カテゴリー: トレーニング

  • 71歳の誕生日に思う、老いの暮らし、老化の技術。 

    71歳の誕生日に思う、老いの暮らし、老化の技術。 

    2月16日に71歳の誕生日を迎えた。
    この前のブログは1月2日の新年のご挨拶ブログ。
    それ以来、何回か下書きを書いてみたのだが、どうもしっくりこないまま、アップを見送ってきた。
    そんなうちに誕生日となり、いま改めてアップに向かおうとしている。

    「しっくりこない」というのは、いろんな要因といろんな状態がある。
    まず状態からいくと、やはり痔の手術は大きなインパクトであった。1月20日に治療完了となり、積年の不快感から逃れることはでき、トレーニングも再開して、ほぼゼロ地点にまで戻ってきている実感もあるのだが、肝心の暮らしのリズム、ペースがうまくつくれない。回復ができない。痔ではあれ、70歳過ぎての手術というのは、こんなに負担になることに驚いてもいる。
    そして仕事の状態がある。日々やることに追われ、「その日にやるべきこと」が消化できず、すますべきことが先送りになって、ストレスがたまる。忙しいとは「心を亡くす」ということだそうだが、どうも仕事に追われる状態が続いている。
    で、そんな要因を考えていくと、それが、どうやら「老化」に行きつくのだ。
    どういうことかといえば、一日できることが確かに少なくなっているのだ。例えば以前は4つのことができていたので、その感覚で予定をたてても、こなせない。4つのところが2つ、下手をすると1つになってしまう。
    テキパキとできず、活動全体が緩慢となる。そして、すぐに眠くなる。
    自宅作業の日は昼食後は必ずといっていいほど眠くなり、うたたねのつもりが1時間も眠ってしまう。1時間も眠ればできることは減るだろう。出かける日は、家に戻ると疲れて、しばらくソファーで横になる。
    いまテレビを見ていたら、アメリカ人や南アフリカ人は1日で9時間半も眠るそうだ。
    私の夜の睡眠時間はほぼ7時間で、自然と目が覚める。そしてプラス1時間は二度寝をする。であれば、異常に睡眠に捕らわれているわけではないのだろう。

    改めて整理すると、老化のために動作や作業が緩慢となり、加えて睡眠を必要とするようになり、1日でやれることが少なくなっているにもかかわらず、これまでと同様に予定を立てるのであるが、やりきれないことが多くなって暮らしのペース、リズムが崩れている、ということになるようだ。
    このブログの趣旨の一つに「老いを感じる」ということがある。「老い」とはどのようなものであり、それは私の身体、思考、感性、暮らし、仕事にどのように働くのか。トライアスロンを通してそれを実感して、言葉とする。それがこのブログである。
    これまで、「老いとは委縮である」と書いてきた。運動能力、感性が「委縮」している実感がある。その延長で考えれば、これは「生活の委縮」であるといえよう。
    そして私が考えるのは「委縮」は避けられないものとして受け入れ、そのなかで快適に心地よく日々を過ごす方策を探し出す、あるいはそうした暮らしを創り出すことである。
    さて、どうするか。
    いろいろと考えてみると、直観としては「トレーニング」なのだ、これが。
    委縮に抵抗して抗うわけではない。老化=委縮は自然の摂理であるのだから、それは受け入れ、あるいは全身をもって確かめ、味わうというのが私の考えである。
    委縮に合わせたトレーニングを続けていくこと。
    これが私が直観するこれからの暮らしの要諦、「老化の技術」である。

    日々できることが少なくなっていると書いた。
    要は「できない状態」に合わせた時間割の見直しである。
    「老いの時間割」をまじめに考えなくてはならないようである。
    そして「老いの時間割」の中心にトレーニングを据える。
    これまでは暮らしのなかでトレーニングの時間を捻り出してきた。そこから、トレーニングを暮らしの軸とする。1週間の計画をトレーニングから考え始める。
    「トレーニング」とは端的にはラン、スイム、そしてバイクである。
    老いの暮らしのペースとリズムを創り出すとは、老いの暮らしの生活習慣を創り出すことであろう。
    例えば朝の散歩。それも悪くない。あるいは朝にその日に食べる食事を準備するというのもあるかもしれない。なんだか1日が健康になるような気がする。朝の1時間をこのブログに充てるというのもあるなあ。
    しかし、私の直観としては、「トレーニング」である。そう直観する背景にはこれまでの58歳からのトレーニングがある。「トレーニング」による心身への刺激が暮らしの軸になるのではないか。老人にはトレーニングが有効なのである。そのように実感している。
    71歳 酷寒の誕生日に 母を思う
    ここまで書いていくと、明日からでも朝ランにでかけるようであるが、そうはいかない。
    私はそこまで勤勉ではない。
    でも、今日はここまで書いてきて、これからの「しっくりする」暮らしへのヒントを得たようである。
    幸か不幸か、仕事は現役まっただなかである。会議の設定と参加者の調整、企画書作成、交渉など、業務は日々異なり、なかなか計画はたてにくいのだが、かといって、仕事とトレーニングの両立なんて発想はない。あるいは、いうまでもなく、暮らしは仕事とトレーニングばかりではない。映画、芝居、音楽、読書、展覧会、ラグビー観戦、旅行、酒など、多くの楽しみがある。
    これら総てを含め、まずトレーニングから全体の時間割を考えてみる。
    71歳となり、それが「しっくりする」ための有効な方策と、改めて思うのだ。
    写真は冬の青空。寒いが日差しは日々明るくなっている。遠くにスカイツリーが見える。まだ登っていないなあ。

  • 68歳が心身のターニングポイント。「もうちょっとやってみよう」の気分!!

    68歳が心身のターニングポイント。「もうちょっとやってみよう」の気分!!

    土曜のスイム。100メートルを3分サイクルで6本。
    1本目が2分30秒。2本目は40秒、3本目が45秒。以降、40秒から45秒。
    目標は100メートル2分なのだが、遠い夢に終わりそうだなあ。
    25メートル全力は28秒。28秒+5秒で2分15秒を目指したい。

    先週のランでは、3キロを20分50秒。
    最後に1キロのタイムトライアルで6分13秒。
    これにはかなりがっかりした。だいぶ落ちている。
    衰えもあるが、このところの練習不足もあるぞ。
    1キロ6分で3キロ、1キロのトライアルは5分30の復活を目指したい。
    こうしした数字を書きだすと、若いうちにやっておきたかったと思う。
    若いといっても40歳でもいい。どの程度のタイムでできたか。
    そんなことを考えてしまう。
    マメにタイムをとるほうではない。タイムを目標においたこともなかった。気持ちよく泳ぎ走ることが第一で、タイムは目標ではなく結果と考えてきた。
    そしていま、心身の衰えを自覚するなかで、タイムを目標にしようとしている。
    これはどうしたことなのか。
    68歳が私の心身にとってのターニングポイントとなっていることを強く実感している。
    このブログでも何回か書いてきたが、このところ心身の衰えを強く自覚するようになった。特に下半身の筋力が衰えている。この状態で「気持ちよく」なんて言っていると、衰えていくばかりではないか。そこで老化の進むなかで「もうちょっとやってみよう」の気分となっている。
    「現状のトレーニングではここまでであるが、もう少しトレーニングをすればパフォーマンスは向上する」。これは科学的に正しいことであろう。私の「もうちょっとやってみよう」というのは、これに「幾つであっても」を付け加えることである。
    「幾つになっても、もう少しトレーニングをすれば現状よりパフォーマンスは向上する」というわけである。
    そこでいまの課題はこのようになる。
    ・どうしたらトレーニングを増やすことができるのか
    ・どのようなトレーニングを行えばいいのか
    これをいま書くことで考えている。
    基本は生活習慣であり、生活習慣とは時間割である。
    問題なのは、日が落ちてからの時間が難しくなっている。
    以前は帰宅してからジムにでかけることも少なくなかったが、それがそうはいかなくなっている。帰宅してお茶を飲んで一息つくと、なかなか動けない。なかなか動き出せなく、眠くなってうたた寝となる。
    そして仕事との兼ね合い。朝型人間なので、朝には身体が動くのだが、朝は仕事が優先される。

    いま私が考えるポイントは以下。
    ・自宅でできるトレーニング(筋トレとストレッチング)をマメに行う
    ・6時起床、11時就寝
    ・お酒の時間を削る
    ・休む時間をうまくとる
    ・暮らしのリズムを意識する
    要は心身共に疲れた状態でいないこと。トレーニングを楽しむこと。
    機嫌よく暮らすことはとても大切なことであり、そのためにはそれなりの努力を必要とする。

    写真は奄美大島。サンゴ礁でのスイムを満喫した。
    こんなことができるとは考えてもいなかった。
    これもトライアスロンのおかげだ。
    ありがたい。

  • 私の老年学2はやや高踏的に「ポール・ヴァレリー」の講演から。キーワードは「自己鍛錬」。年寄りの自己鍛錬です。

    私の老年学2はやや高踏的に「ポール・ヴァレリー」の講演から。キーワードは「自己鍛錬」。年寄りの自己鍛錬です。

    心を溌剌とさせる「心のリズムトレーニング」とは何か。
    こんなことを書くと、心理学や認知症、高齢者介護などからの援用をしたくもなるのだが、あるいは書店では著名作家の「高齢者のための心構えガイドブック」がたくさん出てもいるのだが、ここではまったく違う方向からこの思考のきっかけを得ることにする。

    以下はポール・ヴァレリーの「知性に就いて」という講演内容の引用である。
    当ブログでは珍しく面倒な話になるのだが、私としてはここからスタートしたいので、ご容赦願いたい。お付き合いいただければ幸いだ。
    『現代を特徴づけていることの凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・私の言うのは、流行や模倣の結果としてのスポーツではなく、又、新聞で余りにも持噺されている種類のものでもない。私が愛するものはスポーツの観念であって、それを私は精神の領域に移して見るのである。この観念は、我々がもって生まれた性能のいずれかを、最大限度に発達せしめることをその目的としていて、しかも我々に備わっている凡ての性能の間に、ある平衡が保たれていることをも要求するものなのである。何故なら、人間を不具にするスポーツは悪いスポーツがからなのだ。又、スポーツの練習が真剣に行われている場合、それは必ず幾多の試練と、時には堪え難い欠乏と、一定の衛生と、結果に正確に現れる緊張と忍耐とを、要するものなのである。--一言にして言えば、人間の諸性能の分析と、その組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学なのである。よって我々は一見逆説的に、スポーツとは反射作用の組織的な教育であると定義することが出来る。
    併し精神も、精神ではありながら、同じような方法によって処理することができる。』
    (中公文庫 精神の政治学 ポール・ヴァレリー 吉田健一 訳)
    この文を読んだのは昨年のことだが、私がトライアスロンに励み、同時にこのブログを書いていることの動機や思いに、ストンとはまってしまった。。
    『人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学』
    『スポーツとは反射作用の組織的な教育であると定義する』
    これを私なりに「自己鍛錬の楽しみ」と名付けてみる。
    この楽しみは、誰も知っているように、一流アスリートのみの特権ではない。
    年寄りには自己鍛錬の楽しみがある。
    年寄りの自己鍛錬は、若者の自己鍛錬とは異なる。
    若者は自己鍛錬の末に「何者か」となる。
    あるいは「何者か」を求めて苦しい自己鍛錬に耐える。
    しかし年寄りはもう「何者か」となることはない。
    「いやいや幾つになっても」という声もあるのは知っているが、私からすれば「バカ言うな」の一言である。
    「何者か」になることを求めずして「自己鍛錬に励む」。それは自己鍛錬そのものが、生きていく快楽であるのだろうと思う。

    ヴァレリーがこの講演を行ったのは1935年1月16日。ヴァレリーは1871年生まれなので、その計算からすると64歳。この時代では立派な高齢者である。ヴァレリーというと「地中海」となり、また水泳を愛したことで知られる。であれば、この講演をした64歳のヴァレリーは果たして泳いでいたのか。そう考えるのは楽しい妄想であるが、わからない。ただし、64歳でこの講演を行ったというのは、高齢者の私としては、こうした考えを自らに撞着させる大きな理由となる。
    もう一つ。こんなことを考える。
    自己鍛錬を成立させるには「目標」が不可欠である。目標の達成は「鍛錬」の成果であり、目標がなくなれば「鍛錬」の意味もなくなってしまう。
    体を鍛錬するその行為のなかに「目標」を内在させる。年寄りの「目標」はまさに自分自身の道しるべ以外のものではない。
    夏が来た 命華やぐ 正気かな
    ここでようやく「心の自己鍛錬」の話にたどり着く。
    回りくどい話となっているが、そうでなくては語ることのできない思いというのはあるのだ。付き合ってほしい。
    そこには「目標」があり、日々の積み重ねが必要と考えてみる。。
    しかし、そのような精神活動というものが実際にあるのだろうか。
    自らあやつることのできる「心のリズムトレーニング」なるものは存在するのだろうか。
    はい、この先は次回。
    ちょっと一泊置いて考えます。
    梅雨も明けて、夏が来たぞう。
    体も心暮らしも「自己鍛錬」だあああああ。
    写真はヴァレリー。けっこうカッコつけている。

  • いよいよ今年初の沼津トライアスロン。気持ちを高めて、身体にスイッチを入れる。

    いよいよ今年初の沼津トライアスロン。気持ちを高めて、身体にスイッチを入れる。

    トライアスロンを始めてから、季節に敏感になったように感じている。陽射しの強さ、風の温度、空気の湿度といったものに敏感に反応するようになった。ひょっとして年齢のせいかもしれないが、まあ、トライアスロンのおかげと思っておこう。

    長い梅雨が明けて8月となった。一般には「梅雨が明けて本格的な夏の到来」ということになるのだが、私の身体はそうは反応しない。8月となると、秋の気配を感じるのだ。日差しは6月のそれとは違って勢いがない。夕方になれば風は涼となる。湿度が高いために暑さは厳しいが、どうも秋へと向かう「残暑」の印象がある。この季節は熱中症に注意であるのだが、梅雨前の6月のほうが、高い陽射しも、強い風も、乾燥した空気も、身体には過酷であるように思う。
    朝、ドアを開けて外気に触れたとき、全身が反応する。これは生きていることを味わう大きな楽しみだ。身体を動かすのはいいことなのだ。

    さて、そんな状態で、明後日は今年初の大会。沼津千本浜の駅伝である。この駅伝はもう5回目になるかな。気が付いたら、けっこうな経験者となっているではないか。
    この大会は3人で1チーム。それぞれの選手がスイム・バイク・ランをこなして、タイム計測のベルトを引き継いでいく。
    今年は「大会よりも身体づくり」をテーマに掲げてきたが、仕事で新たなプロジェクトがスタートしたこともあってなんとも落ちつかず、結局は練習不足で今日を迎えることになった。
    明日はATAの練習なのだが、ちょうどオリンピックの開会式。そこで今日は早めに帰宅してジムへ。まずはプルブイをつけての20分のスイム。スピニングバイクを15分。トレッドミルを10分。軽くストレッチング。最後に水風呂で体を冷やして、とてもいい気持で完了。とにもかくにも気持ちをフレッシュにして、全身にスイッチを入れることができた。
    帰宅後は、カルビ、レタス、マカロニサラダ、ほうれん草お浸し、お豆腐にキムチをトッピング、ショウガの酢漬け、ピーナッツ、。いつもは夕飯は控えめにしているが、今日は思い切り食べて、ああ満足。アルコールはやめようかと思ったが、缶ビール小を1本。
    明日はオリンピックの開会式を観ながら丁寧なストレッチングだな。バイクの手入をして、パスタでカーボローディング。13:30に吉岡さんが迎えてに来てくれて、いざ出発となる。
    ジムで汗 気持も高まり 夕涼み
    皆さん、沼津の報告をお楽しみに。練習不足での不安はいっぱいだが、まずは、緊張を維持して前向きにならねば怪我のもとにもなる。やってやろうじゃあないか。
    おお、気分が高まってきた。(笑)
    いま、ニュースが蓮舫を映している。「富士山から飛び降りる覚悟」だと。小池をもじったところでもう限界を露呈ではないか。なんでそんなことを口走るのか。わからないなあ。オリジナルな自分の言葉をさがせよ。自分の基準を示せよ。いたって戦闘的な気分でテレビをみつつブログに向かった。
    写真は我が家のベランダから見た空。空が語るや秋近し。

  • 今回はエアロビクス体験報告。けっこうはまります。お勧めです。

    今回はエアロビクス体験報告。けっこうはまります。お勧めです。

    エアロビクスについては、30歳台の折、ジムに通っていてちょいと体験したことがあった。シャツを絞るような汗をかき、快感だった。私の年齢ではなつかしの「ディスコ」となるのだが、音楽に合わせて身体を動かすのは好きだ。とても「ダンスが好き」とまでは書けないが、熱烈ロックフアン、ブルースフアンとしては、音楽を聴けば自然と身体が動いてくるのは当たり前ではないか。
    さて、久方のエアロビクスである。まず、なぜエアロビクスであるのかをご説明する。
    これは当ブログでも何回も書いているが、年齢と共に失われているのが「全身の躍動感」であることを痛感している。躍動感とは、リズムにのって全身がはじけていくような感覚だ。これを「取り戻す」ことはできないが、かって私ももっていた躍動感の記憶を呼び覚ましたくなった。エアロビクスはきっといまの私にとって、必要なトライアスロンのトレーニングであると思ったのだ。スイム、バイク、ランの練習以前に、全身の躍動をトレーニングしなくてはならない。これは身体づくりの根幹であるはずだ。
    そこで思いきってジムのクラスに飛び込んだ。クラス名は「ベーシックエアロⅠ」。まあ、タイトルからして初心者向け。見たところ参加者の年齢も高く、気後れすることはなかった。女子は6割男子4割。平均年齢50歳ぐらいかなあ。最初にインストラクターが「初参加の人いますか」と声をかけ、手を挙げたのは私一人。
    それで実際にやってみると、さてどうか。クラスの時間は45分。中で2回の休み(水分補給タイム)があったので3部構成といったところか。
    まず第一に感じたのは「キビキビとできない」ということ。どうもスローモーで一拍遅れた感覚になる。しっかりとしてた動きではなく、なんとはなしの動きになってしまう。と同時に思ったことは、なるほど全身運動であるということ。よく考えられた3部構成で、まずは身体を温め、肩甲骨と下半身のストレッチングをし、リズムで体に刺激を与えて、最後はダンスのような一連の動きとなる。
    続けていって感じたことは、「踏ん張りがきかずふらふらする」。きっと下半身の筋力やバランス能力が衰えているためと思う。そしてそして、痛めている左ひざが痛んでくる。このひざの痛みは屈伸をすると感じるが、走っていても、バイクでも感じることはない。それが痛みを感じる。けっこうきついのだ。
    一拍遅れてふらふらとする。どうにも情けないのだが、これが実感。動きについていくのは、いくつか迷ったけれど、恐らく次の回には追いかけることができそうな実感。これは無理とは思わなかった。
    ということで、要はけっこうはっきりとした手ごたえを得ることができたのだ。少し追いかけてみたいと思っている。あるいはトライアスロンの練習として、エアロビクスはかなりお勧めではないかと改めて感じた次第なのだ。スイム、バイク、ランの単一種目であれば、そうは思わないかもしれない。しかしこの3種をこなすうえで、基本となる「全身の感覚」は有効と思う。ちょっとスイッチが入った感覚が全身を貫いていく。
    プールから 眺める空は 梅雨模様

    今日は走りたかったけど、プールへ。天気予報では、これから雨が激しくなるとか。
    今回も写真はなし。

  • 2週にまたがっての練習報告。エアロビクスを体験。結構です。

    2週にまたがっての練習報告。エアロビクスを体験。結構です。

    ちょっとご無沙汰ぎみです。このところ書いてもアップできない状態が続いていました。あれ、こんなこと前に書いたよなあ。いったい何を書きたかったのだ。など、書いている途中、或いは書き終えたあと、アップの前に立ち止まってしまう。そんなことがあって、今回は2週またがっての報告。
    この土曜日(実は先週土曜日)の練習はスイム+ラン。スイムでは200メートルを3本がメインプログラムであったが、とても気持ちよく泳ぐことができた。このところ自主練ではフォーミングをメインとしているが、多少の成果はでてきたか。
    ポイントはイメージとして、スケートをするように泳ぐ感覚。スケーティングでエッジに体重を乗せて伸びていく感覚だ。これまでは「自転車の車輪を回すように」がポイントであったが、その自転車回転の延長上でスケートをするようなイメージをかぶせていく。細かくは、しっかりとローリングをして肩甲骨を動かすこと。自転車の車輪をまわすようにしっかりとローリングをして肩甲骨を回すということ。そうすると、これまでより前のめりな感覚が自然と得られるようになる。肩甲骨を回すというのが、これまでなかなか自分の動作としてイメージできなかったのだが、いまは肩を前に出して耳につけるというイメージをもっている。肩を前にして手を伸ばしながら崖を落ちていく感覚だ。
    ちょっといい感じがしているので、この方向でいろいろと試してみよう。
    次にランはインターバルトレーニングで1キロを3本。本当は一定ペースでなくてはならないが、1本目は5分40秒、2本目は頑張って5分5秒、3本目は5分30秒であった。実は1本目の目標は6分。それが早かったために、5分でいってみるかとなったのだが、5秒オーバー。最後はフォームを意識したスムーズな走りを求めた結果の5分30秒。
    なんとキロ5分で走ることができたこと。これはうれしい発見となった。当初はキロ7分であったことを考えれば、大いに進歩しているではないか。だが、キロ5分のスピードでは1キロ以上は走れない。しかし5分30であれば、2キロまではいけそうだ。10キロとなるとどうかなあ。ということで、今年の秋以降は10キロレースをターゲットに、タイムを意識したレースに臨んでみたいと思っている。
    このところ十分な練習もできてはいなかったが、続けていればこうした手ごたえはあるものなのだ。
    以下、今年度の身体づくりの意義込みを語っているのだが、これは何回も書いているなあと、自分ながら辟易して取りやめ。
    そして、一週間後の土曜日である昨日の練習はスイム+デュアルスロン。今年初の真夏日でデュアルスロンが大変で全身の水分を搾り取ったような状態に。でも気持ちはいい。適度にやりきった感もあって、練習後の水風呂の気持ちいいこと。これはトライアスロンを体験するようになって得た醍醐味だな。
    そして今日はジムでエアロビクスのクラス体験。ベーシックエアロⅠというタイトルなので初心者クラスなのだが、いやあ全身汗をかいた。想像以上にいいトレーニングであることを実感。この詳しい報告は次回に。
    梅雨の日は 優しい光に 包まれて
    このところ2~3キロだけど、けっこう走っている。梅雨の日に走る楽しみってあることに目覚めた。やわらかい日差しと蒸し暑い陽気、時折吹く風など、この季節がいとおしい。トライアストンは自然を感じるスポーツだ。
    今回も写真はなし。

  • 明けましておめでとうございます。一年の計は元旦にあり。

    明けましておめでとうございます。一年の計は元旦にあり。

      昨年はできるだけ多くの大会にでて準備を重ね、99里、伊是名で完走を果たすことを目標にしていた。それを果たしたうえで、このシーズンオフの課題に「身体づくり」を掲げ、5月の横浜でその成果を確認し、そのうえで先を考えるイメージだったのだが、実は腰を痛めてしまった。

    12月23日に今シーズン初のマラソン大会「足立フレンドリーマラソン」のハーフに参加。結果タイムは2:21:49。出だしの渋滞、下痢による途中トイレのアクシデントのなか、自分としては満足。懸案の足の指の痛みも我慢できる範囲で一安心。フォームも安定して多分キロ6分を少し切って走る手ごたえも得た。
    レースのあとはATAの仲間と銭湯に行き、北千住駅前のアスターで中華と紹興酒、おしゃべりを楽しみ、とてもいい気分の一日となった。次の1月10日の谷川真理マラソンのハーフでは、さらに上を目指すぞと意気軒高な気分でいたのだが。
    その日の夜、床について上を向くと、腰が微妙に痛む。ああ、恐れが走る。姿勢を横にし、腰に負担をかけないようにして眠りについたのだが、翌朝も痛い。
    普段は痛みは意識していないが、顔を洗うときなど、ちょっとした拍子に痛みが走る。痛む部分を指で押すと、なんか凝っているような感覚がある。年末に鍼灸院で手当てをし、その日は楽になるのだが、翌朝は元通り。そんな状態が、年を越えていまにいたるまで続いている。
    毎朝血圧と体重を図っているのだが、年末の数日はサボってしまい、昨日は年の初めに測ったら、血圧も体重も高くなっている。呑みの続いた年末がたたったか。
    やや落ち込んだ気分で江戸川沿いに初詣ラン、というより初詣ウォーク。身体の姿勢、腰のリズム、足の着地を確認しながら、時折走り出してスピードをあげてみる。痛みはどうか確かめる。屈伸にストレッチで身体を延ばして、やはり痛みを確かめる。
    そんなことをしているうちに、一年の計を考える。
    目標としては、今年も伊是名をあげたい。昨年の成果をもって、改めて臨んでみたい。しかし、伊是名に向かうには、トレーニング、体調管理に加え、お金も時間もかかる。
    今回の腰の痛みのように、人生一寸先は闇でもある。どうなるのかはわからない。
    何を言いたいのか。
    何かをなすには目標を決め、それに向かってプログラムを組み立てろという。別に否定はしないが、果たしてその目標とは妥当な目標なのか、実は疑問もあると思っているのだ。
    そのうえでの一年の計である。

    向かう方向は決めておかないと歩けない。今年も伊是名である。昨年のタイムは6時間52分であったが、では6時間30分が目標かというと、そうではない。伊是名を眺めつつ、日々身体づくりに向かう。1日15分でもストレッチ、体幹、筋トレを続ける。つまり目標は日々の身体づくりであり、伊是名の出場とタイムはその結果なのだ。
    ちょうどビールのCMをやっている。広島の黒田投手が出演しているもので、「目標は?」の質問に「低くする。そしてすぐに新しい目標をつくる」といった返事をしている。
    そう、その気分。遠い先の目標ではなく、自分が今日できることを目標にする。
    今年はそんなふうに日々を重ねていきたい。
    青空に 頬撫でる風 走り初め
    今年は65歳になる。
    生きている間にできることを数え始めている。
    時間も能力も限られている。
    不確かな遠い目標を追いかける歳ではない。
    自分ができることを見定めて、余計なことは考えず、身体を使って励んでいきたい。
    写真は伊是名の完走証。昨年1年のご報告です。

  • トライアスロンのシーズンオフは身体づくりが目標。

    トライアスロンのシーズンオフは身体づくりが目標。

     Windows10にアップグレードしたけど、これがなかなか大変。デスクトップ上のファイルが消えてしまう。officeも消えてしまう。とりあえずgoogle cromeとDROPBOXを復活し、とりあえず仕事に使うものから整備してく。

    当ブログの下書きのテキストファイルも消えてしまった。そんななか、イベント学会の論文締め切り、新たな仕事の仕込みなどに気持ちと時間をとられ、ちょっとした混乱状態で年末に突入した。
    気を取り直してのブログ再開。
    11月1日の伊是名が今シーズンの最終戦で、シーズンオフに入ってはや1か月以上。このシーズンオフをどう過ごすかを今日のテーマとする。
    今年を振り返ると、5月の横浜(スプリント)、6月セントレア(ハーフDNF)、7月昭和記念公園(スプリント)、8月は沼津駅伝と手賀沼、9月99里、そして11月の伊是名と我ながら頑張った感はある。そう、今年で私も64。年齢を考えて、今年はともかくやれるだけやってみようと思ってのプログラムだった。おかげでようやく落ち着いてレースをコントロールできるところまで来たなあ、生涯スポーツとして続けていける手ごたえは得たかなあ、との感慨はある。
    そんな気持ちのなかでのシーズンオフ。
    今シーズンを終えて痛感したのは、身体づくりの大切さ。特に感じるのは「躍動感」。やっぱ若い人は全身の躍動がある。これを少しでも回復したいと思っている。躍動感を回復して道を歩く自分に出会いたいと思っている。どんな感覚なんだろう。楽しみじゃないか。おかしいかな。
    トライアスロンは生涯スポーツとして楽しんでいるので、生涯スポーツとして、少しでも長く続けていける身体の基本を「躍動感」をキーワードに作りたいと思っている。
    具体的にはまず減量。やっぱ体重が基本なんだよね。現在はおおむね70キロだが、5キロ減を目標とする。ちなみにトライアスロンを始める1年前に受けた人間ドックでの体重が66キロ。トライアスロンを始めて体重が増えるというのはどういうことなんだ。
    合わせて柔軟性、筋力。肩甲骨、背骨、骨盤、膝、足首の柔軟性。筋力も全身の筋肉に刺激を入れて、反応を高める。そのために毎日15分でもストレッチと筋トレに取り組む。
    そしてリズム感。ポイントは全身のリズム感と思っている。だからジムのメニューにエアロビックダンスを加えてみる。実はダンスは好きなんだ。
    特に大切にしたいのは、毎日のストレッチングと筋トレ。自宅でできる自己流のプログラムを改めて開発したい。10分しかなければこれ、30分あればこれ、1時間あればこれ、といったプログラムを持っておく。
    3種目のトレーニングとしてはラン重視。ランはすべの基本と思う。走ることは好きなので、なんとか習慣化したい。スイムはフォーム、バイクはペダリングの技術練習を意識して取り組む。
    あえて書き出してみると、こうしたところか。
    大会については、今年は「挑戦」の意識が強かったが、来年は「確認」をイメージしている。数は減らし、体つくりの状態を大会で確認する。ポイントになるのは、5月の横浜(スプリント)と99里、それとできれば伊是名か。伊是名はお金も時間もかかるので、伊是名に行ける余裕がある状態を期待したい。

    幸福感 小春日和の ランニング
    写真はATA南行徳のラン練習。浦安までのLSDを楽しんだ。
    年の瀬になると、「1年があって言う間に過ぎてしまった」「時が過ぎるのは早い」といった会話が行き交う。
    これは前に書いたことでもあるが、私にはなぜかその感覚がない。今年の正月ははるか昔のような思いで振り返る。

  • いまだに好きになれない。私のバイクの取り組み。

    いまだに好きになれない。私のバイクの取り組み。

    このブログを見ていただいている「とむ」さんから「私見ですがバイクのスピードはキャリアの差が如実に表れるような気がします。三種目で相対的に一番遅く私の苦手種目です」といったコメントをいただきました。

    私もバイクが一番苦手なんですよ。
    実は今年はけっこうバイク練習に励み。力もついてきたかと思うのですが、最近の99里、伊是名の大会結果をみれば、記録は正直なもので、意気阻喪するなあ。
    そんな低レベルの個人的な体験ですが「私のバイク」をまとめてみます。

    私がバイクが苦手な理由。第一に怖い、無理な姿勢で痛い。走ることの爽快感のというのもわからなくはないが、坂、向かい風、雨は爽快どころではない。見ているとバイクが好きな人には「メカ好き」が多いようだが、その点でもまったくダメ。ガキの頃に模型を作ってうまくいったためしがない。2輪の免許も持っていない。要はバイクを好きになる素質を決定的に欠いていると思っている。
    しかし、トライアスロンの大会に出るのであれば、そんなことは言ってられない。
    私なりにバイクを理解し、楽しみを見出したいではないか。
    トライアスロンの3種目のなかで、バイクは道具を使う。どのように道具を使いこなすかが大きく問われる。よって道具を使う「キャリアの差」は大きいことは間違いない。であるからこそ、この道具の使い方を覚えれば、年齢による差が最も出にくい種目であるという説明を聞いたことがある。あるいは厳しい登りもポイントは体力ではなくペダリング技術であるとも聞いている。
    そうなのか。バイクは技術種目であるのか。であれば技術の獲得に向かっていこう。そこに楽しみを見出そう。
    これがいま、私のバイクへの基本認識となっている。ではどのようにして技術を獲得するか。自己流で立ち向かう若さはない。専門家、その道の先輩に教えてもらおう。ということで、私のバイク上達方法は「バイクの先生を見つける」ことにある。

    いま、私には3つの方法というか先生がいる。まずはATAのトレーニングでこれが基本。隔週でバイクのトレーニングがある。またATAの仲間の吉岡さんがリードするロングライドがいい練習になっている。吉岡さんは高校時代に自転車部であったというキャリアで、バイクのメカも実に詳しく、ライド理論もしっかりしており、私は大いに頼りにしている。ATA南行徳では吉岡さんのロングライドは「吉岡塾」として親しまれている。吉岡さんは「力がついていますよ」と励ましてくれる。
    そして、もう一人がトライアスロンショップ「Tail Wind」の遠藤さん。遠藤さんがアスロニア店長だった折に今のバイクを選んでくれた。よっていまでもバイクのメンテナンスは遠藤さんいお願いしてるのだが、バイクを店に持ち込んだ折にローラー台にのって姿勢とペダリングを見ていただいている。
    あとはジムでスピニングバイクを1回30分。
    事故が怖いので、基本的に一人で走りに出かけることはしない。
    バイクにまたぎ 北風に向かい 咳ひとつ
    どうもバイクには長距離の練習、坂道の練習、スピードアップの練習があって、それぞれが異なっているようなのだ。遠藤さんは「バイクは奥が深い」とつぶやく。ということは技術の習得にも時間がかかるのであろう。また遠藤さんは「ネコ科動物が走るイメージで」と言う。こうしたたとえはとても好きだ。
    いまだ熱心に取り組むことはできないが、それはそれ、息長くやっていくか、と思っている。
    写真は「Tail Wind」外観。お店のホームページ http://www.tailwind1306.jp よりDLしました。

  • 伊是名大会まで1週間、ブログを書いて気持ちを整理する。

    伊是名大会まで1週間、ブログを書いて気持ちを整理する。

     24日土曜の夜更けから強い風が吹き渡りヒューヒューと高い音が耳に響いた。ニュージーランドと南アフリカのワールドカップラグビーの準決勝に興奮しつつ、木枯らし1号の激しい音に冬の到来を感じていた。そして日曜には、もう半袖では寒い陽気だ。

    次の日曜は伊是名大会。バイクはすでに送り、金曜には出発する。体を朝の外気に慣らそうと朝食後すぐに外に出てストレッチと散歩。日差しも風も強く天候は冬の厳しさを増している。1時間はと思って家をでたのだが、やや意気阻喪して30分で帰宅。金曜までの予定詳細を検討して、まずはブログに向かっている。
    伊是名への準備だが、先週は毎日呑みが続いて体はパンパン。金曜夜も呑んで帰宅は1時近くとなり、土曜日は6時には起きてATAトレーニングへ。ゲップの連続となったが、スイムとランをなんとかこなし。「あとは伊是名までしっかり体調管理」と思いを新たにする。
    前回のブログで何とかランでキロ5分30秒にまでいけないかと書いたが。土曜日の練習でちょうど5分30秒を出すことができた。自分の理解としては、ポイントはフォーム。とくに力を体の中心に集めることで自然な躍動感が出てくる。ちなみに500メートルでは2分50秒。ということは残りの500は2分40秒。であれば5分20秒はいけるだろうし、手ごたえとしては5分ジャストも視界にはいってきたように思う。
    スイムも同様で、力を体の中心に集めることでもう少しましな状態にもっていきたいなあ。
    そんな課題をもって日曜はジムに行き、スピニングバイクとウエイトトレーニング、ストレッチで全身をほぐしてプールへ。
    アップで500メートルをこなして「長距離の感覚」を確かめる。あとは25メートル練。「けのび」~「グライドキック」で行けるところまで行き、その感覚を維持しながら力を中心に集めて残りを泳ぐ。あえてタイムは測らない。でもいい感じかな。
    水曜までは毎日軽く体を動かす。そして木曜はストレッチのみ、たっぷりと眠って金曜に出かける、というのが私の予定。呑みも最低限にする。
    こんふうに書き出してみることで、伊是名への気持ち整理する。よしよし、といった感じかな。ここでめげているとせっかくの大会がつまらなくなる。
    さて伊是名だ。
    スイムは2キロ、バイクが66キロ、ランが20キロで合計88キロ。制限時間は7時間。ただし水泳は1時間30分の制限時間である。
    4年前に参加し、スイムでタイムオーバーとなってしまった苦い思い出があるが、今回はスイムは大丈夫であろうと思う。いまの力であれば1時間以内で泳ぎ切れるはずだ。
    バイクは3時間、ランは2時間30分と考えてみると、合計6時間30分となる。大変なのはランで激坂があるとのこと。そこは歩いていこうじゃないか。
    心配なのはランでの足の痛み。暑さにやられたことはないので、その点は心配はしていない。どうも幸いにして体内保水量は多いようなのだ。呼吸の様子をみつつ、無理せず自分のペース、一定のリズムでいきたいと思う。
    いま、伊是名大会のホームページをみると、男子の平均年齢は44.17歳。年齢が高いなあ。でも私の年齢はそれより20歳高いのか。

    散歩道 木枯らし来たり 逃げ戻る
    なんとか落ち着いてレースのスタートに立てるようになりたかった。
    この伊是名を無事にこなしてそんな状態になれることを期待している。
    今年最後の大会だ。
    楽しく屈託のない気分で今年を終えたい。
    そうすれば、来年への気持ちが作れるように思う。

    写真は伊是名の海。
    伊是名トライアスロンのFacebookページよりいただきました。