ちょっとご無沙汰ぎみです。このところ書いてもアップできない状態が続いていました。あれ、こんなこと前に書いたよなあ。いったい何を書きたかったのだ。など、書いている途中、或いは書き終えたあと、アップの前に立ち止まってしまう。そんなことがあって、今回は2週またがっての報告。
この土曜日(実は先週土曜日)の練習はスイム+ラン。スイムでは200メートルを3本がメインプログラムであったが、とても気持ちよく泳ぐことができた。このところ自主練ではフォーミングをメインとしているが、多少の成果はでてきたか。
ポイントはイメージとして、スケートをするように泳ぐ感覚。スケーティングでエッジに体重を乗せて伸びていく感覚だ。これまでは「自転車の車輪を回すように」がポイントであったが、その自転車回転の延長上でスケートをするようなイメージをかぶせていく。細かくは、しっかりとローリングをして肩甲骨を動かすこと。自転車の車輪をまわすようにしっかりとローリングをして肩甲骨を回すということ。そうすると、これまでより前のめりな感覚が自然と得られるようになる。肩甲骨を回すというのが、これまでなかなか自分の動作としてイメージできなかったのだが、いまは肩を前に出して耳につけるというイメージをもっている。肩を前にして手を伸ばしながら崖を落ちていく感覚だ。
ちょっといい感じがしているので、この方向でいろいろと試してみよう。
次にランはインターバルトレーニングで1キロを3本。本当は一定ペースでなくてはならないが、1本目は5分40秒、2本目は頑張って5分5秒、3本目は5分30秒であった。実は1本目の目標は6分。それが早かったために、5分でいってみるかとなったのだが、5秒オーバー。最後はフォームを意識したスムーズな走りを求めた結果の5分30秒。
なんとキロ5分で走ることができたこと。これはうれしい発見となった。当初はキロ7分であったことを考えれば、大いに進歩しているではないか。だが、キロ5分のスピードでは1キロ以上は走れない。しかし5分30であれば、2キロまではいけそうだ。10キロとなるとどうかなあ。ということで、今年の秋以降は10キロレースをターゲットに、タイムを意識したレースに臨んでみたいと思っている。
このところ十分な練習もできてはいなかったが、続けていればこうした手ごたえはあるものなのだ。
以下、今年度の身体づくりの意義込みを語っているのだが、これは何回も書いているなあと、自分ながら辟易して取りやめ。
そして、一週間後の土曜日である昨日の練習はスイム+デュアルスロン。今年初の真夏日でデュアルスロンが大変で全身の水分を搾り取ったような状態に。でも気持ちはいい。適度にやりきった感もあって、練習後の水風呂の気持ちいいこと。これはトライアスロンを体験するようになって得た醍醐味だな。
そして今日はジムでエアロビクスのクラス体験。ベーシックエアロⅠというタイトルなので初心者クラスなのだが、いやあ全身汗をかいた。想像以上にいいトレーニングであることを実感。この詳しい報告は次回に。
梅雨の日は 優しい光に 包まれて
このところ2~3キロだけど、けっこう走っている。梅雨の日に走る楽しみってあることに目覚めた。やわらかい日差しと蒸し暑い陽気、時折吹く風など、この季節がいとおしい。トライアストンは自然を感じるスポーツだ。
今回も写真はなし。
カテゴリー: トライアスロン
-
2週にまたがっての練習報告。エアロビクスを体験。結構です。
-
今年の大会意気込み表明!!!がんばりまっす。
今年の参加大会はほぼ決定した。スタートは沼津駅伝。昨年、一昨年と参加したがいずれもスイムが中止になった。なお、私は一番遅いので第三走者が定位置であり、第一走者はスイムをしたこともあったかと思う。なぜ第三走者が定位置かと言えば、一番遅いからで、私が第一走者になれば、早々に順位の競争はなくなってレースにならなくなる。
次に木更津に行こうと思っているのだが、まだエントリーがスタートしていないようだ。この時期は昨年は手賀沼に参加。あるいは大好きな昭和記念公園との選択もあるのだが、今年は初参加の木更津と思いを定めている。理由は「フラットなコース」に尽きる。特にバイクでフラットなコースに挑戦したいと思っている。実は昨年も候補にあげてはいたのだが、フラットなゆえに、TTバイクにビュンビュンで蹴散らされるのではないかとの恐怖感があって手賀沼にしたのだが、今年は節操なく、同じ理由で参加することにした。
最後は九十九里トライアスロン。これは毎年参加して今年で3年目となる。九十九里については、アスロニア主催で近場の大会ということもあって、ATA南行徳の打ち上げ大会という位置づけになっており、今年は岩田コーチも藍コーチもいないなかで、参加する気持ちの整理もなかなかつかなかったが、まあ、学校行事と思いを定めての参加とあいなった。しかし九十九里はアスロニアの大会ということで、多くのATA生が積極的に参加してきたのだが、今年はその熱意がなくなって参加者も少なくなっている。アスロニアを応援しようという熱意が冷めていること危惧するなあ。
今年はこれまで。セントレアも伊是名もパス。でも来年はセントレアも伊是名も挑戦したいとは思っているものの、さてどうなるか。その時の都合でわからない。
1年先のことなんて、その時のつごうでわからない、というのは、私には望ましいことに思える。1年先の状況もかなりな確率で見込める人生もあろうかと思うが、いいか悪いか、私は4カ月先の収入もわからない生活を30年続け、子供3人を大学に通わせて、いまにいたっている。こうしらジェットコースターのような毎日に疲れもあるが、これが私の人生なのだ。
1年先、3年先、10年先の目標を設定して立ち向かえと言う人がいる。私もそのようにして生きていくことができれば、もう少しましな人生になっていたかと思わぬでもない。でも、私は「人生成り行き」でその折その折を楽しみ、風に吹かれて生きたいとおもってきた。でも、そのようにして漂泊の人生を歩むには、長生きし過ぎているのではの思いが離れない。
さぼったな 汗ばむ梅雨の ビールかな
どうも練習をサボって酒に向かってしまう。梅雨時はそういう季節なのか。
今日は写真はなしです。 -
昨日はATAの岩田聡ヘッドコーチと平野藍コーチの「感謝&激励会」。
場所はいつもの八重洲BOSSOで30名以上が集まった。
初めにちょっと解説をしておこう。
ATA(アスロニアトライアスロンアカデミー)はアスロニア(http://athlonia.com/)が経営するトライアスロンスクール。岩田ヘッドコーチと藍コーチは当初の立ち上げからの中核メンバーであるが、この5月・6月で相次いで退社されることになった。昨日はATA南行徳校としての「感謝&激励会」であった。
岩田コーチは奥様のご実家がある奄美大島で農業を始めながら、地域でトライアスロンを広げる活動を求めていく。藍コーチは最近結婚されたばかりだが、このタイミングでスイッチを切り替えることにしたようだ。
現在ATAは全国で10校を数えるが、私が所属する南行徳校はルーツ校。ほぼ1年前まで藍コーチがずっと担当で、この5月までは岩田ヘッドコーチが担当されていた。このお二方は私にとって、スタートから今日まで見ていただいてきた、まさに「我がコーチ」であり、私のトライアスロンライフそのものなのだ。
このお二人がいなくなることで、またお二人がそれぞれ新たな道に進むことで、まだハッキリとはわからないが、私のトライアスロンライフも少なからず変わっていくように感じている。
これまでは、コーチから大会を勧められてモチベーションをつくり、大会会場でコーチの顔を見ることで大きな安心感を抱き、レースを間近で見ていただくことで、明日の練習への糧を得ていた。沼津駅伝、タテトラ、九十九里、伊是名といった大会はすべてそうした物語の中にあるのだ。
この物語を失うことの喪失感は大きいだろうな。まだ申し込んではいないが、参加するとしても、今年の九十九里は昨年とはまったく違うものとなるように思える。
一方、このお二方とはこれからも末永くお付き合いさせていただきたいので、新たな世界が広がることを期待している。岩田コーチ手作りの奄美大島合宿やプライベート感覚のミニレースなど、想いは勝手に広がっていく。新しい物語に、そのスタートから参加できることは、大きな歓びだ。藍コーチは「今後はまだ未定」と昨日は話されていたが、藍コーチがこれからどのような世界に踏み出していくのか、これも大いに楽しみで、シッカリついていきたいと思っている。
新緑の 木漏れ日は 明日へのときめき
と、ここまで書いてきて、改めて二人の存在感の大きさに気がつく。二人に出会えたことの幸運に感謝する。こうした形の人付き合いというのは今までなかったように思う。さらに、昨夜の会に集まった仲間たちの人間関係も、このほかにはないものだ。こうした人間関係も、トライアスロンの魅力なのだ。多分、ゴルフならゴルフならではの味わいや文化をもった人間関係があるのだろう。野球の応援仲間とサッカーの応援仲間も、違う文化があるのだろう。トライアスロンを始めてよかったと、改めて思う。
写真は我が二人のコーチ。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 -
今年の参加大会・予定を決定。スタートは沼津駅伝となりそう。
今日は日曜日。ようやく決算報告の業務を終え、午前中に伝票や各種書類を税理士さんに宅配送付。部屋を片付け夕方に1時間30分のLSDに出かけた。1時間以上のLSDは本当に久しぶりで、以前走ったのがいつであったか忘れてしまったほどだ。
走り出したのが5時40分。まだ空は青く、柔らかな光が風景を包んでいた。走っているうちにだんだんと全体がグレーに包まれてく。空気は多少冷ややかで心地よく、黄昏の風景の変化を楽しんだ。この季節が一年でいちばん好きだが、なかでもこの季節の黄昏時に走るのが好きだ。これもトライアスロンを始めることで知った楽しみだ。トライアスロンは自然を楽しむスポーツといわれるが、何も楽しむのは美しい自然の地ばかりではない。江戸川沿いであっても、自然の美しさを堪能することはできるのだ。
ランを終えたところで、今年のレース予定を考える。これまで今年の予定をまともに考える気分になれなかったが、決算も終え、久々のランでスイッチを入れたところで、前向きになれる自分を取り戻したようだ。練習を終えると気持ちが積極的になる。自然と、明日はどうしよう、来週はどうしようといった気分になり、カレンダーに向かって今週の仕事と練習予定に頭をめぐらせるようになる。
ところで、皆さんは走っているときに何を考えているのだろう。今日、私は走りながら走ることを考えていた。だいぶ長期間、1カ月以上まともな練習をしていない。体重も増えてしまった。さて練習を再開しよう。例えばそんなときに何から手をつけるのか。スイムか、ストレッチングか。いやいや、やっぱりランだよ。そんなことを噛みしめながら走っていた。今シーズンは「身体づくり」を掲げながらも練習のペースを作ることができていなかった。大会のターゲットも決められなかった。「空回り」という言い方があるが、まさにそんな感じがぴったりなんだ。
今日は横浜トライアスロン大会で、昨年はスプリントに出場したが、今年はパス。まだどの大会からスタートするのかも決めていなかったが、8月7日の沼津駅伝をスタートに、8月28日の木更津、9月24日の九十九里で行こうかと思っている。伊是名も気になるが、今年は準備を整えられるかどうか、自信がないので、ここまでかな。
9月10日の昭和記念公園、8月21日の手賀沼も好きな大会で行きたいところだが、スケジュールを考えるとこんなところかなあ。
以上まで書いていったん休止。そして今日は火曜日。昨日は練習できなかったが、今日は1時間のスイム。久しぶりのスイムでともかく水に慣れることに専念した。しかしスイムは一向に速くなれないなあ。
五月晴れ 黄昏の光へ 走り出す
さあ、今年のトライアスロンシーズンをスタートしよう。
ユックリと走り出そう。
今回は写真はなし。 -
これからのトラライフについて-その2 仮に寿命を定める。そんな年齢になったということ。
今後のトラライフを考えると、自分の寿命、その日までの大まかな生き方を否応なく考えることになる。そんな年齢になったのだ。
最近は自分と同年齢の60代の方の訃報が目につくようになっている。一方で80歳を過ぎても現役のケースがテレビで多く取り上げられている。60歳を過ぎると個々の違いは実に大きい。身体の状態、家族の状態、経済状態など、それぞれに個人差は大きい。だから「人は人、我は我」との心構えが大切になっていく。さて、私はどうだろう。
「平均寿命」をネットで調べてみると、いろいろと難しい解説や数式があり、「平均余命」という言葉もあって、ちょっとうんざりとしたものの、自分の年齢と性別を打ち込むと平均余命がわかるサイトがあり、試してみると平均余命:18.11であった。平均余命への「正しい理解」を調べるつもりもなく、漠然と「余命20年」とイメージしてみる。20年で85歳。勝手に直前まで働くつもりでいる。いつまで元気で働けられるかなどわからないし、明日倒れるかもしれないし、準備のしようもない。よって仮に20年現役と決めつける。
生まれてから成人までの20年。10歳から30歳までの20年を振り返ると、人生における変化は実に大きい。私の45から65までのこの20年を振り返っても、妻の死、3人の子供の結婚、孫の誕生、友人との会社の設立と失敗、トライアスロンのスタートなど、まさに波乱万丈ではないか。
老後は変化少なく穏やかにと考える人も多いかと思うが、「人は人、我は我」。私にはそんな余裕もない。私はこの20年を「大きな変化の月日」ととらえている。あるいは「20年もあれば大きな変化は可能である」「20年は挑戦に値する長さである」と考えている。
振り返って。この20年の大きな変化は「私の家族の解体」であったが、今後の20年については、社会的な変化が大きいと考えている。情報化の社会基盤が整備され、新たな技術や製品が登場して暮しを変えていくだろう。そんな現代史に参加しようと思っている。なにも大きなことを考えているのではない。自分のできることを自分の範囲でやってみたいと思っている。さて、トライアスロンであるが、そんな具合であるので、まず基本認識として、暮しを支えるものであるが、暮らしの中心に据えるものではない。余裕もないなかで、激動の現代史に参加するにはなにかと忙しいのだ。
であれば、やはりその時々の無理のないペースで続けていくことになる。頑張ってアイアンマンを目指すといった目標設定はあり得ない。であれば、さて今年はどうなるのか。昨年は伊是名を大きな目標に、レベルアップを図ったが、そこで痛感したのは身体づくりの大切さ。ということで、今年はできる範囲の身体づくりが課題。可動性の向上、躍動感の回復、筋力の向上など。昨日はジムではじめてエアロビクスに参加した。(笑)
いまひとつは、トライアスロンにまつわる楽しみを広げてみたいと思っている。私が一番好きで追いかけているスポーツはラグビーだが、それと同じように、海外の一流レースなどもチェックしてみたい。日本代表の選手の名前ぐらいは覚えてみたい。
走る汗 青葉木漏れ日 樹々のざわめき
いい季節になってきた。この季節を楽しむようにトライアスロンを楽しむことがなによりか。一昨日は息子の結婚式。ニューヨークの長女夫妻も帰国して初めて連れ合いと対面。久しぶりに次女の家族に会い、孫二人の健やかな成長に安堵した。家族全員が一堂に会したわけで、こうしたことはもうないかもしれない。
写真は長女夫婦、次女家族、姉との家族写真。これをFBにアップしたら「幸せな家族」というお言葉を多くいただいた。大変に有難く受け止めているけれど、初めてのことであり、「もうこうしたことはないであろう」「これで家族も一段落」という、しみじみとした思いが現実の心境である。 -
これからのトラライフについて―その1 今回は簡単な自己紹介です。
今週を振り返ってみると、12日火曜日、13日水曜日、14日木曜日、15日金曜日と外呑みが続いた。いずれも楽しい呑み会だったが、いささか疲れて今日の8:30からのトレーニングは休みとした。
今朝は5時半に目が覚めてトイレに行ったが、どうも疲れが残っていて布団に戻り7:30。さて、どうしようか。食事をとりながら身体の様子を確かめたが「さあ行こう」の気分にはならなかった。tipnessのスケジュールを確認すると14:30よりベーシックエアロのプログラムがある。とりあえずこれを目標に、午前中は掃除・洗濯・片付けとしよう。ということでようやく本日の行動が見えてきたところでブログに向かう。
明日は宮古島大会で、私の所属するATA南行徳校からは、男子4名女子1名の参加。アイアンマンはトライアスリートの夢ではあるが、いまの私では手が届かない。
これは私の個人的な感触だが、周囲を見回してみて、アイアンマンに行けるレベルというと、スイムは100メートル2分、バイクは平地で時速30キロをキープ、ランはマラソンで4時間半ぐらいかなあ。これを全力70%程度の負荷で維持する。ちなみに私の現在の力は調子のいいところでスイムは2分20秒、バイクは27キロ、マラソンは5時間。この差を埋めることができるのかできないのか、かなり悲観的なのだが、もし埋められるとしても、目標に向けた相当な集中トレーニングを必要とするだろう。トレーニングを暮らしの中心に据えて取り組まねばならない。時間もお金もかかるのだ。今の私にはできないなあ。ここまで書いたところで電話が入り、16時に有楽町で打ち合わせとなった。本日の活動は変更。多分今日も呑みになるかなあ。今日はウォーキングとストレッチぐらいにしてジムは明日からにしようか。このように、いつもトレーニングのことを考えている。言い換えれば、トライアスロンはしっかりと私の暮らしに根づいたということだ。では暮らしのなかにどのように位置づけるのか。我がトライアスロンライフはどのようなものなのか。
当ブログはトライアスロンをテーマとしているので、私の仕事や暮らしに触れることは必要最小限にとどめてきた。しかし「我がトライアスロンライフ」を語るためには、一定の自己紹介も必要となる。
横浜生まれの65歳・高齢者、10年前に妻を胃がんで亡くす。子どもは長女・次女(孫2人)・長男でいずれも独立して市川市の南行徳に一人住まい。あと家族は姉一人で、私の両親・妻の両親とも亡くなっている。この状況を「天涯孤独」と言った人がいるが、それほどの孤立感はない。ただし一人になったのがトライアスロンを始めた基本的な動機である。
仕事については、有限会社をもっているが従業員はいない。個人としての活動で、編集・イベントの企画制作・地域おこしの企画などをおこなっている。またイベント情報サイト「イベントナビ」(http://www.event-navi.ne.jp/)を運営している。
以上は基本的なプロフィールだが、実は今年は暮らしの大きな転機なのだ。
これまで数年にわたって準備を進めてきた「一般社団法人国際医療健康交流機構」が設立の運びとなり、理事・事務局長としての努めが始まる。これまでの仕事も続けていくが、これを暮らしの柱とする。
昨年度から始まったイベント学会での「スタジアムイベント研究会」の活動も今年度は本格化する。2017年には神宮外苑で「TOKYO SPORTS WEEK」をスタートさせ、毎年のイベントとして2020年に向かっていきたいと計画している。
加えて今年からは「電子出版」をスタートさせたいと考えている。もともとは編集者であるので、いつか始めたいと思っていたが、状況として始める間口も広がってきたようだ。スタートは私の勉強とテストを兼ねてこのブログとなる。皆さん、その折はよろしくお願いします。イベントナビもなんとかリニューアルに取り組みたい。
こう書くといたって羽振りがよさそうだが、累積赤字の返済もあって、なかなか苦闘の毎日である。
4月30日は息子の結婚式で、ニューヨークに暮らしている長女夫婦もやってくる。長女の亭主とは初対面となる。伴侶も含めた大家族が揃うことになる。長女夫婦はアメリカの永住権を取っている。次に大家族が揃うのはいつになるか。この前息子と「最初で最後になるかも」という話をした。5月には姉が我が家に引っ越し、高齢者シェアライフをスタートさせる。
といった具合なのだ。このうえで、さてトライアスロンとどう取り組むか。
今回は自己紹介で、今後のトラライフは次回に持ち越しとする。
日がのびて 夕暮れ時の ランニング
熊本はグランメッセ熊本の運営計画にかかわり通った思い出と愛着がある。緑多い街で、阿蘇は世界に誇る大自然だ。FBで「復興ステーション」という活動を行っているものの、なかなか力になれない自分に落ち着かない。
写真は電通47階からの一昨日の眺め。ここから豊洲までケーブルカーを設置する計画があったが舛添知事が賛成せず頓挫したという説明を受けた。無駄、非効率などの反対論、計画自体をバカにする良識論が多いだろうなあ。ネットで検索したら非難の嵐が続々。でも、私はこうした計画は大賛成。その光景を見てみたいし乗ってみたい。ワクワクしてくる。凱旋門やエッフェル塔に実用性を問うかよ、面白くないなあ、と一人つぶやく。 -
歳をとると転びやすくなる。相次いだ転倒、ケガの経験をまとめておこう。
4月2日のトレーニングでころんでしまった。この日は朝8:30~9:30がスイム。10:00~11:30まではラン。ランはサーキットトレーニングからジョグを30分。ジョグを終えてジムに戻る折にちょっと歩いてからジョグを始めたところで、けつまずいて転んだ。両手をすりむき、胸をいささか打った。
ころんだあと、すぐには動けず、ちょっとの間に息を整え、コーチや仲間に引き上げてもらって立ち上がることができた。
ちょっと変な感じであった。すぐに起き上がれなかったのもあるが、どうも立ち眩みをした感覚があるのだ。サーキットトレーニングで足にガタがきていた。ジョグで脈が安定していたところで階段を下りてしばら歩き、走り出しにころんだ。足のガタに加えて血液の循環にも問題はなかったか。その原因は何か。
実はこの3日前の3月30日に「肺炎球菌ワクチン」の接種を受けていた。これは65歳になると受ける予防接種だが、この副作用をみてみると、両手両足に力が入らず動かせない、可動性が低下する、倦怠感がある、違和感がある、などが挙げられている。転んだ日には、まだ注射した部分に痛みもあった。ひょっとしてこれかなあ、などど思っている。
バイクの落車による痛みを残したままに転倒。事故が続くことになった。
トライアスロンを始めて以来、バイクの乗りはじめはよく「立ちごけ」をしたなあ。あとは足底腱膜炎、アキレス腱、膝の関節など、足の痛みには悩まされてきた。いまも屈伸をすると左の膝が痛む。
しかし、大きな転倒や大きなケガはなかった。臆病であまり自分を追い込むほうではなく「安全運転」でやってきた。しかし事故は起きてしまった。今日は今回の事故で学んだ事故後の対応について、今後のためにまとめてみる。
二つの事故も大事故ではなく、骨折も救急車もなかった。不幸中の幸いともいえるが、そこまでいってしまえば、もう医者に身を預けるしかない。ここで扱うのはそこまではいかないが、それなりにダメージのあるレベルの事故・ケガ。1 事故は起き時は起きる
事故の予防は「注意する」しかないのだが、起きるときは起こってしまうのだと思う。常日頃よりそう思っていることが第一。今回の経験では、転ぶという体験はけっこう精神的なダメージが大きい。痛みとショックの感覚である。あるいは「失敗した」の思いもあるのだが、起きるときは起こってしまうものであり「俺にもその時がきたか」と受け入れる。
2 しばらく休む
2回ともすぐには動けなかったのだが、息が落ち着くまでは動かず、痛みのなかで状況と全身の状態を確認することに集中する。どこがどの程度、どのように痛いのか。自分の身体に何が起きているのかをとりあえず確かめる。起き上がるのはそのあとでいい。
3 立ち上がって確かめる
ちゃんと立てるのか、これが第一。次に出血などケガの部分を目で見て、手で触って確かめる。心臓はドキドキしていないか、心落ち着いているか。もちろん落ち着くまで動かず立っている。ハンカチで出血部分を抑える。よってハンカチは事故が起こる可能性のある時、すなわちいつでも持っている。
4 ゆっくりと歩き出す
落ち着いたらゆっくっりと歩き出し、身体の反応をたしかめながら、歩くスピードを上げていく。そして自宅に向かう。そのときの状況は様々であろうが、自宅に向かえないときは近くの医者に飛び込むこともあるだろう。よって保険証と多少の現金は身近においておく。
5 風呂で処置
自分での処置は、やはり自宅の風呂になる。シャワーを浴びて傷口を洗い、打撲の部分を確かめる。ここまできてようやく一息つく状態になる。擦り傷は傷口を洗ってバンドエイドキズパワーパッド。これはありがたい。サイズの異なるものを数種類用意しておく。打撲部分は保冷剤を当てて冷やす。保冷剤はアイシングにも使う必需品。いくつも常に冷蔵庫で用意しておく。
6 飲み物と睡眠
暖かい飲みもので心を落ち着かせ、十分に水分をとり、横になり休む。昼寝をする。
7 起きて確かめる
そして目覚めた状態で全体を確かめる。これで一巡。以上をまとめると「ともかくユックッリなリズム」ということになる。一つ一つを確かめながら、焦らず、ユックリユックリと物事を進める。その後の回復プロセスにおいても、まずは1週間程度はユックリとした暮らしのリズムで回復を確かめる。その間に気になれば医者に行こう。1週間経って回復が思わしくなければ、不安になって医者に行くことになる。ポイントは1週間。
ころんでは のけぞって見る 春の空歳をとると躓きやすく、転びやすくなる。私が老後のスポーツを始めた大きな理由に「転倒回避」がある。まだその年齢ではないが、歳をとってからの転倒は骨折を起こしやすく、骨折によっては大きなダメージが起こる。私の祖母は骨折のあと起き上がることはなかった。しかし転倒回避のスポーツが転倒の機会を増やすというのもまた事実ということを学んだ。などほどなあ。単純ではない。
ということで、改めて転びにくい身体づくりに向かっていこう。写真はお勧めバンドエイド。いささか高額だが、必需品です。
-
バイクの落車事故もあって、なんともしまらないシーズンオフでした。
1か月以上のご無沙汰になりました。このシーズンオフはどうにもしまらない状態で、ブログのアップもままならず。酒とため息ばかりで、おいお前いくつなんだと自分でもあきれる状態。そんななかでこんなことが。3月13日にバイクで落車をしてしまった。落車は本当に久しぶり。場所は江戸川沿い。ATA南行徳の仲間とライドに出かけた帰りがけ。前を走る仲間の後輪に前輪をぶつけてしまい。ポーンと跳ね飛ばされてガッツン。20キロは越えるスピードは出ていたので、倒れたというより、叩き付けられた感覚がある。腰、肩、肘、頭と順番にぶつけていったことを覚えている。最後に頭をぶつけて「やっぱりヘルメットは大切だ」などと実感をしていた。倒れた直後は息ができず、まさに大の字の状態。道の真ん中なので、ともかく路肩にいかなくてはならないのだが、身体がまったく動かない。ハアハアハアと息をつく。骨折は? 多分大丈夫そうだ。骨を折ると寒気がするということを耳にしたことがあるが、寒気に襲われる感覚はない。痛いけれど、身体は動く。身体と気持ちを落ち着かせて自走で帰宅できたのは幸いであった。
家に帰ってシャワーを浴び、落ち着いてくると、痛みはおもに肩と腰。打撲だなあ。いい年をして何をやってんだかという自嘲と、この年齢にしてはエキサイティングな体験ではないかといった自惚れがないまじった感覚のなか、痛む身体を抱えてソファーで昼寝。うん、目が覚めても痛みは増していないのでひと安心。洗濯、掃除と家事をこなして、早めに横になり、まあ翌朝の感覚次第と思っていたが、無事に目を覚まし、あとは日一日と快方には向かっているのだが、こうして2週間たつと、どうも回復に手間取っているのが気にかかる。
この間、病院には行ってなく、バンドエイドと市販の湿布薬で済ませてきたが、週明けには近くのクリニックに行ってみるか。
しかし、今年のシーズンオフは、本当にしまらなかったなあ。1月2月は風邪、長引いたなあ。そしてそのまま花粉のシーズンに突入し、それでも何とかトレーニングに向かおうと思っていたら落車事故。結局この3か月は何にもしていないようなもの。どうもリズムもつかめず、まだレースの申し込みも行っていない。
横浜はパス、セントレアもパス。申し込んでいたランニングの大会も2月、3月と見送り。さて、どうしようかなあ、と思いながらこのブログを書いている。
改めて振り返れば、昨年の伊是名以降のテーマは身体づくり。特に減量と下半身の柔軟性を考えていたのだが、できていないなあ。そうだなあ。やはり、改めて、身体づくりに向かおう。
花冷えに 気持がなえて また休み
本当にこのところは、寒さにめげて、やめとくわ、の連続。まあ、こんな時期もあるさ。明日から、走りに出よう。まずは走ること。これが基本。
写真は落車の直後。ウインドブレーカーが破れている。それとだいぶ腹がでているなあ。減量しなくては。
そこで、今日日曜日は朝に3キロラン、夕方には1.5キロスイムで、気持ちも回復してきた。スイムは肩が痛んでつらいけど、リハビリのつもりで挑戦。ともかく動いてみることなんだね。しかし、走っているさなか、ふとした拍子にまったく走る気が失せ、呆然と歩くといったことはないか。このシーズンオフはその連続だったなあ。 -
こうしてみよう、ああしてみようと工夫する楽しみに目覚め始めている。
ようやく体調回復で、昨日の土曜日より本格的トレーニングに復帰。お気遣いいただいた皆様、ありがとうございます。元気になりました。
昨日のトレーニングがなかなかきつかった。スイムは100メートルハードで、引き続きほぼ休みなく50メートルをイージー。この150メートルを5分サークルで6本回す。100メートルハードはめっぽうきついが、回数を重ねていくと否応なくラクなところを探し出していくことになる。これがフォーミングの意識につながる。
次いでランのトレーニングでは2キロを決まったペースで走り、200メートルをジョグしてそのまままた2キロに挑む。2キロプラス200メートル×3セット。2200メートル×3というわけだ。私の申告タイムはキロ6分のペースであったが、ペース通りに走れたのは第一ラウンドのみ。2ラウンドではキロ6分10秒、3ラウンドでは15秒まで落ちてしまった。いやあきつかった。自分としてはフォームはだいぶいいのだが、疲れると足がふらついてしまう。まあ、病み上がりなので仕方ないとあきらめる。むしろ走っていなかったわりにはいけたかという気分である。そこで、根拠はないのだが「鍛えようはある」と実感している。多分であるが、やっていけばキロ5分ぐらいまではいけるような気がしている。なんとキロ1分以上の短縮。ランについては、これを目標にして工夫してみたい。
こう書いてみると、復帰するや否や、けっこういい気になっていることに笑ってしまう。でもスイムもランも、やってみようという意識は満々である。
体調不良の時期のストレスを発散して、いささかハイな気分になってるのかもしれない。それは別に悪いこととは思わないが。そして、これは原因が特定できないのだが、工夫することに面白さを見出すようになっている。
例えばスイム。今日は750メートルのアップをしたのだが、この長距離を泳ぎつつフォームの細部をいといろと試してみる。泳ぎつつ、あんな感じこんな感じと試行錯誤する。その楽しさに目覚めている。
次いで例えばラン。いま意識しているのは「骨を使う」こと。つまり姿勢だね。骨を操作して姿勢をつくることで筋肉の負担を減らし、ラクな動作を求める。これは階段を上る折に、腰と膝の骨の使い方で筋肉の負担が大きく違うことが実感できる。
つまるところ「工夫する楽しみ」に目覚めている。こうしてみよう、ああしてみようというわけだが、何も無暗にやってみるわけではなく、ポイントとして思うのは、やっぱりフォームだなあ。
私の実感は、第一にぶれない軸、そして軸を中心としたスムーズな回転運動、リズム、そして目線。目線の位置は結構大切で、スイムの場合見るべき対象は明確ではないのだが、ともかくハッキリと前をみることで前に進む意識が生まれる。ランはちょっと遠くを眺める感覚がリラックスして効果的。これはわかってきた。バイクはどうかなあ。多分、力を抜きつつ緊張感をキープする目線というものがあるのだと思う。
といった具合に、工夫する楽しみに目覚めている。老化は進んでいても、それなりの工夫に年齢の限界はない。いやいや工夫はそれが老化への対応であったとしても、上達への道筋と思えて楽しめる。ああでもない こうでもないの 冬のラン
今日はたまたまNHKテレビでレスリングの伊調香選手を観た。私が惹かれている選手の一人なのだが、これまで試合以外の姿の見ることはなかった。よって選手としての魅力はわかっていても、人間としてはまるでわからなかった。あまりの強さが全面に出て、一人の女性を考えることはなかった。それがインタビューに答える姿、内容ともども実に知的で素敵。顔だちもナチュラルで女性としての魅力にあふれている。いやあ驚いた。素敵な女性に出会えると思わず興奮してしまう。
彼女は自らの努力=工夫を自分の言葉で語った。実に刺激的であり、私は工夫する楽しみを、改めて確認した。新しいトライアスロンの楽しみを見出した。それは「工夫」。練習の工夫、フォームの工夫、レースの工夫と、工夫は無限の楽しみとなる。
今回は写真はなし。伊調香の写真とも思ったが、オリジナルの適当な写真がなくあきらめた。 -
昨日は65歳の誕生日。年齢とトライアスロンについて。
昨日は65歳の誕生日で多くの方々よりFBなどでお祝いのメッセージをいただきました。特にトライアスロン仲間からのメッセージが多く、もしトライアスロンを始めていなかったらこうしたことはなかったことを目のあたりにし、トライアスロンを始めてここまで続けてきた重さを実感、改めて人生のおもしろさ、不可思議さに思いをはせました。心より感謝します。今回のブログはちょっと長くなります。誕生日の特別バージョンです。
テーマは65歳という年齢について。そして年齢とトライアスロンについて。
なお、身体はようやく回復してきました。今朝は抜けた気分です。お気遣いありがとうございます。
昨日は11時、13時と仕事のうちあわせ。そのあとの時間がオープンになったので、国立博物館の兵馬俑展へ。兵馬俑の大きさを実感することが目的であった。身長は180ぐらいか。体躯に厚みがあって、顔が大きい。いかにも格闘技が強そうで古代の男に触れた手ごたえがあった。しかし昔の中国人はこれほどに大きかったのか。
以前アトランタの博物館で南北戦争当時の民家展示を見て、ベッドの小ささに驚いたことがあった。昔の人は小さかったんだ。これは自然な驚きである。しかし昔の人はこれほどに大きく逞しかったというのは予想外の驚きだった。兵馬俑というと永遠の生命を願った始皇帝がクローズアップされる。一方私はこの時代の普通の人間に関心をもったのだが、兵馬俑の兵士たちはとても普通ではなかった。まさに威丈夫で兵士の緊張をはらんでいた。
そのあとは急いで映画「ブリッジオブスパイ」へ。映画への感想は「まあまあ、よくできた映画」なのだが、鍵となるセリフは「You are standing man=字幕は不撓不屈」。そしてこのセリフを口にするのがスパイであるが、スパイを「誇り高き兵士」として描いたところもこの映画のポイントだ。あるいは主人公の弁護士も「自らが望んだわけではまったくない、ふりかかった理不尽な問題に誠意をもって取り組む兵士」である。
ということで、昨日は図らずも「誕生日に人間や人生を考える」ことになった。
キーワードは「兵士」。人生を戦う「誇り高き戦士」。
さらに、昨夜の夢には亡き妻が登場した。亡くなって10年たち、夢に出ることはめったにないが、さすがに誕生日(笑)。細かくは覚えていないが、いろんな場面が登場して、どの場面も、例えばドアが開かないなどといった、ささいな、しかも前に進めないトラブルが発生して延々と言い争いをしている。「なんとかしてよ」と言われてお手上げな私はまったくの戦士失格なんだなあ。
いやいや妻と仲が悪くて、よく言い争いをしていたわけではない。ただし妻は私を兵士と見ていたのは確かだ。彼女のボディガードかな。よって言い争いも険悪なものではなく、二人の間ではしごく自然な、二人の間にだけ成立する親密な会話なのだ。
話は変わって、私は年齢については「年相応」を大切に考えている。15歳は15歳らしく、15歳だからできることをやっておく。背伸びはしない。それは健全な発育を妨げる。20歳は20歳。もちろん50歳は50歳。年齢をおおげざに意識することはなく、自然と年相応なことをして生きていくことが大事と思っている。
それでで65歳になった。こうした考えなので、アンチエイジングという発想はない。誰も抵抗することができないのが老化だ。トライアスロンを通して「老化防止」ではなく、トライアスロンを通して「老化実感」の意識、身体全体の老化を全身を使って確かめる感覚なのだ。
そんな考えなので、普段は年齢をあまり意識しないで生きている。年齢については自然な感覚で接している。しばしば自分の年齢を間違え、あるいは忘れてしまうほどだ。
でも65歳となると、思わず意識する。この年齢になれば定年となる。厚生年金と介護保険の手続き案内資料が届く。必要事項を書いて返送する。「おお、いよいよ高齢者か」の実感がある。さて、どうするか。そのうえで、年齢・人生とトライアスロンを考えてみる。
「老兵は死なず、消え去るのみ」とはマッカーサーの有名な言葉。
ただし人生では「消え去ること」はできない。
私は、老いたりとはいえ、恥ずかしながら、初々しく好奇心に満ち、緊張と同時に戸惑いを心に抱いた、なかなかドアを開けられない「Young Soldier」でありたいと思っている。
「人生とは苦闘である」はカールマルクスの言葉だが、人生は挑戦の場であり、それゆえに苦闘の場であるというのは共感する。なお、人生は挑戦であり、それは美しいとはまったく思えない。あくまで「苦闘」なのだ。ここは大切なところ。
よって65歳ならではの私の年相応の自然な心がまえは「Young Soldier」。
死ぬまで「Young Soldier」。
よし、その線でいってみよう。
2月16日誕生日 65歳の ヤングソルジャー
最後は年齢とトライアスロン。
私自身のささやかな体験からいえば、58歳からでも、なんの経験もなく始められ、「生涯スポーツ」として、とてもいいスポーツということ。自分がこの年齢であることを確かめ、かみしめるスポーツである。
私がトライアスロンで面白いと思うのことに一つが「やっているとこんなことがあるのだ」ということ。レースで「きついなあ」と思いながら、やっているとラクになる。スイムで「泳ぎきれるのか」と不安にかられても「現在、現在」と呪文のごとくつぶやけば、自然と「できる、できる」となっている。足の痙攣を意識しつつも走れている。練習で「今日は走れない」と思っても、身体が温まって調子がでてくることがある。もちろんその逆もある。
「やっているとこんなことがある。だから始めてみて、続けてみなくてはわからない」ことが面白い。さて、今シーズンはどうなるのか。
若人よ。年をとっても賢くなるわけではない。いくつになっても、明日のことは「やってみなくてはわからない」のだ。私はそんなふうにトライアスロンと格闘している。
「Young Soldier」としてトライアスロンを始めて続けていたら、こんなにも多くの仲間ができた。始めたときは考えもしなかった。いくつになっても明日は暗闇である。だから希望でもある。「Young Soldier」は怯えつつ、緊張し、でも続けてきた過去を糧として、明日へのドアを開けるために苦闘する。
どうも最後は説教臭くなってしまった。これも年相応なのかもしれない。
なお、「Young Soldier」という言葉は石田礼助から知った。
今回は時間もかかった。さあ、仕事、仕事!!
写真は兵馬俑展での兵士たち。おお、友よ!!