5日日曜は横浜シーサイドトライアスロン。スイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロのコースで、私のリザルトは。。。
完走者633名のうち、580位。
総合タイムは 1:52:13
スイム(順位) 0:24:37(599位)
バイク(順位) 0:48:16 (563位)
ラン(順位) 0:39:20 (554位)
とても遅いけど、スイム~バイク~ランとだんだんに順位をあげているのがおもしろい。得意、不得意が実に正直にでるものだ。
まず問題のスイム。ようやく休止せずに、連続して泳ぎきることができた。正直これはうれしい。初めての体験。今回のスイムのコースはヨットハーバーのなかで、防波堤に守られて波はなく、ほぼプール状態。とにもかくにも「連続して泳ぎきる」ことを目標にした。途中300メートルあたりで、左足がつりそうになったが、かえってこれがよかったようだ。左足に意識を集中することで、余分な雑念を忘れることができた。ヘッドアップで前方を確認しながら、ただひたすらに泳ぐことができた。
バイクは周回コースを4周するもの。アップ・ダウンもそれぞれ1箇所ずつで、初心者向けの走りやすいコースであったと思う。
バイクについては、左腕の痛みと痺れ対策として、レース前日にアスロニアにバイクを持ち込み、ハンドル位置などを調整して臨んだ。これが功を奏したようだ。今回は痛みをほとんど意識せずに乗ることができた。
ランのコースは八景島と隣接の公園を走るもので、雰囲気としてはホノルルトライアスロンを思い起こさせる。風景も楽しめ、フラットで走りやすいが、ともかく暑かった。給水ポイントでは、水を飲むことはもちろん、必ず頭と両肩を水で冷やした。特に、頭と肩を冷やすのは大切で、マメに冷やしているうちに、だんだんと体調が安定して最後は気持ちよく走りきることができた。
今回のレースは、スイムを休みなく泳ぎきることと、暑いなかでのコンディション維持を課題としたが、満足できる結果となったと思う。おそらく、コースが初心者向けであったとが大きかったが、自分としても、初めて自信への手ごたえを得ることができた、重要な大会になったと思う。
なかでも大切なのは、安定した体調を意識的にコントロールしながら、無理を感じることなくゴールを目指すことであり、今回はスプリントとはいえ、その実感を得たことがうれしい。
この日はレース後はすぐに撤収、帰宅後、夕方からは六本木に出かけてトライアスロン仲間のカラオケ大会へと向かい、年甲斐もなく大騒ぎを楽しんだ。皆さんありがとうございます。体力、気力とも余裕があったということだろう。
さらに翌朝の起き抜けの感覚が重要だが、気になっていたアキレス腱の痛みがないこと、腕の痺れが悪化していないことを確認して一安心。
しかしさすがに疲れは身体全体に残り、早々に帰宅して家で仕事をすませて早く寝た。いまパソコンに向かっている二日目の朝は、全身の疲れも低下し、足と腕の痛みも悪化していない。ああ、よかった。
今後は10月10日の江戸前トライアスロン(スプリント)と、11月13日のロタ大会(オリンピック仕様)でトライアスロン初シーズンを終える予定。この二つの大会で自信を深めることができれいいのだが。
自分では今回の大会で「まだ1~2割りは伸びるな」と感じているが、果たしてどのような結果となるか。
落ち着けよ 言いきかせながら 泳ぎきる
水かぶり 息ととのえて 走り出す
今回のレースを無事に終え、ようやくスタートラインに立てたように感じている。
なかなか思うように上達しないが、初のシーズンでこの実感を得たことを素直に歓びたい。
Blog
-
横浜シーサイドトライアスロンのリザルト
-
歳相応に生きることの難しさ? 楽しさ?
9月2日、本日は妻の命日。亡くなってからまる3年を迎える。仕事は休みとし、午前中は家の片付け、午後から亡き妻の高校時代からの友人3人を迎えて缶ビールに寿司で思い出と近況を語らった。3人のうち2人の子供がそれぞれに結婚間近とのこと。同年齢が集まって話す話題も、子供の学校の話はとうに過ぎ、子供の結婚と親の介護、さらには自分の老後という具合となった。
私の出た高校は5年毎に学年の同窓会を行っており、その案内が届いた。案内文には「遂に我々は60(還暦)です」とあった。5年前には妻の病気もあり欠席したので今回は10年ぶりに「還暦」の集まりに出席する。きっとそこでの話題も、定年、子供の結婚、親の介護に老後への不安といったものになるのだろうなあ。
このブログにも再三書いているが、60歳を前にすると、自分の年齢を強く意識するようになる。ひとつには人生の終焉が見えてくるということ。死ぬまでに何をしておくのかを考えて行動するようになる。次にあげられるのは身体の衰えへの自覚。見た目の容姿の老化はいかんともしがたく、体力も年々低下していく。今日は「岩崎さんでも歩いていて抜かれるようになったの!!」と驚かれた。はい、最近は女性にもドンドン抜かれます。さらに、子供の成長。私の場合は、二人の孫ができた。
加えて私の場合は妻の死ということがある。妻は胃癌で亡くなったが、妻の死により、死ということと、癌というものが、とても身近なものになった。「精密検査に行ったら前立腺癌と診断されても何の不思議もない年齢となった」ことを強く感じている。
もちろん、私のトライアスロンも、こうした「年齢への自覚」と大きなかかわりがある。
まだ身体の動くうちに何かを始めておこう、歳相応に生活のなかに取り込める、一人暮らしのライフスタイルになじむスポーツをもとう、死が身近な年齢となったので、常に目標への緊張感を内在させた暮らしをしよう、身体は衰えているが、だからこそ、それなりに「健康であることの肉体的な快感」を日々自覚していたい、といったところだ。
さて、そうした年齢のなかでの初のトライアスロンシーズンはどのようなものか。
「ちょっとやりすぎではないですか?」というご意見をあちこちよりいただく。もちろん「やりすぎ」というのは、「この歳で」という意味を含む。これは正直「そうかもしれないなあ」とも思う。ややオーバーワークなのかもしれないと思う。ただし、このオーバーワークには、特にスイムとバイクでの技術面での難しさが大きく影響していると思う。つまり、この年齢で始めるには、ハードルの高さを感じてしまう。もう少し若ければもう少し覚えも早かったのではないか、なんて思ってしまう。
そこで、いま、楽しみにしているのが、今度の日曜の横浜シーサイドトライアスロン。この夏の暑さもあり、ほとんどトレーニングができていない。暑さのおかげでビールを飲みすぎ、体重は2キロも増えている。天気予報では当日もかなりの暑さが予想される。そんな状態で、どの程度できるのか。とても不安である反面、初シーズンの状態を占う大会になると考えている。
元気な状態でゴールできるようであれば、この年齢のこの技術とこの体力で、つまり歳相応に、無理なく、自分なりにこのスポーツをたのしむコツが見つかるだろうことを期待している。だから、タイムはともかく「元気でゴール」こそが目標で、大会というよりも、練習のつもりでレースを楽しむことを第一にしたいと考えている。
この歳になっても、あるいは「年齢」を強く意識するこの歳だからこそか、歳相応に生き、日々を心地よく過ごすことの難しさ、あるいは楽しさを感じている。
この夏は 還暦前の 衣更え
あと一息 暑さしのいで 涼を待つ
先日、大学の友人から久しぶりに電話をもらった。
「今度会おうよ」で電話を切ったが、「今度とお化けは見たことない」なんて言葉もある。
来週には電話をして飲みに行こう。
年齢と仲良く暮らしていきたい。 -
鹿島槍合宿 青木湖のスイムに感動!
まだまだ暑いなあ。皆さんどのようにトレーニングをしているのだろう。この暑さの中でランの練習なんてとてもできないよね。夜錬とかしているのかなあ。あるいはスイムに集中しているとか。
私のほうは自主錬はまったくのお休み状態。このところも、8月21日・22日の鹿島槍での合宿以降、24日火曜日のスイム練習のほかは、まったく何もしていない。これで9月5日の横浜シーサイドトライアスロンに出るのだが、果たして大丈夫だろうか。
問題なのは、よく寝ているのにもかかわらず、寝覚めた時に疲れが残っている感覚があること。これでトレーニングに向かう気が起こらない。
今週は火曜日のスイム練習が休みでもあるし、今日は千駄ヶ谷のプールにでも行ってみようかと思っているけど、果たしてどうなるか。
さて、だいぶ日にちがたったが、鹿島槍の合宿。当初は27日金曜中に現地に入り、28日土曜日、29日日曜日にトレーニングの予定であったが、出発は28日の朝5時半。かなり道路が混んでいて、到着は12時前、午後の練習からの参加となった。今回の参加はTTA南行徳から私を含めて男性3名、TTA十条から女性2名、プラス男性1名の計6名という小所帯。コーチは岩田さんと松下さんの2名。
食事のあとはバイク。私のみ松下コーチとペアで低レベルのトレーニング。松下コーチがかなり気をつかっていただき、落ち着いて走ることができた。とはいえ、コースは上り坂、下り坂とも厳しく、なんと2回も落車してしまった。始めは上り坂でのスタートでの失敗。2回目は、長い下り坂を終え、信号で停止したときに左の足をつき損ねて左に落車してしまった。二回とも松下コーチにバイクを起こしてもらい助かった。そのうえ、最後には後輪がパンク。これも松下コーチに修理をお願いで、ホント、おんぶに抱っこ状態。なお、松下コーチは日体大トライアスロン部のコーチで現役のトライアスリート。いつもまめに声をかけていただき、感謝です。この日の走行距離は約50キロだった。
今回のポイントは上り坂でのハンドルを手前にひきつける感覚。コツを覚えるにはやはりある程度の走りこみが必要だな。下り坂はブレーキに自信がないのでスピードに臆病になる。ブレーキに自信がないというのは、しっかりとブレーキを握れないということ。さらに今回のトレーニングでまたも困ったのは、首から左腕にかけての痺れ。
つまり、姿勢自体にどこか無理があるのではないか、ということで、バイクのセッティングを見直してみようというのが、今回の結論。5日の大会の前にアスロニアに持ち込んでみよう。
これまでは、自分にとっていい姿勢、楽な姿勢がどういうものか、まったく見当がつかなかったが、身体を痛めることで、少しは自分なりの感覚ができたのではないかと思う。
でも、あんなに美しい自然のなかを走りながらも、バイクを楽しむ気持ちにはならなかったなあ。バイクが好きになれない。これがバイクの問題。
バイクのあと、もう5時に近くなっていたが、青木湖に行ってスイム。青木湖の様子はgoogle画像で見てください。いい光景ですよ。
これは気持ちがよかったなあ。今回の合宿参加の一番の目的は人生初の湖でのスイムだったが大満足。
まず、水の中の風景が違う。青木湖は透明度が高いとのことだが、足がつかなくなるところにいくと、先は見えない。でも、岸辺では樹木の根が異様にからんだ光景が広がり、ゾクッとした気持ちになる。ところどころに湧き水があり、そこでは水温が下がってここでもゾクッとする。湖には、魔物が棲むような、ゾクッとする恐ろしさがあって、それが魅力なのかと思う。ゴシックロマンの世界だね。
夕暮れで雲が茜色に染まるなか、湖のなかに泳ぎだし、水のなかから黄昏に包まれた周囲の森と山を一望した。贅沢な眺めだった。この歳になって、こんな光景を見られるようになるとは思ってもいなかった。人生はおもしろいなあ。
夜はバーベキューのお楽しみ。他愛ない会話がもりあがり、和気藹々。最後は花火に歓声をあげて和やかな気分のなかでお開きとなった。私の子供たちと同じかあるいは年下の方々とこうして楽しむとき、いつも不思議に思う。ありえないことが起こっているように思えてしまう。大げさのようだが人生の不思議を感じてしまう。
日曜日はまずは青木湖でのスイム。昨日で少し慣れていることもあり、少し余裕をもって楽しめた。みんなも、コーチも、トレーニングというより、スイムを楽しんだ。多分1500メートルぐらいは泳いだのではないかな。そして最後は宿までの上り坂のタイムトライアルだが、なんと、ここでも2回落車し、結局伴走車にピックアップしてもらった。
おかげで、いまだに両肘、両膝バンドエイド状態。子供じゃないんだから。横になって起き上がるときに痛いんだな、これが。
湖に 身を浮かばせ 森を見る
黄昏に 山に泳ぐや 染まる雲
どうしたら、バイクを好きになるのだろう。
書店にはバイクの雑誌が並んでいる。
なんでみんなそんなに好きなのか、私にはわからない。 -
驚いた! ある女の晩年!
今日は鹿島槍のTTA合宿についての報告のつもりであったが、私のビジネスパートナーの澤井にすごい話を聞いたので、とにもかくにもそちらの報告。なお、年齢や日付などはうる覚えで正確なものではないので、その点はご了解お願いします。
澤井さんのお父さんが85歳で亡くなったお葬式が7月18日。澤井さんのお父さんはその父から受け継いだ製缶業を発展させ、製缶業界のトップにもなられた一方、晩年はその会社を畳むといった過酷なプロセスを経験されており、私からみれば、まさに戦後の日本産業発展盛衰史そのもののような印象を受ける方。
そのお葬式のあと暫くたち、お父さんの妹さんが、83歳で亡くなったというのが、今回のメインのお話。亡くなった妹さんは、もう身体が弱って兄である澤井さんのお父さんの葬式にも出られなかった。また、家族もすでになく、あまり周囲と親しくしてはいなかったようで、澤井さんとしても、父に次いで亡くなったときいても、さて何をしたらいいのか、といった状況であったように聞いている。
この時点での印象は、83歳で一人さびしく亡くなった市井の老婆の物語。でも、葬式のなかで明らかになってきたのは、まったく違う豊かな人生の物語。
澤井さんの話によると、妹さんがご主人をなくしたのが、52~3の頃。腎不全で救急車に運ばれ、ほどなく病院で亡くなったのが83歳。約30年の年月の間、彼女は何をしていたのか。そして、誰が救急車を呼んだのか。
彼女の部屋はビリヤードの試合のカップで埋め尽くされていたという。彼女はご主人を亡くしたあと、どんなきっかけがあったか、ビリヤードを始め、それを楽しみとし、腕をあげ、数多くの大会で優勝するまでとなった。60歳、70歳、80歳の女性ハスラーなんて、素敵じゃないか。
そして彼女を救急車に連絡したのは、彼女のボーイフレンドで、彼は最後まで、彼女をみとったという。親戚のだれもそのボーイフレンドの存在は知らなかった。澤井さんのいうところ、彼女より2歳ほど年長の普通のおじいさんであったという。彼女と最後を看取ったボーイフレンドはどこで出会ったのか。わからないけど、きっと玉突き場だよね。そして彼は最後まで彼女のそばにいた。
それだけだはない。彼女は俳句の会にも入っており、亡くなる一週間前に、彼女の辞世の句が俳句の会で発表されたという。辞世四句のうち、一句は、地元にできる東京スカイツリーを読み込んだものであったという。きっと83歳の彼女は死を前にしても、「現代」を見ていた。まさに映画にあるような人生ではないか。
この話を聞いて、最近たまたま見たテレビ番組を思い出した。それは終戦記念日の記念番組でビートたけしが出ていた。おまり覚えてはいないが、そこでは次のような女性の一生が描かれていた。
戦前に浅草で踊り子になり家族を支えるが、男運に恵まれず男子を出産するも生き別れ。その後戦争となり、戦後はストリッパーから、身体をうるまでに身を落とし、いまは見る人もなく、意識不明で一人ベッドに横たわる。生き別れた息子はその後成功して政治家となるが、入院の費用は出しても、一度も見舞いに来たことはない、というもの。
このテレビ番組では、そうした「女の一生」をひとつの典型として描いたわけだが、私がテレビを見たときの印象は「作り物人生の不自然さ、不愉快さ」であった。いかにもありそうなパーツを集めて、ホイっと投げ出したようないびつな物語。そうした一生を送った人はいないとは言わないが、テレビで「典型例」として示すには、「あざといなあ」というのが私の印象。
一方、おそらくテレビの不幸な女性と同じ年頃の、誰も知らなかった、澤井さんの叔母の晩年の豊かさとリアリティはどうだろう。
澤井さんと話したのは、それは特殊なものではないということ。普通の名も無き人は、このような形でそれぞれに、形こそ違え、豊かな人生を過ごしている、これが人の世であるということなのだ。
それはマスコミがとりあげるようなものではない。事件もない。すべてがひっそりと落ち着いているため、誰も気がつかない。だからこそ、二人の間には誰も触れることのない世界が育っていく。
彼女の人生は、56歳で妻を亡くし、トライアスロンに向かい、下手な俳句もどきに向かっている私への大きな指針となる。私は彼女に仲間を見つけた思いがした。
だからといって、いま、私がガールフレンドを求めているわけでもないが。
夏の暮れ 落日の火に 足を見る
鈴虫の 鳴く声耳に 残る日を
今日はとてもいい話を聞いたので、皆さんに、ぜひ、お伝えしたかった。
この驚きと、人生の歓びを、分かち合いたかった。 -
不安なくスタートに立つために やはり課題はスイム
この前の日曜は海錬。50名近くの参加があり、初対面のかたがたともお近づきになれた。この海錬で覚えたいくつかのこと。
「不安のない状態でスタートに立つことがレースの楽しみを大きく広げる」というのは岩田コーチの練習開始にあたっての説明。そう、多くの初心者にとって海は不安なんだよね。その不安を少なくするには、やはり「海に慣れる」ことがとても大切。今回で海錬は3回目、だいぶ慣れてきて「なんとかなるだろう」とは思えるようになったが「不安のない状態」はいまだ見えない遥か先の世界。
海錬ではいつも3つのコースに分かれる。これまでは迷うことなく初心者コースであったが、始めてミドルクラスに参加した。皆さんと泳いでいると、やはり遅れをとってしまう。遅いんだよね。そのうえ人一倍消耗しているようにも思えてしまう。トレーニングは皆さんにご迷惑もかけず、なんとかこなせたが、やはり力不足を感じてしまう。大いに感じてしまう。もっと泳ぎこみが必要かなあ。
お近づきになった初対面の方の一人は高校時代に水泳部だったとのことで、現在30歳で50メートル25秒程度のタイムとのこと。当然、どうしたら早く泳げるようになるのかに話向けた。
Q 早く泳ぐにはある程度の泳ぎこみが必要ではないか?
・高校生ぐらいの若いうちは泳ぎこみがいいが、高い年齢になれば、それよりもパーソナルなコーチにじっくりとフォームを見てもらうことがお勧め。
Q ブレスの際に顔を左にあげているが、その際に右手が落ちてしまうのが大きな欠点。
・右に手を伸ばしたときに、左足のキックで浮力をつけてやってはどうか。フォームというのは全体のバランスである。
これは参考になった。
あと、海で泳ぐ不安のなかに「自分が進んでいるのかどうかわからない」ことがあるとの話となり、これも参考になったなあ。そうなんだ。プールであればタイルの模様で進んでいる確認ができるが、海では泳いでも泳いでも先に進まないという不安に陥る。その不安が強くなり立ち泳ぎで周囲を確認する。これでリズムが崩れてしまう。
海では「いつかはつくだろう」ぐらいの気持ちが大切というのはどこかのサイトに書いてあったが、そうしたマインドコントロールができるようになることも「海に慣れる」ことでもある。
いま、TTAでは週に2日、火曜と土曜に水泳のレッスン。「不安なくレースのスタートに立つ」ことを目標に、これにもう一日を加えたいと思っている。曜日は水曜か木曜。時間は夜。そこでみつけたのがこのレッスン。
http://www.ocean-navi.com/swim/onswim.html
どうしようか、ちょっと迷っている。
話はかわって、昨夜はとても懐かしいかたがたと宴を楽しんだ。私の息子はすでに24歳だが、早稲田実業にお世話になり、中学では野球部、高校では軟式野球部であった。その中学の野球部の父母が仲がよく、昔は皆で飲みにいったりもした。そんな皆さんとお会いしたのは、妻の葬式以来。メンバーは私も含めて6名であったが、皆さんお元気であることに心が和んだ。
このブログを読んでいますというお言葉もいただき、ありがたいかぎり。ささやかな近況報告として受け止めていただければ幸いである。
この夏は トライアスロン 焼ける肌
虫の音を 聞くともなしに 空(くう)をみる
さすがの猛暑も、秋の気配を含み始めている。
今日の夜から鹿島槍でのTTAの夏合宿に参加する。参加メンバーは6名とのこと。5月の合宿は30名ぐらいいたんじゃないかしら。かなり寂しい状態。今回の目玉は青木湖でのスイムを含むミニトライアスロントレーニングとのこと。湖で泳ぐのは初の体験。のんびりと無理をせずいってみよう。 -
まったりとした夏の一日、身体に素直にいってみよう
今日は帰宅後に泳ぐか、あるいは歩きにでるか、などど考えていたのだが、結局帰宅してすぐに缶ビールを開けてしまった。この夏はとても運動に向かう気分にはなく、自主錬はまったくといっていいほどにお休み。ストレッチもしていないありさま。結局はお酒の機会が増え、あとはひたすらに寝てしまう。12時前に床についても、翌朝は7時過ぎまで寝てしまう。このところ体重を計ってはいないが、食欲はあまりないもののお酒が増えて、感覚ではだぶつき気味。意欲が湧いてこない。けだるーい夏となっている。
そんななかで、身体のほうは左のアキレス腱の痛みがだいぶ和らぎ、階段を自然に降りられるまでに回復してきた。これは練習をさぼってきたおかげかなあ。腕の痺れと痛みは原因が首ということがハッキリして気持ちは落ち着いた。顎を上にあげると痺れが走る。一昨日は歯医者に行った。診察ベッドをみると、なるほど、口を上に向けて首を反る姿勢になっている。これじゃあ痛いわけだ。そこで首をできるだけ反らないように頭の抑えを調節してもらったら、だいぶラクになった。
ちなみに歯医者はもう10年ほど、月に1回、定期的に通っている。歳を重ねてそれなりにケアに意識と労力をかけているのは、私の場合は「歯」と「肛門」。快食快便ということ。にもかかわらず、右上の奥歯が歯周病となり、この一月、いつもに増してブラッシングに励んだおかげで、だいぶ回復しているとのご診断。これはこれで結構。なお「肛門」については便にかける時間を極力短くすることで長年の痔の悩みを取り払った。
というわけで問題は首の治療だが、これについては一度、御茶ノ水の順天堂大学病院に行ってみようと思っている。ネットでみるとスポーツ専門治療のセクションがあるらしい。どんな検査、診断、治療をするのか、楽しみではないか。
こう書いてくると、酷暑でありながら、状態としては、まあ、いいんじゃないかい?
やはり、週に1回は大会やトレーニングがあるのが歯止めになっているのだろう。
今日は暑さにだれて、自主錬に向かわない自分に嫌気がさしていたが、こうした状況は素直に受け入れることとしよう。つまりは「やる気が出ないときは身体が休みを要求している」ことを原則にするこということ。身体原理主義だね。
今日はブログを書くことで元気が出てきた。
そうそう、先週がんばった入札の結果が出て、無事通過との連絡が入った。遅れ遅れとなっていた契約が完了して弊社への支払の手続きを進めているとの連絡もあったなあ。非常に面倒で心の重荷になっていた仕事での人間関係もひとつの山を越えた。
と、よかったことを書き連ねていくと、ますます元気になっていくようだ。笑っていこうじゃないか。ハッ八ッハ!!!
明日土曜日はスイムとバイクのトレーニングで日曜日は海錬。
ゆるゆるっといってみよう。
なんて書きながら、さっきからハイボールのピッチがあがっているんだよね。
汗みどろ 火照る身体に 夏の風
鍛えたり 流れる汗に 夕日受け
今日は特にテーマもなくまったりとした内容となった。
そんな日常も含め、のんびりとトライアスロンを楽しむ方法を、自分のものにしたいと思い始めている。
ポイントは「いくら遅くともマイペースでねばってねばって完走!」かな。 -
大学生と一緒の一日 不思議な一日
8月7日は順天堂大学のキャンパスを舞台にしたミニトライアスロンのトレーニング。距離はスイム(プールで500メートル)、バイク(学外に出て17.5キロ)、ラン(同じく学外で3キロ)というコース。私のタイムは1時間14分程度であった。これが大学生だと40分そこそこでいく。
スイムが25メートルプールであったためクロールで泳ぎきれた、バイクは田んぼの中を走る平坦なコースで、今回はドロップ位置でのハンドル、DHバーでのポジションに手ごたえを得た。特にドロップ位置でのハンドルは、姿勢が前のめりに安定し、ペダリングもスムーズで、自分としてはちょっとしたコツをつかんだような気がして、楽しむことができた。ランは走り始めは左のアキレス腱が痛んで心配したが、走っているうちにやわらぎ(それがいいことかどうかはわからないが)、暑いさなかにいいペースで走りきれ、またもや最下位の特典で、皆さんの待つゴールを拍手のなかできることができた。
参加者のなかでは最下位ではあったが、スイムで大幅な遅れとはならなかったため、それなりにレースを楽しむことができた。
感動したのはまわりに広がる水田の風景。その広がりのなかを走るなんて、生まれて初めての経験で、稲穂の国の末裔たる自らの出自に思いをはせ、胸がいっぱいとなった。
今回のトレーニングは、基本的には順天堂大学のトレーニングに、日体大、慶応、筑波、学習院のトライアスロン部、そこにTTAの南行徳、十条が参加して行われたもの。現役バリバリの大学生のパフォーマンスを身近に見たことはおおいに参考になった。
たとえばスイムでは、学生のなかでも得意な人と、不得意な人がいる。その違いをみることが大いに参考になった。うまい人はさすがに軸がぶれず、身体がしっかりと伸びていた。レベルはまったく違うが「なるほど」と思う。
レースの後は皆で近くの食堂に行き、順天堂大学トライアスロン部キャプテン(元気いっぱいの女性!!!)のお勧めで、「順天定食」(鳥のから揚げ定食)を楽しんだ。久しぶりに大学生という若い人々のパワーのシャワーを浴びた。思うことはただただ「若さとはいいなあ」ということ。「こんなところにいる自分を祝福しよう」と一人しみじみその時をかみしめた。
5時半に帰宅。シャワーを浴び、7時半から、江戸川の花火を、一人、家の近くから遠くに眺めた。沼津では泊まっているホテルから目の前の打ち上げを楽しみ、今回は遠くにはじける火の玉を愛でた。今年の夏はこれで十分だと自分自身に確かめる。
この日一日は、まさにトライアスロンの一日であり、不思議に穏やかな感覚に包まれた一日であった。あまり人とも言葉を交わさず、大学生の騒ぎ声を耳にし、静かにうつむいていた。この一日の幸せを多としたい。
火の玉を 心に映す アスリート
夏の日を 走る心に 笑顔かな
トライアスロンを始めたことを、十分に楽しめた。
不思議な一日だった。 -
暑い夏 いかがお過ごしですか?
ブログがだいぶご無沙汰になってしまった。いつも励ましのご投稿をいただいているKenさんからは「体調を崩したのか」という電話をタイよりいただき、大いに恐縮。Kenさんありがとうございます。でも驚いたのはタイからの電話の音声のよさ。まるで隣近所からの電話の感覚であった。
このほかにもいくつか「大丈夫か?」「よほど忙しいのか?」といったご心配のメールをいただき、汗顔の至り!
お読みいただいている皆様、感謝です。皆様、この暑い夏、いかがお過ごしでしょうか?
こちらの夏は7月11日の館山トライアスロンに引き続き、以下の状態。
7月25日 日曜 オープンウォーター 海錬
8月1日 日曜 沼津千本浜大会駅伝 参加
8月7日 土曜 順天堂大学でのミニトライアスロン トレーニング
8月15日 日曜 オープンウォーター 海錬
8月20日 金曜~22日日曜 鹿島槍合宿
9月5日 日曜 横浜シーサイドトライアスロン 参加
書き出すと、かなり濃密な「トライアスロンの夏」となっているなあ。改めて驚き。
さすがにけっこう疲れて、帰宅してもボーっとしている時間や睡眠時間が長くなる。さらにこの週には企画提案の入札があり2日間まるまるパソコンに向かう状態で、ブログへの意欲がなえてしまったというのが実情。
さて、まずの報告は「第6回チームケンズカップトライアスロン駅伝大会in千本浜」【駅伝の部】の結果。
「暑かったあ」というのが第一。この日の静岡市は最高気温が32.7度の晴。沼津もほぼ同様だったと思われる。駅伝というのは3人でチームを組み、それぞれが3種目をこなす。
第一走者 スイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロ
第二・第三走者 スイム500メートル、バイク20キロ、ラン5キロ
私のチームは「TTAレレレのおじさん」チーム。第一走者は42歳のMさん、第二は59歳Sさん、そして岩崎の順番。速い人からの順とした。私が第一走者となったらスタートのスイムでもうレースにならなくなってしまう。
リザルトによると、我がチームは完走102チーム中96位で総合記録は4時間58分34秒。
第一走者 Mさん 1:17:29 33位
第二走者 Sさん 1:34:25 87位
第三走者 岩崎 2:06:40 104位
スタートは8時半なので、私のスタートは2時間50分後の11時20分。暑い盛り。自分の順番を待っているまでが暑かった。浜辺で日差しを避ける場所も大会事務局のテントしかなく、テントから出るときはタオルを頭からかぶった。さらにこの暑さのなかでウエットスーツを着るのだから、もう、汗みどろ。
さて、私のレースは、スイム0:34:47 バイク0:55:46 ラン0:36:07。
またしてもスイムがアウト。500メートルで35分というのは100メートルを7分、50メートル3分半、25メートル1分45か。やはり息がきれ、フォームが崩れ、クロールが続かず、半分以上がたち泳ぎになってしまってのこの結果。このレースの前にプールで15分を続けて泳ぐトライアルを行ったのだが、そのときは500メートルだったのだから、せめて20分以内には泳がないといけないなあ。精神的な問題もあるが、それも含めて泳ぐ力が不足しているということを改めて痛感。
こんな状態でも泳ぎきる自信?はついたが、これではレースを楽しめない。なんとかしよう。
バイクは20キロで55弱分は時速22キロ弱のペース。ランの5キロ36分はキロ7分を少し越える。こちらはともに記録は悪いが、アキレス腱の痛みと暑さを考えればまあ満足、我ながらよくやった。
暑さのため死ぬ人も多く出ているなか、無事完走できたことを何よりとしよう。
レース後はTTA南行徳の仲間と漁港にある回転寿司へ。続いて東名高速入り口の温泉に行き、汗を流してリラックス。足もみマッサージをうけ、うたた寝をして、帰宅したのは10時半。
今回はスプリントの距離であったが、これで3回目の大会。「完走」できる手応えは得た。確かにきついけれど、スイムを越えれば、安定した呼吸のリズムだけを気をつけて自分のペースでいけば何とかなることがわかった。自分のペースを見つけることは、ささやかな自己対話の楽しみがある。3つの大会ともゴール近くではランのリズムもしっかりとして笑顔でスパートができた。だからスイムもそうしたいのだが、それがそういかないんだなあ。レースへの対策としては、どうにもスイムにつきる。これほどスイムで躓くとは、正直、予想していなかった。
7月25日のオープンウォーターのトレーニングの帰りは、TTA一期生のIさんとご一緒した。Iさんはいま、遠泳に取り組んでいるとのこと。週に4日はトレーニングにあてているという。Iさんとの話が大いに参考になった。遠泳で長時間泳ぐというのは退屈ではないかという質問に「周囲の状況を絶えず把握して意識するのでそうしたことはない」という意味のお返事をいただいた。なるほど、それはランではわかるのだが、水泳ではその余裕がなくなるんだね。
また、私は現在は週2日はTTAのレッスンだが、上達には週にもう一日泳ぎこむトレーニングを加えるといいとアドバイスを受けた。何とか50メートルを1分以内にしたいという当方の目標には「その程度は、そんなに遠くはない」とのこと。
周囲を見ても、基本的に泳ぐ力が不足していること、力が上の皆さんもそれぞれにトレーニングに励んでいることを痛感する。
いま一段のトレーニングのアップは、生活と仕事のいろいろなところに影響するとも思うが、よし、当面の対策として、もう一日トレーニングを加えてみようと思っている。いつかはスムーズに泳げるようになっていると思うし、それはそう遠くないとも思う。また、一度そのレベルに達すれば、レースの楽しみも広がるだろう。落ち着いて励もう。
いくつもレースに出ると、自分の力、位置がわかってくる。私の場合は最下位ポジション。
「あと10年早く始めていたらなあ」と思ってしまう。あと10年早ければ、もう少し上達も早かったと思う気持ちがある。一方、同じ歳でも私よりかなり高レベルのSさんは「あと40年若ければなあ」と思うという。やはりSさんはそれだけ闘争心が強いんだな。こちらはとてもそこまでの気持ちは起こらないが、このあたりは人それぞれ。それぞれなりに楽しんでいこう。
目もくらみ 刺す日の痛み 時を待つ
全身に 湯気をたてての 夏レース
シーズンに本格突入し、毎回最下位で、疲れもするが、このスポーツは気にいっていると思う。このスポーツのもつ自己対話の感覚は自分にあっていると思う。
それと、いいと思うのは「社交」の雰囲気だな。レースで出会う知人とレース前に笑顔で握手、終わって握手。それぞれが完走をいたわり祝いあうスタイル。
今回の大会では、ゴールにTTAの仲間と平野コーチが待っていてくれ、皆で手をつないでゴールを果たし、記念写真を撮った。いつも最下位だが、これも「おいしい」ポジションである。このポジションの楽しみもわかった。(笑)
自分のペースで続けていこうと思っている。 -
トライアスロン始めて1年のライフスタイル
トライアスロンの初めてのレッスンが昨年の7月22日。今日でちょうど1年になる。1年を経て何を思うかといえば、まずは日々の暮らしのありかた。
日常のなかにスポーツがあり、大会という区切りに向けた日々のトレーニングがある。首、肩、腕、足首に痛みや痺れがあり、身体のメンテナンスも必要になる。これらを含めて、「自分で自らをコントロールし、管理する、緊張感をもった毎日」となった。これが気持ちよい。いま考えるのは、毎日の脈拍、血圧の管理、血液の定期検査などの身体の管理を日常的に行うこと。何も健康マニアになったわけではないが、そうして自らをコントロールすること自体が、気持ちよい毎日をおくる重要なファクターと思う。
次いであげると、運動能力の衰えの確認。何も考えずにできたであろうことが、できなくなっている。レースでもとても追いつけずに離れていく背中を眺める。これは一面さびしいことであるが、いまこの歳で自らの運動能力を確かめられたことはよかった。
トライアスロンを始めたことで、この1年が、確かに、自らを振り返り、新たな人生への日々の暮らしの形をつくる、マイルストーンになったと思う。
トライアスロンから実に多くの人間関係を得ることができた。実はこのことは始める前にはあまり意識をしなかったが、次第にそれに気づき、関連する集まりやパーティなどにできるだけ顔を出すようにし、トライアスロン仲間が大きく広がっていった。
トライアスロンなんてストイックなスポーツを始めるだけあって、皆さんまっすぐに前に向かっている感じがあって気持ちよい。私の子供より若い方々も含め、同じ感性を共有する仲間感覚をもてるとは思っていなかった。思いもかけずに得ることができた大切な財産として、皆さんと気持ちよくつきあっていきたいと思う。
人間関係といえば、トライアスロンを通じて、多くの若き経営者の方々と、トライアスロン仲間として、お近づきになれた。フラワーカンパニーの井上さん、ゼットン塚本さん、カフェカンパニー楠本さんなど、いずれも40代の若さ。おっと我が校長の白戸太郎さんもこのメンバーに加えなくてはならない。
失われた10年、景気低迷、迷走する日本などといわれるが、一方で、こうした新しい経営者が生まれていることに感心した。あるいは、街を歩くなかで、駅中の花屋、新たな飲食など「新しい波が生まれているが、それは誰がおこしているのか」と常々思っていたが、その方々にここで出会ったことに驚きもした。これらの方が共通するものは、私のみるところ「やわらかさ」だな。洗練された人当たりが発想の力になり、人を束ねる独自のカリスマ性になっているように思える。
肝心のレースといえばホノルル、館山と二つの大会に出て、このスポーツとはどのようなものなのか、そのなかで、自分はどのあたりのポジションにいるのかがわかってきた。
・トライアスロンへの免疫ができたようだ。これは心強い。
・完走すること自体はそれほど無理ではなかった。これは安心した。
・このスポーツを続けていくことができそうだ。とりあえず5年を目標。
・もっと上達の余地はありそうだ。挑戦を楽しもう。
・どうやら大会の最後尾だ。そのことも楽しみとしよう。
これがスポーツとしての1年の成果である。
それと、これは始めてからわかったこと。
・アラ還の59歳である。
・58歳で、何の経験もなく、いきなり始めた。
・孫が二人いる。
これで基本的な「評価」をいただける。「うちの親と同じぐらいだ」となる。
これが気がラクなところで、最下位でも悪びれることなく、皆さんに「大丈夫ですよ。まだまだ後ろに私がますから」と声をかけたくなる心境となる。
今年の夏は暑い。
夏は太りがちになり、体重が落ちない。夏痩せ無縁!
この歳で 思い起こすや 夏休み
熱い夏 今年はどこへ 行くのやら
どこへ行ってきたのか。夏の終わりが楽しみだ。 -
タテトラはホノルルの再現!! ああ!!
前回のブログが7月8日。今日は20日。12日もたってしまった。原因は仕事の締め切りと、それと疲れかな。疲れの原因といえば、風邪とそれに続く館山の大会。
では、国内初参加となった7月11日の館山トライアスロンの報告。
タイムは以下のとおり。
総合 3:57:12 395位
スイム 0:57:42 405位
バイク 1:50:05 397位
ラン 1:09:25 370位
ちなみに395位というのは、成人男子の完走者では最下位。ああ。
めげずにレースを振り返ってみよう。
スイムはホノルルと同様に躓いてしまった。200メートルもいかないうちに立ち止まってしまう。立ち止まるというのは、クロールのリズムが崩れ、立ち泳ぎになる。しばらくしてまたクロールに挑むが長く続かない。長く続かないというのは息が切れるか、あるいは不安になるという心理的な要因と思うが、また立ち泳ぎ。
監視員の方がとても親切で「ゆっくりいきましょう」「大丈夫ですよ」と声をかけてくれる。そのうちに「TTAで岩田コーチに習っているんですよ」「なんだ、サトシのとこですか」「あれ、岩田コーチの先輩なんですか?」なんて世間話的なやりとりとなった。まさかレースの最中に世間話もないだろう、とも思うが、これもトライアスロンのよさなのか。今回はこの世間話のコミュニケーションのおかげで、なんとかリタイアせずにすんだ。
バイクは自衛隊の基地内でとてもフラットなコース。その割りにはタイムがよくないなあ。もう少し健闘できるかと思っていたが、こんなところが実力なのかとも思うが、もう少しがんばれるような気がする。
今回のバイクでわかったことは、このところ悩んでいた腕の痺れはスイムではなく、バイクが原因であったということ。首をあげる姿勢を続けると両腕に痺れが走ることがはっきりとわかった。今回は右手の小指がジーンと痺れていった。
ランもフラットなコースだったが、困ったのは靴擦れ。バイクへのトランジットの際に用意してた靴下を履こうと思ったら、なんとひとつしかみつからない。エイヤーっと靴下なしに挑戦したが、バイクはこなしたもののランはそうはいかない。2キロの段階から痛みを感じて、あとは増していく痛みとのたたかい。なっていったっていまだにバンドエイドを貼らないと靴が履けないくらい。こんなひどい靴擦れも生まれてはじめてで、何をしても59歳にして初体験となってしまう。
この大会は制限時間がスイムは1時間、全体で3時間30分という規則。はなから3時間30分は無理と思ってはいたが、なんと30分オーバーでも許容してくれた大会事務局に感謝だなあ。ゴールでは、岩田コーチ、TTAの仲間と一緒に、ホノルルでご一緒した今回大会の主催者である千葉県トライアスロン連合の園川理事長も一緒になってハイタッチで出迎えていただいた。うれしかったなあ。おかげで最下位でも悪びれずにゴールを楽しむことができた。
レース後に記憶に残った会話。
TTA渋谷のUさんと。「またホノルルの二の舞になっちゃって」「それでもちゃんと完走するのがすごいですよ」。うれしいほめ言葉。
TTA南行徳1期生のIさんと。「立ち泳ぎでも何とかなることがわかった」「それは免疫ですね」。「免疫」とはうまいなあ。ホント「免疫」がついた感覚。
監視員として励ましてくれたSさんと。「ありがとうございます」「いやあ、見たとこまったく余裕でしたよ」。ほめられたのかなあ?
ホノルルが4時間16分で、今回は3時間57分。目標は3時間30分で、スイムがちゃんといけて、靴擦れがなかったらとも思うが、これがいまの実力、いまの自分と考えるのが妥当なんだろうなあ。
皆さんありがとうございます。
一人だけ 海に浮いては もの思う
前を向き 飛び散る汗が ものがたり
ホノルルではその結果を受け入れられなかった。
でも、今回は受け入れることができる。
その心境についてはまたの機会に。