カテゴリー: トライアスロン

  • かかとの痛みに治療法はないものか?

    もちろんこれまでもいろいろと調べてみたが、改めて、正月休みに足の痛みについてネットで調べてみた。特にこのサイトあたりが参考になった。
    http://www4.plala.or.jp/sekimatichiro-i/myweb5_070.htm
    http://ashinoitami.net/39.html
    同じ悩みをもつ方もご参考にしてください。以下※はネットからのコピペ。
    【症状は「足底筋膜炎」】
    ※足底筋膜炎は足底腱膜炎とも呼ばれ、足を接地する時に足の裏の特にかかと周辺が痛みます。これは、かかとの骨と足の指のつけ根までアーチ状に張られている足底筋とよばれる腱の炎症や断裂が原因で、中高年男性やランニングやマラソンのトレーニングをするスポーツ選手などによく発生します。
    ※足底筋膜炎の原因は、加齢によるものをはじめ、長時間の立ち作業や固い靴底の靴の使用、肥満による足への負担の増大なども考えられます。
    痛みは特にかかとの内側で、押すとピンポイントで痛む。いといろと調べてみたが、まさにこれだと思う。痛めたのはロタのトライアスロンだが、「年齢」も大きな要因になっているようだ。これは手ごわいなあ。
    【治療法は】
    ※とにかく安静にしていることです。出来れば一週間以上安静にしているようにしましょう。鎮痛剤などでいたみを抑えるのも良いです。足に合わない靴が原因のことがありますのでまずは靴が足にあっているかどうかチェックしてみましょう。踵が低すぎる靴もいけません。また運動が原因と考えられる場合はその運動をしないことです。炎症部分を冷却して炎症をとりストレッチで周りの筋肉をやわらかくすることで症状は良くなります。治癒には長期間かかることもあります。無理をしないよう気をつけましょう。また家庭でも踵の衝撃を避けるようなクッションの入ったスリッパなどを履くようにして衝撃をやわらげるよう工夫しましょう。
    ※足底筋膜炎の治療は、軽い炎症の場合なら安静にしていれば徐々に痛みが軽減して完治することもあります。炎症や痛みを抑えるために抗炎症剤の湿布やステロイド剤を投与したり、アイシングやマッサージをするのも効果があります。また足底筋を支援するアーチサポートや中敷きインソール、ヒールカップなどを装着するのもたいへん有効です。しかしかかとのひどい痛みが長く続き、慢性化したような場合は外科手術が必要になる場合もあります。これらの装具を使いながら、足裏に衝撃のかかりやすい行動は避けて安静を心がけていれば、足底筋膜炎はセルフケアでも自然治癒することが多いのです。また足裏のストレッチも効果的で、つま先立ちをして足首を反らせ、足裏の腱を伸ばすようにするストレッチを行ないます。
    これまで、整体院でマッサージを施し、順天堂医院でもらった消炎剤を塗り、テーピングとサポーターを試み、特注のインナーソールを購入した。
    要は安静にして刺激を与えないことなんだよね。それでクスリを塗って痛みの軽減を待つ。確かに徐々にではあるが、痛みは軽減し、現在は痛みは感じるものの、普通に近い状態で歩けるまでにはなっている。さらにこの正月は、お風呂に入り(普段は冬でも朝シャワー)、自分でマメにマッサージを行うようにしている。
    【全治までの期間】
    ※個人差はありますが自然治癒まで早くて数ヶ月、半年から数年かかる場合もありますので、根気よくフットケアを続けることが大切です。
    ちょっとクラッときたなあ。そんなにかかるのか。数年もかかるなんて、トライアスロンからスイムに転向しなくてはならないではないか。
    1月は16日のフロストバイトのハーフ、29日のドイツ村駅伝、30日の新宿ハーフを申し込んでいたが、現在の痛みからして、すでにフロストバイトは諦めの心境。月末までになんとかならないかと思うのだが「自然治癒まで早くて数ヶ月」というのだから、ああ、不安はつのる。
    私にとってハーフマラソンの初挑戦となった昨年のフロストバイトでは、17キロから両足の指の付け根が痛くなって悲鳴をあげた。ロタ大会でも最後に同じ付け根が痛くなった。考えるに、年齢のこともあり、足が弱いのではないかと思う。
    足でグーパーをする、足の指でタオルをつかむ、竹踏み、ストレッチををするなど、足をすこしづづ鍛えていかなくてはと思っている。
    29日に泳いで以来、何もしていないので身体に不快感があり、今日は江戸川沿いにサイクリングに出かけた。一人でロードバイクで出かける勇気はなく、ヘルメットにママチャリというスタイル。それでも1時間半ほどは気持ちよく走ったが、太ももの裏がパンパンになった。すでに筋肉痛がおきている。
    窓のそと 冬の空眺め 足さする
    冷え冷えと 川風受けて ペダル踏む
    正月の片付けで、なんと小学1年の通信簿を発見。「声が小さい、活発さが足りない」とある。自分でも驚き。なんと、おとなしい子だったんだ。思い当たる節も多少はあるが、そんな自分がいたなんて、まったく忘れていた。

  • 皆様 明けまして おめでとうございます。

    今年もよろしくお願いします。
    昨年の正月はまだ大会の経験はなく、住んでいるところも大井町で、まだ息子と一緒に暮らしており、大晦日の夜は近くに住んでいた娘家族と一緒に過ごした。
    ことしは市川は江戸川沿いに引越して一人住まいとなり、トライアスロン初シーズンを終え、昨年の正月とはずいぶんと違った趣になっている。一人で迎える元旦である。
    大晦日には引越しでとりあえず突っ込んでいた書類棚の整理を行い、資料をひっくりかえし、図らずもこの10年の一端を振り返ってみることになった。
    妻に癌がみつかり手術を受けたのが2001年3月6日。私の人生のなかでもっとも劇的な変化に見舞われた一日。以来、次女の結婚と出産、妻の死とその半年後の母の死、生家の横浜の実家を整理、長女はカナダ留学、息子が家を出て、ひとり市川に引越してきた。長女はカナダより帰国したが、ニューヨークへと今度は働きに出かけた。その間に私はトライアスロンを始め、次女に二人目の子供が生まれる。
    仕事のほうも、委細ははぶくが、なかなかに激動で、60歳からの仕事へのさまざまな助走があった。
    だから少し疲れた思いで、一人きりの元旦を過ごしている。疲れた思いには「ようやく一段落」の安堵感も含まれる。私はかねがね60歳を大きな人生の節目とみており、基本的には60歳以降は「老後」と捉えている。勤め人ではないので、定年はなく、生涯現役がなのだが、現役であるからこそ、60歳以降はそれまでとギアが異なり、そのギアは老いを基調とするものになると考えている。何をするにも、これまでと同じようにはいかないのだ。あるいは同じようにしていてはいけないのだ。年寄りのたしなみというものを身に付けていかなくてはいけないのだ。
    だから60歳までに「老後の準備」を整えておきたいとの思いがあり、それはトライアスロンを始めた動機ともなっているのだが、いま、さまざまな激動の末に、どうにかこうにか、還暦以降を元気で過ごす準備がかろうじて整ったような安堵感がある。この安堵感が少しでも長く続いてくれればいいのだが、しかし、人生、先のことはわからない。
    だから今年は、気持ちとしては、ゆったりと、一歩一歩、道の真ん中を、遠くをみて歩くようでありたいと思っている。
    そう考えると、この時期に足を痛めるというのはいい教訓になっているとも考えられる。おかげで歩くことに意識的になり、一歩一歩を足元を確かめるようにして歩を進めている。実は歩くリズムは生きるリズムと連動しているというのが私の考え方。歩くリズムをしっかりとつくって「老後」を歩いていきたい。意識が行動をつくるというよりも、行動が意識を形成していく。だからトライアスロン・ラフスタイルというのも、単にトライアスロンを暮らしのなかに取り入れることを意味しない。トライアスロンに向かう行動そのものが、仕事も含めた日々の意識を形成していくことなのだ。
    元旦ということで、生真面目な内容となってしまった。
    元旦に 今年を望む 目覚めかな
    元旦の 朝日を浴びて 初散歩
    とはいうものの、足が痛まなければ走りに行くのにと思うと、ああ、悔しい。
    今年も元気でやっていこう。
    写真は4階の我が家のドアを開けた通路からの眺め。江戸川の向こうにスカイツリーが。

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  • 108本スイムで、泳ぎおさめとなりました。

    一昨日29日はATAのスイム練習会。年末にちなんで108本を泳ぐ。場所はATA十条のホームグランドである十条の東急ウエルネス。
    第一コースは100メートルを1分40秒で108本
    第二コースは75メートルを1分40秒で108本
    第三コースは50メートルを1分20秒で108本
    第四コースは50メートルを1分40秒で108本
    第五コースは25メートルを1分で108本
    参加者は全員で50名ほどにものぼったが、もちろん私は第五コースに参加。
    よくなったとはいえ、アレルギーで扁桃腺をはらしていたので、やや病み上がりの感覚であったが、何とか参加でき、泳ぎ終えてホッとした。
    108本のなかには、スピードにのれないときと、のれるときがある。その違いはやはり「姿勢」にあることを改めて実感した。のれるときは姿勢が前のめりとなり、腕のかきにもスピード感がでてくる。
    前のめりになるポイントは、ひとつはコメカミに意識を集中して潜るように水中につっこんでいくこと。合わせてキックをしっかり打って浮力をつけ、お腹を伸ばしてできるだけ腰を浮かす。これがうまくいったときは結果として腕のかきにスピード感が出る。あと、スタートのけのび姿勢のそのままに、スピードにのって泳ぐこと。よくないときはコースの半分ほどで失速しまうのだが、何回かは最後までスピードを維持することができた。ようは「水にのる」ということなんだな。
    逆によくないときは、腕のかきに意識が向かいすいて、いわばバタバタした状態になってしまう。私のイメージでは、そうなるときは顔がふらふらしているように思える。しっかりとあごをひいて目線をやや前方に向けているときは、姿勢も伸びて意識も集中してうまくいっているような感覚であった。
    一本、一本、そんなことをあれこれと考え、確かめながら泳いだのは、とてもよかった。
    第五コースは8人参加。40本、80本の2回、4分の休憩があり、励ましあってのスイムだったので、泳いでいるうちはテンションも高く、つらくはなかった。
    ただし、3回ほど足がつりそうになり、その際は痙攣がおさまるまでプルブイを使った。3回目は股関節がつりそうになりびっくりした。泳いでいての股関節の痙攣なんて初体験。そんなことはあるのだろうか。
    あと、プルブイを使うと、水ののりがいいんだよね。スーッとのっていく。やはり姿勢なんだよ。このプルブイ姿勢が目標なんだよ。
    全員が泳ぎ終えたあとは記念写真。終わったあとは両足ともつりそうになり、あわててプールサイドのジャグジーにつかって足をあたためた。
    いい経験だった。来年は第四コースにステップアップを目標にがんばってみよう。そのためには、やはり50メートル1分が目標だな。今回25メートルは30秒をキープできたが、かといって50メートル1分ができるわけではない。プラス10~15秒となってしまう。
    でも目標としては手のかかるところに近づいてきたとは思う。がんばってみよう。
    練習会のあとは十条駅前の庄屋2階を借り切っての忘年会。ここではATA南行徳メンバーが集まった席での、気のおけない馴染みの宴席となった。
    だいたいいつもそうだが、トライアスロン仲間が集まると、これからのレース予定の情報交換となる。来年はハーフに挑戦か、なんて話もでるが、こちらとしてはオリンピックを安定してこなせることが来年の課題で、なかなか視界には入らない。ましてはアイアンマンなんてまったくの別世界。でも若きトライアスロン仲間でアイアンマンへの挑戦が広がっているのを見るにつけ、うらやましいとは思う。
    私より2ヶ月年下、来年はともに還暦トライアスリートのSさんとの会話。
    「もう、こっちは時間がないからねえ」
    「ピークをつくるとしてもこの数年だよね」
    「まあ、この2・3年だね。あとは身体がおとろえる」
    「元気があるうちにやらないと」
    「やるのは70までやるつもりだけど」
    「エッ? そんなにやる気?」
    「まあ、続けられるまでは続けてみようかと」
    ちなみに、Sさんはホノルルでも3時間10分でアップする実力者。
    「Sさんならハーフは十分いけるんじゃないの?」
    「ハーフになると問題はバイクだよね」
    私とては、来年は少しでもSさんに近づこうというポジション。
    「やっぱり来年はオリンピックに自信をつけて、それから考えたい」
    私もSさんも若く見えるほうで、まあ、この歳になってトライアスロンを始めるのだから、歳の割りに若いといえば若いが、Sさんと共有するのは「若さ」ではなく「老い」なのだ。若そうに見えても、この年齢になれば、身体の老いが、さらにその先にある死までもがとても身近になる。「こっちには時間がない」というヒトコトへの深い共感がある。
    そんなことも考えると、今年はスタート、来年は確認、再来年にピークというスケジュールが見えてきそうだが、さて、どうなるか。
    翌日は両肩、肩甲骨まわりがすごい筋肉痛。これも初体験。足の具合はだいぶよくなったが、これはスイムとは関係ないか???。あと、今朝からはのどの痛みがぶり返している。こちらも困った。
    3日のランの練習会の参加は無理そうだな。朝8時には代々木公園に集合で走りながらあちこちの神社におまいり、昼には終えて昼食で終了というスケジュールだそうで、楽しいだろうなあ。足さえ痛くなければぜひ参加したいが、残念無念。
    108本 泳ぎおさめて 忘年会
    呑みかわし 新年語らう 仲間かな
    上野から赤羽までがあんなに距離があるとは驚いた。
    十条という駅にははじめて降りた。
    今年も初体験で年を終えることになり、満足している。

  • 痛む部分、痛みやすい部分をもつということ

    本日、特注のインナーソール完成。順天堂医院にとりに行き、そのままはいている。このインナーソールの効果というのは、基本的には土踏まずの部分にソールを当てることにより、多少かかとを浮かして着地の衝撃を和らげるというものなんだね。だから、いつも土踏まずを意識しながら歩くことになる。ちょっと疲れる感じがする。1週間ほどで慣れるとか。
    そのほかの治療法といえば、医師からの処方としては、結局は塗り薬のみ。要は消炎剤を塗って、できるだけ安静にして自然回復を待つばかりということになるんだな。
    あとは正しい歩き方、走り方を身につけ、マッサージ、ストレッチング、竹踏などでまめにケアを行う。特効薬はないということがよくわかってきた。
    現在の痛みからすると、3日にATAでの走り初め練習会があるが、これはアウトだな。17日のフロストバイトのハーフマラソンは微妙だけど、今の気分としては、ややあきらめムードとなっている。
    ただし、それでも痛みはだいぶ和らいできたので、足に負担をかけないストレッチや筋トレはぼちぼちやっておきた。はやくウォーキングぐらはできる程度に回復したい。
    一方、扁桃腺の腫れはだいぶひいてきて、どうやら明日のスイム練習会は参加できそうな模様。今日はこれから会社の忘年会・仕事収めだが、飲みすぎないように注意をしよう。
    でも、痛む部分、痛みやすい部分をもつというのは、どういうことなのだろうか。
    私の場合は扁桃腺とかかと。疲れるとすぐに扁桃腺にくる。これは小学校以来の体質。一方、かかとの痛みはトライアスロンを初めてからの体験。高校時代は毎日あれだけ走っても大丈夫だったのだから、やはり歳をとっているのかとしみじみと思う。さらに数えあげれば胃腸も弱い。特に呑みが続くと胸焼けがして、ブスコパンが常備薬となっている。そのうえ、つい数年前までは、疲れると痔にでていた。40歳では椎間板ヘルニアで20日間の入院を経験しており、あのころを思い起こすと、徹夜は日常茶飯事で、いつも腰痛と痔に悩まされていた。ひどい生活だったなあ。ヘルニアの入院で「ああ、これでゆっくり休める」と安堵したことを思い出す。
    こうしてみれば、痛む部分、痛みやすい部分をもつというのは、何らかの歯止めをもち、暮らしのあり方を見直すということでもあり、あながち悪いことではない。
    とはいうものの、今後、歳を経るにつれて痛みやすい場所が増え、広がっていくことはほぼ間違いない。悪いことではないとはいえ、痛みは不快でしょう。
    であれば、諦めて不快な痛みと仲良くしていくしかないのではないかと思えてくるが、そんな方法ってあるのかしら。
    痛まないように普段からの手入れを、というのはこの疑問の回答にはならない。
    私の実感としては、少しでも痛みを和らげるよう、意をつくすことかと思う。つまり、まるで趣味のようにして、熱意をもって、痛みを細かく確かめて研究する。逃げずに必要な処置をとる。マメにケアを行う、日々の変化を確かめる。しかもそれをストレスと思わず、むしろトレーニングの一環として痛みに向かう。
    これをもって還暦トライアスリートの「痛みへの心構え」としておこう。
    湯につかり 痛みの所在を 探し出し
    木枯らしが 身を切る夜に 痛む肌
    プロの選手というのは大変だなあ。
    痛みを考えるだけでもそう思う。

  • 足の痛みから 自分自身の身体を知る

    この22日に札幌出張。北の大地はすでに雪化粧で、みぞれまじりの雪に見舞われ、北国ムードを満喫したけれど、それ以来、どうも風邪気味で喉が痛い。のどの痛みは金曜の夜から高まり、気をつけて10時には床に入って土曜トレーニングに備えたものの、おきてみたら痛みはさらにますばかり。トレーニングはやむなく休みにして内科クリニックへ。
    そこでの診断は、風邪ではなく、激しいアレルギー。実は2週間前に、突然の激しい鼻炎でクリニックに行っていたのだが、診断によると、鼻の具合が悪いためにやむなく喉呼吸となり、その影響から激しいアレルギー反応で扁桃腺に炎症を起こしたとのこと。抗生物質をもらって昨日からのみはじめ、今朝は回復に向かっている印象があってホッと一息。あ~よかった。
    29日の水曜日はATAのスイム練習会がある。年末にちなんで108本を泳ごうというもので、1コースは確か100メートルを1分40秒サイクルで108本。私は5コースで20メートルを1分サイクルで108本。そのあと、忘年会となる。
    じつはけっこうやるきマンマンで楽しみにしており、何とか29日までに治したいとあせっている。
    ちなみに私がアレルギーを発症したのは50歳になってから。身体が痒くなるアレルギーはあったが、花粉アレルギーなんてまったく縁がなかった。人生いくつで何に出会うかわからない。
    扁桃腺炎を拾って帰ったような札幌だったが、それ以外に思わぬ拾いものもあった。ロタ以降、足の痛みに悩まされていたが、札幌ではだいぶラクに歩けるようになった。その理由のひとつが「靴」。実は雪用の革靴を履いていったのだが、これがよかったようだ。なにがよかったというと、あまりはいていないので、靴底が減っていない。これがよかった。
    話は21日火曜日にさかのぼる。
    回復が思わしくないので、順天堂のスポーツ整形に行ってみた。そこで治療としては特注のインナーソールがいいとの診断をうけ、その日のうちに発注することになって、ソール作成の業者の方が来て足形をとることに。
    そこでの会話。
    「両方靴を脱いでください。こうしてみると(痛む)左足の底の内側の減りが激しいですよね。左足の内側に負担がかかっていることになります」
    「なーるほどー」と目からウロコ。
    「では買い替えたほうがいいかしら」
    「いや、底だけ張り替えればいいですよ。まだ上は大丈夫ですから」
    「このソールは日常生活でも、走るときも使うのですか」
    「はい、どちらも使っていいです」
    来週には出来上がるので、そのときはいつも履く靴をもってきてほしいとのこと。
    「日常の靴ですか? 走る靴ですか?」
    「2足とももってきてください」
    改めて、なーるほどー。
    そこで翌日の札幌では、底の減っていない靴が有効だということを身をもって確かめたということ。それ以来、歩き方を改めて意識するようになった。
    ちなみにソールの価格は31,621円。このうち70%が保険で還付されるので、実質1万円程度になる。この火曜日にできあがるので、その使用報告はまたの機会に。
    トライアスロンをはじめ、それが原因で身体を痛めることもあって、「あまり無理をするなよ」との声もあるが、このように身体を痛めることも悪いことではないように思っている。痛めてその原因を探り、対応法を模索しているうちに、自分の身体への意識が高まっていく。例えば首・左腕の痛みは「正しい姿勢」への、左足の痛みは「正しい歩行」への、鼻炎は「予測できない具合に出会う」ことへの意識喚起になっている。これって簡単に言えば、「日々より気持ちよく暮らす」ということなのだ。
    冬の陽に ぬくもりながら 足をもむ
    足痛め 枯葉を踏むや 冬の道
    年末となり、多くのテレビ番組では一年を振り返っている。TBSのサンデーモーニングでは、これまでアメリカを追いかけて物質的な豊かさだけを追求してきた日本人が心の豊かさに気がついてきた、なんて言っていた。
    そんなもんかねえ。
    アメリカだけを、物質的な豊かさだけを追いかけてきた人なんているのかしら。私はそんなふうに生きてきていないし、少なくとも私のまわりには見当たらないよ。わかったような正義面の発言はいやな感じだなあ。

  • 年末。第二ラウンドに向けた、戸惑い

    自分自身をいわばモルモットとし、果たして58歳で、まったくの経験なくトライアスロンを始めたら、どのような事態となるのか、その記録をつづること。それも心境も含めてできるだけ正確に描くこと。それは同年齢のかたがたに、特にスポーツに向かっているかたがたに、なんらかのメッセージを伝えることになるだろう、実用的な情報としての価値をもつこともあるだろう、ということを念頭にこのブログをスタートした。
    タイトルにあるように「始める記」であり、書き始めたときから、初シーズンを終えたところで、一段落させるつもりでいた。
    さて、第二ラウンドであるが、どのような姿勢で誰に向けて何をかくか、どうも腰がさだまらない。さだまらないままに時間がたってしまい、どうにもよろしくない。
    そんなさだまらない気分のままにパソコンに向かっている。
    さて、どうするか。
    まず、初シーズンを終え、自分はまがりなりにも「トライアスリート」となったと思ってみる。かなり貧弱で万年最下位の成績でおこがましい気分ではあるが、ここはそのように思い切る。もはや「始める記」ではなく「トライアスリートの記録」である。来年2月で60歳となるので「還暦トライアスリートの記録」である。ということで、名もなき一市民トライアスリートの日々の記録としよう。年齢はともかくとして、私と同じように、市井の一市民として、スポーツ、あるいはスポーツ以外のものでもよい、何かを楽しみに励んでいる方々への共感のメッセージとして第二ラウンドのブログを始めたいと思う。
    もちろんそれは、これまでと同様に、私の知り合いの方々への近況報告ともなることに変わりはない。
    ということで、勝手な独り言となったが、第二ラウンドを「還暦トライアスリートの日々」としてスタートする。
    実は、docomoのアンドロイド対応スマートフォン手にいれた。これで写真のアップがラクになる。これからは写真も入れてみよう。一回の分量は少なくとも、日々の記録として、より頻繁にアップしたいと思う。などど思いは広がるが、さてどうなるか。
    お読みいただいている皆さん。あまり変わらないかもしれませんが、当人としては、これまでと少しは趣きを変えてみたいと思っています。変わらずご愛顧よろしくお願いします。
    足の痛みはようやく回復傾向になったが、いまだに普通に歩くことができない。かかとの痛みは長引くとか。ロタ大会以降、ランニングはまったく行っていない。あきらめて地道に治療に向かうしかない。困っているのは首が原因の左腕の痺れで、改めて違う病院でみてもらおうかと思っている。
    そんななか、土曜日のスイムレッスンで、25メートルを29秒でアップした。途中2回はヘッドアップを行うという条件であったことを思うと、ようやくここまできたかな、とささやかな満足感を味わった。
    年の瀬や 木枯らし受けて 前をみる
    痛む足 さすりながらの ひとり鍋
    そろそろ年の瀬の整理に向かわなくてはならない。

  • トライアスロンの楽しみ。暮らし、大会、仲間、そして自己確認。

    左足のかかとを痛めてランはまったくの休止。昨日のATAでのレッスンもスイムのみ参加。岩田コーチから「水中ウォーキングは効果がありますよ」と励まされ、ATAレッスンのあとは45分の水中ウォーキング。やっているうちはキツイという自覚はないものの、最後は両足がつってしまい、水の中で立ち往生。その負荷にびっくりした。
    「つる」といえば、夜中に足がつったとき「ああ一人なんだ」と思う。昔は隣の妻をたたき起こしてともに足を伸ばしていた。もちろん私がたたき起こされて介抱することも。
    「老いとは孤独を受け入れること」ともいわれるが、私が妻を亡くした孤独感に襲われるのは、夜中に足がつることを第一にあげる。
    さて今回は、私なりのトライアスロンに見い出した楽しみ。
    ひとつは「暮らし」の楽しみで、これはシーズンオフに入るとより明確になる。シーズン中は大会への参加の準備も含めて生活は不規則になるが、オフは落ち着いて練習に向かうことができる。自分で規則的な練習のプログラムを考えながらそれをこなしていくのは楽しいことだ。
    これが単に体調管理のためのトレーニングではそうはいかない。やはり大会に向かうことが重要で、その緊張感を含んだ目的意識のなかに一人かみしめる楽しみがある。
    次は「大会」、レースそのものの楽しみ。おかげで初シーズンは5つのレースに参加し、いずれもなんとか完走することができた。どの大会も楽しめた。自分がこんなところでこんなことをしている不思議と驚きを楽しんだ。ロタ島でのバイク中のスコールはその白眉だね。そしてランの終盤にいたり、ペースが安定し、足の痛みを感じつつも意気だけは軒昂とゴールに向かう高揚感を楽しんだ。多分、来年はもっと楽しめるようになるだろうと期待をしている。
    次は仲間。斎藤祐樹のセリフのもじりではない。共にトライアスロンに挑戦する者としての「仲間意識」だ。練習の仲間、大会で出会った人々など、トライアスロンを始めることで交友関係は大きく広がった。こんなにも豊かな広がりがあったとは考えてもいなかった。当ブログを縁で知り合った方もいる。年齢は最年長の部類だが、それも若い皆さんと一線をおく感じでいいと思っている。
    まさに「社交の楽しみ」である。「社交」とは人あたりのよい人間になることではない。「社交の場」に「社交の一員という立場」で参加することなのだ。トライアスロンといスポーツにトラアスリートとして参加することなのだ。それを自らの体験で確かめた。
    ちなみに、この数年で私がもっとも影響を受けた本は山崎正和の「社交する人間」である。ついでに、早稲田実業の父母の会会長をつとめた縁で、斎藤選手は夏の東京都予選から見ており、甲子園の決勝戦も見に行き、ご両親にご挨拶したこともある。いろんなことがいろいろにつながっていくということ。
    最後は自己確認。生理と肉体を通して、パフォーマンスを通して、人との出会いを通して、レースを通して、それをこのように書くことを通して、さらにそれらのすべてを暮らしの中で整理して組み立てていくことを通して、自分を確認することが、私には大切なことになっている。
    ここまで書いてきて思い出した。映画「ショーシャンクの空」の原作であるスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」に「希望とはいいものだ。おそらくいちばんいいものだ」という主人公のセリフがある。漫然と自己の内を眺めていても、嘆いてみても、なにもわからなければ希望も生まれない。何より歩いてみることなのだ。見る前に跳べ!それもひとりで跳べ!
    いま、初シーズンの終わりに、そんなことを確かめている。
    年の瀬に ひとつふたつと 振り返る
    来年へ ひとつふたつと 整える
    「ととのいました」の流行語になってしまったのは不本意だが、ほかに思いつかないのは困ったなあ。
    このブログは日常の些事ではなく、写真はなく、できるだけ実用に供することのできるように細部にこだわるがために文章の量が増え、最後は下手な俳句もどきでおちのつかない逃げをうつということを信条としてやってきたが、ここらで「始める記」の第一ラウンドは終了かなと思い始めている。
    できれば第二ラウンドは少し違うスタイルにしてみたい。写真も入れてみようかとも思っているが、検討中。
    お読みいただいている方は、引き続き、よろしくお願いします。

  • できないことを受け入れる。それが続けるコツかしら。

    トライアスロンの初シーズンを終え、シーズンオフのトレーニングに向かっている。足の痛みが治まらないので、トレーニングはもっぱらスイム。苦手なスイムに集中して取り組むいい機会と、足の痛みもむしろ前向きにとらえている。はやくもやる気マンマンである。
    すでに来年5月のホノルルトライアスロンのエントリーもすませた。人生全般あまり先のことは考えないようにしているが、しばらくはトライアスロンを続けてみようと思っている。ショートの大会に出られているうちは、続けていこうと素直に考えている。
    ということは、トライアスロンを気にいっているということだ。トライアスロンの何がいいのか。第一に思うことは、日々の暮らしかただ。大会に備え、トレーニングに励むという、多少ストイックな感覚が気に入っている。これは修行の楽しみかね。いままでの人生になかった感覚だ。
    「かなり無理していませんか?」とよく言われるが、この歳になれば、多少無理するぐらいがいいと思っている。無理をしなければ、ただただ縮小していくに任せていくばかりではないか。無理は刺激だ。
    60歳を前にして、長く続けていけるスポーツをしたいと思っていた。それはわかるが、何もトライアスロンでなくともいいではないか、との声も多い。スイム、バイク、ランとも競技経験はゼロ。「その歳で何にもなくてはじめたんですか?」と驚かれたこともある。
    基本的には「この年齢でもできる」というアドバイスがあってのことだが、どうせ何かをやるならあまり人がやっていないこと、人が多少なりとも驚くこと、話題が提供できることがいいという気分があって飛びついたのだと思う。多分トライアスロンでなければこのブログも書いていなかったように思う。
    それは例えば、あまりやっている人のいない外国語を学ぶのと同じような感覚で、珍しいものの先物買いが好きなんだね。
    この点では、多くの人に驚いていただき、満足している。自分の身体を使い、等身大の自分自身で人を驚かすことは気分のいいことだ。正直、ちょいと自慢の気分となる。
    このちょいと自慢の気分とストイックな感覚が自分のなかではうまく同居し、暮らしのはりとなっている。
    ただし、すごいだろう、と自慢するようなものではない。なんといったってレースではいずれも最下位のレベルで、かろうじて隅においてもらっているような気分でいるくらいなのだから。
    さて、ご同輩。私でもできているのだから、トライアスロンはお勧めである。やってみようか、と思われる方はすでにその資格をもっていると思う。あまり考えずに始めてみるのがいいと思う。ぜひATAに入学してください。
    そのかたがたへの私からのアドバイスをひとつ。それは「できないことを受け入れる」こと。「完走した人はすべて勝者」とはいえ、レースで一人大きく遅れるのは気分のいいものではない。アレ~っと悲鳴もでてくる。これでもハンドボールでインターハイに出場したことがある。昔は人の背中を見て走るなんて風景は見たことがなかったのに、まったくついていけない自分がいる。ショックですよ。恥かしくもありますよ。
    つまり、自分がこんなにもできなくなっているのかと確かめ、そうした自分を受け入れ、てらいなく最下位でゴールする。すると私を待って祝ってくれる仲間がいて、素直に喜びを分かち合う。それが歳相応のトライアスロンの楽しみかと思っている。
    「できないこと」に悲観していては、この歳ではやっていけない。むしろ「ああ、これもできなくなったのか」とできないことを確かめる。その心境だね。
    そのうえで、私の場合、まだ伸びしろは、それなりにあると思っている。来年2月に還暦になる。来年が楽しみであるという次第だ。
    冬に向け 老いへの命 いとおしむ
    落ち葉舞う 小春日和に 深呼吸
    思い切り息を吸って、息を吐く。
    トライアスロンは例えばそんな日々であるようだ。
    お勧めします。

  • 打ち上げ会で、シーズンオフの到来!

    足の痛みが尋常ではない。かかとを地面につけるのが痛くてまともに歩けない。不自由な歩きかたのおかげで、左のふくらはぎまで張ってきて金曜は整体マッサージへ。テーピングとマッサージで治していきましょうということになった。確かにテーピングをすると少しはラクになる。
    シーズンオフに入ったので痛みはひどいものの、気持ちに余裕はある。ネットをみるとこの手のかかとの痛みはよくあることのようだ。この際、足の痛みをしっかり勉強しようか。
    昨日の朝錬はスイムとバイクだったが、足の痛みを考えてバイクはお休み。それはいいとして、昨日の問題はスイムの15分泳。これは1コースを一人15分間泳いで距離をみるもの。3ヶ月前は500メートルだった。この3ヶ月で、自分としては確かに上達したと思う。足が浮くようになった。手のかきも腕を思い切り前に出して身体を伸ばす感覚をつかめるようになった。にもかかわらず、結果は500に12メートル達しなかった。これは意気消沈したなあ。500は越えると期待していたのになんたることだ。ブレークスルーできたつもりがまだだったということ。
    水泳の目標は再三書いているが、自然なペースで25メートル30秒をコンスタントに泳ぐこと。50メートル1分、100メートル2分、15分で750メートルになる。500メートルの1.5倍だから目標としてはきわめて高いが、トライアスロンではスイムで大きく遅れるとあとは一人旅となってレースというより自己記録会となってしまう。
    でも、今回の15分泳で、この目標は決して無理ではないという感触を得た。いまだブレークスルーはいたらずとも、手にかかるところに近づいていることを感じている。バタ足、フォーム強化、インターバル、長距離など「こうして練習してみよう」というイメージができてきた。
    足の痛みで年内はランはお休みにし、この際スイムを強化しよう。「よし、やってみよう!」と心に期すところあり。
    練習の帰りにちょっと気になって自宅近くの自転車屋をのぞいた。足が痛くて歩くのがつらいんだよね。家にあったママチャリは娘がなくして以降はそのままの状態。そこで目についたのが、国産の6段ギア、自動ランプの19,800円。ロードレーサーで街中を一人で走る気はまったくない。クロスバイクにしようかとも思うが、通勤・買物の日常利用をからするとかえって中途半端かなあと迷っていたが、これなら日常利用の延長で銀座あたりぐらいは出ていけそうだ。値段も機能からしてお買い得、ということでその場で衝動買い。あたりまえだが、自宅まで帰るのがラクだったこと。ホッと息をつくような安堵感があった。
    そして昨日はATA(アスロニア・トライアスロン・アカデミー)の打ち上げ会。代官山のイタリアンで、30人ぐらいの参加だったかな。普段なかなか会えない人とも久しぶりに顔をあわせて交歓した。ただし改めてみて思うことは皆さん若くて意気盛ん。来年還暦の私としては隅に置いていただいているのが素直な心境。
    私としては、岩田、平野の両コーチにお礼の挨拶ができたことが何より。特に平野コーチには酔った勢いも手伝い「私は平野コーチの作品だと思っていますから」と感謝の思いを伝えた。でも「作品」とはいうものの素材はいかんともしがたく、かなり不出来であるのが自分でも申し訳ない。
    一歩ずつ 冷える夜風に 足をひく
    よしいくか 小春日和に お洗濯
    今日も小春日和の好天気。
    部屋を片付け、洗濯をすませ、新しい自転車でプールに行き、月曜からの仕事の準備を整えよう。

  • シーズン終了。まずはからだのリハビリ。

    ロタの前から気になっていた左足かかとの痛み、ロタのランで走り出したらうやっぱり痛かった左足のかかと、このかかとが痛くてまともに歩けない状態が続いている。
    はじめは2~3日で直るかと期待していたがいっこうによくなっていかない。そんな状態のなかでこの前の日曜日はバイクの練習会に参加した。これはATAの生徒練習会で、30人ぐらい集まったのかなあ。上中下の3つのグループのライドだったが、、私はもちろん下のグループで、千葉のエアロビクスセンターから養老渓谷付近までの道、往復でほぼ70キロを走った。すると右足の膝が痛くなるんだ。これは初めての経験で、なんか、身体のあちこちが痛んできたようだなあ。
    バイクのあとは風呂に入って、そこでドイツ人のMさんと足の痛み談義。Mさんはめっちゃ足の速い方で、陸上選手を思わせるほど。まさに風のように走り抜ける。そのMさんが左のアキレス腱を痛めたと聞いていたので、その後どうなったかとたずねると、もうよくなったとのことだが、そのケアが参考になった。
    まず、9月の最後のレース以降、走っていないという。つまり約2ヵ月の休養をとったということ。その間消炎薬を貼り薬ばかりではなく、飲み薬も併用したという。さらにアキレス腱のストレッチと筋トレも続けて効果的だったというから、その真摯な治療態度には感心した。私のかかとの痛みについては、土踏まずのストレッチも有効とアドバイスをくれ、竹踏みを薦めてくれた。ドイツ人から竹踏みを薦められるとは思わなかった。
    やはりすごいパフォーマンスの人は身体のケアも徹底していることがリアルにわかった。
    そうなんだろうなあ。
    ロタにロングライドが加わったためか、今週感じていたのは身体の疲れ。ともかく睡眠をとるように努めた。水曜~木曜と札幌出張だったが、夜の街にでかける元気はなく、ホテルのすし屋でタラバ蟹と熱燗で身体を温め、9時には寝て7時に起床。出張だから遊びに行くのでなく、出張で時間があるから早く寝ようという年齢なったと思うと感慨深い。
    昨日も12時前に就寝で目覚めたのは7時。今朝の目覚めの感覚としては、疲れもまだ残ってはいるが、だいぶとれてきたように思える。爽快である。くるぶしの痛みも疲れがとれていくのに合わせて、和らいでいくようでもある。
    そこで思うのは「疲れていたんだなあ」ということ。シーズンオフとなって気分的にも開放感を自覚するにいたり、シーズン中はそれなりに緊張して過ごしていたことに気がついた。そのストレスも含めて「疲れていた」のだと自分に確かめ、そのことにいささか嬉しい思いを感じている。アスリートなんだという満足感かな。
    ところで、皆さんはいかがだろう。若い方々をみていると、「シーズンの疲れがたまっていた」なんてなかなか思えないが、シーズンオフの安堵感と疲れを感じているのだろうか。そのあたりが実感としてよくわからない。
    このシーズンオフは第一に身体のリハビリに努めたい。年齢的にもパワーアップなんてことは考えないが、歳相応にトライアスロンへの適応性を高めたい。
    スイム、バイク、ランとも、レース中に正しいフォームを維持するにはそれなりのパワーを必要とすることを痛感している。いや、正しいフォームになれば無駄なパワーはいらなくなることもあるのだろうが、それでも基本的な力は必要だ。
    いま感じているのは背筋も含めた腕回りの柔軟性と躍動感、お腹まわりの筋肉によるブレない姿勢の維持、股関節、ひざ、足首、かかと、指にいたる足の関節の柔軟性といったあたり。ひとことでいえばシャキッとしたいという感覚。もっと身体をラクにしたいというイメージ。それと体重。身体を軽くしたいが、これがいちばんむずかしそう。
    時終えて 冬への備え 確かめる
    振り返る この夏の夢 過ぎ行く日
    ブログで初シーズンの総括をしよう。
    書くことにより、過去を確かめ、明日への糧としよう。
    トライアスロンの大会、練習、スキル、日常、社交など、さまざまな角度から見て確かめたい。