カテゴリー: トライアスロン

  • 忙しかった2月を振り返り、仕事とトライアスロンをあれこれ考えてみる。

    忙しかった2月を振り返り、仕事とトライアスロンをあれこれ考えてみる。

     2月というのは、会社の決算及び確定申告の準備、年度末納品の仕事のまとめなど、バタバタと忙しいのだが、今年は3月11日に発行する32ページのフリーマガジンの編集があり、なかなか厳しい状況であった。フリーマガジンについてはなんとか間に合い、木曜日に校了で安堵。私は何はともあれ発行日を守ることが第一と思うタイプだ。井上ひさしは遅筆のために何回も芝居の初日をはずことがあったと聞くが、そうした求道的な作品至上の考えは肌にあわない。私はそんな風には暮らしていない。

    先週金曜は2017年春に完成予定の福島県国見町の道の駅の会議で国見町に日帰り出張となった。帰りの新幹線はシートを廻して5人で酒盛り状態。土曜朝も酒が残り、胸やけもひどかったが、我が身を励ましトレーニングへ。
    土曜のスイムは100メートル、50メートル、25メートルのタイムトライアル。100メートルが2分6秒、25メートルで多分26秒であったか。前回のタイムトライアルと比べるとタイムはかなり落ちており、やっぱりこの1か月の多忙、特にこの数日の寝不足と二日酔いの影響かなあ。本当に進まない。

    仕事の忙しさとトライアスロンについては、両立が前提、というよりいたって当たり前のことなのだが、この忙しい1か月を過ごしたあとに実感したのは、なんと身体を動かしたいとういう欲求だ。けっこう身体がなまったような、明らかに運動不足の感覚があり、日曜は曇天だったが江戸川沿に走りに出てLSDを1時間。たっぷり汗をかいたあとのシャワーの気持ちよいこと。だいぶトレーニングが身についてきたのかと感慨深い。

    さて。トライアスロンに挑戦することは仕事にもプラスに働くといった紹介をよく目にする。我がATA校長白戸太郎の『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』といった本もある。私が仕事ができるかどうかはさておき、以前順天堂大学の野川先生から「トライアスロンはむしろ年寄り向け。時間も金もかかる」と言われたことをよく思い出す。これもお金はさておき、確かに時間はかかるが、要は「時間管理」なのだ。若いうちは自分の時間を自分で管理できないことが多い。「仕事ができる人は時間管理がうまい」などともよく言われる。これをあわせると、トライアスロンはある程度自分で時間を管理できる立場にある人間に合っているという平凡な事実につきあたる。
    さて。ここまできてこのブログをどのように納めるか。

    大きく出れば、人生は毎日をどのような時間割で過ごすのか、ということに尽きる。そこにトライアスロンを含めば、その分何らかの時間が削除される。人生捨てなくては拾うことはできない。私が削除している時間をあげると、すぐに思い浮かぶのが映画と読書かな。あとはお酒。独身であるので家族の時間も削除されている。
    残念なのは映画と読書だが、そのぶん「いま何を読むか、何を観るか」の選択意識が強くなる。それでいいではないか。いつも今日はどの時間で練習できるか、を考えている。えらい貧乏性とも思うが、時間割に対するそんな意識は私にとっては心地よい。
    「最低限の荷物をまとめて狩りにでかける狩人」というのが、いまの私の基本イメージであるのだが、おそらく狩人にとって、確かな明日というものはなく、経験をバックに、風を読み、獲物を探しゆく毎日なのだろう。
    と、ここまで考えていくと、トライアスロンはまだまだ続けていこう、ということを確信する。まどこっろしいけど、このようの考えていくと、自分が整理できるようで、これも心地よい。
    いきなりの 吹雪にまかれ 一人きり
    写真は国見町の吹雪の様子。でも春は近い。レースまでの時間割が気になってきている。

  • 足の痛みを足と語り合う。じっくりゆっくり付き合っていこう、という枯れた心境。

    足の痛みを足と語り合う。じっくりゆっくり付き合っていこう、という枯れた心境。

      足の痛みというのは、難しい。この前の日曜にお台場のハーフマラソンに参加。天気もよく、まあ、調子よく走っていたのだが、15キロあたりから足が痛み始めた。主に左足の指の付け根が痛い。特に親指は指先から母指球にかけて痛む。足を地面に打ち付ける度に痛みが増し、右の足にも痛みが始まり、左足は、もう、電流が走るような痛み。あまりの痛さに立ち止まり、何回も歩くはめに。でも歩いても痛い。そこで痛みの少ないフォームを探しながら、ソロソロと走る。

    終わってソックスを脱ぐと、見た目はなんともない。まったく平気な面をしている。そして痛みもひいていき、足も引かずに歩いて帰路につく。あとは風呂に入ってモミモミ。じわっと痛みは残るが、常に意識するほどではない。なんだかなあ。
    この痛みは以前からあったが、それでもフルマラソンをこなしてきた。それがひどくなった。先月の荒川ハーフマラソンも痛みが出て最後は悲鳴をあげながらとなったが、立ち止まることはなかった。
    こんな状態ではとてもフルマラソンなんて出られないなあ、というのが直後の感想。

    そこでいろいろと考えることになる。前回のハーフでは、5本指ソックスが原因の一つかと思い、今回は普通のソックスにした。靴は前回はレース用のものだが、今回は練習用のものにした。こちらのほうが足に余裕があり、ゴム紐にしているため、着脱しやすく重宝している。前回より痛みがひどいのだから、この靴が原因の一つかもしれない。ソックスについては、まだ判断保留だが、当面五本指ははかないなあ。
    一番の原因と思っているのがフォアフットのフォーム。このフォームを意識しだしたのは、いつからだったか。去年は青梅、板橋Cityに参加し、共に完走できたのだが、さて、このときのフォームはどうだったか。なんと、思い出しても、よくわからない。でも、今年のマラソンシーズンは、フォアフットへの意識が高まっていることは確かだ。
    だから、フォアフットをやめてみる。これが一番ということで、今日のラントレはフラットフットを意識したのだが。今日のメニューはキロ7分のジョグを1時間だったのだが、45分で痛くなり、やむなく中止した。日曜の痛みが残っていたかなあ。
    そして足の底を鍛える。タオルギャザーなど、足指トレーニングを研究しよう。それとソックスだが、ショップで相談をしてみるか。

    足の痛みを振り返ると、初めに遭遇したのが足底腱膜園。ソールを特注した。次がアキレス腱。共にメインはあ左足で、今回の痛みも左足だ。身体のバランスなのかなあ。
    まめにストレッチングを行い、いまは双方ともなんとか何とか収まっているが、これもいつ出てくるか、戦々恐々ではある。
    つまり、いつも常にどこかが痛んでいるという感覚がある。
    そして、ストレッチも大切であるが、筋肉を鍛えることが必要との認識がある。
    それで、今回のことで感じるのは「まあ、仕方ない」。イライラせず、ゆっくり、じっくりと痛みと付き合い、いろいろとためしてみる。そうするといつしか痛みは薄れるか、なくなるか、違うところに移転する。まさに肉体との会話だなあ。
    足の痛みとの格闘の果てに、随分と枯れた心境になったことを実感。これを収穫としよう。
    菜の花や 走るリズムで 目にさやか
    春が近くなってきた。このところ、この1年のレース予定に取り組んでいるが、まずは5月17日の横浜・スプリント、6月7日のセントレアで初のハーフとなる。どうなることやら。セントレアをターゲットに身体をつくっていこう。
    写真はレースではいた練習用のシューズ。気に入っているんだけどなあ。

  • バイクをオーバーホール。今日は船橋オートレースをぐるぐる。

    バイクをオーバーホール。今日は船橋オートレースをぐるぐる。

     5年前に買って以来初めて、バイクをオーバーホールに出した。どこでオーバーホールするのか、大いに迷ったが、トライアスロンを始めたときにアスロニアの店長だった遠藤さんのお店TailWind http://www.tailwind1306.jp/にした。

    スイムもランもバイクも、自己流ではどうにもならない。では誰についていくかが問題となる。もちろん基本はATAのレッスンだが、それはベースで自己トレーニングが必要になる。
    特にバイクは指導を受けなければまったくわからない。果たして自分のフォームが適正なのか、ハンドルやサドルはベストポジションなのか、どのようにしてトレーニングをすればいいのか、わからない。わからないままにトレーニングをしても、もちろん当初よりはましになっているが、しっかりとした手ごたえをつかむことができず、大げさに言えば、闇の中での格闘となる。
    そこで、オーバーホールにあたっては、もちろん第一には価格だが、誰に指導を受けるのかが要となる。そこで、トライアスロンを始めるときにいまのバイクを決め、ポジション調整を行った遠藤さんにお願いしていこうと決めた。私の初めての状態を知っている人にお世話になっていこうというわけだ。

    バイクをもっていき、まずローラー台で漕いで見てもらう。そこでハンドルの位置を前にしてみようということになった。つまりフォームの変更となる。
    ただし遠藤さんによればフォームが問題ではなく、楽に体を動かすことのできるポイントがあり、その結果がフォームになる、ということ。
    そのポイントとは。あくまで私の理解であるが、1おなかを出す。これが第一。2手を内側から絞るようにしてハンドルを抑える。3腰と肩でリズムをとるようにして足を直下に落とす。4ペダルを足で漕ぐのではなく、まわっているペダルの上に足を乗せているような感覚をもつ。5これまではつま先に力を入れるため、かかとが上がっていたが、かかとを下げて地面と平行にする。これらが一連の動作となって、ネコ科の動物が走るような感覚で、前に進む。
    これまでは、懐を深く、背中を丸め、腰は動かさず、つま先で蹴るようにしていたのだが、まったく違うことになる。
    ちなみに、スイムの場合、ストリームラインの維持は基本中の基本であるが、いま受けているレッスンでは、無理してストリームラインはとらず、楽な位置に手を伸ばすことで、身体をフラットに保つことを重視する。

    要はその人にあった方法、ということである。私の場合、まず身体が半端なく硬い。筋力も十分ではない。体重は太目であり、年齢は64歳になろうとしているという状態にあった方法となる。その方法とは、私の考えでは「自分が楽な方法」となる。私にとってトライアスロンとは、苦しいことに頑張って取組むのではなく、楽に身体を動かす状態を手探りで探していくことなのだ。かっこつけて言えば「自己との対話」だな。
    よって「楽に体を動かす」ことを第一に説く遠藤方式でいくことにした。
    今回のオーバーホールでは、ハンドルの位置を前にし、ペダルのクランクを5ミリ短いものに取り換えた。
    そして今日は船橋オートレース場を借り切ってのトレーニング。さて、その結果は、なかなか難しい。走っていると、自然と腰が前にいってしまうのは、ハンドルを前に出したため。もっと後ろに座るようにアドバイスされていたが、なかなかそうはいかない。
    でもクルクルとコースを回りつつ、ポイントに集中していくと、少し感じがわかってきたかなあ。お腹と腰なんだよね。「いいかなあ」と思う瞬間は、お腹と腰の自然な動きを感じ、楽になった手ごたえは得たが、スピードが上がらない。いつものように一人大きくちぎられることになった。
    でも「ああ、確かに楽だ」という体験を我が身に刻んだことで、今日はよしとしよう。
    寒空に ペダルのリズム クルクルと
    寒かった。終わって仲間とららぽーとで食事。大いに賑わっており、初体験の私はお登りさん状態。
    初のオーバーホールを済ませたバイクを、初の船橋オートで初走行し、初のららぽーとで食事を楽しみ、さらにららぽーと内のサイクルショップ「セオサイクル」に行き、その大きさ、品ぞろえにびっくり。
    今日は初体験が重なった刺激的な一日となった。
    この週末、仕事の原稿が重なってしまったのだが、明日はハーフマラソン。大丈夫かなあ。よし!!リズムよくテキパキとこなしていこう。
    写真は船橋オートレース場。取り壊されないように500円の寄付をしてきました。

  • 今日は体重管理の話です。筋トレの身体づくりに向かいます。写真は昨日の昼食。なぜか写真が天地逆となる?

    今日は体重管理の話です。筋トレの身体づくりに向かいます。写真は昨日の昼食。なぜか写真が天地逆となる?

     なかなか体重が落ちない。これも年齢のことがあると思う。高校時代はハンドボール部だったので体重を考えることもなかったが、受験勉強に入って以降、ダイエットはいつも課題になっている。理想体重は33キロだが、ちょっと油断すると68キロ、そして70キロを超えるまでになってしまう。ちなみに身長は長らく170だったのに、最近はかると169と言われる。これも年齢化かなあ。

    さて、トライアスロンをやっているにもかかわらず、71キロとなった。焦って70を割るまでにしたが、そこからがなかなか減らない。今日久しぶりにはかってみたら68.4キロ。まあ、一安心だけど、満足ではない。
    思い起こすと、高校以降で33キロになったのは2回。1回目は大学生の時で、受験太りから脱却すべく、この時は単純に昼飯を抜いた記憶がある。
    次に太ったのは社会人になってからで、これは独身生活の不摂生。73キロぐらいとなった。それが28歳で結婚して68キロへ。結婚したら太るのが普通なのに結婚して体重が落ちるとは!!!ある女性から「お気の毒に」いうセリフとともに笑われたことを思い出す。笑うことかいな。
    でもそんなに厳しく栄養管理をされていたわけではなく、独身の暴飲暴食がまともな食生活になったということ。ちなみに妻はダイエットとは無縁のスリム体型。私の実感では、太めの奥さんだと亭主も太る傾向がある。食生活の問題だな。
    と考えると、私の妥当な体重は68キロ程度ともいえるのだが、40を前にして再び63キロに落ちる事態が発生した。なんと椎間板ヘルニアによる1か月の入院で、その間、寝ているばかりで、3食きちんと食べてこれだけ落ちた。理由を考えると「酒」。「酒」を飲まない。それだけで体重が落ちていく。
    しかも重要なのが63キロになると、身体が実に気持ちいい。軽く快適である。でも酒を飲まないのは楽しくない。当然退院後は見事にもとに戻っていく。
    その後、大きな生活の変化としては、50歳から57歳までの妻との闘病があるが、この間は体重どころではなく、どんな体重であったか、まったく記憶にない。
    次がトライアスロン。67キロぐらいでのスタートで、体重は落ちていくものと思っていたが、これが落ちない。体脂肪は20%を割るようになったが、体重は落ちない。
    でも「体は絞れてきたので、まあいいか」と軽く考えていたが、一昨年、忙しくトレーニングも大会も低調となったら、とうとう71キロになってしまった。

    そこで冒頭の「なかなか体重が落ちない」という話となる。
    落とす方法は「酒」と明快な因果関係がある。しかも年齢を重ねるとともに、酒を飲むと疲れるようになった。飲まない翌朝は目覚めがいい。それならやめろよ!!!と言いたいところがやめられない。でも、家ではできるだけ飲まないようにしようと、酒の買い置きはやめ、できるだけ飲まない日をつくる。
    でも、歳のせいか、なかなか落ちていかないのだ。
    体調好調な63キロにまで落とせば、トライアスロンも一段アップすると思う。
    長い前置きとなったが、これからが本題。週刊誌で次の一文に出会った。
    「加齢とともに痩せにくい、疲れやすいといった老化現象が現れるのは、成長ホルモンの減少も原因なのです。でも筋トレをすれば何歳のひとでも成長ホルモンの分泌量を増やせます」
    これかあ!!!と思った。もともとはウエイトトレーニングには関心がなかったのだが、最近は筋力の衰えが気になりはじめていた。特に下半身と体幹。でも体重低下に筋トレという発想はもっていなかった。
    ということで、筋トレ、やってみましょう。ただしジムでマシンというより、自宅で継続きるプログラムを考えよう。基本はこれまでもやっていたストレッチに筋トレを加える。 朝夜10分ずつをできるだけ毎日。加えて週2回は1時間はいきたいなあ。まずこれで手ごたえを感じるところまで、手探りでいってみよう。
    ダイエット 昨日も今日も 豆腐鍋

    朝食は食パン1枚に温泉卵、牛乳。昼食は外食が半分ぐらいで、写真は昨日の昼食。茅ヶ崎の「おかむら」というお店で、もちろんおいしかったです。
    そして夜は意識して鍋。豆腐に鶏肉、鱈、白菜が定番。何もないときは白菜に、なんとソーセージをぶちこみポン酢で食す。高血圧にもいいメニューと思っている。

  • 高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

    高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

     高血圧の治療について。どのように書いていこうかと思いつつ、なかなか気持ちが定まらない。状況の説明はできるが、その状況をどのようにして受け止めていくのか。それが定まらないと書き始めることが、なかなかできない。いやいや、それは書いているうちにはっきりとしてくるだろう、書くということは見えている結語に向かい言葉を構築することではなく、言葉をつぐみつつ、何かを見出していくことであり、思考とはそのようなものだ、とも思う。

    まあいいや。始めてみよう。
    直接のきっかけは作年末、12月の運動測定検査。東京都体育館で行っているもので人気のプログラム。申込みも大変で、指定された解禁時間に電話を重ね、ようやくにして申し込んだ。
    検査は口に呼吸計測器をつけ、ベルトの上を走るというもの。前々からやってみたったんだ。それが、高血圧でできなかった。口に装置し、ベルトの上に乗り、歩き出したのだが、その時点で血圧が200ということで、中止となった。いやあ、ショックだった。
    プレイを始めて中止となるのは本当につらい。まず呆然とし、そして、恥ずかしさが襲う。トライアスロンでスイムのタイムオーバーで中止、あるいはマラソンでタイムオーバーと、中止は何回も経験しているが、本当に情けなくなる。どんな表情をすべきかさえ、わからなくなる。
    それはそれとして、血圧の話。
    トライアスロンを始めた当初、5年前に人間ドックに入ったが、その時点では問題なし。それからの変化と言えば、トライアスロンを始めたことであり、それが高血圧の原因なのか。そんなわけはないだろう。端的にはまず老化、あるいは食生活。特に塩をとっているわけではないが、やはり独身生活のため、調理済食品をボイルして食べるといったことが多く、その影響かなあ。
    でも、何より老化だろうな。であれば、どのようにして付き合うか。
    まずは、ちゃんとした診断を受けること。それでNTT関東病院へ。この病院はもう「内科」というものはなく、心臓内科、循環器内科など、細分化されている。私は高血圧腎臓内科となる。そこで血液と尿検査、心臓エコー、毎日朝晩自宅の血圧計で血圧を測る。薬を朝食後にとる。
    初診から約50日。今日は2回目の診断日。今日は心臓エコーと尿検査の結果がメインであったが、尿はきれい。心臓は「左室肥大傾向」で「中隔壁厚」が標準値7~11ミリのところ、ぎりぎりの11ミリ。これが問題とのこと。
    血圧は上が140前後なので、これを10下げたい。そのために、薬(ノルバクス)の量を2倍にする。
    63歳の年齢からすれば、また、父親は高血圧で、母親も脳梗塞を患ったという遺伝を考慮すれば、まあ、それほどひどいものではないように思う。
    そこで医師に質問。「トライアスロンをやっていて5月の大会に出るのですが、19度の海水に飛び込むことになるのです」「ええ、、、、」「どうですかね」「トライアスロンですか。ジョギング程度であれば問題はなにですが」「それはわかります」「では、5月までにあと10下げるようにしましょう」ということになった。
    医師は若い女医さんで、多分30歳前後ではないかなあ。あまり会話が広がらない。「5年前の人間ドッグは問題なしで、その後変わったことはトライアスロンを始めたぐらい」と投げかけても「塩分ですかねえ」ぐらいで会話が途絶える。
    しかし、的確な対応ができればいいわけで、応対の器用さが大きな問題であるわけでは、もちろんない。

    さて、私なりの整理としては、欠かさず薬を飲む。そして体重を落とす。トライアスロンは続けていく。ただし、急な気温変化は要注意。とくにスイムのスタートに要注意。
    これらが主な対策方法であるのだが、それ以前に、この5年間で、もう一段老化が進んだわけで、それにふさわしい日常生活のありかたをつくっていくことかと思っている。
    トライアスロンをすることで老化に抵抗するのではなく、トライアスロンによって老化に敏感になる、というのが私の持論だが、今回の高血圧はまさにこのことかと思う。
    老化とは、増えていくハンディ、不自由を重ねつつ、身の丈に合った、それなりの暮らしのありかたを模索していくことのようだ。
    年明けて 暮らしの形を さぐるなり
    考えてみると、25年前に椎間板ヘルニアで入院して以来、なんら持病のないままにここまで齢を重ねてきたわけで、その間、タバコも酒も楽しんでいたことを考えると、丈夫な体に生んでくれてた母親に感謝の心境だ。

  • なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。

    なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。

    どのような動機、経緯でトライアスロンを始めたかについては、当ブログで書いてきたが、なぜこのブログを書くことになったかについては、まだ触れていないことにきがついた。今日はそのことについて紹介します。なお、トライアスロンを始めたことについては、当ブログの第1回より縷々綴っています。ぜひご一読を。

    このこともちゃんと触れてこなかったが、私のベースをなしている仕事は雑誌や書籍の編集である。40年前に編集から仕事のキャリアをスタートし、企画、取材、カメラマンやデザイナーへの発注方法、そして原稿作成のノウハウを学んだ。本には「実用」という分野がある。健康、美容、旅行、学習、受験、料理などがそれにあたり、私はその世界でキャリアを積んだ。明星ヘアカタログ、ブルーガイド情報版などは創刊号からかかわり、日本テレビの3分間クッキングも数年間担当していた。
    それが博覧会や展示会の世界にかかかわったことから、マーケティング、セールスプロモーション、イベント、地域開発といった領域の仕事がメインとなったが、いまも編集の仕事は続けており、というよりも、それがイベントであれ、店舗であれ、基本は編集者として取り組んでいるという意識がある。
    つまりこのブログも、実用誌の編集者兼取材記者として、我が身我が経験を取材対象に、一つのルポルタージュとして、取り組んでいるものなのだ。社会が高齢化していくなかで、私のような年齢になってトライアスロンに興味をもつ人も増えていくであろう。あるいはトライアスロンに限らず、スイム、バイク、ランを始める、さらには60近くになり、まったく経験のない何かを始める人を読者と想定し、書き始めた。さらに言えば、トライアスロンを始めたのには、それは書くに足るものである、という意識さえあったと思う。例えばテニスを始めた、ではインパクトがないだろう。
    書店に行けば専門的な技術書は並んでいる。しかし、生活管理や心境も含む、初心者であるから気がつき、書けるものはあり、それなりに意義あるものとなるだろうという思惑があった。
    まずは初の練習から、トライアスロンの完走まで。これで一つのストーリーにはなるであろう。ではそのあとはどうするか。実は昨年、一昨年とブログの更新が停滞していたのは、仕事の影響が大きいが、そのあとのストーリーが見つけられなかったこともある。ルポであるのだから、日記ではない。私の日記が公開に値するとも思わない。ささやかであれ、何らかの役にたつ「実用的」なものとしたいが、実用となる根拠は「年齢のいった初心者」ということのみであり、初心者でなくなっては、私は果たして取材の素材となり得るのか、という思いがあった。

    そんな経緯を経て、今年は毎週定期的に書いていこうと前向きになっている。ひとつには、あるテーマのもとに取材を続け、継続的になんらかを書き続けるということを強く求めていることに気がついた。書くことは自分自身の生きる問題なのだ。では「実用性」はどうなるのか。この点については、生涯スポーツに取り組む一つのケーススタディとして、何らかの意味もあるのではないか、と思い定めた。であれば、依頼はない週刊誌の連載のように書いていこうと思っている。
    よろしくお願いします。
    今日は5キロランのタイムトライアルがあり、時間は27分30秒。キロ5分30秒のペースだ。だいぶ早くなったが、まだ一段あがれる感触もある。今週は寒かったが、無理に外に出ず、自宅でのストレッチに時間を使った。それがよかったように思う。要は身体づくりであることを痛感している。
    寒気吸い 激しい呼吸で ひた走れ
    最後に下手な俳句もどきを入れているのは、最後の「ジャンジャン!」という〆のようなもの。ご笑納ください、といったご挨拶で、私はこれで気が落ち着く。この俳句は勧めてくださった方がいて、そのアドバイスに深く感謝している。これを入れているから続けられたかと思う。
    写真は今日手元にとどいた新しいバイクウエア。ちょっと窮屈だけど、そのぶん身体を絞ることに向かおう。

  • 2015年の正月。バタバタとしてボーっとして情けなく。

    2015年の正月。バタバタとしてボーっとして情けなく。

    貧乏性というのだろうか。ボーっと何もせずに過ごすことが苦手だった。それが、いつからか、ボーっとする時間が増えてきた。あることから、次のことにすぐに移らない。移ることができない。ソファーでボーっとし、あるいは横になる。

    この正月は1日に5キロランの練習から始まり、4日はATAの初詣ランに参加して17キロのラン。6日からスイムの練習スタート、10日土曜日はスイム&ラン、11日は谷川真理ハーフマラソン、12日はATAの新年会を兼ねての皇居駅伝で、3人1チームで一人当たり皇居を1周する。ハーフマラソンのタイムは手元時計で2時間24分35秒。天候にも恵まれ、前半は好調であったが、後半足の痛みが出て失速した。痛みというのは足の指の付け根。以前も痛くなったのだが、今回その原因の一つが分かった。5本指ソックスだ。指の付け根に布が食い込んで痛む。一歩一歩走るたびに痛む。でも原因がわかったのが収穫。
    皇居駅伝はハーフマラソンの翌日ということもあってか、なんと北の丸あたりの登り坂で歩いてしまった。足が痛んだわかではない。息が苦しく足があがらなかった。情けなかった。タイムは気分が悪いので見ていない。

    仕事のほうも、年始の打合せがけっこうたてこみ、朝早い日が続いた。これまでの準備を経て今年から本格化するプロジェクトもあり、期待が胸を満たす。
    13日は東海大学湘南キャンパスから茅ヶ崎へ。14日は福島県国見町への1日出張と移動も多い。
    15日は合間を見つけるようにしてロマン・ポランスキーの「毛皮のビーナス」へ。ポランスキーはその経緯をずっとライブで見てきた作家で、ひときわ愛着がある。この作品はポランスキーならではの小品で、味わい深く、楽しんだ。こうした映画を、信頼する少数の仲間とともに作ることのできる贅沢をうらやましく思った。
    16日は午前中に2つの打合せを済ませ、午後はプールで1時間。翌日はスイムの400メートルTTなのだ。テストで泳いで11分40秒。なんとか11分は切りたいよなあ。
    それが、いよいよ本日14日の本番では、どうも息があがり、なんと250を超えてから、ターンのたびに足をついてしまう。これも情けない。これもタイムは見ていない。
    スイムの後のバイクは風が強く、ひとりちぎられ、さらに情けない。
    そして今日の午後は、思わず、ボーっとソファーで横になる。掃除洗濯、仕事のメール、週明けの仕事への準備など、やるべきことは横において、ボーっとして自分の力を取り返そうとする。
    ボーっと見ているテレビでは阪神淡路大震災の特集が流れている。思うことは、日本人、あるいは日本のシステムを信頼している自分がいるという実感だ。
    人間にはボーっとする時間が必要であるといわれる。それは日々の滋養であるといわれる。でも、最近まで、そんなことは考えてもみなかった。
    それが、最近はボーっとする時間が増えているなあと実感する自分がいて、そんなことを考えている。
    刺すような 冬の風と日差しに 青い空
    明けましておめでとうございます。バタバタと今年もスタートしました。
    トライアスロンは情けなく、ボーっとしている自分を抱きしめてのスタートです。
    この正月の読書はバルザックの「ゴリオ爺さん」とデカルトの「方法序説」。特に意図してこの2冊を選んだわけでなく、食物を求めるように選んだのがこれで、たぶん考えることに関心が向かっているのだろう。ここには困難に立ち向かい、自分で考えようとする大人の思考のプロセスがあるので、心が落ち着いてくる。新年にふさわしい2冊だったと思う。
    写真は初詣ランのものです。
    今年もよろしくご指導ご鞭撻お願いします。
    皆様のご健勝をお祈りします。

  • 風邪・気管支炎で3週間のブランク。そして高血圧の診断の年末。

    風邪・気管支炎で3週間のブランク。そして高血圧の診断の年末。

    明日は大みそか。この年末は長引く風邪。結局回復までに3週間もかかってしまった。これほど長きにわたったことはちょっと記憶にない。今年の風邪は長引くとはよく耳にするが、果たしてこれは今年の風邪の特色なのか、あるいは老化現象の一つなのか、などど考えてしまう。
    この3週間の間、まずは市販薬で早めの対策を講じたのだが効果なく、自宅近くの耳鼻咽喉科へ。喉が痛むので内科ではなくこちらを選んだのだが、診断は風邪。咳止めなどの薬をもらったが、これも効かない。ついでドアをたたいたのが仕事先近くの内科。こちらではなんと咳喘息の診断。聴診器で聞こえる肺の音がちょっとおかしいとのことなのだが、どうも釈然としない。ネットで調べると咳喘息の特徴に「から咳」があるのだが、こちらは黄色い痰が出るのだよ。
    この間、仕事は立て込んでいたが、主に年末締め切りのデスクワークであったことが幸いしてできるだけ自宅作業。トレーニングはまったくのゼロ状態。ストレッチでもやっておこうかとも思うのだが、なかなか身体を動かす気分にならないものだ。
    そして22日月曜日。じつはこの日はNTT関東病院で高血圧の診断結果が出る日で、ついでに呼吸器科の診察を受けた。レントゲンの検査も受けたが、肺はきれいとのことで一安心。診断は気管支炎で、ようやく納得。これまでとはまったく違う薬を処方され、その薬のおかげか、あるいは快方へと向かう時期だったか、日々薄皮一枚を重ねるように回復に向かう。でも25日の「クリスマスでも泳ごう会」というスイムトレーニングは大いに迷ったが体調と相談して欠席。26日は納会でなんと11時からアルコールという状況で27日土曜日、3週間ぶりのトレーニング。
    3週間まるで動かなかったので、おっかなびっくりの参加だったがのだが、スイムもランもリレーというプログラム。さらに夜はそのまま南行徳チームの忘年会。
    さて、その翌日日曜日は。喉の違和感はかすかに残っているがおおきなダメージはない。安堵。でもバリバリと身体を動かすような体調でもない。それでも外に出て3キロのウォーキングに1時間のスイム。ここでようやくに回復を実感。
    今回の風邪には大いにてこずったが、ひとつの収穫があった。それは身体の声に耳を傾ける感覚だ。スポーツをしてもいいといわれても、なんか身体が前に向いていかない。そこでじっと身体の声に耳を傾ける。クリスマスのスイム連のときは、茅場町駅のベンチに座り、行くかやめるか、15分もかけて身体に問いかけ、中止と決めた。
    これを機に、この身体に問いかける感覚をしっかりと身に着けておこうと思った。一つ一つを確かめる感覚かな。
    寒空に 風邪の我が身に 問いかけて
    この3週間はなかなかに長かった。歳をとると1年があっという間に過ぎてしまうという。でも、なぜか、私にはその感覚がない。今年も長かった、が実感なのだ。今年の正月は遠くはるかな昔のことのように思えてしまう。まさか健忘症のボケ症状とか。

  • 風邪をひいてしまった。もう1週間になる。なんとかならないか。

    風邪をひいてしまった。もう1週間になる。なんとかならないか。

    先週土曜日は練習後、夜はカラオケ大会だったのだが、どうも練習後にちょっと昼寝をし、目覚めて喉に違和感を感じ、カラオケでも「風邪の到来」を感じ始めていた。それ以来、風邪の症状が続いて、もう1週間となる。
    症状は第一に咳と痰。そして鼻水。鼻水も粘着性で、痰と一緒。この1週間は展示会の取材など、外に出て体を動かす仕事が多く、なかなか回復してこない。今日・日曜になってようやく快方に向かっている手ごたえはあるものの、身体はだるい。
    幸いにして、今日の外出は選挙・クリーニング・スーパー程度で、これらは午前中に済ませ、昼からはソファーで横になりながら大学ラグビーをテレビ観戦。
    明治はかろうじて関学に勝ったけど、すっきりしない試合だったなあ。吉田、永友、元木のころの明治がなつかしい。関西の大学は全敗。関西フアンのストレスはいかばかりかと思う。
    テレビ観戦の休養がうまく働いてなんとか明日には体調もすっきりとなってはくれないか、というのが今の願い。
    このところ、毎年2回は必ずといっていいほど風邪をひく。感覚的には60歳を過ぎて風邪をひきやすくなったようにも思う。主な症状は喉と鼻の炎症で、特に喉の炎症と咳に悩まされる。そこでネットにあたってみるとこんな一文に出会う。
    『風邪をひく度にエイジング(老化)を加速させているのです。inflammation(炎症)とaging(老化)を合わせた「inflamm-aging(インフラメイジング)」という言葉もあるように、炎症と老化には深い関わりがあります。実は、風邪をひくことは炎症の一つでもあるのです。喉が腫れたり熱が出ることは、炎症を起こしているというサインなのです。』
    確かに、喉、鼻、そして全身が炎症している感覚がある。風邪が老化を加速というのはともかくとして、老化も風邪を加速させているように思う。老化~免疫力低下~風邪をひきやすい~風邪が治りにくい、ということなのだろう。
    私の場合は、55歳から一人暮らしとなって8年。食事の状態が悪くなっているのかもしれない。疲れも免疫力を低下させるので、トライアスロンも風邪をひきやすくする要因になっているのではないか。運動選手は風邪をひきやすいというのを読んだこともある。
    さて、そこでどうするか、だ。
    私の発想では、まず、歳をとって風邪をひきやすく、回復に時間がかかるようになることは仕方のないことだということ。それはいたって当然、自然の老化現象である.
    だから、その避けることのできない事実を、できるだけ気持ちよく受け入れる方法を考えよう。
    具体的にはできるだけ睡眠をしっかりとること。普段はシャワーなのだが、ちゃんと入浴して身体をリラックスさせること。食事は規則正しく野菜を多くとること。つまりはユックリとしたリズムで暮らすこと。そのうえで、うがい、襟巻など、一般に言われる予防策をまめにとること。そんなところかなあ。
    新しいことは何もない。現状を静かに受け入れ、そのうえで落ち着いて暮らしていくこと。そうしたことなんだ。風邪ひとつにしても、改めて暮らしのありかたを考える。
    独りなり やまぬ咳にて 冬の朝
    トライアスロンのおかげで身体への感覚は間違いなく敏感になっているようだ。
    それにしても、そろそろ治ってほしい。明日の目覚めに期待したい。

  • 生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について

    生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について

    どうしてトライアスロンを始めたのか。ことの経緯についてはこのブログで綴ってきたが、改めてもともとの動機を振り返れば、60歳以降も続けられる適当な「生涯スポーツ」を探していた、ということがある。
    生涯スポーツとして、まず関心をもったのが合気道だ。その理由の第一は、歳をとって転ぶのは大変に危険なことで、下手をすれば命取りにもなる。そのリスクを軽減するには合気道がいいのではないかと考えた。また、一度も格闘技の経験がないので、男たるもの一度は格闘技に挑戦、との思いがあった。もう一つは社交ダンス。音楽に合わせて身を動かすのは好きで、女性が相手となるのも、新しい世界が広がりそうで期待をもった。
    そして合気道も社交ダンスもネットで調べてもいたのだから、そこでピンと来ていたらそちらに行っていただろうと、まじめに思う。
    それがあるパーティで大学時代にトライアスリートだったという人との会話から、トライアスロンへの歯車がまわっていった。
    そして5年がたったのだが、今日のテーマは「生涯スポーツとしてのトライアスロン」。それも、私と同様に、60歳近い年齢で、まったくの経験もなく始めるスポーツとしてのトライアスロンってどうなのよ、ということを考えてみたい。
    トライアスロンにはいろんな距離があるが、いまスタンダードになっているのはオリンピック距離。スイム1500メートル、バイク40キロ、ラン10キロ。このオリンピック距離を考えてみて、完走までいけるのかどうかといえば、いけると思った人はいけるというのが私の実感だ。別に根拠がどうこうというわけでなく、60年近い人生経験をベースに、なんとなくいけるという人は、続けていけばできると思う。60歳のあなた。ぜひ挑戦してください。「その気になった人にとっての生涯スポーツ」としてはお勧めである。
    そしてもうひとつ。日本トライアスロン連合はトライアスロンでの事故防止を呼びかけるメッセージで次のように語っている。
    『トライアスロンはスイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)を自然の中で連続して行う魅力的なスポーツで近年愛好者が増加していますが、残念なことに競技中の死亡事例が発生しています。トライアスロンは、「レジャースポーツ」としてよりも「競技スポーツ」として認識し、十分に準備をして大会に臨んで頂くスポーツです。』
    この一文を初めて読んだときには「なるほど」と思った。競技スポーツであることはトライアスロンの大きな魅力である。ランを趣味とするが競技には出ない。スイムは好きだが大会に出ることはない。それは大いにある話だが、トライアスロンのトレーニングをしていながら競技に出ないということは考えられない。競技を目標に準備を積み上げ、仲間とともに完走を讃え合うことこそ、トライアスロンの醍醐味である。
    次はどの競技を目指すのか。周囲を眺めていても、能力のある人はアイアンマンに向かう傾向があるようだ。私の場合、とてもそれだけの能力はなく、むしろオリンピックの半分のスプリントに的を絞っていこうか、とも思っている。スプリントは幕張、横浜八景島、昭和記念公園、横浜山下公園など、比較的近場で開催される。レースも昼には終わってしまう。能力の高い人はスプリントの名のごとく、陸上でいえば中距離の感覚で、大変にきついレースとなるが、私の場合、スプリントでものんびり行くのでそれは問題がない。気軽な生涯スポーツとして楽しむには、近場のスプリントという選択もあるのだ。
    たそがれる 光に向かう 命かな
    書き出してみると長くなりそうで、次回も同じテーマでいきます。60を過ぎて漫然と生きていくわけにはいかない。60を過ぎると誰しも、多少は哲学することになる。あるいは宗教に魅かれることにもなる。それが自然な感覚と思う。
    今回は尻切れトンボでまた次回に。
    今日はスイムのタイムトライアル。はっきり覚えていないが、多分100メートル2分4秒、50メートル57秒、確かに覚えているのが25メートル23.2秒。これは嬉しかった。なんとなく、まだ2段ぐらいの伸びしろはあると感じた。頑張っていこう。。。。