カテゴリー: トライアスロン

  • 藍コーチ、感謝です。市民トライアスロンにおける私のコーチ論

    藍コーチ、感謝です。市民トライアスロンにおける私のコーチ論

     私がトライアスロンに出会ったのは岩田聡コーチ。

    http://tryathlon.at.webry.info/200908/article_1.html
    一番身近なところで見ていただいてきたのが平野藍コーチ。
    平野コーチに初めてお目にかかったのは、初めての水泳レッスン。2009年8月の4日である。
    http://tryathlon.at.webry.info/200908/article_3.html
    25メートルスイマーの私が、まがりなりにも、海で、1.9キロを、1時間で泳げるようになった。ロードバイクに乗って走りながら水を飲めるようになった。キロ8分のランはキロ6分を維持して走ることができるようになった。
    いつも最後尾かタイムアウトだが、レースに出られるようになった。
    それは続けてやってこれたからだ。
    続けてやってこれたのは、藍コーチが身近で見ていてくれたからだ。
    藍コーチでなかったらこうはいかはかったとまでは言わない。
    しかし、藍コーチだから続けてこられたことは、確かなのだ。
    それは藍コーチのコーチとしての優れた資質とスキルであると思っている。
    その藍コーチが、ATA南行徳の担当から異動になった。ショック。
    改めて、藍コーチの存在を考えてみたくなった。
    私のなかでの藍コーチを、改めて確かめ、しっかりと胸に刻みたくなった。
    市民アスリートに対するコーチにとって、最も重要な使命あるいは使命を達成するためのスキルとは何か。ささやかな体験からの私的告白を試みる。
    ■練習の模範を示して解説する
    まず第一にこれをあげる。最も重要な使命とは、続けさせることなのだ。
    続ける意欲を継続してもたせることなのだ。
    そのためには、正しい練習法を、しっかりと納得させることがカギとなる。
    その練習を続ければ、必ずや何らかの成果が生まれることを納得させる。
    そして納得をさせるためには、「模範の明示と説明」が不可欠となる。
    具体的にはどういうことか。
    例えばサイドキックのスイム。その模範演技を示す。しかも、この練習がどんな意味があるのか、だから練習の際に何を気をつけるべきか、練習はどうあるべきか。これをしっかり明快に示す。
    あるいはランへと向かうウォームアップの際に、その練習法のフォーム、その意義、その注意ポイントを、美しく、そして的確明晰に、繰り返し伝える。
    市民アスリートが何をすべきかを示すというのはまさにこのことなのだ。
    そして、このことにおいて、藍コーチは常にエネルギッシュで明晰であった。
    模範演技はいつも美しく、常に熱心に、なぜこれが必要なのかを説く。
    だからこうすべきという模範を緊張感とともに示す。
    こちらはけっこう年もいっている。頭でわからないと行動はできない。生涯スポーツを支えるものは「納得」である。そしてこの納得こそが、信頼の種となる。
    頭で理解し、イメージを視覚に焼きつけ、その方策につき、論理的な納得を得る。
    この困難なプロセスを、藍コーチは自然に、軽々と示してくれた。特筆すべきである。
    ■できない要求はせずに見守る
    目の前にモデルが示されたといって、かんたんに出来るわけではない。というより、かんたんにできる人もいれば、できない人もいる。できない私はもちろん劣等感を感じる。しかも、できないからといって、コーチが特に私に注力すれば、衆人監視のなかで、劣等感はさらに高まっていく。
    できないからといっていたずらに叱咤激励してはいけない。私のようにまったくできないものに対しては、見つめることがポイントである。
    できないことは私自身がいちばんわかっていることへの基本的な理解があるかどうか。
    そして注意するときは、いま変われるレベルの注意を個々に行なう。そして黙って見守る。つまり、注意は誰にとっても、いま対応可能な注意に限定をする。だからできる。そして励ます。これはとても重要なことなのだ。
    できないからといって、特別に注意をされても、できるわけではない。衆人のなかで、できないことを叱責されるばかりの記憶が残るだろう。そうなったら、さよならトライアスロンは目前となる。
    続けるモチベーションの最大の要因は「プライド」である。
    藍コーチは間違いなく、私のプライドを支えてくれたのだ。
    見守るとはどういうことなのか。藍コーチは見守りの名人である。
    ■等しく接する
    ATA南行徳でも、年齢、能力は個々に異なる。私は最年長で、能力はいつも最後尾である。しかし、弱い、能力の至らない者も、若く、能力の高いものも、同じように接する。
    これは市民アスリートに対するコーチの接し方の基本のように思われる。
    なかなかうまく説明しがたいのだが、私は「距離感」のように感じている。だれに対しても同じような距離感で情熱を傾ける。ホットではくクールである。でもしっかりと見てくれている手応えを感じる。
    それはコーチとしての職業的誠意に基づくものであるように思う。プロ意識といってもいいだろう。個々の生徒に対してプロとして個々に接する。
    だから私にとって藍コーチはあくまで、尊敬をこめて「藍コーチ」である。決して親しみやすい「藍ちゃん」などではないのだ。
    ■声をかける
    レース前、レース後、休みが続いたとき、ケガしたときなど。ATA南行徳のメンバーは誰しも藍コーチに声をかけられた経験をもっているはずだ。声をかけられた嬉しさは言葉にできない。さらに、合宿や練習会のよびかけなど、チームの中心にはいつも藍コーチがいて、チームの文化を創ってきた。ATA南行徳チームの中心に藍コーチがいる。
    また夏に 重ねた日々が 胸焦がす
    もちろん岩田コーチもこうしたスキルを十分に備えている。というより藍コーチも岩田コーチに学ぶこと大であったかと思っている。いいコンビにめぐまれた。
    しかし、藍コーチは愛らしい。なんせ、私の長女と変わらない年齢なのだ。
    この一事をもってしてもトライアスロンを始めてよかった。
    藍コーチ、感謝です。
    そして、これからもご指導よろしくお願いします。

    最後に、藍コーチのファッションについてヒトコト。
    昔、夏のバケーションシーズンに1週間ほどパリにいたときのこと。世界から集まってくる観光客はそろってTシャツとジーンズであった。でも、アメリカの女子学生は見るからイモであり、パリの女子学生は素敵におしゃれであった。同じTシャツとジーンズでこうも違うのかと驚いた。
    私は藍コーチのファッションにパリジェンヌを見ている。
    写真は藍コーチのお別れの夕べ。
    ボーイッシュなヘアカットと紺のワンピースがなんとも素敵じゃないか。

  • セントレアまであと2日。高まる緊張、広がる不安。「やってみよう」と自分に言い聞かせる。

    セントレアまであと2日。高まる緊張、広がる不安。「やってみよう」と自分に言い聞かせる。

     いよいよ7日日曜はセントレア大会。スイム1.9km・バイク 90.1km・ラン 21.1km の総距離約 113.1km (70.3マイル)。もちろん初めての体験となる。

    緊張が高まっている。血圧もあがっている。(笑)
    そもそもこの大会への参加は、ATA月島の佐藤さんからのお声かけからスタートしたもの。佐藤さんは70歳を過ぎている大先輩で、昨年もセントレアを完走している。
    「岩崎さん、いきませんか?」
    「いやあ、私のレベルじゃあ無理ですよ」
    「ダメもとですから」
    という会話がきっかけで、怖いモノ見たさとでも言うべきか、年齢も考えれば今年はチャンスかも、と気分を変えての参加とあいなった。
    レースを展望してみると、何よりの心配は制限時間。
    スイム制限時間は70分。バイク制限時間は3時間44分(平均時速23キロ)、ランの制限時間は3時間(平均キロ8分)。
    私の希望的見込として、スイムは100メートル3分ペースで57分、バイクは平均23キロをキープ、ランはキロ7分でいけば完走できるはず、となるのだが、不安は大きい。
    スイムはともかく休みなく泳ぎ続けること。ここに尽きる。ポイントは精神面のコントロールにあり、出だしの500mを越えてリズムをつかむ。これにかかっている。
    バイクはアップダウンの多いコースであるという。苦手な登りをどう乗り越えるか、そして事故を起こさずにいけるか。これば「やってみないとわからない」。だから不安である。
    最後のランはバイク次第。普通であれば、キロ7分で走ることに問題はないが、昨年の九十九里トライアスロンではバイクの疲労で足が動かず、まめも割れてキロ8分のペースにまで落ちてしまった。自分のペースで走ることができれば、痛みさえ発生しなければ、走り切ることはできると思うのだが、ここも祈るばかりだ。
    全体の制限時間は8時間。希望的シミュレーションタイムは7時間26分となるのだが、いやいや、あくまで8時間内での完走が第一目標である。

    不安を払しょくすべく、積極的に考えてみる。
    スイムの準備は、すでに今年は海のOWSを3回。プラス横浜大会で手応えをつかんだ。大きな不安はあるが「自信をもって泳げばいけるはず」のレベルには来ている。先週土曜日のスイムトレーニングは「セントレア送別」と名打って、30分間ノンストップでグルグル回るというもの。これも出だしは緊張したが、一度も足をつかず、周囲のようすも確かめつつ泳ぐことができた。スピードアップのイメージもつかむことができた。
    バイクトレーニングは、4月から5月にかけて120キロLSDを3回。TailWindでの遠藤さんのご指導を2回。横浜では平均25キロをオーバー。
    ランは1月、2月、3月、4月と月1回ペースでハーフマラソンに出場。足の指を痛めるのが大きな課題であったが、フォームを変え、コントロールする感覚がだいぶわかってきた。
    直近の様子は、5月24日はバイク120キロ、27日は遠藤さんレッスン、30日は30分スイム+2.5キロラン×3本、31日は辻堂海岸でのOWS。
    大会はもちろん横浜トライアスロンでの完走。
    なんだ、けっこうやっているではないか。(笑)
    梅雨来たり 挑む気持ちを かきたてて

    この1週間は休養第一に努めた。体調は悪くはない。左足膝に軽い痛みがあるが、走りに影響するほどではない。
    今年は5月横浜、6月セントレア、7月昭和記念公演、8月沼津駅伝と手賀沼、9月九十九里、11月伊是名と月1以上にレースを入れた。
    トライアスロンを始めて今年は6年目、大会参加は5シーズン目。ようやくレースを楽しめる状態になったように思える。こんな私のこんな年齢でも進歩というものがあるのだ。感慨深い。
    先のことはわからない。健康、仕事、お金などの条件を考慮して、今シーズンは思い切って「やれることをやってみる」年にした。その象徴がこのセントレアなのだ。

    不安はあるが、前向きに、積極的に挑んでいくことを楽しみたい。結果はともかくとして「やってやろうじゃないか」の闘争的気分で「前へ、前へ」を言いきかせた8時間を過ごしてみたいと思っている。
    不安な気持も含めて、ワクワクしていこう!!!
    写真は参加誓約書と説明書。説明書を読み込むのがけっこう大変!!

  • セントレアまで1週間。OWSに出かけてなぜか思いをめぐらす心境

    セントレアまで1週間。OWSに出かけてなぜか思いをめぐらす心境

    セントレアトライアスロンまであと1週間。今日は辻堂のオープンウォータースイムのレッスンに行ってみた。波が荒くてほとんど泳げず。セントレアに向けた最後の泳ぎこみのイメージで行ったのだが、大半は波うち際でバシャバシャと遊ぶような感じとなってしまった。それでも荒波を乗り越え、波のはじけるその先に行くこともできた。

    荒い波が何回も続けて寄せてくるが、それでも一瞬穏やかになる波のリズムがある。また波は一律に寄せるのではなく、波と波の間に隙間があり、その隙間を狙うと引き波に乗ることができる。穏やかになった瞬間をとらえ、隙間を狙い足もしっかり使ってエイッと進む。すると波を乗り越えたゾーンに出ることができる。ここに来れば波の上下動はあるが、波頭の崩れはなくなる。
    そんな指導を受け、挑戦すること幾たびか。波をまともに受けて仰向けとなったとたんに引き波に足をさらわれ1回転。かなり怖い。こうなるととてもではないが意気消沈。いったん戻って息を整えてのやり直しとなる。そしてついに波を越え、ボードを持って浮くインストラクターの所へたどり着く。達成感を胸にインストラクターと共に岸に戻ったが、大波が来ると、手をつないで潜って波をやり過ごし、ボディサーフの感覚で岸を目指す。なお、インストラクターは女性であり、それもあって、なかなかエキサイティングが体験となった。これもトライアスロンを始めたからで、この年齢でこんなことをしていることになろうとは、考えてもみなかった。無心で遊ぶ感覚か。

    「遊びをせんとや生れけむ」は『梁塵秘抄』の有名な一説で、これは無心に遊ぶ子供を見る大人の心境なのか、あるいは「遊ぶことの豊かさ」を示した人生観なのか。人生観としても、たまには童心に戻って遊ぶことの大切さを説いたものなのか。あるは人生の意味は無心に遊ぶことにこそあるという宣言なのか。本来の意味を知る学はないが、私がこと言葉を思い浮かべるときは「人生の価値は遊ぶところにこそある」というイメージを描いている。だからといって「そうだそのとおり」と共感するわけではない。
    いま読んでいる「HARD THINGS」という本で、「人生とは苦闘である」という言葉に出会った。カールマルクスの言葉として紹介されている。そして、この言葉に何のためらいもなく「そうだ、そのとおり」と共感してしまう私がいる。
    そしてトライアスロンは遊びであり、苦闘である。
    何を言いたいのか?
    「苦闘もまた遊びとなる」「苦闘がなくては遊びとはいえない」などといった気の抜けた警句を言いたいわけではない。
    時として、人生を振り返るときがある。今日の私はそんな心境であったということだ。結論もでないことに、図らずも心を奪われ思いを巡らす。今日はたまたまそんな日であったということだ。
    さて、あと1週間をどのようにして過ごすか。今回の本題は「レース前の自己管理」なのだ。昨日のラントレで、右のくるぶしと膝に軽い痛みを覚えたが、まあ、悪くはない。十分なトレーニングを積んできたわけではないが、自分なりの準備は重ねてきた。
    仕事についても、先週金曜日5月28日に決算報告を終え、新たな年を迎える感覚がある。「しなくてはならないが、できずに気になっていること」は多々あるが、切迫した締切はない。
    ハードなトレーニングは今日で終わり。あとは朝の散歩とストレッチングをポイントとする。朝に目覚めのスイッチを入れ、身体の関節や筋肉に刺激を入れつつ緩めるということだ。アルコールはなし。夜は小食にして早く睡眠する。
    五月の陽 いのち駆り立て 走り出す
    今日は走り出す前のひと呼吸。
    結論を出すのではなく、結論が出るわけもなく。
    ゆったりぐるぐると思いを巡らす。
    そんな一日も大切に過ごしたい。
    決算の状況を見ながら税理士さんと話したことは
    「あと10年は走ろう。そのあとはその時に考えよう」
    写真は今日の辻堂海岸。

  • 横浜トライアスロン報告の2。今回はレースの報告。満足しています。

    横浜トライアスロン報告の2。今回はレースの報告。満足しています。

    横浜トライアスロンのリザルトです。

    トータル 1:56:38
    スイム  0:26:05
    バイク  0:55:41
    ラン   0:34:52
    なんとスイムは制限時間の25分を1分5秒オーバーしているではないか。前日の説明会で、制限時間で厳密にDNFとするのではなく、多少のオーバーで、当人が元気であれば公式記録として認める旨の説明があった。スイムであがったときに、係員から「急いで急いで」と声をかけられ、てっきり時間いっぱいとおもっていたのだが、記録をみてびっくり。しかしなんとか継続でき、最後は制限時間の2時間を切ることができた。大会の運営に感謝です。
    レースを振り返れば「全体として自分でコントロールできたこと」が最大の収穫。
    スイムは前半で大きく遅れた。なかなか水にのっていかず、集団からドンドンと引き離されていく。そこで気が付いたのがフォーム。バシャバシャと水をかくようなフォームで身体の伸びがまったくない。そこで後半はフォーム修正し、泳ぎの感覚をつかむことができた。この修正がなければ制限時間もはるかにオーバーしていたことだろう。
    それと、一度も休止しなかったのが嬉しい。いままではすぐに立ち泳ぎになってしまったが、今回はともかく休まず泳ぎ続けることを第一に考えていた。前半は自分に「休むな休むな」と言い聞かせていたが、後半はそんなことも考えず、無心でゴールを目指した。
    次いでバイクだが、あの曲がり角の多いコースで平均で時速25キロを超えることができたのが嬉しい。苦手な坂は1周で2カ所、3周なので合計6回となるが、1回目はこれまでと同じで失速。しかし2回目以降はスピードをある程度維持しながら登りきることができた。
    平地でも「軽くペダルを廻す」感覚を何回か感じることができた。この感覚になると、スピードはあがるが、身体は楽になる。「ああこの感じか」と自覚しながら走ることができた。
    最後のランは出だしはリズムがつかめなかったが、2キロあたりからキロ6分程度のペースにはいることができ、意識して追い込んでみた。気持ちよく走ることができた。30分切りは目標にできる手ごたえを得ることができた。

    といった具合で、レース中に意識しながら修正を加えて手ごたえを感じることができた。初めてレースというものを楽しむことができたような気がしている。しかも思い出のつまったコースである。沿道からは、多くの仲間から声援を受けた。スイムでのオーバーは残念だが、すこぶる満足している。
    レースを終えたあとは、ひとり中華街に行ってネギそばとチャーハンのセットを食べ、帰宅した。

    懐かしの 横浜走る トライアスロン
    6月7日にセントレア大会に出場する。
    スイム1.9km・バイク 90.1km・ラン 21.1km の総距離約 113.1km (70.3マイル)。横浜の4倍である。
    実は横浜大会はセントレアの準備・テストという思惑があった。横浜で惨敗したらどうであったか。そう思うとタイムオーバーでも続けさせてくれた大会に大いに感謝である。
    セントレアはダメモトと思いを定めての参加である。まだ制限時間の発表はないが、プールでは100メートルを2分30から40秒で回すことができる。3分のラップで泳ぐとすれば1.9キロで57分となる。休まず泳ぎ続けるイメージはできた。積極的に向かっていきたい。バイクは後半が苦手の坂道で、どうかなあと心配している。バイクを越えれば、ランはキロ7分のペースで2時間30分は現実的な目標になるだろう。
    などと電卓片手にいろいろと考えているが、正直な気分は「どうなることやら」。しかし、横浜での手応えを胸に、気持ちをしっかりもち、笑顔で、積極的に向かっていこうと思っている。何はともあれ、いい経験ではないか。
    写真は横浜でのバイク姿。このアングルだとお腹が目立たない。(笑)

  • 2015横浜トライアスロンの報告1 私の横浜への思い入れ。

    2015横浜トライアスロンの報告1 私の横浜への思い入れ。

    2015年横浜トライアスロンの報告です。語りたいこと、聞いてほしいことがたくさんあって、2回の分割になります。語りたいことの多くは個人的な思い出で、トライアスロンの観点からはまったく意味のないことかと思います。すみません。

    この横浜トライアスロンについては、私は個人的な思い入れがある。その思い入れは「ニューグランドホテル」につながり、このホテルの前をバイクで疾走することが、憧れであった。憧れというより、使命にすら思っていた。そのことをお伝えする。
    私は横浜生まれの横浜育ちであるが、その私が故郷の思い出として、大きな愛着を感じるているのがニューグランドホテルである。私の母親は横浜で生まれ、第二次大戦の戦火を受けてきたのだが「横浜市民はニューグランドホテルに感謝しなくてはいけない。戦後の食糧難の折に、ニューグランドの支配人が、横浜市民は飢えています、といってマッカーサーにかけあって、食料が放出された」という思い出話を、それこそ、何回も何回も聞いて、私は育った。
    なお、いま、そのことを歴史的事実として確認しようという気持はまったくない。ただ母はそう信じて疑いがなかった。そして、私にとっても、そのエピソードは、いまだに、横浜を振り返る基点となっている。
    次に、話は高校卒業に飛ぶ。私の卒業した高校では、卒業式は午前、そして夕方からニューグランドホテルで謝恩会をするのが通例であった。おそらくいまもそうであろうことを願う。卒業の前に、ホテルでテーブルマナーの講習もある。要は、社会人としてのスタートを飾るのが謝恩会で、午前の卒業式は制服であるが、謝恩会では、背広、ないしカクテルドレス姿となる。ちなみに私の高校では、1クラス50名のうち、10名が女性という変則的な共学であった。40名の男子が10名の女性を守るといったジェントルマンシップの校風があったかと思う。
    なお、私の通った関東学院というと、最近では金沢八景の大学といった認知も広がっているが、私の時代はあくまで、三春台(黄金町)の中高生活となる。
    さて、ニューグランドの謝恩会だが、まず基本的に私たちはこのホテルで謝恩会を行なうことに特別な意識をもっていた。謝恩会により、学生から社会人になるという一種のイニシエーションについて、誇りと愛着をもっていた。そして、この謝恩会において、男女それぞれ1名が代表スピーチを行うのだが、なんと、男は私が指名された。指名者は先生方である。なお、女性の代表スピーチは、学校の宗派(バプテスト派)の牧師の娘さんで、話も慣れており、誰にとっても異論のあろうはずがない。
    では、なぜ男は私なのか。成績は学年で50位程度でしかない。何か特別な賞を受けたこともない。いたって平凡で特徴のない、ただの男の子であった。ひとつ選ばれる理由をあげるとハンドボール部でキャンプテンであったこと。でも私がキャプテンであった間のクラブの成績はまったくさんざんで、いま、思い出すこともできないほどだ。おそらく適当だったんだろう。
    ニューグランドで一張羅の背広を着て挨拶をした。
    さらに、初めて付き合った彼女と別れたのもニューグランドであった。その日の待ち合せに彼女は来ることはなく、1時間以上待って、そのあと私がどこに行ったか覚えていない。
    ということがあり、私にとってニューグランドの前をバイクで走り抜けるということには、特別な思いがあるのだ。いまは市川の江戸川沿いに住んでいるが、横浜に行くたびに言葉にしがたい特別な郷愁を覚える。
    それがこの大会で、一昨年はスイムでタイムオーバーとなり、ニューグランドはかなわぬ夢となった。一昨年はオリンピック距離であったが、今回はその半分のスクリント。これでなんとかニューグランドホテルの前を疾走したい。私の横浜トライアスロンへの夢はここに尽きるのだ。
    だから「一度は」の気持ちなのだが、年齢も年齢で、だんだんと衰えていく。よし。今年で決着をつけよう、といった前のめりの気分での参加であった。
    春になり 始めよう 私の思い
    横浜トライアスロンはスイムの時間制限が厳しい。説明会でも「日本一厳しい」との発言もあった。制限時間は25分。これを目標にいろいろとやってきた。果たして結果は。
    無事完走したのだが、細かく見ていくとコトは簡単ではない。
    記録を見るとスイムは1分オーバーなのだ。ええ??
    詳しくは次回に。
    写真は私の走る姿だが、どうもお腹が出てみっともない。
    でも、これが私の姿で、私にとって気持ちの良い頃合い体型なのだ。
    「私は私」と開き直っている。(笑)

  • トレーニングに励んだこの連休。でもイマイチの体調でスッキリせず。

    トレーニングに励んだこの連休。でもイマイチの体調でスッキリせず。

    画像

    今日は連休の最終日。ATAの仲間と、印旛沼へのロングライドに出かけた。走行距離は約120キロ。テーマは新たしいポジションへの対応と坂道。ポジションへの対応はだいぶ自分のものになってきたように思う。やはり長い距離を走ることは有効だ。しかも巡航速度は約21キロ。平地を走っているときは25キロをちょっと超えるぐらいで、これがちょうど自分に合っていた。平地であれば30キロもこなせるが、とてもペダリングを意識する余裕はなくなってしまう。ちょっと余裕をもてる自分に合ったスピードでの長時間ライドはいいトレーニングになる。
    坂道のほうは、相変わらず置いていかれてしまうが、それでも少しの手ごたえはあったかな。私なりのポイントとしては、積極的に坂に向かっていくこと。これが第一。坂の手前から加速をつけて勢いよく登っていく。そしてペダルに意識を集中してクルクル回す。しかし、ちょっと長い距離になると、みるみる置いていかれてしまうんだなあ、これが。情けない。

    連休を振り返ると、土曜日はバイク20キロ+ラン3キロのブリックトレーニングを2セット。日曜日は片瀬江の島海岸でオープンウォーターの練習会。その後小田原に行き、小田原の祭りと味を楽しんだ。月曜は夕方に1時間半のスイム自主練。火曜日は1時間の朝スイム練習。自宅に帰って1時間のスロージョグ、そして今日のバイクトレーニング。こう書き出すとけっこう練習しているようだが、いまいちスッキリしない。
    というのは2週間に及ぶ風邪をいまだ引きずっている感覚がある。咳と痰はだいぶ収まってきたものの、練習後の疲れがいつになく大きく、咳と痰は昨日からぶり返し、今朝はだいぶ痛む状態に。トレーニングを休もうかと思ったが、「まあ、ようすを見ながら」と言いきかせてでかけて、何とか皆についていけたので、まあ、よかった。

    5月17日は横浜トライアスロンのスプリントで今シーズンをスタートする。横浜は一昨年にオリンピック距離で出て、スイムで足きりとなった。今回は750メートルを25分以内。100メートル2分40秒とすると、750メートルで20分となる。スムーズにいけばいいのだが、何かあるとアウトになるギリギリのところなのだ。
    そして6月7日はセントレア大会でこちらはミドル。スイム1.9、バイク90.1、ラン21.1。この大会に向けてバイクを鍛えているわけだが、さて、どうなることやら。7割がたはDNFと思っているが、まあ、私なりに、やれるだけやってみよう。
    五月の風 光を浴びて ペダル漕ぐ

    今年はトライアスロンを頑張ってみようと思っている。今後も息長く楽しむにはどの程度がいいのか、探ってみようと思っている。年齢と仕事の状態を考えると、今年はチャンスと考えている。
    ということで、今日は喉の痛みを感じつつ、頑張ってしまった。自己診断としては風邪を引きずっての気管支炎。明日の朝はどうなっているやら。医者に行ってみよう。
    トライアスロンを始めるにあたって大切にしたのが、ストレスをもたないこと。ゴルフなんてストレスになるだろうなあ。マラソンもスイムも記録を目指してストレスをためそうだなあ。でもトライアスロンは、ストレスが少ないように思えた。改めて、ストレスをもたずに楽しむことを大切に、と自戒する。
    画像は今日走ったコース。

  • 風邪をひいたおかげで「運動神経を鍛える」意識に目覚める。

    風邪をひいたおかげで「運動神経を鍛える」意識に目覚める。

     本屋に行くのは大きな楽しみだ。最近は大手の書店ばかりになって個人書店の個性が失われていることを嘆く向きもあるが、一方大手書店を眺めれば「いまの世の動き」が伺えて、私としては大手書店を味気ないとは思わない。ただし、これだけの多くの本が並んでいながら、それをまるで新聞を眺めるように目を通して、買おうとは思わない、買いたいと思う本に出合わないとなると、ちょっとうろたえた感覚になる。

    これだけの本がありながら、買おうという気が起らないのは好奇心の欠如ではないか、好奇心の欠如は生きる力の欠如であり、これは危ない、と考える。「最近は面白い本がない」などという嘆きは「最近は面白いと思う力がなくなった」という嘆きに思われる。書店は好奇心のバロメータでもあるのだ。
    といったところで、風邪をひいたこの1週間は本への意欲も衰えていた。確かに身体と頭はつながっているんだ。そんななかで、思わず手にとったのが写真の「運動神経の科学」。副題が「誰でも足は速くなる」。だいぶ前に買って、おそらくペラペラめくったとは思うのだが、記憶にとどまらず脇に置いてあったのを、改めて手に取ってみることになった。風邪をひいたおかげか、身体への好奇心が沸々と湧いてきたわけだ。

    さて、内容といえば、専門的な知識が多く、文章も読みにくいうえ、最後は著者が発明した運動機器の解説になってしまい、いたってとっつきにくい。一般向けの読み物にはなっていない。
    しかし参考になるところ大であった。お勧めしたい。
    私なりの理解を以下にあげる。
    運動神経は鍛えることができる。
    それは意図に応じた自然に身体を動かす能力を高めることだ。
    そのためには体の動きを脳で認識することがスタートとなる。
    イメージしなくてはマネージできない、というわけだ。
    一方身体は表面的な筋肉だけでなく、より全身を使った動きにより対応する。
    イメージを全身を使って表現するのだ。
    全身を使うための機器を著者は開発している。
    そのトレーニング施設が神保町にある。
    http://www.hi-sports.com/school/index.html
    機械を使わなくても「歩くことから運動神経を鍛える」という章がある。
    よし、まずこれを試してみようか。
    例えば、走るために足を出すのではなく、腰と共に足を出す。
    というより腰を出してその先に足がある感覚か。

    老化が進むなかで何より痛感するのは「躍動感の退化」である。具体的には身体を動かす可動範囲が小さくなり、加えて全身を使っての稼働ができなくなっている。さらに全身でリズムを表現する力がなくなり、血の巡りが悪くなっている。一部だけをチョコチョコ動かす状態になっている。
    老化は仕方ないことであるが、だいぶ錆びついた状態なのだ。少し油をさして全身を動かす感覚を呼び戻してみたい。さぞかし気持ちがいいだろう。ジムには通っているものの、すっかりご無沙汰している「エアロビックダンス」に行こうか、なんて考えていたので、そんな意識がこの本へと向かわせたのだろう。
    花疲れ 風邪に伏して 我思う
    この月曜に風邪にキャッチされ、だいぶ回復したものの、いまだに咳・痰・鼻水という呼吸器系炎症が収まらない。
    治ったら、より意識的に、身体づくりに向かいたいと思う。
    ①歩くことから運動神経を鍛える
    ②1日30分のストレッチ+筋肉トレーニング
    ③週1のエアロビックダンス
    ④できれば神保町に行ってみたい
    そのうえで、やはり体重だな。これが大変だけど。
    6月7日のセントレアトライアスロンに向けて、意識を向けていこう。
    4月からの新年度で、新しいプロジェクトも本格スタートする。
    今回の風邪も自分を振り返るいい休養と考えるべく、いまこれを書いている。
    今日は宮古島のアイアンマンに仲間が出ている。
    いまはバイクの後半か。
    さて、こちらはリハビリで散歩に出てみるか。

  • 新年度スタートの心境。バイクは遠藤流でいくことに決定。

    新年度スタートの心境。バイクは遠藤流でいくことに決定。

     新年度がはじまった。街には新入社員のグループが目立つ。桜は満開だ。私をトライアスロンに導いている岩田コーチは4月1日に婚約を発表した。実にめでたい。

    身辺周辺はざわざわとし、相も変わらず金繰りに頭を悩まし、心落ち着かぬ日々であるのだが、新たなプロジェクトもいくつかスタートしている。新たな価値を問いかけるものであり、海図なき航海に出帆する心境だ。心身の健康を保ち、常に緊張感をもって360度視界をめぐらし、希望をもって進んでいくことを自分に言い聞かす。
    こう書くと、なんだ、新入社員と変わらないではないか、と気がついて苦笑するのだが、その本意は、誰にとっても、年齢を重ねても、明日はいっこうにわからないということだ。
    学生時代、文芸評論家江藤淳のこんな言葉に出会った。
    「生きるということは、過去を見つめながら、明日への怯えを胸に、未来へと一歩一歩後ずさることである。時折肩をたたくものがあり振り返って未来へと顔をむける。人はそれを希望という」
    これは私なりの記憶と理解で、これを書くにあたって原典を確認したわけではない。しかしこの言葉は学生時代の私の心にしみわたり、人生観の基調となってこれまで生きてきた。ある人は明日の創造に希望を見出し、顔をあげて未来をみつめ、風を切って前へ前へと進んでいくことが人生と考えているのかもしれないが、私にはそう考えることはできない。未来は幻想であり、人は明日を過去としてしか確認できない。希望こそは生きる糧であるが、それは心のなかで作り出すものではなく、現実のなかで出会うものだ。
    そんな新年度ならではの心境のなかで、トライアスロンに話を戻すと、先週の土曜は船橋オートレース場でのバイク練習。さらに日曜日は印旛沼、手賀沼をめぐって103キロのロングライドと、バイクバイクの週末・年度末となった。
    バイクについてはポジションチェンジがなかなか馴染めない状態であったが、この2日間でだいぶ様子がわかってきたようだ。ポイントは無理なく自然に全身を躍動させること。その状態を探し出すこと、かな。
    バイクについては、どうやらさまざまな流派があるようで、どの師匠につくかがカギとなる。私としてはトライアソロンを始めるにあたってバイクを見立ててくれた遠藤さんを師匠とすることにした。遠藤さんは現在「Tail Wind」というトライアスロンショップをやっている。そこでオーバーホールをお願いし、ポジションチェンジに挑むことになった。
    具体的にはハンドルを前に出し、ペダルのクランクを5ミリ短くした。なんとかこれを身につけていきたいと思っている。そのために月に1回はバイクをお店に持ち込んで指導を受けるつもり。よし、この線ていってみよう。
    桜満開 心に期すや 新たなり
    今年も花見は靖国神社で日本酒熱燗を楽しんだ。
    トライアスロンを続けていけるのも仕事のベースがあるからだ。
    2014年度はいい形の地ならしができた年。
    2015年の新年度は地ならしから形をつくる年。
    長く続く形をつくらなくてはいけない。
    心に期すところ大である。

  • 仕事のほうは3月納品の最後の追い込み。明日は仕事を仕上げてアクティブレスト。

    仕事のほうは3月納品の最後の追い込み。明日は仕事を仕上げてアクティブレスト。

    毎週続けるつもりだが、とうとう先週はブランクになってしまった。3月末は行政関係の仕事の納品時期であり、福島県国見町の道の駅(2016年11月完成予定)の実施計画のとりまとめに追われていた。

    写真はその外観予定図。なかなかの迫力です。私の担当はこの施設内の「子育て支援施設」。こう書くと固いイメージですが「東北のママたちのネットワーク拠点」がコンセプトです。
    さて、話をトライアスロンに戻すと、まずはこのところ継続的に扱ってきた「左足の指の付け根が痛む」件。どうも、靴がしっかりとフィットしていない、靴の中での遊びが大きいうえ、ゴム紐にしているために足の遊びが大きく、それによって足の指を必要以上にたたきつけることになっている、ということのようだ。
    以前は大きな痛みはなく、フルマラソンも走っていたのだ。そのことを、その感触を思い出そう。しかし、進歩しているかと思えば、なかなかそうでもない。一筋縄ではいかないものだ、というのも、まあ、楽しみの一つと思っておこう。
    まずは、ゴム紐から普通の紐に変えて試してみよう。
    ちなみに、今日のラントレは1周2.1キロのコース。休み時間を5分とっての3周。1週目から、12分4秒、11分40秒、11分30秒と時間を短縮できた。3周目がいちばん楽に走ることができ、ちょっと手ごたえをえた。そして足の痛みといえば、ちょっと微妙だが、痛みを感じたわけではない。軽いしびれというところか。
    この件を取り上げるのは一段落。あとは新たに靴を探して向かっていこう。

    次の話題はスイム。問題はスピード。泳ぐ感覚はだいぶつかめてきて、藍コーチからも「もう一皮」と励まされているのだが、遅いのが悩み。皆さんと連なって泳ぐドラフティングの練習でも一人遅れてしまう。
    自分のペースのタイムは50メートルで約1分20秒。1分30秒のサークルであれば、まあ、安定して泳ぐことができる。まずこれを何とか1分15秒、できれば1分10秒まで短縮したい。それも無理せず安定して泳ぐところまでいきたい。
    で、どうするか。
    こう言ってしまうとあまりに当然の話であるが、やはりトレーニングしかない。ちょっと集中して泳ぐことに力を傾けたいと思う。
    以下にそのプログラムを書き出す。
    現在は火曜日と土曜日の週2回がATAのトレーニング。まずこれに週2回は自主練を加える。木曜は50メートルのサークルトレーニングでスピードアップを狙う。そして日曜日には技術トレーニングでフォームのチェックを行う。あと、自主練ではノンストップ500メートルを必ず入れる。
    それに加えて、オープンウォーターなど、別途の練習会に積極的に参加する。
    こんなところかなあ。
    ともかく、6月7日のセントレア(ミドルアイアンマン)に向けてスピードアップを強化する。
    菜の花が 彩り添える ランコース

    明日は板橋シティマラソンなのだが、納品の仕上げで不参加とする。頑張れば行けないこともないのだが、タップリと寝て回復したい気分がある。睡眠を十分にとり、スイムの技術練習でアクティブレストとしよう。
    アクティブレストとは私の理解では「練習としての休養」。いろんなことを覚えるなあ。

  • 今年3回目のハーフマラソン。あーでもない、こーでもないと試しつつ、痛みの出ない走りを模索する。

    今年3回目のハーフマラソン。あーでもない、こーでもないと試しつつ、痛みの出ない走りを模索する。

     この日曜日は「かつしかふれあいRUNフェスタ2015」。荒川沿いを走るハーフマラソンで第1回の開催。1月の谷川真理、2月のお台場FUNRUNに続いての今シーズン3回目のハーフマラソン。

    先の2回の大会では足の指をひどく痛めた。その原因はフォアフットにあるということで、今回のテーマは「足の指を痛めない」ように走ること。フォームとしてはフラットフットになる。果たしてこれで足は痛まないのか、あるいはスピードをあげて走ることはできるのか、そして何よりも自然に心地よく走ることができるのか。
    さて当日。前日の土曜日、前々日の金曜日も飲みが入りけっこう身体に効いている。最近は飲みが2日続くとダメージを受けるようになってきた。身体の芯が疲れたような感覚に胸焼けがひどくなってゲップを繰り返す。では控えれば、というのはわかるが、そうはいかないのが酒飲みである。
    当日は雨模様の天候。前日の夜は雨となったら取りやめと思って床についた。寝坊して慌てて目覚めると実に微妙な天候。降っているわけではないが、今にも泣き出しそうな空。どうしようかと思いつつ準備を進め、気になっている右足小指のマメを削ったらなんと出血。ああ。慌ててバンドエイドを貼るが小さくて大きなサイズに貼り替えなど、まったくの戦意喪失であるが、それでも準備は進み、落ちつかないまま外に出る。
    最寄り駅は京成の堀切菖蒲園。この駅に行くのも、この路線に乗るもの初体験。この年になっての初体験というのはなんでも面白い。ようやく気分も前向きとなってきたが、降りると雨が降り出した。帰ろうかと思うのだが、この雨がまた微妙で、とりあえず行ってみようかと、足を進める。そう、とりあえず、とりあえずと言い聞かせているうちに荷物を預けてスタートラインに立ったが、それでも降りだしたら10キロで止めようと言い聞かせる。

    いつものレースどおり、最後尾からのダラダラスタート。ほとんどハーフジョグぐらいの感覚で、息が切れない程度に走り出す。そうすると雨があがってくるんだなあ、これが。10キロ折り返しのところでUターンしようか迷いもしたが、ようやくそこで腹をくくった。
    ともかくフラットフット。それに加えて腕をしっかりと振り、一歩一歩直下にしっかりと足を落としていく体重移動の感覚を全身で確かめる。手元時計の感覚はキロ7分半ぐらいかなあ。ペースはあげず、ともかくフォームに意識を集中。エイドステーションではユックリ休んで給水。まんまLSDのトレーニングとなった。
    そして折り返し地点では、右はまったく問題ないものの、左に違和感が発生。さあ、本番はこれからだ。
    右はなんともないが左はだんだんと痛みが増していく。でも前2回のような耐えられない痛みは襲ってこない。さらに意識して腰を回すと痛みが和らいでいく。そのおかげか15キロ前後で、両足ともほぼ痛みのない状態となった。でも、ちょっと油断をすると痛むのだ、これが。油断というのは体幹への集中意識。この意識が働いて全身を使っている感覚があると、なんとかいけそうな気分となる。スピードも上げたり落としてみたり、ともかくいろいろ試して「痛まない形」を探し出す。
    そして最後の3キロは意識してスピードを上げてみた。といっても7分を切るぐらいだと思うが、このフォームで速く走るにはどうするか、そのイメージをつかみたかった。面白いのは足の痛みはスピードとは関係ないこと。スピードを上げても痛みが増すわけではない。フォームへの意識が働いたか、かえって痛みが和らいだ。
    雨空の 遠くを眺め 風寒し
    タイムはネットで2時間42分。今回は仕方ないな。手ごたえとしては70%。
    問題に向けていろいろと考えてみて、試してみて、修正をして、確かめて、悩んでみる。
    たぶん料理を作るのもそんな感覚かなあ。
    ポイントは連続的な行為であるということ。
    早々に帰宅して風呂。ダメージは前2回より少ないことに安堵。
    次に走るときはどうなっているか。土曜日の練習が楽しみだ。