右足の痛みである。痛みが走ったのは4月7日土曜日のランの練習でのこと。最後の「流し」を走っているときにビリッときた。右のお尻から太股にかけて痛みを感じるのだが、手で触っても指で押してもその場所がハッキリと特定ができない。膝を伸ばして足を上げるとひどく痛むが、大きな負担はなく走ることができる。
ということで翌日のパラカップのハーフマラソンに出場して2時間10分であった。大きな痛みを感じることなく走りきることができた。
そして2週間後の4月21日。土曜日のランのレッスンで気持ちよく走れたものの痛みが増して今日に至っている。おかしいのは4月8日のハーフマラソンよりも、4月21日のレッスンのほうがダメージが大きいこと。
今日土曜日はバイクのレッスンで、先週のランのダメージを考えると少し怖かったが、思い切って参加した。痛みというほどではないが、違和感はあるのだなあ。いまこうして座ってパソコンに向かっていても、右のお尻と太股がおかしい。
ここで思うのは、痛めてから3週間もたっていること。今日から連休に入り、季節もよくなって走りに出かけたいのに、それがかなわないこと。昨年は足底腱膜炎に悩まされ、明らかに練習不足のシーズンオフとなってしまったが、その二の舞にならないかということ。
一夜明けて日曜日、facebookでトライアスロン仲間の肉離れ報告があり、それに対する別の仲間からの丁寧な解説があり、「実は私も」とフォローすると、さっそく解説をしてくれた仲間からのメールがあった。
「岩崎さん、太ももの裏側(ハムストリングス)も、肉離れを起こしやすい部位です。ここは膝から下を後ろに蹴り上げる時に使う筋肉で、ふくらはぎ同様、バイク、スイムなら大丈夫ですが、ランはヤバイです。ハーフはやめといた方がよかったですね。(;´Д`A お大事に、、。」
まさにピタリのアドバイス。さっそく「ハムストリングス」をネットで検索すると、「最も多い肉離れ症状の一つ」とのこと。アレッと思ったらすぐにネットで調べることがいかに重要なのかを再認識。早ければ早いほど確かな対応ができるように思う。ネット時代のあるべき生活習慣と思う。
なお、完治までには3週間という記述も、数ヶ月という記述もあった。終わったことは仕方がない。それでも昨年の足底腱膜炎と比べれば、ダメージは少ない。足底腱膜炎はいつ回復するのか、出口の見えないような感覚があり、いまだに違和感が残っているが、これはあと数週間のうちには治るであろうという感覚である。
スポーツに身体の故障はつきものである。また、スポーツとは社交である。スポーツの社交において、故障の情報交換はきわめて重要であり、同病相哀れむ感覚も、こうした故障の管理も、社交としてのスポーツの楽しみの一部であることを、改めて実感するのだ。
ドアを開け 春風吹き抜け 目覚め得る
生命の 力を春に 解き放つ
さて、ゴールデンウイークである。この時期は決算の準備で遊んでもいられない。それと、このブログをいったんまとめてみようかと思っている。
私は仕事のキャリアを出版編集としてスタートして、いままで継続して「書く」ことを仕事にしている。その経験経緯から、このブログを本にしてまとめたいと思っている、というより、いずれは本にすることを目標に書き出したというほうが近い。
具体的にどうするか、この本の企画を実際に買ってくれるような出版社があるかどうかもわからぬが、出版を確かな目標として行動を始めよう。
当ブログをお読みいただいている皆様におかれましては、うまく本になりましたら、ぜひお買い求めいただきたく、よろしくお願いします。
カテゴリー: トライアスロン
-
肉離れの情報交換で知る、これも社交としてのスポーツの楽しみのうち。
-
ようやく50メートル1分切り。足を痛めてちょっと問題の春の一日。
スイムで50メートル1分を切るというのが懸案の目標であった。昨日のトレーニングで、ようやくその目標を達成した。ウエットスーツを着てのものではあるのだが、レッスンの最後に56秒でを出すことができた。素直に嬉しい。
昨日はシーズンインも近いので、ウエットスーツ着用でトレーニングに臨んだ。ウエットスーツを着ると着ないのでは、姿勢が大きく異なる。それが腕の回転、ブレスの感覚に影響する。最初のうち、練習のときはその違和感はあまり気にならず、むしろ足が浮く感じをプラスに捉えてたが、いざ試合となると、違和感が大きく膨らんで心理的なダメージの要因になったことを覚えている。
そんなこともあって、今年はプールでも早めに着用して慣れることにした。小林コーチからは、身体がそりやすいので、頭をつっくこみ気味にしたほうがいいとのアドバイス。さてその感覚は、以前ほどには腕とブレスの違和感はなかった。多分、少しは姿勢がよくなったのだろう。小林コーチのアドバイスも効いたのかもしれない。さらにこのところプルブイでの長距離泳に力をいれている効果もあり、自然な感覚で泳ぐことができた。
泳ぎ始めはキックの感覚がわからず、足は流しっぱなしにしていたが、途中から軽くタイミングをとる感覚をつかむことができた。これもよかったと思う。
今日のレッスンは50メートルのハードが中心でメインメニューでは12本を泳いだのだが、だいたい1分5秒で1分が切れない。それが最後の最後に、ウルトラで1本ということになり、ようやく56秒となった。ウエットを着ているとはいえ、1分を切る感覚を身体でつかむことができた。よやくここまできたなあ、という達成感が静かに湧き上がってくる。
次はぜひウエットなしの1分切りにいきたい。そこまでいけば、満足である。
次いでランのトレーニングはビルドアップ。だんだんと速度を早めていく。といっても私の場合はスタートがキロ6分ペースで540メートルの周回を3周、次いで5分40秒ペースで3周、最後は5分20秒ペースでの3周となる。
天気も曇りの頃合で、とても気持ちよく走れたのだが、問題は右足の痛み。場所はお尻から太股のうらにかけて。
2週間前のランのトレーニングで、最後の流しを走っているときに。そこがピリッと痛んだ。でも翌日はハーフマラソンに参加で2時間10分。以来、痛みはずっと抱えていたが、走れはするので昨日のトレーニングになって、確かに気持ちよく走ったのだが、あとがいけない。
トレーニング後に痛みが増して、椅子に座っていても痛むような状態になって今日に至っている。
疲れもあるのかなあ。昨日は家に帰ってビールを飲んでソファーに横になったら、夕方までそのまま。いったん起きても11時には床につき、今朝起きたのは10時。トイレにも1回もいかず、ひたすら眠ってまだ眠いので、また昼寝までした。
本来であれば、日曜の今日はランとスイムの自主錬に向かうのだが、何もしないでもう6時。足も痛いので仕方がないか。今日は入念なストレッチだけの休養日としよう。
春の雨 身体の調子も 気まぐれで
痛む足 だるくて眠くて やるせなし
せっかくの休日にトレーニングをせずに過ごすというのは、どうにも居心地がわるい。こんな日もあるさと自分に言いきかせるものの気持ちは宙ぶらりん。明日の気持ちのよい目覚めを待つとしよう。 -
パーソナルレッスンの勧め。自分の身体を知る楽しみ。
私の通っているTipness南行徳で、スピニングバイク6台が新設された。これは嬉しい。バイク用のローラー台を買おうかどうか、大いに迷っていたが、これで決着がついた。ローラー台の購入は見送ってスピニングバイクを活用する。だって基本的にローラー台なんて家に置きたくないもの。
このブログでは何回も書いているが、バイクというものがわからない。どうしたら力を入れられるのが、スピードアップするときはどこにどのような力を入れるのか、そのときの身体のリズムはどこでどのようにとるのか、そのあたりがさっぱりと分からず、漫然としてペダルを回している。
ランであればポイントは腰の位置と回転にあると自分なりに把握し、腰に意識を向けながら、姿勢、力、リズムをコントロールするダンスのような感覚を楽しんでいる。
スイムは本当に全身スポーツで、足の指先から手の先まで、意識を行き渡らせる必要があるが、最近は肩のローリングとブレスのタイミングと肘の位置と腕の伸びという連続動作を基本にコントロールすることで、全身に意識が行き渡る感覚をつかんでいる。
でも、バイクは分からない。こうしたことは基本となる「コツ」であり、「コツ」を覚えれば身体はラクに、レベルは上になるというのが私の理解であるが、その「コツ」がわからない。
ランとスイムについては、パーソナルレッスンの効果が高いと思っている。
実は今回のテーマはバイクではなくパーソナルレッスンである。
昨年の11月より、セントラルスポーツ錦糸町店の石橋トレーナーのパーソナルレッスンを受けている。
以前から私のことを継続的に見ていただけるパーソナルトレーナーについてみたいと思っていたが、幸いにもATAの仲間から紹介を受けて、石橋トレーナーに出会い、早や4ヶ月、十分な手ごたえを感じている。
私の年齢というよりも、おそらく40歳を過ぎたら誰でもそうだろうとは思うが、もはや無闇に練習を重ねても上達は望めない。若いうちは無我夢中で身体をいじめているうちにスキルをつかめていくということもあろうが、この年齢となるとそうはいかない。いじめるだけの体力がもはや枯渇している。
それぞれの身体の状態に合わせて、(これが大切なのだが)頭でちゃんと理解し、いちいち確認してスキルを身につけていかなくてはならない。その欲求に応える方策はパーソナルトレーナーしかない。
いま、ほぼ2週間に1回のペースでパーソナルレッスンを受けている。時間は1時間。約45分はストレッチングで、15分はスイムである。
ストレッチングではベッドに横になり、石橋トレーナーのストレッチングを受ける。筋肉をほぐすマッサージではなく、主に関節に働きかけて稼動域を高めていく。私の場合、石橋トレーナーいわく「筋金入り」の硬さであり、なんと踵をお尻につけることが目標になっているほど。「よくこれでやっていますねえ」と感心されてしまう。
毎回45分も身体を見ていただいているだけに、スイムについても、私の身体の状態に合わせたアドバイスとなる。「本当はこうなのだが、岩崎さんのいまの身体では無理なので、これで良しとしましょう」「もう一段伸ばすのにはこのところを柔らかくする必要がある」という指摘がいちいち納得で、この年齢になり、初めて自分の身体と向き合った楽しさを味わっている。
例えば、膝と股関節のストレッチングにより、まず歩くのが早くなり、ランの時の腰の回転がわかるようになってきた。それまでは頭で理解をしても身体で確かめることができなかったが、身体で理解できるようになった。
おもしろいのはスイム。最近になってようやく、上級者のスイムはどこが違うのかがわかってきた。ポイントは肩甲骨、肘の位置、腕の伸び。そんなことはスイムを始めたときから言われていたが、よくわかっていなかった。泳いでいる姿をみて「うまいよなあ」と感心はしても、どこがどのようにうまいのかが分かっていなかった。でもいまは自分なり理解し、上級者のスタイルをイメージしてトレーニングできるようになっている。
これもストレッチングにより、自分の身体を理解するところから生まれているのだと思う。「このように動かすとこのようにうまくいきます」と言われ、それは納得しても、結局は自分の身体のレベルでしか消化できない。よって自分の身体のレベルでしか理解できない。これでは言われてもできないということが残るだけとなる。
逆に自分の身体を理解することで、言われているなかで自分のできること、できないこと、こうすればできるようになるかもしれないことが整理して理解できるようになる。だから上級者を見ても「このところは私なりにとりいれられるだろう」ということになる。そうしたことが分かったことは大いなる驚きであり、私の細胞と筋肉と生命に触れる歓びである。人間の身体とは面白いものだ、ということが還暦を過ぎてわかったことも重ねて面白い。
最近のパーソナルレッスンのスイムで50メートル1分9秒であった。スイムについてはだいぶ手ごたえが出てきた。ということで、次はバイクとなり、話は冒頭のスピニングバイクに戻る。
バイクのり 春の嵐に 飛ばされて
まだ寒い 今年の春を 待ちわびて
スポーツも、年齢により、さまざまな楽しみ方があるものだ。
これまで知らなかった自分をスポーツによって知る。
これには年齢を超えた楽しさがあると思う。 -
閑話休題。思いつくままの感慨。
フルマラソンから1週間。昨日は土曜レッスン。スイムはコースロープをはずしての実戦トレーニングで、ひたすらにグルグルとまわる10分泳が疲れたなあ。ランはマラソン以来の走りだが、30分のジョグというリセットメニューで気持ちがよかった。
さて、1週間前の人生初マラソンを振り返ってみると、フルマラソンを走った後の身体の痛みはどうなるのか、かなり恐れていたのだが、幸いにして太股の前の筋肉痛程度で、特段大きなダメージはないので一安心。昨日も30分を大きな問題なく走ることができた。
フルマラソンの前に風邪をひいて、自分としては十分なトレーニングができず、例えば1回は30キロランをしたいと思ったがかなわなかったということがあったが、無事に完走することができた。
確かに35キロを過ぎたあたりからは大いにつらかったが、いつも感じる指先の痛みを回避することができた。幸いにも耐え難い痛みとの闘いは訪れなかった。
レース後は仲間と中華料理に行き、気持ちよくビールと紹興酒を楽しんだ。さらに家に帰って缶ビール2本を追加した。そして翌日は無事に目覚め、スイム自主錬で身体をほぐし、土曜日のラントレも30分のジョグで気持ちのよい汗をかいた。
次回は今回よりいい状態となるかどうかはまったく分からないが、それでも自分ではいま少しの伸びしろがあるだろうとの手ごたえも感じている。
と書き出していけば、大いに結構ではないか。
しかし一方、もろ手をあげて大満足、初マラソン完走で大感動、なんて気分にまでは至らないのは何故だろう。第一には自信はないが多分走れるだろうと思っていたことはあるが、私なりのレースへの姿勢があってのことかと思う。
ゴールを抜けての感想としては、よく覚えてはいないが、まずは「ようやく終わった」。そして「多分もう1回はマラソンを走ってみたらどうなるかなあ」といったことのように思う。いたって穏やかな心境であった。
前回も書いたが、今回のマラソンでも私は確たる目標を設定してはいなかった。完走できればいいだろうし、多分できるだろうと思っていたが、そんなことは走ってみなくちゃわからんだろうというのが本当のところ。タイムにしても初参加なので目標もない、というよりタイムについては、私の場合、予想はあっても目標という感覚は乏しい。
レースの組み立てにしても、よく調子にのって行き過ぎてはいけないというアドバイスがあるが、これはトレーナーの石橋先生とも話をしたのだが、気持ちよく行けそうであれば行ってみればいいではないかと思っていた。
つまり私の感覚では、レース全体が自分を確かめる楽しみであり、目標を達成するといったものではないのだろうと思う。
タイムも目標というよりもいまの自分を確かめる結果なのだ。それは例えば身体検査ででてきた数字のようなもの。予想より大きく悪ければ矯正したいし、良ければ気持ちがよいが、かといってこだわるものではない。あるいはこだわるレベルでレースに向かっているわけではまったくない。
今回の5時間7分も、あともう少しで5時間以内とは思うが執着するものではない。次回はなんとか5時間以内なんて目標がわきあがるわけではない。次回は次回。どうなるのかわからない。
ただ、次回の自分のレベルとしては、身体検査の数値が全体として上向くような感覚で、アップを目指したいとは思っている。
こうした私の感覚はトライアスロンという競技にあっていると思う。また、フルマラソンの肉体のダメージはトライアスロンのオリンピックよりははるかに大きく、背筋も痛む。やはりトライアスロンという複合スポーツにに進んでよかったと思う。
言い換えれば、まず、日々の練習を楽しむことが何よりの基本。そのうえで、自己確認の場、仲間との社交の場としてレースを楽しむこと。
そんな感覚でトライアスロンを続けていこうと思う。
春の日に ジャージーを干す 独り者
身体から 流れる汗に 春の風
ようやく春がやってくるようだ。
今年の冬は長かった。
トライアスロンを始めて3回目の冬。
ようやく地に足をつけて過ごすことができたように思う。 -
61歳初マラソン体験記。タイムは5時間7分。
3月18日は板橋cityマラソンに参加。これまでハーフは3回経験しているもののフルは初体験。タイムは手元時計で5時間7分であった。2月の神奈川マラソンでのハーフの記録が2時間3分。
お世話になっているパーソナルトレーナーの石橋先生によれば、この年齢ぐらはハーフで2時間以内、フルで5時間以内が目安ということであるが、ハーフ、フルとも少しオーバー。「あと少しだ、もっとがんばれ」という神の叱咤激励とも思うが、どうにも座り心地の落ち着かない気分ではある。
フルについては、その過酷さをさんざん聞かされてきた。
「足を切って捨てたくなった」「35キロからはパタリと足がとまって動けない」「なんでエントリーしたのかと思っちゃう」「フルはともかく痛みとの闘い」などなど。
初めてハーフを走ったあとは、「私はこれで十分。フルには行かない」という気分であった。それがなぜフルを目指したのか。
ひとつには、チャンスが身近にあるのだから、人生1回ぐらいマラソンを走ってもいいだろうという思い出づくり。生きているうちに1回は富士山頂でご来光を拝んでみたいというわけだ。生きているうち、元気なうちにすませておきたいことが気になる年齢になっている。
いまひとつは、トライアスロンのロングに挑戦するには、フルマラソンを走れなくてはならないということ。いやいや、なにもロングに挑戦しようという気持ちはいまはまったくない。ただし、成り行きででやっていくうちに、いつしか参加のスタートラインに立つこともあるかもしれない、といった思いはあり、ATA南行徳の仲間も多く参加することもあり、背中をおされる気分で参加をしてみた。
話は横にそれるが、先般亡くなった立川談志は色紙を頼まれると「人生成り行き」と書いたという。『人生、成り行き―談志一代記― 』 という本も出ている。
これはいつぐらいからのことか、目標を明確に設定することの重要性があちこちで指摘されている。目標も短期・中期・長期と分け、しかも紙に書き出すことが大切。ATAのレッスン(座学)でもそのプログラムがあった。
特に競技スポーツなどでは、そうした自己管理は絶対に必要なものと思うが、人生の心構えとして肝に銘ずるかといえば、私はちょっと違うタイプの人間なのだ。前を向き、明日に向かって顔をあげ、確実に足を踏みしめていく感覚がどうにもなじめない。身につかない。
生きていくとは分けもわからぬ明日に背を向けて、これまで歩んできた過去と足元をを眺めつつ、おずおずと後ずさりをしていくものというのが私の感覚である。時折そんな私の肩をたたくものがあり、私は明日に向けて振り返る。明日からの風が頬をなでる。それを人は希望という。人生成り行き、行き当たりバッタリ。この年齢になり、もう少し計画的に生きてきたならば、と思いいたることは多々あるが、これが私なので仕方がない。
よってマラソン参加も成り行きであれば、レースも成り行きで、タイムも成り行き。まあ、まずは走り出して自分の様子を確かめ、なによりもリズムを意識して行けるところまで行ってみようというわけだ。
それで行ってみると、1キロ6分30秒のペースになじんで、10キロで1時間4分、20キロで2時間9分、折り返しで2時間17分だからペースは安定していたわけだ。折り返しでは、正直うまくいけば5時間を切れるのではと思った。
でも30キロで3時間25分ということは、10キロペースで10分の遅れ。20キロまでは給水も行わずに走りきったので、30キロまではマメにエイドステーションで立ち止まり、補給のうえ軽くストレッチをしていたから、その分もあったかと思うが、1キロ7分をこえるペースとなり、40キロでおそらく4時間50分ぐらいとなると、最後の10キロは1時間25分、1キロ8分強のペースにまで落ちた。最後は早歩きの人にも抜かれたものね。
肝心の痛みだが、走る前に気になっていたつま先の痛みは、幸いにも今回は発生しなかった。これが何よりも嬉しい。30キロを過ぎると太股の前、次に股関節と痛みが発生し、35キロを過ぎると脛の痙攣が始まり、一足ごとにぴくぴく。そのうえ、このところ調子のよろしくない痔がでるのではないかとびくびくしながら、肛門に力を入れる。
でも、耐え難いほどの痛みはなかった。神奈川マラソンのハーフのほうがつま先の痛みではるかにつらかった。でも足が動かない。必死に腰を立てて足を振り上げるのだが、前にいかない。走ってみなくてはわからない「足が動かない」状態を体験して、これがそうななんだと一人納得をした。不思議に笑顔がもれた。
氷雨受け 40キロを 走り抜け
ゲート見え 最後の2キロの 長いこと
初の体験を、かみしめながら楽しめた。
女性ランナーのゆれるポニーテールを見ながら、頭の中にプリンスの歌が巡った。
還暦を過ぎ、こんなことになるなんて、成り行きだからできたことで、目標にするなんて、考えてもみなかった。
だからこそ人生は面白くまた容赦もない。 -
またしても扁桃腺炎。頃合のトレーニングを探し出そう。
今日は「15分泳」のレッスンであったのに扁桃腺を腫らしたためにやむなく不参加となった。
腫れに気づいたのは一昨日の木曜日。ちょうど映画館で「ドラゴンタトゥーの女」を観ている時に発作的に咳き込みはじめた。あわてて飴を舐めてしのいだが、そのときから悪化をたどり、今朝起きたら咳がとまらない。果たして風邪か扁桃腺炎か、あるいはアレルギーか、熱はないのでレッスンに出かけようかと迷いもしたが、咳で胸まで痛み出して意気阻喪。これで行っても不本意なものになるだろう、いい歳をして無理は禁物と頭がめぐって、取りやめにした。
そのあと、今日一日は仕事に向かおうと思ったものの明らかに集中力がなく、大半は寝て過ごすことになった。これだけ寝られるというのはやはり体調は不良なんだよなあと、休んで正解と一人納得。
もともと扁桃腺が弱くて、毎年冬には最低1回は扁桃腺を痛めて寝込むことになる。今年は1月に寝込んでこれで2回目。この短期間に2回連続というのはちょっと記憶にないなあ。
ただし今回の2回連続ではたと思うことがあった。2回とも、それまでの1週間ほど無性に眠く、7時間どころか8時間も寝てなおかつ眠い。
これには、やはりオーバートレーニングというのもあるのかと思う。前回はフロストバイト、今回は15分泳を前に、私としてはけっこうトレーニングをこなしていた。この1週間を振り返ってみても、日曜、月曜はスイム自主錬、火曜日はスイムのレッスンで、水曜は千駄ヶ谷の東京都体育館のプールに出かけて約2500メートル。木曜は事前の最終自主錬で、金曜はあえてオフにしてストレッチングを丹念に行うというプランをたててその通りにやってきた。
どの程度のトレーニングが妥当なのだろうか。これは年齢を考えるとかなりシリアスな問題なのだ。村上春樹は毎日1時間10キロは走るという。でも私の経験では30分5キロは消化可能であるが、1時間となると、絶対に1時間ほどの昼寝が必要になってしまう。
白戸太郎さんは「週に1日いい練習ができる程度の練習量」といっている。基本的には毎日心地よく目覚めて意欲をもって一日に向かう状態が望ましい。無理をせず、疲れを翌日に残さないということなのだが、多少の無理を承知で自分を追い込んでいるところもある。トレーニングを重ねることで、こなせる練習量も増えていくこともあるだろう。
これは改めて考えてみる必要があると思っているが、とにかく自分で楽しむためにやっていることで、それ以上のことは何もない。
今年で3年目に入り、ぶきっちょな私でも多少の手ごたえを得るようになってきた。トレーニングも「より上へ」という意識がベースになっている。それはそれで見出した楽しみではあるのだが、頃合というものを、もっと考えていきたいと思う。
冬の朝 咳き込みながら 外を見る
風邪に臥し 一人暮らしを もてあます
いま書いたことを読み直すと、だいぶトライアスロンライフが身についてきたように思う。
いい暮らしのペースを見つけよう。 -
スイムでの多少の自信と大きな不安。なかなかだなあ。
今日は寒かった。気温は氷点下で風も10メートルを越えたとか。そんななかでの江戸川バイク錬の寒かったこと。向かい風ではウインドブレーカーがバタバタはためき、いつもどおりに一人ちぎられ、鼻水を流し、全身を縮めるようにしてペダルをこいだ。
さて、今日の話題はバイクではなくスイム。パーソナルトレーニングで、石橋トレーナーから「それなりにまとまっている」という評価をいただいた。
私の場合、まず第一に身体が硬い。例えば手の先を水面に近いところで伸ばそうとすると身体が反ってしまう。シッカリとした姿勢にすると、手は多少水面より下になってしまうが、それは「それなりにOK」ということである。必ずしもいいわけではないが、現在の肉体からすれば「それなりにまとまっている」ということで、私としては合格点と受け止めた。
スイムが苦手、スイムがうまくいかないといった悪戦苦闘については、このブログのメインテーマの一つともなっているが「それなりに」という保留はあれ、認めてもらえたのは初めてのことで、正直なところ多少の安堵が広がった。
あとは丹念なストレッチを続けて身体をより柔軟にすることと、部分部分で少しずつ改善を図っていこうとうことになった。
ATAのレッスンでも50メートルを65秒6で泳ぐことができ、ずっと見ていただいている平野コーチからは「自己ベストですよ」と声をかけられた。
これを自信にして、よりラクで、より加速感を感じる泳ぎを探っていくことにしようと思っているのだが、しかし、なかなかうまくいかないんだなあ、これが。
このところ長く泳ぐことに慣れようと、プルブイで30分から45分続けて泳ぐという自主錬を行っている。トライアスロンではほとんどの大会でウエットスーツの着用が義務となっており、いわばプルブイを付けたような浮力のついた状態で泳ぐことになる。よってプルブイをつけ、ともかく長い時間を泳ぎきることを目標にし、これはこれで無理なく泳げるようになっている。加速感、前のめり感、肩甲骨の動きも感じることができる。しかし、プルブイをはずすとどうにもこの感覚が得られない。長い時間が泳げない。200まではまあ問題はないが、それ以上に自信がない。
実は25日にATAのレッスンで15分泳がある。このレッスンは半年に1回程度行うもので、今まで2回参加し、初回はあえぎあえぎ、休み休みで300メートル、2回目はなんとか500メートル。今回は少しは手ごたえの成果を得たいと心ひそかに期するところがあるのだが、どうかなあと不安が募る。
あと1週間。明日は15分、プルブイなしで泳ぎきる。それが目標。
木枯らしの 身体を刺すか バイク走
なにゆえに 寒風吹いて あえいでる
この2月16日で61歳となった。還暦から1歳を踏み出した。
Facebookで多くの方々から祝福をいただいたが、ほとんどがトライアスロンの仲間だ。トライアスロンを始めていなければ、このことはなかったであろう。
この歳になり、いままでにない環境に身を投げ入れることの面白みを感慨をもって味わっている。 -
神奈川マラソンで新フォームへの挑戦も確かな手ごたえ!
2月5日日曜日は神奈川マラソン(ハーフ)。リザルトは2時間3分1秒。半分の折り返し地点では59分台であったので、なんとか2時間切りを目指して自分としてはペースをアップしたつもりであったが、結果としては、後半のほうがタイムが落ちている。残念無念である。3分1秒というのも微妙で、あとひと足で2分台であったのにと思ってしまう。ハーフマラソンの参加は4回目であるが、このタイムは自己ベスト。1月のフロストバイトからも10分も短縮しているのだから、我ながら大健闘で大いに満足でもあるのだが、だからこそか、あとちょっとの欲もでてしまう。
でも、タイムはあくまでも結果であり、今回の目標は「足を痛めない」ランニングフォームにあった。腰をリズミカルに回転させ、大きな足音をたてずに走ることで、つま先への負担を軽くする。1月28日の東京ドイツ村駅伝でつかんだコツをハーフの距離で試してみる、ということであったが、ある程度の手ごたえを得ることができた。こちらは素直に嬉しく安堵した。
今回は、まず、左足の親指の付け根とつま先の2ヶ所にバンドエイドを貼った。靴下は5本指靴下ではなく、底に滑り止め機能のついたランニングソックス。靴紐も念を入れてゆったりめに縛る。
走り出してからは、ともかく意識を足音と腰の回転に集中。身体の軸を中心に、前に飛び出る感覚を確かめながらスピードをあげていく。
そこで気がついたのが、周囲を走る人の足音。パタパタとかなり大きな音をたてている人がそばを走ると、そのつま先に自然と目がいく。私のまったくの独断、思い入れだが、やはりつま先立って走っている感じがするんだなあ、これが。また、足音のたかいのは女性に多い気がしたが、これも勝手な感触で、その姿をみては「俺も前はそうだったんだよ」と偉そうに一人呟いては我が身の励みとした。
それで実際の痛みであるが、10キロを過ぎると違和感を感じ始め、15キロを過ぎてからはハッキリと痛みとなった。しかし、これまでは痛みはひと足ごとに激しくなっていったが、今回はなんとか安定した痛みで抑えることができた。あるいは腰の回転を一層意識することで、痛みを和らげるという芸当もできた。
最後の1キロは「なんとか2時間以内」を心の励みに、痛みをかみ締めながらの走りとなったが、でもこれまでの顔の歪むような痛みではなかった。
実は3月18日に初のフルマラソンを予定している。今回も痛みが変わらないようであれば、フルはあきらめようかとの思いもあったが、これでなんとか参加への意識を高めることができる。それに昨年からの足底腱膜炎の痛みもひどくならず、正直ホッとしている。
なお、翌日から痛んでいるのが、太股の前の部分。今までは太股の後ろのほうが痛んだが、これもフォーム変更の影響か。
パーソナルトレーナーの石橋先生からは、この年齢であれば、10キロ50分、ハーフで2時間、フルで5時間以内が一つの目安とうかがった。
あと3キロ体重を落とし、ストレッチをまめに続け、インターバルトレーニングでスピードをあげるといった努力を成し遂げれば、もうワンランク上にあがり、その目安を達成できそうに思えてくる。
昨年の今頃はまったく走ることができなかった。今年はしっかりと地に足をつけたトレーニングをして、不安なくオリンピック距離のスタートに立てるようになることを目標にしている。ランについては、手がかりがついた。問題のスイムについては、次回に報告。
横浜は 私の故郷 走り初め
横浜の 冬空のもと ランニング
走っているときに目線はどこにあるか。
普段はまっすぐに前を見ているのだが、今回は足元をみて視界を限定し、自己の世界に没入する時間をとった。そして時折顔をあげて周囲を確認する。
走るというのは自己との対話であることを、満足な気持ちで実感する。 -
ドイツ村駅伝。足の痛みを避けるフォーム。
去る27日土曜日は東京ドイツ村駅伝。1人5キロのコース×4人で20キロ。コースは東京ドイツ村内で、ほとんどが坂道の周回コースで1人2周を走る。
実はこの週は22日日曜のATA新年会のときから喉に痛みを感じ始め、23日月には完全に扁桃腺炎の症状。医者に行って抗生物質をもらい、24日火、25日水とほぼ寝たっきり。26日木、27日金でようやく普通の生活にもどり、どうにかこうにか間に合った状態。事前の1週間は何もしなかったことになった。
しかし、休んだことがかえってよかったのか、リザルトはチームは1:42:34で279チーム中の166位、私は1周めは13:50、2周めが13:48の合計27:38という結果。私としては、あのアップダウンコースで5キロを30分以内、1周めより2周めが好タイムというのは上出来だ。風がやや強く寒さがこたえたが、のぼり坂もさほど苦にならず、気持ちよく汗を流せた。
しかも今回の大会での私のテーマは、足音をたたせないスムーズな走りのフォームにあったのだが、それについても満足のいく手ごたえを得た。これは大きい。
2周目の下りを走っているときに、腰の回転をしっかり意識すると足音が響かないことに気がついた。それまでは、いわばソロソロ走る感覚であったのが、腰の回転に意識が向かうと、ソロソロ感が吹き飛び、自分としては、思い切って坂を下ることができた。足を前に振って着地する感覚ではなく、腰を前にして膝をあげて足を真下に下ろす感覚だな。手の振りも、それまでは身体の横で振っていたのを、手の位置を胸のあたりに置き、腰をねじる回転をかけるように振る。するとスピードも無理なくアップしていくような気分になった。専門的にこれがいいかどうかはさておき、自分身体でイメージがつかめたことが大きい。
おそらく坂道がよかったのだと思う。このフォームの成果については2月5日日曜の神奈川マラソン(ハーフ)で確かめてみることにしよう。
足の痛みについて、もうひとつ気になっているのが靴下。このところ5本指の靴下を履いているが、これがいいのかどうか。5本指の靴下を履いたときは、足の指はいわばパーの方向の向かっている状態である。自然と足の指に力が入りやすい状態である。それが私にとっていいことなのか。個々の指の負担が高くなっているということはないのか。ということで、次回は普通の靴下を試してみようと思っている。
冬空の 黄色の草地を 駆け抜けて
新年に 笑顔が集い 走り行く
肉体というのはおもしろい。ちょっとしたコツを覚えると、それなりに反応してくるのだ。
私としては、こうした肉体の自問自答が大きな楽しみとなっている。
タイムについては満足といっても周囲と比べればかなり遅い。
自分ひとりであると、いつも大きく取り残されて寂しい思いもするのだが、駅伝のおかげで、なんとか皆さんの輪のなかに入ることができたことを多としたい。
ああ、それと、レースでの姿を写真に撮っていただいて、それは本当にありがたく、ただただ感謝であるのだが、その自分の姿をみると「歳をとったなあ」。まるでガマ蛙のようにたるんだ顔とお腹に唖然としてしまう。これはアスリートとはいえないだろう。見るたびいいつも「もうちょっといい男かと思っていたが」と首をひねっている。どうも自惚れが強すぎるようだ。 -
呑み疲れた新年のある一日のスケッチ。これからATAの新年パーティ。
この1月は呑む機会が多くて、身体がいささか疲れている。先週も火水木金と呑み会が続き、月曜も家で一人呑んでいたので休みなし。昨日は土曜日練習でスイムとラン。スイムのときには小林コーチから「いつもの岩崎さんじゃありませんよ。疲れていませんか」なんて声をかけられた。「呑み疲れだからご心配なく」というわけだが、こうした疲れがちゃんと泳ぎに出るんだなあ。小林コーチ感謝です。
スイムの最後は25メートルを40秒サークルで20本だったが、一人遅れて2往復もパスをしてしまった。でも、疲れていたこともあるが、やはり25メートル30秒以内に入ってこないとつらいなあ、を改めて実感。泳いでいての前のめり感や加速感は以前よりだいぶ感じているのだが、それがタイムにつながらない。
ランはキロ6分ペースで1周1560メートルのサークルを11周。気持ちよくは走れたが、疲れが気になって慎重に足を運んだ。平野コーチと併走したのだが、彼女の足音はほとんど聞こえないのに対し、私のほうはペタペタと高く響く。そこで平野コーチにフロストバイトでの足の痛みを相談。
いまの私の走りでは、着地がつま先だってブレーキになっている感じなので、具体的には足音をできるだけ立てないように走ることを試してみようということになった。けっこう違和感は感じるが、課題克服の具体的な対応に取組んでみよう。
練習後はともかく家に帰って食事を済ませて昼寝をむさぼりたい一心。ソファーでラグビートップリーグの放映を横目で見ながらの昼寝となった。
夕方に目覚めると幾分は回復感を得て、洗濯と片付けと掃除。どうにもパソコンを開く気にならず、メールチェックもせずに、本を読み出した。
本はいま大評判の「ジェノサイド」(高野和明)。本は寝るときに横になって軽い随筆、電車ではビジネスに係る新書がメインで、近頃小説はあまり手にしてこなかった。「ジェノサイド」も買ってはみたものの開くまでに至らず。それが、今週はまず、同じく買ったままにしておいたカズオイシグロの「私を離さないで」を読了して引き続きの「ジェノサイド」となり、昨日は午前2時まで読み、今朝も読み継いで10時過ぎに読了した。
おかげでちょっと寝不足で、そのためか、今日の天気のためか、あるいはいまだに疲れが抜け気っていないためか、走りに出ようと思っていたのに、こうしてブログに向かっている次第だ。
本の感想は、カズオイシグロは「やはりさすが」。その静かな語り口が、ギターの弦をはじくように、心をやさしく叩く。ジェノサイドは楽しめたが「褒めすぎじゃないか」といったところか。ともにシチュエーションの設定を根幹としたものであるが、ジェノサイドにはその設定から生み出されるものが物足りなかった。
個々の小説の感想はさておき、小説を読むということは、どうにも気持ちを沈潜させるものがあり、トレーニングになかなか気持ちが向かっていかない、というのが久しぶりの読書がもたらした印象だ。気持ちの沈潜というのは、人生に立ち会う粛然とした感覚であろうか。とくに「私を離さないで」では、さまざまな感情の波がおしよせて、酩酊感に浸ってなかなか現実に向かう自分を取り戻すことができなかった。
おっと、そろそろATAの新年パーティに出かけなくではいけない。走ることはできなかったが、簡単なストレッチングぐらいは済ませ、これから現実の世界におこることへの気分を駆り立てよう。
氷雨降り 走る気持ちに なりきれず
どうにもなあ 新年会の 呑み疲れ
さあ、気分を変えて、現代史に参加しよう。