カテゴリー: トライアスロン

  • ジョギングとランニングのフォームの違いに目覚める!

    ジョギングとランニングのフォームの違いに目覚める!

    ジョギングはユックリと会話ができる程度、ランニングは息があがる程度のスピードで走る。それはわかっている。しかしジョギングとランニングとの違いは単にスピードだけなのか。今日はジョギングとランニングとのフォームの違いの話だ。
    以前はジョギングからスタートしてだんだんと速度を上げていくと自然とランに移る感覚であった。それが最近、ランにはランのフォームがあり、それはジョギングとは基本的に異なると思い始めている。あるいは目覚めたといってもいいだろう。

    これは年齢のせいなのか。以前は1キロ7分のペースが普通の速度であったのだが、その感覚で走ると7分30秒から下手をすると8分近くまで落ちていく。ちょっと気合をいれれば6分まであげられたのに、なかなか6分までがあげられなくなっていった。
    これではいけない、情けない。
    ということで、スピードをあげるためには何が必要なのかを考えるようになった。
    まず始めたのが、スピードトレーニング。20メートル、30メートルといった短い距離だが、ともかく速く走る。走りながらGarminを見て速度を確かめる。これが6分か、どうしたら5分を切れるのか、とフォームを確かめつつ走る。
    そこで気が付いたのは、速く走るためには、腰を伸ばし、しっかりと着地をしてジャンプをするように「跳ねる」こと。膝を高くあげて遠くにジャンプしていく感覚だ。それが老化とともに衰えていく「躍動感」を生み出してくれる。それを維持するために体幹を保って腕を振り、腰をツイストする。
    なるほど。
    そこで、その走りの感覚でジョギングをしてみると、これまでのジョギングとはまったく違うのだ。これまではできるだけ身体の負担を少なくしたいとの思いから、膝はあまりあげず、着地も静かに、いわばソロリソロリと走り出し、その延長で意識して歩幅を広げていったのだが、「跳ねる」までの意識は意識はなかった。
    「走ることは跳ねることである」。これは私なりの発見であった。
    その発見から、「跳ねる」フォームでだんだんと速度をあげていくビルドアップに取り組むことで、なんとか「普通に走ってキロ7分」の状態を回復しつつある。ただし、1キロ2キロならいいけど3キロとなると、自然と速度が落ちてくる。「跳ねる」フォームで持久力をつけるのが課題ということだ。

    そこでまた、あちこちネットで「正しいランニングフォーム」を見てみると、あくまで私の感覚であるが、「跳ねる」感じが、それに近い。
    となると、ジョグとランということではなく、あくまでフォームそのものがおかしかったのだとも考えられる。あるいは単に老化によって失われた躍動感に気が付いたとみるこもできるのだろうが、私としてはこのように考えたい。
    ジョギングとランニングでは基本的にフォームが異なるのだ。
    ランニングのスピードアップのためには、ジョギングとは異なるランニングフォームを自覚する必要があるのだ。

    いざ走る 長雨多湿も いとわずに

    ATAの小林コーチに「岩﨑さんランのフォームを変えましたか」と聞かれた。さすがと感心して「わかりますか?」と聞き返すと「左の腕の振りが変わった」とのこと。
    腕についてはまったく考えていなかったが、そう指摘を受けて振り返ってみると、確かに腕の振りも自然と変わっていた。
    スイムに続いてランでも「ここをこう変えると身体の動きがこのように変わっていく」楽しみに出会うことになった。いろんなふうに刺激を与えて、身体の動きの変化を見てみたい。
    このブログで老化とは萎縮であると書いた。
    萎縮が進んでいくなかで、そんな気持ちが起きてきた。
    あるいは萎縮が進んでいるから、そんな気持ちが起きたのかもしれない。
    であれば、これも老いて知る学びなのか。
    分析はこんなところにしておこう。

    写真は夕方の10キロランで眺めた江戸川の光景。
    風景写真として気に入っている。

  • スイムの個人レッスンで知るスポーツの楽しみと難しさ。

    スイムの個人レッスンで知るスポーツの楽しみと難しさ。

    6月からトライアスロンのトレーニングも始まった。ATA南行徳のトレーニングは、土曜日のスイム+ラン・バイクと火曜日のスイムからなっている。土曜日は8時半からの1時間スイムと、隔週でランとバイクのトレーニングとなる。火曜日は夜の10時半からの1時間スイム。これに参加するとどうしても寝るのが12時を過ぎてしまう。
    これができずに、土曜日のみの参加であったが、再開後は火曜日のスイムは午後7時半からのスタートとなった。そこで火曜日も土曜日もトレーニングに参加している。週1回と2回では暮らしのありかたも大いに異なり、仕事で外出する機会が増えたこともあって、自粛解除から1か月がたったが、まだ暮らしのリズムが作れない。身体の状態もどこかしっくりいかずに違和感を覚えて身を持て余している。

    ということでトレーニングの再開から書き出したが、今回はスイム個人レッスンを報告したいのだ。
    スイムは個人レッスンを受けている。定期的に受けているのではなく、気が向いたときに申し込んで、いろいろと相談にのってもらっている。ということは、毎回自分で教えてもらいたいテーマをもってコーチングをお願いすることになる。短くて月に1回、長くて3か月に1回程度のローテーションであろうか。
    私の場合目標は明確で、50メートルを1分、100メートルを2分とまでは言わなくとも、2分10秒程度に、しかも楽な感覚で泳ぐことにある。その目標に向けて何をすべきかをコーチに伺っている。目標はいつも変わらないのだが、それに向けた質問は毎回異なる。
    前回は手をかきだすタイミングであった。その前はフィニッシュの時の腕の振りであった。そして今回は、「フォームはまとまってきたと思うが、それでもスピードがあがらない。とりわけ25メートル以降にスピードが大きく落ちる」というのが、私から提示した課題であった。

    そこでコーチが行ったのが、つまり回答としてコーチが選んだのが、両腕、両肩のストレッチングであった。
    まず両手の指、二の腕、脇の下と刺激を与えてストレッチングをする。さらに四つん這いになって胸と両脇に空気を送り込む感覚でストレッチングを行う。
    なるほど、腕の動作に躍動感が生まれて、腕が大きくスムーズに回る感覚が生まれる。
    レッスンはいつもながら役に立ったが、私はある感慨を覚えた。
    今回はそれを皆さんにお伝えしたい。

    これまでのアドバイスは技術的なものであったのだが、今回はフィジカルなものとなった。
    トレーニングの最後にフォームへの質問をしたが「現在の状態でほぼまとまっている」とのことで、問題はフォームではなく、肉体に移ったのだ。
    私の身体はいたって硬い。あきれるほど硬い。そのうえで、皆さんと同じぐらいに泳ぎたいと思っていたのだが、結局は、皆さんについていくにはやはり「肉体改造」が必要になるのだ。
    これまでも「身体づくり」を掲げてきたが、それは改めて考えてみえば曖昧なもので、「頑張って柔軟性、筋力、持久力を高める」ということであった。しかし、今日のトレーニングでは、スイムのスピードを高める目標に向けて、両手の指、二の腕、脇の下と、ピンポイントにトレーニングを行う。
    漠然と「身体づくり」と言っている分には健康管理のレベルであったのが、「スピードをあげるための身体各所へのストレッチング」となると、途端に「アスリート」の気分になる。
    何を言いたいのかといえば、これがスポーツの楽しみなのだ。例えば、速く走ることに向けて、毎日走るようにしましょうではなく、歩幅をチェックして広げるトレーニングを考えましょうということであり、漫然とした行為から明確な目標への自己管理となる。もちろんアスリートではないので、うまくいくわけでないのだが、気分としては俄然アスリートとなる。
    トライアスロンをはじめて、気が付くともう10年を超えるのだが、いまごろそんなことに気が付いているのかと、あきれながらも楽しんでいる。
    しかし、技術の改良ではなく、肉体の改造でタイムをアップするというのは、この年齢ではいかにもハードルが高そうだが、あきらめずに続けていこうと自分に言い聞かせる。
    泳ぐって こんなにも難しいのか 水を打つ

    改めてスポーツをする楽しみということを思う。この年齢になっても、身体にこんな刺激を与えると、こんなことができるようになる。それは単純な、あまりに単純で素朴な発見であり、いたって爽快なことなのだ。
    コロナ禍で世間は何かと騒がしいが、そこからは一歩離れて、落ち着いて暮らしていきたいと思っている。しかし落ち着いて暮らすとは具体的にどのように暮らしていくことなのであろうか。
    私にとって、スポーツは落ち着いて暮らすという、その具体的な活動そのものとなっている。
    今回は写真はなし。
    気が付いたら1か月以上ブログを休んでいた。
    少なくとも毎週アップするようにしたいと改めて自戒!!!

  • 黄昏  時に10キロランの楽しみ。続くかなあ。

    黄昏 時に10キロランの楽しみ。続くかなあ。

    皆さん、ご無事お元気ですか。
    自粛生活がだいぶ馴染んできた。これが新しい生活というものかと、けっこう新鮮な気持ちで味わっている。
    もともデスクワークは自宅で、打ち合わせに外出するワークスタイルであったのだが、オンライン会議が当たりまえになり、家にいる時間が長くなり、時間に余裕が生まれてくる。
    それに合わせて自分の身にあった自粛生活の暮らしの形がだんだんとできてくる。
    身についてきたのが、夕方のラン。時間は午後5時から5時半にスタート。コースはマイコースの江戸川沿い。
    はじめは3キロを軽く流す程度にしていたが、一念発起して10キロを目標にした。まず500メートルのウォーキングからスタートし、スロージョグから自然な感覚で速度をあげていく。途中歩きたくなればためらわず歩く。頑張るのではなく、身体に耳を傾けて「心地よい」ところを探しだしながら走り、歩き、そして立ち止まり、黄昏時の刻々と変わる風景を味わう。
    排気ガスが減ったためか、抜けるような青空を見るようになった。空を背後に聳え立つ焼却炉の高い煙突と夕日にきらめく川面を眺め、やや肌寒い初夏の風を感じながら深呼吸をして走り出す。川沿いの家々の屋根の上がだんだんと夕日で赤く染まっていく様子を眺めつつ川沿いを走る。川沿いの芝生で子供たちがサッカーボールで遊んでいる。芝の緑と川の流れのコントラストを楽しむ。場所によっては、生垣や歩道の並木があり、新緑を目に受けて木漏れ日のシャワーを浴びる。
    始めたときは続けていける確信はなかったが、やってみるとできるものだと思い始めて、歩く距離がだんだんと短くなり、風景を味わう楽しみに目覚めた。今週は雨模様でもあり毎日とはいかないが、気分体調とも毎日でもOKだ。
    その日の気分によってコースを変えてもいるが、基本となる1周10キロのコースもできてきた。時間は1時間半から40分ほどもかかる。とてもユックリだけど、最後の1キロは7分から6分近くまであげてみたりする。
    帰宅してまずはリンゴをかじって水を飲み、風呂に入り夕食をとってソファーに横になる。窓から吹き込む風が心地よい。
    どこまで続けていけるかわからないが、1年ぐらい続くといいなあ。
    そうなれば暮らしのリズムになるだろう。
    夏来たり 黄昏時は ランニング
    今日は5月30日土曜日。6月1日月曜よりスポーツジムが再開する。
    久しぶりに泳げるぞ。どんな感じなんだろう。血が騒いている。(笑)
    トライアスロンのトレーニングも始まるぞ。
    写真は今井橋からの江戸川の眺め。時間は午後6時。ここから10キロ。

  • 皆さんご無事お元気ですか?トレーニングしてますか?

    皆さんご無事お元気ですか?トレーニングしてますか?

    今回のブログは近況報告と今後長引くこの暮らしへの準備のスケッチです。
    皆さん頑張っていきましょうの応援ブログです、というか、そのつもりで書きます。

    毎日30分~1時間の室内トレーニング(ストレッチと筋トレ)、夕方に3キロ~6キロのラン、週に1回は10キロ以上のラン。
    これを基本に自粛生活で身体づくりを狙っていたのだが、問題が起きてしまった。疲れてしまうのだ。特に10キロランでは途中から歩きを間に挟むようになって、最後の1キロは足も痛くてほぼ歩きのこともある。ガックリだなあ。
    自分としては、だんだんと能力アップの手ごたえも感じて、そのことが面白くなって、さらにやる気になってという好循環を期待してたのだが「なかなかそうはいかないなあ」を実感。情けない。体重も絞れてこない。これも老化なのか。
    これではいけない。
    そこで気合を入れなおした。
    、夕方の5時ぐらいからともかく10キロをこなす。途中歩いてもかまわない。
    できるだけ毎日こなす。
    始めてから今日でまだ4日目だが、だんだんと走れるようになってきた。
    毎日10キロというのは高校の部活以来だぞ。50年ぶりかあ。(笑)
    果たしてどうなるものか。
    これが新しい生活習慣になるといいのだが。
    多少は新鮮な気持ちで取り組んでいる。
    次にスイム。
    ストレッチ・筋トレとランだけというのは飽きてくる。
    そこで泳ぎたいと思うのだ。
    非常事態宣言スタート前日の4月6日を最後に泳いでいない。
    この泳ぎたい気分からするとスイムはしっかりと私の生活に根付いたのだな。これはうれしい。泳げる日が待ち遠しい。

    バイクについては、トライアスロン仲間でZWIFTが広がっている。始めるとバイクトレーニングというより、それ自体をバーチャルスポーツとして楽しめるらしい。
    こちらのホームページを参照してください。 https://zwift.com/ja/get-zwifting
    いきなり現実的な話となるが、いまのような時期にいちばん大切なのはキャッシュ。いろいろ揃えると15万円ほどはかかるとの話を聞いた。やってみたい気分はあるが、決して余裕のある暮らしではないので、ちょっと待ってみよう。
    というわけで、屋内トレーニングとラン&ウォークを続けていくわけだが、こうなると、トライアスロンのスイム、バイク、ランのトレーニングというのは、バランスがとれて楽しみも大きい。こんなときも、トライアスロンをやっていてよかったと思うのだ。改めてご同輩の方々、お勧めします。
    年寄りのうえ、独り身なので、常日頃より気分としては「ひっそりと暮らす」ことを心掛けている。
    普段からデスクワークは家で行っていたこともあり、自粛生活が苦にはなっていない。毎日パソコンに向かい、週に2日ほどはオフィスにでかけている。
    それでも家にいる時間は長くなり、テレビを見る時間も延びたのだがニュース番組のあまりのひどさにFacebookで「テレビを消そう」と呼びかけている。今回の事態に対する民放テレビのアプローチを見ていると、情報媒体としてのテレビの価値が喪失している。質の低下といったレベルの話ではなく、テレビの時代の終焉を強く思う。
    テレビを消してビートルズのアルバムを一から順に聞き直している。ネットでの音楽サービスの進化に驚く。AMAON、Softyを愛用している。
    新しい暮らしが始まって身に馴染んできている。

    テレビの雑音を離れ、音楽を楽しみ、ささやかながら毎日トレーニングに向かう。
    季節は新緑の5月到来。いささか風が強い。
    風と光に包まれて五感が騒ぐ。

    目にさやか 若葉木漏れ日 ランニング
    ちょっと気になって調べてみた。
    明治初年が1868年、敗戦が1945年。その間77年。そして今年は敗戦後75年。
    なるほどなあ。75年サイクルか。人生100歳時代とすると、多くの人は一生に一度はこんなことに出会うことになる。
    これが近代という時代なのだろう。
    新型コロナによる景気の悪化が叫ばれているが、果たして日本人は戦後の焼け野原で景気を語ったのであろうか。
    「景気」などではなく「復興」や「再生」といった言葉で語られる事態であろう。
    私は新型コロナ禍でリセットされた日本の可能性を高くみている。
    リセットにっほん!!
    その目線で世の中を眺め、来たるべき時をみたいと思っている。

    写真は江戸川沿いの住宅販売の光景。ここで新しい暮らしが始まる。
    いまの日本は総力戦である。まさに国力が問われていることを思う。
    医療関係者はもちろん、いま闘っておられるすべての方々に感謝を!!
    この船に乗っている幸運に感謝を!!

  • 新型コロナ感染緊急事態宣言での私のトライアスロンライフ。

    新型コロナ感染緊急事態宣言での私のトライアスロンライフ。

    当ブログをお読みの皆様。お元気でお過ごしでしょうか。普段であれば「お変わりなく」とご挨拶したいところですが、こんな状態ではそうも言ってられません。
    私は、ここまでは元気に暮らしています。明日のことはわかりませんが。
    今回は、新型コロナ対策の非常事態宣言を受けて、どのようなトラライフを過ごしていくかをまとめてみます。
    「共に元気でやっていきましょう」というエールのつもりで書きます。
    長文になりそうだけどよろしくお願いします。
    トレーニング
    私の参加しているATAのチームトレーニングは2月29日から休んでいる。5月9日の再開目標という電話連絡があった。2か月以上の休みとなる。
    個人で加入しているTipness南行徳は、緊急事態宣言の出される前日までスタジオ以外はオープンしていた。度胸があるなあと思いつつ、プールは感染リスクが低いとの自己判断から、手洗いやドアノブの接触などに注意して出かけていた。すいているので、プルブイを挟んでの1500メートルノントップにはまっていたのだが、宣言翌日からは休業。
    ネットではスイムトレーニング情報が豊富にアップされている。陸上のイメージトレーニングなどを見ている。
    バイクは怪我をしてから臆病になって、まったく乗っていなかったが、その状態を延長する。ソロライドであれば、コロナウイルスの心配はなくとも、やはりバイクは怪我の恐れが高い。こんな時期に怪我をして病院に迷惑をかけるようなリスクを冒してはいけないのだ。
    ということでトレーニングのメインはランとなる。このところは、毎日3キロできれば5キロ、週に1回は10キロをキープしている。これを続ける。続けていけば、何か新しい世界が開けるのではないかと期待している。もちろん走るのは一人。周りを見ながら距離をおく。
    そしてストレッチ。人気の谷本道哉先生にはまってみようか。1日30分は室内ストレッチ。
    身体の衰えを実感して「身体づくり」を目標に掲げていたのだが、この期間にそのための身体の土台とライフスタイルを身につけておきたい。。
    自宅業務になると、こんなにもトレーニングの時間があることに驚きもしている。
    そんな折、ニュースウィークで「過度な運動はウイルス感染のリスクを高める」という記事が出た。
    米ウェイン州立大学のタマラ・ヒュー=バトラー准教授とマリアンヌ・ファルマン教授は、効果的な運動のコツとして、以下の点を指摘している。
    ・20分から45分間、軽度から中程度の運動を週3回程度行う
    ・週5回以上の運動は避ける
    ちょっと前のめりな発表とも思のだが、まあ、疲れない程度にして、疲れたらよく休むということと理解する。頭の片隅に入れておこう。
    心の安定
    これがなかなか大変なんだ。いろいろと気になり、気のついたことがある。
    65歳を過ぎて医療の世界にかかわり、中国、ベトナムに頻繁にいくようになった。末端のささやかな経験であるが、日本の医療システムへの信頼を深めている。いま、日本は独自の作戦をとっているが、欧米からはその限界を指摘されているようだ。なんとかうまくコントロールしていくことを祈り、心落ち着かずテレビやネットでニュースを追いかけてきたが、情報を追いかければ、不快な発言に多く触れることになる。思わず反応して、心が乱れ、さらに情報を追いかけるのだが、これがストレスがつのる。
    そこで情報を絞り、選別することにした。スマホスピーカーとDVDプレーヤーをネットで購入。テレビを切り、SNSのコメントを無視し、心静かに音楽を聴くことにした。
    そこで思うことが二つ。
    自分ができることは何かを考える。
    自分がコントロールできないことに振り回されるのではなく、いま自分ができることを探し出し、深呼吸してユックリと世界を眺めてみるようにしよう。今回の買い物のそのためのものだ。
    情報遮断と情報選別を進める。
    新聞をとるのをやめて6年になるか。テレビは惰性でつけていた。惰性で酒を飲んでいるようなものだな。しかし今回のことで、テレビの時間を絞ることにした。
    情報化社会とは情報が商品となる社会である。今回のようなときにその商品価値があらわになる。私たちもどのように商品価値を判断するのかを考える。情報の選択意識は高まる。新聞、テレビ価値が問われる。
    このことについては、改めて考えをまとめ、書いておきたい。
    ハレーションを起こしている情報から距離をおき、トレーニングに励もう。音楽に親しもう。そのことが心の安定になる。それは健康維持やストレス解消という実用的な効能用語で済まされるものではない。高齢者が、この大きな変革期の情報化社会のなかで、何らかの生涯スポーツをもって生きていくことの意味は大きい。
    なにも話をわざわざ難しくしているわけではない。歳をとると、何も考えずに生きていくことが難しくなる。考えることが生きていく力を生み出してくれるのだ。この考えを進めていくと宗教にも近づいていくだろう。
    テレビを切って 一人走って 4月の空
    こうした時は、しっかりと続けていく力が大切になる。続けていく体力が問われる。
    トレーニングをを続けていこうと、改めて自分に言い聞かせる。
    ご同輩の皆様。免疫を高めましょう。これが何より大切。お元気で。
    写真は家の前の私のランコース。宣言以降、走る人がと増えているが、写真はその前のもの。

  • トライアスロンをやっていてよかったことをあげてみた。

    トライアスロンをやっていてよかったことをあげてみた。

    トライアスロンが生活に占める割合は何パーセント?
    いつもの感じであるとこんな具合。
    仕事 60%
    生活雑事 10%
    映画・音楽・酒などの憩い 10%
    トライアスロン 20%
    新型コロナの影響で、トライアスロンの比率が高くなって30%ほどの感覚になっている。
    そうなると仕事を減らして50%程度となるか。
    デスクワークもあるので仕事に費やす時間は減っていないが意識は低くなっている。
    「生涯スポーツ」としてのトライアスロンというが、例えば私ぐらいの年齢で年に何回かマラソン大会に出る人にとって、マラソンが60%以上の存在になっている人も多いのではないだろうか。そうなると、スポーツこそが生活の軸でスポーツを第一に考えて生活を組み立てることになるだろう。
    仕事とスポーツとのバランスの話である。
    「いやいや、仕事とスポーツは50・50」なんて意見もあろうが、それは私の暮らしの実感としてイメージできない。いずれかを高い優先順位においていく以外の実践的な暮らしの方策がわからない。

    私としては、仕事を続けている限り、それが優先順位の第一になる。第一に暮らしに必要な収入を得なくてはならない。当然のことを当然に行うわけである。そして、これは私の労働観であるが、仕事をして収入を得ることは自らの行動を社会化することと思っている。あるいは、趣味が高じて仕事になることもあるだろうが、私のレベルではトライアスロンで収入を得ることなど考えられない。

    では仕事ではない、「生涯スポーツ」としてのトライアスロンにはどのような意味があるのか。
    トライアスロンをやってきてよかったことを思いつくままにあげてみよう。
    ●1500メートルを休まず泳ぐ
    トライアスロンを始めるにあたり、どこまで何ができるのか、まったくわからなかったが、「泳げるようになればいいか」と思い定めて飛び込んでみた。はい、泳げるようになりました。いまだまったく遅くて上達しないが、泳げるようになったことはうれしい。
    ●フルマラソンの完走を果たす
    最後にフルマラソンに出たのはいつだったか。膝を痛めていまは10キロが精一杯だが、フルマラソン完走はいい経験だ。
    ●琵琶湖一周を果たす
    ATAの共同練習でバイクで琵琶湖一周を果たしたのは、日本人としてうれしい。あとは富士山登山をしておきたい。
    ●サンゴ礁を泳いで楽しむ
    昨年の11月に奄美大島の海を満喫した。それ以前も伊是名トライアスロンでサンゴ礁を泳いで眺めた。
    ●スポーツのある暮らしが身につく
    トライアスロンは生涯スポーツとして始めたものだが、トレーニングも含めてスポーツを楽しむ暮らしが身についた。今後は老化の進行から、できなくなることも増えていくだろうが、それなりにスポーツのある暮らしを続けていきたい。
    ●トライアスロンを通しての知人、仲間を得る
    ありがたいことです。

    こうしてあげてみると、たくさんの「いい思い出」があり、私の人生を豊かな彩りのあるものにしてくれたと思う。「いい思い出」とは過去のものではない。明日が「いい思い出」の日となるかもしれないではないか。
    ああいいな 桜が見える ランコース
    写真はいつも走っている私のランコースに咲いていた桜。
    年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。
    コロナ騒ぎのなかで「無常」を思う。
    先のことはわからないが今日は走る。そして今できることは手洗い睡眠。
    「無常」とは今を生きる日本の英知なのだ。

  • 新型コロナでトライアスロンの時間が増えている!!

    新型コロナでトライアスロンの時間が増えている!!

    もちろん新型コロナは仕事に影響が出ている。
    本来であれば、今年は既にベトナムへは2回、中国へも2回程度は行っているはずであったが、すべてがフリーズ。まさに「凍り付いた」状態にある。
    全体に停滞、様子眺めとなり、打ち合わせの回数も会議資料作成・検討の時間も減っていく。
    もともと基本がテレワークで、作業は自宅メインで必要に応じて出かけるワークスタイルだが、出かける機会が減って、自宅にいる時間が長くなる。
    そこで、トレーニングの時間もとれるようになっている。
    今回はこの新型コロナ流行と私の状態をトライアスロンの視点からスケッチする。
    ① 一日家にいるとトレーニングができる
    基本自宅作業ではあるが、普段は打ち合わせでほぼ毎日出かけている。それが出かけない日が増えており、目の前に広々と時間が広がっていることを実感する。
    午前中には3キロ程度走りに出かける。シャワーも含めて1時間程度だ。
    夕方からは泳ぎに出かける。3日続けて1500メートル泳を楽しむことができた。
    私が通っているtipness南行徳は、クラスやスクールは休止だが、個人トレーニングはジムもプールもオープンで、特にプールは小学生のクラスがなくなり、ほぼコース独占で1500メートルをノンストップで泳ぐことができた。調子と気分にのって泳いだわけだ。しかしまったく速くならないのが悔しい。
    ② トレーニングが増えると睡眠時間も増える
    トレーニングが増えることで、これまで7時間の睡眠で目覚めていたのが、8時間となった。あまりに正直な身体の反応に驚いている。自分をアスリートと自覚することはなく、ただのメタボじじいなのだが、この睡眠時間の変化はアスリートの生活を実感させてくれて興味深い。よく寝るのはウイルス対策としてもいいことだ。
    ③ 生活管理の難しさ
    要はトライアスロントレーニングを軸にした生活管理ができやすくなったということで、逆に言えば、普通に仕事をしながらのトレーニング管理はなかなか難しいことを改めて実感もしている。歳をとるとボーっとする時間も増えて、管理はますます難しくなる。
    「1日は24時間、生活管理の基本は時間割」。これが私のモットーなのだが、なかなか時間割がこなせない。あるいはできもしない時間割を作ってしまう。そこで「1日は24時間、やれることをやっていく」に変わってきた。つまり「1日のうちでこれまでやる」のではなく「やれた結果がこの1日でお疲れ様」と思っている。
    いまのうちはトレーニングを軸に「今日はここまで」できた生活を楽しみたい。
    ④ トレーニングに向かう時間の豊かさ
    これは何を意味するかというと、自宅にいる時間も長くなり、やはり新型コロナが気になるので、テレビのニュース番組やネットニュース、SNSなどを目にする時間が増えてくる。見だすと「そんあバカな~」などと思わず反応してしまうのだが、これの後味がすこぶる悪い。私は埒外の人間が遠くから当事者に石を投げつけることは好きでない。黙って応援をしたいと思う人間である。とりわけ安倍罵倒、政府非難の下品さに辟易した。
    そんななかで、テレビでエーゲ海の紹介番組があった。エーゲ海は修道士のための教会が数多くある。光景を見ているなかで、ただただすべての時間を神への祈りに向かう修道士の生活の豊かさに思いをはせた。テレビやネット情報に翻弄されている時間より、トレーニングに向かう時間の豊かさを改めて大切に思った。
    身体打つ 春の寒風 雲と青空
    単純に人に会う機会が少なくなった。そのために笑う機会も少なくなった。テレビのお笑い番組を見て、久しぶりに笑っている自分に気がついた。もっと笑う機会を増やしたい。
    スポーツの楽しみの一つに笑いをあげたい。共に走り泳ぐなかで笑いが生まれる。これはあまり語られていないが、自分の体験としてそう思っている。
    写真は富岡八幡宮。帰りがけに気が向いて、門前仲町に寄り道をしてお参りをした。門前仲町には陽が落ちる前の時間からやっている飲み屋がいくつかある。行ってみるか。めっきり酒は弱くなったが、ときどきは飲み屋が懐かしい。どなたかご一緒しませんか。

  • 誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。

    誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。

    2月16日で69歳となった。
    前回のブログでは「死ぬまでの暮らし計画」をご披露した。
    誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を書き留めておきたい。

    私にとってトライアスロンは「生涯スポーツ」である。
    60歳を前に「生涯スポーツ」を探していて、トライアスロンに出会った。
    「生涯スポーツ」とは、老いていくなかで、できるだけ長く続けていけるスポーツである。その効能としては、もちろん身体の運動機能の維持があるが、合わせて、生涯の趣味として「楽しく」続けていけそうなことも重要だ。
    水泳やマラソンという選択もあり得たと思うのだが、果たして水泳やマラソンを楽しむことができるのか、おそらくタイムの奴隷になって窮屈な思いをするのではないか。トライアスロンは「記録や順位ではなく完走こそが勝利である」との文化があると聞き、これはいいと思った。
    加えて、これは個人的な思い込みであるが、トライアスロンをやるとことが一つの人格表現であるように思えたのが気に入った。私の考える生涯スポーツとは、老人としての人格を規定するものなのだ。
    私がイメージする「トライアスロンを楽しむ老人」、すなわち「トライアスロンを楽しむことで実現される私がなりたい老人」とは「元気で明るい老人」である。私は「シャキシャキした老人」でいたいのだ。
    そしていまトライアスロンを始めて11年にして、トライアスロンは生涯スポーツにとても適したスポーツであることを身をもって実感している。私はただのメタボのおやじであり、スイム、バイク、ランの経験もなく、58歳からトライアスロンを始めた。レースではいつも最下位レベルであるが、こんな私でもできているので、ぜひ皆様にも「生涯スポーツ」としてお勧めする。

    さて、69歳である。このブログでも再三書いているように、このところしきりと老化を実感するようになっている。
    これからはまさに「生涯スポーツの真価」を実感する年齢になっていくのだ。
    真価を実感するためには、毎年レースに出ること。これが原則であり目標である。
    いつまで出ることができるかわからないが、まずは75歳、できれば80歳。
    大切なことはやり続けることと思う。

    ローリングストーンズのキース・リチャーズが禁煙をしたそうである。
    それを伝えるニュースに、キースのこんな言葉が紹介されていた。
    「ミックも俺も前回のツアーで、俺らはやり続けるしかないって感じたんだと思う。俺らは続けなきゃならない」
    この言葉がいまの気分にしっくりきている。
    続けていく理由や意味を考えればきりもない。
    それよりも「俺はやり続けるしかない」と思う心をもっていること。
    生きているということは、そういうことなんだと思う。
    私の「死ぬまでのトライアスロン計画」は「やり続ける」こと。
    「やり続ける」ことをもっているのはいいことだ。
    窓揺らす 春一番に 胸騒ぎ

    今日は春一番。世間はコロナウイルスで騒がしいが、いろんな予期せぬことがあるのが世の中というものなので、黙って自分で気をつけて「元気で明るく」暮らしていくほかないと思っている。ギャーギャー騒いでいるのはイヤだなあ。
    写真は話題の渋谷スクランブルスクエアからの眺め。こうしてみると、渋谷って50年前の学生時代と大きくは変わっていないような気がするけど、どう思う?

  • あけましておめでとうございます。年頭にあたっての「死ぬまでの暮らし計画」。

    あけましておめでとうございます。年頭にあたっての「死ぬまでの暮らし計画」。

    元日以来、何度かブログを書き出したのだが、何をどう書いたらいいものか、どうにも腰が座らずアップができず、とうとう1月も30日になってしまった。
    ちょっと間の抜けた感じですが、明けましておめでとうございます。
    今年も当ブログをよろしくお願いいたします。
    この1か月を振り返ると、1日にラン11キロ、2日は5キロ、3日は5キロ、4日はATAのトレーニングスタートでスイム+ラン6キロ、5日はジムでBIKE10分+トレッドミル10分+ウエイトトレーニング+スイム。体調もよく、意欲満々のスタートであった。
    ところが仕事始めの6日から喉を痛め(気管支炎)、新年の飲み会が重なって体重1.2キロ増。これはつらい。意気阻喪しつつ、心の底を流れていたのが、これからの暮らし方だった。やはり新年というのは、自分の今後に思いめぐらす時期であり、それが思い定まらぬままにきたのだが、ここにきてようやくに定まった。仕事、身体、心、人間関係と、この線でいくか、というものがまとまってきた。

    これからの暮らし方に思いをいたす直接の原因は老化の自覚にある。
    また、同年齢で亡くなる友を見送るなかで、自分の死というものが否応なく見えてくる。
    今週は月曜火曜と1泊2日で福島に出張にでかけた。上野からいわきまで特急で約2時間半。自分に向かいあう時間ができて、死ぬまでの計画を考えてみようと思いたち、メモを取り始めて計画立案となった。

    第一のメモは「死ぬ年齢」である。これを85歳前後とした。次に「死ぬまでの介護期間」であり、これを2年と考える。最後の2年は介護施設に入る。それまでは元気で暮らす。これを基本の前提とする。なお、80歳を過ぎたあたりで、病気への治療は基本的に対処療法に限ることとする。ガンも同様である。昨年には大腸の初期がん手術をおこなったので、いつがんになってもおかしくない。
    次に83歳までは「元気で暮らす」メモを書く。
    ①【仕事】仕事を続けて生活を管理し、最後の2年の費用を用意する計算。
    ②【心身管理】老いの収縮が進むなかで、心身とも健全に保つプログラム。
    ③【生活】生きているうちに取り組みたいテーマ。
    ④【終活】3人の子供たちに伝えること、時期、方法。
    書き出してみると、これまでも漠然と思いを巡らせていたこともあり、悩むこともなく、すらすらと、これで行こうという「死ぬまでの暮らし計画」ができあがった。
    この2月で69歳となる。ほぼ15年の計画となる。15年というと漠たる未来ではなく、確かな明日という手触りだ。
    計画といっても、何をいつまでに行うといった体裁のものではない。終着点は死でありそれは目標ではなく到達地である。暮らしの計画とは、それに向かっていく「歩き方」「毎日の暮らし方」といったようなものだ。だって来週にガンを発症してもおかしくないのだから。
    ということで、「私の死ぬまでの暮らし計画」をテーマに筆を進めていくことに腹を据える。
    ちょっと長くなりそうだが、できるだけ簡単に私の「計画メモ」をご紹介する。
    【仕事】私はフリーのイベントプランナー(自営業)であり、メインの仕事は一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長であるが、幸いに立ち向かう仕事は多く、元気なうちは続けていくことができそうな状態にある。「無理せず、続ける、カラリで、若い人の力に」とメモ。
    【心身管理】いま3か月に1回高血圧の治療でNTT関東病院に通っており、6か月ごとに血液と尿検査を受けている。担当の医師にはこれを健康管理の基本にしていることを伝えており、先生も「そろそろ内視鏡検査ですよ」などと声をかけてくれる。そのうえで、83歳まで元気に暮らすための基本は「身体づくり」。このところテレビでも取り上げられているが、筋トレとストレッチングトレーニングに励み、老化に向かう肉体改造を行う。「肉体改造」なのだ。トライアスロンについては、「できるだけ続けていく」のであるが、肉体改造に合わせて「ギアをあげる」。近いところでは2021年に大阪でワールドマスターズゲームがあり、それを目標にする。ワールドマスターズゲームへの参加については、今後もこのブログで扱っていくので、よろしくお願いします。あと「ケガをしない」。これは何より重要。
    【生活】自分のホームページを作りたいと思い、昨年はワードプレスの勉強を試みてきたが、どうにも手掛かりがもてない。そこで作戦変更でbloggerにすることに決めた。昔使っていたが、調べてみるといろんなことができる。ホームページとしては「岩﨑書店」といったものを考えている。もともと(いまでも)編集者であり、WEBというツールを使っての「ささやかな個人出版社」を運営したいのだ。基本は私からのメッセージ発信であるが、できれば編集者として、若い人の表現を編み出すことができれば本望。まあ、遠くを望まず、畑を耕すようにできることをやっていきたい。このブログもそちらに合体させる。
    【終活】妻が他界してもう13年になり、3人の子供はそれぞれ結婚して独立した家庭を営んでいる。そこで話は飛ぶが、「死ぬ1年前(いつ死ぬかがほぼわかり、意識もシッカリしている時期)に3人を集めて伝えるべきことを伝える」とメモを書く。すると、これからの日々はその日のための準備ともなる。それが「終活」となる。さらに調子にのって「帝国ホテルに部屋を予約」とメモしたのは我ながら笑ってしまう。
    「この通りにいくかどうか」などという野暮な話ではない。
    こんな感じで毎日を暮らしていくという自らへの言い聞かせのようなものなのだから。
    最近、ユックリとしっかりと、姿勢よく歩くようにしている。
    このリズムで暮らしていくイメージトレーニングだ。
    こうして書き出すと、やることは多く、これからの「暮らしの時間割」を考えないとならない。
    どうも、妙な新年のご挨拶になってしまった。
    皆様、今年も元気にまいりましょう。
    よろしくお願いします。
    冬は鍋 タラに湯豆腐 体重計
    写真はいま福島県双葉町で建設が進んでいる「伝承館」の建築風景。復興の記憶と記録を伝える施設となる。この6月にオープンの予定。ここでオリンピック・パラリンピック期に、世界に向けて復興を伝える国際イベントをやろうと、5年前から提案しているが、これまでの反応は思わしくない。福島への出張で現場を見てきた。なんとか実現したい。

  • 68歳が心身のターニングポイント。「もうちょっとやってみよう」の気分!!

    68歳が心身のターニングポイント。「もうちょっとやってみよう」の気分!!

    土曜のスイム。100メートルを3分サイクルで6本。
    1本目が2分30秒。2本目は40秒、3本目が45秒。以降、40秒から45秒。
    目標は100メートル2分なのだが、遠い夢に終わりそうだなあ。
    25メートル全力は28秒。28秒+5秒で2分15秒を目指したい。

    先週のランでは、3キロを20分50秒。
    最後に1キロのタイムトライアルで6分13秒。
    これにはかなりがっかりした。だいぶ落ちている。
    衰えもあるが、このところの練習不足もあるぞ。
    1キロ6分で3キロ、1キロのトライアルは5分30の復活を目指したい。
    こうしした数字を書きだすと、若いうちにやっておきたかったと思う。
    若いといっても40歳でもいい。どの程度のタイムでできたか。
    そんなことを考えてしまう。
    マメにタイムをとるほうではない。タイムを目標においたこともなかった。気持ちよく泳ぎ走ることが第一で、タイムは目標ではなく結果と考えてきた。
    そしていま、心身の衰えを自覚するなかで、タイムを目標にしようとしている。
    これはどうしたことなのか。
    68歳が私の心身にとってのターニングポイントとなっていることを強く実感している。
    このブログでも何回か書いてきたが、このところ心身の衰えを強く自覚するようになった。特に下半身の筋力が衰えている。この状態で「気持ちよく」なんて言っていると、衰えていくばかりではないか。そこで老化の進むなかで「もうちょっとやってみよう」の気分となっている。
    「現状のトレーニングではここまでであるが、もう少しトレーニングをすればパフォーマンスは向上する」。これは科学的に正しいことであろう。私の「もうちょっとやってみよう」というのは、これに「幾つであっても」を付け加えることである。
    「幾つになっても、もう少しトレーニングをすれば現状よりパフォーマンスは向上する」というわけである。
    そこでいまの課題はこのようになる。
    ・どうしたらトレーニングを増やすことができるのか
    ・どのようなトレーニングを行えばいいのか
    これをいま書くことで考えている。
    基本は生活習慣であり、生活習慣とは時間割である。
    問題なのは、日が落ちてからの時間が難しくなっている。
    以前は帰宅してからジムにでかけることも少なくなかったが、それがそうはいかなくなっている。帰宅してお茶を飲んで一息つくと、なかなか動けない。なかなか動き出せなく、眠くなってうたた寝となる。
    そして仕事との兼ね合い。朝型人間なので、朝には身体が動くのだが、朝は仕事が優先される。

    いま私が考えるポイントは以下。
    ・自宅でできるトレーニング(筋トレとストレッチング)をマメに行う
    ・6時起床、11時就寝
    ・お酒の時間を削る
    ・休む時間をうまくとる
    ・暮らしのリズムを意識する
    要は心身共に疲れた状態でいないこと。トレーニングを楽しむこと。
    機嫌よく暮らすことはとても大切なことであり、そのためにはそれなりの努力を必要とする。

    写真は奄美大島。サンゴ礁でのスイムを満喫した。
    こんなことができるとは考えてもいなかった。
    これもトライアスロンのおかげだ。
    ありがたい。