カテゴリー: トライアスロン

  • 私の「人生100歳時代」を支えるトライアスロン。

    私の「人生100歳時代」を支えるトライアスロン。

     今朝のトレーニングのあと、ハーフパンツとTシャツ姿、ママチャリで家に帰るときに、子供時代の夏休みの感覚が鮮やかによみがえり、その瞬間にちょっと胸がドキドキした。あの日あの時あの風景といった思い出ではなく、このムッとした空気感と陽射し、そのなかで、こんな格好でで、自転車をこいでいる感覚が少年時代を蘇らせたのだろう。それが10歳程度とすると、57年前となる。これだけ前のこととなると、懐かしさではなく、実感として、細胞レベル、皮膚感覚での少年時代の肌触りであった。

    それはとうに失われてしまったものであり、今日の体験は錯覚がもたらしたものであることはよくわかっている。しかし、こんな錯覚の楽しみも年齢のもたらすものなのであろうか。であれば、それも楽しんんで味わうことにしよう。

    人生100歳時代という。
    人は70歳程度までは、特に健康に留意しなくとも生きていくことはできる。しかし70歳を越えて元気で生きていくためには、それなりの身体ケアが必要になる。ある医師に言わせと100歳時代とはそうしたことだそうだ。私は100歳を目指しているわけではまったくないが、生きているうちは元気でいたい。よって人生100歳時代にトライアストンは大いにお勧めと思う。
    そしてもう一つ。いま世界というより、人類は大きな転換期にあり、先のことはわからなという。だから、この時代に求められるのは狩猟民族の生き方であるという。明日の獲物の保証はない。できるだけ身軽な状態にして、常に周囲の環境に柔軟に対応し、日々工夫を凝らして生きていくいくことになる。
    妻を亡くし、3人の子供たちはそれぞれに独立し、この南行徳に居を構えた折に、引っ越しの通知葉書に「最低限の荷物で獲物を求める狩人の心境です」との一文を書いた。この心境に変わりはない。もともと明日のことなどわからない。さらに67歳ともなれば、明日のことなどまったくの白地図であり、経験を頼りに、状況を分析し、目の前の狩りに全力を注ぐ毎日である。

    そんなつもりはなかったが、どうやら、知らず知らずに、人生100歳時代に適した暮らしを営んでいるようであるが、では我が身として、人生100歳時代をどのように考えておくべきか。
    トライアスロンのレースで、私は目標のタイムを考えることはない。最も重視しているのは、安定した呼吸と脈拍と意識であり、記録はその結果である。大切なことは緊張感をもって「前に」進む心のコントロールであり、常に「現在」こそが、貴重な価値となる。実際にスイムでは「現在、現在」と頭のなかで言葉を繰り返している。そしてこの「現在」を支えるものは「過去の積み重ね」としてのとトレーニングあり、ゴールは確かにそこまで行かなくてはレースとして成立しない目標ではあるが、それは絶対に到達しなくてはならないものでもなく、むしろ現在に輝きをもたらすものであり、現在の延長にある「結果」のように思われる。
    では「死」はどうだろう。死への恐れなどはまったくない。呼ばれれば「はーい」と気軽に答えて迎えの車に乗る心境である。

    となると「死」はゴールですらない。人生100歳、ともかく「いまを元気で生きていく」ことに尽きる。その要諦といえば、私は「日々の時を過ごす快適なリズム」であり、いきなりだが、トライアスロンの魅力もそこにあると思っている。「現在だけに集中して身体の鼓動に耳を傾ける」。そして身体の鼓動とは、感情や思想の揺らぎとも言い換えられる。
    したたるや 吹き出す汗が 地に文様
    心も身体も気持ちよく汗をかく毎日を送ろう。
    ここらあたりが人生100歳の心構えのようだ。
    写真は新横浜公園でのラグビーイベントを終えての記念写真。
    元日本代表の斎藤裕也さんは明治大学のころから見ていた。
    こんな写真が撮れるなんて、去年は考えてもいなかった。
    人生は驚きに満ちている。

  • 今年の初レース、最下位にして1位のメダルをゲットとは。

    今年の初レース、最下位にして1位のメダルをゲットとは。

     この前の日曜日は房総アクアスロンに出場。500メートルのスイムと5キロのラン。タイムはスイムが18分23秒。ランが40分33秒で、合計が58分56秒。総合38位。といっても完走は38名なので、最下位。でも60代の参加者は私一人なので、ショートの部男子60歳から69歳で1位となって、表彰の金メダルをいただいた。

    なんだか漫画のような結果で、一人笑うしかない。
    振り返ってみると、スイムのは新しいウエットスーツ初体験で、このところはフォーム矯正にも取り組んできたのだが、それが実ったとはとても言える状態ではなかったなあ。ゴーグルが曇ったこともあって、途中4回ほど立ち泳ぎが入ってしまった。なんだろうなあ。感じたのは疲れ。フォームが安定せず、リズムがつくれず、腕でかいて疲れでしまった。息があがったような感覚があった。フォーム矯正が不十分であったということか。なんかおかしいなあ、おかしいなあ、と思いながらの500メートルとなってしまった。
    ランのは小雨まじりの天候が気持ちよく、いい感じで走れたのだけど、タイムが悪いなあ。体感ではキロ6分半から7分ぐらいのペースを感じていたのに、この結果には失望だなあ。
    このように書き出してみると、要は練習不足!!ということなのだ。加齢による体力の衰えを感じつつ、どうも衰えという布団の中でまどろみたくなる自分がいる。まあ、こんなもんだよと自分を納得させたい気持ちがある。
    さてどうしよう。
    トライアスロンに向けて、もう一段戦闘的なチャレンジスピリッツが必要なように思われる。「やってやろうじゃないか」のファイト気分を掻き立てないとならない。どこか後遺症が残っている感覚はある肉離れも「完治した」と思いきってしまう。これがまずは心の置きどころ。
    そして、日々の習慣のつくりかた。どのようなトレーニングを行うかというのは、どのような日常生活を過ごすかということに他ならない。ファイト気分をかみしめる日々の作り方を探し出していかなくてはならない。
    梅雨の入り 房総海辺 初レース
    ということで、「やってやろう」の気分であるが、今週は風邪をもらってしまったようで、喉が痛み、今日はトレーニングを休んで眠ることにした。とても残念だけど、相撲取りではないが、「寝るのも稽古のうち」と思って割り切ろう。
    67歳になって、トライアスロンとはもう一段深い付き合いを作っていかねばと思っている。やらねばならぬの気持ちである。
    ここで止まっては、ここで辞めては、もう戻ることはできないだろうから。
    挑戦を楽しんでみたい。
    トライアスロンは挑戦の気分をつくってくれる。それがいい。
    写真は、恥ずかしながらの頂いたメダル。
    笑ってしまうが、大事にしよう。
    今日のラグビーでのイタリアへの敗戦は悔しいなあ。ホント悔しい。
    最後のノックオンは誰だ???

  • 睡眠不足で体調不十分であったが、素晴らしい好天を満喫。

    睡眠不足で体調不十分であったが、素晴らしい好天を満喫。

     今日は陽射しと風が心地よい素晴らしい好天だった。ランのトレーニングでは、「流し3本」のあと、公園内の1周1200メートルのコースを4周。気持ちのいい汗をかいた。こんな素晴らしい日を、全身で味わえることの幸せをかみしめた。何度も何度も「ありがたい」とつぶやいた。

    身体が元気でいい天気の日を楽しむことができる。ささやかなことだが、ありがさを痛切に実感するもの、歳をとったということなのだろう。
    実は今日は体調はよくなく、スイムもランもひとり本数を減らしてのトレーニングだった。原因を振り返ってみると、今週は睡眠不足の日があった。どうも睡眠不足が堪えるようになった。もう徹夜など考えられない。身体に力が入らず、息がすぐにあがってしまう。リカバリーも1日寝れば回復とはならない。数日をかけて徐々に回復していく。今日の午後は昼寝をすることができた。これで今晩、明日としっかり寝れば、回復となる。

    このブログを書き続けていく目的の一つに「老化を詳細に記録する」ということがある。というより、トライアスロンを続けていくことのなかに、「老化のプロセスをリアルな手触りをもって感じたい」という気持ちがある。それは老化への好奇心だ。老化とはどのようなものなのか、正面から向かい合いながら死へのプロセスを歩いていきたいと思っている。
    そしていま、67歳4か月。「睡眠不足が堪えるようになった」という一項が加わることとなった。眠ることが惜しくて夜中に深酒をしていた若い頃があった。毎月数日は仕事で徹夜の日々があった。懐かしいわけではない。いまに至るまで歳相応に生きてきたかなあと思うばかりだ。

    陽射しと風 走る力が 身を浸す
    この月曜からまたベトナムだ。帰りのフライトが金曜ハノイ0:55-成田7:35。時差は2時間なので、日本時間では2:55発で7:30着となる。いつもは11時就寝6時起床である。間違いなく睡眠不足となる。その日は12:00、14:30と打合せが入っている。翌日土曜日は睡眠不足を抱えてのATAとトレーニング、日曜は房総で500メートルスイム+5キロランのアクアスロンに参加する。
    トレーニングもレースも体調がいいからこそ楽しめる。残念だがいたしかたない。強行軍で海外のレースに参加するシミュレーションと思ってやっていこうか。
    写真は今日の黄昏の空。刻々と色が変わっていく空に心奪われる。

  • 5月の3連休で心身を回復、今年の大会を決定!!

    5月の3連休で心身を回復、今年の大会を決定!!

    この連休後半は心身ともに休むことができた。昨年の12月末から連休前半までの多忙で疲れがたまっていたが、ようやく身体の回復を実感している。

    連休金曜はジムとスイム、土曜はATAのトレーニングでスイムとラン、そして日曜は午前中のバイクと夕方にスイム。ひととおり身体を動かして、シーズンインへの最低限の準備に手をつけた感覚がある。
    バイクは年に一度のメンテナンスに出して、サドルを交換、タイヤを25ミリにした。ヘルメットを買った。ウエットスーツを採寸して6月頭には届く予定だ。9年前にトライアストンをスタートしてから、ヘルメットもウエットスーツもそのままで使ってきた。交換への限界かと思う。
    今年の出場大会も決めて申し込んだ。6月10日の南房総アクアスロン、7月1日の昭和記念公園スプリント、8月26日の木更津スプリント、9月16日の九十九里オリンピックディスタンス。そのうえで、シーズンオフには昨年もお世話になった奄美大島合宿、1月にはグアムのスプリントに参加したいと思っている。
    そしてできれば、来年のセントレアミドルを目標にしたい。セントレアは一度参加してバイクで足切りにあっている。あの時のバイクは山岳難コースであったが、いまではだいぶ平坦なコースになっているとのこと。年齢的にも、いまのうちにセントレアをリベンジしておきたい。

    ひさしぶりにこの3日間、身体を動かして感じたこと。第一にあげられるのは衰えの実感だ。衰えというのは躍動感の喪失だ。そして昨年10月末の肉離れの影響。どうも回復が思わしくない。久しぶりに1時間のバイクにトライしたが、帰宅後昼寝をして起き上がろうとしたら、肉離れをした右足太腿がつりそうになった。股関節にも痛みがある。身体は動くのだが、肉離れを契機に一段階段を降りた感覚は否めない。
    2020までは仕事に励むつもりである。そのうえで、今年の大会の予定を決め、来年の目標を定め、身体の老化を実感するなかで、さて、どのようなライフスタイルをつくっていくか。この状況にあったライフスタイルをつくっていかなくてはいけない。久々の連休最後の日にそんなことを考えている。
    イメージとしては「ゆっくりと絶え間なく歩く」。忙しくとも睡眠はシッカリとって、バタバタとぜず、丁寧に目の前のことに向かっていく。そして、緊張感をもって絶え間なく動く。ちょっとストイックな感覚かな。
    これは12月末からの多忙ななかで学習したことであり、この要諦は「疲れない」ように毎日を過ごすことなのだ。

    五月晴れ まばゆい光が 誘い来る

    このブログもこのぐらいの長さにしたいと思っている。
    1回1回の書く時間を短くして、できるだけ回数を多くしたい。
    トライアスロンから少し話題も広げていきたい。
    そんなことを考えている。
    写真は今日のバイクトレーニングのコース風景。

  • お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

    お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

     2月12日のブログで「1か月と9日ぶり」と書いたのだが、今回は2月22日以来で「1か月と23日ぶり」となる。このブランクの原因はハノイへの出張。今年に入ってから、4回、合計16泊も行っている。

    1月25日~2月1日  医療フォーラムの開催 7泊
    3月11日~3月13日  病院開設プロジェクトの予備打ち合わせ 2泊
    3月22日~3月26日  さくら祭りでの投資フォーラムの開催 4泊
    4月2日~4月5日   病院開設プロジェクトのスタート 3泊
    一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長としての仕事である。
    行っている間は自分の時間はない。行くとなればいろいろと準備はある。帰れば報告のまとめがある。徹夜まではしていないが、睡眠時間が削られる。仕事は人間利害関係の坩堝をかき回すようなもので、さすがにストレスが増えて酒量も増える。
    こうした日常は30歳代の非力一所懸命の日々を思い起こさせ、この年齢になって、こんな事態に直面するとは、まったく考えてもいなかった。人生はわからない。今年は何回ハノイに行くことになるのやら。
    トレーニングは遠のくばかり。なんとか土曜日のATAのトレーニングだけは参加したいのだが、これも振り返ると、4月7日休み、3月31日参加、3月24日休み、3月17日参加、3月10日休みといった具合で、ようやくの隔週参加。これ以外のトレーニングはまったくやっていない。
    今後を予測すると、この仕事のほかにも、2019年のラグビーワールドカップを応援する「スポーツバディ」プロジェクト、2020年に福島の復興を世界に示す「2020MICE」プロジェクトがあって、今週の打ち合わせで両プロジェクトの確かな手ごたえを得ることになった。
    そんな今後への予想展望が見えてきて、今週末はようやく仕事が一段落して、今朝はATAのトレーニングに行き、こうしてブログに向かっている。その喜びに浸っている。
    今日のメニューはスイムとバイクだが、スイムだけ参加し、そのあとは一人ジムに行ってスピニングバイク15分、マシンで筋肉に刺激を入れ、ゆっくりとストレッチで1時間。
    泳ぐ前は不安であったが、身体は動いてくれた。練習メニューのあと、ユックリと300メートルを泳いだ。身体の細胞が息づいている実感に身を浸して大きく息を吐きだした。体重増加も1.5キロほどで安堵。

    そしていま言葉を探しながら、一人頭を巡らす時を楽しんでいる。
    書く楽しみのなかには思考の思いもよらない転換がある。
    『現代を特徴づけていること凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・・一言にして言えば、スポーツとは、人間の諸性能の分析とその組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学である』(中公文庫「精神の政治学」ポール・ヴァレリー 吉田健一訳)。
    この本は今の私の枕頭の書であり、手元において、パラパラと、何回も読み返しているのだが、いま突然に、この一文に頭がジャンプした。私がトライアスロンとブログとを不可分のものとして楽しんでいることそのものが、的確に示されていると感じている。

    この年齢で目が回るほどに忙しく仕事に向きあっているのは、ありがたいことだ。まずその思いがあって、今日は久々の「一人楽しむとき」があって、67歳という年齢を自覚しつつ、今後を考えてみる。「今後」とは人生の行く末、仕事の展望、トライアスロンを混ぜたもので、「さて、どうするか」と心のあり方を決める。
    2020年までは躊躇うことなく、怯むことなく、大股で道の真ん中を歩いていく。
    まずこれを基本的な態度としよう、と言い聞かせる。
    波乱、混乱、非難中傷、向こう傷は避けられないだろうが、覚悟して、バタバタしない。遠くに流れる雲を見つつ、微笑みを忘れず、休まず歩いていけば、いささかの価値は残せるかと期待する。
    トライアスロンは、物理的にどこまで時間がとれるかが、わからない。だから予定を作らないというわけにはいかない。スポーツとは必然的に「計画」を含む倫理学なのだよ。そうだなあ。5月の幕張スプリント、9月の99里、昨年に行った11月の奄美大島合宿、1月のグアム、来年のセントレア出場をポイントにおいてみよう。年齢からして、来年あたりはセントレアリベンジの最後のチャンスかもしれない。
    グアムより 友よ来たりて 花語る
    とむさんは、グアムのトライアスリートで、このブログをとおしてトラ友としての縁をいただいた。帰国の折にお会いしてグアムのトラライフをお聞きした。写真はその折のもの。俺の顔はひどいなあ。1月にはスプリント大会があるそうだ。行ってみたい。どなたか、ご一緒しませんか。

  • 2月16日に67歳の誕生日を迎え、いまの我が身を振り返る。

    2月16日に67歳の誕生日を迎え、いまの我が身を振り返る。

      66歳が67歳となっても、何かの感慨があるわけではない。ただし、誕生日というのは「改めて年齢を意識する」きっかけとはなる。

    まずは身体の年齢をとりあげよう。
    「歳をとると足腰が衰える」とは昔から広く伝えられるところだが、これまでそれがどのようなことを意味するのか、実感としてとらえられなかった。しかしいま、かなり確かな実感として「足腰の衰え」を感じるようになった。その直接的な原因としては、昨年10月末の「右足太腿前面肉離れ」がある。日々、少しづつ少しづつ回復を感じているのだが、いまだに屈伸をすると太腿の「そのカ所」に鈍い痛みを覚える。さらに、肉離れはそのカ所のみならず、両方の膝の痛み、左の股間節の痛みを派生させている。これらは直接的には肉離れからおきたものなのだが、実感としては、肉離れそのものが「足腰の衰え」であって、それが衰えを拡大させているように感じている。
    そうなんだ。67歳になって、足腰の衰えを確かなものとして感じている。具体的には特に屈伸だ。屈伸がおっくうになり、足の痛みを感じるようになり、安定を欠くようになっている。そこで思うのが「土俵入り」の太刀持ち、露払いは、土俵入りの間ずっと安定した屈伸の姿勢をとり、自然に立ち上がらなくてはならない。「よっこらしょ」というわけにはいかない。あの体重でそれが難なくできるのだ。でも私はもうできなくなっている。何にもつかまらず、安定した姿勢で、自然にスムーズで屈伸することができなくなっている。足腰の衰えとはそうしたことなのだ。なるほど。
    そこで、肉離れのリハビリテーションを「足腰の強化」に向けていこうとしている。1日の間に、いろんな合間をみて合計100回の屈伸を行う。階段では一歩ずつ体重を意識して昇り降りする。膝や腰のストレッチををマメに行うなど、ささやかながら、日常を変えようとしている。
    次に感じる衰えが「酒が弱くなった」。量が飲めなくなったとともに、あまり飲みたいと思わなくなった。長らく「毎日飲む」生活を続けてきた。飲んだ帰りでも、コンビニで仕上げのチューハイを買っていた。ところが、このところ、「家に帰ってカフェラテとリンゴ」なんて好みになってきた。なんだろう。
    帰宅してお酒を飲まなくなって思うのが、その時間をどのようにして過ごすのか。まだ身についてはいないのだが、ぜひ一日の最後を、ゆったりとしたストレッチで終える生活を身につけたいと思っている。
    ということで、足腰が衰えてお酒が弱くなり、だんだんと身体が縮小していく感覚はあるのだが、意識としては逆に、身体を動かそう、筋肉に刺激を与え、血の巡りをよくしようという方向に向かっている。それは「そのほうが気持ちがよい」からで、これは最近になって発見した楽しみなのだ。動かすのがおっくうになっているから動かさない、のではなく、おっくうになっているから動かしたくなる。何かを集中して考えるのが面倒になっているが、同時に、いつも何らかをあれこれと考える楽しみを自覚しだしている。
    なるほどなあ。老いていくことの楽しみというものがあるのだ。若いうちは無意識で行ってきたことができなくなって、意識して行うようになる。そのように意識して身体や頭を動かすことが、小さな、毎日の楽しみとなるようだ。
    どんよりと 身体を包む みぞれ雨

    2月は雪の降る日が多い。でも日は格段に明るくなっている。
    私は疑問もなく、身体や頭を動かすことを楽しいと感じている。
    運動する呼吸、血の巡り、発汗、意識の集中を快感としている。
    それと、いまこうして書いていることが、私には同じことのように思えている。
    写真は江戸川沿い。昔の写真だけど、ちょっと気にいっている。

  • 1ヵ月以上のブランク。ベトナムはハノイに行ってきました。

    1ヵ月以上のブランク。ベトナムはハノイに行ってきました。

     前回のブログが1月3日。一年の計として、今年のブログのテーマに「気持ち良い身体づくり」をあげた。それ以来1ヵ月と9日ぶりのブログ。なぜこんなにも空いてしまったかたといえば、「仕事が忙しかったから」に尽きる。仕事の委細の説明は省くが、2月の30日にベトナムはハノイで日本医療のプレゼンテーションを行うというもので、日本の医師、医療関係の企業の方々約20名に参加と発表資料の作成を依頼し、旅行の手はずを整えるという制作準備に忙殺された。

    身体としてはまったく気持ち良くない毎日で、1月8日にATAの新年駅伝大会で5キロを走って以来、ほぼ運動ができない状態となった。そして1月25日にハノイに行き、深夜便に乗って帰国したのが3月1日の早朝成田。それが、腸炎のウイルスを拾ってきて、帰国日から激しい下痢。
    ハノイでは、仕事のオフィスと宿泊の部屋がともにロッテセンターにあり、食事もセンターのフードコートということで、ロッテセンターから外に出ない。一応ランニングセット一式を持って行ったが、まったく出番はなし。
    ようやくこの3連休でトレーニングに参加し、ジムに行き、こうしてブログに向かうことができるようになった。失われた日常を回復できた嬉しさに浸っている。
    そこで改めて「気持ち良い身体づくり」を考える。
    こうした忙しいなかでも、あるいは忙しいからこそ、ランニングはできなくとも、少しの時間をとってストレッチやマッスルトレーニングを行いたいと思うのだが、それができなくなってしまう。起き抜けに5分ほどのストレッチで身体をほぐす程度になる。
    どうしてそうなのか。今回の場合、「仕事」とは、まずパソコンに向かうことになる。仕事の多くは連絡・確認・指示・準備のための指示書・確認書の作成であり、朝起きると、まずメールをチェックし、その日に行うべき業務の確認と整理に向かう。つまり、身体ケアに向かうより、せかされるようにパソコンに向かう。「仕事に追われて時間がない」という感覚で、まさに「心を亡くすと書いて忙しい」そのものだ。頭のなかで「身体を考える」ウエイトが低くなっている。「身体を動かす意欲」がなくなっている。頭のなかは、仕事でいっぱいになっている。
    こうした状態にあっては、「気持ち良い身体づくり」は「忙しときは仕方ない」と思う一方、「もう少しうまい折り合いのつけかたはないものか」と思案する。
    頭のなかの仕事を追い出すことはできない。であれば、身体を動かしている時間が「仕事の整理に役立つ」という方向に向かうことになる。よく「散歩の時間が頭の整理になる」「だから毎朝の散歩は欠かせない」という話を耳にする。しかし、話には聞いていても、私の場合はそちらには向かわないのが思案のしどころなのだ。
    「気持ち良い身体づくり」とは「気持ち良く毎日を過ごす」方法の発見にほかならない。それは第一に生活の技術であり、気持ち良い習慣の形成であり、気持ち良い毎日の時間割となる。
    この時間割・日常の生活習慣を乱すものが「予測つかない異例の仕事」であり、このたびの出来事はまさにそれに当たるのだが、改めて自問自答する。これは嵐の到来のように、仕事が去るまで身をかがめているしかないのか。
    ここまでアレコレと考えてきて思うことは「考えない」。例えば食後に歯を磨くことを思案するのか。何も意識することはなく、思案するとすれば、歯がちゃんと磨けているのかということぐらいで、無意識に歯磨きに集中しているではないか。
    それと同じように考えると、「朝起きると何も考えずに身体を動かす」ということになる。パソコンのスイッチを入れる前の、朝食の前の、「毎日のルーティーン」とする。どうやらこのあたりかな。
    より意識的にチャレンジしてみよう。

    厳寒に 息吹目覚めよ ストレッチ

    今回の多忙な日々を振り返りながら「スポーツを楽しむ日々」の意味に関心が向かっている。
    私のことばかりでなく「現代にとってスポーツを楽しみ日々」について考えてみたくなっている。
    これは「現代人にとっての幸福感とは何か」につながるもので、現代哲学にとっても大きな課題であるのだが、「老人トライアスリート」としての実践のなかで、このブログのなかで、このことを考えていこうと思っている。オリンピックの社会的な価値にもつながるものだ。
    ちょっと面倒な話が多くなるかもしれませんが、よろしくお願いします。
    写真はハノイの風景。ベトナムは活気に満ち溢れていました。
    この「活気」は「スポーツを楽しむ日々」の基本的な価値と感じています。

  • 今年の当ブログのテーマは「67歳、気持ち良い身体づくり」です。

    今年の当ブログのテーマは「67歳、気持ち良い身体づくり」です。

     皆様、明けましておめでとうございます。

    今年もご一緒にトライアスロンを楽しみましょう。
    ブログも続けていきます。こちらもよろしくお願いします。
    さて、今年第1回のブログは何を書こうか。
    まずは書き出してみよう。

    今年の正月は天候に恵まれ、素晴らしい快晴が続いた。
    31日、1日、2日、3日と走った。明日も走ろう。
    右足太もも前面の肉離れの痛みがまだ消えていない。走っていても違和感があるので、走るといってもジョギングレベル。肉離れの部分に意識を集中して、違和感が高まるとスピードを落とす。
    江戸川沿いのマイコースはATA南行徳の練習コースにもなっており、1キロの距離に白線のマーキングがされている。その1キロを往復する。1キロごとにタイムを計る。でもタイムはあくまで結果確認で目標ではない。まだ目標を決めて走るところまではいっていない。でもようやく1キロ6分10秒で走るまでには回復をした。
    よし、いいぞ!!!
    ともかく少しづつ、無理をしないで、ともかく身体を動かしていけば、日一日と微妙な変化を感じることができる。今回の肉離れリハビリではそれを強く実感している。
    このままリハビリから身体づくりまで進んでいきたいとおもっているのだが、実は昨年の暮れからある問題を抱えているのだ。
    それは体重。昨年の12月5日は70.1キロであった。念願の70キロ切りが目前だあ。しかししかし、10日には70.5、20日にはなんと72.8で、31日の大晦日が71.8、そして今日は72.2キロであった。ちなみに体重は起き抜けに血圧とともにはかっている。
    血圧も12月5日は上が129であったのに、今日は上が136。
    そう。どうも体重と血圧の数字がよくないのだ。
    血圧については、寒さが原因ということにしておこう。
    体重については、自分では「快適体重」は63キロと思っている。身長は169センチである。
    この体重は高校3年生の時の体重である。
    28歳の結婚前には73キロであった。これが一番太っていたとき。
    結婚をしてだいたい68キロ程度であった。
    40歳のころに椎間板ヘルニアで1ヵ月入院をした。退院時に計ったら63キロ。何もしないで5キロも落ちた。原因を考えるとお酒しかない。それ以降、体重が増えてくると禁酒を心掛けた。それで体重は概ねコントロールでき、トライアスロンを始める前はほぼ66キロであった。
    ということは、トライアスロンを始めて太ったことになるのだ。
    現在の体重は「トライアスロン適正体重」との考えもあろう。でも、振り返ってみれば63キロの頃が一番気持ちよかったのだ。動作が軽快で窮屈感がない。
    ということで、できれば改めて63キロ体重を手に入れてみたいと思っている。トライアスロンを行い、筋トレもして63キロにしたいと思っている。
    ところが、年齢のせいか、なかなか体重が減らない。以前なら2キロぐらいは酒と食事のコントロールで数日で落とせたのに、これがいっこうに効果が出ない。
    そうだ。いきなり63キロとはいかないが、まずはトライアスロンを始める前の66キロを目標としようと、正月に走りながら考えた。
    一年の計 毎年覚悟の 走り初め
    もうこの歳なんだから、体重を気にすることもないか、などとも思うのだが。
    でも、あと5キロ落としたほうが絶対に気持ちいいと思っている。
    要は「気持ちの良い身体の状態」を見つけだして維持したいのだ。
    ということで、今年の初ブログは「気持ち良い身体づくり」となった。
    今年は67歳となるが、「67歳の気持ちの良い身体」を考えよう。
    皆さん、今年もよろしくお願いします。
    写真は今日走った江戸川沿いの光景。光の感じが気にいった。私のホームコースです。

  • 大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

    大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

     今日は大晦日。これから3日までは、地下鉄に乗っての外出の予定はなし。私の年末年始の生活の基本は「片付け」。

    散乱している仕事の資料を、パソコンのファイルとメールを片づける。本はブックオフ送りをより分ける。洋服や暮らしの様々な小物もいらないものをより分ける。片付けたあとは拭き掃除。掃除はいつもしているので、大げさなことはしない。
    「片付け」の第二は先送りになっていた「宿題」の片付け。今年は「AIと医療」と題するレポートに向かう。ストーリーは見えているのだが、まとまって執筆に向かう時間がとれなかった。なんとかこの休み中に仕上げたい。
    「片付け」の第三。これが一番大切なのだが、人生の棚卸しを行う。現状を書き出して、新たな年に立ち向かっていくこと、捨てていくことに振り分ける。人生捨てなくては拾うことはできないのだ。そのうえで、新たな年に行いたいことに優先順位をつけ、取組む態度を自分なりに明確にする。何も目標設定などはしない。大切なのは態度と持続を楽しむことであって、目標の達成などではない。人生はスポーツ大会ではないのだ。人生一寸先は闇なのだ。これが私の考え方。
    そして「片付け」の第四は「トライアスロン」。この一年を振り返り、買い替えるグッズやウエアを、これもリストアップ。出場する目標大会をピックアップ。年間のトレーニングイメージづくり。そして「身体自体のリセット」。リセットといっても大げさなことではない。毎日2時間ほど、丁寧にストレッチをして、走る。でも、これがいつもはできそうでできない。
    なお、この休みの過ごし方は基本夏休みも同じ。年に2回、半年ごとに「片付け」をしていることになる。
    そこで、この一年のトライアスロンを振り返る。
    出場した大会は、幕張(スプリント)、木更津(スプリント)、九十九里(オリンピック)の3つ。真鶴のオープンウォーター1500メートル。このほかランの草大会を2つ。
    まずはここから考える。これは妥当であるのか。そのうえで翌年はどうするのか。
    2017年からは「トライアスロン大会は近場のスプリント」「ランもスイムも近場で、できれば毎月」を基本方針に考えてきた。つまり特別なことはせず、負担を感じない程度に、練習もレースも日々の暮らしのなかで平板に過ごしていく、ということだ。
    振り返れば、この基本方針は妥当であったと思う。私なりの、これからも長く続けていくトライアスロンライフの原型を確かめたように思う。
    そのうえで、翌年を考えると、レースはもう一つプラスしたい。昨年も横浜に申し込んでいたが抽選で落ちてしまった。ランやスイムの草大会は月一ペースに上げていきたい。これがまずレースのスケジュール。
    では、トレーニングはどうか。
    スイムはフォームの改造に取組んでいるが、これを自分のものとし、100メートル2分に挑戦。
    ランは草大会への出場を増やし、10キロ1時間(キロ6分ペース)に挑戦。
    こうして書き出しても私にとっては高いハードルなののだが、できないことはないと楽観的に考えている。来年は67歳。なんとか来年と再来年で実現したい。
    バイクはどうか。正直なところイメージがつかない。本当は新車を買いたいが、これは収入しだい。バイクはちょっと置いておこう。
    そして、基本は「身体づくり」でこれが最大の課題であることを改めて確認。

    10月末の「肉離れ」はまだ完治しない。階段の登り降りにもまだ痛みを感じている。
    この肉離れのリハビリテーションを契機として「身体づくり」に向かいたいと思っている。
    「身体づくり」については、整体やトレーニングの専門店に行こうかとも思っていたが、とりあえずやめて自主トレにする。行ってみたい思いはあるのだが、それに費やす時間とお金に自信がない。新たな苦労を背負うような気もする。
    一方自主トレのイメージも湧いてきた。ポイントは「ちょこちょこ」。暮らしの場面の転換期に「ちょこちょこ」とマメにやる。例えば家に帰ったらまず腕立て20回を、といった具合。別にそれを決めるのではなく、翌日は腰のストレッチでもよい。そして週に1回ぐらいは1時間程度を。ともかく「ちょこちょこ」やっているうちに、何らかの変化が生まれるのではないか。であれば「ちょこちょこ」が増幅していくのではないか。そんなことを考えている。
    あと、節酒。実は年末の風邪以降、酒への欲求が低下している。「酒を飲まない爽快感」を味わうようになっている。
    大晦日 振り返ってみては 独り言
    肉離れから2か月。回復は遅々としているが、それでも毎日毎日ささやかな回復を感じている。昨日とは微妙に違うのだ。気が付くと屈伸ができるようになっているのだ。まだ痛みはとれないが、リハビリテーションの楽しみを感じている。

    当ブログをお読みいただいている皆様。
    ありがとうございます。
    来年もトライアスロンもこのブログも続けていきます。
    よろしくご愛顧願います。
    お気軽にメールをください。
    皆様、良いお年を!!!
    写真は北京の公園の朝の光景。
    中国の公園は見慣れた光景なのだが、走っている人はいない。

  • 11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

    11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

     11月中はATAのトレーニングはすべてお休みとなってしまった。記憶では、1か月の休養は、トライアスロンを始めて9年、多分、初めてのことと思う。それだけトレーニングが私の暮らしの一部になっているということなのだろう。

    その原因の第一は右足肉離れ、そして風邪、喘息、蓄のう症。次々と襲う病気のなかで、毎週「この週末はOKかなあ」という期待をもちながら、結果1か月の休みとなってしまった。
    それに、この身体の具合に合わせて、どうやらたまっていた疲れが出たようにも感じている。どの程度の期間の疲れがたまっていたのか、私にもよくわからないのだが、ともかく倦怠感が抜けず、眠くて、よく寝た。仕事はけっこう忙しかったのだが、仕事が終わるとすぐに家に帰り、食事を済ませて床にはいる。だいたい10時には寝てしまう。そして起きるのが7時とか8時とか。我ながらよく寝るなあと思うのだが、これが眠れてしまうのだ。
    そこで「体の具合も悪いし、トライアスロンはシーズンオフでもあるし、この際しっかり休んでおこう」との気分となり、この1か月は静かに暮らしてきた。
    歳をとって静かに暮らすというのはこういうことなのか。
    そんな実感ももった。
    それは落ち着いた状態のなかで、だんだんと自分自身のの全体が委縮していくような感覚だ。1日の中で、身体を動かす時間が少なくなる。「エイッ」っと力を込めることもない。外に出て外気にあたることも少なくなるので、五感が刺激されなくなる。仕事以外は頭を働かせることが面倒になり、好奇心はすっかりと衰える。時の流れが目の前の他人ごとになる。しかもそれは暖かい布団にくるまれて、ゆっくりゆっくりと眠りに落ちていくような快感でもあるのだ。
    「浮世のバカは起きて働く」という言葉を思い出す。
    なるほどなあ。衰えていくということはこういうことなのか。
    そんな思いが、とりとめもなく、頭に浮かんでくる

    そこで思う。トライアスロンを続けている日々がいかに刺激に満ちたものであるのか。
    目ざましのアラームでで早く起き、トレーニングウエアの準備を整え、トレーニングを意識したやや多めの食事をとり、ストレッチで意識を高め、ジムに行き、着替えてシャワーを浴びてプールに入る。全身が水に反応し、水中で吐く息と身体が水に浮く感覚を確かめる。スイムでしっかりと身体を温め、次はラン。日差しの中に飛び出して眼を細め、風の強さを全身で感じる。準備運動で改めて全身にスイッチを入れる。走り出し、苦しい呼吸のなかで、自分がどこまでいけるか挑戦する。
    これらは毎週の、当たり前の、トレーニングの流れなのだが、こうして書き出せば、実に豊かな心身の活動であることがわかる。これはここまで積み上げた大きな資産だ。
    陽だまりに 一人思う 老いの坂
    この1ヵ月は、心身のいい休養になったと思う。50歳で妻が癌を発症して以降、この15年はまさに疾風怒濤の、激しい緊張に包まれた日々で、こうした、自分一人の休養をとったことはなかったように思う。そのことをこうして言葉にして、しっかりと自覚する。
    老いていくことは、心身ともに、そして暮らしの活動範囲が、委縮していくことであるようだ。そして委縮の果てに永遠の眠りが訪れる。であれば、加齢のなかで衰えつつも、心身に刺激を与え、毎日あちこちへと出かけていくようにしよう。
    それに疲れたら、今回は1か月の休養となったが、休養は1週間ぐらいいだろう。
    そうした暮らしへの意識を高め、否応なく委縮が始まるまでは、元気に励んでいきたい。
    写真は奄美大島。来年も行こう。