年度末は行政関係の「納品」時期で、報告書の作成に向かっている。今年はそれに地震がかぶさり、この3連休は自宅にこもり、テレビで地震情報を見ながらパソコンに向かう日々であった。地震については言葉もなくテレビに見入り、わずかながら、ネットを通していくつかの義援金を。
私たちが運営しているイベントのポータルサイト「イベントナビ」にも復興支援関連のイベント情報が集まってきた。http://www.event-navi.ne.jp/
イベントナビは無料で誰でもイベント情報が投稿できる勝手投稿サイト。
・自分たちで何かできないか集まってを話し合う
・自分たちで送るものをどこかに集める
・自分たちで募金を募る
・自分たちでチャリティイベントを行う
といった連絡掲示板としても有効に活用できるので、そうした折はぜひご利用ください。
前回のブログでも書いたことだが、改めて感心するのは、こんなときにあっても落ち着いて整然と、黙々として行動する日本人の強さ、たくましさ。あの人も、この人も、ほら、あの人も、そのようにして、寡黙に、しっかりと生きている、ということに心をうたれる。
がんばれと励ますというよりも、ただただ励まされる。
今週はFACEBOOKを使っての震災支援の方策について、プロジェクト開始の相談を始める予定。形が見えてきたら、このブログでもお知らせします。
先週はさすがにATAのトレーニングはお休み。通っているTIPNESS南行徳もお休み。足が問題なければ走りに出かけるのだが、それもできずに、納品に追われていた。
さすがに身体がなまり、この3連休の第一日の土曜日は、いい天気にさそわれて江戸川沿いを1時間のウォーキング。それでも汗をかいた爽快感があった。
昨日はオープンしたTIPNESSに出かけてストレッチング、30分のエアロバイクにスイム。身体にスイッチがはいったようで、気持ちがよかった。
昨日はスイムのみ、約1時間。このところ「フラットな姿勢づくり」に意識を集中して、あえてタイムもチェックして泳ぎ、実感としては手ごたえを得るのだが、そこでタイムを計ると同じなんだなあ。これがガックリする。
でも、黙々と、しっかりとやっていけば、いつかは一歩前にでることもできるだろうと思いを定めていってみよう。
震災の 冬の空みて 足さする
遠い空 吹く風思い 米をとぐ
このところ家にいたので、自炊が多かった。
気がつくとホノルルも近くなっている。
足が治るかどうなるか?
治らなかったら歩きましょう。
カテゴリー: トライアスロン
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練習再開 ホノルルも近づいてきた
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私の地震体験 日本人の姿に感銘
地震が起きたときは、日本橋高島屋横のビルでセミナーに参加していた。人数は100名ほどか。かなりざわついたが、悲鳴があがるわけではなく、席を立つ人もなく、落ち着いた印象であった。セミナー会場のため、荷物はない。その空間でただ椅子に座っているだけ。皆、なすすべもなく、身を固めて恐怖に耐えていたのだと思う。
セミナーは地震にもかかわらず続けられたが、3度目になり、セミナー主催者から、「ビルのほうから中止をしてほしいとの要請があった」とのことで、ようやく中止に。3階だったので階段で1階に降り、外に出ると、多くの人が路上に集まり、緊張した面持ちでたむろしている。高島屋の中に入ってみると、お年寄りが床に座り込んでいる。地下鉄はストップして、駅員が地下に向かう階段の入り口で説明をしている。
どうするか、と思ったが、ともかく東京駅へと向かう。あちこちで人がたむろしている。そんななか、牛丼屋でどんぶりをかきこんでいる人の姿が、なんとも違和感があった。
東京駅に着くと、全面運休で、改札前モニターでのテレビの前に人だかりができている。津波の様子が映しだされ、ようやくこの地震の姿をつかめることができた。これは大ごとだ。
こんなときに便意をもよおし、大丸のデパートに行こうと思ったら、すでにシャッターを閉めていた。対応が早いなあ。仕方なく、地下街のトイレへ。さすがに、ズボンをおろしたときには、この状態で大地震ではかなわないなあと情けなく思った。
意を決して、秋葉原の会社に徒歩で向かう。多くの人が歩いている。ラッシュでクルマはほとんど動いていない。でも街は平然として落ち着いており、それが強く印象に残っている。通行止めの路地で、何事かと思うと、ビルの窓ガラスが大きく割れている。
会社につくと、スタッフはもう帰宅しており、電車が回復するまで一仕事と思ってパソコンに向かったものの、断続的な余震で落ち着かない。会社の入っているビルは1階がピロティ駐車場になっており、地震に弱い構造であることを思い出し、あわてて外に出る。
馴染みの呑み屋にはいり、テレビを見ながら電車の復旧を待つことにした。同じような考えか、どんどんとグループ客が入ってくる。テレビを見ながらビールに湯豆腐をつつき、メールをやり取りしていたが、どうも、電車の回復には時間がかかることがハッキリしてきた。多分、家に着くまでに3時間はかからないだろうと見込みをつけ、8時20分に徒歩での帰宅を決意。痛む左足が心配であったが、リハビリトレーニングと思いを定めて歩き出した。
靖国通りで錦糸町に向かい、新大橋通りに出るルートだったが、特に錦糸町までは渋滞ともいえるほどの人の数。しかも路上のクルマはまったくといっていいほど動かない。黙々として歩いたが、ちょっとした高揚感もあったなあ。
途中、学校が帰宅支援でトイレ開放をしており、使わせてもらう。人々は整然と帰路に向かい、そうした支援がちゃんと行われていることに感銘を受けた。それと役に立ったのがスマートフォンのMAP機能。何回も確認することで、ゴールへのしっかりとした目標意識をもって歩くことができた。
荒川を過ぎると、だいぶ先が見えてくるが、左足も痛んでくる。岩田コーチより、明日の練習中止のメールが入る。
ほぼ11時、南行徳の駅前で自転車をピックアップしてようやく帰宅。物が少しは落ちていたが、ほぼ無事。この中古マンションがこれだけの地震にあっても大過なかったことに安堵する。あちこちにメールをして無事を確認しながら、テレビに見入り、ショックを受ける。
一夜明け、8時半に起床。まず足の痛みを確かめる。ああ、悪化してない。一安心。こんな折に不謹慎だが、素直に嬉しい。断続的な余震に見構える。明日はディアスロンの練習会だが、これでは休みとしようか。
改めてメールであちこちと連絡。あちこちのテレビ局をザッピング。テレビとインターネットは文明の利器であることをしみじみと実感する。
冬の夜 地震を受けて 人の波
厳寒に 天変地異とは このことか
こんな状況にあっても、整然としている日本人というのはすごいと思う。
その姿に感銘を受ける。 -
どうなる足底腱膜炎? シーズン前の不安!
シーズンが近くなってきて、トライアスロンのメーリングリストでは大会のエントリー情報が行きかうようになってきた。いいなあ。シーズンインだぞ!
本来であれば、戸惑いいっぱいの初シーズンの経験をふまえて、きっちり鍛えてシーズンに向かっていくイメージであったのだが、左足の痛みが長引いて、不安な思いもわきあがっている。
はじめは昨年内には回復と思っていたが、1月を過ぎ、もう2月も終わろうとしている。確かに快方には向かっており、日一日と回復の手ごたえを感じてはいる。特注インソールをはいており、普通に歩いているときはほとんど意識はしない。自然と階段を降りることもできる。でも、いまだ完治にはほど遠く、痛みがある。
病名は「足底腱膜炎(そくていけんまくえん)」。ネットで調べるとその典型的な症状である。ではネットでは回復についてどのように書かれているか。
「多くは3ヶ月から3年以内に自然治癒するものなので、痛みが出ても慌てずに、毎日の足のストレッチ運動や足への負担を減らす工夫をして、痛みが落ち着くのをゆっくり待ちましょう」となっている。
どうやら長くかかるものなのだ。快方に向かっていることからして、治らないとは思わないが、ひょっとして今シーズンはあきらめるというのもあるかもしれないという不安もある。そこまでいかなくとも、すでに申し込んでいるホノルル大会が開催される5月中旬はどうなのか。やはり1ヶ月は事前練習の期間がほしいから、4月までにはトレーニングを始められるようになりたい。あと1ヶ月だが、さてどうなるか、どうするか。
つい最近までは、なにをするにも足をつくと痛く、ともかく刺激を与えないようにしていたが、ようやく少しは動けるようになってきた。おかげで、足のストレッチや腹筋やスクワットのトレーニングは行えるようになってきた。つまりこれは、安静期間からリハビリ期間へと移ってきたということ。
そこでリハビリの情報を調べると、まず第一は足底のストレッチング。足の指でタオルをつかむタオルギャザー、単に足底のみならず、足全体のストレッチ、あるいはマッサージなどを行うことなどがあげられる。根本的には身体全体のバランスがよくないので、姿勢の矯正などにも取り組む必要があるともいう。
これまで、身体のケアに通える整体院を探していて、なかなかいいところが見つからなかったが、これもネットで調べて、こちらに行ってみようかと思っている。「ホットカイロ田町 http://hotkairo.com/」
当ブログでお近づきになったKenさんからは、「回復自体を楽しむように」といったありがたいアドバイスをいただいたが、確かにそのとおり。いろいろと調べ、さまざまに工夫をこらし、不安も含めて、回復へのプロセスを興味津々に見つめてコントロールしていきたいと思っている。
こんな状態でいると、テレビでよく見かける「一所懸命リハビリに取り組む」といったコメントも身近に感じる。マラソンランナーの有森裕子は両足とも足底腱膜炎の手術を行っているという。不安だっただろうなあ。
トライアスロンを始めてよかったことのひとつに、プロのスポーツ選手を見る目が変わったことがあげられる。スポーツ選手の心理を身近に感じるようになり、好きなスポーツを楽しむ幅が大きく広がった。勝手に同じ世界の村人と思える親近感を覚えるようになった。なんでも始めてみることだ。
春近し 川面の風が 誘い来る
陽を受けて 汗ばむからだ 春近し
春が近くなってきたことを身体全体で感じる今日この頃です。 -
還暦の誕生日 スイムでの手ごたえ 猪突猛進
昨日、2月16日で60歳、還暦となった。私は勤め人ではないので、60歳で定年といった感覚はないが、それでも60歳というと、老年へと向かっていくひとつの区切りとして、いささか感慨深いものがある。この年齢になって、公私ともども、やるべきこと、やりたいことがあり、さまざまに人間関係がひろがっていることの幸せを感じている。
これまでの我が身を振り返れば、どちらかといえば受身であり、風の向きにあわせて帆をあげるようにして人生をしのいできたが、これからは意識して前に立ち、自ら風を起こしてみようと思っている。
トライアスロンにおいても、「還暦トライアスリート」ということになり、面映いが、それだけでひとつのキャラクターになったような、ちょいと自慢したいような気分となる。おもしろいものだ。私は「年齢なんて関係ない」とは思わず「歳相応」を大切に考えており、自分なりに還暦をきわめ、還暦になったことをプラスにしていきたいと思う。
気分としては、還暦を期に、最後のダッシュに向かっていく感覚かな。ダッシュといっても、もう若い頃の勢いはない。還暦からのダッシュの感覚を自分のものにしたいと思う。
いま、そんな積極的な気分になっている理由のひとつが、火曜日のスイム練習。問題の右手だが、顔をあげるタイミングを早くし、かく腕をやや外にして浮力を得ることで、だいぶ右手が伸びるようになり、ようやく50メートルで1分3秒というところまでやってきた。手ごたえがでてきた。あと2ヶ月ぐらいで、目標である「50メートルを楽に泳いで1分以内」になんとか到達してシーズンインを迎えたい。
考えてみれば、左足を痛めたために水泳に向かい、オーシャンナビのトレーニングに参加したことがプラスに働いたところがあり、コツコツとやっていれば、人生万事塞翁が馬が巡ってやってくることを実感している。あきらめてはいけないのだ。当ブログでコメントをいただいているKenさんからは、「足の回復を楽しむように」というアドバイスのメールをいただいた。そうなんだよね。そうした気持ちのありかたが大切で、そこにこそ人生の秘密があるのだと思う。
一昨日、たまたまテレビで石岡瑛子のブロードウエイでの活動を追ったドキュメンタリーを見た。71歳という。特に印象に残ったのは、番組の最後に石岡瑛子が「馬車馬のように前だけをみて走ってきた。これからもそうして走っていくだけ」といった意味の発言であり、大いに刺激を受けた。改めてアクセルを踏みなおすという、還暦の誕生日を迎える気分に実に素直にフィットした。
「馬車馬」というたとえには、「わき目も振らずにひたすら前を向く」イメージがあり、いかにもデザイナーらしい集中力を感じさせる。私の場合は「馬車馬」よりも「猪突猛進」かな。前方の一点を見つめていく集中力はなく、汗をかきつつ、愚直に、ひたすら前へと足をかく。
初雪に 還暦迎え 走り出す
還暦や 命の力 確かめる
今日は「元気でやっていきます」という自己確認。 -
雪の舞う空を眺めて、今週のトライアスロンライフ
3連休の初日で雪が降っている。天気予報では、この後明日まで降り続き、都心でも5センチほどの積雪になる見込みとか。明日土曜日は一向に気のすすまなない結婚披露宴の出席でますます気が重くなっている。ああ浮世はままならぬ。
今週を振り返ると、7日の月曜は昨年のロタのレースで出会った方々と5名でささやかな新年会。昨年暮れに忘年会を行い、これで2回目の集まり。私が幹事役をつとめているが、くったくのない、ただの気軽なおしゃべり会として、適当に折をみつけてお声かけしていこうと思っている。これもトライアスロンを始めたからのお楽しみで、こうしたささやかなお付き合いを大切に取り扱っていきたいと思っている。
8日火曜は夜10時からのATAスイムトレーニング、9日水曜は夜7時半からのオーシャンナビBASICトレーニング。ATAでは2ビートのドリル。オーシャンナビでは水中での腕のかき方。オーシャンナビはこれで3回目。姿勢のつくり方、空中での腕のかき方に引き続いての水中での腕となり、次回はフィニッシュの腕のかき方になるという。
この2つのレッスンでともに指摘されたのが、相変わらずの、「右の腕が落ちる」こと。右手をのばしながら左に顔をあげるコツはわかったのだが、まだまだ自分のものになっていない。
そこで、昨日の10日木曜も南行徳TIPNESSで自主連。プルブイをメインに右腕に意識を集中したフォーミングを行った。そこでつかんだことがひとつ。右手を意識としてやや外側に着水して腕を伸ばすと、右手に浮力がついて沈みにくい、身体を伸ばしやすい。
また、そのほうが肘をあげやすい。相撲でいえば「かいなをかえす」感覚かな。
ということで、相変わらずにスイムに悪戦苦闘しているなか、こんなサイトを見つけた。
http://www.swimming.jp/3d_mv/3d_index.html
まだじっくりとは見ていないが、たとえば、顔をあげたサイドの手が着水するとき、反対の腕はどうなっているのか、顔はどのタイミングであげてさげているのかなど、コマおとしで確認していこうと思っている。
昨日は午前中はNTT関東病院で、左手しびれのブロッキング注射。MRIの結果も出ての診断であったが、やはり頚椎の5番目の骨と6番目の骨が生まれつきくっついていることに起因している模様で、老化による頚椎の変化によるものではないようだとのこと。つまりくっついている以外は大きな異常は認められない状態のようだ。
しばらくブロッキングを続けてみましょうということになった。ブロッキングというのは手探りで効果を確かめていくようなところがあり、果たして完治にいたるのか、神のみぞ知るところだが、まあ、いまの状態とやれることはわかったのだから、意気軒昂とやっていこう。
足のほうは、痛みはあるが普通に歩けるようになり、日常生活ではあまり痛みを意識しないで過ごせるようになってきた。そろそろウォーキングのトレーニングをはじめようか、その前に今一度順天堂医院に行ってみようかなどと頭をめぐらしはじめている。でも、あの病院では「注意してやってください」と消炎薬ぐらいだろうなあ。つまり、いつはじめるかなんて、誰もわからない、当人が様子を確かめながら自己判断するしかない、というのがホントなところなんだろうなあ。
雪が舞う 暗い空みて 肩ほぐす
いざ見るや 雪の向こうに 春の汗
2月の雪の到来は春到来への予兆である。
身体を整えて、春の到来を楽しみたい。 -
東京ドイツ村駅伝見学、オーシャンナビ参加のご報告
1月も今日で終わり、1月は16日のフロストバイト(ハーフマラソン)、29日の東京ドイツ村駅伝(一人5キロ)、30日の新宿シティハーフマラソンに申し込んでいたが、かかとの痛みでいずれも参加中止。
一方の腕の痺れはNTT関東病院ペインクリニックで神経ブロックの注射治療をすでに2回受けているが、現状はあまりはかばかしくない。何をしていても疼痛を感じ、それがジワリジワリと広がっているような感覚がある。MRIの検査を受けたのだが、固定された仰向け姿勢での15分がきつかった。腕の痛みと痺れは時間の経過とともにましていき、よほどギブアップをしようかと思ったほど。
いまもパソコンに向かっていながら、なんともいえない痛みに絶えず捕らわれ、しきりと姿勢を変えて痛みをしのいでいる。
そんな状態で、このところのブログも「トライアスロン記」というよりも「闘病記」のようになっており、掲載のペースも落ちているが、これを機会に何とか身体を作り直すとううのが、当面の目標。闘争心は衰えてはいない。
今回は、まずは29日土曜日の東京ドイツ村駅伝。http://www.doitsu-ekiden.jp/
私自身、参加はできなかったたが、アスロニアが開催協力している関係から、多くの知り合いがチームを組んでエントリーしており、応援に出かけた次第。
リザルトをみると、私が参加予定をしていた「ATA藍フォン」は1.36.20の成績。男女混合レース(5キロ×4人=20キロ)で173チームが完走したなかで68位。私の代わりに急遽参加いただいたOさんも、走ること自体まったくの久しぶりという状態にもかかわらず、アップダウンの激しいコースでを32分で完走と、おおいにがんばっていただいた。
私のほうは、ただただ見るばかりであったが、やはり駅伝はフツーのレースとは違うにぎわいがあり、ロードレースとは異なる周回コースであり、たすきの受け渡し場所には多くの参加者が集まって、会場は祝祭の感覚に包まれた。やはり参加してナンボだなあ。
そんな状態で、トレーニングももっぱらスイムとなるが、先週水曜に、はじめてオーシャンナビのBASICトレーニングに参加した。http://www.ocean-navi.com/swim/index.html
時間は7時半から1時間。場所はホテルラフォーレ東京のフィットネスサロンで定員15名。2つのコースを使ってのレッスンとなる。
参加した回のテーマは「体幹を使った姿勢つくり」で、これが大いに参考になった。
まずは片手を前に出し、身体をローリングさせる。ついで、片手だけでかく、といったドリルだが、お腹に力を入れて持ち上げるように姿勢をつくる、というのがポイント。これまでのレッスンでは、方を大きく回す、腕を伸ばすところに重点がおかれていたが、お腹に力をいれて背伸びをしながらローリングを行うというのが、なるほど、手ごたえを感じた。
次いで普通のクロールに入るのだが、やはり指摘されたのが右手がすぐに落ちること。はじめは「我慢してください」というアドバイスであったが、私の泳ぎをみるうちに「左に顔をあげるタイミングが遅い」点を指摘された。これは驚いた。というのは、右手が落ちるので、その影響を少なくするため、できるだけ顔をあげるのを遅くして短い時間で顔を戻すように心がけていたからだ。だが、これでは顔を上げた拍子に自然と右手の行き場がなくて落ちてしまう。逆に早めに、身体のローリングに合わせて顔をあげれば、顔をあげた状態で右手を前にしたままで、身体全体を大きく伸ばすことができるということ。なるほど。この注意ははじめてで、まさに私にすれば目から鱗が10枚ぐらいも落ちた感覚。
さらに「スケートで体重移動をするように進む感覚で泳ぐ」というアドバイスも私には飲み込みやすかった。グイっと片足に体重を乗せて粘る感覚だね。
レッスンの最後は50メートルを1分30秒サイクルで11本。これはきつかった。なんせ、こちらは1分15秒ペースなのだから、休む時間もない。最後尾でなんとかかんとか振り切られずについていった次第。でも、早い隣のコースは1分10秒程度のサイクルで13本なのだから、私にしてはBASICとはいえ、レベルが高い。
コーチは守谷雅之さん。http://www.ocean-navi.com/staff/moriya.html
いま年齢をみると43歳? いやあとても見えない。30前後に見える。
穏やかで、笑顔を絶やさず、和やかにリードしていただいた。参加メンバーも15名と限られた人数で、違和感はまったくなかった。
帰りはうれしくて、なぜかピザを無性に食べたくなり、品川駅前のイタリアンバーでマルガリータピザにハウスワインをグラス2杯で、一人ささやかに祝杯をあげた。
しばらくこのBASICトレーニングに通ってみよう。たぶんこれが50メートル1分以内への具体的な方策との手ごたえを十分に感じた。
ただし、ブログには書くが、ATAの仲間には「こそれん」。成果をあげて、多少なりとも驚かして、「実は」とご紹介をしたい。
寒空に 広がる草地 風しきり
歓声が 渦となったか 冬の空
なんでもやってみることで、扉がひとつひとつ開いていく。
おずおずと、扉を押してみる。 -
痛めた足で考える。還暦のトライアスロンライフスタイル。
TIPNESS南行徳のプールは、ロッカーから階段を降りてコースへと向かう。昨年までは、足が痛くて、まず右足を一段出して次に左足をそろそろと揃えるといった具合だった。それが壁に手を触れながらも、普通に交互に足を運べるようになり、昨日はようやく壁に手を触れることなく、普通に降りることができるようになった。でも、降りてプールサイドを歩くときは痛みが走り、左足をひいてしまう。
そんな状態なのでスイムに続くランの練習はお休み。自主連でプールでのウォーキング、エアロバイク30分、背中・肩の筋トレをこなして、350円整体マッサージへ。
29日に参加を予定していたドイツ村駅伝、30日に同じく参加を予定していた新宿ハーフも取り止めを決定した。
この感じでいくと、歩くトレーニング開始にあと2週間、ランのトレーニングにはさらに2週間ぐらいかかるかなあ。
今回のこの足の痛みについては、いくつか考えさせられるところがあった。
あるWebサイトで、次のような説明をみつけた。
「加齢に伴って、徐々に足底筋膜炎を起こしやすくなります。自然に痛みが出てくる場合もありますし、急な長距離歩行、立ち仕事などがきっかけになることもあります。」
痛めた当初は、ロタ島大会でのランが原因と単純に考えていたが、回復にこれだけ時間がかかると、「加齢に伴って、徐々に足底筋膜炎を起こしやすくなります」という一文がずしりと腹に響いてくる。腕のしびれも含め、やはり1年間のつけが身体にきているのか、それは年齢に応じたことでもあるのかと、しみじみと感慨にひたってしまう。
だからといって「仕方がないや」というわけではない。であるならば、この年齢ならではの身体の作り方を探していかなくては、という方向に頭が働いていく。
具体的にどういうことかといえば、「ゆっくりと慎重に」となろうか。いきなり何かを始めない。ゆっくりとおっかなびっくりで始めていき、身体に及ぶ反応を確かめる。
あるいは何か変だと思ったら立ち止まって対処を行う。
例えばロタのランでは、当初、左足の靴下がしっくりこないで、よほどいったん立ち止まってはきなおそうかろ思った。それが今回の痛みの原因とは思わないが、還暦の心構えとすれば、やはりあそこは立ち止まらなくてはいけなかった。
あわせて、ゆっくりのリズムを粘りに変える。これは先を急ぐのではなく、絶えず身体と語り合い、手加減をしながら続けていく感覚だな。大切なのは続けていくこと。それにより、スタミナなど蓄積するものが増えていく。だから「今日はやめようか」と思わずに「できるところはやっておこう」という発想にたつ。
そんなふうにして、この1年で、還暦ならではの、自分の身体をつくってみたい。そんなことを考え始めている。
トレーニング用語でいえばLSDだな。
ここでもあるWebサイトからの引用。
「LSDとは、英語の「ロング・スロー・ディスタンス(Long Slow Distance)」の頭文字をとった略称で、文字通り、長い時間、ゆっくりと、長い距離を走るトレーニングのことです。・・・注意すべきなのは、連続して長く走ること。できるだけ立ち止まらないように継続して走るようにしましょう。反対に、カラダが楽だからといって途中からペースを上げてしまうのも禁物。ペース走トレーニングと同じように、足の運びを整えて同じスピードで走り続けることが大切です。」
この感覚をランのトレーニングばかりでなく、他の種目にも、さらには日々の暮らしのありかたにも敷衍していくのが、私の考える、あるべきイメージに近い。
それが私の「還暦トライアスロンライフスタイル」というものであり、言い換えれば、この足の痛みから、改めて「ライフスタイル=日々の暮らしの形」を考えるようになった。
「無理をせずに、適度な緊張を持続するような生活の過ごしかた」とでもいえよう。
昨日は久しぶりに大学時代の同級生と二人で新宿で呑んだ。二人きりで呑んだのは30年ぶりぐらいかもしれない。大学は明治大学の演劇専攻で、やはり演劇専攻というのは多少は珍しいひとつの個性であり、久しぶりに、微妙なところで価値観を共有する会話を楽しんだ。ちなみに彼は役者志望で、私は演出志望であった。
彼はタイやベトナムへの一人旅にしばしば出かけるという。彼が話すと、それって自作自演の即興舞台のようになる。さらに60歳というのは、その年齢だけでかなりの個性となる。役づくりの輪郭がはっきりとするではないか。ちょっと刺激されたな。
タイにはこのブログを通して知り合ったトライアスリートのKenさんがいる。タイのトライアスロン大会に出て、そのままタイ~ベトナムをめぐる60歳のバッグパック一人旅というのが、いま頭に浮かび始めている。舞台はいいじゃないか。そこで誰に出会うだろう。愛らしい子供、はにかむ美少女、黄色の衣を着た若いお坊さん、歯の抜けた老婆の笑顔。。。。
さあて、足が治るのが、楽しみだ。
思い出が 冬の夜風に 千切れてく
ゆっくりと 冬の日差しに 和むかな
過去を共有する人と語り合うのは楽しい。
思い出のなかに明日への気持ちがみえてくる。 -
目覚めがよくて目標決定!65歳まで続ける!ハーフを完走する!
今日は7時に起床。快晴の空と日差しをカーテンを通して感じながら、すっきりと気持ちよく目覚めた。
昨日は娘家族が、妻にお線香をあげに来訪。
「あなたの家のお墓に一人で入るのはいや」、実家のお墓は、お墓の管理をしている弟と喧嘩中で、頭を下げて入れてもらうのはマッピラ!ということで、亡くなって3年半、いまだに遺骨は家においてある。一緒に寝ている。
娘にすれば母への新年の挨拶となる。
冷蔵庫に冷凍コロッケとレタス、たまねぎがあったので、コロッケをチン、サラダ、たまねぎと豆腐の味噌汁を作り、ささやかながらも賑やかな食卓となった。そこで缶ビールを2本。
娘家族がカルタ取りで遊ぶ声を聞きながら、食卓、食器をかたづける。訪ねてきた子供家族に私の手で食事の世話をするなんて、まるで実家の母親になった不思議な違和感もあったが、皿を洗いながら「これが私たち家族のありかたなのだろう」と苦笑まじりに思いを定め、気持ちよく引き受けた。
9時過ぎに笑顔いっぱいで娘家族を送り出し、テレビで大好きなインディジョーンズを観るが眠くて仕方ない。
昨日はスイム+バイクの練習で、バイクにのったのは、昨年12月の養老渓谷へのロングライド以来。久しぶりで多少は怖く、なんといっても寒いのにはまいったが、久しぶりの爽快感、満足感を味わった。
眠いのはそのおかげ。我慢できずに、インディジョーンズにをあきらめ、11時前には就寝。それで7時に起きたのだから、トイレにも行かずに8時間の睡眠とすっきり目覚め。こうでなくちゃあ。私にとって、この目覚めの感覚こそはトライアスロンで知った醍醐味で、「ああ、はじめてよかった」とかみしめる。
気分のいいまま、バナナと牛乳の朝食で、洗濯と床掃除。テレビをつけると、間寛平のアースマラソン特集をやっていて、思わず見入った。
まず、61歳という間寛平の年齢に親近感を覚える。前立腺癌の発症も他人事と思えない。そのうえで、一念発起の目標の設定と実現への準備、実現への持続力など、やっていることはとても足元にも及ばないものの、わが身にひきつけて共感する。
驚嘆するのは持続力だな。誰も経験したことのないゴールへと一人向かっていく時間の長さ、休むことのない肉体の酷使、それに耐える精神力。私なんか、スイムの1500メートルの長さに耐えられないんだから恐れ入る。さらにテレビでみる明るさがいい。
さて、私はどこに目標をおいてみようか。65歳まで続ける、ハーフを完走する。いまリアルに見えるところは、こんなろころかな。70歳じゃあどうなっているかわからない、アイアンマンじゃあリアリティがない、続けられるだけ続けようとは思っているが、それは目標ではなく心構えだものね。
ということで、これは間寛平が私の還暦目標設定のひきがねになったということ。
今日は、本来であればフロストバイトに出場しているはず。11時スタートだから、12時30分の今頃は最後のがんばりどころだなあ。昨年のフロストバイトは私の人生で初の大会参加。時間は2時間14分。ことしは2時間切りを目標にしていたので、本当に残念無念。
足は少しずつ、少しずつだが、確かに快方に向かっている手ごたえがある。1月末のドイツ村駅伝、新宿ハーフも難しいようにも思う。これまでは何とか出たいと思っていたが、いま、「2月末には確実に治るだろう、であれば、見送ってもいい」と思いはじめている。
冬の陽に 目覚め誘われ 背を伸ばす
陽を浴びて 洗濯ほすや 冬の朝
いい天気の朝にすっきり目覚めると、いい気持ちになる。
いい気持ちになると、仕事にもいい姿勢になる。
これまでためらっていた仕事の方向に決断がついた。
この気分でいってみよー。 -
NTT関東病院ペインクリニックでブロック注射!
昨日は近所のクリニックで8:30にインフルエンザの予防注射、それから五反田のNTT関東病院のペインクリニックへ。目的は左の腕のしびれ。顔をあげると、腕の付け根から小指の先までしびれが走る。最近は普通に歩いていても、ママチャリに乗っていてもしびれる。もちろんスイムでもしびれ、特にビート板のバタ足練習で顔をあげると実にしびれる。寝るときも上を仰向けの姿勢がとれなくなっている。
原因はバイク。肩と首に力が入り、いわば首のむち打ち状態になった。
そこで、順天堂のスポーツ整形に行ってみたが、手術はできない、マッサージなどで対応するとう診断で、だんだんと快方に向かっているのならそれでもいいが、最近はバイクにも乗っていないのにむしろ悪化しているのだからちがあかない。「ここは神経ブロックしかないか」と思い定めてペインクリニックに向かった。
NTT関東病院のペインクリニックは、20年ほど昔に椎間板ヘルニアで1ヶ月ほど入院治療し、完治した経験があるので、自分なりに様子はつかめている。
対応していただいたのは女医の方。まずは問診で細かく状況を確認、ついで、顔を上げたり、下げたり、うでを伸ばしたり、筆で指をなでて反応をみるなど、これもかなり丁寧な触診で、「どうやら首ですね」ということになった。
それから採血と採尿、耳からも血をとり、レントゲン検査へ。レントゲンも順天堂では1枚のみであったが、6枚もとった。ここまでやってもらえると、こちらとしては、やはり満足するよね。
さて、診断は、まず5番目と6番目の骨がひっついているというのは順天堂と同じ。ただし、しびれる場所からすると、問題はそこではなく、8番目の骨のところにあるという。
「もっとよくその部分をみるにはMRTの検査となりますが、受けますか?」
「はい、受けます」
「ブロック注射をやってみますか」
「はい、お願いします」
ということで、そのままブロック注射となった。
これは「腕神経叢ブロック」というもので、その説明ペーパーを渡された。そんなペーパーを用意しているのだから、同じようなしびれに悩んでいる人がそれだけ多いということなのだろう。
以下、その抜粋。
腕神経叢ブロックとは、頚椎から神経が束になって出てくるところ(腕神経叢)に、局所麻酔薬やステロイド(炎症止め)う注入することにより、頚部、上肢、肩などの痛みを鎮める治療法です。
【ブロックの方法】
・レントゲン室のレントゲンや超音波を見ながら治療を行います。
・仰向けになり、痛い側の鎖骨のあたりを消毒し清潔な布をかぶせます。
・テレビやパソコンの画面で位置を確認しながら針を刺します。
針を進める途中で、腕に痛みや痺れが走ることがありますのでそのような場合は医師に声をかけてください。
・針を良い位置に進め、局所麻酔薬・造影剤・ステロイドの混合液を注入します。薬の拡がりを画面で確認し終了です。
・ブロック後、約30分は外来で安静にしていただきます。
・ブロック後、腕がしびれたり、完全に動かなくなることもありますが時間とともに回復しますので心配は要りません。腕が動かない場合は三角巾で腕をつって帰ることもあります。
ということで、そのとおりの治療が行われた。
鎖骨のところに注射というのは初めての体験で少し緊張する。妻の癌治療の末期、食事ができなくなり、鎖骨に近いところにポートを埋め込み、そこから針で栄養を送っていたことを思い出した。ポートを埋め込むそのとき、さぞかしつらく、不安であったであろうと、思わず身が震えた。
クスリが拡がっていくと、じわっと痛みが和らぎ、小指にわずかな圧迫感があった。この痛みが和らぐ感覚は、そうだ、椎間板ヘルニアの治療を思い出した。麻酔というのは、まさに魅惑だ。
30分の休みのあと、身支度をするが、シャツにうまく左手が通せない、コートがうまく着れない。でもしびれは薄れ、久しぶりにフツーに歩く感触を確かめた。ああ、嬉しい。
5340円の会計をすませて、病院を出たのはなんと4時15分であった。6時間30分も病院にいたことになる。
この治療は2週間おきに数回行うことになる。次回までにMRTの検査をうけ、次回はそれに応じた治療となる予定だ。
治療から一日たった現在では、またしびれが戻っているが、それでも治療前よりはましである。やってよかった、と思っている。
冬の空 はやる思いで 病院へ
酷寒の日 鎖骨をさらし 針をさす
今日は、とりあえずの状況報告。 -
痛めた足と増えた体重をかかえて私の一年の計
年の暮れから扁桃腺を痛め、左足の痛みは治らず、体調不良、運動不足、過食の状態で、箱根駅伝と大学ラグビーをテレビで見ながら正月を過ごした。特に扁桃腺の痛みは「風邪ではない」との診断ではあるが、喉のひどい痛みもさることながら、どうにも身体がだるく、正月明けの4日以降も日々宴席をこなしながらも半分寝込んだような状態で、気力も衰え、ともかく寝ることに専念した。
それでも8日土曜日はようやく回復し、ATAのスイム練習。足の痛みでランの練習は休むが、水中ウォーキングとエアロバイクの自主練習。30分のエアロバイクで、久しぶりに汗をかく快感を得ることができた。
しかし風呂上りに気になっていた体重を計ると、なんと69.7キロ。70キロの大台超えとはならなかったが、運動不足、過食のつけはしっかりとついていた。昨年のホノルル大会時点からは4キロの増加。トライアスロンを始める前の体重が概ね67キロ~68キロ。それがトライアスロンのおかげでダイエットストレスなく65キロ台まで落とし、この調子で目標の63キロ台ともくろんでいたのに、ここで見事にリバウンドしてしまった。
年末年始の食べすぎもあるが、やはり走れないのがつらい。ということで、昨日の日曜もジムにでかけてエアロバイクを30分こなしてからスイムに。今日も夕方にはジムに出かけてみよう。
ちなみに、スイムではプルブイをはさんでのフォーミングに重点をおき、前のめりに、潜るように、大きなボールを超えるような泳ぎに意識を向けてており、身体に受ける水の手ごたえなど、だいぶコツをつかんだ感じを得てはいるが、しかしタイムが伸びない。でもここで限界とも思えない。まだまだあがいてみないといけないなあ。
足の痛みから、1月15日のフロストバイトへの出場はすでにあきらめた。1月29日のドイツ村駅伝までには何とかならないかと念じているが、どうかなあ。少なくとも1週間前の22日には軽いトレーニングができるようではないと、おぼつかないだろう。
昨年のフロストバイトは私にとっては人生初の大会参加。和やかな大会の雰囲気と大会会場での仲間との出会いや共有など、大いに刺激を受け、今年は何とか2時間切りを目指していたのに、ああ、残念。
といった調子で、2011年が始まった。昨年は1月末の引越しを控えて気ぜわしい年始であったが、今年は足を痛めて練習不足、体重増加の年始というわけで、意欲はあるものの、なかなか意気があがらない。いまも外は風が強いものの、それだけに雲もない快晴で、身体の生理としては日差しと風を受けて走りたくでウズウズしているが、それもかなわない。
「最近は粘り、根気がなくなってきたんだよね」
「何をやるにもスピード感がない。てきぱきいかなくてイライラする」
「何かをすますと、次に移るまえに休んじゃう」
「以前ならすぐ次の行動に移ったのにね」
「ボーっとテレビを観ている時間が長くなって自分でも驚く」
「一日に一つのことしかできなくなってきたんだよ」
これは年末年始に交わされた年齢に関する会話。
身体の状態も思うようにいかず、粘りと気力が衰えていくなかで、どんな毎日を過ごしていくか。日々の暮らしの時間割、事にあたる手筈、スピードとリズムを改めて、還暦相応に、作り直していかないといけないなあ、なんて思い始めている。
新年に わが身抱きしめ 年の計
どこへ行き 何をするのか 年初め
今日は成人の日。といっても自分の成人の日より、子供たちのあの日を思い出す。
思い出茫々。
過ぎた日は日々遠くなり、思い出を探す旅も、また果てがない。