金曜の夜に友人と酒をのみながら、本当に疲れたなあと思った。この週末は疲れをとることに専念しようと思った。土曜は朝6:30からのラントレであったが、すぐに息が切れてアップのジョグに一人だけついていけない。あっという間に全身汗びっしょりで、自分でも驚くほど。次いでのスイムは身体を冷やしたおかげか、多少なりともアップができたおかげか、まあ、こなすことはできたものの、相変わらずの意気消沈。
ママチャリで帰宅の道すがらで雨、またたく間に雨脚が強くなり、逃げるように家に駆け込めば、まるでタイミングを合わせたような豪雨。その後も降ったりやんだりの不安定な天候。早々に食事をすませると、ともかく寝ることに決めて文庫本数冊を片手に横になり、雨音を聞きながらうとうとと寝たり醒めたりで一日を過ごす。
年に数回、疲れてただただ眠る日が訪れる。すると翌日はかなり回復する。私の貴重な癒しの日であるが、この土曜日がその日であったようだ。特に夏休みもなかったので、この日を夏やすみと考えよう。
十分な睡眠を得て、それでも日曜に起きたのは8時過ぎ。ともかくよく眠れる。
今日は亡き妻の命日。仏壇を掃除して花を飾りお線香をあげる。位牌をふきながら後ろをみると享年55歳と刻印されている。同い歳なのでそのとき私も55歳である。
妻が第一回目の胃がんの手術をうけたのが2001年3月6日で49歳であった。そして命日が6年後の2007年9月2日で55歳。今年で没後5年となる。こう振り返ってみると私の50歳代というのは妻との闘病の日々であったなあとの思いにいたる。
亡くなってから5年という受けとめかたもあるが、私としては手術から11年という気持が強い。亡くなるまではがんという病気をともにし、亡くなってからは記憶に残された存在感とともに生きてきたというほうが実感に近い。
このように書くと、亡くなった妻にいまだにひきづられている印象を与えるかもしれないが、当人としてはそうした意識はなく、59歳からの独り身の暮らしをいたって前向きに生きているつもりである。「いやあ、身のほど知らずにトライアスロンなんかはじめて、いいお仲間もたくさんできて、元気にやっていますよ」というのが偽りのない現状報告である。
一人で生きていくライフスタイルを作りたくて始めたトライアスロンである。かっこをつけるようだが、獲物を求めて一人放浪する老いた狩人のように生きていきたいと望んでいる。でも命日ともなると、今日までともに生きてきたような思いにとらわれるようで、我ながら不思議である。今日だけは、そんな感慨に身を任せている。
部屋の掃除もすませ、洗濯物にアイロンをかけ、走りに出かける。とても気持ちよく1時間の江戸川ラン。ラスト20分はスピードアップのフォームも身になじんで爽快ですらあった。フォームのポイントは手。手首の力を抜き、体の前で振るように意識すると、身体が前のめりになってリズムができスピードがアップする。これは昨日タップリ休んだおかげである。土曜日に意気消沈した気分が大いに回復する。
シャワーを浴びて冷麦をゆでて夕食。佐渡トライアスロンに出場した仲間たちの完走報告がFACEBOOKで行きかっている。最近お会いしていない方々も多い。皆なすごいなあ。励まされもするが、自分にはとてもとてもというのも正直なところで、さて、仲間の活躍をどのように受け止めようかといった気分もはたらく。
そんな気分のときは、自分のことはともかく、まずは祝福しよう。すばらしいじゃないか。
おめでとう 夏の終わりの ナイスレース
亡き妻を 呼び出している 夏の暮れ
今日は夏の終わりのスケッチとなった。
明日からはまた、老いた狩人のように、仕事に精を出そう。
カテゴリー: トライアスロン
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夏の終わりの一日。妻の命日と佐渡トライアスロン。
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沼津千本浜駅伝の報告。心身夏ばて状況での日常報告。
残暑が続いているけど、日差しも風も秋の気配を含んで夏の終わりを告げている。
どうにも元気がでない。体調としても元気がなく、気持としても意気消沈している。心身ともに夏ばて状況である。
今日は書くことでこの気分に区切りをつけたいと思っている。「よし、いってみよう」という今後の指針を見出したいと思っている。
まずはレースの報告。先週の日曜日19日は沼津千本浜でのトライアスロン駅伝。3人1チームで、それぞれがスイム、バイク、ランをこなす。私のチームは「レレレのおじさん」でATA南行徳の仲間と3年続けての参加。
リザルトを3年続けて見てみよう。(今年/昨年/一昨年)
トータル 1:47:09/1:48:42/2:06:40
スイム 0:18:49/0:22:18/0:34:47
バイク 0:51:37/0:50:16/0:55:46
ラン 0:36:43/0:35:28/0:36:07
昨年と比べてトータルでは1分30秒ほど短縮できたけど、これはスイムのおかげでバイク、ランともタイムを落としているんだなあ、これが。特にランについては一昨年よりも30秒ほど落ちている。
スイムはようやく人並みに近づいてきたが、バイクとランは頭打ちだなあと思う。といっても順位としては全体でも最下位クラスで、このポジションでタイムを語ること自体、喜劇なのだが。
次いで、昨日はスイムの練習で15分間泳があった。これは15分間ノンストップで泳いだ距離をカウントするもの。年に3回ほど行われるが、過去2回は風邪などの体調不良でお休み。久々の参加でひそかに心期すところがあったのだが、これがノンストップで泳ぎきれず、300を越えたあたりからターンのたびに休みがはいり、450の一歩手前で完了となった。550越え、できれば600を目標にしていたので、とても残念で自分でも歯がゆい。自分なりに長時間泳の練習も重ねてきたにもかかわらず、距離はともかく、ノンストップで泳げなかったことが不本意。
振り返ると、この週は沼津の疲れと残暑から「お疲れ」の状態であった。木曜は朝に走りに出たものの5分と走れず歩いてしまう。暑さのせいかとスイムに行っても100でバテて立ち止まる。久しぶりに体重計に乗るとなんと69キロで驚愕。
ちなみに月曜から火曜、水曜、木曜と呑み会も続いた。太るはずだよ。
金曜は土曜の15分泳に向けて夜に泳ぎにいこうかと思ったが、結局は丁寧なストレッチのみでで早めに床についた。
こう書き出してみると、土曜日の15分間泳は思うような結果とならなかったのもいたしかたないよなあ。
今年はあと、9月30日の横浜と10月21日の伊是名を残しているが、いまの時点で、果たして制限時間に泳ぎきれるかなどと不安も湧き上がってくる。どうするかなあ。
何もわからずトライアスロンに飛び込み、好奇心だけで突撃してきたが、ようやく様子もわかるようになったところで、一息つきたくなっている自分がいるようだ。
トライアスロンでもうワンランク上を目指すポイントは躍動感であろうと感じている。それを目指してみるか。あるいは疲れをとることを第一にペースを落としてみるか。
と、ここまで書いてきたが、私の基本方針としては、頭で考えるよりも暮らしの形をつくることを優先する。よってこれについては、今日はこれからトレーニングに出るのか、あるいは家で休むのかの問題というように考える。
はい、ジムに行き、スイム、バイク、ランの3種目を軽いメニューでこなしてみよう。
ベランダに 干からびた蝉 タオル干す
どうするか どうしようもない この残暑
昨日の土曜日は孫の誕生日で次女の家で誕生日会であった。
息子とは1年ぶりに会ったが、見た目に大きな変わりがないことに安堵した。
来週の日曜9月2日は亡き妻の命日である。
こうして日々は過ぎていく。
残念ながら書くことで指針を得るまではいかなかったが、とりあえず家事をすませ、明日の仕事の準備を整えてジムに行ってみようと今日の予定はたった。身体を動かしているうちに、何かの手ごたえを得るかもしれない。
これがスポーツとともに暮らすということなのだと改めて確かめる。
スポーツはいいよなあ。 -
もう8月、お盆でいまの時をふり返る。
ロンドンオリンピックが終わりを迎えている。来週は旧盆で夏休みのシーズンである。ことしも残すのはあと4ヶ月半となった。
歳をとると時の過ぎるのを速く感じるという。そうなのであろうか。私にとっては、今年の正月ははるか昔のことのように思える。思いだしてみても記憶の輪郭は曖昧であり、果たして何をしてたのかなあと首をかしげてしまう。ばたばたと追われて過ごす毎日の底辺で、私にとって時は実にゆったりと流れているようなのだ。北京オリンピックなど、歴史の彼方のような感覚でさえある。俺は健忘症かボケなのか。
オリンピックに出場する選手にとって、4年というのは基本的な時のサイクルであろう。加えて、スポーツ選手のピークの時は決して長くはない。そうした人にとっての時の流れとは、どのようなものなのだろう。
間違いなく確かな4年間という時を積み上げてきたであろう選手の活躍をテレビを見ながら、我が身の過ごしてきた時をふり返り、そんなとりとめのないことを考えている。
今日は千葉の保田での海錬に行ってきた。着いたときはちょうど激しい雨。空には黒雲がひろがり、どうなるかと心配したが、幸いにもそのあとは夏の青空。雨のために水は多少にごっていたが、水温は高く、波も少なく、気持ちよく泳ぐことができた。
不安の種のスイムであるが、海とウエットスーツにもだいぶ慣れてきた手ごたえがある。スピードが遅い、すぐに腕が疲れてしまうなど依然として課題は山積みではあるが、3年でようやくここまできたという手ごたえはある。
19日は沼津千本浜での駅伝で、今年で3回目の参加。一昨年、昨年の経験をへて、今年は多少はましなレースができるのではないかと期待している。「てごたえ」「ましなレース」というのは、自分がコントロールしていることを常に自覚し、フォームへの確かな意識をもって一定のペースを守り、安定した呼吸とリズムで泳ぎ、走ることである。
こうした状態は、私にとってまさにスポーツを楽しんでいる状態、自足している状態である。
先の木曜には皇居のナイトランに出かけた。7時半スタートの自主錬で、仲間6人が集まり、私は2周を約1時間10分のタイム。1周目走り出しは、は身体が重く、息がきれ、やめようかと思うほどであったが、後半にようやく息が落ち着き、2周目は気持ちよく走ることができた。終えたあとは皆で、トライアスロン仲間がオーナーのイタリアンレストランBOSSOに繰り出し、ワインとパスタとおしゃべりを楽しんだ。
昨日の土曜日はスイム+バイクのレッスンで、スイムは身体が重く、息が切れ、タイムもあがらず「夏ばて」を実感させられたが、レッスンの内容は「浮く姿勢」づくりで、これはこのところの私のテーマでもあり、大いに身になった。
バイクはローラー台で下のハンドルを握ってのフォームチェックで、そのあと約40分、江戸川沿いを走った。ローラー台のおけげで、フォームへの意識、手ごたえは一段と高まったように思える。
こうして文字にすると、58歳で始めたトライアスロンも3年を経て十分な手ごたえとなっているではないかと、改めて確かめる。スポーツは積み上げが効くんだよなあ。不安定で積み上げが効かない人生にあって、これはスポーツによって得る楽しさなのだ。スポーツに人生を見出すわけではないが、スポーツは確かに人生の重石になるようだ。
おそらく、時を長く感じる理由の一つはトライアスロンにあるのかもしれないと、とりあえず納得しておこう。
オリンピック 身体で時を 確かめる
越し方を お盆の夜に ふり返る
今回のオリンピックで強く記憶に残ったのは、ひとつは女子サッカー。
時を積み上げたものが見えた。
それと女子400メートルリレーかな。
23年ぶりの世界記録に鳥肌がたった。 -
ロンドンオリンピックの開会式。オリンピックはいいなあ、の感想。
ロンドンオリンピックが始まった。昨日は6:30からATAのランのトレーニングなので4:30に起床し、出かける準備をしながら、落ち着かない状態で、6:10までテレビで開会式を見て、トレーニングに出かける。
トレーニングは6:30から8:00までのラン、8:30から1時間のスイム。そのあと10:00から12:00まで、バイクの自主錬にでかけた。昨日ははムッとする空気とからみつくような陽射し。まさにうだるような天気で息苦しいほどだ。ちょっと動くだけで全身から汗が噴き出す。眠りが浅く、体調不調で、ランのトレーニングの苦しいこと。続くスイムでは両方の足がつりそうでおっかなビックリ。最後のバイクはさすがに消耗して約25キロ程度、足慣らし程度でいっぱいいっぱいとなった。
帰宅して冷凍チャーハンとビール。14時から改めてBSで開会式を最後まで見る。しみじみと「オリンピックはいいなあ」という思いに浸った。もともとスポーツ観戦が好きで、オリンピックフアンであるが、今日は開会式で競技ではない。イベントを商いとする人間として大いに興味をもって開会式をみたが、演出に胸打たれたのかといえばそうでもない。むしろやや冗長な印象が強い。いかにも映画監督らしく、ストーリー性と細かなカットを積み上げるモンタージュ的な手法が目についたが、それがためか線の細い感じがあり、ストレートなインスピレーションに物足りなさを覚えた。
では何がそんなによかったのか。それは開会式全体で示された「肯定的な感情」であることにテレビを見ながら気がついた。人間の努力、対戦相手への敬意、明日へと向かっていこうとする意志などが、「肯定的な感情」をもって語られ、世界から集まった人たちに祝祭という形で共有される。これが気持ちよい。生きることをたたえる幸せな満足感が自然と湧き上がってくる。
大会委員長のセバスチャン・コーの歓迎の挨拶には、そうした明日へ向けた「肯定的な意志」にあふれており、胸にしみた。演出についても「イギリス人とは何か」を世界に示す「肯定的な意志」に貫かれていたことに好感をもった。ここには愛着をもって時を振り返り、多くの困難を受け止めて静かに前を向く大人の態度があった。これがイギリスというものなのだろうか。であれば、この国は衰えたとはいえ、強いよなあ。
言い換えれば、いま私たちの社会にはなんと多くの「否定的な感情」が渦巻いていることか。皮肉、冷笑、嫉妬、恨み、訳知りの下品な解説と幼稚な自慢、自己主張。
ちょっとネットをのぞいてみよう。多くの掲示板やブログでは怨嗟の声が満ち溢れている。
今回のオリンピックが、ロンドンにとって、イギリスにとって、世界にとって、日本にとってどのような意味をもつのか。というよりも、私たちはそこにどのような意味を見出すのか。
ギリシャの経済破綻の大きな原因の一つはオリンピックであったという。今回のオリンピックでも、ロンドン東部の経済開発の意義が説かれる一方、このオリンピックは多くの社会的課題を覆い隠すものであるとの批判も目にする。
しかし、私たちはこのオリンピックを「肯定的な感情」をもって見つめるのか、「否定的な感情」をもってみつめるのか。選手たちの笑顔をみて自らの勇気とするのか、嫉妬と怨嗟を沸き立たせるのか。あるいはこれをスポーツの世界のお伽噺として訳知りな批判を加えるのか。
それは私たちの社会をどのような感情と意志をもってみるのかということにつながっていく。私たちはこの社会から逃れることはできず、問題のない社会があるはずもないのだから。
この夏は オリンピックに 酔いしれて
夏最中 噴出す汗を 散らして走る
オリンピックに出場する選手たちが、自らのやるべきことを最大限の努力をもって成し遂げたこと、会場の建設から運営警備にいたるまで、多くの人々が自らの業務に取組みこの世界の祭典を創りあげてきたこと。それらを「肯定的な感情」をもって受け止め、それをたたえ、楽しみ、私の明日への力としたい。オリンピックには力がある。 -
どうする、夏のトレーニング。
梅雨が明けて、本格的な夏が始まった。今年の梅雨は九州地方への大雨からという印象が強いが、関東地方でも、しとしとと雨が降ったという記憶はなく、大雨や強風などの荒れた日が続き、この前の日曜日からいきなりの酷暑到来となった。
ハンドタオル1枚では足りないほどの汗をかく。これはいいことなのか、悪いのか。
トライアスロンについては、6月24日幕張のスプリント大会からスタートし、7月1日は富士スピードウエイでのエンデューロ、8日の館山トライアスロン、15日の保田でのオープンスイム練習と大会と練習が続いた。
幕張、館山の二つの大会ともスイムで大きなつまづきはなく、無事完走できた。右のハムストリングスの痛み、さらに15日の海錬では右側の腰を痛めるといった故障はあるが、まあ、スムーズなシーズンのスタートと納得している。
大会での成績もさることながら、実は身体がしまった感じがしていること、歩く速度が速くなっていることが気持ちよい。この酷暑に負けることなく立ち向かっている気分でいる。あちこちと痛みはあるものの、きっと体調がいいのであろう。
振り返ってみると、冬のシーズンオフのトレーニングがよかったように思っている。昨年のオフは足底腱膜炎の痛みでランの練習がほとんどできないばかりか、歩くのにも不自由となり、ママチャリを買ってしのいだほど。しかし今年は2つのハーフ大会、ひとつのフルマラソンに参加し、ランの自主錬にも積極的に取り組んだ。昨年のオフは70キロを越えた体重も、なんとか66キロ代に落ちている。やはり走ることはすべての基本だと思う。
それに加えてパーソナルトレーナーについての身体のケアとスイムのレッスン。このおかげであまり迷うことなく歩くことができたように思う。
さて、夏到来のなかでのトレーニングをどのように組み立てるかを今日のテーマとする。なんて書いてみて、そうした課題意識をもってシーズンに向かっていること自体が初めてであることに気がつく。そうなんだよなあ。これまでは、スイムを何とかしたい、ランを速くしたい、バイクに慣れたいなど、むやみに「したい、したい」と思っていただけで、トレーニングも場当たりであったよなあ。
そこで、いま思っていることは、夏に負けないトレーニング。無理をしない、疲れを残さない、仕事に差し障らない、気持ちよくトレーニングに向かうことのできるトレーニングのありかただ。
具体的には第一に日差しを避けること。ランは夕方以降にする。あるいはTIPNESSでのインドアトレーニングを効果的に行う。
バイクについてはTIPNESSにスピニングホイールが装備されたので、これを効果的に活用する。
トレーニングのポイントは「加速するフォーム」。なんて書くとカッコがいいようだが、実際のところ、もう走ってもこいでも泳いでも全力疾走などはできない身体となっており、どの大会、練習でも順位はほぼビリ。それはどうあがいても受け入れるしか仕方はなく、その状態にあっても少しでも速く、ということは気持ちよく走り、こぎ、泳ぐフォームを意識したトレーニングとする。幸いなことに、最近はどのようなフォームであれば自然と加速ができるのかが、3種目ともわかりかかっている。この楽しみだね。
特にランはつま先着地と腕振りの感覚を自分なりにつかみかかっている。嫌いなバイクもようやくペダリングの入り口に入り、重心をサドルに置く意味がわかってきた。スイムは肘の高さだよなあ、などど一人納得をしている。
よってこの夏のトレーニングは長い時間ではない。たとえば40分のスイム、30分のバイク、30分のランをテキパキとこなすイメージだ。
となると、こんな感じの1週間かな。
土曜日 スクールのトレーニングを午前いっぱい
日曜日 40分スイム、30分バイク、30分ランのインドア自主錬
月曜日 お休み(入念ストレッチング)
火曜日 20分バイク、30分ランのインドア自主錬とスクールのスイム錬1時間
水曜日 夕暮れ~夜の1時間ラン自主錬
木曜日 40分スイム、30分バイク、30分ランのインドア自主錬
金曜日 土曜日に向けた1時間のスイム自主錬
問題は水曜日だな。週に1回は自主錬で1時間ランをしたいと思っている。これは楽しみでもある。楽しみであるから外で走りたい。しかし、水曜はどうしても飲み会が多くなる。火曜日の夜が遅いので水曜の早朝ランは負担が大きい。
となると、1時間ランは月曜、水曜を休みとするか、などど自問自答のなかで、夏に向かおうとしている。
帰宅後の 水のシャワーの 心地よさ
ほてってる 肌身を水が いたわって
体重をなんとかアンダー65で安定させたい。なんとか自然にそこまでもっていきたい。そうなったらとても気持ちよいのではなかろうかと期待をしている。
問題はビールかな。
翌朝に読み直してみると、この1週間のメニューはちょっときつそう。30分のスイム、15分のバイクに15分のランぐらいだろうなあ。基本は疲れないを前提にマメにテキパキとこなすこと。 -
タテトラでようやく3時間30分切り。気持ちのよい天気のいい大会だった。
昨日は館山トライアスロン。今回での参加は3回目。結果は以下のとおりで、初めて3時間30分の制限時間を切ることができた。
トータル 3:20:28
スイム 0:47:55 581位
バイク 1:32:59 536位
ラン 0:59:34 522位
男子完走570名のうちで559名と、ほぼビリの成績だが、自分としては満足。ようやく人並みのラインに立てたのかと安堵している。一昨年の初参加は約4時間、昨年の2回目はランを1周少なく間違えての3時間40分。老化に立ち向かいながらも、記録はあがっている。ATA十条のOさんから「毎回速くなっていますね」と声をかけられたのがひとしお嬉しかった。Oさんとはレースで顔を合わす程度なのだが、どこかで気にかけていただいていたことに感謝する。
タテトラは場所が近いこともあり、知り合いの参加者が多く、随分と多くの方々と交歓した。これはトライアスロンの大きな楽しみで、ささやかながらマラソンやバイクの大会にに参加した体験と比較しても、トライアスロンならではの特徴のように思われる。
勝手な思い込みかもしれないが、お互いにいたわりあい、励ましあおうという気持ち、雰囲気が強いように感じる。
今年のタテトラはATA南行徳からは男女合わせて18名の参加。うちトライアスロン初体験も4名だったか。全員無事完走であり、和やかに大会を終えることができた。大会のあとは近くの温泉に行き、汗を流して食事。皆さんクルマがあるのでノンアルコールビールだが、私は乗せてもらう立場であったので、一人生ビールで、こうした仲間ととももに屈託のない時間を楽しんだ。
レースの魅力は社交であると言ったのはカールルイスである。彼はレースの前に他の競技者と握手することを常としていた。社交というのは単に仲良くなることではない。人付き合いのうまい人間が社交的なわけではない。ましてやおしゃべりな人間が社交に長けているわけではまったくない。
共通の話題をもち、お互いが一定の距離を保ちつつ、利害関係からは離れて、お互いを認め合い、共有する場をもつこと。即ち社交とは個人の能力ではなく「場」の問題なのだ。もちろんライバル意識はある、カールルイスのレベルであればそれが一生を左右する利害に直結する。しかし、レースのときは、あるいは「場の仲間」として集まっているときは、それを忘れて、あるいは抑えて社交を楽しむ。それはそれでなかなか知的な大人のマナーであるのだと思う。
トライアスロンを始めたことにより、初めて、リアルに、社交というものを体験できたように思う。もちろんそこにはレース後の食事やパーティなども含まれるが、それよりも、久しぶりにお会いした方とのレース前の挨拶、レース中の前後の方々との駆け引き、沿道からの声援、レース後の高揚感のなかでのお互いの声のかけあいなど、それらがまさに社交なのだと思う。
そこまで考えていくと、ブログやFacebookといったSNSの威力は大きいといわざるを得ない。会って挨拶する方々の近況を漠然ではあれつかんでいるといないとでは、声のかけかた、会話のもっていきようがまったく違ってくる。
今朝は昨夜の大会関係のメッセージがFacebookを飛び交っている。そして私はいま、こうしてブログを書いている。
そんなトライアスロンによる人付き合いと交歓、社交の楽しみを改めてかみしめたタテトラであった。
レースについては、まだ多少の伸びしろはあるだろうと感じている。昨日のレースであれば、スイムを40分以内、バイクを1時間25分は目標にできると感じている。ランも足の調子を戻して50分以内は狙えそうだ。と考えていくと、生きているうちに3時間は切れるかもしれない。特に記録を目標にしているわけでもないが、これも楽しみのひとつにしておきたい。
この前の日曜は富士スピードウエイで雨中のバイク大会であった。なんと同じレースで死者の出る事故もあった。次の日曜は保田でオープンスイムの練習の予定である。3週連続でかなりハードに動いている。自分では勝手にいい感じじゃないかと思っている。
梅雨の間に 日差しをうけて 汗流す
泳ぎきれ 呪文のように 繰り返す
昨日の午後は穏やかでいい天気であった。 -
今年の初レース。幕張トライアスロンに満足。
人生初めての鍼灸「神の手」体験記。「ちょっと長くなってきたので、この次は次回」などど言っておきながら、だいぶ時間がたってしまった。いけないいけない。予定では初体験から1週間後に2回目のつもりであったが、それもできず、いまだに2回目に至っていないのです。
そんな状態のなかで、24日日曜は幕張トライアスロンに参加。今年の初レースで、距離はスプリント。スイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロとなる。
やはり足の痛みが気になる一方、練習不足も気がかりで、レースの6日前の月曜にラントレ。1時間走って気持のよい汗をかき、安堵はしたが、確かに痛みもある。さてどうする。しかし参加することに迷いはなかった。一つは劇的な回復はなくとも回復基調にあるということ。さらにレースでダメージを受けてもケアする「神の手」がいるではないかという安心感があったということ。だからといって無理をしたわけではないが、こうした受け皿があると気持は前向きになる。
昨年からついているパーソナルトレーナーの石橋先生、そして鍼灸の海谷先生と「よし任せてみよう」というお二方を得たというのは、出会うまでは考えてもみなかった収穫である。何よりこの年齢になり、自分の身体と向き合う楽しみを得たことが大きい。長い付き合いでありながら、よくわかっていなかった未知の大陸に足を踏み入れたようなおもしろさがある。そして、安心してトライアスロンに向かうことができるということ。どのスポーツも怪我はつきものと思うが、だからこそ怪我も含めて身体を管理していくことが大切であり、スポーツを楽しむためには、こうした方々のサポートは欠かせない。あるいはこうした方々とのやりとりもスポーツの大事な楽しみの一つであると思うのだ。
おっと、気がつけば話が迷走ぎみになってきた。いけないけない。「神の手」体験記については、2回目を終えたところでの報告としよう。
今回は幕張トライアスロンの報告。梅雨の間の曇り空、気温もあまりあがらず、レースには最適な天候であった。リザルトは以下のとおり。
トータル 1:43:09 302位(323人中)
スイム 0:26:42 316位
バイク 0:47:00 308位
ラン 0:29:27 289位
手元時計を思い出しながら振り返ってみると、スイムの26分というのは多分トランジットの時間が含まれているように思う。トランジットは靴下に小石が入って履き替えるなど、だいぶかかったものなあ。バイクはこのところコツをつかんでいた割りには順位はよくない。一方、痛みを感じつつのランは30分を切れたのだから面白い。バイクのタイムについても、トランジットで手間取ったからなあと考えてみるがどうだろうか。いつもはトライアスロン用のシューズだが、今回はマラソンにはいている紐タイプのもの。履くのに時間がかかったからなあ。
などど、トランジットを言い訳にして一人納得をしているが、まあ、今回のレースは満足というのが全体の感想。まずスイムはいつもどおり緊張はしたもののスムーズに泳ぐことができた。最後の50メートルでどうしても岸の様子を見たくなり、立ち泳ぎを入れてしまったのが反省だが、初めて自分でコントロールをしっかりと自覚して泳ぐことができた。次回は館山だが、どうなるか楽しみとなっている。これで何らかのハードルを越えていればありがたい。
次いでバイクだが、スイムで大幅な遅れはなく、周回コースでもあったため、人と競いながら追いつ抜かれつのレースを楽しむことができた。私より少し若い程度の男性、おそらく30歳ぐらいの女性がずっと一緒で「社交としてのレース」の駆け引きを満喫した。
最後のランの心配はもちろん足の痛み。足の負担を減らすため、このところ、歩幅を短くしたピッチ走法に取り組んでおり、それを試してみた。3キロぐらいで足の痛みが出てきたが、ピッチ走法を強く自覚して走るうちに痛みも和らいできたことがうれしい。まさか30分を切れるとは思っていなかったのでタイムも満足である。新たな走法に手ごたえも得ることができた。
実は石橋先生からは「今年こそが初シーズンではないですか」と言われ大いに納得したのだが、初シーズンの初レースとして満足であった。
できれば、スイム、バイクともラン並みの順位となるといいのだが。多分やれそうかな、などと一人頭をめぐらせる。まだ伸びしろはあると思えるのは、ありがたい。
梅雨の空 海に飛び込み 無我夢中
父の日は 関係なしと 我走る
とは言うものの、ハムストリングスの回復を祈りたい。
痛みをかんじることなく気持ちよく走りたい。 -
天草をとりやめ。怪我と自己管理、そして残りの人生勘定。
結局、明日の天草大会は取りやめとした。本来であれば、今日は天草へと向かっているのだが、いつものようにATAの土曜のトレーニング。今日はスイム+ランのプログラムで、ランは約1時間のマイペースでのジョグ。私にとっては久しぶりのランで、右足の痛みに意識を集中しながら、1キロ8分プラスほどのゆっくりとしたペースで走った。それでも最後の10分ほどは足の違和感が軽い痛みへとかわり、「やはり無理だったなあ」の思い。
そのうえ、月曜の夕方にははずせない打合せが入り、この週末はその準備といった具合で、仕事の都合からすれば「行ける状態ではなかったなあ」。
でも今日のランでは久しぶりにタップリと汗をかき、指先の静脈まで酸素がいきわたった感覚を久しぶりに味わって気持ちがよかった。私にとってこの感覚はスイムでもバイクでも得られないランならではのものなのだ。
トレーニングを終えたあとはゆっくりとストレッチング、水風呂で身体を冷やしたが、やはり痛みはあるなあ。さて、どうするか。悪化はしていないようなので、自主錬でもジョグをスタートしていこうと思っている。24日は幕張でのスプリントなので、それに向けて最低限の調整はこなしておかなくてはいけない。
トライアスロンを始めて変化したことの一つは、自分の身体への意識が高まったこと。気持ちのよい体調とはどのようなものか、身体が躍動する感覚とはどのようなものか、どのように身体は動くのか、あるいは動けないのか。何ができて何かできないのか。そうした肉体との会話が日常に新たな発見と緊張を与えてくれる。好奇心をもって自分の身体を眺めているといったらいいだろうか。
怪我もその延長で、こんなことをするとこんなことが起こるのか、昨日と今日とでは何かどのように違うのか、また起こらないための管理とはどのようなものなのか、というように肉体との会話もより緊張感を含んだものとなる。怪我はいやなものであるが、これも自己発見の一つとして受入れようと思っている。
このブログでも何回か書いているが、私にとってトライアスロンは肉体を通した自己発見、自己管理の楽しみという意識が強く、さらにこのブログもそうした発見と管理を言葉をもって形とする試みといえる。
そこでいきなり話は飛ぶが、最近「50歳になったばかりのつもりでやっていこう」と自分に言い聞かせている。もともと「歳相応」が生活信条で、トライアスロンも歳相応を確かめる行為であるのだが、いきなりの宗旨換えで「50歳になろう」と思いを定めた。「50代をもう一度やりなおしてみよう」という意気込みである。
私にとっては、年齢とは死ぬまでの残りの年月であり、幾つまで生きるのかはわからないが、生きていくのであれば、70歳、80歳というのは一つの目安である。つまり残り10年、残り20年と考える。
妻が癌で亡くなったのが58歳で、28歳で結婚したので、30年の歳月を共に生きた。亡くなったときは、「下手をすると同じ30年を生きるのか」と残りの年月の長さを思い、うんざりとした気持ちになったことを覚えている。
でもいまは「生きていくものならあと20年」と思っており、60歳から20年で80歳ではなく、50歳から70歳までと思いこむ。「人生成り行き」で先のことは考えないできたが、この歳になって、「あと20年」と考えるようになった。
となると、トライアスロンによる自己発見と自己管理はますます重要になりそうである。
あと20年でいくつかの仕事を形にする。あと20年で借金を片付ける。あと20年で友人を増やす。あと20年で孫は25歳となる。あと20年はトライアスロンを続ける。ということは20年は元気であるはずだ。20年と考えると心に余裕が生まれてくる。残りの人生をそのように勘定してみる。
6月に 何かが始まり 夏となる
燃ゆる木々 心新たに リフレッシュ
まだまだやることはたくさんありそうだ。
と思いつつ、健康診断に行ってみなくては。 -
いよいよシーズンイン。今年は3シーズン目。落ち着いていきたい。
右足のハムストリングスの調子が依然としてよろしくないのだ。ランというのはトレーニングの基本で、ランの土台があってスイムもバイクも成り立っているという感覚がある。
昨年のシーズンオフは足底腱膜炎でほぼまったく走れなかったので、今年は意気込んで初マラソンにも挑戦、ハーフは3つのレースに出て、大いにランを楽しんでいただけに残念。
それでも日一日と、薄皮を一枚一枚剥がすように回復に向かっている感触はあり、昨日は素晴らしい天気にいてもたってもいられない気持ちとなって、家の前の江戸川沿いのウォーキングに出かけてみた。違和感という以上の軽い痛みを感じながらの45分であったが、たまっていたストレス解消となった。
そして今日はスイム約2000メートル~トレッドミル15分ウォーク~スピニングバイク20分の自主錬。短時間でも3種目のトレーニングをこなすのは気持ちがよい。スピニングバイクではいつものように汗だくとなり、全身に血が巡った快感のなかでトレーニングを終えた。
今日、20日日曜はホノルルトライアスロン。一昨年は初のレース参加で、苦い思いをして、昨年はなんとかリベンジを期したのだが、これもかなわず。今年は3回目の正直という気持ちもあったが、昨年より世の中も仕事も変動的で、長い休みは危ないという予感が働いて、早々に見送った。結果としてはこの金土日月と、緊張感をもってしっかりと仕事に向かっている。行っていられる状況ではなかった。
また、今シーズンは6月2日の天草からシーズンをスタートする予定なのだが、この足の調子から、気持ちは見送りに傾いている。岩田コーチから「神の手」と異名をもつ針灸院を紹介されており、それで劇的に回復することも考えられるが、それでもトレーニング不足は否めない。せっかく天草まででかけるのなら、気持ちよくでかけたいという気持ちが強い。
それで6月24日の幕張のスプリントに申し込んだ。おそらくこれがシーズンのスタートとなるだろう。
その後は7月8日の館山、8月19日の沼津駅伝、9月30日横浜、そして10月の伊是名でシーズン終了の予定。あとは様子をみて昭和記念公園や八景島のスプリントを考えるといったところか。
今年は3年目のシーズンである。だいぶレースにも慣れてきた。トレーニングの自己管理もなじんできた。自分の力のなさもハッキリと自覚できているが、この年齢でもまだ伸びるだろうという感覚もある。だから、自分なりに納得して、落ち着いた気持ちと体調をもってレースに臨みたいと思う気持ちがとても強くなっている。仕事であれ体調であれ、何か不安があれば見送ることにやぶさかではない。それが気持ちよく楽しむ方法、あるいは長くトライアスロンと付き合う方法と思うのだ。
足の痛みも回復の方向に入ったことを感じている。改めてここから体を絞りなおし、まずはスプリントでレースになれて、館山をターゲットにしようかと思っている。
横浜は私としてはハードルが高い大会と考えているが、思い出の詰まった故郷でのレースである。
私の通った高校は卒業式の日の夜、ニューグランドホテルで晩餐会を開く伝統があった。制服からスーツに着替え、フルコースをいただく。大人へのスタートである。そこで男女1名ずつの生徒が代表してスピーチを行うのであるが、学校からのご指名で、なぜか男のスピーチは私となった。成績は学年で50番ぐらい、取り立てて私が代表となる理由は何もない。担当教師になぜ私なのかを質問したが、明快な説明はなかった。ちなみに女子のほうは牧師の娘さんで、これはミッションスクールとしての妥当な判断だろう。いま思えば、多分「手頃」であったのではないか。勉強もそこそこ。一応インターハイも出場、そのうえ声が大きい。友達も少なくない。浪人はしていない。何も一番はないが、手頃であるところが買われたのではないか。いまだ落ち着かない、不思議な思い出である。
そのニューグランドホテルの前を走るのだ。レースコースは思い出のデートコースだ。「出ないわけにはいかないだろう」と思わず一人勝手に意気込んでしまう。
横浜ではスイムのタイムオーバーが不安であるが、なんとか館山で手ごたえをつかんで向かいたいと思っている。それで伊是名を完走できれば、3年目としての十分な手ごたえを得たシーズンとなるだろう。
全身で 風に包まれる 五月かな
五月晴れ 身体の芯が 動き出す
ホノルルに行かれている皆さんの健闘を祈るばかり。 -
頭で考えて、身体で確かめる。私の試行錯誤。
このゴールデンウイークは前半が雨模様。後半は天気も回復し、不安定ながらも気持ちのよい日中もあった。走るには絶好の季節であるのだが、ハムストリングスの痛みが回復せず、ゴールデンウイーク中は結局ランのトレーニングができなかった。ほとんどスイムだけ。
それでも昨日は1時間ほど歩きに出かけたのだが、どうにも思わしくない。常に痛みを意識するうえ、何故か太股の前のほうまでピクピクと痛み出して早々に帰宅した。スイムにでかけようかとも思ったが意気阻喪してあきらめた。
季節の風と日差しを全身に感じながら走るのは私の楽しみである。楽しみであるから、ランニングハイが自然に湧き上がってくるような、いい体調で走りたいと思う。走り終えて、ストレッチングで身体を伸ばし、シャワーで歓声をあげられるような、いい気分でいたいと思う。それができないのがつらい。フラストレーションがたまって、ついついビールに向かってしまう。落ち込んだ気分で一人飲むビールが爽快なはずもない。と、思わず愚痴が出てしまうような、ゴールデンウイークのトレーニングであった。
話題を変えて、まずはバイクのお話。4月30日の日曜日に、ATAの仲間と90キロの江戸川沿いバイク自主錬にでかけた。そこで、私なりにバイクの姿勢について手ごたえを得ることができた。
私は25キロペースの遅い組であったのだが、少しスピードをアップするときに、以前であればペダルを踏み込んでいたが、そのときは腹筋で膝を引き上げる感覚をつかんだ。そうなると、腰が立ってサドルへの接触面積が大きくなり、腕のひじを軽く曲げて手のひらをハンドルに置き、背中を広げる形となった。
ポイントはやや内股の感じで、絞るようにして膝を引き上げること。これはテレビで自転車のロードレースを見ているときに、選手の膝が目に付き、そのイメージを自分なりに取り入れたもの。
こうして走ると、ともかくラクになる。これが大切で、正しいフォームというのは自分をラクにしてくれる、言い換えれば、無理をせず、ラクなフォームを探していると正しいフォームに近づいていくように思う。
フォームで大切なのは、どの部分に、どのように力をいれるのか。それが明確明快であること。それがリズムになること。このバイクでは、足先でペダルを踏み込むのではなく、膝を絞るようにして引き上げるところに力を入れる。あとはそれに応じて一連の流れができる。あるいはランであれば、腕の振りから腰を回転させると、自然と足の裏全体で着地できてリズムとなる。私としてはそんな感覚である。
であれば、スイムはどうか。これが難しいのだが、昨日のスイム自主錬で「ラクなフォーム」を課題にしてみた。基本は50メートルをフォームを意識しながらユックリと泳ぎ出して意識して加速させてみる。どのような力の入れ具合であればラクに加速ができるのか。まずはひ肘を高くあげるという基本中の基本を意識したが、何かがちょっと違う。プルブイをつけて泳ぐとだいぶラクなので、意識して腰をあげてみるが、これもちょっと違う。と試行錯誤しているうちに、昨日つかんだコツは、手を伸ばしてローリングに入るときに、身体を絞ってみること。上半身はローリングしているが、下半身はできるだけフラットに保って腕を伸ばすと、自然と腹筋に力が入り、身体も自然に伸びて、加速感を得たような気がした。エイッと身体を絞って腕を伸ばすことで肘をあげるリズムをとる。そんな感じかな。しばらくはこれを追求してみたいと思う。
あれこれと 考えあぐねて 汗をかく
ああでもない 泳ぎながらの 独り言
スポーツのセンスがないうえに、年齢のせいか、頭で考えていかないと、なかなか身につかない。
今日は、自分のための反省整理。
この競技をしていない人に無縁の内容となった。