのバイク便のケースにウエットスーツを同梱し、それがまだ届いていないので、行けなかった。残念。伊是名では走れなかったこともあり、江戸川沿いを1時間のLSDにでかけよう。
秋晴れに 広がる宙を 駆け抜ける
目覚めどき 気持ち新たに 秋の朝
オープンスイムで同じような悩みをもっているかた、それを乗り越えられたかた、アドバイスいただければ幸いです。 -
伊是名大会報告(1) スイムでタイムオーバー。ああ!!
伊是名大会はスイム2キロ、バイク66キロ、ラン20キロの計88キロ。時間制限はスイムで1時間30分、全体で7時間である。で、その参加結果だが、スイムで2分19秒のタイムオーバー。ああ。陸にたどり着く寸前にタイムアップの放送を聴き、呆然として陸にあがり、応援してくれていたT嬢と言葉を交わし、ゆるゆるとゲートを越えると、足につけたチップが管理者の手ではずされた。
あずけていたサングラスを受け取り、ひとりゆっくりとウエットを脱ぎ、洗い場で砂を落とし、片付けが始まっているバイクのトランジッション(T1)で荷物をまとめ、係員に道を尋ねて、ゆっくりゆっくりとペダルを踏みながら、ランのトランジッション(T2)へと向かい、ここでも荷物をまとめる。さて、これからどうするか。離島では家に帰るわけにもいかない。考えもまとまらないうちに、もう、トップの選手がランのトランジッションがやってきた、第2位は岩田コーチではないか。
そうこうしているうちにT嬢もトランジッションにやってきて、次々とやってくる選手を応援し、すべての競技が終わるまでいることになった。
T嬢ありがとう。あなたがいたから、自分を取り戻し、支えることができた。ちなみにT嬢も本来は参加の予定であったが、バイク事故で鎖骨を骨折し、やむなくの応援となったが、持ち前の明るさで全選手を応援し、大いに大会を盛り上げた。今年の伊是名大会はT嬢によって記憶する参加者も少なくないだろう。
T嬢とは帰りのバスも隣の席で「来年は一緒に出てリベンジしましょうよ」と励まされた。本当にありがとう。でも「いやあ、どうかなあ~」と返事を濁してしまった。愛想なく率直な気分をぶつけてしまった。年甲斐もなく反省、反省。
いつも最下位グループでありながら、これまでは完走は果たしていただけに、落胆が大きい。
スイムは1キロ2周のコースで、他の参加者はほぼ2周を終えたところでようやく1周を終え、係員に「もう51分〇〇秒ですが」と声をかけられた。「行くところまで行きますよ」と2周目に入る。時間からすれば2周目は40分。そのペースで1周目を泳げば問題はなかった、やればできたではないか、といっても、それは「あとの祭り」というもので、結果が実力。
これだけ時間がかかってしまうのは、いつも同じで、すぐに休んで立ち泳ぎとなってしまう。それは心理的なことによるところが大きい。そんな状態をブレークスルーすることを期待して、あえて2キロに長丁場に挑んだのが今回の参加であった。「自分の身の丈からすれば、ややオーバーであるが、いってみよう」と思ってのことであったが、まさに「ややオーバー」の結果に終わってしまった。それなりに準備をしてきたつもりであるが、残念無念。
伊是名の海は透明で、泳ぐコースに沿ってずっとロープがブイで張られ、一定の距離で旗が立っている。波は多少はあったものの、とても泳ぎやすい状態であったと思う。
「わずか25メートルスイマーだったのに、2キロも泳げるようになったではないか」との納得のさせかたもあるのだが、なかなかそうした方向に気持ちは向かわない。「なんでできないのだろう。力がないなあ」とのタメ息となる。
ゆっくりと1時間でも2時間でも、休むことなく、海に包まれて泳ぎ続けるようになりたい。それであれば、結果としてのタイムは問うことは無い。あるいは、そうなれば時間制限にひっかかることはないのになあと、つい取りとめのない思いにとらわれてしまう。
そんな気分のなか、娘に落胆のメールを送ったらこんな返事がかえってきた。
「その年で全力で挑戦したり落胆したりできるなんて羨ましいことよ。前進してるしすごいじゃない。落胆もほどほど楽しんで、適当なとこで浮上して。なんなら週末孫の勇姿見においでよ。」
孫は男の子で週末は通っている幼稚園の運動会なのだ。彼は元気活発。いつも動きまわっているのだが、どうも動作がぎこちない。いかにも運動神経がなさそうに見えてしまう。そのぶきっちょな姿がかわいい。
一方、娘は幼稚園、小学校とずっと運動会の花形スターだった。それだけに、孫については「何をやっても一番遅いのよ」と嘆いて苦笑している。私は「いいじゃないか。それは彼の特性なんだよ」と慰めているのだが、逆に慰められてはいけないなあ。
といった具合で、今回は落胆した気分を綴っているうちに、T嬢といい、自慢の娘といい、ほぼ同じ年頃かとは思うが、図らずも「老いては子に従え」ということになった。はあ。
沖縄の 海であがいて 秋の訪れ
秋雨に 我が身をさすり 老いを知る
若い人に励まされ、素直に「偉いなあ」と思う。
「俺も年をとったんだなあ」を実感。 -
バイク錬、そして海錬、真夏の週末
この土曜日はスイム+バイクの練習。バイク錬はローラー台を使ってのフォームチェック+ポジションセット。フォームとしては肩をもう少し下げること。ポジションについては、サドルの位置を少し上げたほうがいいとのことで、結果2センチ近くもあげることになった。サドルを上げる理由は足、というより膝の引き上げを楽にするためという。確かに、あげてみると、これまで感じていた「窮屈感」がだいぶなくなった。特にダウンヒルバーを使ったときは、膝が窮屈で、ガニマタになってこいでいるイメージがあったが、それがスムーズになったように思われる。
まずは、これでいってみよう。
日曜は千葉保田での海錬。今年は3回目だったかな。人数の関係から、初級、上級に分け、上級に行ってみたが、泳ぐ力の足りなさを痛感。一人大きく取り残され、焦ってしまう。それと、ウエットを着たときのフォームがまだよくつかめていないことを実感。
まず、足の使い方がわからず、まったの「浮かせ」状態。2ビートでキックしようと思うのだが、うまくキックできず、ただフラフラと身体が揺れているようで落ち着かない。
腕のかきについては、もっと肘を立てないといけないなあ、と思うのだが、泳いでいるうち、取り残されていくうちに、ドンドンとバタバタになっていく。
閉所恐怖については、イメージトレーニングでかなり対応できるようになったが、やはり泳ぎきれず、休みが入ってしまう。
もっとゆっくりと確かなフォームで泳ぐようにしたいと思う。次回の海錬は8月14日。もう少しなんとかしたいなあ。迷った末に参加を決めた10月2日の伊是名大会のスイムは2キロ。制限時間は1時間半。私の力では、ぎりぎりなのだ。
それまでに、特にフォームチェックに力を入れて、ゆっくり長く泳ぐ力をつけたいと思う。
土曜、日曜とも練習以外は自宅で片付けと掃除と昼寝。久しぶりに、まったく仕事とは離れた週末となった。
最近とみに感じるのは、テキパキと事を運べなくなったこと。片付けもソファーで横になっては、あっちを片付け、またまた横になってはこっちを掃除、そのうちたっぷり昼寝となり、気がつけば日が暮れている。ボーっとして休んでいる時間が長くなる。どうも全体のペースがゆっくりとなっているのだが、その暮らしのリズムがなかなかつかめない。
それと気になるのは、なかなか集中した読書ができなくなってきた。このことについては改めて書くけれど、本を開いても頭に入ってこないのは悲しい現実だ。
そんななかで思うのは、朝の過ごしかた。いまはまず簡単な食事をとり、メールに向かい、そのまま仕事へと続いていく。基本的に朝型なので、できるだけ朝のうちにデスクワークを済ませたいと思っているけど、どうもけじめがないような気もする。
起きて簡単な散歩、ストレッチで30分、それから食事というのが、いまのところのプラン。
できるかなあ、とは思うのだが、自然なリズムを探っていきたいと思っている。
なにもせず 頭をカラに 夕涼み
力抜き 海と仲良く 泳ぐかな
気持ちの落ち着かない夏を過ごしている。 -
夏至の日のランと、スイムの信じられないタイム
今年の夏至は6月22日。今日は19日。夏至の夕刻を楽しみたく、6時から7時まで、黄昏の風景につつまれながら、江戸川沿いを走った。途中、あまりの景色の美しさに思わず足をとめ、しばらく歩きながら、ゆっくりゆっくりと暮れていく江戸川沿いを満喫した。
「秋の日はつるべ落とし」とは言うが、この時間が止まったかのような夏至の夕刻を指す言葉はないものか。
今日はうすぐもりのためか、夕焼けは見られず、空は微妙な灰色のグラディエーションを示し、そのなかを雲が切れ切れとなり、少しずつ少しずつ流れる。遠く橋の街灯に日がともりだし、それに続くようにマンションの窓にも、あちこちと灯がともる。
風もさわやかで穏やかな空気があたりを支配して人をメランコリックな気分にさせてくれる。
ここしばらくは夕刻のランが楽しみだ。
足の具合は完璧完治とはいかず、走っている最中も常に違和感を感じているような状態であるが、走れるというのは気持ちのよいものだ。
今日はこのランに出る前に、スイムの自主トレを行った。そこでなんと25メートル20秒というタイムを達成した。
これは夢か現実か、何かの錯覚、間違いではないかと思う。あるいは今日は間違いではなくとも、また達成することは果たして可能なのか。なんとも心もとないが、それが錯覚であるとしても、ある手ごたえがあったことは確かだった。
このところの自主トレはフォーミング重視で、プルブイをはさみ、大きく、ゆっくりと泳ぎながら、自分なりのフォームを探っていく。ついこの前まではブレスの際に左肩と顎がつながっている感覚で顔をあげることに専念していたが、最近のテーマはローリング。
大きくローリングすることで、腕をしっかりと伸ばし、その連続で腕をかいて水にのる感覚を探し出す。それを続けているうちに肩が回りだし、それにつられて腹筋に力が入って腰が浮き、リズムができて、「いい感じ」となり、タイムを計ると20秒で驚いた。驚いて何回もためし、確かめ、プルブイをはずして泳いでみても20秒を達成できた。
これまではなかなか30秒を切ることがかなわず、ゆったり気分では35秒、最速で29秒。昨夜のトレーニングでも、一人大きく取り残され、息も絶え絶え意気消沈であったのに、今日は、これまでにないラクな感覚で20秒。一日で15秒も短縮するなんて現実にあるのかね。しかもこの歳で。
50メートルのタイムも試したいと思ったが、なぜか怖くて見送った。このあたりの微妙な心境が我ながら面白い。
たまたまこの日だけの偶然でないことを祈りたい。でも明日は札幌出張。火曜日のトレーニングで確かめることになるが、いやあ、もう、いまからドキドキしてしまう。
スイムについては、私のトライアスロンチャレンジでの最大の課題として、これまでもしばしばこのブログで扱ってきたが、ホノルル以降、やや気がなえていた。なんともうまくいかない状態にじれて、しばしばあきらめの心境ともなった。
でも、よく世間でいわれるように、続けていれば扉は開くものなのか。
いやいや、まだわからないよ、と思っている。
あるいはプールはよくても、海の閉所恐怖症は依然そのままなのかもしれないではないか。
などと心は乱れて、これからのスケジュールを確認している。
6月24日 金曜 トータルイマージョン船堀でのスイムチェック。久しぶり
6月26日 日曜 海錬。今年初で楽しみ
7月2日 土曜 ATA恒例の15分タイムトライアル。前回は500メートル
7月3日 日曜 昭和記念公園でのスプリント。翌週のタテトラの準備大会
7月10日 日曜 館山トライアスロン
けっこうタイトだが、果たして楽しめるのか落胆するのか。
私としてはかなり「山場」にきたようなドキドキ感がある。
このドキドキ感だけは楽しめそうだ。
灰色の 夢につつまれ 夏至の夕
水錬の 身体で確かめ 夏近し
仕事も含めた暮らしの全般について、もう少し、緊張を高めて、この夏に向かいたいと思っている。
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ホノルルトライアスロン結果報告
レースからだいぶ時間が経ってしまった。帰国以降仕事の締め切りがド~ンと前に立ちはだかり、先週は火曜・土曜のレッスンも欠席といった具合で、ブログに向かう余裕がとれなかったこともあるが、気持ちの整理がつかなかったことが大きいと思う。
リザルト。()内は昨年
スイム 1:00:13(1:05:46)
バイク 1:33:25(1:41:21)
ラン 1:14:48(1:18:16)
合計 3:56:40(4:16:02)
昨年と比べれば3種目ともタイムを伸ばしてはいるが、不本意だったなあ。問題のスイムでは何回も止まっては立ち泳ぎとなり、当初の念願であった「休まずに泳ぎきる」ことがかなわなかった。
バイクは途中チェーンがはずれる、コースを間違えるといったアクシデントはあったが、気持ちよく走ることができた。一方のランは足が動かず、最後は左足の指の付け根が痛み、苦しかった。
足を痛めていたこともあり、トレーニング不足に、昨年と比べて4キロも太ってしまい、写真をみてもポチョポチョで恥ずかしい。よって全体のパフォーマンスは良くはなかった。バイクはあと5分早くはできたな。気合足らず。ランは1時間以内にしたかったのに。
でも不本意の一番の原因はやはりスイム。このブログでも書いたが、前日のトレーニングでは気持ちよく泳げて手ごたえをつかんでいたのに、本番ではそうはいかない。これは何かと思いあぐねているなか、スキューバダイビングでは閉所恐怖症が大きなネックになることがあるという話を聞きつけて、なるほどと得心した。
スキューバとは大きく異なるが、泳ぎきれないのは、単に息が苦しいばかりではなく、むしろ周りを見たくなってしまうという不安心理があるものと思いいたった。私の場合、年齢からスタートは最後尾となる。もともと泳ぐのは遅いので、一人取り残されてのスイムとなって、余計に周りを見たくなる。平泳ぎでもいいのだが、残念ながら私の場合、ウエットスーツでは平泳ぎがまともにできない。よって立ち泳ぎとなる。しかも一度立ち泳ぎをしてしまうと、これが癖になり、少し泳いでは立ち泳ぎのパターンに陥ってしまう。
そこで水泳と閉所恐怖症との関係をネットで調べると、こんな記事に出会った。
オーストラリアからのニュースで、「72歳のリネットさん、サーフスイム大会で1.5キロを泳ぎきる」という見出し。「800名以上が参加。コースは1.5キロ。そんななか、652名が完泳。彼女もその一人。完泳できたことは彼女の自慢でもあるという。所要時間は2時間以上。年配の方の参加もあったが、それでも彼女とは20歳以上離れていたとか」とあったが、リネットさんのコメントが目に付いた。「実は私は閉所恐怖症、そのためずっと顔を海面上に出さないといけないこともあり、これでまた疲れた。普段は2キロぐらい静かなプールでレギュラーに泳いでいる。しかし海はやはりプールとはまったく違う」というもの。「同士を発見」の気持ちとなった。
確かに泳ぐ力は弱いし遅い。でもそれと続けて泳げないこととはちょっと違うことと思ってはいたが、自分のなかではこれではっきりした。
そうか、私は水泳の閉所恐怖症なのか。これもトライアスロンを始めることで知った新事実。となれば対応策も考えることができる。というわけで、不本意な気持ちの整理も一段落つけることができ、なんと家の近くの心療内科を調べ始めたりしている。おもしろいものだ。
スイムの自主練ではプルブイをつけてのヘッドアップを試している。ヘッドアップは毎回行う。こうすると泳ぐことのイメージが大きく変わっていく。ともかく前を見て泳ぐことに専心をする。
今回のホノルルは何か大きなきっかけになったのかもしれない。
この夏も あいも変わらぬ 悪戦苦闘
泳ぎだし あわ立つ気持ち 湧き上がり
次回は7月3日の昭和記念公園でスプリント、翌週10日に館山と、2週続くことをいまはじめて気がついた。うかつだねえ。どうしよう。
昭和記念は練習のつもりで行くか。